第4話 【信じていくべきものと疑うべきもの】


 ―――翌朝・学校。


「おはよう、柊君」

 亜結樹はいつもより声のトーンが大人しめだった。


「おはよ……。ん? どうした?」

 窓際の席に座っていた海鳴は、いつもより冴えていた。


「いや……うん……ちょっと……」

 亜結樹は昨日、立花に告白された。帰宅後、氷峰にその事を否定されている。

 そして悩みの種は、自分の性に対する迷いと氷峰の存在だった。


「……」

 海鳴は、薄々感付いているのかもしれない。彼女の悩みが、「恋」であることに。


「なぁ……」

「何?」

「俺のこと、名前で呼んでくれない? ……ダメ?」

「え?」

 亜結樹は突然の海鳴のお願いに、たじたじとなる。

「俺のこと呼んでみて」

 微笑みながら、亜結樹に言う。

「か、……海鳴君」

 亜結樹は緊張しながら、海鳴の名を呼んだ。

 その言葉を聞いた海鳴は、彼女をからかうように――

「君づけもなしで。おーけー?」

 と付け加えた。

「え、ええ……わ、……わかった」

 返事をした後、亜結樹は慌てて自分の席に着く。


 そして二人の間にもう一人加わった。前方から彼女は近づいてきた。

「おはよう、亜結樹」

「あ……おはよう」

 亜結樹は立花から目をそらし、あくびをした海鳴の横顏をちらっと見る。

「……」

 立花は、亜結樹の不安気な表情を見たあと、海鳴の方に目をった。海鳴の後ろにある自分の席に座ると、鞄から一限目の授業で使用する教科書を、さっさと取り出し始めた。その立花の様子を見た亜結樹は、落ち着かない態度でいながら前を向く。互いにノートと筆記用具を取り出し、授業に待機していた。



 ―――正午・キュプラモニウム施設内。


 陵は司秋に呼び出しを食らっていた。


 施設は一階に製造部があり、二階~四階に休憩室、五階~六階に総務部、経理部、七階に会長室がある。製造部の研究室から一階上がると、クローン人間の養護施設へとつながる渡り廊下が存在する。総面積は一般的な陸上競技場二個分といった所だ。


 研究室から会長室までは、面倒な道のりであった。長い通路の角を曲がって階段を上がり、渡り廊下に向う。そこからまた長い直線通路を行き、角に曲がった所にあるエレベーターを使って、最上階まで上がらなければならない。


