寝起きの悲劇と温泉地散策

「朝だー! ほら、新次、起きなさいよー!」


 朝七時。寝起きからテンションが高い来未から、ゲシゲシと布団越しに蹴りをくれられる。こいつ、いつも平日は起きないくせに、やけに早起きだ。……いるよな、旅行になると早起きになるやつ。


「残念だったな……俺は、起きている」


 そして、昨日の傷に向かって躊躇なく蹴りを入れてくるこいつの良識を疑わざるをえない。


「そろそろ温厚な俺も切れてもいいころなのかもしれない」


 こんな傍若無人な自称妹を野放しにしておくのは、世間様に迷惑だ。

 俺はむくりと起き上がると、静かに気を解放してファイティングポーズをとった。


「先輩……朝からなにやってんですか」

「わっ、お、落ち着いてっ、ふたりとも……!」


 蔵前が白けた顔で、妻恋先輩が気の毒なほど慌てて止めに入るが、もう闘争は止められない。


「ふんっ……やる気?」

「シャドーフェンシングで培ったフットワーク舐めんな!」


 蝶のように舞い、蜂のように刺す!


「たあぁっ!」


 ほとんど眠れなかった早朝のテンションは想像以上に危険だった。フェンシングのサーベルに見立てた俺の人差し指は、ものの見事に来未の……その、突っついてはいけない胸の突起に当たっていた。


「ひぅぅうううっ!?」


 なんということだ……。決して押してはいけないボタンを、押してしまった。

 死を覚悟した。


「こ、こ、こ、こ、こっ、こっ……」


 来未が壊れたように、言葉をこぼす。妻恋先輩が目をぱちくりさせ、蔵前が盛大にため息をつく。


「このバカ先祖ーーーーーーーーーーーっ!」


 俺だって、お前の胸のボタンなんて押したくなかったーーーーーーーーーっ!!


 アッパーが顎に炸裂し、殺虫剤をくらった蛾のように宙を舞う。そして、ゴキブリを踏み潰すヒステリー女のように来未が俺を何度も何度も何度も何度も踏みつける。

 全身が潰れるような衝撃を何度も受けながら、俺はようやく意識を失って眠りにつくことができるのだった……。いつかおれ、ころされる……。


※ ※ ※


 目が覚めた。……いや、意識が戻ったといったほうが正しいか……。


「先輩、行きますよ。そろそろチェックアウトの時間ですし」


 蔵前に顔を覗きこまれる。俺の身体の心配はしてくれないのな。


「……っ」


 だが、唐突に昨夜のキスのことが思い出してしまって、妙に気恥ずかしくてなってきてしまう。目を合わせられない。


「お、おう……そうか。行くか」


 部屋には妻恋先輩も来未の奴もいない。先にフロントにでも行ってるのだろう。つまり、室内には、俺と蔵前だけだ。


「ふふ、今度は口にキスしましょうか?」


 蔵前にからかうような口調で言われて、ぼっ!と顔から火が出そうなほどに、恥ずかしくなる。かぁっと少女マンガのヒロインのように顔を赤らめてしまう。

 俺は、俺が思う以上に乙女チックだった。


「ほんと先輩、かわいいですよね。女装とか、させてみたくなっちゃうじゃないですか」


 ……。な、なにぃいい……!? 俺が女装? ……せ、せーらーふくとか、たいそうぎとか……国で早急に文化財として断固保護すべきブルマとか…………俺が、身に着ける……だと?


「って、なんで俺が男の娘にならんといかんのじゃ!」

「先輩にそういう願望があるってことなんじゃないですか?」

「ち、違う……! ない! ……はずだ」


 そうだ……。俺は、いたってノーマル……な、はずだ。たぶん。


「なんなら、わたしの体操着と制服、貸してもいいですよ?」

「い、いやいやいやいや……」


 なんだこの展開は……。俺を、これ以上、戻れない道へ誘おうというのか……?


「ま、それは置いときまして。そろそろ時間なので、出ましょう」

「あ、ああ……」


 蔵前と一緒に、ロビーまで下りてくる。そこには、来未と妻恋先輩が待っていた。


「来やがったわね、ド変態……」


 いまだに来未の奴の機嫌は直っていないみたいだ。あんなに俺に殴る蹴る捻じる引っ掻く折り曲げるの暴行を加えたのに。


 あれは……すべて不幸な事故だったのだ。


「ま、まぁまぁ……新次くんもわざとではないんだし……ね、機嫌直して来未ちゃん」


 場を取り繕ってくれる妻恋先輩。先輩だけが、俺の純粋な味方だ。


「で、でも……希望おねえちゃんだって、そ、その……ここ……押されたら、怒るでしょ?」


 来未の奴が、目でその場所を示しながら、妻恋先輩に同意を求める。


「……う、う~……そ、それはぁ……」


 急に俯いて、顔を赤くする妻恋先輩。そうそう……エッチな話題は妻恋先輩は苦手なんだってば。そんなセクハラは許さない……ところだけど、先輩の反応を見てるといいぞもっとやれ。


