第22話 【心と体の話 -3-】
―――現在・キュプラモニウム施設内。
海鳴は亜結樹と二人で帰る途中に氷峰と出会し、少々不機嫌であった。
そのための憂さ晴らしに、陵莞爾という男に会いに施設へ寄り道をしていた。
「で、どう思う? 陵さん。亜結樹も亜結樹だと思うんだよ、氷峰って人に素直過ぎるっていうか」
「あはは、君はあの男が邪魔だって顔に出てるんだね」
「俺はただ……あいつの心に寄り添いたくて……でもなんかその感情が恋だと知ったら、余計心苦しくなっちまって……。いや、それだけじゃないんだけ――!」
海鳴が言いかけた途端に、陵はコーヒーを差し入れた。海鳴の目の前にさっと差し出されたコーヒーは、例の水っぽいコーヒーである。
「君も飲めるコーヒーだから、飲みなさい」
「え……うん。(なんか強制的に飲まされているような気がするんだけど……)」
「それだけじゃないってのは……何か亜結樹自身に疑念を抱いているんだね?」
「うん、そうだけど? あ、実は体のこととか……」
そう呟いた海鳴はコーヒーを一口飲み、続けて――
「俺、あいつが男っぽいところに惹かれているんだ」
確信するように言った。
「へぇ……そうなのかい?」
陵は頷いて海鳴の言葉を紡ぐように、亜結樹の真実をあっさりと述べ始めた。
「実はね、亜結樹君は性分化疾患型のクローンなんだよ。意味わかるかい?」
「性分化疾患型……⁉︎」
――てことは、まさか? え……?
海鳴は勘付いた。陵の言葉の意味を聞いて、より亜結樹に関心を抱くようになってしまった。
「そう……彼女の体は両性具有であり、尚且つ下半身は男性である。心の持ちようは女性よりなのかな? 畏怖クローンと俺は名付けた。通称イフ」
――性格に関しては蔀君に任せてあるから、それは俺には関係のないことなのかもしれないが……。
「そ、そうだったんだ! ……ど、どうしよう。俺……」
「何、慌てた表情を浮かべているんだい? ま、コーヒーでも一口飲みなさい」
「…………」
無言でコーヒーを一気に飲み干してしまった。海鳴は頭の中で、亜結樹が学生服が男性ものだと知ったときから、どうして女性として接していたのか疑問に思っていたこともあった。だからあえて、再確認する羽目になった。彼女がイフであるということをこの場で初めて知ることになった。動揺が隠しきれない。どうして、亜結樹を男としてみるようになって惹かれてしまったのか合致した。
「あ、あの……イフって確か昔一人目がいたって、俺電子ノートで知りましたよ?」
「ああ、君は一人でいてもよく読書したり、施設の沿革をよく見ていたね」
「えーっと允桧っていう名前のイフがいたって……」
「うん。いたよ。何か疑問でもあるかい? 君には今関係のない存在だ」
「いや、その……俺は何で特別なクローンなのかなって理由が知りたい」
「そっか、じゃあ一つだけ教えておくよ。君は俺の分身だ」
「分身?」
「よく自分を見つめてみろ。髪型も瞳の色も俺とそっくりじゃないか」
「あぁ……言われてみれば確かに。……って特別ってのがそういう理由なのか?」
「そうだよ。俺にとって特別な存在だ。体は脆くてもね」
そう言って陵は海鳴と同じように淹れたコーヒーを
「……なぁ亜結樹の体はどうしてイフになったの?」
「彼女の体は允桧と
「対?」
陵はリクライニングチェアに腰をかけながら、回転させると、窓辺に顔を向け――
「亜結樹の肉体の半分は允桧のものだった。それが上半身と下半身が入れ替わって誕生したのさ」
「え……。それどっちがどっちに?」
海鳴は興味津々に陵の話に耳を傾けた。
「女性である下半身が男性に、男性であるはずの下半身が女性になってしまった」
それを聞いた時に、海鳴の表情は顔を赤く染めながら、興奮していた。
「じゃ、じゃあ、その允桧っていう人は……女の子だったんだ見た目は男なのに?」
「その通り。それでね、彼は施設で体についてのことよりも先にエロティズムに目覚めてしまったんだ」
