第2話「歓喜の理由」
「早く早くっ!」
宇宙から地球へ……再び転送された歩は、緑髪の少女……リブラにアーサーのコックピットから(文字通り)引っ張り出されると、ほっとする間もなく、今度はミコに手を引かれ、長い通路を走っていた。何でも、STWの司令室に案内するとかしないとか……正面に迫る扉が左右にぷしゅっと開き、ミコと歩は部屋の中へ。
「カメちゃん、連れてきてたよ~!」
「亀山さん! お疲れ様ですっ!」
棒付きの飴玉を手にした凛音が駆け寄り、二人を出迎える。
「あんた、やるじゃねぇか!」
肩幅の広い大柄な男性が、笑顔で歩に語りかけた。小さな瞳。髪は短く刈り込まれ、爽やかなスポーツマンといった印象。漆黒のコートは凛音が羽織っているものと同じデザインのようだが、こちらはしっかりと着込んでいた。……サイズが合っていないのか、少々、窮屈そうではあるが。
「
そういって頭を下げたのは、ひょろっとして背の高い男性だった。切れ長の瞳。長く伸ばした髪を首の後ろで縛っており、アーティストといった印象。同じく漆黒のコートを着ているが、こちらは若干、サイズが大きいようだ。それよりも……。
「亀谷じゃない、亀山だよ、亀山。……ったく、どっちが失礼だって話だよ。えっと、三十四だっけ? ……見えねぇよなぁ。あ、俺達は、今年で三十ね。でもさ、こいつ……
「晋太郎! ……すいません、亀……山さん。重ねて失礼しました。どうも、人の名前を覚えるのが苦手でして。それにしても、見事なお手前でした」
啓介の拍手に、歩は頭を下げる。晋太郎は腕を組み、うんうんと肯いた。
「本当、助かったぜ! 来てくれなかったらどうなってたか。カズもいずれはあれぐらい……って、おい、カズ! そんなとこで何やってんだよ!」
晋太郎は部屋の隅に向かって声をかける。歩が顔を向けると、ソファーに座っている少年の後ろ姿が目に入った。同じく漆黒のコートを着ているようだが……その表情は窺えない。
「……あいつ、拗ねてやがんな」
「あの戦い振りを見たら……ねぇ」
顔を見合わせる晋太郎と啓介。歩が首を傾げると、ぷしゅっと扉が開いた。
「皆、元気してる?」
「司令、お疲れ様です!」と、凛音。
歩が振り返ると、扉の前に黒髪を短く切り揃えた女性が立っていた。長身で足が長く、漆黒のコートを完璧に着こなしている。はっきりとした目鼻立ちで、特に印象的な釣り目……猛禽類のように鋭い……が、歩をじっと見据えていた。蛇に睨まれた蛙ならぬ、鷹に睨まれた亀……緊張する歩に向かって、女性は口を開く。
「どう? 世界を救った気分は?」
「えっと……」
歩が口ごもっていると、女性はにやりと笑った。
「私は
「……亀山歩です」
「もちろん、知ってる。だから、君に私達のことを紹介するわね。まずは……って、この子のことは知ってるわよね? 水無月凛音。STWの軍師様よ」
舞は凛音の背中に回り、両肩に手を置いた。凛音は飴玉を咥えたまま、歩に笑顔を見せる。歩が肯くと、舞は並んで立っている男性二人に目を向けた。
「そっちの二人は凛音のサポートをしている――」
「羽田晋太郎だ! よろしくな、亀山さん!」
「菅原啓介です」
晋太郎は親指を立てて頷き、啓介は会釈をする。歩が頭を下げると、舞はぐるっと部屋を見渡した。
「和馬は? ……何やってるの、こっちにいらっしゃい!」
舞に呼びかけられた少年は、渋々といった感じでソファーから立ち上がり、歩に向かって歩いて行く。小柄な体格と整った顔立ちは、売り出し中のアイドルといった印象。短く、丸みを帯びた髪型は、茶色く染められている。
「彼は君と同じパイロットよ。訓練生ってところね」
「……新城和馬です」
頭を下げる和馬の背中を、晋太郎がばしっと叩いた。
「カズ、しゃっきっとしろよ! 愛しのライオンを亀に取られちまうぞ?」
「いたた……は、羽田さん!? そんな、い、いと――」
「あーっ! またライオンって言った! 私は凛音ですってば!」
「……突っ込みどころはそこですか?」
凛音が飴玉を突きつけて抗議しても、晋太郎は涼しい顔。和馬は真っ赤な顔でぐるぐると指を回し、啓介は苦笑いを浮かべている。そんな光景を横目に、舞は「こほん」と咳払いをした。
「えーっと、あとは――」
