第3話 【告白】


 ―――翌日・火曜日。


「柊君、おはよう」

「ふわぁ……ん……はよ」

 海鳴は机に頬をつけ、伏せたまま返事をした。

「柊君って朝弱いよね」

 亜結樹は死んだような目をした、海鳴に話しかける。


「夜更かししたんでしょ、どうせ」

 背後から声がした。亜結樹は振り返る。

「あ、友美香おはよう」

「おはよう、亜結樹」

「あぁー……だりぃ……。もう、午前中は寝てよ……」

「えー……教室で寝るくらいなら、保健室行ったら?」

 亜結樹は心配そうな顔をして、海鳴に声をかけてあげる。

「亜結樹、優しいね。ほっとけばいいのに……」

 立花はそう言って、自分の席に着いた。

「……だって、友達だから」


 亜結樹は微笑んだ。立花は亜結樹のその横顔を見て、静かな笑みを浮かべた。

 彼女の心の中は亜結樹のことでときめいている。


 ***


 保健体育の授業が始まった。二人は、制服姿のまま、体育館の入口付近に座り込んでいる。

「お前達は、来週のこの時間までにレポート出せよ」

 先生は海鳴と亜結樹に一言そう告げると、クラス全員を集合させた。二人は先生が「バスケをやる」と発言したのを耳にする。それを聞いた海鳴は――

「バスケやんのか……ルール書くのめんど」

 と嘆いた。

「はは……仕方ないよ」

 亜結樹は海鳴の退屈そうな態度に微笑んだ。


 ***  

  

 ボールが亜結樹の所へ転がって来る。遠くにいた立花が、手を挙げて――

「亜結樹ー、パス!」

 と叫んだ。

 亜結樹は立花めがけてボールを投げた。体育館の入り口から、向い側の壁までボールは綺麗な放物線を描き、立花はそれを見事に受け止める。二人の意気は合っていた。

「立花もすげぇけど、お前ボール投げんの上手いなぁ。施設にボール遊びする所なんてなかったと思うけどなぁ……」

「いや……初めて投げた。まぐれだよ」

 亜結樹は自分でも少し驚いた様子で、海鳴に返事をした。


 ***


 笛が鳴る。試合が始まった。二人は試合に無関心で、おしゃべりをしていた。

「なぁ、お前いくつで生まれたの?」

「えっと……十三。柊君は?」

「俺も同じだ。青い液体の中で成長して……中学生ぐらいの体で……その容器の中で目ぇ覚ました」

「何でこんなこと聞くの?」

「いや……お前と同じ施設にいたのにさ、お前に一度も会わなかったなんてなぁ……って思ってさ」

「そう……だね……」

「あー過去なんかどうでもいいや……。つまんねぇこと聞いて悪かった」

「いやいいよ。……あ、あのさ」

「ん? 何?」

「柊君……今、恋してる?」

 海鳴は亜結樹の突拍子もない質問に耳が赤くなり始める。

「こ、恋!? ……え、いや……」


 ――してないと言ったら……嘘だろうか。……アレは――。


 海鳴は八束との付き合いに、 恋愛感情というものがあるのだろうか……と考え始めてしまった。

「あ、してるの? 相手はどんな人?」

 亜結樹はからかうように、しつこく聞いてくる。

「そ、そ、そりゃ言えるわけ……」

「同い年?」

「いや……四つ上」

「あー……じゃあその人、ミネより年下なんだ……」

 亜結樹は体育座りを崩し、足を伸ばす。


「ミネ? お前付き合ってる奴いんの!?」

「え……いや、まだ付き合ってはいないよ? ……ただの同居人。でも……恋人同士になれ的なこと言われたんだよね……」


 伏し目がちに亜結樹は話した。その言葉に海鳴は黙りこんでしまった。海鳴は考えていた。自分は今、同居している相手と肉体関係を持ち、それを受け入れいている。

 亜結樹がもし、そのミネといわれた男に恋人になれと言われ、亜結樹自身の意思ではなく、そうなるとしたら…それって、恋じゃない気がする…と。


「……」

 亜結樹は膝を抱え込むような体勢に戻り、続けて語る。

「恋ってわからないよね。ミネの家に向かってる時、蔀さんが言ってたんだけど、『クローンと人間の恋は悲しいものがほとんどだ』って……。あたし、その意味がまだよく理解できてないんだ……」

