第四章 ペールギュントを愛した男

   ― ノルウェー科学省の砕氷船「ホルダラン」 ―


 ノルウェー科学省に所属する砕氷船「ホルダラン」は、スヴァールバル諸島を北進し、北極海を航行していた。その目的は、今年の流氷の後退度合の調査であった。「ホルダラン」の船長の名はウルマン。ノルウェー人。ノルウェーの海洋大学で船舶工学を専攻。大学卒業後、科学省に入省した。その後は、半分以上を船舶部に勤務してきた経歴の持ち主だ。彼にとっては、「ホルダラン」の船長の任務に就いてから五年目になり、「ホルダラン」の実質的な性能、乗組員の力量は十分把握していた。

 

今回の任務は毎年実施されてきた流氷調査である。科学省に所属する数隻の砕氷船が、各々の指定された調査海域の流氷密度、氷の厚さ、塩分濃度などを計測し、氷が覆っている海域を海図に落とし込んでいくものであった。


砕氷船にとしては、船の砕氷能力でどこまで氷を砕いて航行できるかを試みることが、最も緊張する任務である。ほどほどのところで止めるのは容易いが、そこからさらに氷の厚い海域に向かっていくことはリスクが高まる。船の限界に挑むような分厚い氷の海域に入って行くことはできだけ避けたいものだ。よって、どこで前進をやめるか決断することが、船長に課せられた孤独で責任の重い意思決定である。この決断時の緊張感は、何年も砕氷船の船長をしていても、その都度、自分が新米の船長だった頃と同じようにプレッシャーを感じる。


砕氷船の性能と特徴、船長の技量、氷の厚さと質。この三つ巴の末に結果が出る。悪い方に結果が出れば、船の損傷、乗組員の受傷、調査結果の非凡さ。これらの負のプレッシャーが船長としてウルマン船長の肩にのしかかってくる。しかし、砕氷船の船長はすべてこのプレッシャーに打ち勝たなければ、その職務を全うすることができない。「自分だけがなぜこんな状況下で決断しなければならないのか」という甘い悲鳴は彼らの職業上ではありえない。たとえ夏季での調査業務だろうと船長に課せられる課題は季節に関係なく、ギリギリの状況での調査報告を求められる。


外部から見れば、「コンピューターの指示通りにして、一国の最高権力者であるかのように振る舞える楽な仕事だろう」と見られがちな職業であるが、実際にはやる時にはやらねばならない。どうやらなければならないかは、ケースバイケースだ。そこにマニュアルはない。船を壊してしまうのか、氷を壊すのか。シェークスピア風に言えば、「生きるべきか、死ぬべきか」という決断を下す立場に置かれているのが、砕氷船のすべての船長に共通する宿命と言えるだろう。


そんな宿命に抗うように砕氷船の船長を目指す人材は、昔から絶えることなく出てくることは不思議な社会的現象だ。その理由は、たとえ辛い仕事と分っていても、砕氷船の船長という仕事に対する社会的な敬意が北方の海洋民族には今でも息づいているからであろう。

砕氷船はその名称のごとく、海上の氷を砕いて航行できる特殊な船である。当然、一般の船と同じように外洋を航行できるが、砕氷船は氷のある海域でしかその本領を発揮できない。氷の砕き方には何種類もあるが、船首を氷原に乗り上げて、その自重で氷を砕くタイプの船が一般的である。「ホルダラン」もこのタイプの船である。


就航してから二十年が経ち、最新の砕氷船と比べるとその性能の優劣は明白であるが、北極海の資源探査における国際的な競争の繁忙のために、「ホルダラン」のような老朽船も未だに第一線で任務に就いている。しかし、実際のところは「ホルダラン」のような老朽船はどちらかというと地味な調査の任務に回されている。世間の注目を集めるようなこともないが、何事もなく任務を全うすることが老朽船に課せられた消極的な任務である。ウルマン船長はまさにそんな任務を担っている。