「あー休憩時間、終わっちゃうよ……」

 陵は独り言を呟きながら、エレベーターに乗り込んだ。エレベーターから降りると、また長い直線距離の廊下が待ち構えていた。陵は腕時計を見る。


「五分くらいかな……」

 と呟いた。


 会長室に辿り着く。部屋に入ると――

「後三十分あるよ。足早いね」

 と陽気な声が聞こえてきた。

「ハァ……ハァ……」

 陵はドアノブに手をかけ、息が上がっていた。

「まぁ、そこに座って」

 陵は言われるがままに、黒い合成皮革のソファに音を立てて座り、差し出された水を一気に飲み干した。司秋は自身も一口水を飲み、両手を膝の上で組み、陵に話しかける。


「君の考えは私には見えているよ……」

「ハァ……どこまで……ですか?」

「さぁ……」

「嫌ですねぇ……しらばっくれないでくださいよ」

 そう言いながら、体勢を立て直す。

「私が氷峰の所へ、亜結樹をやったのには、理由があるんだが…君にはその理由が理解できないだろうね……」

「ふーん……そうですね。今、話されても困るだけですね。ま、彼女を暖かく見守りましょ……。医師として……いや、一研究員として……」

 陵はそう言って、不敵な笑みを浮かべた。

「ははは……。君から暖かいなんて言葉よく言えたもんだ。似合わないねぇ……」

 司秋は笑い出す。だがそれは上辺だけだ。


「ははは……」

 陵も愛想笑いをする。

「さて、本題に入ろうか」

 司秋は笑顔をぴたりと止め、真面目な顔をして言う。

「……」

 陵は司秋の目を睨んだ。

「亜結樹は、誰の遺体と遺伝子を組み合わせて作られたのか、話してくれないか?」

「……話せませんね。製造者側の秘匿義務ですよ、それ。貴方、想像してるんじゃないですか? 亜結樹の出生の秘密を……」

「不確かなものだから、事実を聞かせてもらいたいんだよ。一緒に組織を立ち上げた仲じゃないか。話してくれないか?」

「嫌です。というか、まだ話す時期じゃないと思いますよ? あの氷峰って男と進展があってからでも遅くはないんじゃないですかねぇ?」

「そうか……。そういえば君、允桧の事は彼が亡くなった後、私に話してくれたよね……。あれには私も憤りを覚えたよ……」

「怒り? 憎しみでも悲しみでも、何でもいいですけど。過去をさかのぼって話しかけるのはやめてもらえませんかね? 俺、昔話嫌いなんですよ」

「そうだったのか。知らなかったなぁ、そんなこと。初めて聞いたよ、昔話が嫌いだなんて」

「そうですか……」

「まぁいい……話は済んだ。もう帰ってくれ」

「じゃお言葉に甘えて。失礼します」


 陵は司秋の部屋を後にした。



 ―――昼休み・学校。


 授業が終わり、亜結樹は席から立ち上がる。立花に声をかけようとしたその時――

「氷峰、屋上で、一緒に飯食おうぜ」

 と、海鳴の声がした。その声に立花は――

「えー……柊君も一緒なの?」

 と残念そうな声で言った。

「何か問題でも?」

「亜結樹とじゃなくて、男子と一緒に食べればいいじゃん」

「俺、なんつうか、そういう男子とか女子とかあんま意識してないんだわ」

「……そう。じゃ屋上行こっか」

 立花は立ち上がる。すると、

「友美香ー、今日メロンパンもう売り切れだってー」

 廊下からエミの声がした。

「あー大丈夫。今日お弁当だからー」

 立花は大きな声で、軽く返事をした。

 エミの言葉を聞いた亜結樹は動揺する。

「あ、あたし、お弁当持って来てない……」

「え!? マジ……?」

「いいよ、あたしの半分あげるから。ね」

「うん……ありがとう」

 立花は、亜結樹を慰めるように言った。


 亜結樹は彼女の優しさが、逆に自分を不安にさせていた。それは立花と友情を超えた付き合いを断らなければならないと、思っていたからである。


 三人は屋上へ向い、食事をしている。

 屋上は先日の雨で湿ったコンクリートがまばらにある。

「海鳴、八束さんとは仲いいの?」

 立花は亜結樹の言葉に一瞬耳を疑った。彼のことを名前で呼んだからである。

「んー……仲いい……のかな。別に、喧嘩とかはしてねぇよ。お前は?」

「まだ出会ったばかりだから、相手のことはよくわからない」

「ねぇ、亜結樹。一緒に住んでる人って男性? 女性なの?」

「え? えっと……男性だよ? あ、でもそんな関係じゃないよ」

 亜結樹はそう言って、慌ててペットボトルを口につけてお茶を飲み始める。そんな亜結樹の様子を見た海鳴は不審に思った。

「……」

 海鳴は立花の方をちらっと見た後、自分のガゼットパウチを握りしめて残りを食べ切る。

「あ、最後の唐揚げ、亜結樹にあげる」

「あ、うん、友美香ありがと」

 亜結樹は立花のお弁当に入っていた唐揚げに、爪楊枝を刺して食べた。


 チャイムが鳴った。


 三人は屋上を出て教室へ向かった。亜結樹と立花は一緒に階段を下りて、教室へ向かう。下りる途中、背後にいた海鳴が二人の肩に腕を回し、こう言った。


「お前ら、顔に出てるぞ?」

「!」

「ちょっ……何、放して!」

 立花は海鳴の腕を振り払った。すると突然、海鳴は笑い出した。

「ハハハハっ……氷峰が原因作ってんのかもな」

「何、それ……どういう意味?」

 亜結樹はその意味をわかったような顔をして言う。

「だってお前男装ってんじゃん。違うの?」

「それは――ッ……!(危ない……下半身が男だってバラす所だった……)」


 言ってはいけないことを言いそうになった亜結樹は、口を両手で覆う。 海鳴は一瞬怪訝そうな顔をしたが、亜結樹の容姿をそれ以上、その場で追求することはしなかった。彼は、亜結樹とは対照的な立花に睨まれていた。立花と目が合い、頭を掻いた。

