第八章 ノルウェー調査隊の救出

第八章  ノルウェー調査隊の捜索



  ― 捜索中の「ポセイドン」 ―


 「ポセイドン」はフローティングレーダーを海面に出して、ノルウェー調査隊から出されている救難信号をキャッチしながら、その発信先の所在地のエリアを狭めていった。


 私(島中佐)は、信号の発信先をモニターしているディスプレイをずっと見ていて、この海域でフローティングレーダーが使えて良かったと実感していた。これが使えなかったら、ほとんど手探り状態で捜索しなければならないところだった。


数十年前の北極海では氷塊で埋め尽くされていて、フローティングレーダーは使えなかったが、それがほとんどなくなった今の時代では、普通の海域と同様にポセイドンの機能が発揮できる。単純に考えれば、作戦行動の制約がなくなって喜ばしいことなのだが、本当にこれで良いのだろうかと思う。人間にもいろいろな人種、進行、考え方があって多様性が存在するに、地球の表面積の七割を占める海から多様性が失われていくことは、どう考えても自然ではない。


 だが、そんな事を人類全員がどれだけ唱えても北極海の氷塊は戻ってこない。氷塊を海水に戻し、海面上昇を招いた張本人は人類なのだ。殺人犯が罪を犯した後に、その行為を償い、謝罪しても失われた命は戻ってこないのと同じ」。いったんスイッチを押された溶解は砂時計の砂のように止めることができない。

「さっき聞こえたのは間違いだった。もう一度やり直そう」と言えるのは人間同士の間だけで成立しうる言い訳だ。自然対人間、テクノロジー対人間の世界では、そんなあまい言い訳は絶対に通用しない。

 また、「スイッチを押したのは祖先であって、我々ではない。彼らが犯した過ちだ。だから、我々には罪はない」などといくら叫んでみても何の意味もない。

 “人類”という包括的なくくりで言えば、世代の違いなど全く意味をなさない。祖先の功罪は自然界の前ではすべて子孫に受け継がれるのだ。好むと好まざるとにかかわらず。


 通信班でソナー担当のキャサリン・ヒックス少尉は、ノルウェー調査隊から発信されている救難信号を逃すことなく、その発信源のエリアを絞っていった。そして、ある座標にたどり着くと、その座標点を航海長のドレイク少佐に報告した。


「艦長、転進要請です。今、モニターに示した座標へ転進願います。距離は現地点から約六キロメートル。今のポセイドンの速度ならば十二分で到着します」とドレイク少佐は言った。


「わかった。航海長、転進してその座標に向かえ」


「了解しました。面舵十度」とドレイク少佐は障害物がないか確認しながら、慎重にゆっくりとポセイドンを転進させた。


「カスター少佐、救難者の収容準備はできているのか」とティエール艦長は、保安部長であるカスター少佐に確認した。


「はい、既に救援隊のメンバーはいつでも出発できるように待機しています。浮上地点によっては氷原が広いかもしれませんので、その場合に備えて水陸両用の『メイフラワー号』の発進準備もできています」


「そうか、準備がいいな。出発したら外は吹雪だ。ほとんど視界は利かないだろう。そうなれば、臨機応変で対応してくれ。頼んだぞ。少佐」と艦長は少し頬笑みを浮かべながらカスター少佐に話しかけ、彼への信頼感を伝えたかった。しかし、内心はこれまでの任務では経験したことのない状況下で、救援活動をしなければならない難しさを十分理解していた。実のところ、艦長も不安なのである。そんな艦長の心情を見透かすようにカスター少佐も微笑んで艦長に答えた。


「お任せ下さい。全員を救出します」と頼もしげなカスター少佐の答えが返ってきた。


発信ポイントをロックして、ポセイドンは確実に救難信号の発信ポイントへ接近していった。海流が急に変わっても自動航行システムによって自動的に進行方向へ転身し、発信ポイントとの距離を縮めていった。


「少尉、ソナー反応に異常はないか?」


航海長のドレイク少佐は、ソナーを担当し、ポセイドンの周囲に障害物がないか確認しているヒックス少尉に尋ねた。


「ソナーに異常反応は見受けられません。海上及び海中の船舶の反応もありません。氷塊と推定される反応があるだけです。救難信号の発信ポイントの周囲二km以上は氷で覆われています。あと五分で海面が氷に覆われている地域に入りますので、できりだけ発信ポイントに近づいて海面の氷を突き破って浮上するか。もしくは、氷の手前で浮上し、水陸両用艇のメイフラワー号を発進させますか?」


 ヒックス少尉は航海長のドレイク少佐と、今の会話を聞いていたティエール艦長に柔らかく決断を促したのだった。


「救難信号の発信ポイントの氷の厚さはどれくらいだ?」


「場所によって氷の厚さにはバラツキがありますが、おおむね二mから三mと思われます」とヒックス少尉は艦長からの質問に答えた。


「ドレイク少佐。どうだろう。ポセイドンの浮力で氷を突き破ることはできるか?」


「ポセイドンの浮力とチタン外郭をもってすれば、確実に氷を破壊して浮上可能と計算結果が出ています。多少、外郭には損傷があるかと思いますが」


「・・・わかった。フローティングレーダーからの観測情報によると海面はかなりふぶいているようだ。できるだけ救難信号のポイントまで近づいて、海上の氷を割って浮上する。よって、発信元に正確にポセイドンを誘導してくれ。航海長、ヒックス少尉。腕の見せ所だぞ」