砕氷しながらの航海中では、船が勝つか、氷が勝つかの、せめぎあいのような緊張した時間が連続している。当然、無事な航海が当たり前に求められる。老朽船には上層部からは大きな期待はかけられていないが、トラブルを起こすと、即、責任問題に発展することは新鋭船と同じである。つまり、“割の合わない“仕事である。しかし、誰かがその”割の合わない仕事“をしなければならない。


 船長に成りたての新進気鋭の若年船長たちは、当然のことながら、「ホルダラン」のような老朽船には乗りたがらない。できるだけ船齢の若い船を希望する。もちろん、科学省環境部の人事では一般社会の習いに漏れず、異動は希望通りにいかないものだ。よって、「ホルダラン」を希望する者は誰もいない。また、この老朽船を上手に操船できるのはベテランの船長に限定されてしまう。北極海の探査が活発化することに比例して、ノルウェーにおける最新の科学技術を投入した砕氷船の建造が盛んになる一方で、老朽船はそれに比例するように廃船の運命をたどっていった。


 気が付いた時には「ホルダラン」はノルウェーの中で最古参の砕氷船になってしまった。そんな「ホルダラン」には船長どころか、航海長などのスタッフのポストにも人気がない。「ホルダラン」を任せることができるベテラン船長は、ウルマン船長だけになってしまった。昔気質のウルマン船長にとっては、そんな手のかかる老朽船をいかに挑戦的な姿勢で操船するかに一種の美学を感じていた。本人にすれば、新鋭船に乗る方が気楽だが、「ホルダラン」のような老朽船を操船することに対しては、嫌悪感、忌避感といったマイナスの感覚はなかった。ただ、淡々と命ぜられるまま「ホルダラン」の船長の任を受け入れた。


 無為自然。それがウルマン船長の生き方を表すのにピッタリの言葉だ。彼はノルウェーでも北方に位置する極寒の地アルタの生まれで、そこで高校時代まで過ごした。

家系が海軍、上級公務員だった資質からか彼は成績優秀で、国立オスロ海洋大学に入学した。彼は子どもの頃からアイスホッケーに親しみ、小学校の高学年からはエースストラカーであった。そうした文武両道でストイックな経験と極寒である地理的影響が彼を無為自然な人格形成に向かわせたのかもしれない。


 そんな彼も大学生の頃、恋に落ちた。それは、オスロ海洋大学の四年生の時であった。就職先の目途が立ち、時間的なゆとりができた頃、友人から同じ大学の交響楽団のコンサートがあるからいっしょに行こうと誘われたのだ。当時のウルマン青年にとっては、大学の学業とアイスホッケーの板挟みの生活の中で、クラッシックコンサート会場への入場などの類は経験したことのない事件であった。誘われた時には、「自分に不似合だ」と思ったが、友人からの強い誘いで「付き合うか」と自分を納得させた。その後はコンサートのことはすっかり忘れていたが、友人からの確認連絡で約束したことを思い出す始末だった。「しぶしぶ友人との待ち合わせ場所に行った」というのが、彼のその時の実情だった。


 その頃のウルマン青年は、クラッシック音楽にはほとんど無関心であり、プログラムの題目を見ても違う世界の言語のように思えた。しかし、そんな彼にも祖国の大作曲家グリーグの「ペール・ギュント」は曲名と音のイメージが一致した。中学校の頃から耳になじんだ曲である。いくつかのコンサートの曲目の中に、自分が知っている曲が入っていたことで、何となく安堵感を感じた。


 さて、コンサートが始まった。ウルマン青年が覚えのある「ペール・ギュント」は最後の演目であった。その「ペール・ギュント」に至るまでの間、彼は音符の魔法にかかったかのように、コックリ・コックリと夢心地とたまに覚醒することの繰り返しであった。彼の友人が曲に陶酔していたのと対照的だった。そんな友人は時折、ウルマン青年に眠りから覚醒に戻すために肘で時々、彼の脇腹をつついていた。そのたびに彼は目を覚ますのだった。そうしているうちに楽曲が進み、グリーグの「ペール・ギュント」が始まった時には、友人がその肘で彼を覚醒させる必要がなく、自分で耳をそばだてた。


