頭を振ると痛みが走る二日酔いに顔を歪めながらサロンの一階に下りる。サロンを指揮所にした日から、待合席で食事を摂るようになっていた。ここのところの朝は大体パン。団長が朝起きて炊飯するのは面倒という理由で朝食にご飯は食べないのだ。どうも昔からそうであるらしい。

「おはようございます」

「おう、アークは昨日の書類を総督府に届けに行った。昨日も言ったように、ここからは手分けして市長の計画をしらみつぶしに阻止していく。」

「と、言われますが、僕、あの書類の中身を把握していないんですが」

 一通り食事し終わった来人が、遅めにやってきた自分を迎える。遅めにやってきたこと自体、彼が怒る様子はない。というか朝起きの時間に関して、彼が怒ったことはない。

「ん? そうだっけか」

「そうですよ」

 来人は説明した気になっていたか、すでに把握済みだと思っていたのか、胡乱な表情を向けている。こちらは玉ねぎ汁を飲みながら頷く。

「あぁそうか、お前と銃のことで長話しすぎて忘れたんだっけ。それからメディと寝ちまったんだっけ。」

 来人に言われて、銃のことをおぼろげに思い出そうとする。そのおかげで、メディさんとのただれた関係についてツッコミ忘れた。後に聞いたところによると、肉体関係ではあるらしい。二人とも、表向き彼氏彼女とか恋人同士とか言わないそうだ。大人な関係、ということなのだろう。

(そういえば銃のことで大事なことがあったような気がする)

 考えて頭を振り、やっぱり頭痛がしたので深く思い出すのをやめた。その内、頭の痛みも消える。その時に思い出すとしよう。

「書類に書いてあったのは大きく分けて三つだ。西京市を掌握するための計画書、地下集積所図面、そして傭兵契約文書の写し。」

 是音のやりすぎという発言が頭を過る。二日酔いでもそれぐらいは覚えている。おそらく一つ目に書かれていることだったのではないだろうか。

「契約文書の写しがあったのは何よりだ。本国経由で告発あるいは逮捕が可能となった。地下集積所については、昔ヤマトの正規軍が大陸に布陣した時の物資集積所として使われた遺構だそうだ。市長はそれを再利用しようと考えて南街区や鉄道区画まで通路を繋げてしまっているようだな。」

 地下で戦闘した傭兵たちが一時避難した正門とは、駅方面のことだったのだろう。あちらには天剣組が警備演習していたり、物資集積所を置いたりしていたのに大胆なことだ。

「そして重要なのが計画書だが、平たく言えば、現在の西京市における経済拠点を占拠する計画が載っていた。港湾区の封鎖方法や鉱山区の占拠方法など。傭兵契約文書といい、全て市長が考えたことではないだろうが、こうして証拠が出た以上、本土の法律で市長を逮捕することが第一となった。その途上で起きるであろう騒ぎは予防するという方向でな。」

 聞いているだけで、真面目そうだった市長には考えられない事実である。あるいは真面目すぎたのが良くなかったのだろうか。刀馬の性格から考えれば、西京市を改善できるのは自分だけだと決意してしまってもおかしくはないかもしれない。想像力の範疇でしかないとはいえ、機会があれば聞かなくてはいけないことであろう。

「そんなわけで昨日言ったような編成で対策をとったわけだな」

「僕は待機、ですか?」

 天剣組の方針は確認できた。丁度良く朝食も終わった。それでは行動開始、と言いたいところだが、自分は何も指示を受けていない。当然、怪訝な顔で質問をする。

「市内は第三部隊に頼んでサロンの番は必要ない。だが連絡員は必要だ。お前はアークや総督府に付いて、その周辺警戒に臨んでくれ。市長の動きに何かあれば知らせて欲しい。第二部隊は動かせないが、俺単独であれば急行ができる。」

 つまりはいつも通りということだ。ある種安心である。昨夜の宴会で認められた気になってしまったが自分は新人である。面と向かって護衛任務に励めと指示されないだけ気楽というものだ。

「分かりました。ではいったん総督府に向かいます。」

「よろしくな。あと通信機忘れんなよ。」

 頷いて、席を立つ。来人は笑顔で言って、僕を送り出した。

 言われたので忘れないように充電済みの通信機を懐にしまい込んでから電源を入れた。結局そこまでで、銃について大切なことを思い出すことはなかった。



 もはや恒例となり誰も気にすることはないが、エクスは車で総督府まで移動した。エクスの記念すべき初戦闘で出会った車は、もはや愛車だ。多少荒い運転も可能だと思っている。

(とはいえ、刀馬に乗せろと言われたら流石に自重すべきだろうなぁ)

 運転に自信が着いたものの分別はつけなくてはいけない。何より、王馬刀馬が総督で皇族であることをしばしば忘れそうになっているだけに、その最低限の分別は大事だ。エクスのミスを気にする彼ではないし、側近の勇太が気にすることはないだろうが、それ以外はそうは思わないはずだ。むしろ、それだから分別しなければならない。刀馬が友情的なのも考え物だ。

 などと改めて刀馬の関係を思い直し、車を近くの路肩に駐車して総督府を訪ねる。この状況下でも門に門番はいないから、門壁の呼び鈴を押さなければならない。呼び鈴を押すと内部から小さく音が鳴るのが聞こえた。程なくして、正面玄関が開く。出迎えたのは黒髪の男性、才賀勇太だ。

「アークさんがこちらに出向いたとのことで自分もこちらに来たのですが」

 手短に事情を伝えると、勇太は目を伏せた。

「行き違いになったな」

「はい?」

 勇太の言葉にエクスは反射的に聞き返した。勇太はため息をつく。

「実はつい先ほど外出したところだ。行き先は旧市街だ。」

「ええ!?」

 アークが理由もなく旧市街に行くとは思えない。ともすれば刀馬関連なのは明らかだろう。エクスは当然に思い、先ほどの分別を放り投げて護衛役に向かって真っすぐに言ってしまう。

「刀馬のせいですよね!?」

「うむ。確かめる必要があると言って飛び出そうとした。無論、俺とアーク君で止めたのだが、一瞬の隙を突いてこっそり外に出てしまった。だから彼が追ったという状況だ。」

 勇太は失礼な物言いに対してやっぱり気にすることはなかった。それに、刀馬の行動を聞く限り、完全な自分勝手だ。仕事はいえ追わなければならないアークも不憫である。ただ不憫ついでに言えば、勇太はこの後に及んで護衛役の務めすら果たしていない。

「俺は旧市街の地理に明るくない。すまないが頼んでもいいだろうか。」

「あ、はい」

 こちらの疑念を察したのか、もっともらしいことを言って依頼してくる。それを聞くのはやぶさかでないが、少しぐらい協力してくれてもいいような気がする。

「今の状況で何が訪ねてきても総督不在で通せる。実際のところヤマト本国の動きを考えれば、都合がいいことではあるのだよ。」

「不在とはけしからん、ということではなく?」

 エクスは当然の疑問を口にする。いないほうが都合がいいとは理解ができない。それに対し勇太は、馬鹿にするような態度は一切取らなかった。彼は頷いて、いつもの気だるい調子で話す。

