持明院彼方の撤退宣言の後、天剣組は西京市周辺の警護で忙しくしていた。

 総督府と市長の間に生まれた亀裂は決定的となった。総督府が温厚な話し合いを求めても市長側は拒否する姿勢を崩さない。市長は市議会にある程度根回しを済ませていた。西京市においてはまだお飾りに過ぎない議会でも、味方でなければ市長下ろしの実効になり得ず、民主主義的手続きは手詰まりの様相であった。

 ヤマトの法律と国際条約によって、誘致による国内での傭兵契約は違法とされている。市長が傭兵契約をしている決定的な証拠があれば、市長下ろしは可能になる。だがそんな決定的状況は訪れることなく、一月が過ぎ去り、夏の季節がやってくる。

 前述の通り、天剣組は周辺警護で各部隊が小隊単位で動いていた。大陸鉄道の開業式典が八月に決まり、その警護演習も兼ねている。それに加え、市長がどのように外患を招くか分からないので、重要施設を見回り、警戒しているのだ。

 エクスはこれらの状況に対し、来人と共にサロンに設置された中央指揮所に詰めていた。サロンでの経験もあり、新市街区で知らないところはあまりない。市民感情にも理解があるし、適任と言えた。そしてそれは来人の構想である、遊撃的な指揮官の元、小隊を越えて連携を取る試験段階でもあった。

 とはいえ、通信越しの指揮はエクスには初めての経験だ。すぐに本番というわけではない。教導官として、メディという女性が指導をしてくれた。

 メディの背格好は来人よりも少し高いぐらいであるもの、成人女性と比べると小柄と言って差し支えない。見た目は美少女であろう。白いシャツを腕まくりしており、シャツを着ている意味があるのか分からないほどボタンを開けてしまっていて、上の下着は丸見えだ。色気たっぷりで、野性味溢れた姉御肌、であればよかった。というのも、性格はかなりキツめ。男口調で、すぐに手や足が出る。エクスが初めて対面した時は胸倉を掴まれた。

『お前が事務方志望のエクスって奴か』

 荒っぽい口調であった。

『来人は優しかったかもしれねぇが、私は優しくないからな』

『優しかった覚えがないんだが』

 恐れるエクスに凄む彼女。ツッコミを入れてくる来人。何の助けにもなっていない。

『所用で隊を離れてたが、今日から復帰してくれる。無駄に逆らわないように。』

 と、来人が言うと、ようやく襟首から手を離してくれる。鼻を鳴らして、冷たく睨みつけてくるのが印象的だった。

 彼女は来人の秘書である。これまで不在だったのは、大陸鉄道式典にあたり必要な機材を用意するため本土に赴いていたそうだ。

『姐さん相手なら逆らわないほうが身のためだ。天剣組の中で一、二を争う沸点の低さだから、すぐ愛銃出すんだよ。狂暴かつ口も悪い。でも、団長とは寝食を共にする仲だから、団長と一緒にいると狂暴性はいくらか陰に潜む。』

 とは、アークの弁だ。彼女は来人には忠実、その他の人間にはあれこれ怒鳴れるすごい人物であるそうだ。面と向かっては副長も逆らわないのだから相当であろう。小柄だが腕力も相当で、細腕ながらエクスの体を持ち上げた。彼女が人間であるかもエクスには不明だ。そして年齢も不明だ。

 一緒に居れば狂暴度が低くなるというが、サロンに指揮所を設置して、来人の監督の元、メディの指導を受けているが、違いは見受けられない。

 ともあれ、通信による周辺警護が始まった。表向き、当たりを引かない数日が続いた。それと共にエクスに関する問題も浮上していた。

「こちら天剣組指揮所。エクス・アルバーダが承ります。」

 小隊間連絡と並行して、一般市民からの情報提供受付も実行されている。こういうのはいたずらの危険性も高い。しょうもない依頼を役所からサロンへ流してくる西京市民なら考えられることだが、幸いにもまだいたずらに使われてはいなかった。

 そんな市民通報にエクスは応対する。回線から聞こえてくる声は、雑音があり、声もこもっていた。

『武装した人たちを見かけました。南街区です。早く来てください。』

「分かりました。すぐに巡回員を向かわせます。」

 と、受け答えして、電話が切られる。なんだかどこかで聞いた覚えのある話だが、その違和感を今は忘れ、待合席で待機する来人の方を向く。中央指揮所は試験段階なので、全ての応答音声がサロンにいれば聞こえる。