 次第にウルマン青年はステージのある一点に見入るようになっていった。彼の視線の先にあるのは第一バイオリニストだった。曲の魅力もあったが、その時のウルマン青年は第一バイオリニストの女性にくぎ付けだった。バイオリンを奏でる彼女に不思議な魅力を感じたのだった。彼女の左手が持つバイオリンの弦から連続して放たれた音の波は、ウルマン青年の胸に海辺の砂浜を濡らすように染み入っていった。そして、曲の最後を飾る「ソルヴェイグの歌」が終わった頃には、彼は指揮者を見ることなく、彼女がバイオリンを左肩から離した姿だけを見ていた。周囲から湧き上がる拍手も彼の耳には認識されないくらいに、彼は彼女に魅了されてしまった。


 指揮者がオーケストラのメンバーを聴衆への感謝を現すように手を上げると、彼女を含めたメンバー全員がその場で立ち上がり、ホールの聴衆に向かって笑顔で軽くお辞儀をした。そして、彼女が顔を上げた瞬間、ウルマン青年と目が合った。いや、少なくとも彼には目が合ったように思えた。いや、少なくとも彼には目が合ったように思えた。その瞬間は一時的に止んでいた音の波が彼の胸の中に怒涛のごとく押し寄せてきた感覚だった。聴衆のほとんどが自席で立って拍手を続けている。しかし、ウルマン青年は座ったまま拍手もせずに彼女だけを見ていた。


 彼の友人は拍手もしないウルマンをいぶかしく見ていたが、そんなことにもウルマン青年は全く気付かなかった。

「おい、どうした、ウルマン。具合でも悪くなったのか」と、座ったままでいるウルマン青年に隣の友人は声をかけた。

「ハッ」と我に返ったウルマン青年はいきなり立ち上がり、両手に力を込めて拍手し、「ブラボーッ」と大きな声で叫んだ。


その時だった。ウルマン青年の声がステージまで届いたわけではなかったが、ウルマンの胸を射抜いた第一バイオリニストである彼女の目と彼の目が合った。離れてはいたが、ウルマン青年にとっては、彼女が自分を見つけてくれたものと確信した。恋の始まりは偶然性の連続反応である。

演奏がすべて終了した後、ウルマン青年は怪訝な顔をする友人を誘って楽屋裏に押し掛けた。狭い部屋の中はオーケストラのメンバーやその親族、友人等であふれかえっていた。彼の目当てはあの第一バイオリニストの女学生であった。彼はその女学生を見つけて勇気を振り絞って声をかけた。


「素晴らしい演奏でした。ところで君は何年生?」と尋ねた。


「四年生よ。だから、今回の演奏が卒業演奏なの。あなたは何年生?」


「偶然だな。僕も四年生。就職先も決まったし、彼に誘われて初めてコンサートに来たんだ」


「そう、わざわざ来てくれてありがとう。あ、ごめんなさい。これから指揮者の部長先生の公表会に行かなくちゃいけないの。どうもありがとう」と言って、彼女は他のメンバーの中に消えていった。

本人にとっては確信でも、客観的には誤解であることはよくあること。ウルマン青年の場合もその例にもれず、それ以降、二人の間に大きな進展はなかった。


しかし、ウルマン青年の脳裏にはグリーグの「ペール・ギュント」は刻まれた。失恋の思い出と共に。こうして彼にとっては、誤解が別の意味で人生における良き伴侶となるような大きな収穫としてなった。彼はそれ以来、クラシック音楽に興味を持ち、仕事の合間にクラシック音楽を聴くようになった。今では他人から「あなたの趣味は?」と尋ねられた時には「アイスホッケーとクラシック音楽の鑑賞です」と答えるようになった。実際のところ、クラシック音楽に日頃のストレスを忘れさせてくれる手軽な特効薬のような効果があった。その中でも、最も効果的な特効薬はグリーグの「ペール・ギュント」であった。


