第五章 ノルウェー海軍の出動

   ― ベルゲン港のノルウェー海軍基地 ―


ベルゲン港にあるノルウェー海軍基地では、出動準備にかかる者たちと出動の大義名分を探し出す者たちとに分かれて、共通の目的である北極海への救出隊派遣のための歯車が動き出したのだった。司令官室では参謀長と司令官が海軍出動について話し合っていた。二人とも厳しい表情をしている。


「何かの理由をこじつけて海軍の艦船を出動させ、我が国の調査隊を救出してUFF(国際連邦艦隊)を出し抜けないだろうか」と司令官は参謀長に話しかけた。


「我が海軍の出動には大義名分が必要です。それと手続き的には議会の承認も」


「そうだな。・・議会が承認してくれるような大義名分があればいいのだが」


「それによって政府が出動命令を出してくれない限り、人道主義を振りかざしても勝手に出動することは軍法会議にかけられるのは間違いありません」


「そうだな。大義名分か。・・・・・」と司令官は座席から立ち上がって、窓際に歩いて行き外をしばし眺めてから、参謀長の方に振り向いて言った。


「北極海には確か我が軍の観測基地がスヴァールバル諸島から北極点よりの地点にあったはずだな。そこで火災でも、病気でもいい。何か調査隊で緊急事態が発生したことにして、ベルゲン海軍基地への救難信号を発進させて、緊急出動することを大義名分にして海軍の艦船を出動させるという作戦はどうか」


「司令官、意味するところは理解できますが、その救難信号を発信させる指示の責任は誰が取るのですか?」と参謀長はやや否定的な意味を込めて質問した。


「責任? 実態がバレなければ何の問題があるのだ。救難信号を受信して緊急出動するのは責任ではなくて、我が海軍の義務だろう」


「それは確かにそうですが。北極基地の連中に何て説明するのですか。何も事故が発生していないのにもかかわらず、虚偽の救難信号を発信せよと命令しなければなりません」


「そんな事ぐらいどうしたというのだ。基地の隊長に指示すればいいのだ。倫理観も正義感も関係ない。命令が絶対だ。しかも、極寒の基地から救援を求めているのだ。これだけの材料が揃っていて出動しない方が軍法会議にかけられる。基地の隊長に命令すればいいのだ。それに従わなければそいつを軍法会議にかけろ。それくらいに今回の件については腹をくくってかかれ。ノルウェー海軍の誇りがかっている。たかが北極基地の女々しい精神性で拒絶することは許さない。彼等は本部の命令に従順に従えばいいのだ」


 司令官はいつになく厳しい口調で参謀長に言い放った。政府からの救出要請が海軍に来なかったことがよほど腹に据えかねているからなのだろう。


「しかし、北極基地で長期間勤務している隊員に、理由もなく救難信号を発せよと命令しても納得しないでしょう。コンプライアンスの観点で逆にオスロの国防省の参謀本部に問い合わせするかもしれません。そんな緊急信号は発信しないと思いますが。そうなると逆に事実に反する指示を出したことへのリスクがベルゲン海軍基地に発生します」


「隊員がそう思うのは当たっているだろう。だが、海軍に所属している以上、命令に従うのは当然だし、一般社会の命令以上の強制力がある。もし、仮に隊長が命令に背くか、不作為行為をするならば責任者を更迭して代理を立てよ。ともかく、こういう緊急事態を装ってそれを救出するストーリーにしなければ海軍だけの判断で艦船を出動できない」

 司令官はじっと参謀長の顔を見つめながら続けて言った。


「何としても我々、海軍が出て行かねばならない。この機会を逃したら後世までの恥だぞ。なぜ、海軍に出動命令が出ないのだ。海軍から科学省へ出向して調査隊のメンバーになっている者も何人もいるのに。なにか裏があるに違いない・・・・・何とかして命令が出されない背景を突き止めろ。ここで海軍に出てこられてはまずいことが政府にあるのだ。もしくは、政府の中だけで隠しておきたいことが発生したかだ」


 司令官はディスプレイに北極圏の地図を映しだし、ノルウェー調査隊が止まっていると思われる場所でペンの先を当てて、政府の意図を想像していた。


「わかりました。まず、我が海軍が出動する大義名分を作り出します。そのため、今回の背景に関して政治家を使って探ってみます」


「うむ。真相はなかなか分からないかもしれないが、出来る限りの手を使って政府内部を探ってくれ。・・今回の救出作戦に関して海軍に声がかからないのは侮辱されたのと同然だ。民間から見れば、海軍は当てにされていないから救出に行かないとしか映らないだろう。まして調査隊員の家族からすれば“税金泥棒”、“腰抜け”扱いされるだろう。だから、海軍の威信をかけても存在をアピールしなければならない。今回の救出作戦が将来の海軍の明暗を分ける分水嶺になるかもしれない。見て見ぬふりをすることもできるが、そうさせないのが海軍魂だ。そうだろう、参謀長」


「司令官のお考えはよくわかりました。私も歯がゆい思いをしてきました。海軍の名誉にかけて真相を突き止め、北極海への出動の大義を作ります。内密に出動体制を取るように最小限の艦船の艦長に命じ、出動準備をさせます。気心の知れた将校に内密に話しを進め、機密漏れが起こらないように注意を払います」


「うむ、頼んだぞ。何としても我が艦船を出動させ、調査隊を救出するのだ。UFF(国際連邦艦隊)に先んじられてはならない」


 参謀長は無言で司令官の目をじっと見て、その言葉をかみしめるように聞いていた。


「苦労をかけるがよろしく頼む、参謀長。途中で政治的圧力がかかるかもしれんが、海軍本部の連中は何もしてくれないだろう。海軍の艦船出動には知らぬ存ぜぬで、魔女狩りのように首謀者探しをして軍律違反として逮捕に血眼になるだろう。ふん、政府の飼い犬どもめ。・・もとかく割の合わない仕事だ。海軍の正式な任務ではない。だから、たとえ成功しても責められることはあっても、褒められることはない。世論は味方してくれるかもしれないが。それでもやってくれるか」


「やりましょう、司令。結果はどうあれ、海軍の名誉のためにやれることはやります。我々の仲間の生命が危険にさらされているのです。たとえUFF(国際連邦艦隊)でも、北極海での救出活動には慣れていないはず。それに比べて我々にとっては庭みたいなもの。勝算はあります。しかし、出動命令がないにもかかわらず艦船を派遣したとあっては、言い訳は通用しません。覚悟してかかります」


 先程まで慎重な態度だった参謀だったが、司令官の言葉から「この人は軍人生命を今回の救出作戦に賭けているな」と直感した。


「たぶん、UFFとの救出競争になるだろう。・・現場で何もしてやれない自分が恥ずかしいが、神に祈ろう。我々の願いが実現され、北極の寒さに苦しんでいる同胞が無事に帰国できることを」


 司令官はそう言うと再び窓際へ進み、海軍の艦船が停泊している軍港をじっと見つめていた。そこには厳しい表情はなかったが、最後の責任は自分で取るという決心を固めていた。


「それでは、すぐにかかりますのでこれで失礼します。新しい情報が入りましたらお知らせします」


「うむ、武運を祈る」


 参謀長は窓際で背中を見せている司令官に向かって敬礼をして、司令官室から足早に出て行った。


 参謀長の指示により、急きょ最新鋭の潜水艦「フレイヤ」にノルウェー調査隊の救出命令が下った。参謀の中には試運転でのチェック事項をすべて確認しないまま「フレイヤ」を実戦に向かわせることに難色を示すものもいたが、人命優先となにより遭難現場に最も近い位置にある潜水艦ということで「フレイヤ」に救出作戦の白羽の矢が立ったのだった。参謀長の指示に異議を唱える参謀はいなかった。



