カタセカ ~この世界を救うのは、片手間ぐらいで丁度いい~

埴輪

第1話「さぁ、世界を救いましょう!」

 ――無限に広がる大宇宙。

 そこであゆむがまず思ったのは、父親の夢が宇宙飛行士だったということ。それは歩自身にも意外なことだったのだが……そもそも、自分が宇宙にいること自体が、最大級の意外ではあった。何しろ、海外旅行にすら行ったこともない歩である。

 歩は今、「人型ロボット」の「操縦席」に座っていた。着古して色褪せた、ジャージ姿のままで。何しろ、こんなことになるとは思っていなかった歩である。

 正面のモニターには、「敵」が映し出されている。まるで中世ヨーロッパ、甲冑プレートアーマーを身にをつけた騎士を思わせるその姿……それは、自分が乗っているこの人型ロボットにしても同じだった。

 大きな違いは装甲の色。敵は緑で、こちらは白。「リッター・アーサー」とかいう名前。敵の名前は知らない。名前があるのかどうかすらも、分からない。

「……どうしてこうなった?」

 歩は腕を組み、目を閉じる。すると、お馴染みの世界が広がった。

 宇宙にいようが、地球にいようが、その光景は変わることがない。まぶたの裏側にある世界……それこそ、歩が生きている世界そのものであった。

 そう、俺が「あの子」と出会ったのは、つい数時間前――。


 ──蝉の声が五月蠅うるさく、冷房の涼しさが夏らしい、八月の午後。

 歩はいつも通り、ノートパソコンの前に座って腕を組み、目を閉じていた。

 ……といっても、寝ているわけではない。はたから見ると寝ているようにしか見えず、実際に寝てしまうこともあるが、その頭の中では今、まるで嵐のように、言葉という言葉が飛び交っている真っ最中……そう、そのはずであった。

 中肉中背。髪を短くしているのは、散髪の回数を減らすため。三ヶ月もすれば髪髪は伸び放題で、執筆にも支障を来すが、それから一ヶ月ほど我慢して、いよいよ限界だという段階になったところで、近所の散髪屋へ……その繰り返しである。

 髭は極めて薄く、そのつるんとした顔立ちだけなら、二十代前半でも通じるだろうが……全身から漂う気怠けだるげな雰囲気は、若者のそれではなかった。

 やがて目を開けた歩が、物憂げな表情でマウスを動かし確認したのは、とある小説投稿サイトのマイページだった。公開している作品群の中から、適当に一つを選んでクリックし、PV……アクセス数を確認。

 ――表示された数字は0。つまり、誰からも読まれていないということである。うっかり間違えて……ということもある中で、0というのも凄いなと歩は思う。もちろん、このままでいいと思っているわけではないのだが──。

 ピンポーン。呼び鈴が鳴った。

 歩は当然のように居留守を決め込みながらも、珍しいなと思った。近頃は新聞の売り込みも、宗教の勧誘も、水質検査も、誰一人、来なくなったというのに。

 ピンポーン。二度目の呼び鈴。

 それが三度、四度と続き、歩は席を立った。ワンルームの部屋を数歩で渡り切り、玄関へ。鍵を外し、扉を開く。すると、そこには水色のセーラー服で身を包んだ少女が、ボタンに指を当てていた。ピンポーン。五度目の呼び鈴。

 ──鮮やかな赤いスカーフよりも歩の目を惹いたのは、少女が羽織はおっている漆黒のコートだった。この季節には、さぞ暑いことだろう。事実、少女の額には大粒の汗が浮かんでいた。肩に提げた大きなショルダーバッグも重たそうである。その顔立ちは……赤縁の眼鏡の奥に覗く、つぶらな瞳。きりっとした眉毛。すっとした鼻筋。白い棒を咥えている桃色の唇……歩がはっとするほど、可愛い。

 少女は棒を指先でつまむと、口の中から引っ張り出した。棒の先には、夏の日差しでキラリと光る、宝石のような黄色い飴玉。少女は歩の顔を見上げた。ポニーテールにまとめられた黒髪が、小さく揺れる。