 そんな過去を持つウルマン船長は、今は砕氷船「ホルダラン」を操船して、グリーンランドの東方に位置するスヴァールバル諸島付近の流氷の調査業務に当たっていた。毎年、同時期にノルウェー科学省が実施している流氷調査の一環で、ウルマン船長は「ホルダラン」に乗船してから今回が五度目の調査である。この五年間という短い期間でも流氷域は北方へ後退しているのが実感できた。


「航海長、今年もなかなか流氷に出会わないな。この海域での去年のデータと比較してみてくれ」と、ウルマン船長は自分の感覚がデータで裏付けられるか確認しようと思ったのだ。


「船長、この周辺十㎞以内の海域での流氷面積は十四%減少しています」と、航海長は計器盤を操作して、画面に表示された数値を報告した。


「十四%か。もっと北方へ行けば減少率は小さくなるのだろうが、今の緯度ではそんなにも減少しているのだな」


ウルマン船長は独り言のようにつぶやいて、ブリッジから流氷が少なくなった外洋を眺めた。


 そんな時だった。通信員が通信装置の画面を見て、ノルウェー科学省の船舶部長からの通信だとわかると、着座したまま船長にハリのある声で言った。


「船長、船舶部長からの入電です。読み上げます。『グリーンランド沖で調査活動中の我が国の調査隊六名が遭難。現在の流氷調査を直ちに中止し、グリーンランドのカーナーク沖へ向かえ。詳細な遭難地点の座標は後で送信する。以上。船舶部長』です」


「なに、調査隊が遭難?・・・そういえば、ずいぶん前に環境部が調査隊を派遣したと発表していたな。遭難したのはその六名か。それにしても打電時に調査隊の正確な位置を把握していないとは、急な事態なのだな。環境部が把握していないはずはないのだが」


「そうですね。だいたいの調査位置は環境部で把握しているでしょう。船舶部には伝えていないのかもしれませんね。変な話ですが」と、航海長はいぶかしそうな表情で船長に言った。


「航海長、勝手な想像は口にするものじゃない。・・しかし、君の言うとおり、オスロの本省内では慌てふためいていて、統制が取れていないのかもしれんな。ともかく、船舶部長からの命令だ。よし、ただいまをもって流氷調査を中止する。航海長、直ちに転進。カーナークの北方二十㎞を仮定座標にセット。流氷密度の変化に気を付けて、全速」


「了解。取舵いっぱい。カーナーク沖にコースセット。機関全速。流氷密度に注意」


 船長の指示によって、「ホルダラン」は大きく左側にコース変更し、機関を全開にした。それまで流氷調査のため、微速前進していたが、エンジン音がうなりを上げ、大きな白波を立て、小さな流氷を蹴散らしてグリーンランド沖を目指して進路を変えた。上空から見ると、海面に白い筋が曲線を描いているようであった。この曲線の行方は大まかには決まっているが、老朽砕氷船が北極海での遭難者救出に向かうのである。そこまでの北極海を砕氷して航行できるのか否か。白い曲線の軌跡の放物線を定義できる方程式はなかった。



 ― ノルウェー潜水艦「フレイヤ」 ―


 ノルウェー海軍の新型潜水艦「フレイヤ」は北極海の海中を航行していた。艦の性能を実際に確認する試験航行の一環として、世界のいろいろな海域を航行してきた。数日前に、ベーリング海から北極海に入り、ロモノソフ海嶺付近にさしかかったところだ。これまでの試験航行においては重大な緊急事態も発生せず、順調な航海であった。


 そして、ここにもまた一人「ペール・ギュント」をこよなく愛する男がいた。「フレイヤ」の艦長のエリクソン大佐である。彼は昔気質の職人肌の軍人で、自らの昇進志向その訓練の厳しさは潜水艦の乗組員の間では有名であった。しかし、ただ、厳しいだけでなく部下の面倒見がよく、数は少ないが、熱烈な信奉者がいることも事実であった。ひとかたの人物には同類の部下が慕ってくるものである。


日本での例を挙げれば、西郷隆盛における桐野俊明、徳川家康における大久保利通、石田光成における島左近、後醍醐天皇における楠木正成、その他にも同類の関係が多数あるだろう。こうした主従関係は古今東西においていくらでもありえるものだ。善悪、損得を超えた人間関係はこれまでも存在したし、これからも生き続けるだろう。


