二章【エアリアリズム&ブランクキャスト】ー2

                ◇


 吹き抜ける風が木々を揺らす。

 時乃彼岸異想領域研究所の外観を端的に表すならば、それは白い立方体だった。

 深緑の木々の海の中、浮かぶ一つの無人島。

 その中に一点、異彩を放つように赤の色がある。

 メタリックレッドのオープンカー。ジャスティス&スカーレットのものだ。


「さぁて、家捜しするわよ」


 その傍らに立った深紅が、拳を鳴らしてそう言った。


「家捜しって……人の家勝手に漁るのはダメじゃないですか?」


「あーあー、それね。あたし達は【世界政府オーバーロード】直属よ?」


 琉香の常識的な疑問相手に、深紅はめんどくさそうに手を振って応じた。


「『【傑戦機関】構成員はその活動に際して自己裁量による独自判断行動の権利を有する』。

 これは世界政府から与えられた最大の権利にしてそれを許す事が上の方の義務」


 彼らは一騎当千の兵達。故に巨大組織ではどうしても遅れがちになる意思決定を、その場で適切に行えるのだ。その少数人員であることによる対応力は間違いなく彼らの強みの一つであり、そしてそれだけの速度が無ければ幾度も世界を守り続ける事など出来はしない。


 ようするに、


「多少の刑法違反とかね……権力でちょちょいともみ消せば良いのよ」


 物凄い邪悪な顔をして、龍原深紅は笑ってみせた。


 ――さ、最悪の答えだこれ!


 助けを求めるように、琉香は熾遠の方を見る。

 その視線は語る。必要悪だ諦めろと。


「必然その分地位を悪用するような愚者には断罪が有るがな。堕した同族に裁きを降すのも僕達の使命の一つだ」


 フォローするように鏡夜が言うが、違う、求めているのはそうじゃない。


「懐かしいわね、【パラノイア&パラドックス】との死闘」


 あの時は危うく街一つ吹き飛びかけたっけ、と深紅は笑って物騒な事を口にする。


 そんな彼女とは裏腹に、琉香は釈然としない表情を顔に浮かべて。

 ……いいのかなぁ。

 彼女達がそれを許されるだけの特権階級なのは理解出来たし、彼らが対応するような事件の場合はそれが必要なのだと言うことも解らない訳ではない。

 だけど、彼女達がそれをすると言う事は、祖父のプライバシーの侵害でもあり、常識的なマナー違反であり、何よりそれを自分がやらせているみたいで、琉香には納得出来なくて――


「何難しい顔してんのよ」

「わっ」


 自分を覗き込む深紅の顔に、琉香は驚いてたたらを踏んだ。

 倒れ込みそうになった彼女を、オープンカーの座席が受け止める。


「何考えてるかは薄々解るけどさ、そんな常識は捨てちゃいなさい」


 額と額が触れ合いそうに思える程の近さ。

 紅い髪と吐息がかかるぐらいの密接さ。

 覗き込む龍原深紅の双眸から、琉香は視線を逸らしてしまって。


「琉香ぴょんは自分の我侭だと思ってるかもしれないけどさ。


 ……既に人の命がかかってるのよ。解ってる?」


 時乃彼岸だけじゃない、攫われたかもしれない他の科学者達のものも。

 そして恐らくは、この世界中の人達全てに関わるだろうと、紅い髪の少女はそう言った。


「【ジャスティス&スカーレット】へ届けられる依頼ってのはそういうことよ。

 琉香ぴょんに実感が無かったとしても、これは世界を巻き込むかも知れない。

 ねえ、【世界】の大きさ、あんたは解るって言えるのかしら?」


 問いかけに琉香は沈黙する。

 世界。一度滅びて、もう一度蘇り、そして今ここに存在しているもの。

 その大きさなんて解りはしない。祖父はそれを知っているかも知れないが、琉香はただの高校生だ。知っている世界の範囲なんて社会の授業で習った程度で、その中学校も今は無い。


