三章【ラボラトリ&アザーリージョン】ー1


                 ◇


 世界が変わった瞬間を覚えている。


 溶け崩れていく世界は陽炎にも似て、その後の星々は目眩の残光。

 かつての世界が無くなってしまったのに、新世界の人々は笑顔を見せる。

 人類の夢が叶ったのだと。もはや私達に不可能の文字は無いと。

 その姿、大切だと思っていたものを、全て過去へと置き去ってしまったかのようで。

 溢れる笑顔と歓喜の中で、独り取り残されたように感じて。


 だから――


                 ◇


 空間を飾る色彩は、壁材の白と植物の緑だ。

 時乃彼岸研究所の受付ホールは、上方の天窓から差し込む陽光に照らされ、健康的な明るさに満ちていた。

 ドーム状の天井を支える為に立った白柱に、巻き付く緑のデコレーションは蔦植物。

 受付のカウンターの上方には、吹き抜け状の形をした二階が見える。

 研究施設と言うよりも、ホテルのフロントラウンジを思わせる光景の中、ジャスティス&スカーレット達は不用心な姿で立っていた。


「――なにも、おこら、ない」


 龍原深紅タツハラ・ミアカがぼやくように、この研究所に侵入してからと言うもの、何の反応も見当たらなかった。

 内部に蠢く幽幻黒衣ブランクキャストも、招かれざる客への銃弾の洗礼も、レスポンスらしきものは何も無し。

 最初の十秒間こそ全員緊張が張りつめていたが、それに五秒も加えない内に途切れた。


「もうちょっとドバーン! とかズドーン! とか、擬音の似合うような派手な展開起きなさいよ! さっきのシリアス会話は何の為にって気持ちになるわ!」


時乃琉香トキノ・ルカに死ねとでも云うのか貴様は」


「不謹慎」


 先程の反撃とでも言うかのような鏡夜キョウヤの言葉の攻撃を受け、今度は深紅が彼を睨む。


「言う訳無いでしょ? てかむしろ今からちょっと起こしましょうか殺人事件、被害者は当然茜ちゃんで刑事探偵犯人あたし、真相はもちろん隠蔽して結果は未解決迷宮入りに!」


熾遠シオン。【現葬宝哮】の展開を。矢張りこの女は今すぐ世界から抹消すべきだ」


「駄目。我冬ガトウの許可。無いから」


 揉めだす二人に琉香はあたふた。


「それはそうと熾遠、索敵終わった?」

「三十秒前に。終了済み」


 無感情トーンは心無し、少しむくれたように聞こえ。


「物理的接続がされている領域内において。移動物の反応は。無し」

「……無人?」


 琉香の発言に鏡夜は睨む目を向けて、


「早計な判断だな。素人らしい」


 間髪入れずに熾遠がその言葉にフォローを入れる。


「この人。これでも。悪意無いから」


 だがそれはそれでもっと駄目なのではないだろうか。


 半目になる琉香を気付いているのかいないのか、鏡夜は解説を語り始める。


「異想領域は人工的に生成された別の世界だ。【夜幕天蓋ナイトクローズヴェール】に捕われた貴様なら理解るだろうが、あれは周辺被害を阻止するための戦場隔離用の異想領域だ。他の目的によって創造られたものであろうと異界は異界、創造者にとっては物理的接続を遮断することなど容易い。