海軍兵学校卒業以来、潜水艦の優秀な乗組員として過ごしてきたエリクソン艦長には、音楽鑑賞というささやかな趣味があった。それは、潜水艦の艦長という立場からは想像もつかない趣味である。彼自身も艦長としての自分と、趣味に浸る自分のギャップを客観的に自覚していて、自分の趣味を他人に話すことはしなかった。あくまで潜水艦の艦長としての“エリクソン”のイメージを壊したくなかったのかもしれない。


エリクソン艦長の趣味は変わり者的なものではなく、芸術的なものであった。そういう意味では、他人に話しても違和感なく受け入れられるものであるが、艦長本人としては、どうしても軍人がメインキャラクターであるため、その視点から見たら、その趣味は軟弱、女性的に自覚してしまう。一般人からすれば、決してそんな風に思われないのに。


エリクソン艦長の趣味は母国ノルウェーの作曲家グリーグの音楽鑑賞であった。彼の至福の時は、オスロにある自宅の書斎兼リスニングルームでグリーグの曲を聴くことであった。しかし、潜水艦乗りにとって自宅に帰れるのは稀であり、普段は狭い艦長室に音楽用の再生機を持ち込んで、ワイヤレスイヤホンでグリーグの曲を聞くことが潜水艦での生活の中で唯一の安らぎを与えてくれる貴重な時間であった。その宝物の中で特に気に入っているのが、数あるグリーグの曲の中でも有名な「ペール・ギュント」であった。


 非番の時に艦長日誌を作成し終わってから、決まって彼は音楽鑑賞することを習慣としていた。音楽に集中していると非常警報を聞き逃しかねないので、非常警報の赤ランプのある方向を向いて音楽を聴くことにしていた。いかなる時も軍人であり潜水艦の艦長としての自覚が彼にはあった。目の前には非常警報の赤ランプがあるが、彼の心の中には祖国ノルウェーの美しい風景と自宅の暖炉が、その時の気分によって、かわるがわる浮かんできた。無機質な潜水艦の艦内での生活から、一時的にではあるが遠ざかることのできる貴重な時間だ。


 そんな貴重な時間に浸っていた艦長の目の前にあるブリッジからの連絡を知らせる警告灯が点滅した。ブリッジに戻らなければならない。エリクソン艦長はオーディオ装置のスイッチを切り、何事だろうと思いながら艦長室を出てブリッジに向かった。



― 北極圏のクヌッセン父子 ―


グリーンランドのカーナークの郊外に住むクヌッセン一家の父と息子は猟場に着いた。天候は良くないが風はない。いつもと変わらない九月の風景が彼らを包み込んでいた。静寂と白、青のカラートン、顔面に突き刺さる凍気、無臭、無音。父親は電気スノーモービルのスイッチを切り、いつも通りに猟のための準備に取り掛かった。


息子は父から何も言われなくても自分の電スノーモービルの後部席に積んであった狩猟用の道具を取り外した。彼の道具の一つにライフルがあった。息子は道具を整えると、最後にライフルを手に取り、肩に担いだ。その様子を確認した父親は氷原の周囲を見渡した。彼らが目指している獲物はアザラシである。獲物を待ち続ける忍耐力と幸運がないと獲物に出会うことはできない。


 父親は歩き出した。息子は父の後ろについて行った。彼らを中心に三百六十度の氷原には見渡す限り何もない、白の世界が広がっていた。父親は何を目印にして歩いているのだろうか。少なくとも視界の中に入ってくるのは平らな氷原と、所々に点在する氷塊だけである。臭いも音もない。彼のこれまでの経験と今日の勘だけを頼りに歩いている。そんな父の背中を見ながら息子のオーレは話しかけることもせず、父との間隔を一定に保とうと早足で歩いた。そんな彼には周囲を見渡して獲物を見つける余裕はなかった。