 しかしただ一つだけ、【大非在化ランダマイザ】が琉香に教えてくれたものがある。


 世界と言うのは滅びる。


 伏線も整合性も、予兆すら無く唐突に、多くの人を巻き込んで。


「目指すのは何時だってハッピーエンドよ。過程に何があろうとも、後味良い終わりを迎えるのが最優先。最後に皆で笑う為なら、どんな泥でも被ってやるわよ」


 そう言い放つ深紅の顔には決意があった。

 取りこぼして来たこともあるのだろう。失敗した事もあるのだろう。罵声を浴びせられた事も、誤解された事も、幾度となくくぐり抜けて来たのだぞと、その表情は語っていた。

 そんな彼女は語る。まだ世界を知らない時乃琉香と言う少女へ向けて諭すように。


「常識とか周りの評価とか気にしちゃってさ、本当に大切な物を間違えたらダメよ?」


 彼女が何の為にそれを話しているのか、琉香にはなんとなく理解出来る。

 だから琉香は、思った事を口にした。


「……無理矢理に家捜しを納得させようとしてません?」

「あ、バレた?」


 深紅は悪戯が露見した子供のように舌を出して笑い、そそくさと琉香から離れていく。

 それを追いかけようとして、両手に力を込めた所で、


「――動くな」


 鏡夜の声が、琉香の鼓膜に突き刺さった。


                 ◇


「――――――!」


 何かの疾る風切り音が、硬直した琉香の頭上を通り過ぎていく。

 鏡夜が振った右手にあわせて大気が押し出され、一瞬遅れて研究所を取り囲む木々が騒々しい音を立ててばらばらと分解されて、地面へ音を立てながら降り注ぐ。


 面積の減った森の中から返事を送るかのように光が瞬いたかと思うと、銃弾が雨霰とジャスティス&スカーレットへと向けて飛来する。


 惚けていて反応も出来なかった琉香だったが、他の三人は違っていた。


 即座に琉香の前へと立ちはだかり、彼女の身を銃弾から防御する。

 乱射の豪雨が止んだ後、如何なる手段か無傷で屹立する深紅が、呆れた口調で文句を吐く。


「乱暴ね。こっちには人質がいるってことを忘れてないかしら」


「人質ってなんですか!?」


「琉香ぴょんに決まってるじゃない」


 茫然自失から回復した琉香の叫びは、実にあっさりと軽く流され。


「時乃博士の子女ともなれば大抵の組織にとっては利用価値が在る資源だ。確かに盾にすればまともな損得判断の出来る人間で有れば下手に危害を加えようとはしてこないだろう」


「冷静に分析しないでください! それでも正義の味方の台詞ですか!?」


「あたしは別にそう名乗った覚えないし」


「安心しろ。相手が正気の判断力を有していない事は今ので理解っている」


「問題はそっちじゃないですー!」


「みんな。来るよ」


 熾遠の声に、琉香は森の方へと視線を戻す。

 いる。先程まではいなかった筈の影の群れ。

 そう。影の群れだ。人影と言う意味ではなく文字通りの影の群れ。

 それは人間のように見えたが、大切な物が欠けていた。

 生気がない。個性が無い。人間にあるべき要素がごっそりと抜け落ちている。

 空間に開いた人型の穴。凝縮した闇が蠢いている。そんな印象を琉香は抱いた。


「【幽幻黒衣ブランクキャスト】」


 影の名称を熾遠が告げる。

 その袖口から取り出した銃器を構え、姿勢は既に戦闘態勢。

 その隣に並ぶジャスティス&スカーレットふたりも、戦意滾らせやる気は十分。


「あれは幻思技術によって何も無い場所に『人間がいる』と言う情報を植え付ける事で産み出された仮想生命だ。思考能力を持てども自由意志を持たない哲学的ゾンビ。世界と言う名の舞台において、無配役ブランクキャスト抜け殻だブランクキャスト!」


