28:「あなたのこと、ホンマに好きになってもうた……かもっ」

 「な、なるほどぉっ……! めっちゃ勉強になるぅ!」

 「おい、人を心臓死させる術なんか学ぶなよ」

 「エッチです。では、私はお飲み物をゆっくり注いでまいりますので、ご自由にどうぞ。もっとも、カラオケでいかがわしい行為をするのは、オススメできませんけどね」

 くすっ、と笑ってエッチは室内から歩いて消えた。

 残された俺とモエカは、黙りこくる。 

 「……」

 「……」

 き、気まずい。

 エッチが居なくなったら、モエカはしゃべらなくなるし。かといって俺も、あんな妙ちくりんな話題の後じゃあ、とても饒舌には……。

 「あ、あのっ……し、師匠!」

 「は、はいっ、なんでしょうか!?」

 俺は、思わず姿勢を正した。

 「やっぱり、ウチお礼したいし……せっかく、カラオケ来たし……ちょ、ちょっとごめんなっ!」

 「んっ!?」

 ぎゅっ……と、モエカはまた俺に抱きついた。

 ただし今度は、腕に、ではない。俺の胴体に、真正面から抱きついたのだ。

 「も、モエカ!? な、何を……!」

 「やっ、やからっ、お礼なんやって!」

 「なんだ、お礼か――って言うとでも思ったか!?」

 俺は、モエカを引き剥がした。

 「え、し、師匠……なんで? もしかして、イヤやった……?」

 と、泣きそうに顔をゆがめるモエカ。

 「ちっ、違う! イヤじゃない! イヤじゃないけど……ちょっと、自分を安売りしすぎだろ。すきでもない男に抱きつくなんて……いくらなんでも、俺はそんなことまで教えた覚えはないぞ。そういうのは、まぁ……好きな奴と付き合ってからにしたほうがいいんじゃないか、モエカ?」

 「っ……!?」

 モエカは、悲しげな顔をちょっとそらした。「好きでもない男」と言った辺りで。

 ん……?

 なんで、そんなところで反応するんだろう。

 「ほ、ホンマに――」

 モエカは、小さくつぶやく。

 「え、何だって? 聞こえないんだけど」

 「ホンマに、好きやないと思う? ウチが師匠のコト……っ」

 「……は?」

 今、何て言った!?

 聞き返そうと思った瞬間、モエカは俺の手を跳ね除け、再び俺に抱きつく。

 「ウチ……ウチっ! あなたのこと、ホンマに好きになってもうた……かも……っ」

 恥ずかしそうに、声がどんどん消え入っていくが、しかしそれははっきりと聞き取れた。

 「……え!? あの……俺の頭がおかしくなったのかな? なんか、今好意を告白されたような気がするんだけど……?」

 「おかしないっ! ホンマに好きっ、好きやのっ! だから抱きついてるんやんっ!」

 モエカは耳まで真っ赤にし、目を潤ませていた。

 「女の子らしい振る舞い」とか、自分で教えておいて情けない限りだが、そのあまりの可愛さに、俺はノックアウトされそうになる。

 「ええっ……!? ちょ、何でだよ!? モエカは、あの美術の顧問の先生みたいな、歳食ったおじさん専門じゃないのかよっ!」

 略して、おじ専。イヤすぎる。

 「おっ、おおおおじさん専門ちゃうぅ~~っ! う、ウチ……前まではあんなナリやったし、友達もようおらんかったやん!? だから、男の人に優しくされたら、コロっといってもうて……やから先生に惚れてもうたのかもしれへん……!」

 「えっ、えっ、でも……お前さ。あの先生に告った昨日の今日で、今度は俺に告るとか……! ちょっと移り気過ぎなんじゃね!? ていうか、ビ○チなんじゃね!?」

 モエカに配慮して○の部分は発音しなかった……んだけど、あまり配慮になってなかったようだ。

 モエカは、ぽかぽかと俺の胸を叩いてくる。

 「ビ○チちゃうぅ~~~っ! やって……先生は子持ちどころか孫持ちやし、絶対ダメやって諦めとったもん。やけど、師匠が手伝ってくれるから、いちおう告白しただけで……で、でも、師匠がすごく優しくしてくれて、そのうち『好き』の比重が変わってもうた……というか……っ! あの、師匠、ウチのこと嫌い? ウチじゃダメなん……?」

 モエカは、懇願するように俺の目をじっと見つめた。化粧の効果もあるとはいえ、大きくキラキラした瞳にドキドキさせられる。そして…… 

 モエカは、目を閉じた。わずかに、くちびるを突き出して、かわいそうなくらい小刻みに震えて。

 まさか、これは……「キスして」というサインなのかっ?!