 彼らが歩いている所は氷の厚さが比較的薄い場所である。アザラシは氷原に開いた小さな穴から出て氷の上で寝そべることがある。猟をするには氷の上に寝そべるアザラシを見つけなければならない。しかし、アザラシを見つけることだけに神経を集中していると、氷の薄い場所であるため、思わぬ所で氷の割れ目に足を取られたり、滑って海水につかったりしてしまう可能性がある。


また、知らないうちにアイスエッジの内側に入り込んでしまった場合、さらに運悪く、アイスエッジの裂け目が広がり、海流の向きが外洋だとしたら、あたかも大きな氷のテーブルが沖に流されるように、彼らが立っている氷原が分離してしまい、歩いてきた元の場所に戻れなくなってしまう。何らかの偶然で、分離した氷原が元の場所に“接岸”しない限り、それは死を意味する。そうした氷に潜む危険性を察する能力もここで生きていくためにはひつようなのだ。実際にそうした場所に行きついた時には、父親は息子にアイスエッジの恐ろしさと見分け方を幾度となく教えてきた。逆に言えば、父親もその父親から教えられてきたのだ。生きていくための知恵。その継承。極限の世界では先人の知恵が平凡な生活の中で細々とであるが、確実に受け継がれている。


 父親は歩いている。アザラシを求めて。その息子も歩いている。父の背中を見ながら。極限の地域で人間が生きていくにはそうするしかないのだ。そこでミスを犯した者には死が待っている。生きのびた者だけが持っている権利。それは自分の経験を語る権利。権利といえども一時で終わらせないためには、権利が義務に変わる。しかし、クヌッセン一家にとっての狩猟の意味は、権利とか義務とかの意義はなく、「昔からしてきたことだ」という程度の意識しかなかっただろう。


 もうどれだけ歩いただろうか。息子のオーレは疲れてきたのか息使いが荒くなってきた。そして、重いライフルを右肩から左肩に掛け直したり、その逆をしたりする動作が増えてきた。それでも、黙って苦言を言うことなく父の後ろについてきている。ただ、周囲を見渡す余裕はなく、うつむいたまま歩く時間が多くなった。これだけ歩いても氷原に大きな変化があるわけではなく、同じ場所をグルグル回っているだけでないかという錯覚に陥る。


 ふと、父の足が止まった。息子は危うく父の背中に頭をぶつけそうになったが、ハッと我意返ったように周囲を見渡した。父は氷原の彼方を指さし、ゆっくりとしゃがんでデジタルバイノグラスを取り出した。息子は父が指さした方向に黒点のような物を確認し、父のそばに寄り添うようにしてゆっくりとしゃがみこんだ。それから、父と同じようにデジタルバイノグラスを取り出して黒点の方角を覗いた。目に入るのは、真っ白な光景だけだったが、ゆっくりとデジタルバイノグラスを左から右へ動かして黒点を捉えようとした。


自動焦点機能のついたデジタルバイノグラスであるため、視界ははっきりと見ることができる。ただ、倍率は手動で調整しなければならないので、デジタルバイノグラスに入ってくる視界の広さは、倍率に反比例する。息子は黒点を早く捉えたいためにデジタルバイノグラスに見入った。しかし、黒点を捉えることができず、次第に焦りが出てきた。自然にデジタルバイノグラスを動かす手がせわしくなった。


一方、父親は黒点を既に確認していたので、余裕をもって隣にいる息子がどうしているかを見た。思ったとおり、デジタルバイノグラスを小刻みに動かしている。まだ、黒点を捉えていないことが誰の目にも明らかだった。息子は父に見られていることには気づかずに、黒点を捉えようと一生懸命になっている。


息子のオーレに黒点を捉える時間的余裕がないと思った父親は、そっと息子の頭に手をやった。彼のデジタルバイノグラスを自分の手で彼の頭から離し、息子に寄り添って再び黒点の方向を指さした。デジタルバイノグラスに頼らずに、自分の目で黒点を確認させようとしたのだった。


