第23話 【心と体の話 -4-】


 ―――九月某日。


 海鳴は陵莞爾から話を聞いて、亜結樹の体のことを知った。しばらくの間、学校で動揺が隠しきれなかった。

 海へ行ってから一ヶ月後。氷峰は亜結樹を連れてある人の墓参りへ出掛けた。道中、背後に人の気配を感じつつも前を見ながら歩いていた。


 ――誰かに尾行されてんのは、気のせいじゃねぇな。


 山道も無く平坦な道のりだったわけだが、そこから階段を上がって墓の前で線香を炊く。後ろを振り向くと、飄々とした態度で彼はそこに立っていた。


「お前何でいんだよ」


 線香の立つ香りに違和感のある相手が目の前に。そぐわないとまでは言わないが。


「いや気になってついてきちゃった。お彼岸ってやつだろ?」

「……まぁな」


 氷峰はため息をつきながら返事をした。


「人が死んだらこういうお墓っての……建てられるわけ?」

「今の時代例外もあるが、そうだけど。何か疑問でもあんのか?」

「いや……クローンて墓建てられんだって思った。それだけ」


 誰の墓かわかってついて来たらしい。

 允桧の墓の前で海鳴は淡々と言った。氷峰は黙って、海鳴を睨んだ。


「……」


 睨まれた海鳴は、臆することなくただ、氷峰の目をじっと見つめて話しかけた。


「亜結樹と、二人で話がしたいんだけど、さ……」

「……わかったよ」


 ――何を話すんだ?


 氷峰はそう返事をすると、胸ポケットから煙草を取り出し、箱から器用に一本飛び出させると口に咥える。階段を下りて二人の側から離れた。二人の間に首を突っ込まない方がいいという蔀の忠告を忘れてはいない。だが、海鳴のある感情が亜結樹に近づいてきていることは薄々感じている。

 彼は亜結樹と付き合っている。その証明でも見せろと言うなら亜結樹の口から吐くべきだ。

 亜結樹だって氷峰といることが恋愛感情に基づいていることを、理解しなくてはならない。

 それにしても、亜結樹が海鳴を好きになるようなことになったら、俺は――俺自身は海鳴を罠にかけることになるかもしれない。



 ***


「俺、墓いらねぇわ」

「え? ……どうして?」


「だって亜結樹や一般のクローンは一度死んだ奴の身体を借りてんだろ?生かされてるっていうか、俺はそうじゃなくて、陵さんのコピーでさ……」

「何が言いたいの?」


「俺、陵さんにこの間会ってさ……、言われたんだ。『愛されるクローンもいればそうじゃないクローンもいる。君が生きた時間は俺と同じで、一心同体。だから分身の墓は必要ないと思う』ってな。俺は…奴隷とまではいかないけど、陵さんには従順なクローンでいなきゃいけないんだって思ってさ。コピーだから……」


「さっきからコピーって言ってるけど…それでいいと思ってるの?」


 悲しい目なんかしていない。亜結樹の目は丸く大きく全ての純度を高めていく。無知の瞳をしていた。


「まだわからない」

「お墓って……死んだ人の人生を思い返すためにあるってミネ言ってた」

「人の人生なんて本人にしかわからねぇだろ」

「そうかもしれないけど……」

「俺は一人で勝手に生きて勝手に死ぬさ」

「何言ってるの? 八束さんがいるじゃん!」

「……あいつは俺のこと玩具扱いしている。そんな気がする」

「そんなことないよ! 海へ行った時、そんな風な仲には見えなかったよ?」

「あいつは本当に俺のこと好きなのかな……俺、三年もあいつと一緒にいて、今更あいつのこと避けようとしている自分が……いてさ」

「好きなのかなって……恋してるのは向こうだって初め言ってたじゃん」


 海鳴はゆっくり頷く。


「そう……だよ。けど、俺は……」


 ――八束の『好き』がわからないんだ。それが愛だって気づいても。


「信じてあげよう? 八束さんのこと。あたしには八束さんのこと……よくわからないけど」

「ああ……そうするよ」


 海鳴はそう言って允桧の墓の前でしゃがみこんだ。うずくまりながら――


「あのさ。お前……女性に変わる気ないの?」

「――ッ!」


 唐突な海鳴の一言にどきっとする。


「俺、知ったんだ。お前の身体のこと……陵さんから聞いちゃったんだ」


 屈んだ姿勢で亜結樹を下から見上げながら話しかける。


「あたしは……女の子としても生きてきた……。今だってそう……、学校でだって……」


 ――いつから気づいていたんだろう。


「今更聞くけど、俺にだったら、すぐカミングアウトできたの?」

「……」


 ――こういうとき、なんて答えればいいの?