「一言であっさり言うならば――十把一絡げの雑魚キャラよ!」


 叫び、そして疾駆する。

 風に紅髪靡かせて、【紅い髪の少女スカーレット】が力を振るう。


「まず一体ィッ!」


 銃器を構える幽幻黒衣に向けて渾身の力で膝蹴りを一発。

 消滅する影法師をすり抜けてそのままの勢いでスキップ、背後から迫る銃弾達を瞬間的に上体を倒しつつ身を翻す事で回避して、地面に手をつき回転蹴りで更に二体を粉砕する。

 刃物を持って飛びかかって来た影に対して、触れられる前に踵落としで頭蓋を圧壊、勢い任せに踏み抜き砕いて、正面にいた相手に流れるように掌底を打ち込み貫通させる。


 その姿はまるで竜巻トルネイド。彼女が通り過ぎた軌跡の上、破砕する幽幻黒衣ブランクキャストの幻光が煌めいて爆ぜて散っていく。


「張り切ってるね。ミアカ」


 アサルトライフルで敵を掃討しながら、熾遠が演舞の感想を言う。


「だが見せる為の行動パフォーマンスアクションが多過ぎるな。隙が出来ている」


 鏡夜が親指で指し示す先、狙いを定めた黒衣達がいる。

 銃口の直線上にいる深紅は、蹂躙を舞って気付いておらず。


「――!」


 思わず飛び出しそうになった琉香を、鏡夜と熾遠が遮った。

 腕から抜けようともがきながら、琉香は深紅の顔を見た。踊る彼女と視線があった。

 その瞳は爛々と。捕食者のように輝いて。


「甘いわ」


 迫る凶弾悉く、紅い障壁が止めていた。


「あの女は念動能力者サイコキノだ。

 幻思論的に非物理的現象を実現させるロジックを、脳にインストールされた異能力者」


「力場生成に。特化したタイプだね。硬いよ」


 銃弾を涙のように零しながら、龍原深紅は立ち上がる。


「ところで解説役やるのもいいけどさ、ちょっとは戦闘に参加しなさいよ茜ちゃん」

「だから竜鳳司鏡夜リュウホウジ・キョウヤだと言っているだろう」


 彼は右手で額を押さえ、指の隙間から不服の視線を深紅に向ける。


「第一――」


 そして広げていた左手の中指をくい、と立て、


「――既に奴等は終了おわっている」


 瞬間、幽幻黒衣ブランクキャストの動きが止まった。

 陽光を反射させ幽かに煌めく光の筋。彼らを縛るもの、その正体を琉香は口にする。


「鋼糸――」


「そうだ。指運が死を司す至天の使。悪意を断ち切る断罪の意図。処刑の刻限を魅るが善い」


 正義の味方が手を振り下ろす。それは終わりを指揮するように。

 終焉を下された影達はほんの少し、もがくようにして僅かに震え、そしてその一瞬後、まるで積み重ねた本の山が倒れるように、輪切りになって崩れていく。


 殲滅終了、と鏡夜が告げる。


「相変わらずおいしい所を持ってきやがるわね」

「広域殲滅手段を持たない貴様が悪い」

「ってもあたしの趣味は肉弾戦のタイマンと無双だし」


 飛び跳ねた深紅は車の隣へ降り立って、砂を払うように両手を叩いた。

 広漠とした空間に風が抜け、灰のような黒が舞って消える。

 しかしこの場にいる誰もが感じていた。これで終わりではないのだと。


「熾遠。周辺索敵は?」

「領域内に。残存幽幻黒衣ブランクキャストはゼロ。ただし。リポップの徴候有り」

「出現までの猶予は?」

「三十二秒」


 十分ね、と深紅は手を打ち鳴らす。


「茜ちゃんはどう思うかしら。この配置」


「森側からの襲撃は対象の退路を断って殲滅する為のものだろう。そこの時乃博士の子女を意識せずに攻撃して来た事から恐らく設定は無差別殺傷。この研究所敷地内に侵入した生命皆悉く鏖殺しようとする機構システムとして稼動している」


