第3話「逆切れは世界を救う?」

 ――ミナヅキ・インダストリーの本社ビルは、高さ三百メートルの超高層ビルである。その高さはネットやテレビでもよく取り上げられるが、実は地下三百メートルのビルでもあることを知るものは少なかった。

 ……ましてや、最下層で世界を救うために戦っている者達がいることなど……。

「ライオン、これで最後だ!」

「凛音です!」

 凛音は口から飴玉を離して抗議すると、再び口に飴玉を突っ込んだ。椅子に浅く腰掛け、前のめりになって、携帯ゲーム機を両手で握り締め、晋太郎から転送されたステージに挑む。敵の数は多いが、いくらソルダがやってきたところで……おっと、被弾。油断大敵。凛音は瞬きもせず、敵の動きを目で追う。素早く指先を動かし……よし、クリア! と同時に、凛音は口から飴玉を抜き取り、叫んだ。

「啓介さん! 後はお願いします!」

「了解!」

 啓介は周囲のモニターに流れるデータを目で追いながら、素早くキーボードを叩いた。凛音のクリア情報を的確に翻訳・変換し、宇宙に展開する無人兵器ゾルダートの軍勢に指示を送る。

「……いけるよな?」

 晋太郎は隣に座る啓介にそう言いながら、戦闘続行も視野に入れ、戦況情報を睨んだ。場合によっては新たなステージをプログラムしないといけないのだが……まぁ、今回は大丈夫だろう。

 凛音はしきりに飴玉を舐めながら、椅子に深く座り直し、背を預けて高い天井を見上げた。すると、首筋に冷たい一撃。全身がぞわっとする。

「ひゃぁぁぁ!」

 凛音が振り返ると、舞が缶を手にして立っていた。肩にクーラーバッグをげて。

「ナイスリアクション! はい、どうぞ」

「あ、ありがとうございます!」

 凛音は舞の手から缶を受け取った。スポーツドリンク。凛音は指の間に飴玉の棒を挟み、プルタブを上げると、口を付けて一気飲みする。ごくごく。

「はぁ……ごちそうさまでした!」

「もう一本いっとく?」

 舞がクーラーバッグを揺すって見せると、凛音は首を横に振った。

「司令、いつも差し入れありがとうございます!」

「いいの。司令官なんて言っても、いざ戦闘が始まったら出番はないんだから」

「そんな、司令は戦闘以外のことは全部、お一人でなさってるじゃないですか? うちとのやり取りも大変だと思いますし……本当、お疲れ様です!」

 ……家、ね。舞は凛音の顔をじっと見詰めた。世界に名だたる軍需会社ミナヅキ・インダストリー。その総裁である、水無月源次みなづきげんじの一人娘を。凛音は目をぱちくり。玉のような汗が、上気した頬を滑り落ちた。

「司令?」

「汗、凄いわよ?」

 慌てて眼鏡を外し、ハンドタオルで顔を拭き始める凛音を横目に、舞は司令室の正面、全面モニターに目を移した。刻々と変わる戦況情報。敵性を示す赤いマークは、残り僅かだった。舞はうんうんと肯く。

「今回も勝利っと……ただ、どうも攻めてくるタイミングが予測できないのよね。一回の戦闘に投入されるソルダの数は増加傾向にあるみたいだけど……」

 ソルダは異星人の無人兵器で、ゾルダートは地球人の無人兵器。名前も似ていればその見た目……黒くて、丸くて、まるで攻撃的なロボット掃除機……もそっくりで、戦闘はそんな両者の数に任せた潰し合いが中心となっていた。

 凛音はハンドタオルを畳み、眼鏡をかけ直すと、全面モニターに目を向けた。

「ソルダなら何とか。こっちもゾルダートは増産、配備されていますし。世界防衛システムがある限り、地球には指一本触れさせませんよ!」

「その通り! ライオン・ハートは無敵だぜ!」

 晋太郎が振り返り、話に割って入った。舞は晋太郎に向かってにやりと笑う。

「リオン・ハート、ね」

「そ、その名前……恥ずかしいから、やっぱ止めません?」 

「僕はぴったりだと思うけどな。凛音ちゃんが主役のシステムなんだし」

 凛音の提案に、啓介が作業を続けながら口を出した。晋太郎と舞も揃って肯く。

「うー……世界防衛システムの方が、かっこいいのに」

 凛音はそう呟くと、すり鉢状の司令室……その底に鎮座するスーパーコンピューターを見下ろした。略して「スパコン」と呼ばれる超高性能コンピューター……その絹ごし豆腐のようなつるんとした立方体の側面には、啓介直筆のイラストが描かれている。ライオンの着ぐるみを着た少女は、凛音がモチーフ。それは凛音もお気に入りで、自分でも名刺に描いてみたのだが……どうしても化け物になってしまう。それを見た舞は一言、「……ぬえ?」と呟いたものだった。