「ということですが、今手空きの小隊を向かわせても?」

「あぁ、任せる」

 当然、来人に指示を仰ぐ。指揮所での連絡割り振りも慣れてきた。それに関しては、来人からは二言はもうほとんどない。後述するが別方面で問題がある。

「こちら指揮所。三小隊、応答せよ。」

『こちら三小隊』

「南街区で不審者ありとの通報を受けた。急行されたし。」

『了解』

 事務的な通信連絡をし合い、エクスは息をつく。これも慣れたものだ。

「エクス、もしも巡回員が何も見つけられなかったら、お前が直接行け。休憩ついでだ。」

「は? いえ、それは構いませんが」

 通信し終えたエクスに、来人は理解が追いつかないことを言ってくる。何かの考えがあってのことだが、ここ最近のエクスにとっては別のことだと考えてしまった。それはすぐに表面化する。

『こちら三小隊。何も異常はない。』

「こちら指揮所。報告が不明瞭だ。そこで通報があった。調査を続行せよ。」

『異常はない。これより撤収する。』

「ちょっと!」

 巡回に向かわせた小隊の一方的な連絡と、撤収決定。

 エクスは通信越しに怒鳴るが、先に通信を切られてしまう。

「これで五回目だが、言い訳はあるか」

 エクスの後ろに立つメディがドスの利いた声を響かせる。エクスは通信機材を頭からはずして、うなだれる。

「すいません。ありません。」

「メディ、あまり脅すな。交代してやれよ。」

 待合席にいる来人が最新武器雑誌に目を落としながら言う。エクスは、メディに目を合わせず、機材を手渡す。ほぼ奪い取られるように機材を取られ、そそくさと退席する。

 五回目。つまり、ここ数日の指揮所の通信で一方的に通信を切られた回数だ。

 必ず、エクスが通信している時にこれが起こる。メディが通信手の時は、彼女の罵倒が入る。メディが副長の一樹と違い、怖れを抱かれている。彼女に逆らうのは誰だって怖い。それに比べてエクスは怖くも何ともないし、舐められているのだ。

「後であいつらは叱り飛ばしておくがな。実際問題、現場で同じように拒否されたらどうするつもりだ?」

「それは」

 聞かれてすぐには答えられない。答えようとしても、頭の中でああでもないこうでもない、と答えに戸惑う。

「考えておけ。言ったはずだが、ウチは極端な現場主義だ。悪く言えば、後方を軽視する傾向がある。お前に期待しているのは、無謀な突っ込みに対するブレーキ役だということだ。分かるな?」

「はい」

 読んでいた雑誌から目をはずしての軽い説教に、エクスは小さく返事をする。

「戦闘に巻き込まれた体験はあるんだから、それを踏まえて意見すればいいだけだ。戦闘経験の量が、指揮経験に直結するわけじゃない。どこにおいても大局的な指揮官がいてこそ、連携は生きるものだ。」

 来人の言う通りに考えると、エクスの中での大きな経験は、旧市街での戦闘だ。

「そうすれば自然とお前自身にできることが見えてくるはずだ」

「先程の通報場所に行きます」

 大きく頷いて、エクスは来人に言う。通信だけでは明瞭でない部分は多い。通常のサロンとしての巡回は、依然としてアークにもエクスにもあった。アークは一人でも大丈夫だが、エクスについては新人だ。

「通信装置、忘れるなよ」

「こんな小さなものでも音声の送受信が可能なんですねぇ」

「代わりに受信中は送信できないし、その逆も然りだ。使うか分からんが送信先を無差別にすることもできる。とりあえずは覚えておけ。」

 エクスは右耳にひっかけるタイプの通信装置を付ける。通話機能のみのヘッドセットである。拾った音声をオープン通話にすることが可能ではあるものの、そう使いはしないだろう。

 ちなみにここ数日は第三部隊の隊長と共に巡回を行っていた。ずっと指揮所内にいたわけではない。

「隊長は、今日は西方関連で駅の方だと聞いてますが」

「ああ。だから戦闘力が高い優秀な奴を二人つける。同期だから大丈夫だろ。」

 と、来人は言うものの、エクスはちっとも安心できない。結局のところエクスが舐められてるのは、指揮所専属で、現場に出ても指揮主体という特異性からだ。完全な事務方が現場指揮を行っているのが、現場主義の戦闘要員間では面白くないということだ。事務方と戦闘要員でざっくり分かれていたのに、エクスが曖昧となって特別扱いであるように見ているわけだ。