「お前、蔀さんの言ったこと信じてんのかよ……」

「……うん」

 海鳴の表情は曇り始めた。彼は蔀のことを『いけ好かない、近寄り難い人物』だと思っている。続けて海鳴は、声のトーンを変え、普段とは違う低い声で、亜結樹にこう告げた。

「あのさ……俺、恋してないよ」

「え? 付き合ってる人いるんでしょ? 恋人じゃないの?」

「いや……違うんだ。あっちが勝手に、俺に恋してるだけんなんだと思う」

「……」


 今度は亜結樹が海鳴の言葉に黙り込んでしまった。

 笛の音が長めに鳴った。試合が終わったようだ。

 立花が亜結樹に駆け寄ってくる。

「亜結樹! さっきのロングパスすごいね! どうやったらあんな綺麗なパス出せるの!?」

 立花は汗をタオルで拭きながら、笑顔で話しかける。

「えっと……あっ……」


 亜結樹は海鳴の名を呼ぼうとするが、言いそびれてしまう。海鳴は立ち上がり亜結樹のそばから離れて、体育館を早々はやばやと出ていってしまった。



 ―――昼休み。


 教室に、海鳴の姿はない。亜結樹は、立花達のグループと一緒に昼食を摂っていた。


「体育の授業中、柊と何話してたの?」

「ちょっと……恋の話」

「え? 氷峰さん恋してるの?」

 立花の隣に座っていた女子が声をあげる。

「エミ、ちょっと声大きいって」

「あはは……ごめん」

「あ、もしかして、柊君のこと好きなの?」

 亜結樹の隣に座っていたもう一人が話しかけてくる。

「え!? 違うって!」

「そっか……んなわけないか」

「てかアイツさ単独行動多いっていうかさ、他の男子と一緒にいるところあんま見ないよね」

 エミが口うるさく海鳴の事を話し出す。

「そうだね」

「そうなんだ……」

 亜結樹は呟いた。それを聞いた立花が、口を開いた。

「今日もさ、柊君に話しかけてみたんだけど、アイツ、素直でいい奴だよ」

「へぇーそうなんだ」

「亜結樹とあたしのメロンパン買いに走ってくれたし」

 それを聞いたエミが――

「あははっ、素直っていうかそれ、パシリじゃん」

 と言った。

「ぱしり?」

 亜結樹は置いてけぼりにされてしまった。

「友美香ひどーい」

 と言って友人達は笑い出す。

「あ、昼休み終わっちゃう!早く食べなきゃ」

 友人達が焦りながら食べている所、立花は亜結樹に話しかける。

「ねぇ、放課後ちょっといい?」

「うん、別に大丈夫だよ?」

「じゃ、図書室で待ってる」

「友美香、あたしらは行っちゃダメな感じ?」

「うん、ちょっと二人だけで話したいことあるの。ごめんね」


 チャイムが鳴った。



 ―――昼休み・キュプラモニウム施設内。


 陵は、研究室を出て自室に向かった。彼はヒトクローン研究の先駆者であり、会長である柊司秋と共に、組織を立ち上げた。また会長の次期候補者として名を挙げられており、彼には個人の一室が施設内に設けられている。ドアを開けると、リクライニングチェアに人の姿が見えた。


「あ、ちょっと……人の部屋に勝手に入っちゃ駄目だって。鍵掛けとかなかった俺も悪いけど」

 陵は頭をきながらため息混じりの声で言った。


「何も触ってないから。ていうか研究室は出入り禁止。でも俺ここの出身だし、ID持ってるから、そこ以外なら出入り自由だろ?」

 そこには海鳴が、陵が座るはずの椅子に座り込んでいた。

 足を組み、スマートフォンをいじりながら、くつろいでいる。


「んー、まぁね。でも俺、君の存在、周囲にあまり知らせてないんだよ。知らない人からすれば、通りすがりに不審者て思われるかもしれないよ? ていうか学校は? 今日は何? どうしたの?」

