布団の中で……

「……先輩」

「――ッ!?」


 心臓が止まるかと思った。目の前に、蔵前の顔があるのだ。そして、俺の身体は妙に温かい。


「うえ? あっ……」


 パジャマ姿の蔵前が、俺の布団に入っていることに気がつくのには、数秒も要さなかった。


「静かにです。妻恋先輩と来未ちゃん起きちゃいますから……」


 いや、だが、お前、落ち着け! なにしてるかわかってんのか!?


「……なんだか目が覚めちゃって。いま、四時過ぎです」

「……いや、それはそうとして、なんでお前が俺の布団に入ってる」

「ふふっ、なぜでしょうね?」


 目の前で悪戯っぽく笑う蔵前にハートを射抜かれる。

 ……って、俺、なにもしてないよな!? だ、大丈夫だよな!?


 冷や汗が高速で噴出してくる。

 ………。…………。………うん、大丈夫だ。なんもしてない。なんもされてないはずだ。おれ、潔白。おれ、純潔。おれ、童貞。オールセーフだ。


「先輩。旅の思い出に……キスぐらい……いいと思いませんか?」


 う、うわあああ、や、やめろっ、その上目づかいをやめるんだっ……! 密着するな……シャンプーのいい匂いを俺にかがせるなっ!


 突如として訪れた人生最大のピンチに、俺の心臓は破裂しそうなほどにバクバクいっている。添え善食わぬは武士の恥? ええい、俺の家系はずっと武士とは無縁だ! 搾取されてきた農民舐めんな!


「先輩がいつまで経っても決めきれないなら……わたしが強引に奪っちゃいますよ?」


 冗談っぽく言ってるけど、目が笑ってませんよ蔵前さん……。

 ああ、うう、あああああ、どうすれば、どうすればいいんだぁ……!


 キ、キスだけなら……キスだけならセーフか? いや、だがしかし、俺にも心の準備ってものが、それに、やっぱり、妻恋先輩と蔵前、まだどちらが本当に好きかわからない!


「……俺は、清く正しく美しく童貞だ」


 自分でも意味がわからない。


「先輩、ほんのちょっとですから……」

「だ……だが断る」


 薄氷を踏むような攻防。なぜ、俺は自分からフラグをぶち壊してしまうのだろうか。……そうだ。いつだってそうだ。全キャラにいい顔をして、誰のルートにもいけないで終わるのが俺だ。


 フラグブレイカー俺。フラグクラッシャー俺。恋愛シミュレーションゲームをやってると、誰のルートにもいかずにバッドエンドになるのが常だった。


「……ほんと、先輩の性格は、複雑怪奇ですね。乙女心以上だと思います」


 どうやら、俺はまた逃げきったようだ。答えを求められる現実から……。


「でも、現実の女の子はそれじゃ引き下がりません……んっ」

「あ」


 右ほっぺたに、初めての感触。こ、これは……。


「今日は、ほっぺたで勘弁してあげます。これじゃ、幼稚園児レベルじゃないですか」


 ……ふおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!


 しかし、俺はその幼稚園児レベルですら、血液が沸騰するぐらい興奮していた。

 あうおうあうおうおおうおうおうおう……おおおおれ、蔵前にキスされたのくわああああああっ!


「それじゃ、おやすみなさい先輩」


 蔵前は、真っ赤になって固まる俺の頬を指先で撫で上げてから、離れていった。……って、なんでそんな妖艶なんだ蔵前。まさかお前、非処――


「……言っておきますが、わたしは処女ですから。先輩だけですから、こんなに積極的なのは」


 心、見透かされてるよ……。一瞬でも疑ってすまなかった。


 ともかくも、そのあと俺は一睡もできなかった。もう目がランランと輝いて、頭の中がフットー(沸騰)状態だった。


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