「リオン・ハートで、シュヴァリエもどうにかならないものかしら?」

 舞の言葉に、凛音は首を横に振った。

「バージョンアップの度にミコちゃんからデータを貰って、晋太郎さんにテストステージを作って貰って試してはいるんですが……クリアしたことがないんです」

「数の暴力……ってわけにもいかないわけだ?」

 舞は無数のゾルダートがシュヴァリエに襲いかかる光景を想像する。それは蟻の大群が角砂糖群がるようなもので、ひとたまりも……。

「ダメージを1でも与えられるなら……でも、全くの0じゃ勝ち目がありません」

「なるほどね」

 ……いくら蟻の大群でも、相手がダイヤモンドなら歯が立たないわよね。

「和馬はどう?」

「シミュレーションの結果を見る限り、戦うことはできると思います」

「あら、凄いじゃない」

「ただし、勝率は……厳しいです。0よりはましって感じで」

「実際、動かせるだけでも大したものだわ」

「……パイロットのタレントを持っている人が、もっと沢山いたらいいのに」

 凛音は心の底からそう思った。日本中には……ううん、世界中には大勢の人がいるのだから、パイロットや軍師のタレントを持つ人が一人や二人、いやいや、三人や四人は見つかっても良さそうなものなのに……。

「ミコの基準だと、二人いるだけでも相当ラッキーみたいよ?」

「そうなんですか?」

 目を丸くする凛音に、舞は肩をすくめて見せる。

「あの子の基準は宇宙規模だから。分母が八十億じゃ全然足りないって。たとえるなら、宝くじの一等前後賞を合わせて百回連続で当て続けるぐらいの幸運……つまりは、奇跡ってことよ」

「奇跡……ですか。それなら、それを逃すわけにはいきませんよね!」

 凛音は椅子から立ち上がると、「う~ん!」」と大きく伸びをした。それを見て、舞は腕組みする。

「君のタレントはスカウトじゃないのよ? 専門家に頼むことだって――」

「それって、STWに入るよう誘導する……ってことですよね?」

「そうなるわね。でも、世界を救うために必要なら――」

「分かってます。だけど、それは何だか……」

「私も同じ気持ちよ。だから、行ってらっしゃい」

「……はい、行ってきます!」

 舞は手を振って、司令室を出て行く凛音を見送る。そして、クーラーバッグに手を入れて、戦後処理を進めている晋太郎と啓介の背後にそっと忍び寄り……二人の首筋によく冷えた缶を押し当てた。