「ヤマトの海外に対する捜査および逮捕は皇室直属組織が行うことになっている。この組織は直属指揮が皇族ということで逮捕となれば朝敵が確定となる。捜査員が西京市に到着し、普通は最終決定を総督に仰ぐことになるが、不在であれば決定を遅らせることができる。刀馬は不在であることで少しの間だけ時間稼ぎをしようというのだ。」

「時間稼ぎって」

「市長の傭兵契約はクロだろう。だが、刀馬は市長の犯意を確かめるつもりでいる。ただ単に市長の落ち度だけで、この一件を終わらせたくないということなのだ。」

 口調こそ気だるげだが、事情はほぼ把握していることがよく分かる。無能であるか有能であるかは、大体は無能であろうが、エクスは彼が有能であることを分かっている。彼がちゃんと仕事をする時は、主人が本当に危ない時だと知っている。

 つまり刀馬は事件の全貌を少しでも解明したいのだ。しかしそれは本来総督のすることではない。逮捕の後でも解明できることだろう。逮捕を遅らせる小細工の理由として、エクスは納得できなかった。今回の行動は刀馬のわがままと言えるだろう。本来であればそれを解決するのは自由に動けるアークやエクスである。だが、天剣組の方針は傭兵契約を理由に市長逮捕に協力するものだ。このままでは真相解明は望めないという考えから来るものだろう。

「分かりました。なんとしても連れ戻します。」

「よろしく頼む。総督についての訪問はこちらでのらりくらりとしておく。」

 相変わらず勇太はついて来ないが、刀馬の意向が分かった以上、連れ出すわけにもいかなくなった。むしろ、それが刀馬から勇太への信頼の証と言うべきだろうか。

 エクスはその場を翻し、車に乗り込む。あの初戦闘の帰りとは違い、自分から運転して旧市街へ向かう。

 銀座通りは朝の市が過ぎてしまったとはいえ、まだかなりの露店があり、通行人も多く、車で乗り入れるのは不可能だった。仕方なく、商店街入り口の側に車を駐車して鍵をしっかり抜いて降車する。鍵を抜いても盗まれる可能性は考えたが、天剣組の所有車両である印章が付けてある車を盗む危険を冒すことはないだろうと考えて、車を離れる。

 入り組んだ旧市街で特定の人を探すとなると骨が折れる。アークと合流を目指そうにも、彼がどこまで行ったかの見当がつかない。だからと、エクスは前回戦闘があった店を目指して銀座通りに入った。この旧市街で、市長が接触したであろう場所もそこしかないためだ。ともすればアークもすでにたどり着いている可能性はある。上手いこと合流できるかもしれないという希望的観測もあった。

 エクスは通りをまっすぐ、さらに見覚えのある路地に入り、広めの通りに出る。すぐ右手に大きな建物があると思っていたが、まったく違う風景に直面する。

「ッ!?」

 声にならない驚きをする。そこは刀馬と共に一度だけやってきた屋敷の目の前だった。

 道化屋敷。エクスは見覚えのある道から出てくることはありえない場所に出てしまった。

『何とも奇妙な場所なのだ』

 刀馬の声が記憶に蘇る。

『私にとっては気に入らない』

 昨日、電話で聞いた声が再生される。

(招かれたのか?)

 市長の一件はこの屋敷の主人なくして露見は難しかった。ひいては道化こそ、この一件の真相を知っているかもしれないという想像に至るのは無理からぬことだった。普段は来れない場所であり、エクス自身は確実だと思った場所が道化屋敷にすり替えられるということは、屋敷の主人が招き寄せたという推測を立てたのだ。

 かくして、エクスは旧市街に似合わない見栄えのいい庭を通って屋敷の扉を叩いた。この時点で、薄情なことだが刀馬のことを忘れた。これまで協力してくれた謎について個人的に道化に会ってみたいという欲求が勝ってしまった。刀馬から又聞きした、団長やアークの忠告も無視してしまう形になってしまった。

「いらっしゃいませ」

 道化の赤毛の奥方とは違う黒髪の女性が玄関を開いて現れる。奥方と同じく西方風の使用人服を着た女性だ。ほとんど閉じているかと思うほど伏し目の女性であった。

「あの、この屋敷の主人はいらっしゃいますか」

 エクスは特に約束はしていない。この時点では通りすがりの訪問者だ。不審者と間違われぬよう丁寧に聞く。

「旦那様より承っております。どうぞ。」

 彼女は一礼して言う。そして扉を大きく手前に開け、手で中へと招き寄せる。中を覗くと、笑顔で待ち受ける例の赤毛の奥さんが待っていた。

 承っているという言葉は気になるが、エクスは無警戒に入って行ってしまう。そして、扉を閉められた時点で、自分が後戻りできないことに気付いた。

「旦那様がお待ちです」

 にこやかに赤毛の奥さんが言う。そして先頭に立ってエクスの案内をする。

 屋敷の中は外から見るよりも広い構造をしていた。普段近づくことのできない屋敷だから、不思議なことをしているのかもしれない。エクスは前に進むことしかできないと思い、奥さんの後を付いて行く。

 そうしてたどり着いた二階の一番奥から一つ手前の部屋で止まる。奥さんは戸を二度叩いてから返事を待たずに戸を開ける。

「さぁ、どうぞ」

「はい」

 促されるまま書斎のような部屋にエクスは入る。奥の窓辺には長い金髪の人がいて、応接席には刀馬がくつろいでいた。

「刀馬!?」

「あれ? なんでお前が?」

「私が招いたとも」

 驚き合うエクスと刀馬に、金髪の人は男の声を出す。一瞬は女性かとも思った。それぐらい圧倒的に美形の男だ。そして声といい、彼が道化本人で間違いないようだ。

「君も市長がなぜこのような手段に訴えたのか聞きに来たのだろう?」

 道化は豪華な座席に座り、カップを弄びながら聞いてくる。も、というのはおそらく刀馬の質問がそれだからだろう。

「いいえ」

 エクスははっきりと否定した。エクスは初めから真相よりも協力する謎が気になっていた。否定された道化は手を止め、目を丸くした。

 

「どうして貴方は僕たちに情報を与えたんですか? 市長のやり方は気に入らない。本当にそれだけのために?」

 応接席に座らず、立ったままエクスは聞く。そういうエクスの様子を道化は笑った。声を出して笑った。

「いや、すまない」

 ひとしきり笑って、

「流石は獅堂来人の子飼い。細かいことを気にする。それが気になって気になって、危険な場所だろうと飛び込んでやろうという強い意志を感じる。実にいい。そういう取り繕うとしない忠実な意志は好きだよ。」