   ― ノルウェー海軍潜水艦「フレイヤ」のブリッジ ―


 エリクソン艦長がブリッジに入る頃には、「ペール・ギュント」の曲調はあたまから消え去り、試運転中の緊急呼び出しとはいかなるものだろうかと推測しかねていた。艦長がブルッジに入ると、中の乗組員たちは一様に敬礼をした。ブリッジの中に緊張感が走った。


「艦長、海軍本部からの緊急入電が入りました。暗号を解読しますので、しばらくお待ちください」と通信員がエリクソン艦長を見て言った。


「試運転中に緊急入電とは妙だな。何だろう」とエリクソン艦長は副長に向かって言った。


「はい。何事でしょうか」と副長は首をかしげながら艦長に返答した。


 艦長と副長は暗号処理の印刷機から命令書が出てくるのを待った。すると、一分も経たないうちに命令書が出てきた。艦長はすぐに命令書に目を通した。


「海軍本部は何と言ってきましたか」と副長は艦長に向かって言った。ブリッジにいた乗組員たちも艦長から命令書が読み上げられることを期待した。


「なんてこった。試運転を途中で止めるということか」と艦長はため息交じりに言った。そして、命令書を読まずにそのまま副長に渡した。


 副長はそれを受け取り、すぐに一読した。そして、艦長と目を合わせたまま命令書を読み上げた。


「直ちに試運転を中止し、遭難したノルウェー調査隊の救助に向かえ。目標地点の座標は一時間後に打電する。以上。海軍参謀長より」


 命令書を読み上げた副長と同様に、それを聞いていた周りの乗組員は、信じられないような表情に変わった。


「副長、参謀長からの直々の命令書だ。しかし、試運転の途中にもかかわらず、実戦に参加させるとはどういうことだろうか? よほど遭難者救助にさしせまられているからだろうか。それともこれも訓練の一環なのか」


「訓練だとしたら、参謀長の名前で指示することはないと思われます。やはり、実際に緊急を要するのでしょう」と副長は答えた。


「しかし、試運転も終わらないこのフレイヤに何を期待するのか。人命救助の訓練は受けていないぞ。我々で何ができるというのか」と艦長はいぶかしげに言った。


「遭難した調査隊は我が国の科学省が派遣したものでしょう。よほど緊急性が無ければ海軍に救助を求めたりはしないでしょう。我が国ではよほどの事件として扱われているかもしれません」と副長は不安げに答えた。


「科学省は自分たちの手にあまったため海軍に泣きつき、結果的に試運転中の潜水艦まで動員させるとは、君の言う通り、海軍に相当な圧力がかかったのかもしれないな」と艦長は熟考しているように、ゆっくりとした口調で言った。そして、ハッとした表情で乗組員に向かって指示を出した。


「すぐに試運転のための作業を中止。一時間以内に通常運転体制に戻せ。進路は海軍本部からの指示があるまでこのまま進め。ただし、速力は四分の一に落とせ」


 艦長からの一言で、フレイヤの艦内は作業中止のための器材を片付けたり、デデータの確認をしたり、目まぐるしく乗組員が動き出した。それを見ていた副長は心の中で、「試運転も完了していない艦船を実戦に組み込むなんて聞いたことがないし、軍令違反に当たるのでは」と思った。



   ― ノルウェー海軍本部 ―


 ベルゲン港の海軍基地内の会議室では、参謀長が数名の参謀たちと「フレイヤ」が救援に向かったことが公になった場合に備えて、どういう形でメディアリリースするかについて協議を重ねていた。


「『フレイヤ』が救援に向かってからもう二時間か。早く目標地点の座標を送らないと科学省の救援隊に先を越されてしまう。どうだろう、先ほどまとめたメディアリリースのストーリーを基本として、計画通りにならない場合にはオプションリリースをこれから作ることにして、もう目標地点を打電してはどうか」と参謀長は会議室にいる参謀たちに促した。これにはどの参謀からも反対意見が出なかった。というより黙ったまま黙認の姿勢だった。


「よし、それでは司令官。『フレイヤ』に目標座標を打電、合わせて全力で航行し科学省の救援隊より先に遭難した調査隊員を救出せよ、と指示せよ」


「了解しました。急がせます」と返事した司令官は会議室から急いで出ていった。


 会議室の中の雰囲気は、“賽は投げられた”との覚悟に変わった。もう引き返せないのだ。


「それでは、想定される悪い事態を出して、それに対するオプションリリースをQ&Aの形でまとめていこうか」と参謀長は会議を完全に取り仕切っていた。それに対し、各参謀たちは徐々に会議に参加していった。



   ― 航行中の潜水艦「フレイヤ」 ―


「艦長、再び海軍本部から艦長への緊急入電であります」と副長が通信機のある場所に立って、入電の内容確認を促した。


 艦長への緊急入電は暗号化されているため、本人が直接、通信機にパーソナルIDとパスワード、それに加えて暗号解除のための解除コードを入力しなければならない。解除コードはブリッジ内の金庫に納められていて、艦長しか持っていない鍵でそれを開けなければならない仕組みになっていた。


 艦長は鍵を差し込んで金庫を開け、解除コードが書いてある紙が入っている厚紙の封筒を取り出した。そして、その封筒を破り、中から紙を取り出しながら通信機の前に行き、タッチパネルの入力盤に決められた手順で入力していった。最後に暗号解除コードを入力すると、小さなパネルスクリーンに海軍本部から艦長宛てのノルウェー語で表記された命令指示文が現れた。


“これより直ちに以下の座標地点へ迎え。我が国の北極調査隊が遭難。詳細は別途伝達する。これは訓練にあらず。”


 エリクソン艦長は思わず副長の顔を見た。


「やはり、今回の指令は訓練じゃないらしいな」と、艦長は皮肉交じりに漏らした。


「艦長、命令文の座標地点はここです。グリーンランドの北側です。我々のいるロモノソフ海嶺から比較的近い位置ですね。今、この海域には我が国の潜水艦はいません。海軍にとっては、遭難者の救出が試運転より優先的な任務のようですね」と副長は海図を映し出しているスクリーンボードを指さして言った。


「どうもそのようだな。・・航海長、直ちにコースを命令文の座標地点にセット。速度四分の三まで上げろ。深度は現状のままだ


「了解。コースセット完了。今のところ、進行方向に障害物はありません」


 航海長の操作どおりに、ノルウェーの新型潜水艦「フレイヤ」はゆっくりと面舵を切りながら海中を進んでいった。


「遭難者の救出か。そのための訓練を受けた乗組員はいないし、負傷者がいた場合の医療器材などは積んでいないのに。本部の連中は何でもいいから早く遭難現場へ自国の救助隊を送り込みたいらしいな」


 艦長の自嘲的な笑みに応えるように副長は言った。


「何も試験航行中の潜水艦を差し向けなくても、北極調査隊は海軍ではなく、科学省の所属でしょう。であるならば、科学省の砕氷船が手っ取り早いはずですがね」


「全く、いつもながら本部の考えていることはよくわからん。早く救出しなければならないことはわかるが、まるで新人の競泳選手に、いきなり水球の試合に出て得点をあげろ、というようなものだ」