「信頼はここから築き上げろ。それはどんな新人にとっても試練だ。サロンでの仕事はお前を慣れさせるため。これが本来お前に頼みたい仕事だ。やってみせろ。」

 と言うものの、来人の視線の先は、また雑誌の紙面だ。どこまで本気なのか知れたものではない。

「えっと、それじゃあ、一緒に行動する人は誰なんです?」

 エクスの指揮下に入る人物は同期とはいえ、見知った人物なのか。新人でも一年は前線に出さないという天剣組において、すでに戦闘面で優秀という評価を与えられているという人物は数えられるほどだ。これまでのサロンの仕事で顔を突き合わせた誰かであるかもしれない。

「失礼しまぁす!」

 エクスが考えていると、聞き覚えのある快活な声がサロンに入ってくる。肩紐のない下着のような胸元が露わになっている非常に軽装な少女だ。スカート周りには銃と弾薬が差さっており、見た目で武装しているのが分かる。

 露出度はすごいが、やはり注目すべきは二本結いの髪型。こんな子は天剣組でも一人しかいない。

「成実夕那、到着しました!」

「御村エリス、到着しました」

 夕那の後ろから、肌にぴっちりとした袖なしの長身女性も現れる。感情豊かな夕那とは対照的に無感情で、色眼鏡のせいでエリスがどんな視線をしているのかは分からない。

「では、二人とも、エクスの指揮下に入れ。内容はこいつに聞け。」

「よろしくね!」

 来人はやっぱり二人に視線を合わさず、雑誌に目を落としながら言う。夕那は手袋をした左手で軍隊式敬礼の真似事をしながらエクスに挨拶をする。エクスはこの間、すこし固まっていた。女性二人の露出度に緊張したのではない。

 見知った相手だし、彼女らは戦闘力優秀なのを認めている。ただ一つ、エクスはエリスが苦手だった。エリスもエクスを嫌っていた。とはいえ、これは人選ミスだ、と来人に言えなかった。

「よ、よろしくお願いします」

 エリスの仏頂面に視線を合わせ辛く、エクスは頭を下げた。エリスはそれに何も返さず、不満そうに鼻を鳴らしてサロンを出てしまった。



 先ほど調査を拒否されてしまった南街区へと車で向かう。ここのところの警戒態勢で、新市街の雰囲気は物寂しい。旧市街ほどではないが、それに比べても真っ当な商店が軒先を連ねる街区だが、ここ最近は閉めっぱなしだ。天剣組の巡回のせいで客が入らないというのがもっぱらだ。文句を言われたこともある。仕方ないので平謝りするほかない。

「ここらへん、かな」

 通報場所の近くの二車線の道路端に車を停め、降車する。そして、通報場所である路地の方向、住宅地の方へと足を踏み入れる。

 ここ南街区は一軒家が多く、また庭と庭の仕切り壁などがない、中流より少し上の家庭が住むのを目的とした街区である。まだあまり入居者が集まっておらず、住宅はできているだけということである。ちなみに羽室市長が主導した街区であるらしい。

「ついて来てないし」

 車で移動中、任務内容は説明した。いわば見回りのお守りだが、誰とでも明るく人懐っこそうな夕那ですら、後ろから付いて来ていなかった。

 付いて来なかったことに対して、文句を言いに行くのも大人げない。そう思うことにして、異常を通報しに来た住宅の呼び鈴を鳴らす。電子音が響くものの、応答はない。懐疑的に、もう一度鳴らす。しかし、やはり応答はない。

「いたずら?」

 呼び鈴を鳴らした住宅は人が住んでいる気配がほとんどなかった。どんな家でも、その区画に入り込むだけで特有の生活臭がするものだ。訪問した住宅にはそれがなかった。

 だがいたずらにしても、わざわざ誰も住んでもいない家に入り込んで電話をするものだろうか。確かにすぐ住めるよう回線も電気も通っている。だが通常、住んでいない家は施錠されているはずだ。旧市街なら不法居住者は多い。しかし、新市街で不法居住をやると目立ちすぎるから、不法居住者は最低限の境界線を越えていないはずだ。