 ティエール艦長は二人を初めとするクルーの技量を信頼しているとでも言いたげに微笑んで、ブリッジの中のクルーを見渡した。


 艦長のこの判断は、私(島中佐)からすれば、かなりリスクのある選択にも受け取れた。仮に、海面の氷の厚さがこちら把握していたより厚く、浮上時にポセイドンのブリッジ上部の外郭に大きな損傷を発生させる可能性がある。北極は南極と違って大陸がなく、氷塊そのものが大陸のように二十世紀まではなっていた。しかし、島の時代では“氷の大陸”ではなく、“氷塊の浮かぶ海域”と言ったほうが実態により近い表現といえる。ティエール艦長はその辺も考慮して、リスクを認識しながらもあえて救難信号の発信ポイントにできるだけ近づくことによって、吹雪の中での救出活動をより確実にするためにあまり遠くない場所での浮上作戦を選択したのだろう。


 ポセイドンは航海長のドレイク少佐の指示のもと、確実に救難信号の発信ポイントに近づいている。ソナーで海上の氷の厚さが薄い場所を探索しているのはキャサリン・ヒックス少尉である。氷塊のない場所が見つかればいいが、氷の厚さがどこも大した差がない場合、どこまで浮上ポイントに近づいて誘導すればいいのか、その判断はソナー担当の彼女の判断にかかっている。

 航海長のドレイク少佐は完全に彼女を信頼している。その証拠に、振り返って彼女の様子を見るわけでもなく、ただ、彼女からの浮上地点の座標の報告を待っているようだった。


 フローティングレーダーは、氷塊が少ない海域では機能していたが、次第に氷塊の多い海域を進むにつれて、氷塊にぶつかり、その衝撃のせいで救難信号の受信が途絶えがちになってきた。ドレイク少佐は艦長に進言した。


「艦長。フローティングレーダーが氷塊にぶつかる頻度が多くなってきました。救難者のいる場所に近づいている証拠ですが、いつまでフローティングレーダーがもつかわかりません。フローティングレーダーの収納をお願いします。現時点での救難信号の発信場所の座標は大まかではありますが抑えています」


「わかった。フローティングレーダーは一基だけだからな。壊れてしまっては元も子もない。慎重に収納してくれ」


「了解しました。ただちに収容します」


 ドレイク少佐は収納操作を行い、収納したフローティングレーダーを点検し、損傷個所がないか確認するよう保安部のクルーに指示した。

 この収納によって、ポセイドンは盲目状態になった。これからは、救難信号の場所の座標に近づき、ソナー担当のヒックス少尉の判断で氷の薄い地点で氷を破って浮上するしかないのだ。

 いよいよヒックス少尉の判断がポセイドンの浮上位置を決めることになる。彼女は緊張感で身体の血が引いていくような感覚に陥ったが、気を取り直して「私がやらなくて誰がするのよ」と自分を奮い立たせて、ソナーの反応により集中した。



 ― ノルウェー海軍の新型潜水艦「フレイヤ」 ―


 思いもかけない「ポセイドン」からの魚雷攻撃を受け、機能停止状態に陥った「フレイヤ」であったが、乗組員の懸命の作業のかいがあって、応急処置がなされ、通常運転が可能となっていた。そして、「ポセイドン」を追いかけるように、ノルウェー調査隊の遭難現場に向かうべく、出しうる最大速力で北極海を航行していた。


「艦長。次第に海面上の氷塊の数が増えてきました。そろそろ上陸したほうがいいかと思います。これ以上進むと確実に氷塊の数と大きさが増してきますから、本艦が浮上した際に、艦の外郭に損傷を受ける可能性が高まります」と航海長が艦長に報告した。


「遭難者との距離はどのくらいだ?」


「約十㎞です」と航海長が計器を見ながら答えた。


「十㎞か。・・・ジェットボートで何㎞まで近づけるかな。その後は徒歩で遭難者の所まで行かなければならない。天候が安定していればさほど問題ない距離だが、吹雪に巻き込まれると二次遭難になりかねないな」と艦長は独り言を言うようにつぶやいた。


 しばらくの沈黙が司令塔の中に流れた。


 それを破るように航海長は言った。


「艦長、今後の天候はますます不安定になるとの予報が出ています。今なら、ジェットボートを出して救難者を救出させることが取るべき方策ではないかと思います」


「そうだな。天候はいつ急変するかわからない。・・よし、エンジン停止。ジェットボートの出動準備はできているか?」と艦長は航海長に尋ねた。


「はい、整備はできていますので、いつでも出せます」


「よし、これより本艦は浮上する。すぐにジェットボートで遭難者の場所に近づける場所まで行って、後は徒歩で遭難者の場所を探し出し、救出しなければならない。できるか?」