 謝罪はしたが、道化の言葉の羅列はエクスには道化らしい惑わす言葉に聞こえた。どこも本心がないような言葉だ。

「市長のやり方が気に入らないのは本当だ。信じて欲しい。彼はいわば理想だけで台本を注文する迷惑な出資者だ。己のやりたいことをしつこく脚本に意見する、この世で一番邪魔な存在だ。彼自身は経営の仕方をまるで知らないというのにな。」

 私はこんなところで生活しているから電波映像はほとんど見なくなってしまったから、噂話には敏感だ。原作のある映像劇は出資者のわがままによって作品を大きく変えてしまうとか。

 私は道化。舞台劇の司会を担う以上、舞台の流れを大きく損なうようなわがままは許しがたい。電話口でもそうだったが、芝居がかってしまうのは癖だ。エクスなりの真相究明に来たのに、混乱させられそうで、来たのを後悔しそうだった。

「彼はお粗末だったと思うよ。天剣組に対抗しようとアトラスを招き入れた。アトラスは市長を傀儡にしようと旧市街で虜にしようとした。二つの思惑が簡単に上手くいきそうだったから、まず君たちの耳に情報を入れて邪魔した。アトラス側はすぐに手を引いてくれた。慎重な行動を心掛けていたのに少しの綻びから露見してしまって分が悪いといったところだろうね。」

 私は事の真相を語った。種明かしも含んでいる。正直、してやったと思っていた。アトラスのやり口は何も間違ったことはしていない。市長が契約相手として不十分であったというだけの話だ。

「アトラスの急な離脱に市長は慌てず、外患誘致による西京市街内部での市街戦という最初の計画をアトラスから知り得た傭兵団に委ねた。西京市の重要施設を襲撃して天剣組を陽動、隙を突いて総督府を襲撃するという計画だ。愚かな傭兵団はこの計画を承諾し、一つは地下の集積所に部隊を潜ませた。地下から総督府を急襲しようとしていた。私はもちろんそこを邪魔した。そうしたほうが市長の脚本が面白くなると思ったまで。」

 それが昨日の真相である。私は天剣組が昨日ようやく知り得た計画の全貌を知っている。それは奇妙な話であろう。彼らは疑念を抱くだろう。楽しそうにそれを話している私を。友達から聞いた話を冗談めかして話すような、嘘くさい話し方。信じて欲しいとは言うが、とても胡散臭くて信じきれないという目をしている。

「今回の事件の説明を交えてみたが、これで信じてくれるね?」

「どうして、あなたはそこまで事実を知り得るんですか?」

 彼はこれまでにどこにも道化の姿を確認してはいない。記憶にはない。彼がここまで詳しい事実を知るなら、市長の近くにいなければできないはずだ。

 紅茶の中身を飲み切り、カップを置く。今日も美味しい。

「私は道化なのでね。ことの成り行きの干渉を直接できないが、見ることはできる。そう例えば、昨日の宴会は気が楽になったのではないかな?」

 そう言われて思考が混乱する。反論するよりも昨日のことを思い出す。昨日の宴会は間違いなく天剣組の貸し切り。道化の存在があるわけがない。エクス自身、昨日の夜は酔いつぶれるほど楽しかった。

 道化の言うことは客観的だ。彼が事実を知り得る能力を持つなら、エクスに聞くことはない。

「僕の見てきたことを知っているんですか!?」

「一部だがね。君にばかりかかりきりになるわけにはいかない。もちろん、君自身の意志は君自身のものだ。昨日のように行動を操ることはあってもね。」

 余りにも不可解な言葉で、エクスは訳が分からないという表情をして言葉に詰まる。頭を抱えるように耳に手を当て、思い悩む仕草をする。その態度に、私はまた笑った。エクスは普通の青年だ。多少カンがいい時もあるが、私の得体の知れなさは図りきれまい。

 だがここで混乱をさせて後に響くのも良くない。どうやら舞台も終盤で、もう少しで結末と言ったところだろう。道化がそこまで脚本に干渉するのもよくない。後は彼に任せなければ。

 私は手元にあるハンドベルを鳴らし、従者が来るのを待つ。だがやってきたのは嫁だった。彼女は使用人ではないのに昔から愛用するメイド姿でいる。むしろそういうところが可愛らしく、愛せる要素だ。従者ではないが、彼女に申し付ける。

「お客様のお帰りだ。見送りを。」

「おい!」

 王馬刀馬は慌てて立ち上がり私に食い下がろうとするが、それを聞く気はない。私が話したいことはすべて話した。それによって、エクス・アルバーダの思考は停止してしまったが、私なりの真実を教えたつもりだ。

「行こう、刀馬。もう用事はないなら総督府に帰ろう。」

 私の予想しない言葉がエクスから出る。言葉に詰まって混乱したように見えたがそうではなかったようだ。刀馬の態度が普通である。

「教えろ、道化! なぜ市長は天剣組や総督府を陥れるようになった!?」

「それをこいつに聞いてはダメだ」

 エクス・アルバーダは普通の人間だと思っていた。私の言葉に自意識の疑問を持ち、いったんは立ち止まると思った。だが、彼の制止の言葉には力があった。私の脚本に流されまいという意思を感じた。

 私から見て、エクスは少しカンの良い青年としか思っていなかった。その見誤りを反省した。彼はこの大陸に来て、彼なりに成長している。団長に意見をしたり、ここで王馬刀馬を止めたりしたのが、芯の成長の証と言える。

「貴方は私たちに干渉したりしない。道化の言う真相は、あくまで道化の思う真相でしかない。」

 エクス君、君の言う通りだ。市長が何を考えて天剣組にケンカを売ったのか、伺い知ることはできても、真実は分からない。なんとなく推察はできるが、私には興味がない。興味の引くネタバレは好むが、展開の分かるネタバレなら、後で聞けばいいことだ。

「総督府で市長を呼んで聞いたほうがいい」

「くっ」

 エクスの再三の制止にようやく王魔刀馬は説得に応じた。彼自身もここで食い下がることは得策ではないと気付いたか。彼は楽観的な印象を受けるが、その実とても理性的で人情家だ。であれば人気であることも頷ける。市長が陥れに行こうというものだろう。

「お招きには感謝します。ある程度の事情も分かりました。ですが、ここからの収拾は僕たちの仕事です。貴方の力はもう借りませんし、干渉もして来たりしないでください。」

「無論だ。私は道化だよ?」

「そう信じたいものです」

 彼は苦々しく言って、懐で機械のスイッチを押し、王魔刀馬と共に退室する。私はその奇妙な動きに思考を展開させる。二人が部屋を出て行ってから数十秒ほどで動きの正体に気付いた。

 私は再び爆笑した。道化とあろうものが一瞬だけでも罠にかかってしまった。

私は彼に乗せられるままに、通信がオープンチャンネルであることに気付かず、これ以上干渉しないと宣言してしまった。この一件からすぐに手を引いたアトラスを笑えないミスである。