「ってことはやっぱり後付け機能とみてよさそうね」


「研究所のデフォルト防衛機構である可能性は?」


「無いわね。確かにここは重要施設かも知れないけど、建物入る前からぶち殺しモードで動くようなのがあってたまるか。速攻で問題になって解体よ」


「研究所側にも伏兵がいると見て良いな。殲滅目的なら挟み撃ちが効果的だ」


「ん。入り口付近に三十二カ所。恐らく。近づいた所で実体化する仕様」


「熾遠、研究所の空間履歴へアクセス。情報深度は世界政府権限でクリアランスVを使用」


「七秒前から実行中。情報窓インフォメーション展開まで。三。二。一」


 宣言通り、鏡夜の眼前に数十枚の情報窓インフォメーションが展開される。

 彼はそれを一瞥し、全てを理解したように首肯して、


「照合完了。確かに最近設置された機構のようだ。時乃博士の失踪期間とも合致している」

「そこまでアクセス出来たなら幽幻黒衣ブランクキャストの制御プログラムのオーバーライドは?」

「挑戦は。ただし推定完了時間は。十五分」

「永過ぎるな。僕達の前には無限の二文字に等しい時間だとも」


 とにかく、と深紅は深呼吸。


「この研究所には確実に何かがあるってことね。侵入者の息の根を止めてでも存在を知られる訳には行かない何かが」


「ここから。どうする?」


「当然。突撃一択だろう」


「同意同感それしか無いわね。琉香ぴょん」


 急展開と真面目な会話にぼぅっとしてた所に名前を呼ばれ、咄嗟に琉香は背筋を正す。

 座った姿勢から見上げることになる三人の顔は、シリアスカラーとはほど遠く。

 これから挑む戦いを、楽しもうぜと笑んでいて。


「ちょっぴり危ないことするけども――命は保証するから怒らないでね?」


 一体何をするのかと思ったのもつかの間に。

 へ? と疑問符を漏らす暇さえも無く、その解答がすぐに来た。


「ユー・キャン・フラァァァァァイ!」


「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああ!?」


 空中投擲。片手の力だけで投げ上げられ、琉香の身体が宙を舞う。

 風を切る寒気と、足下の無い怖気。二つの理由で背筋が震え、反射的に目を閉じる。

 だが来るべき落下の瞬間はしかし来ず、代わりに背中に圧を感じて。

 目を開いて確認した背後、紅い色の障壁が琉香の体を支えていた。


「琉香ぴょんはちょっとそこで待ってなさい――速攻で終わらしてあげる」


 見下ろす眼下。先程とは比べ物にならない数の影の兵が虚空から沸き出して敷地を埋める。

 その手には銃器、鈍器、鈎爪刃物その他様々、多様な殺害手段を有している。


「来るが良い木偶人形の軍勢達。数の無意味を教えてやろう」

 正義の味方を名乗る少年が、眼鏡の奥の瞳を光らせ。


「ん。目標殲滅時間。一分で良いね」

 隣に立つ黒衣の自動人形は、突撃銃を両手に構え。


 そして紅い髪の少女は嗤い、右手を振って投げキッス。

「――それじゃあ、蹂躙しましょうか!」


 彼女が告げる始まりを合図に、銃弾の掃射が乱れ飛ぶ。


                 ◇


 幽幻黒衣ブランクキャストは同士討ちなど考えない。

 惜しむべき命や魂、賭けるべき挟持や誇り。そんなものなど最初から欠落している。

 そもそもが虚空から湧き出る量産品。一体消えても十体が、十体滅びれば百体が、後続として現れるように殲滅のプログラムが起動している。

 故に与えられた命令こそが絶対で、先行者を巻き込むことなど考えずに、眼前の不審人物達へと攻撃を無感動に加えていく。

 刃、銃弾、叩き込まれる武器の数々は瀑布の如く。

 間断無い攻撃はスポーツカーのフレームを歪ませ、砕き、そして爆発を引き起こす。

 立ち上る煙と炎熱にも怯まず構わず、彼らは攻撃の連続を打ち込み続ける。

 死亡確認など必要無い。細かい戦略なども必要無い。

 数と力で押しつぶせば、敵は必然に消えてくれる。


「――だからあんた達はバカなのよ。脳味噌の無い案山子達?」


 背後からの声に、一体の幽幻黒衣が振り向いた。

 そして彼の視界の前で、もう一つの爆発が起きる。


「 ふ ・ き ・ と ・ び ・ や ・が ・ れ ・ ッ!」


 紅色が一閃大地に落ちて、次の瞬間暴力の意味が顕現した。

 拳の一撃。

 地面に亀裂が走り、二桁単位で幽幻黒衣達が跳ね飛んで、光の欠片として消えていく。

 爆心地に舞い降りた深紅は、その髪の毛をかきあげて笑う。


「戦略は要らない。圧倒的武力で殲滅する。うんうん。あたし大好きよそう言うの」


 でも、


「物量如きでこのあたし達を超えられるとでも?」


 一歩を踏み出す度に影が砕ける。

 手を振るう度にその力であった数が削れていく。

 数を凌駕する個がここにある。


 しかしこの程度は不利ではない。減るならば補充すれば良いと言うのが影達にとっての当然である。

現出速度は時間に比例して倍加する設定だ。数の有利は消えはしない。

 だが、


「転送指揮。座標七〇六。九〇三。五三八」


 空間転送。

 黒の自動人形の指揮により亜空から落下するモノリスが的確に出現ポイントを潰していく。


 彼らの増殖は『何も無い』空間に情報を植え付けることで成り立っている。その情報上書きのメカニズムは、『そこに存在出来るかも知れない』と言う可能性、冗長性があってこそ可能となるものだ。この幻思論の世界において、ゼロの空間は無限と等しい。