「うひょぉぉぉおぅ!」

「ぬぁぁぁぁぁぁあ!」


 ピンポーン。一週間振りに呼び鈴が鳴った。

 ……居留守を使っても無駄だろうな。歩は席を立ち、玄関に向かった。

「亀山さん、お久し振りです!」

 歩が扉を開けると案の定、凛音が立っていた。手にした棒の先には、緑の飴玉。

「一度だけだと――」

「分かってます。でも、貴方の力が必要なんです!」

「才能が、だろう?」

「貴方の才能は、宝くじより貴重なんです! 奇跡なんです!」

「宝……? 君さ、学校は?」

「えっ……」

 凛音はぎくりとして、視線を逸らした。

「どうした?」

「……夏休み! そうだ、夏休みじゃないですか!」

 凛音は歩の鼻先に飴玉を突き付ける。歩は寄り目になって口を開いた。

「ここに来る暇があったら、宿題とか、部活とか、高校生らしい夏休みの過ごし方をした方がいいんじゃないのか?」

「そう言われても……敵がいつ攻めてくるか分からないのに」

 凛音はしゅんとして、飴玉を口に含んだ。

「大変だな」

「世界を救うためですから」と、飴玉を舐めつつ凛音。

「そうか」

「そうかって……」

「だから、夢を諦めろっていうのか?」

 凛音は舌の動きを止め、じっと歩を見上げた。

「世界が滅んだら、夢なんて言ってられませんよ?」

「そうだな」

「だったら……」

「どうして俺がやらないといけない?」

「ですから! それは貴方の才能が……」

 ……これじゃ堂々巡りだ。凛音は首を振って、苦笑いを浮かべる。

「亀山さんは、どうしてそんなに世界が嫌いなんですか?」

「別に、嫌いじゃないさ。嫌いだったら、一度だって救うものか」

「……まぁ、そうですよね」

「でもな、なぜ俺が世界を救い続けないといけない? 世界のために戦い続ける俺に、世界は何をしてくれるんだ? 」

「それは……分かりません」

「だろ? だから──」

「でも、貴方が世界を救ってくれるなら、STWで一緒に戦ってくれるなら、私は貴方のために何でもしますよ! ……それでも、駄目ですか?」

 凛音の真剣な表情を見て、歩は困ったように、頬を指先で掻いた。

「何でもって……リアルでそんなこと言う奴、本当にいるんだな」

「え? ……あっ? あー、あーっ! か、亀山さんっ! なっ、なな、何を考えるんですかっ! そんなの、犯罪ですよっ!」

 凛音は顔を真っ赤にして、両手で自身の肩を抱いた。歩はやれやれと首を振る。

「君こそ何を――」

 メールだよん! メールだよん! ……はっとした凛音はコートに手を入れ、携帯電話を取り出した。メールの文面を、食い入るように見詰める。

 ――シュヴァリエを一機、確認。

「……敵か?」

 凛音は肯くと、歩の顔をじっと見詰めた。歩は溜息をつく。

「そんな顔をしても、駄目だ」

「お願いです、本当に、貴方がいないと、何でも、何でもしますから、だから――」

「泣き落としは、ずるいな」

「えっ……?」

 凛音は頬に手を伸ばした。指先が濡れる。凛音は眼鏡を取り去ると、手の甲でごしごしと頬と目元を拭った。だが、拭っても拭っても涙は溢れ、止まらない。

 ……もう、どうして!

「俺がいないと、世界を救えないのか?」

「……はい」

 凛音は肯いた。涙を諦め、眼鏡をかけ直す。

「本当か? 何か別の方法があるんじゃないのか?」

 凛音の脳裏に、リッター・ランスロットの青い機体がよぎった。だけど……。

「……勝率は、一割に届きません」

「でも、0じゃない。何だ、ちゃんとあるじゃないか?」

 凛音は歩を睨み付けた。歩は薄ら笑いを浮かべている。それを見て、凛音は体の奥底からムカムカしてきた。……世界がピンチなのに、これだけ頼んでいるのにっ! この人は……この人はっ!

「……分かりました。やってやりますよっ! この馬鹿っ! 意気地なしっ!」

 凛音は手にした飴玉を歩に向かって投げ捨てると、振り返って走り出した。郵便受けに立てかけておいたコメットを掴み、立ち止まることなくまたがって、大空へと飛翔する。頬の涙は風に乾き、その瞳はメラメラと燃え上がるのだった。


 扉が左右にぷしゅっと開き、凛音は司令室へと足を踏み入れた。

「ライオン、亀山さんは――」

「凛音ですっ!」

 晋太郎はその剣幕にぎょっとした。まさに百獣の王……という言葉を、両手で押さえ込む。そんな友人の心中を察し、啓介が言葉を継いだ。

「えっと、出撃の準備をしているところなのかな?」

「……あの人は来ません。和馬君っ!」

「は、はいっ!」

 ソファーに座って待機していた和馬が、弾かれたように立ち上がる。凛音は和馬に向かってつかつかと一直線に向かい、その前に立つと、もじもじと指回しをしている和馬の両手を取り、力をこめて、しっかりと握り締めた。