「できるも何も。UFF(国際連邦艦隊)のポセイドンが救出に向かっています。彼らを出し抜かねばならなのです。答えは一つしかないでしょう」と副長は艦長にきっぱりとした口調で答えた。


「フレイヤ」は浮上を開始し、ゆっくりと海面を目指していった。


 彼らのジェットボートは有効に機能するだろうが、ジェットボートが進めなくなった後は、徒歩で遭難者のいる所まで果たして無事にたどり着けるだろうか。たどり着けたとして、遭難者を救出して再びジェットボートまで戻ることができるだろうか。


 ポセイドンもノルウェー海軍と同じような悩みを抱えている。ただし、一方は、任務への責任感で。もう一方は名誉と面子を重んじた緊張感の中で救出作戦を遂行しようとしている。立場、置かれた境遇は違うものの、遭難者を救い出そうとする意思には変わりはない。

 両者を区分できる概念は何か。それは積極的な責任感と、受動的な緊張感に集約さるだろう。


 その両者を比較したところで、遭難者を救出するという共通事項が存在することには変わりがない。概念上、共通項が存在するとなれば、最後に両者を区分するものは何になるのであろうか? 共通事項に向かっていく過程における人間の判断、技術、道具の差が両者を非常にも分けることになる。ある意味ではスポーツと同じだ。ただ、スポーツと異なるのは、たとえ勝者となったとしても、裏舞台での活動なので、メダル、表彰状、名誉、世間からの賞賛は彼らに与えられない。


 しかし、両者はそれらを得るために活動しているわけではない。個々のレベルでは違いがあるだろうが、共通しているのは“信念”である。彼らの“信念”が実行に移される時、おそらく両者の間に衝突が発生するだろう。予測ができるのはここまでだ。その先は誰にもわからない。



 ― グリーンランド沖のノルウェー調査隊 ―


 ノルウェー調査隊の六名の派遣班は依然として悪天候のため動きが取れなかった。


「誰かこの救難信号を受信してくれているかな」と調査隊員が不安そうに言った。それに対し、隊長はすぐに反応し間髪入れずに言った。


「必ず誰かが聞いている。言語は国によって違えども、救難信号は万国共通だ。通信機のトラブルはないから必ずどこかの受信機に引っかかるはずだ。それを期待するしかない」


 こうした極寒の地において悲観主義は禁物である。一人の何気ない一言で、チーム全体に張りつめていた糸が切れてしまうかもしれない。個々の人間が糸の切れた凧のようにバラバラになり、利己的な行動に走りかねないことを隊長はよく知っているからだ。

 キャンプファイヤーの時のように、明るく、歌や手拍子をするまでにはいかないが、無駄な動きをせず、寡黙を貫き通すことが、ここで生き延びるコツである。それを彼らはよく理解していて、誰一人としてその場の空気を乱す者はいなかった。ただ、デジタル電波時計だけが正確に時を刻んでいくだけだった。それが砂時計でなかったことがせめてもの救いだ。デジタル電波時計も砂時計も時を知らせる点では同じだが、ひっくり返さない限りは、砂時計には必ず終わりが訪れるという点で、大きな違いがある。

 彼らは冷酷なデジタル電波時計の虜になった。何かをしゃべることもなく、何かを聞くこともなく、蝋人形になったように同じ場所で同じポーズでかろうじて命の灯だけは消えないようにひたすら我慢しているのだった。



 ― ノルウェー海軍の潜水艦「フレイヤ」 ―


「フレイヤ」は予定通りに海面に浮上した。海面にはあちらこちらに氷塊が浮かんでいたが、「フレイヤ」の艦体には傷一つ付けることなく、その浮力で押し上げられ、海上に拡散していった。天候は曇り空であったが、風速は毎秒五m程度で、今のところは天候に不安材料はなかった。


「フレイヤ」のハッチが開けられると、一気に冷気がブリッジに入ってきた。しかし、普段からよく訓練された海兵は規則正しく、すばやくブリッジから甲板に出て、船外機付きのゴムボートの離艦準備作業を、無駄な動きなく、一人一人の役割分担に従ってメカニカルなほどに効率的に進めていった。

上陸班の責任将校は、離艦作業が終わったことを確認してから、上陸班の海兵を整列させ、彼らに向かって大きな声でゆっくりと呼びかけた。


「我が同胞の遭難者の場所はここから約十㎞先だ。長い移動距離になる。天候はいまのところ安定しているようだが、これから先はどう変化するかわからない。しかし、救難者を救出することが我々の使命だ。一刻も早く彼らの極寒のテントから救出するのだ。海軍本部からの情報によると、UFF(国際連邦艦隊)の潜水艦も彼らの救出に向かっているそうだ。UFFに負けるわけにはいかない。ノルウェー人はノルウェー人によって救出されるべきだ。よって、時間の勝負になる。彼らのテントまで強行軍になるが、同胞が生死の境を彷徨っているのをこちらの世界に引き戻すのは、我々ノルウェー海軍でしかない。決してUFFに先んじられてはいけない」と大尉は上陸班のメンバーを前にして訓示した。