「ま、これ以上先輩にサービスしていてもしかたないですし、チェックアウトしましょう。……別に、わたしのなら、いつでも触っていいですけどね?」


 ああ、蔵前……。おまえ、本当にビッ


「ですから、先輩だけですから。……いま思ってることを取り消さないと、あとで生涯トラウマに苦しむぐらい酷い目に遭わせますよ」

「……チとか思って、すみませんでした」

「最後まで言ってるじゃないですか。ビッチじゃないですからね、わたし」


 と、そこで来未が首をひねる。


「……でも、わからないなぁ。なんで、明日菜姉ちゃんはこんなドスケベ変態クズ野郎が好きなの?」


 そうだ。俺に好かれる要素なんて……それこそ、昔のことぐらいしかないだろう。容姿? 性格? 才能? 全滅だろ俺。


「ま、お子様にはわからない世界です。そうですよね、妻恋先輩?」

「えっ、ええっ!? ……そ、その……それは……あの……」


 ここで妻恋先輩に振るなって! ただでさえキャパシティオーバー状態だってのに。


「う、うん……新次くん……守ってあげたくなるっていうか……」


 ……なんかやっぱり、俺、妻恋恋愛の対象から外れてるんじゃないのか……? 

そりゃ、中学時代、妻恋先輩に世話になったというか面倒見てもらってたけど……。 これじゃ、出来のいい姉と、だめな弟みたいな感じじゃ……。


「わからないなぁ……こんなののどこがいいのか。見ているだけで、殴る蹴るの暴行を加えてパイルドライバーをくらわせたい顔してるのに……」


 なんでこんなに凶暴なんだこいつは。まぁさっきのシャドーフェンシングについては俺が全面的に悪かった。


「ま、そろそろ出ましょうか」


 蔵前が部屋のキーを渡して、チェックアウトする。


 こんな騒ぎを起こしていたというのに、旅館の女将さんは「若いっていいわね~」とかなんとか言って、俺のことを意味ありげに見ては、にやにやしていたが……。なに吹き込んだんだ、蔵前……。


※ ※ ※


「では、少し散策しましょうか」


 温泉地は散歩するぐらいしかやることないからな……。冬になればスキーとかやればいいんだろうけど。まぁ、都会とは段違いに空気いいし、のんびり過ごせる時間は貴重だ。


「もぐもぐ……早くお昼食べようよ」


 ジャンボ焼鳥食いながら、しゃべる来未。

 現在進行で食べながら、お昼食べようよってデブキャラかお前は。


「……お前の食い意地はなんとかならんのか? いつの間に、そんな肉塊を手に入れやがって……」

「そこの道端の屋台で売ってた。けっこういける」


 男の俺だって、こいつほど食えない。これでよく太らないよな、コイツ……。身体にブラックホールであるんじゃないか?


「あ、そうそう……。ここの温泉地にある神社は、創作成就の神社なんですよ。寄っていきましょう!」


 観光マップを読んでいた蔵前から、そんなことを言われる。


「神頼みか」


 そんなものに頼る時点でだめなんじゃないのか……とも思う。しかし、まぁ、ほかにいくところもないし、いいか。気分転換がてら。


「さ、せっかくですし寄っていきましょう」

「うむ……」

「もぐもぐ……。どうせ暇だし、あたしも行く」


 新たな肉塊を手に入れながら、来未がついてくる。


「わたしも、いっぱいお願いしようっ……」

「いや、妻恋先輩レベルになると、そんなものに頼らなくても、余裕で上の方までいけるんじゃ」

「そ、そんなことないよ……。いつも結果が出るまで不安で、発表日の一週間ぐらい前から眠れないし……。前夜なんて、ほとんど徹夜だよ……」

「妻恋先輩でも、そうですか……」


 そう考えると、寝る子は育つとばかりにいつも熟睡している俺には、なにか足りないものがあるんじゃないかと思ってしまう。いや、さすがに前日は寝つき悪いけど。


「それじゃあ、行きましょう。こちらです」


 観光マップを持った蔵前に案内されて、俺たちは移動していく。先達はあらまほしき事なり。


「その前にお昼ごはん! もぐもぐ」

「わかったわかった、じゃ、まずそこらの店で蕎麦でも食ってからな」


 そして、俺たちは蕎麦屋で昼食をとってから、その神社に向かったのだった。

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