「面白い。君とはまた対決したいものだね。」

 私は誰に聞かせることもなく、エクス・アルバーダの幻の背中に向かって独りごちた。



「それではお気をつけて」

 赤毛の奥さんの見送りに、僕と刀馬は会釈だけして、屋敷を出た。そして屋敷の門壁を抜けると急に景色が様変わりし、以前と同じく旧市街銀座通りの入り口に戻っていた。そう経験したくはないし、またそう何度もあんな屋敷に行きたくもない。今度からは忠告は確実に守ろうと決めた。

 正直、思い付きでドッキドキの行動だった。何に使うか分からない外部音声送信機能。それを道化からの非干渉の取り付けのために使うなどと。

(成功してよかった)

 僕は安堵のため息をついた。道化がある程度僕の見ていたことを追体験していたことは認めるほかなかった。でなければ、昨日の宴会の様子を知ることはできないからだ。それをどうやったかは分からない。ただ、通常では行けない屋敷といい、道化が不思議な力を持つことはよく分かった。それ以上の追及は余計頭が混乱してしまうだろう。

「さぁ、戻ろう」

 刀馬に声をかけ、駐車してある車に戻ろうとする。だが、刀馬は動きを止めている。気持ちは分かる。今回の流れは確認できた。ただ目的である、市長の考えまでは明かせなかった。

「刀馬」

 僕は再度声をかけた。彼の表情はいままでになく真剣だった。眉間に皺を寄せ、思いに耽っているのが分かる。

「君はそうやって相手のことを好意的に考えられる人だ」

「だがそれでも分からない」

 僕は刀馬に対する考えを明かした。彼と出会った日から、今日に至るまで、振り回される方が多かったが、嫌いにはなれなかった。彼は奔放だが、ちゃんとついて来ているかを考えて振り回しにくる。それを眩しくも思ったが、決して嫌味ではない。となれば、嫌味に見える人間も居るだろう。

「そう君が考えることを疎ましくも、うらやましくも思う人はいるんじゃないかな」

 彼はおよそ皇族らしくはない。護衛役の従者ですら兄弟のような関係だ。それをおそらくは夕那も困っていたことであろう。それは僕も同じであったのだから。

 僕の言葉に彼は大きく息を吐いた。一度、大きく息を吸う。

「だめだ。分かんねぇ!!」

 いきなり大声でそう言った。流石に後退りして驚いた。

「俺の態度の中で、羽室の奴が悪意を持つ節なんて思いつかねぇよ!」

 どうやら彼は僕の言葉を軸にもう一度考え直したが、それでも思いつかなかったようだ。その態度に僕は少し笑ってしまう。

「なんで笑う?」

「いや、市長に友達っぽい感覚なのかなって」

「当たり前だ。この西京市で住む以上、同じ開拓を営む友でしかありえない!」

 彼は明朗快活な人物。本気でそう思っている。そうであるから、アークは彼がサロンに来ることを断らないし、僕は本当に友達だと思ってしまうのだ。

 市長はそれがダメだったのではないかと予測するほかない。

「これ以上考えても仕方ないさ。総督府に戻ろう。市長を呼んで、直接聞くしかないさ。」

「来るかな?」

 僕と刀馬は車に乗る。鍵を回して火を入れる。彼の問いに対して、この動作の間に考えた。市長はこれまで刀馬からの応答を拒否し続けた。アトラスの関わりに対しても沈黙を守り続けた。だが、市長の雇った傭兵団の一つは昨日壊滅したことが生き残りから知らされたはずだ。計画が漏れたということも分かっているはずだろう。であれば、今の市長は追い詰められているだろうし、弁明や言い訳の用意をしているはずだ。その状況下で、今一度総督から話し合いを求められたら、僕なら行く。行って命乞いかお情けを認めてもらうようにするだろう。

「来るさ。多分市長は追い詰められてるし、思い詰めている、と思う。」

 僕は詳しい予測を口には出さず、市長の心情の予測だけを述べた。車を出発させて、数分の距離を行き、総督府に戻ってくる。本来であれば、今も総督府内で待機しているはずで、この後市長を呼びこむという独断をすることはなかったはずだ。

 そういえば通信は市内全域で通信装備を携帯していれば聞くことができるはずだ。であるのに、今に至っても、僕に対して通信が届く気配はなかった。先ほどのとっておきの奇策も他に届いていなければ、とてつもなく恥ずかしいのだが。

 奇妙な状況は総督府内に入っても継続した。いくら待てどもアークが戻ってこなかったのである。通信で呼び出してみても繋がらない。

「こちらは何も連絡を受けていないね」

 総督府の建物内で待機していた勇太は僕の疑問にそう答えた。こちらからどうやってアークに状況を知らせるべきか考えるうちに、市長が刀馬の呼び出しに応え、到着した。知らせを聞いて僕は総督執務室に入って、執務席に座る刀馬と共に市長が来るのを待つことになった。

 執務室に入ってきた市長は見る限りとても堂々としていた。きちっとした服装は乱れがない。対して刀馬は上着を脱いで軽装。僕が言えた話ではないがだらしがない。

「これまでまったく話をしてくれなかったのに、よくぞ来たな」

 刀馬はやってきた羽室市長に意地悪く言う。これまで約二ヶ月も話し合いを無視したならば無理もない。

「私は閣下よりも屋内での仕事を好むもので」

 売り言葉に買い言葉か。市長は皮肉で返す。その会話を見る限り、僕から見て市長を説得することは不可能に思う。というか思えば、この二人、顔を突き合わせては棘のある言葉の応酬をしている。本質的に相容れないのかもしれない。

「単刀直入に言おう」

 刀馬は席を立ち、市長の正面に立つ。身長差はほぼない。

「弁明がない限り、今日明日には君は逮捕される。拘束命令はすでに届いていて、俺の方で止めている状態だ。」

 刀馬の言葉はほとんど脅迫だった。説得のせの字も感じられない。その言葉に市長はたじろいだり、慌てたりしなかった。上着の懐に手を入れる。僕はこの時点でこの動作に気が付くべきだったのだが、二人を見守った状態だった。市長がそこまで強引な手段を取るほど思い詰めているわけがない、と思い込んでいたかもしれない。

「閣下、それではその命令を破棄してもらえますか」

 市長はそう言って懐から手を出し、その手で握りしめた拳銃をすぐ撃った。

 狙いは刀馬から逸れて背後の本棚に弾痕を付ける。片腕一本分の距離ではずすわけがないので、わざとはずしたようだ。飛び出た薬莢に僕は吃驚して立ち上がるが、止めにはいけない。

「大丈夫だ。このままだ、エクス。」

 そして二度目ははずさないとばかりに銃を向けられている刀馬は、僕を制止する。その様子はいくらも動じていない。

「今の今まで準備をしていた、と?」

「その通りです」

 刀馬は何か察したようだ。執務室の外から複数の足音や銃声が響く。

「総督府は現時点をもって制圧しました。命令書の破棄をお願いします。」

 様子は今のままだと伺えないが、総督府の中に武装集団が入ったことは確実だろう。この総督府には門番がいない。護衛役の才賀勇太も折悪しく別室待機だった。市長の要求は勿論命令書の破棄。そのために総督府の制圧までやるのか。