 上陸班のメンバーは、大尉のいつもより厳しい口調を感じ取って、ナーバスになったが、同胞を救出するという義務感も同時に生じ、彼らの士気は高まったのだった。


 上陸班を乗せたジェットボートが離艦し、一定の距離に遠ざかったことを確認して「フレイヤ」の副長は言った。


「全員、潜航体制。早くしろ」


 搭乗員はすぐさま各自の役割に従って、持ち場に散っていった。最後の搭乗員がハッチの中に消えた数秒後には、潜水艦はゆっくりと前進し、北極海に向かって進んでいった。潜水艦の動きは見た目には規律正しく、無駄のない動きであったが、一方のゴムボートに乗った上陸班は、極寒の氷原を片道十㎞にも及ぶ行軍に耐えられるのであろうか。上陸班に選ばれたメンバーは雪中行軍の経験がある者から選抜されたわけではなく、単純にシフトについていた保安部員から年齢の若い者を選んだのだった。


 上陸班が望むように無事に救援隊を救出できればいいのだが、同じ使命を帯びたUFFポセイドンの存在はどう位置づけられるのだろうか。二頭政治が陥りやすい相反命令に似た状況になりかねない。


 ノルウェーの潜水艦「フレイヤ」は潜水地点で次第にその艦体を海中に沈め、溶け込むようにその影は北極海に消えていった。ゴムボートの上陸班を収容する地点に向かったのだ。海面は潜航によって波が激しくぶつかり合い、白色の泡が踊るように上下左右していたが、時の経過とともに次第に本来の穏やかさを取り戻し、何事もなかったように北極海の凍りつきそうな波をたてていた。海中には「フレイヤ」が潜航しているのだが、海面を見ているだけでは、まったくそんな事はわからない普通の海原が広がっていた。



 ― 同時刻の「ポセイドン」 ―


 UFF(国際連邦艦隊)ポセイドンは、ノルウェー海軍の潜水艦「フレイヤ」が遭難したノルウェー調査隊の救出に向かっていることなどまったく知らなかった。そもそもノルウェー海軍だけの判断で救助に向かったわけだから、UFF(国際連邦艦隊)にもその情報は伝わることはないわけである。


 ポセイドンは「フレイヤ」とは違って、できるだけノルウェー調査隊の近くまで本艦で近づき、浮上して本艦から救援隊を送り出す計画を選択した。よって、氷原の深部まで入り込むことになるので、慎重に潜航していた。


 航海中のポセイドンのドレイク少佐は、北極海を含めて世界中の海中を航行した経験はあるが、これほど北極海の深部にまで入り込んだ経験はない。北極海の深部はまだ海図データがそろっているわけではないので、いつものようにコンピューターに頼りっきりにしてはいられない。もちろん、艦内から外部の状況が見えるわけでもなく、まさに限られたデータと経験と勘で操舵しなければならないのだ。ドレイク少佐の表情はとても厳しく、緊張しているのが見て取れ、声をかけにくい雰囲気であった。


 北極海のある地点にポセイドンは近づいていた。ソナー担当のヒックス少尉はさっきから神経質そうな表情でソナー音を聞き取っていた。


「航海長、ポセイドンと海底との距離はどれくらいだ?」


「今はまだに二百mぐらいです。ソナー反応から割り出したデータをそちらに随時送ります」


「う―ん。確かに、この先は次第に水深が浅くなっているようだな」


「どうした。少佐。ここから先は進めないのか?」


「はい、この先は水深が次第に浅くなっているようです」


「事前にわからなかったのか」


「はい、このあたりの詳細な海図データは未調査のためか、コンピューターのデータバンクにありません。詳細版の海図データがある地域は限られていますので、どのコースを取っても、海図データのないところだらけです。そのため、ノルウェー調査隊の位置に最短距離のコースを選択しました。・・・転進しても調査隊に近づける確率はあまり変わらないと思われます」


「そうか、わかった。では、このままのコースを進もう。・・上には氷原。下には海底。まるでサンドイッチ状態だな。ヒックス少尉、ソナーでポセイドンの上部の氷塊の突出部と下部の海底の突出物の間の距離を計測してくれ。モニターしたデータはオンタイムで航海長に送るように」