「亀山歩さん、ですか? 三十四歳、独身、無職の?」

 涼風のような声音。歩が思わずうなずくと、少女は白い歯を見せて笑った。

「さぁ、世界を救いましょう!」

 ──ばたん。歩は扉を閉め、鍵をかけた。椅子に戻ろうとすると、六度目の呼び鈴が鳴った。歩は溜息ためいきをついて引き返し、鍵を外して、扉を開ける。

「何で閉めるんですか!」

 少女は歩の鼻先に飴玉を突き付ける。歩は寄り目になって口を開いた。

「君は、一体……?」

「あ、申し遅れました! 私はSTWえすてぃだぶりゅー水無月凛音みなづきりおんです!」

 凛音は飴玉を咥え直すと、コートのポケットから名刺を取り出し、歩に差し出した。歩は「Save The World」と大きく書かれたそれに目を通す。セーブ・ザ・ワールド……新手の宗教団体だろうか? 名刺に添えられたイラスト……これが信仰の対象なのだろうか……は、禍々まがまがしい妖気をただよわせている。

「あの、お金はないですけど?」

「お金に用はありません。必要なのは貴方です!」と、飴玉を口から離して凛音。

「俺?」

「そうです! この世界を救えるのは、貴方だけなんです!」

「俺が、世界を救う?」

「……詳しい話は追々。とにかく、時間がありません! こうしている間にも、敵は……だから、私と一緒に――」

「断る。俺は忙しいんだ」

 ──ばたん。歩は扉を閉め、鍵をかけた。久し振りに、チェーンも使う。

 部屋へ戻って椅子に座り、ノートパソコンと向き合う。……全く、何だというのだ。コンテストへ応募する新作を書かなければならない、この大事な――。

「それが理由ですか?」 

 歩がビクッとして振り返ると、凛音が立っていた。ど、どうやって? ……歩が驚きを口にするよりも早く、凛音は口元を両手で覆いながら「換気! 換気!」と連呼。台所で換気扇を回したり、ベランダの引き戸を全開にしたりと、土足で部屋を駆け回る。やがて凛音は部屋を見回しながら飴玉を噛み砕き、見つけたゴミ箱に向かって棒を投げ捨てると、歩の前で立ち止まった。

「……単刀直入に言います。この世界は異星人に狙われています。今も地球には異星人の無人兵器が迫っていて……と、それは私達が倒しますが、とうとう恐れていた事態……主力兵器の投入が確認されました。それも無人兵器に変わりはありませんが、私達のゾルダート……無人兵器では、太刀打ちできません。それを倒せるのは人型有人兵器リッターだけ。パイロットの訓練を受けている和馬かずま君はまだ、実戦ができる状態じゃありません。今、リッターを動かせるのは世界中でただ一人……亀山さん、貴方だけです。だから、リッターに搭乗して、敵の主力兵器シュヴァリエを倒してください! それしか、世界を救うすべはありません!」

 凛音の真剣な眼差しに、歩はぽかんとした表情で応じる。

「俺が……パイロットだって? そんな、何の訓練もしてないぞ?」

「その点は大丈夫です! 貴方には、パイロットのタレントがありますから!」

「タレント……ああ、ライブラか」

 歩はうめいた。――「ライブラ」。人間の持って生まれた才能……「タレント」を調べるスマートフォン用アプリ。二十年前の公開当初は良く当たる占い程度の扱いで、それは今も変わっていないなのだが……就学・就職はもとより、スポーツ、芸能、政治……等々、あらゆる分野でタレントの有無がと、である。今や人生、タレント次第だ。もちろん、出版業界だって――。

「断るっ!」

 歩は大声を上げたが、凛音は怯むことなくそれを受け止める。

「……信じて頂けないんですか?」

「信じる、信じないは関係ない。俺は世界を救わない」

 凛音は目を丸くする。心底、驚いたというように。

「ど……どうしてですか? その、それだと、あの、死んじゃいますよ?」

「死ぬのは俺だけじゃない。世界の寿命が尽きるなら、それは仕方がないさ」

「な、何でそんな――」

「俺には世界なんて得体の知れないものより確かで、大切にしたいものがある」

「……世界より、大切なもの?」

「夢だ」

「……ゆめ?」

「小説家になる。それが、俺の――」

 ぴろりろりん。ぴろりろりん。心をざわつかせる旋律が、歩の言葉を遮った。凛音はショルダーバッグに手を入れ、懐かしいデザインの携帯ゲーム機を取り出すと、その場に座り込み、画面を睨みながら、高速で両手の親指を動かし、方向キーとボタンを叩いていく。アクションゲームだろうか? それとも、シューティング? そんな凛音の姿を見て、歩は毒気が抜かれたように溜息をついた。