「市内には天剣組が巡回している。すぐに彼らは来るぞ。」

 刀馬はまったく弱気にならず凄む。市長はそれにため息を吐く。

「閣下、貴方は立場を理解してください」

 市長が逆に説得しようとする態度を示しているが、僕から見ればどっちもどっちだ。彼はもう片方の手で携帯を出し、何かの操作をする。その後に聞こえたのは、外で花火のような爆発音だった。通信しようとしていた僕の耳に雑音が響く。この音は通信中継先が消失した音だ。通信を中継している電波塔はもちろんサロンである。

「今、市内の各所でボヤ騒ぎが起きました。なおサロンは念入りに爆破させましたよ。」

「市長、何でそんなことを!?」

 目に余る暴挙だ。僕は叫ぶ。刀馬が人質に取られているのに下手なことをしたが、それだけ怒ったのだ。

「最初に出会った君は天剣組とは思わなかったが、君のせいでこちらの計画は次々と駄目になった。それに、私は言ったはずだ。君たちは市の雑用をやってもらっている。本来ならばサロンは私の市に必要のないものだ。」

 市長から見れば、僕の存在が鍵になっていると見えるだろう。本来は道化の情報提供のおかげであったのだが、それを知る由もない。とはいえ、結局彼はサロンが邪魔だったのだ。アークは立場として市長に文句の一つも言わなかったのにも関わらずにだ。

「市内各所で騒ぎを起こし、サロンを爆破して注意を向ける。そんな謀反みたいな行動、一体誰からの入れ知恵だ?」

「これは私の本心だ!」

 刀馬の質問に、再び市長が声を上げて撃つ。今度も外した。かなり苛立っている。その苛立ちの正体が分からない。

「次は撃ちますよ。さぁ命令書の破棄を。」

 市長の再びの脅迫だが、刀馬はやはり動じない。むしろ口角を上げている。この状況下で笑おうとしている。

「その前にどうしても聞いておくことがある。どうして敵対するんだ? それがずっと分からないんだ。」

 刀馬は今まで抱いていた疑問を口にする。むしろそれが聞きたくて呼び出したわけなのだが、聞かれた市長は拳銃を持つ手が震える。苛立ちがついに露わになり、声が上擦る。

「閣下はお飾りなんですよ! 私がお飾りではなく、貴方が!!」

 この言葉で僕は市長の考えに納得いったし、失望もした。最初は仕事をわきまえた真面目な人だと思っていた。次に会ったときは、民主的に選ばれた人らしく、職務をきっちり行う人だと思った。

 だが今の彼は市長という職にしがみつく貧しい人だった。自分だけで何もかもを変えようとしていたことは、今朝の団長の話で分かった。彼にとって刀馬は目の上のタンコブでしかなかったようだ。

 刀馬が悩んだようにそうなった理由があるはずだが、この態度では突っ込んだ理由を聞く気にはなれなかった。

「つまり貴様は、ゆくゆくは俺の代わりが務まると思い、こうして乱心した、と?」

 刀馬の市長への呼び方が変わる。それは挑発にも等しいバカにした顔つきだった。再三言うことだが銃で狙われている人間のできることではない。それは撃たれないという確信を持った態度だ。

 彼もまた、羽室誠治という自分が承認した市長に失望し、その心の内を読み切ったのであろうか。

「貴様は甘いな」

 刀馬は口角を上げて笑う。微笑むのではなく、不敵に笑った。その直後、外で聞き覚えのある破壊音が響く。

「総督府の門壁は作りが悪くてな。ちょっと小突くだけで壊れるんだ。」

 その言葉には覚えがある。格闘家見習いである刀馬がすこし殴っただけで崩壊する門壁のことを、僕はよく覚えている。

「お前がどのようにこの総督府を籠城する陣にしたかは分からないが、天剣組にすぐ壊れる壁は障害物にならないぞ」

 刀馬の言葉の後に銃声が外で鳴り響く。占拠した武装兵の抵抗だろう。

「天剣組とは、最後の将軍皇が率いたヤマトの当時最強にして最後の侍の集団。その侍の一人の血を引く獅堂団長に率いられた此度の天剣組は今ヤマトで集められうる最強の剣士集団。遠くから銃を撃てば剣士など容易いなどという常識を尽く打ち破る。なぜなら彼らの剣は銃弾を弾き、銃撃よりも敵を打ち倒すからだ。」

 僕は天剣組にいて、天剣組をよく知らない。個人の戦闘力はアークや、エリス、夕那を目にはしている。隊長達が英雄と呼ばれるような人であることは知っているものの、一体どのぐらいの強さなのか知らない。

 刀馬は天剣組をよく知っている。当然であろう。

 連続する銃声と、銃声の終わりに響く悲鳴。恐らくは敵の悲鳴だ。聞いたこともない声だから、ということと、襲撃者が自分よりもはるかに戦闘に長けているからという情けない観測におけるものだ。

「銃を捨てて下さい」

 僕は静かに隠し持っていた拳銃を取り出し、両手で構えて警告する。拳銃の引き金には一応、指が引っかかっている。撃つつもりは毛頭ない。というかこの距離で撃って当てる自信がない。昨日の今日ですぐに銃が撃てるわけがない。

 市長は目まぐるしい状況の流れに動揺しているのか銃の狙いが震えている。

「君が銃を下したまえ」

 政治家は上擦った声で言う。未だに負けを認める気ではないようだ。とはいえ、焦りがあるのは間違いない。

「私が人質を取っているのだ。人質は皇族の方。この野蛮な鉄から放たれた火が人質を貫けば、君どころか、君の上司の命も危ういのだということを分かっているだろう?」

 彼は自分を棚上げにして、警告をのたまってきた。皇族に銃を向けるという禁忌を犯した以上、市長は重罪が確定している。彼がこのまま大手を振って歩くには、僕を振り切り、総督府を出て、人質の総督に要求を聞き入れさせるしかない。占領されていた総督府の制圧が進む今、外への脱出も難易度が高い。彼にはまったく後がない。諦めていいはずだが、やはり銃を捨てる気配はない。この期に及んで、賭けに勝てるという自信があるかのようだ。あるいはヤケクソか。

 彼がもし銃を撃てば、眼前の総督は即死だ。狙いが逸れて奇跡的に助かる可能性はあるかもしれないが、あまりに距離が近すぎる。僕の撃つ銃よりもはるかに命中率は高いだろう。総督が死ぬことになれば、政治家を捕縛できたとしても責任は僕だけに留まらない。総督は継承権がないとはいえ、皇族なのだ。ヤマト指導者の次男だ。一体何人の人間が責任を取って命を絶つか分からない。

(でも団長なら逃げるかも)

 不謹慎ながら思う。

「獅堂来人はそんなことになったら逃げるよ」

 僕の降って湧いた気持ちを総督は代弁してくれた。かなりの薄情さと忠誠心の薄さだが、彼に理解されている僕の上司はやっぱり凄かった。

「閣下、貴方は御自分の立場が分かっていない!」

「分かっているとも。貴様がこの状況を打破することができないくらいは。」

 拳銃を改めて突きつける市長は叫ぶも、不敵に笑う刀馬は冷静だ。命の危機であるというのに、命乞いの一言はない。

 そしてそれだけの大物ぶりを見せられて、僕はさらに焦る。手汗が滲む銃の引き金。銃口を市長に向けて、その狙いに惑う。

(どこを撃てばいい?)