「了解しました」とヒックス少尉は艦長に答えた。


「速度を五分の一まで落とします」と航海長のドレイク少佐は艦長に告げた。


「よし。ゆっくりと慎重に進もう」とティエール艦長は言った。


ヒックス少尉は少しの気の揺みも許されなかった。ソナーの反応をモニターして突出物との接触を避けなければならなかった。


「航海長、海底との距離が五十mまで迫ってきました」


「わかった。このまま海底との距離を五十mに保っていこう。ヒックス少尉、特に上部の氷塊の突出物に注意してくれ」


「了解しました」


 海底との距離を一定に保てば、氷原の下部からの突出物に注意を払えばよいからだ。しかし、氷原といっても地上に出ている部分は風などの天候によって、見た目には平らな形をしていても、海中に沈みこんでいる部分は凹凸だらけだ。いくらソナーで探査しても、正確な場所特定には至らない。今のところ、上部の氷塊とは距離が十分にあるのでよいが、この先、さらに水深が浅くなると、安全な航海を確保できない。だからといって、航行コースを安易に変更するわけにもいかない。このまま最短距離のコースを進まなければならない。つまり、リスクを承知で実行しなければならないのだ。過酷な状況下におかれている者には、勇気と冷静な判断を持って、そのリスクに立ち向かわなければならない宿命を背負わされていた。



― 数時間後の「ポセイドン」のブリッジ ―


「艦長、浮上地点の座標に津着しました」と航海長のドレイク少佐がティエール艦長に報告した。


 それまで、ずっと腕組をしたまま、うつむいて目をつむっていた艦長はパッと目を見開いて航海長に歩いて行った。ヒックス少尉はほっとしたのか、大きくため息をしてずっと耳に当てっぱなしだったイヤホンをそっと計器の上に置いた。

 航海長のドレイク少佐とソナー担当のヒックス少尉の見事なコンビネーションプレーで、「ポセイドン」は無事に浮上地点にたどり着くことができた。


「よし、逆進懸垂、艦を停止させろ。航海長、上の氷の厚さを計測してくれ」


「艦は停止しました。・・氷原の計測結果が出ました。氷の厚さは約二mです。ポセイドンを中心点にして、半径五百m以上はほぼ同じ厚さが維持されています」と航海長は報告したよし、それならいけるぞ。HY150チタン外郭の強度をもってすれば氷を破って浮上できるぞ。航海長、艦へのダメージを最小限にして浮上するための、発進地点の座標と速力、それと浮上仰角を算定し、発進地点へ艦を移動させてくれ」


「了解しました」


「コースセット完了。後は自動航行とします」


「よろしい。艦内全員に耐衝撃体制を発令。では、発進。それから、キャサリン少尉。計器が氷との衝突警報を出すが、君のソナーでも衝突のタイミングを教えてくれ。過去の事例があまりない運行だから、コンピューターといえど、データベースに一抹の不安が残る。アナログかもしれないが、君のソナー解析の方が安心できるからな」


 艦長はヒックス少尉の方を見て、少し微笑みながらそう言った。警報音がブリッジ内でも響き渡った。


「はい、了解しました。衝突の少し前に『あと何秒で衝突』と言います。少佐、コンピューターの示すタイミングと違ったらごめんなさい」


「なに、構わんさ。私も艦長と同じ意見だ。コンピューターといえど、そのデータベースが今回のような極めて稀な浮上に対し、正確なプログラムを組み立てているかどうかはブラックボックスの中だからな」


 それを聞いたヒックス少尉はコクリとうなずいて、計器の上に置いたソナー用イヤホンを再び手に取り、耳にセットして、目の前の計器の波形、数値を見逃すまいと身構えた。


「ブリッジ内の警報音を切ってくれ。集中できん」と艦長は指示した。


警報音が鳴り止むと、いつものブリッジより静寂な空気が周囲を支配した。こんな分厚い氷を破って浮上するなど初めてのことなので、クルー全員がナーバスになっていたのだ。


ポセイドンは自動航行システムによって、浮上するための発進位置に移動していた。艦内にいるクルーには移動している実感は感じ取れなかったが、ブリッジ内の計器はゆっくりとしたスピードで動いているポセイドンの艦影を表示していた。そいて、氷にぶつかった時の衝撃に備えて、司令塔内のクルーは身近な所にある手すりなどにつながった。その手には、まだ、力は入れていなかったが、手の平からかすかな汗がにじんでいた。


 ポセイドンは旋回を始めた。いよいよ発進する時が近づいてきた。艦首の回頭が止まってから、数秒間の停止状態があった次の瞬間、ポセイドンの内部磁場式超伝導電磁推進システムが一気に前進加速に切り替え、艦は緩やかに仰角をつけながら加速していった。ついに海上の氷をめがけて浮上していった。この場合、浮上というより衝突を自ら選んで全速前進しているといった方が正確だ。


「現在の速力二十ノット。なおも加速中。衝突まであと十五秒」と航海長は言った。


この音声は艦内すべてに伝えられていた。クルーの中には、神に祈りを捧げるポーズをする者、自分のベッドにしがみつく者などみんなそれぞれ衝撃に備えていた。また、艦首に近い場所にある魚雷発射室では、チーフがもう一度、魚雷の固定フックのロック状態を確認し、すぐに他のクルーと同様に配管を抱きしめるように体を密着させた。