息子は目を凝らして父の指さす方向をじっと見た。・・・見えた。デジタルバイノグラスに頼らなくても自分の目で黒点を確認することができた。彼は歓喜の表情で黙ったまま父の顔を見た。父は息子の表情を見て、息子がアザラシを見つけたことが分かった。


息子は再びデジタルバイノグラスを慎重に黒点に向けて、黒点がなんであるかを確認した。「アザラシだ。それも大きい」と無言でその目を見張った。

息子がデジタルバイノグラスを下した時には、父親は黒点に向かってかがんだ姿勢でゆっくり歩き出していた。父親は黒点に向かってただ歩いているのではない。風の向きを計算して、アザラシに自分たちの気配を気付かれないように慎重に足を進めた。そして、確実にその距離を縮めていった。その手には白い布を張った一・五m四方の盾のような物を持っていた。これは自分の姿をアザラシから隠すための道具であった。息子は父の後をついて行った。しかし、彼の足どりは無意識に父の後につていくのではなく、自分が狩るという本能的な動きに満ちた若き狩人の姿であった。


彼らはできるだけ自分の体をかがめるようにして、白い四角の布盾からはみ出さないように気を付けて、ゆっくりとアザラシに近づいて行った。

アザラシとの距離が約百mに近づいた所で父親は足を止め、白い四角の布盾を氷の上に置いて風で飛ばされないようにしっかりと氷に固定した。息子はしゃがんだまま父の左側に並んだ。そして、ゆっくりと白い四角の布盾の左側に移動させ、アザラシを狙ってライフルを構えた。息子は風がほとんどない状態で、この距離ならば仕留める自信はあった。


父親は息子の動作を見て、自分のライフルの安全装置を解除して構えた。

息子のライフルのスコープサイトにアザラシが捉えられた。息子はゆっくりと息を吐きながら黒っぽいピーナッツの殻にしか映らないその物体にスコープの中心を合わせ、引き金を引いた。引いたというより、やさしく触れたといっていい。息子のライフルは父親が息子用にカスタマイズしてあり、引き金はそれに触る程度力で反応するようになっていた。


彼の右手の指が引き金に触れた瞬間、発射音がそれまでの静寂を木端微塵にたき割るように周囲に響き渡った。その次の瞬間、もう一発のライフルの発射音が最初の発射音の残響に重なって波紋のように広がった。二発目の発射音は父親のライフルのものだった。一発目と二発目の銃声は微妙に異なるが、周囲の空気が二度引き裂かれた。その引き裂かれた空気が元の静寂を取り戻す前に、父親は標的のアザラシが動くことなく横たわっている姿をスコープで確認した。そして、自分の左脇にいる息子の顔を見ると、息子は微笑みをたたえて自分の方を見ていた。父親はもう一度スコープで標的に変化がないことを確認し、安心した様子で、白い四角の布盾を収納し始めた時、息子は標的の黒っぽいピーナッツ殻に似た形状の標的に向かって走り出した。標的を自分の目で確認したいという衝動的な行動だった。


「止まれ!」


 父のその声に、息子はドキッとして足を止めた。


「そのままゆっくり振り返って、ここまで戻ってこい。いいか、ゆっくりだぞ」


 息子は父に言われたとおりにスローモーションのようにゆっくりとした動作で、一歩、一歩の足取りを確かめるように元の場所まで戻ってきた。彼の表情はバツが悪そうだった。彼は自分が犯した過ちに気付いていた。父の前に来ると、上目づかいで父の顔を見た。彼は父から声をかけられた時に「しまった」と思っていた。父が何を言いたいのかわかっていた。


 父親は息子と視線を合わせてから彼に向かって言った。


「なぜ、止まれと言ったかわかっているな」


「うん、またやっちゃった」


「またやっちゃったでは、猟はできないぞ。お前のその言葉が聞けなくなるのは、あと何回の猟を経験しなければならなんだ」


「わかったよ。氷の厚さを考えてどこを歩けばいいかを確認してから歩くよ」


「どうしようもない奴だな。お前自身の身の安全のためだからな。猟場では常にクールにしていろ」


「わかった。アザラシに命中しても、はしゃがないよ」


 父親はもう一度、約百m先の黒点をライフルのスコープで確認してから、周囲を見渡し、ゆっくりと黒点にむかって歩き出した。防寒ブーツの裏底で氷の強度を確かめるように慎重に歩いた。父親が息子をたしなめ、自身が慎重に歩いたのは、アザラシが氷上に出ている場所は、氷の厚さが薄い所があるからである。そういうことを息子に教え続けてきたのに、息子がいちもくさんに走り出したため、彼を静止させたのだった。