「何?」

「柊君……絶対に誰にも言わないでよ!」

 立花は力強く言った。

 海鳴は、亜結樹と立花が付き合っていることに気づいてしまったらしい。

「ああ勿論」

「海鳴……」

 亜結樹は海鳴の名をぼそっと呟いた。その言葉に立花は、彼女を不安げに見つめた。海鳴は二人を追い越し、先に教室へと走って行った。



 ―――午後・キュプラモニウム施設内・研究室。


 休憩時間が終わって仕事場に戻ると、まだ誰も戻ってきていなかった。

 自分の席に着こうとした時、机にホテルのカードキーとメモ用紙が置いてあった。

「……」

 それには『今晩君に話したいことがある。一緒に食事でもどう?』と書かれていた。誰の字かは、知らなくても予想はついた。

 こういう誘いをする人物はあの人しかいないと。

「はぁ……嫌な感じ」

 と彼女は呟いた。しかし、話の内容が気になっていた。

 行くべきか、行かないべきか……迷っていると、

「速水、どうした?」

 研究室に入ってきた蔀が、声をかけてきた。

 速水は慌ててカードキーとメモ用紙を引き出しに隠し入れた。

「んー……。何でもないわ」

「……そうか」


 ――やっぱり、とりあえず行ってみよう……。



 ―――放課後・教室。


「海鳴、あの、友美香と二人で話したい事あるから、今日は先帰ってて」

「え? ん、ああわかった」

 素直に返事をした海鳴は、亜結樹にじゃーなと言って教室を立ち去った。

「友美香ーバイバイ」

「バイバイ、また明日」

 立花が廊下で友人に挨拶し、教室に入って来る。海鳴とすれ違う。

 教室には、亜結樹と立花以外、誰もいない。

「あ、待っててくれたの?」

「うん……今日はちょっと、話さなきゃいけないこともあって……」

「?」


 ――断ろう……。あたしはミネと付き合うって決めたんだ。

 ――海鳴が思ってたこと、全て白紙にするんだ。



 ―――その日の夜。


 彼女は淡いピンクのトレンチコートを着て、施設を出た。電車を乗り継ぎ、慣れない夜のビル街を歩く。ビルの最上階にある奥まった所へ、速水は出向いた。そこへ辿り着くと、先に席に着いて夜景を楽しんでいる男の姿があった。男は速水の視線に気づき、手を振って招いた。二人は気高い雰囲気のレストランで食事をしている。