「は~い! 猫宮ミコだよ! よろしくね、カメちゃん! ……むぎゅぅ!」
ぴょんぴょんと跳びはねるミコの頭を、舞が両手で押さえつける。
「このちっこいのは……座敷童よ。リブラは?」
「ざしきわらし? リブラはリッターの整備中だよ! 呼ぶ?」
「ううん、次の機会でいいわ。……というわけで、これがSTWの主要メンバーよ。亀山君、君のような才能ある仲間が増えて嬉しいわ。これからよろしくね」
舞は歩の前に立つと、右手を差し出した。歩はその手をじっと見詰め、次いで視線を凛音に向けた。凛音はさっと視線を逸らし、飴玉を咥えて
「どうしたの?」
「今回だけだ」
歩に凛音以外の視線が集まった。そこに込められた思いを、舞が代弁する。
「……亀山君、どういうことかしら?」
「俺はSTWとやらに入るつもりはない」
「なんだって?」
身を乗り出そうとする晋太郎を、啓介が肩を掴んで制止する。舞は人差し指を頬に当て、小首を傾げた。
「理由を聞かせて貰える?」
「俺は……小説家を目指しているから」
「小説家だぁ? お前、何言って――」
「晋太郎!」
啓介に
「それが君の夢、というわけね?」
舞の言葉に歩は肯き、凛音に顔を向ける。がりっ……ちらりと様子を窺っていた凛音は、慌ててそっぽ向いて、飴玉を嚙んだ。
「そのことは、軍師様にも伝えてある」
舞はがりがりと飴玉を噛み砕いている凛音を見て、困ったように笑った。
「……そのようね。ごめんなさい、早合点してしまったわ。でもね、これだけは言わせて。君のお陰でこの世界は救われた。それは事実。だから、ありがとう」
舞の感謝に、歩は視線を逸らすことで応えた。
「じゃあ、すぐに帰りの手配を――」
「わ、私がコメットでお送りします!」
凛音は飴玉がなくなった棒を振り回してアピール。それを見て、舞は肯いた。
「お願いするわ」
「はい! さぁ、亀山さん、行きましょう!」
凛音は歩の手を取り、司令室を出て行った。ぷしゅっと扉が閉まる。
「……行っちゃった。マイ、いいの?」
ミコの問いかけに、舞は肩をすくめて見せる。
「良いも悪いも、本人の意思を尊重しないとね」
「そんな悠長なことを言ってる場合かよ。こちとら、世界を救わないとなんだぜ? 今日だって、相当ヤバかったんだからさ」
晋太郎の言葉に、STWの面々は顔を見合わせる。すると、和馬が声を上げた。
「僕に任せてください! 僕が凛音ちゃんを救いますから!」
「……カズ、そこは世界を、だろ?」
「え? あ、そ、その……」
顔を真っ赤にする和馬を、ミコが「がんばれ! カズマちゃん!」と応援する。啓介はそれを横目に、舞の表情を窺った。舞は顎先に右手の人差し指と親指を当てながら、じっと何かを見詰めていた。啓介はその視線の先を追う。
司令室の正面にある、全面モニター。そこには、地球が大きく映し出されていた。青く美しい、守るべき世界が。
――その船は、宇宙に咲いた大輪の薔薇のようであった。そして、その持ち主もまた、薔薇と形容するに相応しい少女である。エクセリア。それが、彼女の名前。
エクセリアは天蓋つきのベッドに寝そべり、手にした携帯端末に深紅の瞳を向けていた。波打つ豊かな髪も赤なら、唇の色も赤。その身を包む優美なドレスだって、もちろん赤……一方で、肌は雪のように白く、まるで精巧に作られたかのように美しい。だが、彼女は慎ましく呼吸をしていた。白い肌にもほんのりと赤味がさし、血が通っていることを示している。
広々とした私室には、エクセリアの他にもう一人……夜色のスーツで身を包み、影のようにひっそりと佇む老人がいた。エクセリアに仕える筆頭執事メイソン。白髪に白髭、金色の瞳。その顔には幾重にも深い皺が刻まれているが、眼光の鋭さは衰えを知ることがない。……エクセリアが生まれた日から、ずっと。
「お嬢様。シュヴァリエが撃破されました」
「で、あるか」
エクセリアは携帯端末から顔を上げ、にやりと笑った。
「そうこなくてはな。では、次なる一手を――」
「嬉しそうですな」
「分かるか?」
「ええ、それはもう。屋敷にいらした時は――」
「実家の話はするでない」と、エクセリアは唇を尖らせる。
「失礼しました」