 そもそもあれは空間的、概念的な【世界】を作り出そうと言う研究の産物だ。異なる世界まで物理法則が及ぶ事など在る訳が無いだろう」


「相変わらずの上から目線解説ご苦労さま。よーするに敵はどっかに隠れてるってことよ」


 そして深紅が一言で纏め、補足説明を入れていく。


「解りやすい喩えだとあれね、地面に置かれたビニールシート。遠足とかで使う奴。

 さっきまでの花畑がシートの上で、今この研究所のある森が地面」


 深紅の顔横に情報窓が開く。映し出されるのは今は亡きスポーツカーのミニチュアだ。

 ミニチュアの車は窓の中、ブルースクリーンを駆けていく。


 そして画面の右側に、茶色の領域が現れてくる。地面を模したテクスチャー。


「んでビニールシートを纏めた風呂敷みたいなものが、世界とか異想領域とか呼ばれる空間」


 車が茶色の領域に入ると同時、ブルーシートがめくれあがって折り畳まれる。


「ここにいた連中は風呂敷畳んで中身のもの見えないようにしてる上に、地面にいるあたし達からは頭上の風呂敷包みは気付きにくいって訳」


 画面の中ではおろおろと車が彷徨って。その頭上を畳まれたブルーシートが浮いている。


「気付きにくいって、不意打ちとかされたらどうするんです?」

「その辺は多分問題ないわよ。幽幻黒衣の出現は茜ちゃんでも気付いたように慣れた奴には解りやすいし、異想領域から不意打ちを狙ったとしても、熾遠」

「ん。物理空間の変質は。感知出来るから」

「風呂敷の穴から何か出て来たりしたら、すぐに察知してデストロイね」


 ばきゅん、と口で銃撃の効果音を真似ながら、深紅は右手の指を鳴らす。


「とりあえずの行動指針は決定しとくべきかしら。決まってる茜ちゃん?」

「当然だ。研究所内を探索し、此処に巣食う巨悪の証拠を見つけ出す」


 それはつまり行き当たりばったりと言う意味ではないのだろうか。

 思わず放ちたくなった言葉を呑み込んで、琉香は溜め込んだ息を吐く。

 それに文句をつけた所で、それ以外に出来る事が思いつく訳でもないのだし。


「んじゃここで止まってるヒマなんて無いわね。行くわよ琉香ぴょん!」


 深紅は琉香の手を取って、そのまま引っぱり走り出した。

 遅れてなるものかと鏡夜が続き、その後ろに付き従うように熾遠が歩く。

 受付カウンターの横を過ぎ、大階段を駆け抜ける。

 二階についても勢いは止まず、奥に佇む大扉を、蹴りを使って押しのけ開く。



「――――」


 そこに宇宙が広がっていた。

 一面の黒。その中に煌めく銀河星々。

 輝きの中に混ざるように、扉らしきものが幾つもふよふよと浮いている。

 琉香は見間違いかと思い目を擦るが、視界の先に広がるものに変化は無い。

 振り返る。先程と変わらず、陽光に照らされた研究所のホールがある。


「へーえ」


 硬直する琉香の横を通り抜け、深紅は一切の躊躇無く、虚空へ足を踏み入れた。

 虚無の空間に浮かぶ彼女は振り向いて、こちらへ手招きしながら笑う。


「何今更この程度で驚いてるのよ琉香ぴょん。さっきの花畑、超速道路、ウチの支部の重力制御廊下、色々見て来てるんでしょ?」


 ほら、と声をかけられた直後、背中を押す力があった。

 ゆらゆらと倒れ込むように、琉香は宇宙に投げ出される。


「うわーわー、わーっ!?」


 足場の無い浮遊状態の中、琉香は滑稽にぐるぐると回る。

 ――これ、すっごい恥ずかしい……!