「しかし、艦長、命令ですからね。保安部に上陸用の人選と準備をさせましょうか」


「うむ、そうしてくれ。そのうち、新たな指示が海軍本部から来るだろうからな。それを見越して準備しておくのにこしたことはない」


「保安部長、聞いたとおりだ。限られた装備しかないが、救助活動を前提に準備してくれ」と、副長は保安部長に命じた。


「了解。氷原での救出活動を前提に救助チームを編成します」


 保安部長はそう言って、自分の椅子に座って計器類を眺めてみてもすぐに何をしていいかわからなかった。今の返事とは裏腹に、何から手をつけようかと保安部長の頭の中は困惑していた。

計器類とのにらめっこをして、しばらくしてから、乗組員の中から医務長を中心にして医療行為の経験のある者を乗員データベースから抽出することにした。しかし、ノルウェー調査隊は何名編成なのか。そのうち遭難した者は何名なのか。負傷者や行方不明者はいるのかなど、不明点が多いため、具体的な救援チームの編成人数を何人にしていいか、どのくらいの医療用品を準備すればいいかわからないまま編成作業に取り掛かった。


 一方、エリクソン艦長は航海長と今後の対応策について、こちらも不明点が多い中、予想される海軍本部からの指示をいくつか前提とし、それぞれのケースごとの対応策を煮つめていった。


 艦長は航海長と話しながらもその心中ではこう考えていた。

「これでは、計画されたフレイヤの試験航行は後回しになれるな。まだ、この新型潜水艦の実際の能力を把握できていない状態で、救難活動という実戦配備とは、海軍本部の意図がまるで分からない。何かこの救出作戦の裏に何かあるに違いない」と、これまでの経験から、今後の救出活動に対して一抹の不安を抱いていた。


航海長との打ち合わせが終わり、もう一度対応策を頭の中で整理してみたが、現時点での海軍本部からの情報では詳細な点が全く分からず、ともかく命令された地点へ早く到着することだ。そうしたら、次の命令が届くと想定された。しかし、命令された地点への最短コースは、北極海を横断することになる。いくら海中とはいえ、氷床の下をくぐり抜けていかなくてはならない。ベテランのエリクソンでもこの海域は未知の海域である。それは当然、この新型潜水艦の「フレイヤ」でも同じことである。


「これでは、しばらくグリーグの曲を聞く余裕はなくなるな」と、艦長はスクリーンに映し出されている海図を憂鬱な顔つきで見入っていた。


 試運転中にもかかわらず、短時間での作業中止のための作業を終えた新鋭潜水艦「フレイヤ」の乗組員の中には、副長のように納得しない者も大勢いたが、艦長の命令通りに速力四分の三で直進していた。それでも試運転中であることには変わりないため、乗組員は緊張の連続で無難な航行に努めていた。


エリクソン艦長は「いつまで目標地点もわからないまま航行させるのか」と海軍本部から何の連絡もないことに奇妙な焦りを感じ始めてきた。そうしているうちに、先ほどの指令を受け取ってから二時間後に海軍本部から指令が打電されてきた。


「艦長、来ました。海軍本部からの入電です。少しお待ちください。暗号を解読してからお渡しします」


「うむ」と艦長は緊張気味に答えた。それを聞いた副長は艦長のそばに歩み寄った。


「艦長、どうぞ」と通信員が平文に解読された命令書を艦長に手渡した。


「我が国の科学省が派遣した調査隊六名の遭難地点と推測される場所の座標が書いてある。それと全力でこの任務を遂行せよともある」


 それを聞いた副長は航海長にその座標に向かうよう指示を出した。それからひと呼吸おいて艦長に尋ねた。


「艦長、目標地点へコースセットしました。速力はどうしますか?」


「そうだな。速力五分の四まで上げろ。ただし、ゆっくりとだ」と艦長は気乗りなさそうに答えた。


「三十分かけて速力を五分の四にまで上げる。いいか、くれぐれも慎重に上げろ。もし、異常が発生したら速力を四分の一に戻せ。これもゆっくりと落とせ」と副長は航海長に具体的な指示を航海長に出した。


「それから、副長。・・」と艦長は考えながら副長に話しかけた。


「遭難者の救出するためのチームを臨時的に作る。ドクターを中心にして人選は君に任せる。それと必要な器材の確保だ。注意点としては、まず人命救助の訓練を受けた乗組員が少ないこと。そのうえ、艦内事故を想定した医療器具はあるものの、凍傷などの治療に対応できる医療器具の種類と数が足りないことだ。どちらもないものねだりの状態だ。だが、命令は命令だ。よろしく頼む。すぐに取りかかってくれ。試運転に関する君のチェック事項は私が引き継ぐ。以上だ」


 エリクソン艦長は副長にそう伝えると、計器盤の方に歩いていき、出力アップにおける注意事項を航海長に指示した。


 副長は救出チームの人選と器材の確保についてドクターと相談するためにブリッジ

を出ていった。


 こうして思いもかけぬ作戦行動が試運転中の新型潜水艦「フレイヤ」に課せられたのだった。その後、「フレイヤ」は速度を徐々に上げていき、最後は五分の四にまで高められた。幸いなことに何のトラブルも発生せずに航行することができた。こうして「フレイヤ」は着実に遭難したノルウェー調査隊の場所までその距離を詰めていった。



   ― 「ポセイドン」のブリッジ ―


「ドレイク少佐、ノルウェー調査隊の遭難地点に座標をセットしてくれ。最短コースを全速力で向かうぞ」と艦長は航海長に指示を出した。


「了解しました」と航海長のドレイク少佐が返事をした。


 ポセイドンもまた、同様にノルウェー調査隊の救出に全速力で向かっていた。


「艦長、最短コースにはちょうど潮流を正面から受けることになり、実質的な速力は十ノットぐらいしか出ない計算です」


「十ノットしか出ないのか。今は、一時間でも早く目標地点に到着しなければならない。ノルウェー調査隊の隊員の命がかかっている。何とかならんのか」


「艦長、潮流が相手ではどうにもなりません」と副長が残念そうに言った。


「ちょっとお待ちください、艦長」とドレイク少佐が操作盤のキーボードをたたきながら、何か新たな提案があるような物言いをした。


「・・よし、これならいける」と確信したようにドレイク少佐はつぶやいた。


「艦長、これをご覧ください。このコースを取れば到着時間を四分の三に短縮できます。ただし、問題があります」


 ドレイク少佐に提案がありそうなので、艦長はドレイク少佐の操作盤のモニター画面を見た。


「なに? ロモノソフ海嶺までのコース設定で、しかもジグザグに航行していては遠回りになるはず。なぜ、このコースで到着時間が短縮できるのか?」


「スラスターを使います」


「・・・なるほど、スラスターで潮流による抵抗力を減らすことができるからか?」


「その通りです。ただし、問題なのはロモノソフ海嶺まではスラスターを連続運転するため、補機のスターリングエンジンをずっと稼働し続けなければなりません」


「メインエンジンだけでは足りないのか」


「足りません。もし、メインエンジンだけの場合の速度は十ノットしか出ません」


「うーむ、止むを得んな。今は少しでも早く到着しなければならない。到着しても、すぐに遭難したノルウェー調査隊を発見できるとは限らない。地上では相当な吹雪らしいからな。・・ネール少佐、補機の連続運転は今の状況で可能か?」