 僕は銃を撃ったことがない。それがどんな音をたてるか、撃った後どうなるか知っていても、実際に引き金を引いたことはない。僕は銃を持つ覚悟も、撃つための覚悟も、実際に命のやり取りをする覚悟も持ち合わせていなかったし、構えたのは警告だけに済ますつもりだった。

 緊張状態の僕に、団長の言葉が蘇ってきて、引き金に引っかかった指に力がこもった。

『人を斬るのも、人を撃つのも、結局は同じことよ。最初の覚悟だけだ。それは後悔との表裏一体だ。今は答えを出せなくても、覚悟しなければならない時に直面する。責任など考えるな。覚悟したなら、他は言い訳にすぎない。』

 昨日の夜に聞いた言葉が蘇る。僕はその言葉の意味を理解しようとしていなかった。即物的な力を欲してしまった。その覚悟に最初の勇気が必要なことを知ろうともしなかった。

 おそらく市長も同じだったのだろう。何より彼はすでに二発も撃っている。そのどちらもはずしてはいるが、皇族に銃を向けることを本心では躊躇っている。覚悟がないまま、警告で済ませようとしている。

 僕も市長も思い通りの展開になっていない。市長は相手がまるで怖がらない王馬刀馬である。そして僕が撃とうとする相手は、その状況で引き下がることのできなくなった市長だ。

 僕はここでようやく気付いた。団長が言った、僕が銃を握っても仕方ない意味を気付いた。引き金を引くのも、他人を指揮することも同じことに気付いた。

 旧市街での戦いの助言も、市街地下での状況打破も、間接的とはいえ自分で引き金を引いたことと同じことではないかと。知らず知らずの内に間接的な人殺しになっていると考えると、僕はようやく冷静になれた。銃の狙いは自然と市長の頭へずれていく。過呼吸だった気がする呼吸を少しずつ深く戻していく。震えが止まる。狙いが市長の銃を持つ手に定まる。

 そして、一気に深く空気を吸い込み、僕は引き金を引いた。

 カチン、という静かな金属音が鳴り響く。

(あれ?)

 市長の銃のように、学生の時に聞いたような破裂音が鳴らない。もちろん銃弾も飛び出ていない。確認のためにもう一度引き金を引く。弾は出ないし、空しく金属音が鳴るだけである。もちろん空薬莢も飛び出ない。

(あっ)

 そこでようやく肝心なことを思い出す。ずっとずっと忘れていた。

『当然だが弾は入ってないぞ。備品管理所で申請してもらえ。整備の仕方は聞きやすい奴に聞け。訓練は好きにすればいい。』

 この銃は弾が始めから入っていない。そして今朝、二日酔いで忘れていて、結局備品管理がされている西京市駅の臨時管理所に行っていない。なにより真っすぐ総督府に向かってしまって、申請する時間的余裕もなかった。

「ごめん、刀馬! これ弾入ってない!」

「マジで?」

 すっとぼけているというかありえないというか、この状況下で慌ててゆるい発言をしてしまう僕。アホな確認をしている僕に対して素の反応を返してしまう刀馬。

 そのありえない状況に置いてけぼりとなり、市長は激昂する。

「ふざけるなぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 その時点で市長の思惑はブレてしまった。人質を取っているという絶対安全な状況を捨てて、怒りのみで銃を僕の方に向けてしまった。

 王馬刀馬は格闘家見習い。その狙いのはずしを見逃さず、拳銃を持つ手に向かって蹴りを放つ。僕は銃の暴発に備えたわけではないが、反射的に刀馬に向かって身体を動かしていた。僕の逃げにも近い横への避けにより、暴発した銃弾は空しく空を切った。持っていた銃も市長の手から離れ、執務室の隅まで滑っていく。

「だから貴様は甘い」

 刀馬の体の動きは止まらない。出入り口のほうではなく、北窓の方へと逃げる市長に対し、応接机を踏み台にして上半身への蹴りを見舞う。

「あああああ!」

 市長は無様に蹴り飛ばされて北窓まで転がる。

「終わりだな」

 息を吐いて刀馬が言う。それが合図だったかのように、出入り口が切り裂かれて崩壊する。いつのまにか鍵が閉められていたようだ。おそらくそれが出入り口へ逃げなかった理由だろう。

 崩壊した両面扉の先にいたのは獅堂来人だった。両手に赤黒い刃二振りを持っている。彼の後ろには血を流す武装兵士の死体が見えるだけで二つあった。来人は第二部隊と共に遠隔地警備に出向いていたはずである。

「なんだ、終わりか?」

 来人はつまらなそうに言う。暴れ足りないという様子である。あるいは、乱入するタイミングを狙っていたか。

「どうして団長がここに」

 当然、僕は聞く。出発時間が違ったとはいえ、僕が総督府に着いた頃には第二部隊と市街を出発した頃だろう。団長が総督府に間に合うためには、作戦地域である鉱山区に着いてから、すぐさまトンボ帰りしなければならなかったはずだ。

「お前たちの動きを知ったアークが速攻で連絡をしてきた。後は事が動いたらアークが先行、俺は今しがた追いついたところさ。」

 来人は不敵に説明する。それで僕も思い出す。そういえば道化屋敷で、機転を利かせて通信を全開放したのだった。つまりアークがあの会話を聞いて、お膳立てをしてくれたのだ。それならば、これまで連絡が不通だったのも頷ける。ひょっとすると、連絡をもらっていないと答えた勇太もグルだったのかもしれない。

「その銃、撃ったのか?」

 来人は諦めとも苦笑とも取れる顔で、僕に聞いてきた。団長の使わない団長の銃を僕はまだ引き金に指をかけた状態で持っていた。団長の質問は当然であろう。

 僕は一瞬答えに迷って、銃を一度見る。思い返すと本当にアホなことである。だから僕は素直に答えることにした。

「撃ちました。弾入ってないんで、撃ったことになるか分かりませんけど。」

 僕は苦笑するしかない。

「これ弾入ってない!」

 刀馬はとっさの一言を声真似して見せてから、たがが外れたのかその場で爆笑し始めた。

「なるほど。お前はそれでいい。運が良かったな。」

「はい」

 僕の答えに来人は微笑み、僕は笑われずに済んで返事する。来人がどのような気持ちでそんな言葉を言ってくれたのかは分からないが、僕のうっかりの気は紛れた。

「さて、市長を拘束しなければならないが」

 気を取り直して来人は市長の方へと向き直る。市長はよろよろと立ち上がっており、北窓を開けていた。この期に及んで脱出する気であるらしい。

「刀馬、エクス、耳を塞いでその場に伏せろ!」

 来人が注意を叫んだ直後、市長が開けた窓から手榴弾が投げ込まれる。僕と刀馬は言われた通りに耳を塞いでその場に伏せた。その一秒か少し後に銃とは違う破裂音がした。

 その後一つの爆発音しか鳴らず、僕は恐る恐る北窓の方を応接椅子越しに覗くと、窓硝子が爆発で割れ、床と椅子を焦がす黒い爆発後を見た。来人は窓枠に駆け寄っており、消えた市長の姿を見つけようと見回している。