 しかし。そこへ明確な密度を有した物体があるのなら。

 彼らがその場に顕現出来る存在率はデッドラインを下回る。


「――!」


 ここに来て彼らは優先順位を切り替える。

 黒の自動人形の破壊と、増殖を阻害するモノリスの除去。

 紅い髪の少女は後回しだ。数の利点を復活させねば、渡り合う事も出来はしない。

 増やすべきは力。数。それさえあれば敗北など我等には有り得ないのだとは自明の理。

 壊せ。壊せ。壊せ!


「残念だが。それを許す訳が無いだろう」


 果実を潰すような音がして、幽幻黒衣ブランクキャストがごっそりと半分以上消失する。

 声の先、正義の味方が格好を決めて宣告する。


「断末魔を叫び舞うが善い。万象一切悉く、断罪の意図は逃がさない」


 背後からは爆音が連鎖する。紅い髪の少女が立てる爆砕の響きだ。

 幽幻黒衣ブランクキャストに絶望は無い。幽幻黒衣に諦めは無い。それは幸福不幸では無く機能の問題。

 故に絶対敗北が決まった状態でも、彼らの動きは止まらない。


 一瞬だけ彷徨った彼らの視線は、一つのものを発見する。

 少女。無防備な。宙空でおろおろと下界を見下ろす時乃琉香。

 彼らのルーチンは命令する。敵を殲滅せよと。敵対者の数を減らせと。

 標的を即座に切り替える。全滅させるのが不可能ならば、一人でもいいから叩き潰せ!