 陵はワインを一口飲み――

「男と女の付き合いは二の次だよ」

 と言った。

「別に、私は貴方に性的感情は一切ありませんから。その時はお手柔らかにどうぞ」

 無表情で、速水は本音を言い切った。

「何それ? 無性愛者でいたいわけ? 何か萎えるなぁ……」

「非性愛者です。私は貴方の性的欲求の対象になりたくありません」

「あーそ……。そこまで言われたらその気なくなっちゃったわ……あはは」

 ――やっぱりその気あったんだ……女誑し。

 陵のその言葉を聞いた速水は、鞄からホテルのカードキーを机に差し出した。陵は何も言わずにそれを受け取り、ブラウスの胸ポケットに仕舞い込んだ。


「話って何ですか?」

「君に允桧の事を話しておこうと思っててね……」

「マサヒ……? 施設じゃ話せないことなんですか?」

 速水もワイングラスを手に取り、一口飲んだ。

「まぁね……。仕事中に気分悪くされても困るし……」

 前髪を掻き分けながら――

「このムードで話す方が、彼の為になると思ってるんだよねぇ。生きてれば……」

 と言った。

「マサヒはもう、亡くなられた人物なんですね……」

「うん。彼ね……一人目の、最初のイフだったんだ」

「イフ?」

「畏怖クローンの略。イフは日本語の畏怖から取った。俺が彼にそう名付けた。彼ね、亜結樹と同じで性分化疾患のクローン人間だったんだ」

「そうなんですか……。彼、性自認はあったんですか?」

「話が早いね。彼は男性でありながら、女性の性腺、性器を併せ持っていて……、彼自身は女の子でありたいと願っていたよ」

「願っていた……、と言いますと?」

「俺は、彼を男として育てたんだよ。見た目は男だったから」

 彼女の目つきが少し変わる。内心、何かに憤りを感じ始めていた。続けて陵は語る。

「彼、クローンだから、十七になった時、通信制の高校に通わせてたんだけど、そこで、厄介な連中とつるんでいたらしくてさ……」

 肉を切っていたナイフを握る手が止まり――

「自殺しちゃったんだ」

 と陵は言い放った。肉は真っ二つにちぎれた。


「その……学校や、彼の友人関係は全く把握してなかったんですか?」

「うん。あの子は、俺の家で寝泊まりさせてたけど、そこまで彼の人生に踏み入れる事はしなかった」


 悲哀な事を平素な顔をして、淡々と喋る陵の態度に、彼女は憤りを感じていた。


「マサヒのことを、貴方はただ観察していただけなんですね」

 速水はそう言って、席を立とうとする。その時――

「あ、そうだ。まだ言いたい事があったんだ」

 陵が速水の足を止めるように言った。


「何ですか……?」

「二人目のイフのこと。亜結樹のことで……」

「……」

 速水は苛々いらいらしている自分を押し殺して、陵の方を向く。

ね……允桧と似てると思うんだ。蔀君が彼女の心理状態のレポート書くから、のこと気になるんだったら、彼に聞くといい。それだけ」

「わかりました。失礼します」

 速水は陵の側から足早に立ち去った。速水は彼の態度に心底嫌気がするのだった。



 ―――同時刻・氷峰宅。


「ただいま……」

 自宅は物音ひとつしない。静かであった。

「ミネ……?」

 彼の姿はまだなかった。

 亜結樹は靴を脱ぎ、自室の入り口付近に鞄を下ろす。

 すると、鍵の音がした。ドアが再び開く。

「――!」

「ただいま……――っと」

 ミネの声がした。亜結樹は自室のドアの隙間から顔を出す。

「お帰り……ミネ」

「お前……まだ着替えてないのか? 夕飯は……」

「今さっき帰ったばかりで、何にも食べてないよ」

 ミネは口を閉じたまま口角を上げ――

「そうか、ちょうど良かった。弁当食うか?」

 と言った。

「うん!」

 亜結樹は嬉しそうに返事をした。


 ***

  

 二人は晩御飯を食べている。

「で……その子、どうした?」

「あたしの前では泣いたりしなかったよ……。あたし……先帰ってって言われて……そのまま教室出た……」

「そうか……」


 ――女はわかんねぇな……。


「ちゃんと、断ったから……」

「ああ……それでいいんだ」

 返事をし、海老の天ぷらを口に含むと咀嚼する。

 ――相手が根に持って、逆恨みしなきゃいいが……。

「あたし、その子を裏切った事になるのかな……」

「裏切るってのはもっと重てぇ意味だ。告白を断ったのは、裏切りじゃない」

「そうなの?」

「……友達ではいられなくなるかもしれねぇがな」

「……」


 亜結樹は自分が思っていた事と、同じ言葉を口にした氷峰に、同情し、切ない気持ちになる。そして考えた。立花が、感情を表に出さなかった事に対し、これから、立花とどう向き合っていけばいいのかを――。


「ミネ……あたし、友達いるから大丈夫」

「そうか……名前だけ聞いとくかな」

「うん、海鳴っていうんだ。あたしの隣の席の人なんだ」

「へぇ……変わった名前だな、カイメイって」

「あたしと同じ施設で産まれたクローンだって言ってた……」

「そうなのか」


 ――蔀が担当じゃねぇのかな……?


「ミネ……今度、海鳴家に連れてきてもいい?」

「あ? まぁ、いいけど? 部屋だけな……」

「うん、わかった。ありがと」


 ――何でだ……。どうして相手が男だと安心するんだ、俺は。

 ――亜結樹は……男であることをまだ自覚してねぇのか……どうなんだ。

 ――いや、亜結樹は……女でもある。

 ――わけわかんねぇ……キスしたはいいけど。

 ――どう接したらいいんだ?

 ――来月には蔀に報告書、書かなきゃいけねぇし。……面倒だな。


「ごちそうさま。お風呂入ってくる」

 亜結樹は立ち上がり、洗面所へ向かった。

 亜結樹は顔を水で洗う。顔を上げて鏡に映る濡れた自分の顔を、暫し見つめた。



 ―――数時間前。

  

「話って何?」

 立花は鞄に教科書を入れながら話す。

「あの……付き合うの……やっぱり……やめる」

 その言葉を聞いた立花の手が止まる。

「……そう」

「ごめん……本当に――!」

 立花は亜結樹の言葉を塞ぐように――

「わかったから……先帰って」

 無表情のまま言う。顏には出てないが、内心ぎすぎすしているようだった。

「う、うん……。じゃあ……ね……、また……明日」

 亜結樹は、たどたどしくどもりながら、立花から逃げるように教室を出て行った。


 ――言うべき事は言った。

 ――これでいいんだ。これで……。


 立花は亜結樹が立ち去るのを見た後、スマートフォンを鞄から取り出す。

 そして――

『今から学校来れる?』

『え?』

『話したい事があるの』

『家近いからいいけど?話って何?』

『亜結樹のことで』

『氷峰さんがどうかしたの?』

『まぁ来たら話すって』

『じゃ今から行きまーす』

『りょーかい』

 ――LINEでエミとやり取りをした。





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