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「うわあああぁぁぁあああ!?」


 恐怖のあまり、両手で視界を塞ぐ。

 しかし聞こえたのは轟音だけ。

 不思議なことに、俺の身体はちっとも痛みを訴えなかった。


「……は?」


 恐る恐る目を開ければ、何が起こったのかハッキリした。

 猛烈な勢いで迫っていた人狼は、数メートル向こうに吹っ飛ばされている。起き上がる気配はなく、生きているのか死んでいるのかも分からない。


 もう棒立ちするしかなかった。人狼――のような生物のこともだけど、ファンタジーなことばかり起こって脳の処理容量を超えている。誰かが助けてくれたのか?


「――」


 その誰かは、左右にいる。

 腕だった。一本だけで人狼の躯と同じぐらいの大きさがある腕。拳を作っている辺り、これが敵を撃退した張本人なんだろう。


 俺の方に危害を加えようとする気配はない。むしろ守るように、じっとその場で浮遊している。


「あ、あの……」


 自分でも何を思ったのか分からないけど、ひとまず声をかけてみた。

 しかし、うんともすんとも反応は返ってこない。鳥のさえずりがうるさいぐらいだ。ひょっとして鳥達がこの腕はお友達――いやいや、そんなわけあるまいよ。


「あ」


 腕は、しばらくすると綺麗さっぱり消えてしまった。まるで空間へ溶け込むように。

 余計に訳が分からなくなって、眉間に皺を寄せてしまう。なんだあの腕、ステルス迷彩ってやつか? そういうチートアイテムはクリア報酬だろうに、一体何をクリアしたのか。


 試しに腕があった空間へ触れてみるが、掴めるのは空気だけ。……実体もろとも消失するとか、本当にファンタジーかSFの類である。


「あ、あの!」


 やっぱり誰かいるんじゃないかと思いつつ、少し大きな声で呼んでみる。


「誰かいるのか!?」


「!?」


 返ってきたのは複数の声と、軍靴らしき統率された足音。

 胸を撫で下ろしたいところだったが、代わりに警戒心が湧いてくる。これ、絶対にヤバイ。理由なんて説明できないけど、とにかくヤバイ。


 たて続けに逃げたくなった。もともと、大勢の人に迫られるのは苦手である。学校で比較的目立たず、空気のように過ごしてきた俺にとっては、天敵と言っていいかも知れない。


 だから逃げる。人混みを避けて生きてきた習慣が、とにかく急げと命令する。


「おい!」


 走り出そうとした直後、腕を思いっきり掴まれた。

 振り返ってみると、鎧を着た青年が一人。その後ろには同じ格好をした人達がいて、倒れた男性と吹っ飛ばされた人狼の元に近付いていく。


 どうにか聞き取れた会話からは、倒れた男を気遣う声があった。一方で、こちらに疑念を向ける者もいる。

 俺は腕を掴まれたまま、必死にかぶりを振った。


「な、何もしてません! 本当です! ただ、気付いたらここにいただけで――」


「詳しい話は町に戻ってから聞くよ。……見たところ学生のようだけど、黒の制服か。アリストテレス学園の子、ではないよね? どこの出身――」


 だい? と続くはずの台詞は、どうしてか途切れていた。

 彼はこちらの顔を見ず、掴んだ腕を凝視している。表情は徐々に、疑念ではなく尊重の念の浮かべ始めていた。一体何がどうしたんだろう?


 男は急いで手を離すと、恭しく膝をつく。お陰で、今度はこっちが驚く側。彼の同僚らしき人々も、口々に疑問を投げかけている。


「も、申し訳ございませんっ! 神子様とは知らず、失礼を……!」


「へ? 神子?」


「この一帯は危のうございます。お守りいたしますので、直ぐに町へ戻りましょう。神子様に何かあっては、オンファロスの民が悲しみます」


「え? え?」


 首を傾げてる一方、辺りにはどよめきが広がっていった。

 軍人たちは近くにやってくると、次々に頭を下げてくる。まるで神でも崇めるような賑わいぶり。……大勢の人に囲まれるのが苦手な身には、嬉しい光景ではなかったけれど。


 っていうか神子って何だ? 神の子だなんて、ウチの両親はいたって普通の人間ですよ?


「さあ神子様、参りましょう。神殿にて皆さまがお待ちです」


「は、はあ……?」


 事情はさっぱり解明せず、訝しみながらも頷くしかなかった。

 新しい世界が広がり始めていることに、少しも気付こうとしないまま。

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