第3章 まだまだ光は見えないの!

第1話

「…食べる?これ」

 年長者としてとりあえず自分から話題を切り出すべきだろうと思ってポイフルを差し出しながら発した聖奈の言葉は空間に響き、そのままぽとりと地面に落ちた。


 おい、クソガキ。

 参考書に目を通したままのメイクもろくにしていない制服姿の理沙と下を向いてスマホをいじり続ける美憂の二人に向かって思わず声を荒げてしまいそうになる。


 22時過ぎのファミレスは家族連れやカップルや学生といった健全な人種と入れ替わるようにやってきた職種も年齢も性別さえも不明確な人間達で賑わっていた。もちろん聖奈たちもそのなかの一組だ。


 事務所で社長からの発表を受けてから約1時間。

 結局わかったことは社長が古くからの友人の借金の連帯保証人となっていたことが原因で巨額の負債を抱えることになり、事務所を畳むことになったーという予想の遥か斜め上を行くようなハードな展開だった。

「この歳でもうひと頑張りって冗談キツイわよ!」

 と一応笑い飛ばそうとしているものの、普段ならすんなりつけられるはずのジッポーのライターを相当な回数カチカチと言わせていた社長の動揺たるや心中察するに余りある。浅尾やゆみちゃんはじめスタッフたちも聞かされたのは直前だったようで、こちら以上に呆然としていた。浅尾にいたっては放心状態で事務所を出るときに睨みつけてやろうとちらっと見ると椅子に座ったまま無表情で遠くを見たまま静止していたので怖くなってやめた。


 とりあえず所属のタレントーと言ってもこの三人を除くとほぼ幽霊タレントと化しているインチキマジックをするテルミー照美という芸人だけだがーについては専属契約を解除、という形になること、今後については事務所で受け入れ先を責任を持って探して斡旋するので自宅で待機してほしい、ということだった。

 自宅で待機も何も、学生の二人はまだしもこれ一本で生きている聖奈はいきなり明日から無職だ。次の事務所を斡旋するという社長の言葉はありがたいが、あまり期待しない方が良いだろう。このご時世、24歳の売れないグラビアタレントを受け入れてくれる余裕のあるところなどそうそうない。そう考えると、あのギリギリエロビデオみたいな仕事を受けておいた方がよかったのか…とも感じたがすぐに否定した。


「実際、松下さんはどう思われますか?先ほどの社長の話」


 不意に決して大きくはないものの凜とした芯のある声が自分を呼んだ。

 参考書を読んでいるとばかり思っていた理沙がこちらをまっすぐ見ていた。


「どうって…何にも知らされてなかったし、正直びっくりしてる」

「びっくりしてるのはこちらも同じです。次の仕事についてどうするか、あ、この場合は聖奈さんの次の所属先という意味ではなく、直近で決まっているデビューイベントについてのことを指しています」


 早口でべらべらっと喋られたので一瞬ぽかんとしたが、ややあって自分の理解力を推し量られて補足の説明をされたのだ、ということに気がついた。馬鹿にされているとむかっとしたものの、大人の余裕を見せるべきだとぐっとこらえた。


「…そうだよね。いや、あたしもそう思った。でもさーフツーそんな無茶なブッキングしないよねー。マジありえない」

「出演されますか?」


 理沙の言葉は目標のど真ん中にレーザースコープで狙いを設定した弾丸のように遊びもズレもないまま一発ずつ的確に撃ち込まれてくる。

 無駄な言葉の装飾とニュアンスばかりで会話をして生きてきた聖奈が一番苦手なタイプの相手だ。


「ま、待ってよ。ねえ。なんでいきなりそういう話になるの?」

「なりますよ。社長はそもそも個別で活動していた我々をグループにする予定だった。既に決定していたイベントをこのタイミングでキャンセルすれば、運営側から損害賠償を請求される可能性だってあるかもしれません」

「そんなの知らないよ!あのオバさんが一人で勝手に進めてたんだから」

「そのことなんだけど…」


 今までずっと黙ってスマホをいじり続けていた美憂がいきなり口を開いた。


「なんね!」

 テンションが上がっていた聖奈は思わず地元の方言のまま聞き返した。

 迫力に押された美憂が言葉の違和感に怪訝な表情をしながらもおずおずと切り出した。


「社長、もともとは私たちでグループを作ろうとしていたわけではないみたい」

「え?」

「今ゆみちゃんからLINE来た。だいぶ時間かけてスカウトした女の子たちをレッスンしてデビューさせるつもりだったんだけど、直前でその子たち全員が別の事務所に持ってかれちゃったんだって。どうもレッスンをお願いしてたとこが他と繋がってて、話を流したんじゃないかって…」


 美憂がスマホの画面を見ながらぽつぽつと喋る。事務所の移籍や引き抜きなどはこの業界では日常茶飯事。しかし同時に極道並みに義理と人情でがちがちに縛られているのもまた然りだ。デビュー前のタレントをグループ単位で 横取りするなどそうそう聞く話ではない。それだけ社長が手塩にかけて育てようとしていた新人が大器を予感させる人材だったということだろうか。