「させないわよ」


 攻撃の射線を封じるように、紅色の障壁が列をなして降りる。

 そして産み出した本人は走る。影の海を掻き分けて。


「どおおおおおおおおりゃああああああああああ!」


 紅い髪の少女が跳ぶ。

 己の障壁を足場に使って二段ジャンプし、琉香のもとへと辿り着く。


「深紅さ、ん」


「大丈夫よ。そろそろ終わりに出来そうだから」


 少女の肢体を腕に抱え、龍原深紅は仲間へ叫ぶ。


「一掃は任せたわよ茜ちゃん!」


「だから竜鳳司鏡夜だと」


 任された鏡夜は口の中だけでぶつぶつと呟いていたが、熾遠の視線を受けて顔を上げた。


「ああ、そうだな。そろそろ雲霞共の相手を終焉らせるのも善い頃合いだろう。依頼人へと銃口を向けた悪、存在させ続けておくのも許し難い」


 さあ、


「微塵と滅せ瓦落多共――」


 その瞳、凍てついたように輝かせ、正義の味方が終局を告げた。


 扇の骨のような半円状、竜鳳司鏡夜を起点として、十三本の軌跡がアスファルトを抉る。

 響く轟音は絶叫の如く。破壊の津波に呑み込まれ、幽幻黒衣達が消えていく。

 破砕の波に乗るように、空中、己の障壁に立つ深紅がひゅう、と呟いて、

 後に残るのは、破壊痕と静寂と四人だけ。


                 ◇


「残存数幾ら?」


 琉香をその腕に抱えたまま、深紅は軽い口調で熾遠へ向けてクエスチョンを投げる。


「視界範囲には。ゼロだね。だけど」


 答えた直後、彼女はその身を翻す。

 踵だけで華麗にステップターン。振り返った熾遠は森へ向け、トリガーを一発引き抜いて。


「うん。今。完全にゼロになった」


「ひゅう。相変わらず完璧ね」


「僕のパートナーだ。当然だ」

「この人の機械だから。当たり前」


 口笛に対して、息を合わせて彼らは返す。

 その返答に、深紅は軽く笑顔を見せて。



「――――」


 その一方。

 破壊の力を目の当たりにして、時乃琉香は放心していた。


 世界政府旗下最高戦力。

 一騎当千の個人戦力。歩く一軍。世界を守る力そのものの人間達。

 甲殻機械を鎧袖し、影の軍勢も一触したその姿はまるで映画のアクション・スター。

かつて描いた空想の中の、絶対勝利の夢想英雄ジュブナイルヒーロー


 彼らの事を疑っていたりした訳ではない。いや少しばかり本当に任せて良いものかとも思ってはいたが、一度命を救われていても、何処かに信じられないと言う心があった。


 彼らの事を、では無い。

 彼らと関わるような事態が自分の身に降り掛かって来ているのだと言う事をだ。


 世界が滅びてしまったと言う過去も、変化した世界を歩く日々も、祖父が攫われたと魔女帽子の奇人から聞いた瞬間も、今までずっと夢の中を泳いでいたような気持ちでいた。


 その日常然とした地に足着かぬ現実の感覚は、今朝の甲殻機械が吹き飛ばし、そして【ジャスティス&スカーレット】は、その残骸さえも一掃した。


 ここに時乃琉香は実感する。ここはもはや日常ではないのだと。

 大地を蹴って飛び跳ねなければ打ち抜かれる、非日常の中に自分はいる。


 その感触に、思わず背筋を震わせて。


「琉香ぴょん」


 かけられた声に、琉香は視線を上へと向ける。

 下から見上げる深紅の顔は、先刻と変わってシリアスカラー。


「先に謝っとく。ごめん。ちょっとマズいことになったわ」


 先程の言いくるめようとしてる時とは違う、本気の顔つきだと琉香は察した。


「迂闊だったわ。これは言い訳の仕様も無くあたし達の失態。襲撃は予想出来てしかるべきだったのに、注意を怠っていつも通りに周り見ないでヒャッハーしたから招いたミステイク」


 しかし一体何が問題なのか、琉香にはすぐには解らなかった。

 研究所には辿り着いた。影の軍団も倒しきって、すぐに復活する事も無いだろう。そして自分の身には傷一つない。為すべき事は為しきった。後は研究所の中へ進軍しようと言う段階で、何か残っているものでもあるのだろうかと、疑問符一つ

脳裏に浮かべて、


「見えるかしらアレ。酷いことになってるけれど」

「わ……」


 そして彼女はそれに気付く。

 指向けられた先にあるのは、火音を鳴らす金属の残骸。

 人を運ぶ機能を失った、メタリックレッドのスポーツカー。

 もはや動かないそれは告げる。帰還の手段の剥奪を。


「つ、通信機とか迎えを呼ぶ手段は!?」

「そりゃあるわよ」


 熾遠が袖を一振りして、そこから眼鏡入れ大の直方体を取り出す。

 深紅はそれを手に取って、指先で回して弄びながら、


「連絡を入れれば、大体二十分ぐらいで来るでしょうね。上からの迎え」


 だけど、


「連絡が行ってるのは、ウチの上司だけじゃないわよ。間違いなく」


幽幻黒衣ブランクキャストの出現時。連絡信号らしきものを。感知済み」

「そういう理由だ。二十分の後、この場所は再び戦場となるだろう。或いは僕達の到来を識った奴等が逃亡する可能性もか。どちらにせよ、ここで撤退を取る選択肢は有り得ない」


 故に、為せる選択肢は決まりきった一択のみ。


「ここで研究所に突撃して、一気呵成に叩き潰す」


 それは解りきった当然の決定。その選択には意外性も驚きも無い。

 ならば何故、彼らはそれを問題視しているのか。


「好い加減気付け。先程の襲撃の配置は殲滅防衛型だった、その意味を」

「あ……」


 二度目の察しを琉香は漏らす。

 戦闘の始まる前、紅い髪の少女はこう予想した。

 この研究所には、知られてはならない何かがある。

 人の命と引き換えにしても良いのだと、誰かが信じているものが。


「外でこのレベルのぶっ殺しモードってことは、中がどう改造されてるか考えるのもヤになるわよ。第一線級のデンジャラスゾーン。そんな所に一般人を連れ込まないといけないなんて失態も失態大失態!」