椅子を半回転させ、陵は頬杖をつきながら海鳴を睨みながら呟いた。
「……エロ……ティズム」
生唾を飲み込んだ。海鳴は、八束の相手をしている時に、その欲求の満たされ方についてまだ未知数の感情があった。熱が上がっていた。
「ちょっと一息つこうか……」
「ちょ、ちょっと待ってよ! 俺大丈夫だから続き聞かせてよ!」
と言いながら、空になったコーヒーカップを陵に差し出す。そして――
「コーヒー飲むから!」
と声を張り上げた。
「あはははっ。わかったって、淹れてあげるから、まぁ座って座って…」
***
海鳴と陵は楽しそうに会話を楽しんでいた。
「俺は、彼の相手を一度だけしたことがあった。欲情に駆られるままにね」
「へぇ……陵さんってやる時はやる人に見えるからな」
「それは嫌味か? それとも褒めてるのかい? 別の意味で捉えていいのかな?」
陵は苦笑いした。なぜなら、もしかしたら己自身も海鳴と同じような言い方をするに違いないと思ったからである。陵莞爾という男は、允桧の性交渉の相手を一度だけしたことがあるという話だった。
「でも、俺も八束とする時は最初は変な感じがした。俺男だって自覚してたのに」
「自覚の問題じゃない。相手とのやり取りの問題だ」
「じゃあ八束が男に欲情するって話なわけ?」
「単純にそう。俺は允桧に魅了されてしまったのだよ」
腕を組みながら片足を組んでため息を漏らしながら言った。
「ふーん……」
「するか、される側に問題があるとしたら君はどちらに罪があると考える?」
「罪? 何だろうな……される方だって了承を得てるからする方が悪いって俺は思っちゃうな」
「あーやっぱり君は有能だ。俺の頭脳を引き継いでいるね」
顔が綻びた。陵は海鳴と会話するのを心から楽しんでいるようだった。
「てことは陵さんが允桧に悪いことしたってことじゃん。罪被ってるよ」
「そうなんだよね。俺はあの子に悪い思いをさせてしまった……」
「最悪だよ……それ」
海鳴はカップに入ったコーヒーを見つめながら燻った表情で呟いた。そしてそれを飲み干した。
「そうだね。俺は最悪な人格を持った大人だよ。自覚あるよ」
そう言うと陵はカップをゴミ箱に投げ捨てた。椅子から立ち上がることなく、遠くからホールインワンであった。
「思い出話を聞かせるならもっといい話をしてほしいもんだね……」
海鳴も陵と同じように、カップを遠くからゴミ箱へ投げ捨てた。見事に綺麗にコップはホールインワンとなった。
***
海鳴は陵の個室から出て行った。そのとき、蔀と戸室が廊下で立ち話していたのを耳にした。
『じゃあ、戸室さんから聞いてみてください』
『そうだな……あいつとは付き合いが長いから、聞ける時に聞いてみるよ』
――何を聞こうとしてるんだろう? 陵さんに対してだろうな。
こちらに足音が近づいてくるのがわかった。
「あ、どうも」
歩いてきたのは蔀だった。
「海鳴……お前まだ家に帰ってなかったのか。もう夜になるぞ」
「そんな子供扱いしないでくださいよ。ていうか今何の話してたんです?」
「お前には関係ない。無視してくれ」
蔀は足早に長い廊下を歩き始めた。その後を付いてく様に海鳴も近づいてくる。
「何なんだお前は……。別の道から帰ればいいだろうが」
「気になるからですよ。俺のことじゃないんですか?」
「どうしてそう思う」
「だって話し相手、戸室さんだったんでしょ? 声聞いてわかったもん」
「……」
蔀は足を止めた。彼の話の聞き出し方はどうにも陵莞爾という男に似ていた。
語り手を煽るような言い方をしてきて、蔀はため息をついた。
「戸室とは確かに陵さんの話をしていた。だが、お前の事ではない……」
「本当です? ま、いっか……。じゃ裏門から帰りますんで、お疲れ様でしたー」
「……お、お疲れ様……だな」
――調子のいい奴だな。へらへらしてるのはどうにも陵さんの様で会話しづらい……。
蔀は心の中で、そう海鳴の態度に唖然となる。陵莞爾そっくりだと改めて感じた。戸室と会話していた内容は――。
―――数時間前。