 回る視界、感じる羞恥、そろそろ限界が来そうになったところで、硬い腕が琉香を止めた。


「大。丈夫?」

「……あ、はい」


 ふらふらになった状態だが、何とか返答だけは絞り出す。


「もう少し早く。止めて。あげようよ」

「だって楽しかったんだもーん」


 少しだけ抗議の感情を込めて視線を向けると、深紅は露骨に視線を逸らした。

 そのまま追求する気にもなれなかったので、琉香は周囲を観察する。

 無重力の宇宙空間のように思えるが、図鑑で読んだ本物の宇宙とは大分違う。

 呼吸が出来るし極低温でも無い。宙に浮いているけれども、足に力を入れれば何かが反動を返す感覚も伝わって来るし、腕を動かせばすこし泳ぐように動けそうにも思える。


「重力の遮断理論と空間の流体化理論、粘体の呼吸理論に人体の保護理論。その他にも無数の小理論の重奏設定か。随分と高度な制御空間だ」


 鏡夜が説明らしきものを口にするが、琉香には全く意味が分からない。ここまで来れば流石にわざわざ理解しようとしなくともいい事ぐらいは気付いているが。


「ここは。一般公開スペースだって」


 情報窓を開きながら、熾遠が解説を読み上げる。


「てかこんな辺鄙な所に来る人いんの?」

「空間の情報履歴を見る限り。ここ三年は。職員か取引相手らしき人しかいないね」


 開いた情報窓にはずらずらと数字やアルファベットが並んでいる。具体的にどういう意味を持っているのか解らないが、頻繁にゼロが現れると言う事だけは琉香でも読めた。


「そんなものがあるんだったら、ここで何が起きたかとか解ったりしないんです?」

「出来ると言いたいけど無理ね。幻思論的情報は知識さえあれば隠蔽や改竄出来るものだし」


 そこまで上手い話は無かったようで、深紅が首を横に振る。


「熾遠。非公開研究エリアへと繋がるのはどの扉だ」

「物理的には。未接続だね。世界政府権限で。接続出来るようアクセス中」


 情報窓を開いて作業をしている熾遠をちらと見て、琉香は宇宙空間へと目を戻す。

 ――宇宙と星、かぁ。

 【大非在化ランダマイザ】の際、記憶がある人々はそろってこう口にしたと言う。

 何もかもが溶け去った暗闇の中、無数の星々が光るのを見たと。

 研究者達の間でも、それが何を意味するかは議論の的であるのだとか。

 そして其れ以外にも、琉香は思い出すものがある。


「懐かしいなぁ……」

「どしたの琉香ぴょん?」


 またも眼前に深紅の顔があり、驚きで琉香は一回転。

 危うく彼女の顎を蹴り上げる所だったが、そこは世界政府旗下最高戦力。浮遊空間をものともしない身のこなしで華麗に攻撃を回避する。


「い、いや別に全然大した事じゃないですから」

「へーえ」

「ちょっとお爺ちゃんと昔あったことを思い出しただけで」

「ほーお」

「だからそんな顔近づけて覗き込まないでくださいって」

「ふーん」


 一言口を開く度、鼠を見つけた猫のように、嗜虐的な笑みが濃くなっていく。 


「は・な・せ☆」

「いや本当個人的なことで、聞いたからって面白い事じゃないですから」

「情報の共有は戦場における必須事項だ。開示しろ時乃琉香」


 鏡夜も少しずれた解釈で、興味を示しているようで。


「……解りました」


 この人たちのすぐ傍で、隙を見せてしまった自分が悪い。

 項垂れながら、琉香はぽつぽつと口を開いた。


                 ◇


 旧世界、まだ星空が頭上に広がっていた頃の話だ。

 私の通っていた小学校で、天体観測のイベントがあった。

 県内でもっとも大きな天文台を貸し切りで、それを当時の私は楽しみにしていた。


 だがその当日。丁度季節の変わり目だった為、折り悪く熱を出してしまったのだ。

 その時の記憶は何と言っても昔の事だ、あまり覚えていないのだけど、どうも当時の私は結構騒いだらしい。熱が出てると言うのにお風呂場に立てこもって、外に出せやと抗議してたと。危うく風邪を拗らせ肺炎になりかけたのだとか。


 そんな訳で天体観測をするどころか危うく自分が星になりかけて一週間程寝込んだ後、症状も収まってさあ明日からまた学校だと言う夜中、ふと気配を感じて目覚めたら。


「やあ」


 枕元に祖父がいた。

 思わず驚いて叫びかけた所、口元を押さえられて黙らされた。これが身内で無ければ誘拐犯の行為だと思う。


「どうしたのお爺ちゃん。変態さんみたいなことをして」


 口が自由になった後そう言ってみたら、祖父はショックを受けたのか床にフィボナッチ数列を書き始めた。

 なだめるのに五分はかかった。


「それはそうと琉香、今晩は君に良いものを届けに来た」

「いいもの?」


 そう言って祖父が取り出したのは大きな袋だった。それこそ人一人入りそうなぐらいの。どう見ても怪しい物体だったが、何分熱が引いたばかりでしかも夜、更には当時は小学生だ。夜中の眠気冷めやらぬ状態ではまともな判断など出来る訳も無い。


「……?」


 そのまま私は袋の中を覗き込み、


「えいやっ」


 祖父の手によりその中に監禁された。

 なんだか甘い香りが漂って来て、再び意識は眠りに落ちる。

 身内だとかそう言う事は関係なく、犯罪的なキッドナップだった。


                 ◇


「ふーん。それで?」

「どうもお爺ちゃん、持てるコネを総動員して来たらしく、私一人の為に天体観測会を開かせたみたいで……」


 当時は素直に喜んでいたが、今考えてみるととんでもないことをしていたんだなぁ、と琉香は過去の記憶に顔を引きつらせる。


 思えばこれも祖父のコネクションがかなりのものだったと言う伏線だったのかも知れない。異端の技術を提唱したマッドサイエンティスト程度が出来ることでは無い……と言い切るにはあまりにも変わった職種すぎて断言出来ないが。