「理論上は可能です。しかし、主機と補機の長時間運転では動力源の喪失というリスクを伴います」と機関部長のネール少佐が答えた。


「艦長、主機と補機との連続運転は危険です。どちらかにトラブルが発生した場合には、時間的に取返しのつかないことになります」と副長のビスマルク中佐は慎重な態度を見せた。


「いや、今は多少のリスクがあっても早く行かねばならない。ネール少佐、補機のスターリングエンジンを起動してくれ。そして、トラブルの予兆がないか双方の動力源をモニターしてくれ」


「わかりました。やるだけやってみましょう」とネール少佐は今にも頭を抱えそうな表情で言った。副長もそれ以上は言わなかった。


本来、補機は主機である原子炉及び超伝導電磁推進システムがトラブルを起こした時に起動する動力源であるが、今回のように双方の同時運転を長時間の連続運転させることは、元々の艦の設計思想には予定されていなかった事項である。つまり、今回はポセイドンにとって初めての経験でもあるため、副長としては避けたい事態だが、救出活動に対する艦長の強い意思をくみ取り、あえて異議をとなえなかった。


 ネール少佐はすぐに機関室へ補機の起動準備と連続運転を指示し、合わせて振動、音、熱などの異常が見受けられないか絶えずチェックするように念を押した。


「艦長、私はこれから機関室へ行き、直接、確認作業に当たります」とネール少佐は言った。それを聞いた副長は、ブリッジでのネール少佐の任務を引き継いだ。


「うむ、そうしてくれるか。・・それと、カスター少佐」


「はい、救援隊の準備は現在、進行中ですが、何か?」と保安部長のカスター少佐は艦長の問いかけに対してすぐさま確認を取った。


「乗組員の生命維持システムは最優先させるが、予備的なシステムのパワーを主機と補機に回してくれ」


「了解しました」とすぐにカスター少佐は答え、稼働を停止させる予備的なシステムの選択を保安部員と協議し、決定していった。


これで主機と補機の連続運転を維持させるための一応の体制は整ったが、まだ抜けている点はないだろうかと艦長は考えていた。一時的とはいえ、艦をリスクにさらすことは避けたかったが、いまはノルウェー調査隊員の生命へのリスクを減らすことを優先させた。ポセイドンとその乗組員の命に対して全責任を負っている艦長としては、ギリギリの選択であった。


「艦長、これから補機のスターリングエンジンを起動させます。多少の振動が発生すると予想されますが、機関室とブリッジでモニターしています」と副長は艦長に伝えた。


「わかった。副長、君にはネール少佐の代わりをここで頼む」


「了解しました」と副長は冷静な口調で答えた。


「補機、起動しました」と副長がブリッジ内の乗組員に伝わるように大きな声で言った。


 それと同時に小さな振動と音が発生し、それが連続していた。あらかじめ予想したとおりだが、実際に体験すると不安が生じたことは、艦長以下全員が感じたことだ。しかし、それを口に出していう者はブリッジ内にはいなかった。


「艦長、この程度の振動は問題ありません」と副長が不安を払拭するかのように大きな声で艦長に報告した。


「よし、航海長、スラスター始動」


「了解しました」と言って、ドレイク少佐は左舷スラスターを起動させた。その瞬間、艦には右方向の応力が働いたが、まもなくそれが修正され、振動だけが続いていた。


「艦長、ポセイドンは予定通りのコース、速度を保っています」と航海長のドレイク少佐は報告した。


「うむ、このまま主機と補機が我慢してくれればな」と艦長は副長に漏らした。


「潮流がこれ以上強くならなければ大丈夫です」と副長が答えた。


「航海長、これからジグザグ運転が続くから、予定のコースと速度に気を付けてくれ」と副長が言った。


「了解しました」と航海長が答えた。


 それからのポセイドンの航海は、機関部、保安部、ブリッジが連携して、そのコースと速度を修正しながらほぼ計画通りの時間で目的地点に到着することができた。探知機で氷の薄い所を探査し、浮上態勢に入った。その頃にはスラスター及び補機が停止され、通常運転に戻っていた。



― ベルゲン港にあるノルウェー海軍本部の会議室 ―


「我々の潜水艦『フレイヤ』の救援隊が、遭難した我が国の調査隊に到着するまでにはあとどれくらいだ」と上級将校が尋ねた。


 その質問に対して、実務を担当している若い少尉が答えた。


「はい、我が海軍の潜水艦『フレイヤ』と調査隊までの距離はあと三十km弱です。運行が順調に行って迂回しなければあと三十分程で到着します」


 質問した上級将校はコクリとうなずいて、再び少尉に向かって質問した。


「UFF(国際連邦艦隊)のポセイドンの救援隊はどうしている? 我々の救援隊より先に遭難した調査隊に到着することはないだろうな」


「はい、双方の位置座標は、出資している国の人工衛星から送られてくるデータを分析して把握しています。『フレイヤ』の方が遭難地点にかなり近い場所にいます。ポセイドンの救援隊が遭難地点に到着する頃には、我々の救援隊が立ち去った後になるでしょう」

 

事務局の少尉は自信ありげに、やや微笑んだ表情で上級将校に答えた。


 会議室にいた上級将校たちは安堵と、勝利を確信した満足感を一様に表情に現した。その時、ある上級将校が穏やかなその場の空気を乱すかのように言った。


「我々、海軍が調査隊を救出したとしても、政府は海軍に出動命令を出していないから、後で問題にならないだろうか」


 すると、別の上級将校がそうした心配を払拭させるような口調で力強く発言した。


「確かに政府は海軍に小言を言ってくるだろうが、その時は、訓練中だった潜水艦が偶然に遭難した調査隊を救出した、とでも言えばいい。政府から許可された行動ではないが、人命優先の人道的行動を批判する者はいないだろう。人命は政府の手順より優先されるのは当然だ。それに、こういう英雄的行為はマスコミ受けもいい。国民も我々海軍を支持するだろう」


 自信ありげに別の上級将校が言った。そして、事務局の少尉に対して、ノルウェー海軍の広報部に連絡して、マスコミ発表用の原稿をすぐに準備するよう指示した。


 また、別の上級将校が尋ねた。


「このまま順調にいけば、『フレイヤ』からの救援隊が遭難した調査隊を救出したとして、再び『フレイヤ』まで戻らねばならない。それだけの日数分の物資はあるのか? それと、今後の天候は大丈夫なのか?」


 この質問には、事務局の兵站担当の別の少尉が答えた。


「大丈夫です。『フレイヤ』には試運転中とはいえ、実戦を想定した装備、物資を搭載させてあります。当然、医師もいますし、医療用薬品もあります。・・なお、天候の予想は別の担当が答えます」


「えー・・、天候につきましては、はっきり申し上げてよくわかりません。これから天候は悪化していく兆候が見受けられます。これをご覧ください。これは人工衛星から送られてきた写真です」と別担当者が、数枚の写真をスクリーンに映し出して言った。


 会議室にいたメンバーは全員、スクリーンに目をやった。


「今後の天気予報をシュミレーションさせてみました。それによると、これから天候が悪化し、吹雪になる可能性が高いです」


「吹雪だって? そんな事は聞いていないぞ」と上級将校が機嫌悪そうに言った。


次に、また別の上級将校が質問した。


「君は吹雪になるとい言ったが、どの程度の吹雪が予想されるのだ? 『フレイヤ』からの救助隊の活動に支障が出そうなほどの吹雪なのか?」


「よくわかりません。北極海の天気は、先が読めません。毎年、少しずつ氷原が後退することによって、天候が昔に比べて予想しにくくなっており、シュミレーションしようにも日々のデータの更新が追い付かないので、正確な予想がたてられません」