エクセリアは携帯端末をベッドに放り投げ、振り返った。どこまでも広がる暗闇の中に、ぽつんと浮かび上がる青い星……それを、深紅の瞳でじっと見詰める。
「地球人め、なかなかやるおるわ」
「……正直に申しまして、意外ではありました。ソルダだけでなく、シュヴァリエまで……名のある使い手がいると見て、間違いないでしょうな」
「そうでなければ困る。私は弱い者いじめをしに来たわけではない」
「世界征服」
「ああん、それは私の台詞じゃ!」
エクセリアはメイソンを顔を向け、頬を大きく膨らませた。
「失礼しました」
「まったく……ぶつぶつ」
「それにしても、
「何がじゃ?」
「今回投入したシュヴァリエは、旧式も旧式。あれではみすみす――」
「流石の爺も、世界征服の美学は分かっておらぬようじゃな」
「美学、ですか?」
「うむ、美学じゃ。あるいは、機微とでも言おうか……私は世界征服については少々、うるさいからの。いきなり最大戦力で潰しにいくなど愚の骨頂……そこで話が終わってしまう。それでは、何も面白くないではないか?」
「はぁ、左様で」
「バランスじゃよ。バランス。強すぎず、弱すぎず。均衡を保ち、盛り上げ――」
「でしたら、こちらも考え直した方が良いのでは?」
メイソンが目を向けた先には、巨大なルーレット……回転式ダーツ板が設置されていた。板には攻撃開始の日時、投入する戦力などが、放射状に分けられて記入されている他、ルーレットを回転させるための持ち手が取り付けられている。
「郷には入れば郷に従えと言うではないか? なんでも、これは地球の伝統的な運命決定装置だと、父上が秘匿していた薄い本にも書いてあったぞ? ……ほれ、爺! 分かったら、早く回すのじゃ!」
……やれやれと思いながらも、メイソンは持ち手を握り、ぐるっとルーレットを回した。もしダーツが中央に命中しようものならば、地球の命運はそこで尽きる。「問答無用で世界征服!」と、エクセリアの直筆があるからだ。メイソンとしては、ぜひそこを狙って欲しいところなのだが……。
エクセリアは鼻歌交じりでダーツを手にし、ベッドに座ったままそれを構える。深紅の瞳を細めて狙うは、もちろん中央。……爺にはああ言ったが、儚さにもまた、趣があるからのぉ。はてさて、どうなることやら……エクセリアはダーツをルーレットに向かって放り投げた。
――ぷす。ダーツは中央に命中した。メイソンの額、そのど真ん中に。
「……大当たりですな」
「爺ーっ! だ、大丈夫かっ! し、ししし、止血をっ!」
エクセリアはティッシュの箱を引っ掴み、慌ててメイソンへと駆け寄る。
――夕方。歩が住んでいるアパート前の道路に、コメット……箒が着陸する。
コメットはミコが作った箒型飛行支援装置で、ステルス機能……周囲の人から認識されなくなる……も備えているという。歩は帰りの道中、凛音からそんな話を聞かされた。帰りは速度も緩やかで、歩は凛音に掴まることなく……箒の柄を掴んでいたので、捕まる心配もなかった。
「今日はその、ありがとうございました!」
深々と頭を下げる凛音を見て、歩は首を横に振った。
「そんな、別に……一度だけという話も守ってくれたし、なし崩しじゃなくてさ」
「いやー、実はそのまま強引にってのもアリかなーって……」
「おい」
「あはは、冗談です。でも、私は――」
「これっきりだ。君には仲間がいる。俺がいなくても、世界を救えるさ」
歩はそう言って振り返ると、部屋に向かった。鍵を外して中に入り、見慣れた光景に安堵の溜息をつく。ついさっきまで、宇宙にいたなんて信じられない。……自分が世界を救っただなんて、信じられるはずもなかった。
……でも。靴を脱いだ歩はタンスの前へと向かい、その上に置かれている写真立てを手に取った。幼い自分と、両親が一緒に写っている写真。
――親父、俺さ、宇宙に行ってきたよ。
歩はそこではっとして、ノートパソコンへと向かった。マウスを動かし、省電力モードを解除。恐る恐る、ブラウザの更新ボタンをクリックする。
表示された数字は0ではなかった。第一話、第二話と、その数字は続いている。
「おっしゃーっ!」
歩は再び写真立てを手に取り、ぐるぐるとその場で回転するのだった。
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