「無茶苦茶ねあんたのお爺ちゃん」


 上下逆の状態で漂っていた深紅は、腕組みをしながら頷いて。


「孫の為にそこまでやるとか相当のジジバカね。やり過ぎにも程があるって事を教えるべきね。報道に嗅ぎ付けられてたりしたらモンスターペアレントとして三面ニュースね」


「全人類の誰よりも貴様にだけは言われたく無い台詞だな」

「ジャスティス&スカーレット程。やりすぎるチームも。世界政府には少ないよね」

「っるさいわねあんたら。最後まで言わせなさいよ」


 二人の指摘に深紅は頭を掻いて、


「――でも、いい人なのね」

「……はい」


 琉香の見上げる宇宙{ソラ}、疑似宇宙の星辰は旧世界とは違っている。


 【大非在化】が消滅させたのは、世界と言う概念そのものだ。

 地球と言う惑星単位に留まらず、人の知る星々の彼方までもがその崩壊に巻き込まれた。

 人々が住むのはもはや惑星ですら無く、異想領域内に作られた独立都市達とその連絡網が、この幻思論の時代の【世界】と言うべき存在だ。


 夜に映る黒の果てにある星々は形だけ取り繕った偽物で。

 あの日祖父と見上げた星空は、世界の何処にも残っていない。


 それに感じる寂寞感。

 思い出してしまう孤独感。

 心に風を感じながら、琉香は深紅の顔を見る。

 宙に浮かぶ紅い少女の表情は、悩むのも馬鹿馬鹿しくなるような輝く笑顔で。


 ……止めよう、悩むの。


 今はこの先の事を考えるべきだろう。いや、何をどう考えればいいのか解らないけど。

 頬を叩いて精神切り替え。眼前の宇宙の星々は、何も変わらず輝いている。


「ところで熾遠、扉の接続まであと何分ぐらい?」

「三分ぐらい。ここは世界政府。関連施設だから。ロックも固め」


 それを聞いた深紅は、気をぬくように大きく息を吐き出して。


「そーね。待ってる間手持ち無沙汰だろうから今度はあたしらの方の話をしたげる」

「……深紅さんの?」

「そ。本邦初公開というほどでもないけど貴重な話。新曲をダウンロードするときのようにワクワクしながら聞きなさいな」


                    ◇


「さっき茜ちゃんが漏らしてたけども、あたし施設育ちなのよね。旧世界の頃」


 そっちと逆に親を知らないの、と、影すら見せず言い放ち。


「なんかおぎゃーおぎゃー言ってた頃に施設の先生の知り合いから『私には育てられません、代わりに幸せにしてあげてください』って言われて預けられたそーで」

「……無責任ですね」

「いーや、それが物凄い責任感だったらしいのよねソイツ。当時無職のシングルマザー。そんな状態で子供を養おうなんてのはとても無理で、多分ここまで生きてられなかったに違いないわ。その女はその女なりに娘のことを考えて、そして正しい選択を引き当てた」