「チッ、こんな時代になっても直前の天候すら見極められないというのか。国際気象局は何をやっているのだ」と別の上級将校が吐き捨てるように言った。


 しばらく沈黙の間があったが、その沈黙を破るように先ほどの上級将校は言った。


「まあ、仕方ないか。昔から天気予報と競馬は当たらないということになっているからな」


 そう言って、プイッとその上級将校はスクリーンから離れていった。スクリーンの操作盤の近くにいた下士官は互いに顔を見合わせ、「やれやれ」というアイコンタクトを送った。そして、再びスクリーンを見上げて天候の変化を感じ取ろうとしたが、彼らにはこれから変化していく気象を予測することなどできなかったが、シミュレーションの結果が吹雪となっているので、彼の気分は重くなっていた。



― ノルウェー潜水艦「フレイヤ」からの救援隊 ―


 そんな海軍本部のやり取りとは関係なく、潜水艦「フレイヤ」は目標地点に到着し、海上の薄い氷原を下から破壊して、海面に浮上した。真っ白な氷原の中にポツンと「フレイヤ」の漆黒の艦橋部分だけが突き出ていた。そこから、救助隊のメンバーが氷原に降り立った。鉛色のアンジェレーションでノルウェー調査隊の上空全体を覆っている雲は、これから吹雪を生み出す気配は今のところない。また、逆に雲の裂け目から晴れ間が出る気配もなく、泰然として彼らを見下ろしていた。


 「フレイヤ」からの救援隊は天候の悪化の不安を抱えながら、遭難したノルウェー調査隊を目指して雪中行軍をしなければならなかった。彼らが潜水艦「フレイヤ」から北極の氷原に上陸してから十分も経たないうちに、上空の雲の様子が変化してきたことは救援隊の誰の目にも明らかだった。吹雪の前触れだ。寄せ集めの救援隊の隊員でもこれから自分たちに起こる試練を予想するには十分な気象の変化であった。


「全員、整列」


救援隊の隊長は拡声器のマイクをもって、大勢の人数の統制を取るために威厳を込めて言った。


「これより、我がノルウェー調査隊の救出に向かう。調査隊までは長い距離を移動して、再びここへ戻ってこなければならない。我々の敵は、ロシアでもカナダでも合衆国でもない。天候だ。調査隊を発見するにも視界が効かないから、相当の覚悟が必要だ。腹をくくってかかってくれ」


 隊長はゆっくりと拡声器のマイクを下して、救援隊の隊員たちを見渡した。彼

は思った。ノルウェー調査隊の救出も大切だが、自分の配下にある救援隊をいかに統率していくか。その難題が彼の胸中に満ち溢れていた。


 ノルウェー海軍の救援隊は装備の点検を終え、その母艦である潜水艦「フレイヤ」を離れ、遭難地点に向かって出発した。

 その頃には天候がより厳しくなってきているのが彼らの目にも明らかになった。

 ある隊員が言った。


「大丈夫かな、この天気。調査隊にたどり着く前に我々が遭難するんじゃないか?」


すると、隣に立っていた隊員が言った。


「大丈夫だって。これだけの装備が俺たちにはあるんだ。それにこうした救出作戦は今まで何回も行われている。我々が我慢すれば大丈夫だ。必ず調査隊を見つけ出せるさ」


「そ、そうだな。これだけの人数と装備が揃っているからな。なんとかなるか」と不安な胸の内を押し殺して、納得させるように隊員はつぶやいた。



  ― カスター少佐の決断 ―


 ノルウェー調査隊の遭難場所と推定される場所に比較的近い場所に浮上した「ポセイドン」であったが、保安部長のカスター少佐が率いる救援隊はクレバスなど牙をむいた氷原の障害物に行く手を阻まれていた。悪天候が彼らの進行速度を緩めていたが、直線コースでは近い距離まで接近していたが、地形のせいで迂回せざるを得なくなっていた。時間が経っても調査隊に近づくどころか、逆に離れていくコースを取らざるを得なかった。


 救援隊のクルーの心の中には、次第に焦りが出始めてきた。安全優先のコースを選んでいてはいつまでたってもノルウェー調査隊の場所に到着することができない。そうかといって、無謀な直線コースを選んだら自分たちが遭難しかねない。コースの選択はとても重く、救援隊の指揮を執るカスター少佐に乗りかかっていた。


 雪上車は危険なクレバスを避けながらも、進行に支障なく進んでいった。カスター少佐は無謀なコースを避け、安全なコースを選択して、雪上車の操縦者であるキース軍曹に細かに指示を出していた。


「少佐。ノルウェー調査隊の場所まであとどれくらいでしょうか?」とキース軍曹はカスター少佐に恐る恐る尋ねた。


「うーむ、直線距離では十㎞くらいかな」


「そうですか。さっきお聞きした時は八㎞でしたから、直線距離では離れてしまいましたね。・・・少し無理をして直線コースを取りましょうか?」


「いや、今のコースを維持しろ。今の位置から直線コースを取ると、クレバスが待ち構えているはずだ。センサーで感知できるほどのクレバスだから、この雪上車では踏破することはできまい。ここは辛抱だ」


 カスター少佐は隣の操縦者に身を乗り出してそう言い終えると、自分の座席にドカッと座り込んだ。その表情からは、今の指示とは裏腹に明らかにいら立ちを隠せなかった。

 座席から湿気で半分氷かけている窓のくもりを、右手の二の腕のウェアでこすって外を見ると、真っ白な世界に吹雪いている様子が見えた。


「天気予報ではどうだ?」とカスター少佐はキース軍曹に尋ねた。


「だめですね。天候が改善する様子はありません。今の調子の吹雪が続くでしょう」


「・・・」とカスター少佐は無言で黙り込むしかなかった。目を閉じ、少しうつむき加減でフロントガラスを見つめていた。


 いつになったらノルウェー調査隊のいる場所に近づけるのか。直線距離ではそれほどでもないが、その行く手を極寒で人類未踏に近い氷原の地形が彼らの接近を阻んでいる。カスター少佐のテクノロジーを満載した救援隊は、北極という極限の世界ではそのテクノロジーも通用しない。リスクを承知しながら果敢に挑むのだが、人智を超えた北極の吹雪に跳ね返されてしまうのだった。



   ― ノルウェー海軍の救援隊 ―


 ノルウェー海軍の潜水艦「フレイヤ」から救援隊が出発した。しばらくの間は、救援隊の移動ペースは計画どおりだったが、次第にその足取りは重くなり、単位時間当たりの移動距離は徐々に短くなってきた。この理由は、天候の悪化によって徒歩の兵の歩みが遅くなり、それにひきずられるように雪上車もそのスピードを歩兵に合わさざるを得なったのだ。


 雪上車の運転手はイライラしていた。本来の雪上車のスピードならばもっと速く移動できるのに、歩兵がいるばっかりに彼らに移動速度を落とさなければならなかった。雪上車の運転手は助手席に座っている上司に向かって言った。