「…ていうかさ、それなんであんたんとこにLINEなんかで来るの?」

「ゆみちゃん何か言いたそうだったけど言わないからLINEで少し優しくしたらあっさり教えてくれた」

 あの泣き虫マネージャー。私には何にも大事なこと言わないくせになんでこんな中学生のガキに口止めされている内容をべらべらと。

 全く悪びれずにそういう美憂に空恐ろしいものを聖奈は感じたものの、それよりも大事なことにようやく思い至った。


「え、じゃあ、なに?私たちってそもそもデビューする予定なんてなかったってこと?」

 理沙に顔を向けると、ようやくわかったか、とでも言いたそうな表情でこちらを見て頷いている。

「なんねそれ!人を馬鹿にするのもいい加減にしなさんね!」

 聖奈の剣幕に美憂が顔をしかめる。あの社長、イベントの主催側からのクレームを恐れてとりあえず今いるタレントでその場を凌ごうとしていたのだ。この後に及んでなんという往生際の悪さ、面の皮の厚さ。感心してしまいそうな自分が嫌だ、と聖奈は思った。正直に伝えれば反感を買って直ぐに断られる、と踏んだ上だったのだろう。


「たぶん私たちに会う前に電話で探させていたのはデビュー先の事務所をうちから他にいきなり変えたタレントの子か、裏で他事務所に売った関係者でしょう。とはいえ

 うちの事務所がデビュー前に専属契約をどこまで法的拘束力のある形で結んでいたのかも怪しいですし、相手はうちより大きな事務所でしょうから真正面から抗議したところで相手にもしてもらえないと思います」

 理沙がお前は弁護士かとでも言いたくなる口調で事もなげに言う。

「セント・ミューズだってさ」

 美憂がスマホを見たままため息まじりに言う。


 聖奈だってもちろん知っている。新人発掘の為に毎年全国規模のオーディションを行い、グランプリは即ドラマや映画の主演でデビューさせることで有名な東証一部上場もしている業界最大手の芸能事務所だ。聖奈にもまだ未来を夢見る元気のあった頃、現場ですれ違った同い年のタレントがマネージャー、メイク、スタイリストを引き連れて大女優のように闊歩している風景を見て自分も移籍できれば…と思ったものだ。そのときすれ違ったタレントは女優に転身し、今クールのドラマで主演を張り、プライベートでは雑誌の「抱かれたい俳優」5年連続ナンバー1の結城秀隆ゆうき ひでたかとの婚約を発表したばかりだった。同い年だというのに、なんなのだこの高低差は、と思ったものだった。

「そりゃ、そっちからデビューできるって言われればそっち行くよね…」

 美憂が続ける。

「冗談じゃないわよ!その子たち探し出して文句言って…」

「無駄ですよ」

 理沙の言葉は鉄のシャッターのように会話を打ち切る。

「それこそ事務所の対応に任せましょう。おそらくいくばくかの示談金で解決される話だと思います。現実問題として目の前のイベントをどうするか、答えはシンプルです。選択肢は二つしかありません」

「二つもある?」

 聖奈の言葉を無視して理沙は人差し指を立てた。

「一つ、我々は無関係であることを主張し、このままイベントには出席しない」

「それしかないでしょ!あんたもそうじゃないの?ねえ」

 聖奈は意志のいまいち読み取れない美憂の方を向いて噛み付かんばかりに問いかけた。美憂の表情は変わらない。脳みそ入ってんのか!と思わず言いたくなる。

「二つ目」

 理沙が中指を加え、指を二本立てた。

「イベントに出演する」

「しないっつーの!」

 聖奈の絶叫にさすがに店内の何人かが振り返ったが、ほとんどの客は自分たちの会話に夢中だった。

「その選択肢はないわ。あんたたちもさ、まだ子供なんだから親に言ってさっさとこんなとこやめてましなところ入り直しなさいよ。まだツブシ効くでしょ。はい、もうおわりおわり。早く帰らないと心配されるよ」

「…かわいそうじゃない?」

 美憂がぽつりと言った。

「誰が?」

 あたしが一番かわいそうだわ、と聖奈は言いたかった。踏んだり蹴ったりじゃないか。自分が捧げてきた八年間は何だったのだ。

「社長。騙されちゃって、せっかくの新人の子も取られちゃって」

 美憂が相変わらず視線はスマホに向けたまま続ける。

 それはわかる。わかるが自業自得という言い方だって出来る。

「次のイベントって、一回だけしかまだ決まってないんだよね?」

 美憂が顔を上げた。目に性急な光が宿っている。聖奈は嫌な予感がした。

「なに、あんた。一回だけだから社長の為に出ようって?」

「私も実はその選択肢の方がよいのでは、と思っています」

 理沙が口を挟んだ。

「はあ!?本気で言ってんの?あんた」

「言い方は悪いかもしれませんが、それほど難しい仕事ではないはずです。仮にもソロで仕事をしてきた我々であればその場は凌げるのではないでしょうか」

「凌いでどうすんのよ!そのあと」

「それは知ったことではありません。私たちはイベントに穴が空くのを防げればいいのです。いわばピンチヒッターですから」

「そうだよ。だってさ、デビューしてすぐいなくなっちゃうアイドルなんていっぱいいるじゃん」

 美憂が援護射撃とばかりに加担してくる。もちろん聖奈だって社長に恩義を感じているわけではない、ないが…。

「あんたたちはやる気なのね」

「野々村社長への、最後の恩返しだと思っています」

「私も」

 意外なほど真剣な表情の二人を見て聖奈も天を仰ぐと言った。

「私もやるよ」

 来週のイベントを見る人々は出演するアイドルたちが一週間前にファミレスで揉めながら出演を決定したことなど、知る由も無いだろう。そう思うと聖奈は少しだけ愉快な気持ちになったが、すぐに笑っている場合で無いことに気づいた。

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