「衝突まであと十秒」とヒックス少尉が言った。


 それを聞いたブリッジ内のクルーは無言だった。その沈黙を艦長の言葉が打ち破った。


「ヒックス少尉、ソナーの反応はどうだ?」


「衝突まであと百二十m」


「距離ではなく、時間にしてどれだけかわからんのか?」


ソナーの能力には距離と現在速度から時間単位に変換するアルゴリズムは定義されているので、距離を表す数値と時間を表す数値を同時に読み取り、ヒックス少尉は大声でしかも早口で艦長に訴えるように言った。


「衝突まであと五秒」


 この時点になると口を開く者は誰もいなかった。ヒックス少尉もそれまでイヤホンを両手で抱えるように手を当てていたが、今はその両手をソナーの装置の取手をつかんで衝突に備えていた。


 航海長は自動航行システムに操艦を委ねている責任感からか、泰然自若の姿勢で計器の数値、表示を自分の目で確認していた。


「衝突ッ」


航海長とソナー担当のキャサリン少尉がほぼ同時に叫んだ。


「ゴゴゴゴゴーーッ」


ポセイドンの艦首が北極海の氷の壁に突き刺さった。衝突の衝撃がポセイドンの外郭全体を覆いつくし、クルーは経験したことのない衝撃に見舞われた。それは魚雷の爆発衝撃とも感覚的に異なる衝撃であった。クルーの中には、衝撃によって翻弄され、まして通常の浮上とはことなり、仰角のついた衝突であったため、低い場所に放り出される者もいた。艦内は騒然となった。航海長は衝撃によって椅子から転げ落ちたが、椅子に掴まりながらすぐに座席に戻った。


ポセイドンは氷を突き破り、艦首がいったん空中に出て、重力によって氷の上から艦体を氷の上に押しつけるようにして前方の氷を破壊した。遠くから見ていると、まるで巨大なクジラが海面からジャンプしたかのようであった。


「被害報告ッ」とティエール艦長は叫んだ。


「船首および前方下部区画から浸水ッ」


「魚雷発射室で数名の負傷者あり。うち一人は重傷です」


次々と被害報告が航海長からブリッジ内でなされた。艦長はその被害報告から瞬時に被害は軽微であると直感した。しかし、艦体は波にもまれる小舟のように大きく揺れ続けている。


「艦長、各浸水箇所の復旧に当たっていますが、航行には支障ありません」と航海長がホッとした口調で報告した。


「うむ、運が良かったな。艦体が安定したらすぐに救援隊を出動させろ」


「了解」と保安部長が答えた。そして、すぐに編成してあった救援隊の隊長であるカスター少佐に出動を連絡した。


 浮上したポセイドンの姿は、見渡すところ真っ白な氷原に、一点だけポツ黒く細長いシミができたかのように見えた。ポセイドンの浮上によって海面に砕けて浮いていた氷塊は次第にポセイドンを取り囲むように集まってきて、その外殻に圧力を次第にかけていった。



   ― ポセイドンからの救援隊 ―


 ポセイドンからの救援隊が編成され、遭難したノルウェー調査隊を目指し、出発していった。彼らは人数をできるだけ少人数に絞って、彼らの場所確認、そして、医療行為が必要な場合にはそこで応急処置を行うことにしていた。


途中で、彼らはデンマークの北極観測基地に立ち寄った。国際連邦本部が事前にデンマーク政府に、遭難者六名の救出用の雪上車、装備の提供を要請してあったのだ。


 ポセイドンからの救援隊には、保安部長のカスター少佐が隊長となり、厚生部長のグスタフ少佐が副隊長になって、牽引車付きの雪上車二台で極寒の北極海の氷原に向かって出発した。現在の天候は曇天であるが、いつ吹雪になるともわからない。気象衛星技術が発達した今日でさえも、北極圏での天気予報など無きに等しい。ただ、現在位置の気圧の変化には絶えず注意を払っていた。この場所においては、それくらいしか頼るものがなかった。


 救援隊の人数は四名である。そのうちの一人はカスター少佐の部下で、カナダ人ではあるがエスキモーの末裔で、少年時代までは両親と氷原で暮らしてきた経験を持つ人物だった。もう一人は、グスタフ少佐の部下で、厚生部医療科の女性のセラピ少尉である。


カスター少佐の部下の名はジャン・キース。階級は軍曹である。彼は少年の頃から勉学において優秀で、中学校時代にオタワの高校に編入したくらいの頭脳明晰な青年だった。オタワの高校を卒業し、大学へ進学する道もあったが、授業料とアパートの家賃を払う目途が立たたないため、UFF(国際連邦艦隊)の募集に応募し、難関を突破してUFFに入隊した。その後の配属で、最初の任務が潜水艦での勤務だったにで、彼はそれを従順に受け入れ、以来、ずっと潜水艦の勤務に就いていた。ポセイドンに配属されてから二年経っていた。


 北極海での任務は彼にとって初めての経験であったが、彼が感じ取る感覚は少年時代に過ごしたあの頃と同じものだった。ノルウェー調査隊の捜索活動に向かううちに、彼の感覚は研ぎ澄まされ、エスキモーの血が彼を次第に支配し、野生の感性を取り戻していったのだった。