 語る深紅の顔色には、恨みの色など欠片もなく。

 けれども琉香には、何故か納得いかなくて。


「あーうん、モヤるのも解るわよ。あたしも理解はしてるし正しいと思ってるけどどう感情を持てばいいか今でも解ってないのだし。結果を以って棚上げしてるだけ。


 それはそうと話の続き。

 茜ちゃんとはその施設の同窓でね。大体そうね、十歳のときぐらいからの付き合いかしら」

真逆マサカ此処まで永い付き合いになるとは想定おもってもみなかった」


 心底不愉快そうな声で鏡夜はいう。

 その声色からどういう関係だったのか、なんとなく予想の一つもついて。


「運動会の勝敗であたしが勝ったり、足蹴にした回数であたしが勝ったり、

退治した不良の数でもあたしが勝ったりしてたわ」

「待て貴様、都合のいい部分だけを抽出するな。テストの点では僕が勝ったし

敵を一撃で昏倒させた回数でも僕が勝ったし病院送りにした人数でも僕の圧勝だっただろうが」

「いや茜ちゃんその武勇伝は引くからね琉香ぴょん。というか明確に距離とってるからね。

 ……まあその頃から二人別々に英雄活動的なことやっててね。よく鉢合わせたのよねー」


 なんだろう、想像よりも酷かった。

 しかし想像を飛び越えていくことこそが、この二人の特徴な気もして。

 とんでもない人は昔からとんでもなかったんだなあと、そんな納得の感情を抱く。


「熾遠さんとは?」

「んー。熾遠とも旧世界からの付き合いではあるわねー。

 高校になった時だったかしら。育った施設のスポンサーから二人別々にバイトに誘われてね」


 そこが、


「『真理学研究会』。聞き覚えがあるかしら」


 その問いに琉香は静かに頷く。

 それはかつて彼女の祖父の所属であり、


「そ。現在【世界政府{オーバーロード}】と呼ばれている存在のその母体。

 この世の真理を解き明かし世界を楽園に変えるための研究機関。

 頭よすぎてネジが五本も十本も吹っ飛んだ人間たちの伏魔殿。

 旧世界において幻思論に手をかけていた唯一無二たる特異点。

 具体的に何やってたかについて語れる人はいないでしょうね。単純に物理の研究から美味しいアップルパイの作り方、人間の本質が善か悪かとか宇宙人と交信する方法だとか、とにかく正道からオカルト、心理学哲学の領域に至るまでなんでもやってた学問のブラックホール」


 なので、


「あそこ旧世界の時点でかなりトンデモアイテム色々作っててね。

 肉体の老化を止めるお薬だとか、世界破壊爆弾とか、一人乗り用の安価宇宙船とか。

 その中にあった訳よ。人工自由意志を搭載した自動人形が」


 視界の隅で、作業中の熾遠が私のことですとアピールするようにブイサイン。


「その情動を調整するためのコミュ相手外部協力者って名目で私と茜ちゃんが雇われてさ。

 んでそっからの付き合いから色々あって、今もあたしたちのサポートやってもらってるという訳」

「めちゃくちゃガバッとすっ飛ばしましたね?」

「こっから先は結構機密事項入るから仕方ないのよ。

 【ジャスティス&スカーレット】の結成秘話はまた他の機会にでも聞いてちょうだい」

「はあ……」


 一体何があるのだろうか。そんな興味が少しは湧くが、呆れ声と一緒に追い払った。

 機密事項というのだったら、知ること自体が危なそうだし。


「とまあそんな訳で、あたしたち三人とも血縁身内みたいな奴がいないのよね。

 だから、琉香ぴょんの家族の思い出とか、ちょっぴりいいなって思うのよ」

「………」


 どういった言葉で返せばいいか思いつくことが出来なくて、琉香の口から沈黙が出る。

 そこへ、無音を突然破るように、高らかに電子音が鳴り響く。

 音の発生した方向、作業をしていた熾遠はくるりと振り向き、


「見つけたよ」


 状況の動きをこちらに告げた。


                    ◇


 熾遠の宣言のその直後。

 電子音が鳴り止むと同時、新しい扉が湧き出て来た。鉄製のような見た目をした、頑丈そうな黒い扉だ。ドアプレートには『この先研究区画、部外者立ち入り禁止』と記されている。


「潜ったらボス戦が始まりそうな仰々しさね」


 仁王立ち(上下逆に浮いてるので仁王浮きと言うべきか)する深紅が、RPGみたいなことを口にする。


「セーブポイントは。無いけどね」

「そもそも僕達にそのような保険は不要いらないだろう」

「そうね。あたし達が賭けるのは何時だってこの命ワンコイン。どんな低確率が相手でも、絶対勝利の無敵の賭博師。舐めてかかった胴元から全力で巻き上げにかかりましょうか」