 陵がしつこく声をかけると、海鳴はスマートフォンから目を離し――

「なんかつまんないからもう帰ろうと思って、ついでだからここ寄ったの。転校生のクローンのことでさ……」

 と言った。


「亜結樹のこと?」

「うん……。授業中、そいつに恋のこと聞かれたんだ」

「ふーん……。恋ねぇ……」

 陵はコーヒーをれ、海鳴の側に紙コップを置いた。

「あんたが飲むんじゃないの?」

「君が飲めるコーヒーだよ。飲んでみて」

 海鳴は言われるがままにコーヒーを一口飲んだ。

 苦くも、甘くも感じない。「何だこれ?」といった表情をした。

 一息つくと、続きを話し始めた。

「亜結樹に恋してるか? って聞かれてさ……。俺、八束と付き合ってることって、恋愛感情あんのか考えちまってさ……。でさ――」

 紙コップを机に置き、陵の顔を見た。

「クローンと人間の恋は悲しいものが殆どだってそいつ言ったんだ」

「ん? それ、彼女の言葉じゃないね。亜結樹はまだそんな思考を持たない」

「ははっ、あんた、エスパーか何か? 何かね、蔀さんが言ってたらしいよ」

「あっそ……。てかさぁその椅子に座らせてくれない?」

 陵はドア付近の壁に寄り掛かりながら、腕を組んでいた。


「えー? コーヒー飲み終わったらどいてやるよ」

 そう言って海鳴はまた一口飲む。そして、陵はため息をついた。

「俺さぁ……八束が俺の事好きなの、理解できないんだよね。俺はああいうことされて嬉しいとか感じないわけ」

「拒否すればいいじゃん」

「拒否してもしつこいわけだよ。何かわかんないけど、俺、三年経ってやっとキスがどういうものか……わかったっていうか……。それに何つーか……ゲイの存在? 八束のこと……気持ち悪いとも思ってねぇし――!」

 コップの中のコーヒーを見つめながら、淡々と述べていると、突如、陵が手を叩き出す。


「あーはいはい、君は好きでもない相手とセックスして、感情はないけど体はよろこんでる……そう言いたいのね。あー気持ち悪っ!」

「なっ……勝手に結論言うなよ! しかも気持ち悪っ……て」

「あーあ……。君は僕と違って、同性愛を受け入れるんだね。それ、人類の破滅行為だよ? 言ってる事わかる? ……ッハハハハっ」


 陵は高笑いをした。彼が同性愛に否定的なのにはちゃんと理由がある。人間は男と女が結ばれて、子が産まれる。それ故に男同士、女同士が恋に落ちるなんて事が存在する。彼はそれを、人間の本能的な部分から逸脱しているという考えを持っており、真の愛ではないと思っている。大袈裟に言うと、同性の性行為は、人類が滅びる事に繋がるのではないかと本気で思っている人なのだ。現に彼自身は異性愛者であり、学生時代は女とばっか遊んでいたプレイボーイだった。