 では一体誰が天剣組に通報するというのか。

「開いてる」

 しっかり施錠されているはずの家の鍵が開けられている。扉の取っ手は引く型であったが、あっさりと開けることができた。何も電灯の点いていない玄関には、当然だが履物の類はない。この住居は西方の様式を意識したものらしく、土足で入っていい住宅であるらしい。ヤマトに見られるような、段差のある土間ではなかった。ならばと、普通に足を踏み入れる。大理石に見えるくぐもった床を歩き、一階の居間、台所、便所、寝室を見て回る。それが終われば、二階の寝室だ。ヤマト本土の都会であれば豪勢な戸建ての住宅。一階と違い調度品は置かれていないが、一世帯が住むには十分な広さだ。

 だがそれらを見て回っても、特に異常はない。荒らされているというわけではなく、単に誰かが勝手に住んでいる気配がないのだ。

 頭の中で疑惑で渦巻いていると、急に電話の音が鳴り響く。確かに回線は来ているし、電気だって通っている。だが、この邸宅の電話番号は市役所で管理されている。市民登録と住居登録されるまで、市役所職員が電話番号を把握することはできない。つまり、通常、この住宅に外から電話がかかってくることはありえない。

 恐る恐る、玄関の近くにある壁掛け型の電話の白い受話器を取る。

「もしもし」

『取ってくれたね。君は相手が誰だと思った?』

 受話器からは知らない男の声がした。口調から、外から電話がかかってくることはありえないことを知っていての質問だった。

 答えは思いつかなかった。それを正直に話す。

「いいえ。あなたは誰です?」

『そうか。直感の鋭い獅堂来人のことだ。分かっていて、君を寄越したか?』

 質問の答えとして満足したのか、していないのかは分からない。だが、話題の移行の仕方は突飛すぎて、理解が及ぶところではない。そして、質問に答える気はないらしい。

「あなたは誰です?」

 あきらめずに、もう一度聞く。すると、電話越しに一瞬沈黙が流れる。

『私は道化だ。いつも妻が世話になっているね。ありがとう。彼女も私を想って行動してくれてるし、彼女のおかげで大陸でも不自由のない食事を楽しめているよ。』

 二度目の質問に対して、ようやく答えてくる。しかしその答えは驚くべきものだった。彼は道化と名乗った。そして妻が世話になっているということ。会ったことがない謎の人物であり、通常の人間が近寄ることさえできない道化屋敷の主人に電話越しで話しているのだ。

「道化って!」

『アトラスの脚本の作り方も、市長の演出の仕方も、私にとっては気に入らない話でね。だからこうして、妻から情報提供したように、今度は私が君たちに情報を提供しようと思う。』

 こちらの言い分は無視して、電話越しの道化は話を進める。

『分かっていると思うが、その電話を乗っ取り、通報をしたのは私だ。もちろん、声は変えさせてもらったがね。思えば、その時点で獅堂君には気付かれたのかな。』

 通報が入ってきた時の来人のことを思い出してみる。来人は、巡回要員が異常を見つけられないことを分かっていたような気がする。そもそも、この通報が、あの迷惑依頼人の奥さんと似たようなことを初めから思い出すべきだった。

『では、一階階段側の床下収納庫を探してみるといい。では、期待をしているよ?』

 と、やはりほぼ一方的に伝えてきて、電話が切られる。道化屋敷の主人の好みは分からないが、有用な情報であることは確かだ。前回は、市長とアトラスの繋がりを掴んだ。今回は、市長と何の繋がりが掴めるのだろうか。

「こちらエクスです」

 耳に付けている小型の通信機器を使い、サロンへ通信をする。

『何か見つけたか』

「それはこれから探します。それとは別に通報してきた市民なんですが。」

『見つからなかったんだろう?』

 すぐに応答した来人は、やはり分かっていた。本来は言ってくれればいいのだが。

「はい」

『特定の回線を経由して、回線そのものを隠れ蓑に使うのは、ネットワークウィザードの手練れがよくやることだ。それをしてきた相手のことは、今は気にするな。調査の方、頼むぞ。』

「分かりました」

 通信の送信をそこで切る。情報をタレ込んできた相手が道化屋敷の主人だということを言い忘れてしまった。来人は分かっていたようなので、言った通り気にしないことにするしかない。