 ど、どうしよう……。いきなり告白されると思ってなかったから、心の準備が……!

 『私は、エッチです』

 「ん……っ!?」

 とつぜん、脳裏にエッチの声が響く。どうやら、テレパシーで交信してきているようだ。

 『アナタ、どうして躊躇なさっているのですか? モエカさんに、接吻奉仕キスサービスするチャンスですよ』

 『そ、それはそうだけどっ!』 

 『今回、彼女のほうからキスを求めているのです。他者に援助を与えることが、貴方の願いではなかったのですか?』

 『……っ!』

 『エッチです。それでは、事が済むまで、私は個室の前に立ってお待ちしています』

 『……ご、ご配慮ありがとうございますっ!』

 なんだか、モエカを奪い取ったみたいで少々気が引けるけど……。

 モエカが望むなら、俺はっ……!

 「がしっ!」と彼女の肩をつかみ、引き寄せる。そして、

 「んっ……」

 と、モエカのくちびるにそっと触れた。モエカの目がぱぁっと見開き、俺の目をじっと見つめる。

 「ふぁ、んっ……!? ちゅっ、ちゅっちゅっ……んぷっ……んっ、はぁっ……!」

 モエカが目をパチパチさせるたび、ちょっとカールしたまつげが行ったり来たりするのが分かった。化粧道具で立たせているだけ――そうは分かっていても、やたらに大人の女性っぽく見えてしまう。

 「ぅぷっ……! こ、これでいいんだろ? モエカ……!」

 ちょっと息継ぎして、すぐにモエカのくちびるに吸い付いた。

 「ぁむっ、ンン~~~っ……!? んぁ、しっ、ししょぉっ……! なんやこれっ、なんか、頭ぼーってなってまぅ……ふぁっ、ンにゅっ、くちゅくちゅっ、ちゅるるるっ……あぁっ……ふぁ~っ……ぁ♡」

 モエカの声に少々艶が混じりだす。

 「んむぅっ……モエカっ!」

 「ンちゅ、くちゅちゅ、ニチュぅっ……♡ し、しょぉっ……♡ ンぢゅっ……はぁっ、ぁむぅ、ニュルるっ……ン、ちゅっくちゅっ♡」

 エッチみたいにキス慣れした感じもなく、モエカは消極的に俺のキスを受けるだけだった。

 「はぶっ、ン……っ。なんだ、モエカ恥ずかしいのか?」

 「は、恥ずかしいにきまっとるやんっ……! ン、くちゅチュ、はぁ、はぁっ……じゅるっ、ぴちゅぴちゅっ……ンぁ、し、ししょぉ、ししょぉっ……♡ う、ウチのファーストキス、師匠にあげてもうたぁ……! なんや、嬉しいなぁ……っ♡ ふふ、ふふふっ……ンっ、ニュチュちゅっ、ちゅぷぷっ……♡」

 俺の接吻奉仕キスサービスを受けて、モエカは満足げに目を細めた。

 まぁ、喜んでもらえたなら何よりだ。

 「んんっ、ニちゅぅっ……♡」

 ほどなく、モエカはくちびるを離す。開けっ放しのモエカのくちびるがやたら艶やかに見え、思わず唾液を飲み込んだ。

 「ど、どうしたんだ? もう気が済んだのか?」

 「あ、あの……師匠。師匠は……ウチのこと好き?」

 ちょっと首をかしげながら、しかししっかりと俺の目を見つめて、モエカはそうささやいた。その目は、期待に輝いている。

 「え、ええっと……」

 俺は、言いよどんだ。

 確かに、困ってるやつは助けてやりたいけれど。

 これはどうなんだろうか?

 ここで「好き」と言ってしまったら……それはモエカと付き合うってことで。

 そしたら、他のやつに接吻奉仕キスサービスしてあげる機会が、なくなってしまうような気がする……。

 「俺は……っ!」 

 べっ、別に自分がいろんな子とキスしたいからとか、そんな理由ではぜんぜんないっ! ないんだけど……俺は悩んだ。

 『エッチ、聞いてますよね? こういう場合、俺どうすればいいんでしょうか……っ』

 俺は、心の中でエッチに問いかける。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る