 我冬にバレたら醜態ものだわ、と頭を掻きむしりながら叫ぶ深紅。


「なら、」


「勿論、琉香ぴょんをここに置いてくってのは論外も論外。敵と味方とどっちが先に来るか賭けるのに、命ベットするのは割にあわない大損よ?」


 先回りして解答されて、琉香は静かに閉口する。


「これでもあたし達は荒事屋だもの。危険に突っ込むのなんて日常茶飯事の平常運転」


 だけどね、


「それはあたし達だけの事情で、他人を巻き込むべきことじゃないでしょう?」

「…………」


 それを述べる深紅の顔は、屈辱と遺憾に満ちていた。唯我独尊を絵に書いたような彼女にしては、意外な程に気弱な言い方だった。


 依頼人を危険に晒さない。それが彼女にとってのプロの挟持でプライドで、絶対守るべき一線なのだろう。口調から琉香はそう察す。


「だから琉香ぴょん。こう言ってはくれないかしら。

 『信じてあたしたちについて行く』って。

 選択肢なんて無いのは解ってる。だけどその言葉を聞かないと、あたしの中でどうしてもケジメがつかないの」


 紅い彼女の懇願に、琉香は大きく頷いた。

 一瞬たりとも迷わずに。


「お願いします。ここまで来たら私も全部知りたいし。お爺ちゃんのこと、狙っている相手の事、その他諸々納得いくまで。選択肢がどうこうじゃない、私の意志でついてきます」


 私は非日常に踏み込んだ。今更帰る事が出来ないのならば、その果てまでも行ってみよう。

 乗り掛かった船は岸辺を離れ、もはや大海へと漕ぎ出した。帰る手段が無いのであれば、ジャスティス&スカーレット、彼らの舵取りに任せるのみだ。

 第一これを持ち込んだのは自分なのだ。依頼人を危険に晒したく無いと言うのがプロの挟持だと言うのなら、最後まで付き合うことこそが、依頼者としての挟持で義務だろう。


 それを目にした三人は、それぞれ小さく頷き返し、


「大丈夫。私達が。守るから」

「僕としては構わない。足手纏いにならないのなら」

「茜ちゃんは素直過ぎるわよ」


 深紅は口元に手を当てて、くすりと軽く微笑んだ。


「ふふ、……くくく、ははは、あーっはっはっはっはっっは!」


 そしてその微笑みは音量を上げ、聞こえるぐらいの笑いとなり、そして哄笑へと発展し、


「形式的に止めた! 言質取った! これで文句も付けられないし逃亡もさせないわ!」


「な、なんですかその大笑い! 呵々大笑! さっき言った事は嘘ですか!?」


「んーにゃ、本気も本気の本心よあっちも。――振り回した方が楽しいだけで」


 絶句する琉香の前に展開される情報窓。

 そのモニタにはしっかりと、神妙に頷く琉香の姿が。


「これで万が一の時にもどうにかなるわね物的証拠! いやぁ公僕はこれだから辛いわー。何でもかんでも同意とか証拠とか一々求められるのがねー」


「まっまま万が一って何ですか!? と言うかさっきまでのシリアスは何処に!」


「シリアスシーンは長時間連続させないってのが楽しく生きるコツよ琉香ぴょん」


 けたけたと笑う深紅の姿に、琉香は肩を落として息を吐く。

 やっぱり預けた命を回収したいと思うけれども後の祭り。この紅い少女はきっと、何があっても手放すまい。物語が終わるその果てまで、彼らの傍から離れられない。そのことを感覚で理解して、再び先行きの曇りを幻視した。


「そもそも時乃琉香を連れてこなければ良かっただけの話に思えるがな」

「それを言ったら止めなかった茜ちゃんも同罪になるわよ?」


 額に青筋を浮かべながら、深紅は鏡夜を睨みつける。


 読めない人たちだ、と琉香は思った。

 行動言動は自分勝手な癖をして、その割には他人を思いやるようなことも言える。

 乙女井熾遠は言っていた。彼らは世界最高のタッグチームだと。

 確かに戦いの力は見合う程に。抱えている挟持も本物らしく。

 しかしお互いのコンビネーションは必要なときだけ。そして肝心の人格は判定不能。

信頼性は不確定変数として揺れ動き、上下の行き来が収まらない。


 もう幾度目になるかも忘れそうな先行き不安に顔を曇らせる琉香に、深紅は笑みを投げかけて言った。

困難全て焼き払う、炎のようなその笑みで。


「まあもう一度言うけどさ琉香ぴょん。安心しなさいよ。

 あたし達が関わる以上、ハッピーエンドは確定だから」


【NeXT】

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