「り、凛音ちゃん?」

「……今回の戦い、和馬君に出撃して欲しいの。厳しい戦いになるし、命の危険もある。だけど、頼れるのはもう君しかいないの! だから――」

「任せてください! 凛音ちゃんのためなら、たとえ火の中水の中です!」

「和馬君……ありがとうっ!」

 凛音は思わず和馬に抱きついた。和馬の顔が真っ赤に染まる。

「うっ……うぉぉぉぉっ! やるぞぉぉぉぉぉっ!」

 雄叫びを上げる和馬。凛音は驚いて身を離した。

 和馬は猛然と走り出し、鼻息荒く、腕をぐるぐる回しながら、司令室を飛び出しいった。凛音はきょとんとして、その背中を見送る。

「……あれ、大丈夫だと思うか?」

「信じるしかないだろうね。若さと……愛の力を」

 晋太郎と啓介は顔を見合わせ、深々と溜息をついた。


 ――戦闘宙域に転送されたリッター・ランスロットは、シュヴァリエと交戦開始。それから十五分。青い騎士と緑の騎士の決闘は、なおも続いていた。


 意識が朦朧もうろうとする中、和馬は操縦桿そうじゅうかんから手を離さずにいることだけで精一杯だった。ヘルメットを通じて送られる凛音の声援も、今や砂嵐のノイズである。

 ランスロットのコックピットは、アーサーのそれとは大きく異なっていた。和馬は専用のスーツとヘルメットを装着し、それ自体がランスロットとケーブルで接続され、同調率を高めている。操縦桿にフットペダル、そしてずらっと並んだ計器類は、考えるだけでは実行できない諸処の動作を、和馬が制御するためのものだ。本来のリッターには必要ないが、和馬には欠かせない設備である。

 リッターは短期決戦用の兵器であり、長時間の運用は想定されていない。通常は五分、長くても十分で、和馬にとって十五分は訓練でも経験のない長丁場だった。

 和馬はシュヴァリエに血走った目を向ける。緑色の機体。それは、以前アーサーと交戦したものと同タイプであることが、情報として伝わっていた。……交戦だって? たった一撃……あれは、とても戦いと呼べるものではなかった。

 どうしてあんなにも自由に……和馬には分からない。自分はこれほど苦労して、必死の思いで動かそうとしているのに。ランスロットの動きは鈍い。さらに言えば、和馬は敵の動きを全く捉えることができていなかった。自動回避システム……これも、本来のリッターにはないもの……がなければ、こうして長時間、逃げ続けることはできなかっただろう。パイロットの人命を第一に考えた機体性能。あとは攻撃するだけ……だが、動かない。やっと動いたと思っても、それは亀のような遅さで……亀だって! あの亀に比べたら……とても敵わない。

 戦闘開始から間もなく二十分。和馬が考えていたのは、凛音のことだった。他に考えないといけないことがあった気もするが、頭の中は凛音でいっぱい。その手の温もり。ぎゅっと包まれた圧迫感。そして何より、抱きつかれた時に感じた、幸福の膨らみ……その弾力と柔らかさ。まさか、あんなにも……ああ、凛音ちゃんって、着痩せするタイプだったんだなぁ――。

「和馬君っ!」

「ご、ごめんなさーいっ!」

 和馬の頭から一瞬、雑念が消え失せる。

 ――ランスロットが動いた。まるで和馬が自身が、そうしているかのように。ランスロットは手にした剣を滑らかに、素早く振るい、シュヴァリエの胴体を横薙ぎにする。爆発。やった――和馬がそう思う間もなく、爆発の衝撃に煽られたランスロットは駒のように回転。和馬の意識は、一瞬で吹き飛ぶのだった。


「……ランスロットの転送を確認。和馬君も無事だそうだよ」

 啓介が画面に流れる情報を読み上げた。安堵の表情。

「ふぅ、冷や冷やさせやがって。いやー、これであいつも一人前だな!」

 晋太郎は椅子に背中を預け、天井を見上げると、凛音に向かって声をかける。

「ライオン、カズのこと、うんと褒めてやってくれよな!」

「……凛音です」

 凛音は先ほどまでランスロットとシュヴァリエの戦いが映し出されていた全面モニターを、じっと見詰めていた。勝利は嬉しいし、和馬君も凄いと思う。ランスロットが獲得した戦闘データも、今後の戦いで大いに役立つだろう。だけど……。

「……勝っちゃった」

 それが、凛音の率直な気持ちだった。


 ――0時。歩は新たな一日の始まりを見届けると、欠伸と共にノートパソコンの電源を落とした。椅子から立ち上がり、大きく伸びをすると、ゴミ箱に目をやる。

 ……ティッシュにくるまれ、捨てられているのは……緑の飴。歩は首を振ってベッドの布団に潜り込み、暗い天井を見上げて溜息をついた。

 ──何だ、世界はちゃんと回っているじゃないか。別に、この俺がいなくても。

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