 道化の言っていた階段下の収納空間を開ける。流石に暗くてよく見えないが、梯子があって、人が一人通れる空間があるようだ。

「ここを一人で行くのはちょっと」

 前回と違い、直接的なものは何も見つけていないが、だからこそ警戒しなければならない。とはいえ、情報源は怪しい奴と来ている。車で待っている二人に真面目にそう言ったところで拒否されるのは目に見えている。

(上手いこと考えて、支援してもらわないと)

 そんなことを考えながら、一端家を出て、車の元へと戻る。

「あ、戻ってきた。遅かったねぇ。」

 と、夕那は可愛く言っているが、最初からついて来なかった時点で、彼女はお守りをしてきているつもりであることは分かっている。

「何もなかったのなら——」

「気になる地下空間があったから後ろからついて来て欲しい。指揮所の団長からも承認済みだ。暗いから懐中電灯の準備を頼むよ。」

 エリスの方はエクスに目を合わさず、車を出すよう言いかける。しかし、それを制するように言葉を続けて畳みかける。彼女らは、団長への憧れから入隊した。団長のことを言えば、拒否することはありえないはずだと考えたのだ。

「確実に何かある、と?」

「勿論」

 あるかどうかは分からない。ハッタリである。とはいえ、この即答にエリスはようやく顔を向ける。もっとも色眼鏡のせいで、視線がこちらに向いているかどうかは分からないのだが。

「行くぞ、夕那」

「ま、しょうがないね。行きましょうか。」

 まずは第一歩。人を動かすのも大変だ。今更ながら、アークは自分を動かす苦労が彼自身にだけあったのだろうな、と思った。刀馬の方は、他人を乗せるのが上手いし、流石皇族だと思った。

 車の前部にある小物入れから備品のL字懐中電灯を取り出し、先頭になって、再び無人の家に向かった。邸宅に入ってすぐに電灯を点けて、開けっ放しの収納庫の底に向かって光で照らす。黄色の梯子とむき出しのコンクリート壁が照らされる。何より、光で照らされても何か反応は返ってこない。

 とりあえず地下にすぐに何かあるわけでないことは確認できた。足を滑らせないよう慎重に梯子を降りて底面に着く。電灯で周囲を照らしていくと、剥き出しのコンクリート壁が目につく。収納庫というが天井は高く、かなりの空間が確保されていることに加え、さらに白い扉があった。

(通信届くかな?)

 南街区に地下空間があることは聞いていない。通信が届けば、確認が必要だ。

「こちら、エクス。指揮所、聞こえますか?」

 先ほどと同じように通信機を起動させ、通信を試みる。

『こちら指揮所。少々、遠いようだが続けろ。』

 雑音が混じるものの、電波は届いているようだ。明瞭とは言えないが、来人の声が聞こえる。

「件の収納庫は十分な広さを持つ空間です。加えて、更に扉を確認しました。」

『広さは約五畳分と設計資料にはあるが、それ以上か?』

「はい。八畳はあります。前面コンクリート張りで、柱もしっかりしています。」

『分かった。先ほど請求した資料と照らし合わせる。以降、通信領域が確保できないことも視野に入れ、慎重に行動せよ。以上だ。』

「了解。慎重を期します。以上。」

 と、長々ながら手短にやりとりして通信を切る。前回の通信の後、指揮所の方でも調査に動いてくれていたようだ。しかし、それでも図面と実際の広さが合わない。地下空間の確保は基礎工事より前に行われているはずだ。意図しているとしたら、かなりきな臭いことになる。

「何か問題があるのか?」

 後ろからついてきたエリスが聞いてくる。なぜか懐中電灯を点けていない。

「この地下空間は公開されている図面に載っていないため、奥まで調査しないといけません。」

「それって財団の目を盗んだ不法工事ってことじゃないの!」

 夕那がツッコミを入れてくる。それだけ聞くと、彼女は天剣組としてではなく、財団側としているような発言だが、今は特に気にすることではないだろう。

「ともかく、天剣組で把握できないことなので、詳しく調査を行っておくということです。以降は、通信も上手くとれないことがあるので、僕の指示に従ってください。」

「それがまず気に入らん」

 エリスは腕組をして短く答えた。こちらにとっては予想していない反論だった。

「戦闘訓練もしていない、武装もしていない奴が指揮に当たるなど、信用できない。今は先頭にいるが、戦闘状態に陥れば戦うのは当然私たちだ。お前は目の前の敵以外に何をどうしてくれるというのだ?」