 ……一体、どういうつもりなのだろう? 世界を救うだとか、そんな話をしていたかと思ったら、今度は熱心にゲームで遊び始めるなんて。

 歩は凛音から目を離し、振り返ってノートパソコンに向かう。マウスを軽く動かすと、省電力モードが解除され、画面は明るさを取り戻した。歩は操作を続ける。

 ……世界、か。いつかは滅ぶだろうと思っていたけれど、まさか異星人に滅ぼされることになるとは。だが、これぐらいの理不尽が、丁度いいのかもしれない。

 ――そうだ。こんな世界、滅んでしまった方がいい。どうせ……歩はブラウザの更新ボタンをクリックした。すると、そこには……。

 凛音は携帯ゲーム機から顔を上げると、息を吐いて眼鏡を外した。流れる汗をコートの袖で拭い、眼鏡をかけ直して立ち上がると、歩に向かって口を開いた。

「亀山さん、考えて直しては――」

「一度だけ」

「え?」

 歩は振り返ると、凛音に肯いて見せた。

「……一度だけなら、行ってもいい。まぁ、どうせ俺が行ったところで――」

「あ、ありがとうございます! でも、どうして……?」

「……別に。少しだけ、世界もまだ捨てたもんじゃないと思っただけさ」

 凛音は小首を傾げたが、はっとして首を振った。

「こうしちゃいられないっ! 急ぎましょう!」

 凛音はベランダの戸締まりをし、歩の背中を押して玄関へと追いやる。歩は靴を履き、チェーンと鍵を外し、扉を開けて外へ。凛音もそれに続く。歩は扉を閉めて鍵をかけ、ちゃんと鍵がかかっているかを確認。そして振り返ると、アパート前の道路で、大きなほうきにまたがっている凛音の姿が目に入り、唖然とする。

「……何を遊んでるんだ?」

「さぁ、亀山さんも後ろに乗ってください!」

「俺も?」

「急いでくださいっ! 世界が危ないんですよ?」

 俺は君の方が危ない気がする……という言葉を飲み込み、歩は箒にまたがった。

「しっかり私に掴まってくださいね!」

「……君、何歳だ?」

「え、十七ですけど?」

 ……高校生か。それなら……いや、それでもまだ未成年である。しっかりまったら、しっかりまってしまうのではないだろうか?

「早くっ!」

 ……ええい、ままよ! 歩は凛音の腰に手を回した。うわ、細……!

「では、行きますよ! コメット、リフトオフ!」

 ――突然の浮遊感。箒が空へと舞い上がる。

「な、なななっ!」

 歩は凛音を力一杯抱き締める。凛音は少し身をよじっただけで、顔色一つ変えずに肯くと、箒の柄を握る手に力を込めた。

 ――加速。箒はぐんぐんと速度を上げていく。風の音がごうごうと、歩の耳に響く。歩は固く閉じていた瞳を、恐る恐る開いた。眼下に広がる町並み。ビル、家、木々、車、人……高度はそれほどでもなく、地上からの目視も容易だろうが、空を見上げて指をさす人は、誰もいなかった。