「なんで歩兵なんかを救援隊に含めたんですかね。足手まといになるのはわかりきったことなのに」


 それに応じるように助手席の上司は言った。


「まあ、捜索するには人数が多い方が発見する確率が高くなるのは確かだが、それは天候が安定していて視界が確保できる状態ならばいいのだが、こんな天候ではいくら人数が多くても何にもならない。むしろ、一人でもいいから鳥の目を持つ兵を加えた方がよっぽど役に立つ。我々だって雪上車の中では、いくら目が良くても遮蔽された車内から見える視界には限度がある。我々いわば“近視”だ。間近のクレバスや氷原の凹凸を判断するだけで精一杯だ。だから、目が効く歩兵を数人選んでおいた方がよっぽどいい。烏合の衆をどれだけ集めたって、そこから相乗効果は生まれない。ぬきんでた視力と感性を持った歩兵が一人いればそれでいいのだ。海軍省の連中は何を考えているのだろう。まるで現場をわかっていない。過酷で、未知で、可変な世界に入

るが、こんな天候の下での任務は初めてだ。・・お前はどうなんだ?」


「私は北極圏での任務経験は何度もありますが、これほど氷原の奥地に入ったのは今回が二度目です。・・すいません。頼りない運転手で」


「そうか。・・と言っても俺も雪上車の運転経験はない。自信があれば運転を変わってもいいが、こんな天候では君がハンドルを握っていた方が安心していられる」


 そう言って、助手席の上司は運転手の肩をポンと軽くたたいた」



   ― ベルゲン港のノルウェー海軍本部 ―


「潜水艦『フレイヤ』から出発した救援隊はどうなっている」と本部長は会議室に詰めている将校に向かって訪ねた。


「当初の計画によれば、間もなく我が国の調査隊の遭難場所に遭遇するはずですが、政府に今回の救出作戦を知られないために無線封鎖をしていますので、正確なことはわかりません」


「そうだったな。無線はうっかり使えないから、後は風任せか」


 本部長はそう言うと席を立ち、大型パネルに映し出されている北極海の地形と、当初計画で計算された救援隊の位置を、両手を後ろ手にしたまま凝視していた。


 本部長は、今回の潜水艦「フレイヤ」の出動目的が救援活動とはいえ、出動の議会承認を得ていないため、軍規に反していることは十分わかっていたが、何とか救出活動を成功させてくれと心の中で思っていた。“勝てば官軍”。救出に成功すればそれを直接的に非難する者はいないし、軍規違反については、人命救出のための緊急避難的行動だったという弁明も頭の中で考えていた。ただ、軍規違反という後ろめたさの気配を周囲の部下に悟られたくないために口数はいつもよりも少なかった。


 うまく救出できれば、世論の評価は海軍に同情的なものになるだろうが、もし、失敗した時には、実際に救出に向かった潜水艦「フレイヤ」の上級士官に止まらず、海軍本部までその軍機違反の責任が及ぶことは容易に想像できた。待ち受けるのは軍法会議だ。しかし、本部長は潜水艦「フレイヤ」の艦長であるエリクソン大佐に賭けていた。彼なら必ずやってくれると。UFF(国際連邦)を出し抜いて必ず先に救出してくれるだろうと楽観的に考えざるを得なかった。「フレイヤ」が出港した時点で後戻りはできなかた。しかし、彼はその時の判断に迷いはなかった。むしろ、よくぞノルウェー海軍の中でエリクソン大佐が貧乏くじを引いてくれたと、変な感謝に似た思いを抱いていた。


 本部長にしてみれば、エリクソン大佐のようなエリート将校に期待すること大であった。それゆえに潜水艦「フレイヤ」のエリクソン艦長を個人的には応援していた。こうした矛盾した感情が本部長を支配していた。しかも、政府には自分たちの救出活動が察知されないことも望んでいた。


 こうした捻じ曲がった感覚が本部長だけでなく、会議室の中の空気に満ちていた。このストーリーどおりにことが運べば後から言い訳は何とでもできる。海軍にとって都合のよすぎる話であるが、伝統ある海軍社会のシステムの中では遺伝子のように受け継がれている。それは何も二十一世紀になってからではない。人間の毀誉褒貶の欲望が成しえる技なのだろうが、二千年前からこうした闘争は続けられていた。大衆には見えないステージで。

 本部長は、自分の複雑な心情を周囲に悟られないように気丈に振る舞おうと心掛けた。


 ちょうどその頃、ノルウェー科学省が砕氷船「ホルダラン」を出動させ、ノルウェー調査隊の救出に向かっていることを海軍本部では知る由もなかった。海軍本部では、今回の救出活動において海軍の存在を内外にアピールすることだけを考えていた。

しかし、潜水艦「フレイヤ」からの救出活動の進捗情報が入らないまま、海軍本部の会議室では沈黙が支配していた。時折、タバコを吸いに行く将校が喫煙室に出入りするくらいしか変化はなかった。情報遮断された集団が陥る定番の状況がここにあった。情報の収集、分析、伝達もできず、事実上、救出活動の本部として機能いているようには見えなかった。



  ― オスロのノルウェー科学省 ―


「砕氷船『ホルダラン』は今頃、どこまで行っているのか?」と船舶部長は事務局に尋ねた。


「部長、さっきから同じ質問ですね。計画通りに『ホルダラン』は航行しています。十分前に入った連絡では、ちょうどこの辺です。昔と違って北極海の氷塊は後退していますから、航行を妨げるような氷山などはありません。ただ、天候は悪化する予報が出ています」と船舶部の課長は答えた。その場の雰囲気には殺気だったような緊張感はなかった。


「そうか。やはり、北極圏で最大の敵は自然だな。・・『ホルダラン』は順調にノルウェー調査隊に向かっているようだが、UFF(国際連邦)の『ポセイドン』は今、どこにいる? 彼らも同じ気象条件の下で戦っているだろうが、『ポセイドン』は潜水艦だ。海中は北極海においても自由に海面下を航行できるが、ぶ厚い氷を突き破ることができるだろうか。当然、ノルウェー調査隊から離れた氷の薄い場所で浮上せざるを得ないだろう。そこから雪上車で移動するだろうが、天候の悪化は彼らの進行速度を鈍らせるだろうな。・・しかし、ノルウェー調査隊の救出は同じノルウェー人である我が科学省の手でやらなければならない。ポセイドンに先を越されてはならない」と船舶部長は、ポセイドンとの救出作戦の勝負に賭ける意気込みを示していた。


 ノルウェー科学省としては、調査隊の活動に深く関与していることから、当然、その救出は自分たちの責任でもあるとの認識を持っていたので、船舶部長がそのように考えるのも自然の成り行きである。科学省以外に彼らを救出できる人的・物的能力を有しているのはノルウェー海軍である。しかし、海軍から議会に対して救出活動のための出動決議要請は出されていなかったため、海軍が科学省と同様に救出活動に踏み出しているとは思いもしていなかった。


 ただ、調査隊六人の人命がかかっており、早急に救出しないと手遅れになる可能性が高いため、ノルウェー政府はUFF(国際連邦艦隊)にも救援要請したわけである。科学省としては、政府から高い評価を受けていないように受け取り、その結果、救出活動が“救出レース”のように位置づけられてしまったのだ。科学省の幹部たちは、UFFより先に自分たちの手で救出し、政府の鼻を明かしてやろうとする、いっけん子供じみたメンタリティーに染まってしまった。


 一方、UFFとすれば、救出活動は通常業務の範囲内であり、全力を尽くして救出に当たるが、ノルウェー科学省のようなオーバードライブした気負いはなかった。その違いから、実際に救出活動に当たる当事者への指示の違いが生じてしまった。