戸室は総務室から出て行き、陵の個室へ向かおうとした。
その時、蔀とすれ違った。
「あ、戸室さん」
「おう、柊……何だ?」
「少し時間空いてますか?」
「ん、あぁ。構わないよ」
戸室は陵に会いに行こうとしていた。だが、蔀は嫌な予感がして彼を引き止めた。
嫌な予感というのは、彼がうっかりしていることが蔀にはばれており、陵の唯一の親友であるという事を理解しているからこそであった。陵に対して何か言いたい事があるのかもしれないが、今はまだ伝えないで欲しい旨があった。その旨は――。
「海鳴の事を話すのは、まだ時期が早いと思うんです。そのうちボロが出てくると思うんです、陵さん自身の……」
「そう、思うのか? 何でだ?」
「ああいう人は、その俺の伯父さんとも付き合いが長いので、私には何となく……ですけど。そんな気がするんです。隠し事はいつかばれます」
「でもなぁ、あいつは深海魚のような得体の知れない爆弾を抱えてるような人間だぞ?」
「はぁ。深海魚ですか……」
「そうそう。だから同期であるこの俺が、海鳴の何かヒントになるようなことを聞き出せないかと思ってたんだよ。柊君のためにもね」
「そうですか……。じゃあ――」
蔀は一呼吸置き――
「じゃあ、戸室さんから聞いてみてください」
と、頷きながら一言そう言った。
「そうだな……。あいつとは付き合いが長いから、聞ける時に聞いてみるよ」
戸室も相槌を打つように蔀にそう言った。
―――柊八束・宅。
「ただいまー」
「おう、何だ今日遅くねぇか?」
「いや、施設でちょっと話し相手になってもらってたんで」
「話し相手? 誰だよ」
「陵莞爾っていう男と、ちょっとね」
「ふーん……」
八束はソファベッドで寝転びながらスマホをいじっていた。それ以上は海鳴に対して何も聞かなかった。陵莞爾という男のことについても。海鳴が今まで怒鳴ってきたことがなかったのに、昨日、急に喧嘩になったことが気に病んでいたようであった。
「どしたの? てか晩飯ちゃんと食べた?」
「何、心配してくれてんの? それって」
「ああ、うん、そうだよ」
「食った食った。弁当買って食ったよ。お前こそ……」
「あぁ、うん、わかったって……じゃなくて、その……」
海鳴は頭を掻きながら、八束に近寄り――
「あん? 何?」
「俺のことちゃんと愛してくれてありがとう!」
突如、頭を下げてお辞儀をした。
八束は突然の海鳴の身勝手な振る舞いに驚きを隠せなかった。
「は? ちょ、どうしたお前。何? 俺どうすりゃいいの?」
勢い余って手を滑らせ、スマホを床に落としてしまった。
拾おうとした時、海鳴が手を差し伸べてスマホを握り――
腰を屈めた体勢からそのまま海鳴の方から――
「――……!」
八束の口を塞いでキスをした。
「あ……俺、もどかしいんだ。こういうのって。でも――」
海鳴は八束にスマホを渡そうとした。その時――
「何言ってんだよ! あはははっ。お前いつもより顔赤いぜ?」
八束はスマホをテーブルに置いてソファから立ち上がり、思いっきり海鳴を抱きしめてあげた。
「今日は……俺、許せる気がする」
静かに涙を垂らした。涙の理由は八束の愛に気づいたからである。
「あ? 何を? わかんねぇよ……俺には難しすぎて」
「八束とするってことを許せる気がすんの」
「そっか……そんな涙、俺に見せんなよ」
そう言って八束はまた海鳴に口づけを交わす。
二人はまた夜を共に過ごした。
海鳴が、八束の愛し方について理解を求め得ることなく本能的に海鳴は八束に身を委ねた。
***
「海鳴ちょっと……話がある」
「え? 何」
ベッドに寝転んでいた八束が口を開いた。
「お前さ、俺が昔の話する気になったらしていいって言ったよな……」
「うん……」
「俺今話しておきてェんだ……。聞いてくれる?」
「あぁ、うん。いいよ……聞いてあげる」
八束はベッドから起き上がり、そのままベッドに足を掛けて海鳴を見つめる。