 彼は感じていた。間もなく天候が悪化することを。しかし、その感覚に自信があるわけではなく、科学的な証拠もないので他人を説得するだけの自信はなかった。胸につかえたものを抱きながら、キース軍曹は雪上車の中で揺られていた。


 ポセイドンを出発した救援隊の雪上車は、氷原の上を慎重にルート選択しながら、ノルウェー調査隊のいる場所を目指していた。クレバスや氷の突起物を避けて走っているため、大きく迂回せざるを得ないこともたびたびあった。よって、ノルウェー調査隊までの直線距離の数倍の距離を行軍しなければならなかった。これも出発時から織り込み済みであったが、実際に雪上車に乗っているクルーはなかなか目的地に着かないことにいら立ちを感じていた。行軍の安全を最優先にしなければならないことは十分理解していたが、時間が経つだけでなかなかノルウェー調査隊に近づけないでいる自分たちが歯がゆかった。


カスター少佐も「到着まであとどれくらいかかる?」という質問を雪上車の運転手にしていたが、こんな状態ではその答えを出せる者はいないことはわかっていたので、グッとこらえて次第に無言に徹するようにしていた。時々、視線が合うドクターのグスタフ少佐も同じ気持ちでいた。



   ― 「フレイヤ」からの救援隊 


 その頃、ポセイドンのティエール艦長をはじめ、すべてのクルーは、同じ目的でノルウェー海軍が救援隊を出動させていることなど知る由もなかった。しかも、ノルウェー調査隊との直線距離はほぼ同じだった。ノルウェー海軍の潜水艦「フレイヤ」から出発した救援隊は、ポセイドンより遠い場所から出発したが、出発当時は天候に恵まれ、また、クレバスなど障害物にも遭遇しなかったので、順調にノルウェー調査隊との距離を縮めていった。彼らはポセイドの救援隊が同じ目的地を目指していることを知っていた。


彼らの頭の中にあるのは、ポセイドンの救援隊が到着する前に、遭難したノルウェー調査隊を救出してしまうことであった。ポセイドンの後に到着したのでは意味がなかった。彼らの目的は同じだが、「フレイヤ」の救援隊は遭難者の救出という人命のかかった任務の遂行の他に、「ポセイドン」からの救援隊という見えない敵と競わなければならなかった。ただ、両者の共通点は、誰が最も早く救出に成功するかがわからないことであった。


 「フレイヤ」の救援隊の仕事は遭難者の救出が大一義であったが、それとは別に調査隊の調査結果の記憶確認および不要な調査痕跡の隠滅といった別の目的遂行のための別働隊とも言うべき存在があった。彼らはやがて発見するであろう遭難者の様子を見ることもなく、調査隊の計測装置の稼働状況の確認や調査記録の電子データのバックアップを取ることに専念するように命令されていた。


また、調査隊が収集した石のサンプル一つ一つに計測装置を当てて、放射線量の確認・記録も行うことになっていた。遭難者の応急手当をしているメンバーが、互いに声を掛け合い、動きも慌ただしいのとは正反対に、彼らは無口でただ黙々と自分の仕事をこなすであろう。そこには、遭難者救助という表向きの活動の中にも多面性が見て取れた。


 「フレイヤ」と同じ国籍である一方のノルウェー科学省の砕氷船「ホルダラン」では、ウルマン艦長以下全員が遭難者発見の朗報に接することを一種の目標としていた。ウルマン艦長は帰路の流氷に注意すれば無事に基地に戻れることを予想し、「そうなれば、ベッドの上でゆっくりと『ペール・ギュント』を聞けそうだな」という自分の姿を想像していた。しかし、母国の海軍が潜水艦を派遣したことやUFF(国際連邦艦隊)も救援隊を派遣したことなど知る由もなかった。



   ―  ベルゲン港のノルウェー海軍本部  ―


ノルウェー科学省の砕氷船「ホルダラン」から、遭難した調査隊の全員無事の報告を受けることを熱望していた本国の科学省の「北極調査隊救出緊急対策室」では数十人の人間がその時が来るのを待ちわびていた。そうなれば、部屋中に歓喜の声が沸き上がり、室長である副大臣は大臣へ救出作戦成功の報告を行うであろう。


そして、それらの情報は逐次、大臣、首相へ報告され、広報担当の首相補佐官は報道関係者へのプレス発表文を何回も黙読し、プレスルームへ向かうであろう。プレスルームでは、「遭難者全員の生存を確認」との科学省広報部からの喜ばしい第一報を受けた報道関係各社から集まってきた報道関係者が、遭難報告を受けてから特集番組を組んで、救出劇の行方を追いかけてきたことがようやく結末を向かることの安堵感で、和やかにも映る雰囲気に満ち溢れることであろう。その報は、すぐにノルウェー以外の国々等にも配信され、北極海沿岸諸国をはじめ、少なくとも北半球には情報の取扱いの差こそあれ、一般市民の知れる範囲まで公開されることになる。そして、その情報に触れた人々は一様に好意的に受け止めることは間違いないことだった。