 そして、三人の耳に明らかに車の急発進の音が聞こえた。一応総督府の真裏に逃走車両を残しておいたのかもしれない。

「あの体で逃げ足の速い!」

 広間には一方的な戦闘跡があった。銃弾の跡も多く残っているが、兵士たちは全員、首や胸の一刺しで事切れていた。絨毯が血に汚れている。アークがほとんど片付けてしまったのだろうが、彼の姿は広間にない。

 来人は毒づいて、執務室を出入り口から出る。僕も反射的に執務室から出て、後を追った。彼は崩壊した正門にまで出てしまっているので、僕は広間の惨状を結果的に無視して総督府を出ることができた。

 総督府を出てようやく市街の警報音が耳に聞こえてきた。遠く離れた場所で、消防団の警報が聞こえてくるし、西京市の各所で黒煙が上がっているのが見えた。

 来人は舌打ちする。市長の攪乱工作がここに来て効いてきた。市内は混乱状態だ。検問を敷こうにも人手が足りない。市長らとて混乱する市街の間を縫って脱出しなければならず、時間がかかるとはいっても、その条件ならこちらも同じになってしまう。

 僕は壊れた門壁や籠城用の土嚢を乗り越えて、総督府敷地外に出る。そして道路の様子を伺い、愛車の存在を見つける。破壊工作が行われた様子はない。

「団長!」

 僕は団長に声を掛けながら、愛車へ飛び乗った。流れる動作で鍵を回し、車に火を入れる。

「追うのはいいが、行先は分かっているのか!?」

 来人が後部座席に飛び乗る。彼の質問はもっともである。市長が逃走先として選ぶ場所はいくつかある。彼はすでに重犯罪者。比較的安全な逃走先を選ぶであろう。その目的地について、僕はある確信があった。

『静養先なら西方と中間地点になるところがいいですよ。温暖だし、治安もいい。』

 あの雨の日に出会い、市長自身が言ったことを思い出す。あとは脱出方法だが、これは僕の中で二択になる。

「獅堂団長!」

 走り出そうとした時、後ろから刀馬の声がかかる。

「難しいかもしれませんが、羽室誠治は生け捕りでお願いします!」

 確かにそれは難しい注文だと思う。市長自身はすでにボロボロである。逃走できるだけの体力がよくあったぐらいだろう。仮に追いついても、逃走車両を壊さずに止める必要も出てくるかもしれない。

「それをするために俺が出てきた。問題ない。」

 根拠は分からないが、ここではものすごく頼りになる言葉だ。僕は直接後ろを見なかったが、車の側鏡で半立ちでいる来人の姿を見た。

「さぁ行け、エクス!!」

「はい!」

 来人の合図と共に僕は車を急発進させた。

 前述の通り、市長の向かう先は大陸鉄道で行ける西方への中間地点。そして問題となるのは、そこまでの脱出方法だ。

 一つは陸路。車両で逃げ切ること。もう一つは空路。逃げ場がないものの安定した移動手段である。通常であれば圧倒的に後者が選ばれるが、現在市長は本国に指名手配される寸前である。本国から飛んでくるであろう捜査員のいる場所に自分から向かうことはありえないのだ。

 であれば陸路となるが、西京市のほかの大きな開拓都市はこの大陸には数えるほどしかない。またそれも大陸北部に限った話だ。大陸横断鉄道が開通すれば町はおのずと増えるものの、現在の大陸における途中駅は物資集積所でしかないのだ。

 逆に言えばそれぐらいしか目印はなく、また人家も望めないことから、一両しかない逃走車両が市外に出た場合、捜索困難となってしまう。

 だから最終的な行先が分かっていたとしても、どこから逃走車両が脱出するかの予測をしなければならない。

 僕にとってその予測は情報から推理することはできず、ただのカンになった。僕が市長であればそうする、という根拠の薄いものである。

 愛車の速度を上げて、僕は目的方向へと出る。

「やるな、ドンピシャだ!」

 市街の混乱を避けて、その上で車両は大陸鉄道線路沿いのあぜ道に出る。すると緑で小さめの輸送車両が僕の眼前に現れた。それが陽動の車両でない限り、来人が見た市長の逃走車両であろう。

 輸送車両は後部貨物部の扉を中から開ける。その中にいたのは、生き残りの武装兵士二人と、市長の姿。声こそ聞こえないが、こちらの車に乗る来人の姿を認めたのか、恐慌状態に陥っているように見えた。

「大丈夫だ! 速度を緩めるなよ!」

 追ってくる僕らに対し、武装兵士は榴弾を構えている。直撃すればひとたまりもないが、ここまで来たら僕は団長を信じるほかない。速度を緩めず、回避行動も行わずに走り続ける。榴弾が発射され、車への直撃進路が見えたと思うと、僕は一瞬視界を白い何かに遮られて、びっくりする。

 その白いものによって榴弾は弾かれ、右後方に落ちて爆発する。その白いものは翼だった。来人の背中から伸びている。白鳥のように真っ白で、西方の宗教画に描かれるような天使の翼のようであった。

「このまま並走だ!」

「了解!」

 小さめの輸送車両だが、僕たちの車両のほうが軽い。同じ速度でも速度差はつく。加えて満足に舗装されてない道は重量のある車では制動が利きづらい。輸送車両の方はよく運転しているが、左右に揺れている。

 反面、僕はこういう道を走り慣れてしまっている。この車を手に入れてからの練習の走りは無駄ではなかったのだ。何より、僕はまったく臆してはいなかった。車を加速へと導くために踏み込む力は緩まない。恐怖でおかしくなったとか、ヤケクソになったとかではない。ただ、来人を信じるだけしかないと考えていたのだ。そのために持てる力を発揮するのだと。

 輸送車両はじりじりと前に出てくる僕の車に対して、窮したのか幅寄せを敢行してくる。だがそれは大きな間違い。寄せてきた輸送車両は速度を緩めてしまい、加速し続けた僕らの車が追い越してしまう。