 歩は凛音の背中から頬を離すと、首を横に曲げ、進行方向をうかがった。すると、前方に巨大なビルがそびえ立っているのが見えて、歩は慌てて顔を引っ込める。

「お、おいっ! ぶつかるぞ?」

「大丈夫です! ミコちゃんが捕まえてくれますから!」

 箒はビルに向かって一直線。歩は目を閉じた……が、いくら待っても予想された衝撃はなく、代わりに重力が戻ってきた。靴底を通じて感じる、地面の確かな感触。

 歩が目を開くと……そこは、広々とした空間だった。歩は周囲を見渡し、体育館を連想したが、ふと見上げた先には暗闇が続くばかりで、天井が見えない。

「亀山さん、着きましたよ!」

 凛音の声に、歩は顔を下ろして息をついた。そして、凛音に抱きついたままだと気付いて手を離し、慌てて箒から離れる。凛音は箒を片手に、歩を振り返った。

「私は司令室に行きます。後はミコちゃんの指示に従ってください。ミコちゃん!」

「りょーかい!」

 凛音の呼びかけに応じたのは、褐色の肌が印象的な、幼い女の子だった。裾を引きずるほど大きな白衣を身にまとい、金髪の頂きには……黒い猫耳が覗いている。

 凛音は「あっ、そうだ!」と女の子に向かって親指を立てて見せる。

「カベヌケール、役に立ったよ! ……それじゃ、亀山さん、ファイトです!」

 箒を振りながら走り去っていく凛音と入れ替わるように、ミコと呼ばれた女の子がとことこと近寄り、歩を見上げてにこっと笑った。

 ――透き通るような碧眼。歩もぎこちなく笑みを返す。

「じゃあ、ちゃっちゃと行くよ! カメちゃん、あれに乗るのだ!」

 ミコが指し示す先に、巨大な騎士が立っていた。白を基調としたボディに施された、金色の装飾が美しい。白騎士……歩は思わずそんな言葉を連想した。ブレストアーマー……胸元は、大きく上に開いている。

「リッター・アーサー。STWの秘密兵器だよ! カズマちゃんのランスロットと違って、地球人用の調製はほとんどしてないけど、カメちゃんなら大丈夫!」

 ――秘密兵器。見た目は確かに格好良くて強そうだが、その大きさは……巨大といっても、せいぜい十メートルほどである。武器らしい武器も腰に帯びた剣ぐらいで、世界を救うという大役を担うには、何だか頼りない気も――。

 ひょい。歩の体が宙に浮いた。歩が思わず首を捻って下に向けると、緑色の髪をしたワンピース姿の少女が、歩の腰骨辺りを両手でがっしりと掴み、頭上へ高々と持ち上げている光景が目に入った。……えっ? どういうこと?

「リブラ、カメちゃんをよろしく!」

 歩はくるりと後ろに反転。次いで、再びの浮遊感――歩は椅子に腰掛けたような格好のまま、放物線を描いて宙を舞う。そして、歩がアーサーの大きく開いた胸元……操縦席のシートにすっぽり収まると、待ってましたと言わんばかりに、胸元は高速で閉ざされた。ガシャンッ! ……完全なる闇の中で、聞こえるのは自身の荒い呼吸と、早鐘のような心臓の鼓動ばかりだ。はぁ、はぁ、ドッ、ドッ、ドッ。

「じゃ、戦闘宙域に転送するよん! カメちゃん、頑張ってね!」

 ……スピーカーだろうか? ミコの声に向かって、歩は反射的に声を上げる。

「あの、転送って? それに、これ……その、どうやって操縦─―」

「考えれば勝手に動くよ!」

 もっと詳しく……と尋ねる前に、歩は全身がばらばらなったような、そしてまた一つにつながったような、奇妙な感覚を味わった。周囲は依然として暗かったが、明かりもあった。それも、一つや二つではない。無数の光。正面のモニターに映し出されているのは星空……いや、……つまり、宇宙だった。


「亀山さんっ!」

 ――凛音の切迫した声に、歩は目を開いた。すると、敵……緑色の騎士がこちらに向かっているのが見て取れた。その手には剣を構えている。

 ――受け流さないと。歩がそう思った瞬間、体が……アーサーの体が動いた。腰に帯びた剣に手を伸ばし、抜き放つと同時に敵の剣を受け流し、体勢を崩した敵の胸元に向かって剣先を突き出す。剣は何の抵抗もなく装甲を貫いた。爆発。その衝撃でアーサーはあおられたが、歩が止まれと念じるだけで、姿勢制御が働く。

 アーサーが剣を鞘に戻すと、歩は首を振った。……ふぅ、危ない危ない。

「……凄い」

 凛音の呟きに、歩は首を傾げる。

「何が――」

「亀山さん、凄いですよっ! あのシュヴァリエを、一瞬で倒しちゃうなんてっ! まさか、こんなに強いなんて……!」

 倒すって……あれで、良かったのか? あんな、ことで?

 腑に落ちない歩。だが、どこからともなく聞こえてくる凛音の声は明るく、自分の勝利を称え、賞賛している……ということは、今ので良かった……のだろう。歩は大きな溜息をつくと、シートに背中を預けた。

 ――どうやら、俺は世界を救ったらしい。多分、きっと。

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