見つめられた海鳴は、一瞬どきっとして目を逸らしたが、また八束の目を捉えて離さずにいた。海鳴は八束が病気で一緒にいるという事を忘れずにいる。昔の話をするっていうことは、恋じゃなくて愛に気付かされた時、自分が八束の心の奥底に触れるということでもある。
――あ、でも俺の心に寄り添ってくれるということなのかもしれない。
八束は語り出した。三年前話せなかった自分の過去を少しずつ語り出した。
“
「俺はそいつと付き合っていて、
「心を縛れれていたか。じゃぁさ俺は? 今の俺は八束に縛られていると思う?」
「何だよ……それ直接本人に聞くことかよ。俺はお前のこと縛ってるつもりは……」
――縛ってるって言いてェのか? いや……俺はそんな気なんて全然ねぇけど。
八束は陵という男からの電話を一瞬思い出す。「束縛して欲しい」という願いを聞いたことを覚えている。
「いいんだよ。今すぐ言わなくても。答え探ししてるようなもんなんだろ? 俺は救世主なんだよ八束の」
「は? 救世主? その例え何?」
「俺は八束の愛に気づいたから……。でもまだ俺は……俺の方は八束を愛せていない気がするんだ。だから八束を救いたいんだ」
「ふーん。お前らしくねぇ言い方だな……そんな気がしたけど?」
「え?」
「俺は頭ん中がトロトロにとろけちまっているからさ……お前が俺を救いたいっていう気持ちはわかるけど、それ以上に俺はお前のことが好き好きでたまらねぇんだ。そんだけでお前が救世主だなんて言い方されっと……なんか重てぇよ」
八束は海鳴の気持ちを、少しずつで良いから掬い取っているのかもしれない。海鳴が三年前に来た時に、自分の闇に触れるということを知って彼を初めて抱いた時病気の話をした。彼自身は治したいと思っている気持ちはあったが、海鳴に一目惚れをしてそれは一途な恋心だった。出会ったきっかけが病気を治すということが目的だとしても、八束にはそれだけじゃない気持ちが勝っていた。彼は海鳴を愛していたということ。そのことに海鳴が気付いてくれたと、今この瞬間理解できた。
「重たいのは苦手なの?」
「ああ、そうだな」
「昔が重たかったから今は軽い気持ちで付き合ってるとか、そう言いたいわけ?」
「そうじゃねぇけど……そうかもしれねぇな……お前がそう思ってんなら」
「そっか」
――でも俺は八束をまだちゃんと愛せていない。気づいてんのかなぁ八束。
――俺はそれでも八束の傍を離れてはならないんだって知ってる。
――俺、どんな気持ちで居られればいいんだろう……。考えすぎちゃうよ。
「俺ちょっとコンビニ行ってくるわ……」
「夜食?」
「いいじゃんかよたまには。じゃ……」
八束はにやけながらそう言うと部屋を後にした。
「んだよ……もう。俺、寝るからな!」
海鳴は八束が離れていくのを見て、少し拗ねたようにも思えた。
ドアの閉まる音が静かに鳴った。
八束は海鳴に昔の話を少しだけした。その時に出てきた人物がもう一人いる。
名は
***
八束はコンビニで偶然、貴志に巡り合った。
「あ……ようたん?」
そう呼ばれた男は振り返ると、相変わらずの金髪男に見覚えがあったのか直ぐ様こちらに気づいて――
「あー八束さんじゃないすか! 超偶然」
ギターを抱えて、笑顔になった。
「何? バンドの帰り? それとも練習?」
「あー今日はもう打ち合わせ終わったところっす。てか八束さんの方こそ手ぶらで何すか?」
「あ、買い物だよ。腹減ったから」
「あははこんな時間に出会すのも昔は当たり前だったかもしれませんがねぇ。ふふふ」
「何笑ってんだよー」
そう言って貴志の肩を軽く肘で突いた。
「ちょうどいいって思ったんすよー。はいこれ」
と言って差し出してきたのは二枚のチケット。
「十一月にライブがあるんで、よかったら……てか絶対見に来てください!よろしくお願いします!」
八束は渡されたチケットを片手に、少々躊躇っていたが――
「おう、わかった。行くよ必ず。ようたんの音楽聴いた事、今まで一度もねぇからな……」
――二枚渡してきたのは、偶然か? それとも……。