「なんで黙ってるんだよ。なんとか言ったら?」


 そう言いながら立ち上がり、亜結樹を上から目線で、揶揄うような目つきをした。


「海鳴は……あ、あたしとしたいの?」


 その返事に海鳴は驚くことなく眼を見開いて――

「直球質問だな。……あぁしてみたいよ。というより……女心を犯してみたい……そんな感情が奥底に眠っているんだ……。俺の中のもう一人の――陵さんがそう思っているんだってね……」


 ――陵さんが允桧にしたようにね……。


 その言葉を告げた海鳴はとても冷酷な表情をしていた。彼には陵莞爾という男の遺伝子が入っている。海鳴も自覚し始めている。施設にいた頃から彼は天涯孤独であると悟り、一人の男の為だけに生きているのかもしれないと気づき始めていた。何より女性より男性が上に立つべき存在だと。


「……怖いと思った? ……だろ?」

「別に……そんな考えならあたし以外にだって他にいるじゃん!」


 亜結樹の目は澄んでいて強かった。だが、微かに潤みを帯びていた。


「聞いてもいい? あの人ともうしたの? ミネって人とさ……正直に話してよ」


 言い方に濁った感情が渦巻いていた。泥沼に足を突っ込んでしまって、足を引き抜くことができない様な――。


「……なんでこんなこと聞くの? しかも――」


 ――彼のお墓の前で……。


「気持ちよかったの? なぁ……、生き辛いとか思ってんだろ? 本当は……」


 生き辛いの語彙の中にはトランスジェンダーという単語が含まれている。亜結樹は理解していた。

 普段は見せない清らかな感情が煮えくり返って、ぐつぐつと煮込まれている。

 海鳴の鏡は亜結樹も施設にいた頃に数日間お世話になったあの科学者の男だ。


「……や、やめてよ! あたしは允桧の様にすぐ死んだりなんかしない!」

「何で?」

「死んだら哀しむ人がいるって理解してるし、傍にいてくれる人がいるから……――っ!」


 数メートル先の氷峰には聞こえないように声を押し殺しながら震えた声で言った。


「そっか。それさ、強いんだが、利己的なんだが……」


 そう言いながら欠伸し――


「やっぱり、俺勘違いしてたかも……」

「勘違い?」

「お前のこと好きだって言った意味。思い込んでたかも」


 海鳴は頭をきながらそう嘆いた。


「ねぇ海鳴」

「……何?」

「友達のままなら好きでいてくれるよね? 好きって言った意味、わかった気でいるよ」

「ああ、勿論。だってさ、同い年でさ、クラスメートでさ……――」


 ――同じ施設で生まれたじゃん。


 海鳴は真顔で言い放った。

 最後の三つ目の言葉は亜結樹に届いたかどうかはわからないが、意思疎通していたことは確かな気もした。そう確信を持った。対する亜結樹も――


「そうだよね」


 海鳴の意思が伝わったのか、そう言って微笑んで見せた。


 さっきまで鋭かった海鳴の顔が和やかになる。

 二人の笑顔を遠目で見た氷峰は何となく安堵し――


「おーい、そろそろいいかー? 帰るぞー」


 下から、二人を見上げながら手を上げながら声を掛けた。


「わかったー! 今そっち行くからー!」


 亜結樹は元気な声で返事をした。


 海鳴は氷峰を見下ろした。氷峰にはまだ言えていないことが彼にはある。陵というあの男は、かつて允桧と性行為を一度だけしたことがあるという話である。氷峰自身も知らない事実である。その事を二人に伝えるタイミングが見つからない。亜結樹にわざわざ言わせることでもない。過去の出来事なのだから。


 ――過ぎ去ったことなのだから。


 だが海鳴はもやもやしていた。陵は何故自分に陵自身の昔話をしたのか。分身である己に昔話をしてきた彼に対し、海鳴は己の存在意義に疑念を持ち始めていた。



 ―――キュプラモニウム施設内。


「蔀君それどうしたの?」


 笑いを堪えながら陵は話しかけてきた。視線はロッカーの鍵に付けている小さいイルカのフィギュアストラップだ。


「これは友人からのお土産です。何がおかしいんですか?」

「いやぁ……別に。……ククク」


 ――ストイックな彼に似つかわしくない。


「どうしても付けろって言うもんですから仕方なく付けてるだけで――」

「その友人て、もしかして氷峰君かい?」

「ええまぁそうですけど?」

「氷峰君、最近亜結樹とどうなのかなぁ? 俺、亜結樹のレポート見ただけじゃ彼の様子はわからないんだよね」

「知る必要無いと思いますが? 私の友人なので」

「だから気になるのさぁ……」

「……関係ありません」

「親とは関係あったんだから、いつかは出会うことになると思うよ」

「! ……氷峰駈瑠ひょうみねかけるのことですか?」

「名前だけは知ってるんだね。そうそう。君の伯父司秋さんと親交の深かった……」


 ――陵莞爾がついに彼の名を口にしたということは、彼の願望がもうすぐ目の前にあるとてでもいうのか。ミネと陵さんを会わせるにはまだ怖い。


 ――允桧のこともあるしな。遺体の半分を切り捨てたというなら……何故允桧の命を救えなかったのか。


「ねぇ蔀くん」

「何ですか?」

「海鳴には、亜結樹のことをもう話した」

「……⁉︎」


 ――それはつまり……イフであることを話したという事なのか?