「さぁて、終いだァ!」

 後部座席を立ち上がっていた来人はまったく臆せずその場を跳ぶ。その後は、側鏡越しに見たままの光景だ。

 あの赤黒い刃を両手に手にした来人が走る輸送車両にまず一振りして運転席を斬り、半ばからの貨物部分を縦に、空中で一回転しながら切り裂いた。運転席が鮮血に濡れる。

 起きたことの理解が及ばないが、制動を失った輸送車両は横転しながら横滑りして行き、それによって巻き上がった土煙の中に来人は消えていった。

「ちょっとォ!?」

 僕は速度をぐっと緩めてから停止へ持っていき、改めて車を引き返す。横転した車に僕は車を近づけてから降りる。運転席は血まみれ、後部貨物部は真っ二つになってあぜ道の両端にそれぞれ断面を見せて落ちている。乗っていた武装兵士の二人は来人に車を斬られた時に振り落とされたのか、流血していて動かない。そんな現場で割れた貨物部の片方に比較的無事な人間を見つける。市長に間違いない。

「そいつ生きてるかー?」

 土煙の中から、来人が姿を現す。すでに背中に翼はなく、僕がよく知る団長の姿だ。当然のように無傷。あの慣性速度では着地することなど不可能なはずだが、翼の生えている人の物理法則がまともかどうかなんて分からない。多分なんとかできるんだろう。

「多分ですけど」

「おお、結構無傷っぽいな。やれるもんだ。」

 僕の曖昧な答えに対して、自らも市長の姿を認め、不穏当なことを話す。

「まさかあんまり考えてなかったんですか!?」

「いやぁ、上手くいってよかったわ」

 そうすぐに答えられるほど、ほとんど考えなしの攻撃だったようだ。すぐに総督府を飛び出したことといい、僕の車に疑いなく飛び乗ったことといい、獅堂来人は思ったより直感的な人物なんだなぁ、と改めて思う。

「それで、今後もやっていけるか?」

 彼はあぜ道に腰を下ろしてしまい、唐突な質問をする。僕はその質問の意図を理解できず答えをすぐには出せなかった。

「いらなかったら銃返せよ」

 彼は視線を合わせず、完全に一仕事終えた様子で休憩状態に入っているようだ。そういえばあまり団長室から動かないことを思い出す。そのせいで暇そうに見えるのだ。質問に答えることができなかったことをそれほど重要視しているわけではなさそうだ。

 彼の質問にすぐ答えることはできなかったが、銃を返せという言葉に対しては、僕の答えは決まっている。

「いや、もらっときますよ。今回は装弾するの忘れてただけですから。」

「じゃあ、好きにしろ」

 彼はさっきと違い、明瞭な答えに微笑む。それは喜んでいるようにも見えた。

 人を撃つことに対する責任は自分なりに答えを見つけた。今後撃つことがあるかは分からない。この大陸で、天剣組にいる限り、間接的に人殺しをする。それらと銃を撃つことは、何ら変わりがないのだから。

 意味はないかもしれないが、僕は振り返り、横転した車の側の兵士たちに手を合わせて祈った。特定の宗教を信仰しているわけではない。そういう祈り方しか僕は知らない。

「命への最低限の心構え、か」

 来人は僕の様子を馬鹿にするようではなく、ぽつりと呟いた。

「そういうのは大切にしな」

 来人は立ち上がり、服に着いた土ぼこりを払う。彼の言葉の後、市街の方からヘリコプターの音が響いてくるのが聞こえてきた。天剣組には配備されていないから、おそらくは本国から来た捜査員とやらが乗っているのであろう。

 羽室市長は拘束していないが、もう逃げる気力がないようだ。うずくまって、動かない。心が折れてしまったのだろう。

「元市長を引き渡して、戻るぞ」

「市長の言い分だとサロンが爆破されたらしいですよ」

「おいおい、やべーなそりゃ」

「メディさんの心配は?」

「あいつが吹っ飛ばされてるわけねぇ。俺はあいつを助けた数より、あいつに助けられた数の方が多いんだ。」

「どんな信用の仕方なんですか、それは?」

 今後もやっていけるか、といえば当然やっていける。天剣組に愛着が湧いた。殺し合いという場に対しては、僕なりの生き方でいいことを団長から教えてもらった。



 本国の黒服捜査員が市長を逮捕し、ヘリに乗せて連れて行かれる。それをずっと見送ることはなく、エクスは来人を連れて車で市街へ戻る。行先は総督府だ。

 走っている途中、サロンの側を通ると、本格的に倒壊した建物があった。今回、それだけは物悲しかった。総督府に着くと、市内にいたであろう第三部隊が集まっていた。総督府内の死者を布で隠しながら、運び出している。

「団長」

「終わったよ」

 来人やエクスの姿を認めたアークが歩み寄る。彼は所属で言えば第二部隊。一人だけ余計な事をするわけにはいかないことから、第三部隊の者達の仕事に手を出さず見守っていた。サロンを爆破されてしまったので、手持ち無沙汰だったとも言う。

 アークに言う来人。その表情は晴れ晴れとしている。だが、それをアークは理解できなかった。

「どっちなんですかそれは」

 事情が分からなければ誰だってそう言う。それぐらいどっちとも取れる。

「市長の身柄は五体満足で引き渡しました」

 だからエクスが補足を入れる。彼は言われるとため息を吐いた。呆れではなく、安堵だろう。

「現在の状況は見れば分かりますが」

 第三部隊の隊長の姿は見えないが、死傷者の運び出しはほぼ済んでいるようだった。外壁は壊れっぱなしなので、しばらく土嚢はそのままだろう。

「ああ」

 来人は生返事し、通りすがる団員たちの会釈や敬礼に手で返礼しながら、総督府へ入る。エクスはもう彼に付いて行かず、様子を外から伺う。死体はなく、地に汚れた広間がある。その中心に、刀馬と第三部隊の隊長がいた。

「羽室は」

 刀馬は市長呼びすることはなかった。失望感が強いせいだろう。

「先ほど護送された」

「分かりました。事後処理が残るでしょうが、事件は終息、ですね。」

 総督自身から終息宣言が出される。事後処理というのは、市役所の関わりや、市と傭兵契約の関わりがどの程度にまで及んでいるかの調査だろう。事務方の仕事になるので、エクスも呼ばれるかもしれない。主に忙しくなるのは、成実一樹副長になる。

「ひとまずは終わり、か」

 アークは呟くように言う。エクスの初めてだらけの一連の戦いは終わりを告げた。

「それも途上にしか過ぎないんですねぇ」

「分かってるじゃないか」

 所詮、長いこと続いていた事件が収まっただけに過ぎない。サロンで扱っていた事件の大規模なものだ。だから満足感というより、安心感が強かった。

 その慣れた感覚のエクスに、アークは微笑んだ。そして、エクスの車に乗り込む。

「ところで明日からどうすればいいんですか」

「どうしよう」

 サロンは爆破されている。アークは私物を持ち込んでいたりしていたので、悩みも深いだろう。エクスも自分用の茶碗を持ち込んだりしていたので、少し悲しい。

 何より、どう仕事をしていいか分からなかった。

 それでも僕らの仕事は明日も続く。

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