 気負っている船舶部長のご機嫌に沿うように副部長は答えた。


「部長、おっしゃるとおりです。ポセイドンの現在位置まではわかりません。まsて、そこから出発したと予想される雪上車の現在位置もわかりません。しかし、我々の北極観測の経験則からすると、彼らは苦難の道を歩まなければならないことは明白です。ただ、今回の救出活動をレーにたとえると、最初にゴールをくぐり抜けるのは、砕氷船『ホルダラン』です。そのウルマン船長以下の乗組員の奮闘に対する神のご加護があらんことを祈るしかありません」


 神頼みとでも言いたげな副部長の言い方に対し、船舶部長は一瞬、不愉快な表情を見せたが、すぐに平静を保っているかのようにかすかな微笑みをたたえて、何事にも動じないリーダーとしてスタイルを部下たちに見せようとした。


内心は、船舶部長も砕氷船「ホルダラン」が勝利することを確信しているわけではないのである。どちらが優勢か否かを判断するデータがない以上、安心していられないのが本音なのである。しかし、それから数十分経っても何の情報も入ってこない。


さすがの船舶部長もそのしぐさに心のいらだちを完全に抑えることはできなくなってきた。自分の座席を立って、気象、通信を担当している将校に何事か尋ねるシーンが増えてきた。担当官は事実をありのまま部長に報告したが、期待している報告が出てこないことに対し、部長は平静を装って、作戦室にいる部下に聞こえるように強がって言った。


「北極の氷原を、潜水艦で運んだ雪上車で踏破しようなどと、UFF(国際連邦)は無茶な行動に出たものだ。かえって、二次遭難になるかもしれんな。その時には誰が救助に行くのかな」


船舶部長の言葉の裏側の心情を読み取った船舶部の副部長はすぐに発言した。


「楽観主義では、この天候の中での救出活動は乗り切れません。吹雪になれば、わずか数メートルの距離に近づいていても調査隊を見つけ出せないことがあります。かといって、悲観主義でもいけません。あとは現場の運任せにするしかありません」と、神妙な表情で言った。


 それを聞いた船舶部長は自分の座席に座って、副部長の今の言葉に軽くうなずきながら、両手で自分のあごを支えるようなポーズで聞いていた。


「確かに副部長の言うとおりだな。我々はここにいる。一方、砕氷船『ホルダラン』は現場にいる。どちらが救出活動の主導権を握っているかは明白だ。我々は彼らがいかに仕事をしやすいように、あるいは、仕事をやりにくくしないように正確なタイミングでサポートするしかない。・・できることなら、私はあの船に乗りたかった」


「部長、お気持ちは私も同じです。しかし、後方支援は、古今東西の事例が示しているように絶対に必要です。これを疎かににした作戦は失敗しています。我々がその後方支援の役割を果たさなければなりません。情報を収集、分析、伝達し、機密を保持しつつも、確実に砕氷船『ホルダラン』とコミュニケーションを取らなければなりません」


 船舶部長は、副部長の言葉を体中で吸い取るような感じで聞いていた。そして、こう言った。


「副部長。・・そうだったな。ありがとう。つい本音がそのまま口から出てしまった。・・君の言うとおりだ。彼らが仕事をしやすいようにしてやろうではないか。もし、次に今のようなことを私が言いそうになったら、腕をつつくなり、足をけるなどして合図を送ってくれ」


「・・部長、わかりました。それじゃ、部長の尻を思いっきり蹴飛ばします」


「ウハハハハ。それくらいでちょうどいい。よろしく頼むぞ、副部長」


 船舶部長は副部長にそう言うと、真顔になってデジタルマップの海図を操作して、遭難した調査隊と砕氷船「ホルダラン」の座標を再確認して、大型ディスプレイを見ていた。一方、副部長は、船舶部長を斜め後方から見ていた。彼らの間にそれ以上の対話はなかったが、普段の会議以上に緊張感が作戦室にあふれていた。


 そんな時、作戦室のスピーカーから砕氷船「ホルダラン」のウルマン船長の声が聞こえた。


「こちらホルダランのウルマンです。作戦本部、聞こえていますか。・・現在の状況を報告します」


「うむ、よく聞こえる。続けてくれ」と通信担当者がマイクに向かって答えた。待望の救援隊からの報告だった。


 作戦室にいる全員が通信担当者の方を見た。通信担当者は音声をスピーカーにも接続させた。作戦室にいるメンバー全員が待ちわびた声だったからだ。これによって、作戦室には「ホルダラン」のウルマン船長と通信担当者との会話を漏らさず聞くことができた。


「氷山の数は少ないので航行には問題ありませんが、三十分ほど前から気圧が徐々に下がってきました。国際気象センターからのデータを我々の進行方向と照合すると、ほぼ間違いなく吹雪に遭遇することになります。氷の厚さは『ホルダラン』の強度をもってすれば航行の妨げになるとは思いませんが、吹雪になると視界が効きません。遭難した調査隊の位置はGPSで把握していますが、吹雪の中で調査隊を発見することには困難が伴うものと予想されます。運よく捜索隊が彼らを発見しても、『ホルダラン』まで連れてこなくてはなりません。負傷者がいることも想定されますし、無理をすると捜索隊も遭難する可能性が出てきます」


「ホルダラン」のウルマン船長の報告を遮るように船舶部長が言葉を差し挟んだ。


「船長、こちら作戦本部だ。ウルマン船長、君は何が言いたい。悲観的な物言いだが、船長の君がそんなことでは、救援隊全体の士気にも影響を与えかねないぞ」


そばで聞いていた副部長は「まずい言い方だ」と思って、船舶部長に寄り添い、続けて強硬な物言いをしたら肘で合図を送ろうとした。しかし、そこでの指示発言は途切れてしまったので、結局、無言のまま発現に対する注意をそれとなくつたえることはできなかった。


 船舶部長からの叱責にも近いような発言を聞いたウルマン船長は船舶部長に言い返すことはしなかった。いったん言い出したら他人の言うことは聞かないあの人に行っても事態が変わらないことを知っていたからだ。


「こちらホルダラン。・・了解しました」


 不満でいっぱいのウルマン船長は通信機の発信電源を落とし、マイクを静かに置き、ブリッジ内を見渡した。

 船舶部長と船長との会話の内容は、砕氷船「ホルダラン」のブリッジにいた乗組員には正確にはわからなかったが、海軍省から船長がプレッシャーを受けている様子は見て取れた。


 ウルマン船長の目に映ったのは、ブリッジ内の乗組員全員が自分を見ていたことだ。その瞬間、乗組員たちは船長に向けていた視線をそらし、自分の持ち場の計器に戻した。気まずい雰囲気がそこにあった。ウルマン船長は、士気を鼓舞するような指示を発しようと一瞬思ったが、乗組員は、自分と海軍省とのやり取りをうすうす感じて取っているだろうと思い、難も言わずに黙って普段の立ち位置に戻って平静を装った。


その様子を見ていた航海長は艦長に確認する意味で言った。


「船長、速度を上げましょうか?」


 それを聞いた船長はそのままの姿勢で静かな口調で指示した。


「いや、今の速度を保て。氷山の浮遊密度はしばらく変わらないようだからな」


 それを聞いた航海長は安心したかのように、少し大きな声でブリッジの乗組員に明確に聞こえるように言った。船科学省からの圧力に屈することなく、自分の信念を曲げなかったと航海長は確信した。