「ついでに俺の昔話なんかもね。下世話な話さ」

「……亜結樹と海鳴が今度会ったらどうなると思いで?」

「んー、至って冷静なんじゃないかな? 俺はそう思ってる」

「どちらかが傷つくに決まっているじゃないですか!」


 蔀は陵に怒鳴った。


「泳がせたいのは君なんだよ。亜結樹のケアをよろしく頼むよ」


 そう言って、白衣を着た彼は、遺体の眠っているクローンの再生医療施設に出向いた。


 ――亜結樹は今、自分のことを男だと思って自覚しているのだろうか。

 ――それとも海鳴に恋をしたなら、女であろうとありたいのだろうか。

 ――おかしい……。陵の狙いはなんなんだ。彼女を混乱させてどうしたいんだ。



 ―――夕方・氷峰宅。


「ただいまー……」

「……って誰もいないけどな、ははっ」

「ねぇミネ、あたし……いや俺さ」

「人称が混乱してるな……どうかしたか?」


 氷峰は亜結樹の息遣いが少々荒いことに気づく。亜結樹は息を凝らしながら――


「海鳴に、イフであること……バレた」


 ゆっくり言葉を紡いで息を吐き、言葉を発した。


「……!」


 亜結樹は困惑していた。心臓がばくばくして動悸がしていた。玄関先で倒れ込みそうになる。


「亜結樹、落ち着け」


 氷峰はそう言うと、亜結樹の体を支えながらそのままお姫様抱っこをするような体勢になり、亜結樹をリビングまで運んだ。ソファにそのまま亜結樹をそっと下ろす。


「わっ! ちょっと……!」

「とりあえず横になれ」

「う、うん……」


 彼女は、そのままソファで横に倒れこんだまま、仰向けになって氷峰の顔を見上げる。


「イフがバレたってのは……なんかあの墓参りの時に言われたのか」

「うん……」


 ――あの時の海鳴の目つきは怖かった。


「お前な……これからは女として俺と接しろ」

「え? ……な、んな急に無理だよ!だって服装は……」

「いや……女らしく振るまえってことだ」

「らしく……学校で今まで通り?」

「そう。いいんだ。そしたら海鳴とは自然と距離を置けるようになる」

「その根拠は?」

「蔀がそう言ってた。俺はあいつを信じる」

「そっか……わかった。あたしはミネを信じるよ」

「夕飯食べるか」

「うん!」


 距離を置きたい気持ちもわかるけど、俺はきっと海鳴とは男として接するのは避けなければならないっていうだけであって……友達ではいられる。そんな気がするんだ。海鳴とまさかそんな……。そんな恋に落ちるなんて事はないと思うんだ。何を恐れているんだろう。



 ―――数時間前・キュプラモニウム施設内。


 蔀は陵から聞かされた「海鳴が亜結樹の体の秘密を知ってしまった事実」に少々戸惑っていた。急遽、氷峰を施設に呼び出した。


「急で悪い。話したいことがある」

「なんだよ。今日墓参りでちょっと精神的に参ってんだけど……」

「お前、亜結樹にはまだ何も言われてないよな?」

「ん? あぁ……それがどうかしたか?」

「これからは亜結樹を女だと思って接してみないか?」

「はぁ? 何で今切り替えなきゃなんねーの」

「理由は陵が先走ってしまったからなんだ。俺も居ても立っても居られない……」

「……そうかよ。レポート……、亜結樹の心理状態の報告書書いたら渡すから」

「ああ、頼んだ。俺は亜結樹と允桧の体の秘密を知ってしまって少し気が参っている」

「だろうな……俺も怖かった。亜結樹は男としてみてるけど、やっぱり女の子なんだよな」

「それが正しいと俺も今は思っている。ミネ……お前にしか頼めない事なんだ」

「あぁ、わかった」


 氷峰は書類を片手に、足早に施設を後にした。



 ―――夕方・キュプラモニウム施設内。


「蔀くん? さっき氷峰君らしき人物とすれ違ったよ?」

「……貴方は知ってるんですか? 氷峰弓弦という男を……」

「ああうん、覚えてるんだよねー。髪はメッシュ入れちゃっていかつくなってるけどね」

「私は亜結樹のことが心配で、急遽氷峰を呼び出しました」

「ふーん……そっかぁ。あ、そうそうこれ、渡したい物があって来たんだよ」


 そう言うと陵はある本を渡した。


「何ですかこれ?」

「海鳴でも食べられる食材の調理法を考えてみたんだ。今度作って振舞ってくれると嬉しいなぁ……なんて」


 渡されたのは海鳴専用の薄っぺらいレシピ本であった。


「まだ作る機会は設けていませんけど……というか私と海鳴の相性悪いって言ってたじゃないですか」

「あははっ、だからこそ君と海鳴とのコミュニケーションの一環として考えてみたのさ。試してみてくれよ。美味しい食べ物食べたら幸せになれるんだよクローンも人間も」

「はぁ……そうですか」


 ――俺と海鳴の接点か……。

 ――陵と会話するような感覚になるときがなければいいが……。


「それじゃ、いつか頼むよ」

「はい、わかりました」



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