 ところが、そうではない組織、人が存在することも事実である。


 まず、同じノルウェー国内でも、海軍の今回の救出活動を隠密裏に進めてきた上級将校の間では、このような会話がなされていた。


「潜水艦『フレイヤ』を救出活動に派遣したが、科学省のオンボロ砕氷船は今頃どうどうしているのか。まさか、先を越されることなないだろうな」


「そ、それにつきましては、正式な発表が政府から出されていませんので、わかりません」


「何を言っておる。科学省とUFF(国際連邦艦隊)がそれぞれ独自に救援隊を派遣していることは海軍のごく一部の幹部の中では周知の事実だ。その中で、新型潜水艦「フレイヤ」の派遣は、我が海軍が先を越すためのものだったことを忘れたのか」


「い、いえ、そのとおりです。しかし、科学省の砕氷船の状況を、当の科学省に尋ねるわけにもいきませんから、政府発表待ちの状態です」


「また、言い訳か。聞き飽きた。これは救出レースのようなもので、先に救出しなければ何の意味もない。・・・正式に、我が海軍が救出活動に出動したことを外部に発表しなくて助かった。もし、発表していたら、海軍の無能ぶりを世間にさらすことになるだけでなく、議会の承認なしで艦艇を派遣した重大な責任問題として、今頃は処分を受けることに発展しているはずだ。・・発表しなくて本当によかった」


「おっしゃるとおりです」


「ところで、今回の『フレイヤ』による救出作戦に関わった者たちには緘口令をしいてあるのだろうな?」


「い、いえ、まだです。作戦中の『フレイヤ』とは、最低限の通信しか行っておりません」


「またしても、言い訳か。何をボヤッとしておる。早く指示を出しに行け。いいか、絶対に海軍が何らかの活動をしたことを漏らしてはならん。当然、海軍内部にもだ。今回の事実を知っている者のリストを作り、各人に対し個別に徹底させろ。もし、漏れたら、マスコミ、野党の格好の餌食になるうえ、軍法会議にかけられることになる」


「わ、わかりました。いかし、緘口令を出すことは内部監査上、問題になります」


「バカ者。そうならないように個別に当たるのだろうが。事態の重大性をまだ理解しとらんのか」


「では、事実の秘匿を徹底するよう、すぐに取り計らいに行きます」


そう言って敬礼し、彼の部下は部屋から逃げ出すように出ていった。後に残った上級士官は窓のそばに行き、外を眺めるようにしながらも、内心では、独断で救出隊を派遣したことが発覚することによるリスクに脅えていた。



   ― ロシア科学アカデミー ―


「君は見たかね。ノルウェー科学省が自力で救援隊を派遣したことを」


「はい、さきほど、ネット配信国際ニュースで見ました。あのノルウェー調査隊に動向させていた我々の部下からは連絡がありませんが、遭難いているとすれば、彼は多分、凍傷、体力低下程度のダメージを受けているでしょうから、後遺症が心配です」


「そうだな。その場合には、凍傷は別の北極任務で負ったことにして、休暇、入院など手厚く配慮してやってくれ。ノルウェー科学省もバカではないから、今さら、調査隊の一人がロシア人だったなどとは公表すまい。二国間で独自の資源調査する秘密約款を取り交わしていたことにまで発展することはないだろう」


「わかりました。彼への心身面でのケアには万全を尽くします。・・それにしても、ノルウェー政府がUFF(国際連邦艦隊)に救出依頼すると思いませんでした。もし、UFFがノルウェー科学省より先に遭難者を発見していたら、彼の身元が判明し、今回の北極海調査はノルウェー独自のものではなく、ノルウェーと我が国との合同調査であることが露呈され、何の情報公開もしていなかった我が国には、国際社会の疑念が向けられていたことでしょう」


「全く、君の言うとおりだ。ノルウェー政府としても、UFFへの依頼は、自国の救出隊だけでは一抹の不安があったものだから、一種の保険のようなものだったのだろうが、それにしても我々に相談することなくUFFに依頼するとは、北極海探査に関してはまだまだ統制が取れていないようだな。探査のパートナーとしては、少し見直さなければならないのかもしれないな」


「そうですね。今回の救出活動が落ち着いたら、とりあえず、その点をノルウェー政府に指摘し、今後の調査では貸しを作っておくのも一手かと思います。外交上のアドバンテージにもなります」


「うむ、そのとおりだ。これまでスカンジンナビア半島の沖合海域は、どうしてもノルウェーの協力なしには資源調査をできなかったが、今回の彼らの“失点”をうまく活用しない手はない。うむ、これから面白くなりそうだ。ノルウェー科学相の苦渋に満ちた表情が頭に浮かんでくるぞ。ハッ、ハッ、ハッ、ハッ。これは痛快だ」


「そうですね。ただでさえ、苦虫を噛んだようなあの科学相の顔がどんなふうになるか見ものですね」


「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ」と二人は声を合わせるようにいっしょに笑った。

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