 深紅は扉のノブに手をかけて、ゆっくりとそれを手前に引く。


「……あれ?」


 動かない。扉は不自然に空中に固定され、押しても引いても蹴り飛ばしても必殺技名を叫びながらぶん殴ってもびくともしない。


「愚者め」


 一通りの攻撃を試して息を荒げる深紅へ向けて、鏡夜が冷たい視線を送る。


「此処を視ろ」


 指差す先、扉の横に小さな機械がある。

 タッチパネル式のモニタに表示されたその文字は、


「『登録者の指紋認証を行なってください』?」


 当然のように存在する、部外者立ち入り禁止のロック機構だった。


「この研究所関連者の。アカウントが。最後に必要みたいだね」

「世界政府権限でどうにかならないの?」

「この研究所も。世界政府関連施設だから。上位アクセス権限を持つ我冬クラスが必要」


 めんどくせえ……と頭を押さえて嘆く深紅。


「我冬さんに連絡とかとれないんです?」

不可能できない。あの女は突如現れては去って往く存在だ」

「そもそも出来たとしても呼びたくねー。あの女に貸し増やすとロクな事にならないのよ」

「増やさなくとも。既に。十分以上に。溜まってるんだけどね」


 一気にどんよりする空気。彼らと我冬市子の間に一体何があったのか気になる琉香である。


「扉を壊して開けてみるとかは?」

「無理。この扉は。異想領域間の接続装置。物理的接続は為されていない」

「琉香ぴょんにも解るように言ったげて」

「ワープポイントだから。壊すと。跳躍べない」


「…………」


 どーすりゃいいのよー、と頭を抱えて行き詰まる深紅。


「こうなったら茜ちゃんを生け贄に捧げて我冬を召喚するしかないのかしら……」

「待て。貴様が己の身を捧げれば善いだけの話だろうに」

「身を捧げろって……変態だわー、おまわりさーんここに変態が居るわー」

「今は僕達が公僕だ。其れ以前に貴様に欲情出来るような好事家が居るとは思え無い」

「へぇ、それはどういう意味かしら茜ちゃん」

「日本語も理解出来ない程に耄碌したか愚者」

「その意味も解説出来ない程にボキャブラリー無いの?」

「は、人の慈悲深さも想像不能か。幾ら貴様の心臓が金剛石製だとしても真実を受け止められるとは思わなかったから言葉を濁してやったと云うのに」

「………」

「………」

「…………あははははは!」


 一瞬の睨み合いを経て、深紅は大声で笑い出す。


「さてそろそろ突入しますか。閉ざされた先、扉の向こう」

「何とか出来るんですか!?」

「大丈夫。さっき茜ちゃんとじゃれあってた時ちょっと可能性思いついたから」

「一体どうやって開けるんですか? 物理? 拳? それとも新必殺技?」

「いやあんたはあたしのことを何だと思ってるのよ」


 脳筋って言いたいの? と苦い顔をする深紅の後ろ、頷く頭が二つあった。

 その頭があった場所を、剣状の障壁が薙ぎ払う。

 深紅は琉香へと向き直ると、ばっと手首を握って引っ張って、


「てな訳で琉香ぴょん、ちょっと指貸しなさい」


 なされるがままに手のひらをそこへ押し付ける。

 電子音が再び響いて、一瞬遅れて鍵が開くような重い音が耳に届いた。


「はいビンゴ……って何よその萎えた顔」


 琉香は呆れて溜息を吐く。

 ……過保護気味だとは思っていたけど、こんなとこでまで発揮しなくても。


「愚者なのかここの主は。血縁とは云え部外者のアカウントを登録しておくなど不用心に過ぎる。誘拐や殺害成り代わり、封印を破壊す手段に利用されたりしたら如何する心算りだ」


 鏡夜も鏡夜で、すこしずれた感じの文句を付けている。

 湿度の高い視線を向けられている深紅は、変わらず明るく乾いた表情のまま手を振って、


「結果オーライよ結果オーライ。愚痴とか文句とか言ったって無意味なことよ。全ては結果が判断して、そのおかげで世界はあたし達に都合良く回ってる。むしろ感謝喝采するべきね」


 実際彼女の言う通りではある。ここで立ち往生しているよりは先に進める方が理想的だ。

 だけどどうにももやもやするのだ。この感情を端的に表すとするならば、


 ――身内のやる事って、他人に見られると凄い恥ずかしい……!


 思春期の痒さに身悶える琉香の横、紅い髪の少女がドアに手をかけ、


「んじゃ開くわよ。あたしのカンが正しいならば――きっとここから先がはじまりよ」


 本番の扉を開け放った。




【NeXT】

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