――いや、海鳴の事はこいつ知らねぇし……。偶然だな。
「八束さんて今誰かと暮らしてたりします?」
「は? 何急に……いや、あー……一人居るよ」
「やっぱ、男っすよね……」
一瞬物悲しそうな顔をして貴志は語りかけてきた。
貴志は八束と華木の関係を知っていて口にした一言だった。
「……ようたん。悪いけど俺は……」
「いいっすよ。俺は今のバンド活動頑張らなきゃだし、八束さんには八束さんの人生があるんすから」
「何偉そうなこと言ってんだよ……。はは……」
頭を掻きながら八束はチケットを再び眺める。
――やっぱ海鳴も連れて行くべきなんだろうか。
――それが俺の人生かもしれねぇし。
「……八束さん?」
「ん? おう悪りぃなこんなところで足止め食らわせちまって」
「いいんすよー。チケット渡せたから俺は満足してますってのー」
そう言ってコンビニに止めてあった自転車に乗りその場を立ち去っていった。
「おいようたん!」
急に声をかけられた貴志は自転車のブレーキをかけて止まる。振り返り――
「! なんすか?」
「俺んち寄って行かねぇか?」
「え……?」
「すぐそこのアパートで暮らしてんだ。知ってんだろ?」
「……いいんすか?」
「俺ちょっと買い物してから帰るから、先行っててくんねぇかな」
――海鳴の態度が知りてぇよな、やっぱ。こいつにどんな態度を示すのか……。
「あ、はい。わかりました。それじゃあ、先に八束さん家向かってますね」
「あぁ。頼む」
八束はそう言って貴志を見送った。
***
八束の住んでいるアパートに貴志は辿り着いた。すぐそこの庭に自転車を止め、階段を上がりインターホンを押す。何の躊躇いもなかった。八束と同居している男がどんな男であろうと、自分が八束を好きな気持ちは変わりない。ただ、ライブに誘うならその彼も同伴してきて欲しいという自分の身勝手な考えが頭を過る。貴志はそれでも、音楽で八束の心が少しでも気が晴れるなら、八束の力になりたいと思っていた。
海鳴は、八束の旧友である貴志を、部屋に招き入れた。
「どうぞ」
「どうもっす」
「八束は今コンビニ行ってるから、そろそろ帰ってくると思うけど…」
「お邪魔しまーす」
「……あの」
「なんすか? あれ、俺のことまだ自己紹介してませんでしたっけね」
「え、あぁ、うん。俺は海鳴。クローンなんだけど八束のパートナー勤めてる」
「ふーん。そうなんすか……」
――クローンか……。
「あの、お茶でも淹れましょうか」
「あーうん。ありがたいっす。遠慮なくご馳走になろうかな」
と言って貴志は微笑んだ。
海鳴はお茶を淹れて差し上げた。
お茶を一口飲んで、貴志は急に険しい顔をしてこう呟いた。
「あの……海鳴くん、八束さんのどこに惚れたんすか?」
「え……惚れた?」
「俺、俺は好きなんすよ。昔から八束さんのことが……」
「俺は惚れたとかじゃなくて……、ただあいつの傍にいて……」
「好きじゃないなら出て行ってくださいよ、ここから」
「それはできない」
海鳴はきっぱり貴志の言葉を寸断した。
貴志は海鳴の言葉に刺々しいものがあると感じて――
「クローンという理由だけで一緒に居られるなんてずりぃんすよ!」
急に怒鳴った。
「じゃあ八束に好きって言えば? あいつは俺と一緒に居たいって言うに決まってる」
「なんだよ……なに自信満々にそういうこと言ってんすか!」
「八束の心の闇ってやつ? あれ知ってる? 貴志さん……」
「闇だ? トラウマ? んなもん聞いたことないっすよ。八束さんはもともと男好きって
「その
「八束はそんな俺でも、俺のことを好きでいてくれているから譲れない」
「は? 何言ってんすか? 意味わかんないっすよ」
「だから晄介っていう人にトラウマを思い出されて、そのメンタルケアに、俺が利用されてるんだ」
「はっ? ……セックスに?」
「そうだよ、だから――」
「八束は俺から離れられない」
海鳴は堂々と強い眼差しで貴志を見つめた。
「あー……あいつのトラウマってのはもしかして……」
――親父の性的暴力?