 エリスの言うことは至極もっともだ。これにどう答えるかどうかで、現場との信頼そのものができるかできないかになる。その重要な局面で、今まで考えてきたことを吐露した。

「御村さんは少し意思疎通に欠けます。自信があるのは構いませんが、他との連携を考えて突っ込んで欲しいとの評価を、第三部隊隊長から頂いております。」

 実際にこれまで同行して巡回していたのだから、間違ったことは何一つ言っていない。この至極真っ当な、又聞き評価をして、側で聞いていた夕那は無関係を装った。それで合っているからだろう。エリスはむっとしつつも、睨んでいる。

「お前」

「僕は実戦はできませんが、たとえ問題があろうと戦力を動かすためにいます。お互い生き残るために、どうか協力をお願いします。自分の指示を聞いて下さい。」

 かなり意地の悪い話だ。又聞きした話を元に協力を仰いでいるのだから。本来ならば拗ねられたり、逆上されたりしても仕方ないことだ。とはいえ、彼女らは団長からの評価を下げるようなことはしないので、協力はしてくれるだろう。ただこちらが上手いことやらないと命の危険がありそうだ。

(この分なら、御村隊長に言われたことは言わないほうがいいかも)

『生真面目すぎて遊びがなく、視野狭窄だ』

 その言葉を思い出して、心の中で頷く。エリスはこれ以上何も言うことはないようで、背を向けてしまっている。頑なに反論されるよりはマシだが、文句がないなら素直に指揮下に入る旨を伝えて欲しいものである。彼女自身、自尊心が強いのだろう。その点については、こちらから憧れるところでもある。

 よく言えば、自分にも他人にも厳しい女性なんだろうと思う。それはそれで好感度が高いが、行き過ぎては反感を生む。

「はいはーい、ちなみに私はー?」

 そんな時に、あえて聞いてくるのが夕那である。何も考えてないのか、評価を得たい裏返しなのか。どうも後者の方であるらしい。彼女に関しては、関係者が多い。隊長である第三部隊隊長、弟子で父親を近くで見ている団長、そして彼女に惚れている刀馬の三人が代表的だ。父親である副長は、娘に嫌われているそうだ。子育てにまったく協力せず、奥さんや実家に任せっぱなしにしてしまったせいとのこと。

「性格は良い。気配りができる。他人が嫌なことも進んでできるいい子。」

「いやー、照れるなぁ」

 聞きたいなら答えるまで。エリスと違い好評なので、彼女は微笑んでいる。

「しかしそれらは、他人にいい顔をしたい裏返し。打算的な考えが元にある。」

 最初の評価は言うまでもなく、刀馬からのものだ。次の評価は団長と隊長からのものだ。個人的にはあんまり聞きたくはなかった。

 言われた夕那の方は照れた態度が固まっている。違う、と言ってくれたほうがよかったのだが。

「はい、それじゃ奥行きますよ」

 これ以上は何とも言い難い。自身も言い過ぎを後悔しながら、地下の扉に近寄る。見た目、鍵はないように見える。取っ手をゆっくりと捻り、音を最小限に慎重に押し開く。その時は、木の軋む音は鳴らなかった。だからといって油断はならない。扉を開け切り、エクスはゆっくりと息を吐く。そして、一気に息を吸い込み、意を決して扉の向こうに行く。

 突入訓練など受けていないので想像だけの行動だ。アークなら、もっと踏み込むのだろうか。

 そんな風に考えながら周囲をゆっくり電灯で照らすと、同じくコンクリート壁の通路があった。そして真っ暗ではなく、非常灯や小さな明かりが点々とある。

 それはもはや設計ミスからあるようなものではなく、明らかに何か目的があって作られているということになる。

(丁字路、かな?)