「指示があるまで現在の速度を維持。氷山の浮遊密度の変化を逐次報告せよ」


「了解。速度維持」と総舵手も明るい声で復唱した。


 航海長の声にブリッジの雰囲気は先ほどの重苦しい空気から解放されて、普段と分らないものに変わった。


ウルマン船長はそんなブリッジの変化を肌で感じ取り、外見は平静を崩すことはなかったが、内心は乗組員が自分を信頼してくれていることを確信した。それと同時に、ノルウェー科学省からの圧力に臆することなく任務を達成することと、「ホルダラン」とその乗組員の安全確保のバランスをいかに取るかという難しい命題の重さをあらためて感じていた。


ブリッジの雰囲気が変わったのか、砕氷船「ホルダラン」はノルウェー科学省と船長とのやり取りなど何も知らなかったように、確実に氷原を切り裂いて操舵手の思い通りに、ノルウェー調査隊の遭難地点を目指して余裕ありげに進んでいった。



   ― ポセイドンの司令室 ―


「カスター少佐からの連絡はないようだが、彼らのいる地域の気象状況はどうなっている?」とティエール艦長は尋ねた。


 艦長からの質問に、航海長のドレイク少佐は即座に答えた。


「カスター少佐が乗車している雪上車からの気象情報は定期的に受信しています。雪上車に問題が発生するほどの過酷な気象状態ではありませんが、クレバスや氷塊があるせいでしょうか、ノルウェー調査隊の遭難地点への直線コースではなく、迂回を余儀なくされているようです」


「そうか、空の天候、陸のクレバスか。相手が自然では遭難したノルウェー調査隊にたどり着くには、予定より遅くなるかもしれないな」と、ティエール艦長は独り言のようにつぶやいた。


 カスター少佐が乗車している雪上車は、ノルウェー調査隊の救出の前に、北極海の自然と戦わなければならなかった。この広大な北極海で、巨大なポセイドンはそれよりずっと小さな雪上車に救出任務を託さなければならなかった。


 過酷な自然環境下では、大きな力を持った者が問題を解決するとは限らず、逆に小さな者が任務の成否を握っていると言ってもいいのは何とも皮肉なものである。ポセイドンの巨大な艦体は、それよりはるかに巨大な北極海の中で、それと比べると、けし粒のような雪上車からの連絡を待つしかなかった。



 ― カスター少佐の雪上車 ―


 カスター少佐が指揮を取る二台の雪上車は、相変わらずの吹雪とクレバスに進行を妨げられていた。ノルウェー調査隊からの救難信号は受信しているものの、その地点にはなかなか近づくことはできなかった。

 雪上車の中のモニター画面には、クレバスの存在を示すデータと形状が映し出されており、それに従って、進行方向を変えながらクレバスの幅が比較的狭い場所を狙って踏破していったが、結果してジグザクに進むだけで目的地までの距離を縮められないでいた。

 外部と隔離された雪上車の中では、エスキモーの末裔のジャン・キース軍曹の勘に頼ることもできなかった。せめて外ならば、彼の気象や氷塊の状態を読み取る本能的な勘に期待することもできたが、機械装置を基盤として組み立てられた二十一世紀の社会システムの中では、その流れを止めて自然に準拠することはできなかった。


 カスター少佐が乗った雪上車に後続している二号車に乗っているドクターのグスタフ少佐から、カスター少佐の下へ無線連絡が入った。


「こちら、二号車のグスタフ。ノルウェー調査隊の場所に近づいていないようだけど、どうなっているの?」


「こちら、一号車のカスター。クレバスの狭い場所を選んでコース取りをしているので、なかなか近づけないんだ」


「そうだったの。二号車のセンサーではクレバスの幅の大小まで検知できないから、どうしてジグザグ運転しているのかと不思議に思っていたわ。・・ここまで来て足止めってわけね」


「ドクター、もう少し我慢をして下さい。なんとかしてノルウェー調査隊に近づくためのコースを探していますが、クレバスに阻まれているのが実情です。・・その代りノルウェー調査隊の所に到着したら、真っ先に彼ら六名のメディカルチェックをお願いします。その時には、そちらの医療班は大忙しになりますからね。その時までもう少し我慢していてください」


「わかったわ、少佐。その時が来るまで待機さえてもらうわ。何か見つかったらすぐに連絡してちょうだい。以上」


 グスタフ少佐からの今の連絡もカスター少佐にとっては、ノルウェー調査隊の発見をせかされているようにしか聞こえなかった。


 雪上車の外は吹雪。雪上車の中にいるカスター少佐の胸の内もまた吹雪であった。キース軍曹に話しかけようにも、そのきっかけとなる言葉が見つからなかった。

 雪上車の中では沈黙が続いた。耳に入ってくる音といえば、雪上車を間断なくたたきつけるような吹雪の音と車内の計器類が時折発する機械音があるだけだった。時間の経過が感覚的には実際の長さ以上に感じられた。


 そんな時、キース軍曹がポツリともらすようにカスター少佐に言った。


「少佐、この吹雪は当分続くかと思われます。たとえ吹雪がおさまったとしても、クレバスを渡ってノルウェー調査隊に到着できる可能性は非常に低いと思います。ただし、これには証明できるデータはありません。私の勘でしかありません」


 それを聞いたカスター少佐は少し思い悩んだ様子で、雪上車のフロントガラス越しに吹雪で何も見えない外に目をやっていたが、急に意を決したようにキース軍曹に向かって言った。


「ポセイドンへ引き返して、もう一度氷の薄い箇所を探し、そこから浮上してあらためて捜索隊を出そう」


 キース軍曹は無言でコクリとうなずいた。そして、今来たコースをたどって、二台の雪上車は母艦であるポセイドンを目指して重そうに進んでいった。二台の雪上車の中のメンバーには、無念さと再起を期す気持ちとが混ざり合っていた。


 強烈な吹雪のせいで、ノルウェー調査隊の救出をいったん振り出しに戻すことを決断したカスター少佐は「ポセイドン」に戻り、艦長と今後の救出方法について話し合った。副長と航海長のドレイク少佐の両名は救出活動の再起を期すため、新しい浮上地点の候補探しに取りかかった。



  ― ノルウェー海軍の潜水艦「フレイヤ」 ―


 ノルウェー海軍の新鋭潜水艦「フレイヤ」から出発した救援隊は、その行く手にクレバスが幾重にも立ちはだかったが、それを迂回することなく、応急用架橋をクレバスに設置して踏破していった。ポセイドンからの救援隊のカスター少佐がクレバスを迂回してジグザクに進むのと対照的に「フレイヤ」からの救援隊は大きく迂回することなく、ほぼ直線的に目標地点であるノルウェー調査隊の遭難地点へと進んでいった。


 しかし、その踏破すべき距離は、カスター少佐が率いるそれよりだいぶ長かった。「フレイヤ」が浮上した地点が、ポセイドンの浮上した地点と比べて、目標地点より遠かったためだ。


 大部隊で遠距離を進む「フレイヤ」の救援隊と、小規模で近距離を進むポセイドンの救援隊が、それぞれ自分の任務を遂行すべく、北極海の氷原で展開している。一方、ノルウェー科学省の砕氷船「ホルダラン」は氷原を砕きながら、ノルウェー調査隊への接近を試みている。


 スタート地点やアプローチの方法の違いはあるが、目指すゴールは遭難したノルウェー調査隊であることに変わりはない。この三者は互いの存在、救出活動を知る由もない。ただ、自らに課せられた救出という使命を実現するために、天候という自然界の力と戦わざるを得ないことが三者の共通点であった。

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