「そこまで言わなくても……」

 海鳴は、急に高笑いをした陵を見て、あっけらかんとしている。

 彼は椅子から立ち上がり、紙コップをゴミ箱へ捨てた。

「亜結樹の事で聞いておきたい事はないの?」

「ん……やっぱいいや、今のところは……。あ、俺、アイツと同い年だけどさ、施設では全然……ていうか一度も会わなかったなぁって思った。それだけ」

「そう……」

 陵は、何か思惑のある声で、相槌を打った。

 海鳴はドアノブに手をかける。

 するとその時、真横にいた陵が海鳴の腕を掴み、待ってと言った。

「何?」

「……八束と付き合ってる以上、彼女に近づくのは無しだよ?」

「……わかったよ。それじゃ、また」

 ドアが、閉まる。


 部屋に一人取り残された陵は、腕時計を見た。休憩時間はまだ二十分ほどある。


「ふっ……俺も不味いコーヒー飲もうかな……」


 陵は自分の分身である海鳴に、相談されるのを楽しんでいる。

 だが彼女が産まれてからは、不穏な表情を浮かべていた。コーヒーを淹れ、先ほどまで海鳴が座っていた椅子に深く座る。コーヒーを一口飲み――


「亜結樹には会わなかったじゃなくて、俺が会えなくしていたんだよね…」

 陵は紙コップを片手に俯き、一言嘆いた。



 ―――放課後・図書室。


 図書室には二人以外誰もいなかった。

 亜結樹の方が立花より、早く着いた。


「あ、待った?」

「ううん……全然」

 二人は揃って、隣同士、椅子に座る。

「亜結樹、驚かないで聞いてね……」

「うん……」

「あたし、レズビアンなの」

「……?」

 亜結樹は立花の言った事をまだ理解していない。目がきょとんとしていた。

「あたし中学時代に同性の先輩に恋したんだけど……告白できずに、その先輩は卒業しちゃったんだ……」

「友美香……、レズビアンって……何?」

「え……知らないの? ……亜結樹ってそっち側の人だと思ってたんだけど……」

 亜結樹が男子の制服を着ている姿を見ながら立花は言う。

「ごめん……それ、よく知らない」

「同性愛よ……」

「同性愛……」

 亜結樹は立花の言った言葉を復唱するかのように呟く。すると立花が――

「あのね……あたし、好きなの」

 亜結樹の手を両手で包み込む様に、触れてくる。

「――!?」

 亜結樹は一瞬、立花の手の感触にどきっとしたが、避けようとした時――

「亜結樹のことが好きなの」

 立花は亜結樹の手を掴んで、離そうとしなかった。

「それは……友達としてじゃなくて……だよね」

「……うん」

 手を握ってくる友美香の手に力が入る。

「あの……ちょっと考えさせて……」

 手を離そうとして、力がこもる。それに気づいた立花は手を離してあげた。

「……それは、駄目だってことだよね……?」

「え……違うよ……」

「なら……付き合ってくれる?」


 ――どうしよう……。

 亜結樹は理解していた。自分の選択肢が、ひとつしかない事を。だが――

 ――ここで断ったら……、友美香泣いちゃうかな……。

 性を彷徨っていた。性に混乱していた。


 ――あたしは……俺は。女だから――

「――うん……いいよ」

「ありがと」

 立花は微笑んだ。亜結樹の答えに心から喜んでいた。


「クラスのみんなには黙っててくれるよね? 付き合う事……」

「うん、勿論内緒だよ。だって、あたしがレズビアンって知ったら、みんな引くよきっと……」


 亜結樹は、立花を信じている。友達だから。

 そして今、立花と友達以上の関係を築こうとしている。

 もし、立花が自分に対して性的欲求を求めてくる事があれば、それに答えてあげたいと心の中で思っていた。しかしながら、亜結樹の答えはすぐ覆される事になる。なぜなら、男である事をバラしてはいけないから。

 そして、亜結樹は氷峰に『友達のままでいたいか?』と、問いかけられていたからである。


 ――ミネはきっと、許してはくれないだろう……。

 ――でも、もし、友美香の告白を断っていたら、あたしは――

 ――友美香と気がしたから……。

 ――どうしよう……。


 亜結樹と友美香は図書室を出て、学校から途中まで一緒に帰った。


「じゃ、また明日ね。バイバイ亜結樹」

「うん、じゃぁね、友美香」


 天気が悪いと、夕陽というものが、曇天に掻き消される。

 それで感情がふさいでしまうような気がする。



 ―――夜・氷峰宅。


 家に着くと、氷峰が先にいた。

「あれ? 早いね……」

「ああ、今日これから天気悪くなるっていうからな……」

「……」

 伏し目がちになる亜結樹の姿を見て、氷峰は声をかける。

「どうした? ……何かあったのか?」

「ミネ……」

 亜結樹は鞄を床に下ろす。力無く氷峰の名を呼び、続けて―― 

「同性愛って何?」

 そう呟いた。


 その言葉に氷峰は目を見開く。


 ――学校で何かからかわれたのか?


「……何? っていうのは……見た目じゃなく中身を聞いてんのか?」

「俺、告白された。女子に」

 亜結樹が自分の事を俺と言ったことに危険な香りがした。それは――

「答えは?」

「付き合うことになった」

「ダメだ……別れろ……。明日にでも断れ……」

 ――亜結樹の下半身が男性であり、女性と下手に付き合ってしまうと、相手に危害を加えてしまう恐れがあると考えたからである。自分以外にそういう関係を持とうとする亜結樹を、氷峰は、許せなかった。


 氷峰は、すぐ否定してきた。

 亜結樹の予想通りの答えだった。


「何で? 俺……あたしは――っ!」

 亜結樹は混乱している。彼女は自分の性に困惑していた。

「ミネにあたしの……俺の何がわかるんだよ……!」


 亜結樹は、頭を強く抱え、髪をしわくちゃにして、嘆いた。

 氷峰はその姿を見て、近寄り抱きしめようとするが――


「やめろよ! そうやって抱いたら、気持ちが落ち着くとでも思ってんの!?」

 突き放される。


 彼女が男か女か、今はまだ、悩める時なのかもしれない。イフはそういう存在だ。

 だが、氷峰の気持ちは揺らいでいた。彼女が彼に引き渡されて、それは彼女の観察が目的だとしても、彼自身は一個人の感情で、彼女と接したいと思っているからだ。


 ――どっちにしろ亜結樹を……俺以外と付き合わせることは出来ない……!

「亜結樹―――ッ!」


 氷峰は亜結樹の頭を彼女の手ごと両手でしっかりと掴む。

 亜結樹は、はっとして上目で氷峰の胸元を見る。

 彼は亜結樹の頭を上に持ち上げると、そのまま彼女の口を塞いだ。


「―――ッ!?」

 氷峰は力の抜けた亜結樹の体を、支えるように強く抱きしめた。

「は……はな……し、て」

「ダメだ」

「何……で?」

「俺がお前と一緒に居るのは――愛する為なんだ……わかってくれ……」

 背中に回す腕に、力が入る。

「頼むから、他の奴と、友達以上の関係になるのだけは……やめてくれ……頼むから……」

「……ミネ」


 亜結樹の目からは、涙が滲み出ていた。頬に一滴、伝っていた。

 ――わけもわからず、涙が溢れてくるのは何故だろう。

 ――それは、ミネがあたしに「愛する」と誓ったから?

 ――あたしはそれに答えてあげなければならないんだ……これから。

 ――一緒に……一番傍にいるのだから――クローンとして……。







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