「あいつ……性依存症なんだよ」
「…………」
「そんなあいつをあんたは好きなのか? 本当に」
「……好きっすよ。俺……あいつが振り向いてくれなくても、ずっと好きでいる気持ちは変わらないっすね」
「誰かに似てんな……」
――亜結樹に似てる。
「誰すか?」
「俺の友達」
「へぇ~そうなんすか」
二人の会話は淡々と繰り広げられている。その最中、戸が開く音がした。
「おい」
「あ、八束さん! いつの間に」
「全部聞こえちまったぞ。海鳴……ようたんに余計なこと話すんじゃねェよ」
「だって事実じゃん」
「……」
貴志は黙ったまま海鳴の横顔をちらりと見るなり、視線を八束に移し顔を赤くする。
「ねぇ……今から貴志さんのこと抱くの?」
「何聞いてんだ、おい…」
そんなことを聞かれた八束は至って冷静でいた。対する貴志は――
「え? あ、ガチな質問すかそれ?」
顔が火照りながらも八束をまじまじと見ていた。見惚れていた。
息を荒げる様子を見ていた八束は、頭を掻きながら溜め息を吐いた。
「はぁ……ようたん……」
「相手が誰でもいいってなら、俺はこの家を出て行くよ」
「ダメだ……」
八束の冷静な言葉に息を呑んだ。
「ほら、貴志さん見てみなよ」
貴志は涙ぐんでいた。顔を赤くし、手で口元を押さえていた。
「ほらね。貴志さん、もしかして泣いちゃうかもしれないよ?」
「……!」
「だ、大丈夫です」
「海鳴マジでふざけた言い方すんなよ」
「八束さん……いいっすよ。俺、海鳴君には敵わないっす! お邪魔しました!」
と言って慌てて八束のアパートを飛び出して行った。
「あ、おい、ようたん! 待てよ!」
八束は貴志を玄関先で手を掴んで呼び止めた。
「……なんすか?」
涙を流しながら八束の顔を捉えた。
「ライブ行く……から……な」
そう言って貴志の手を放した。
貴志は静かに笑みを浮かべたまま出て行った。
「貴志さん帰ったからもういいよ。ほら、俺のこと好きにすれば?倍返ししてやるからね」
と、ニヤリとした。海鳴は八束の愛に気づいた。だからこそ思う存分向き合える自分に自信があった。
「てめぇ……」
――やっぱり上からモノ言いやがって。傷つけることを正当化してやがる。
「俺は高校時代のあんたを知らない。晄介さんの話を話してくれた八束がいてくれて、旧友にいちゃもんつけちゃったけど……。貴志さんは、晄介さんと一緒にいたあんたにずっと片思いしてたんだね。そのことに今まで気がつかなかったんだな……晄介さんに夢中で――ッ!」
八束は海鳴の胸ぐらを掴んだ。だがすぐに放す。
「おいちょっと黙れよ! 俺がお前に初めて昔の話をしたと思った途端になんだよその態度はよ!」
せっかく互いの愛に気づき始めたのに……。お互い辛い思いを慰め合うためにセックスをするのか?
八束は頭の中が熱で溢れていた。熱くなりすぎた。
落ち着いて海鳴とのコミュニケーションを考える。
「八束……。俺、平気だから」
「何? なんだよ? ……ハァ……」
「だから八束の病気治るといいねって話だよ」
「……あぁそうかよ」
――後でようたんに連絡入れられっかな。
「その握られてるもの何?」
「ライブのチケットだよ。あいつの」
「……そっか」
――これでいいんだ。これで。
――俺は八束を受け入れる。
――それで、ゆっくり溶かしてあげるんだ。闇を光に変えよう。
――晄介や父親から受けたことを、そのまま塞いでしまおう。
――忘れられなくてもいい。ただ、俺が――。
――俺が八束の闇を呑み込んでやるんだ。俺が全部。
「海鳴……お前も来いよ?」
「え? ライブ?」
「ああ。頼む」
「うん……わかった」
そう言った海鳴の声は吃っていた。
「俺のことそんな冷たい目で見んなよ」
「貴志さんが来たからそーなったの」
「嫉妬か?」
「そうかもしれないね」
「悪ぃ……」
――二人で会わせるのはまずかったか……。俺の馬鹿。
「今日は俺快楽に浸ってもいい。八束に滅茶苦茶にされたいかも」
「なんだって急にそんな言い方されてもよ……」
「八束がっかりしてんの? 俺じゃ満足できない体になっちゃったの?」
「そうじゃねぇけど……」
――なんでこいつ強気なんだ?
「風呂入ってこよー。ライブ俺も行けばいいんだろ?行くよ」
「お、おう」
その後二人は、相変わらず狂気に満ちた愛撫に酔いしれながら夜を共に過ごした。
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