 彼らは慎重ではあるが確実に動く気配のないアザラシに近づいていった。


 そして、とうとう彼らはアザラシのそばまで近づき、その死を確認した。ライフルの弾が当たったところからは血が出ており、その周囲の氷が赤く染まっていた。その命中店は一箇所だけだった。息子は腹ばいになっているアザラシの尾を持って、力一杯にひっくり返し、腹部のどこかに銃弾の当たった形跡がないかを探した。しかし、どこにも銃弾の跡はなかった。つまり、命中したのは一発だけだった。


「当たったのは誰の弾だろう」


 息子は自信がなさそうに父の顔を見た。父は無言でもう一度アザラシを腹ばいにして、銃弾が貫通した場所にナイフを差し込み、慣れた手つき毛皮と肉をできるだけ傷つけないように、体内から弾をとりだした。血まみれの弾をタオルで拭いて、それを息子に手渡した。


「・・僕のライフルの弾じゃない。口径が大きい。父さんの弾だ」


「そうだ、お前の弾は当たらなかった。お前ひとりで猟をしていたら、アザラシは今頃海の中に逃げてしまっている。もっとクールでいること。もっと射撃の腕をあげること。猟師としてはまだまだ一人前にはなれんな」


 父親はそう言いながら、アザラシをもう一度ひっくり返して、ナイフで鮮やかに腹の皮を一直線に裂き、解体作業に取り掛かった。悔しそうな表情の息子も解体作業を手伝った。アザラシの体は毛皮と肉の部分とが分離され、さらに内臓が取り出され、手際よく解体作業が進んでいった。父子の息の合った作業には無駄がなかった。やがて、アザラシの体は完全に分離された。肉はブロック状にして、収納袋に入れられ二台の電気スノーモービルの後部荷台に積まれた。息子の表情には明るさが戻っていた。父親は使っていないタオルを取って息子に投げ渡し、アザラシの血で頬っぺたが赤くなっているのを拭いながら言った。


 ホッとする瞬間である。アザラシを仕留め、当面の食糧を確保できたことは何事にも代えられない至福の時である。父親はライフルを丁寧に後部荷台にしまい、スピーカー内蔵型の毛皮のついた耳当てを頭に当てた。これは防寒用の耳当ての機能だけでなく、小型メモリーが内蔵されており、自分の好きな音楽などの音響を聞くことができる電化製品である。


 父親は耳あてのところにあるスイッチを入れた。すると、周囲には漏れ聞くことはできないが、前回スイッチを切ったところから曲が始まった。彼が聞いていたのは、グリーグが作曲した「ペール・ギュント」。始まったのは、第二曲目の「オーゼの死」の途中からだった。彼は電気スノーモービルの座席に腰を下ろし、曲を聞きながら、はるか北極海を眺めていた。一方、息子は後始末をして、出発のための荷造りをしていた。自分の弾が当たらなかったことは悔しいが、猟の成果を家に持って帰れる喜びがその悔しさを包み込んでいた。


「母さんたち、きっと喜ぶね」


 獲物を得て、笑顔で荷造りをしている息子のオーレを父親は見ながら、「ペール・ギュント」に聴き入っていた。静寂の北極海で文明的な音を聞くことは、このうえない上質な時間であり、猟に出た時の唯一の楽しみであった。その上、今日はアザラシを仕留めることもできた。彼は今日の家族の糧を与えてくれた幸運に、神に対して感謝した。頬に当たる北極海の風は猟に出た時からとても冷たかったが、父親の心の中は、猟の成功と音楽の調べによって熱く満たされていた。

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