 先ほどの収納庫はコンクリート床だったが、通路の床は学校や病院でよく見られる樹脂素材の床。それがほのかな明かりで反射して、突き当たりに光を見せる。電灯の光は足元を照らし、壁沿いを慎重に歩く。

「おい」

 声をかけられ、小さく肩を叩かれ、エクスはびっくりして体を震えさせる。声の主はエリス。本来は驚く必要はない。

「そんな状態で先頭を行かれても困る。お前は私の後ろにいろ。お前の後ろを夕那がつく。いいな?」

「お願いします」

 こればかりはエリスが正しい。肩を叩かれて心臓が飛び出しそうとは情けない。エクスは素直に従い、エリスが先行する。彼女の左手には納刀されたきらびやかな鞘があった。

「問題ない。誰もいない。」

 通路の突き当たりに来たエリスが言う。丁字路は思うよりも横に続いている。立地的には新市街中央通り沿いに通路が伸びている。

「これはもしかして」

 声に出してしまいながら、思案する。降って湧いた直感で、突飛ながら、考えを逆にした。不自然に広い設計のない収納庫ができているのではなく、すでに通路が作られていて、収納庫は搬入口だったのではないか、と。ヤマトの地下街のようなものが、この西京市内にすでにあったものじゃないかと考えたのだ。

「この丁字路のどこかにもっと奥へと行けるところがあるかもしれない」

「こんなところは私も聞いたことがない。行けるところまで行くか。」

 エリスの賛成を得られたようで、二人で丁字路を左に出てまもなく。

「まったく気が滅入るぜ」

「だが今のまま外に出たら、巡回に捕まる。そっちの方が面倒だろう。」

 距離にして歩き五歩分ぐらいの右手前から声がして、肩から銃を又掛けした男二人が話しながら現れる。顔つきは暗がりでよく見えない。所属の分からない武装した男二人は、見知らぬ人影を見かけて固まる。つまりは、判断はエクスたちの方が早かった。エクスは後ろに一歩飛び退いて、電灯を男たちに当てる。

「うわ!?」

「お前らは!?」

 判断が遅れた上、突然の強い光に視界を潰された二人。その時にはエリスも距離を詰めていた。微妙な間合いを三歩で詰め、その勢いのまま刀の柄頭で一人の顔面を強打し、突き倒す。

「ぎゃっ!」

 倒された男の方は床で頭を打ったのだろう。悲鳴の後、かなり痛そうな音が鳴る。もう一方の男は、未だに視界を失っているらしく、頭を振っている。エリスはその男の後頭部を、納刀したままの鞘でさらに殴り、昏倒させてしまう。

「いやー、流石に抜かなかったね」

「狭すぎる」

 動かなくなったのを確認して、夕那とで、彼らの出てきた通路の側まで近づく。その時に彼女がエリスに話しかけていた。エリスが抜刀しなかったのは、通路や天井に刀身がひっかかるのを防ぐためだった。

 倒れた巡回を引きずって、暗がりにまとめておく。本来なら拘束するべきなのだが、そういう道具を持ち込んでいない。すぐに目覚めないことを祈る他ない。

 気になる通路の奥へと歩み寄る。壁際から中を覗くと、かなり大きめの空間があるのが分かった。先ほど奇襲して倒した兵士と同じような装備の者達が覗いただけでも八人ぐらいいる。空間の中心は明かりや扇風機が点いており、中心部は通路と違いかなり明るい。金属音や振動音からして何らかの作業を行っているのは分かる。また資料が積まれている机もあり、何か手に入れるならそこを調べるべきだろうということが分かる。

「これは流石に」

 苦々しく呟く。彼らの目的は不明だが、新人三人でここに飛び込むのは無謀だ。ここは後退して、応援を呼ぶのが得策。そうなれば一刻も早くこの場を離れるべきだが。

「いや、ダメそう」

 夕那が呟き、こちらの服の端を引っ張る。彼女は指を反対方向に差している。その方向には、何者かは分からないが、一つの人影があった。足音からして近づいてきている。

「ところでこんなのあるんだけど?」

 間の悪い接近者に頭を働かせようとすると、夕那は缶のようなものを出して、にっこり笑ってきた。



 プシューっと、炭酸が抜けたような、あるいは噴霧したような音が鳴る。すると無味無臭の白い煙が辺りに広がっていく。

「煙!?」

「何だ、何をやった!?」

 突然の一つの通路からの煙に、中の兵士たちは戸惑う。

「うろたえるな!正門まで下がれ!」

 この集団の指揮官が声を上げ、その後、かなりの数が足音を立てて遠のいてしまう。エクスにとって言葉の端は気になるものの、今は考えても仕方ないことにした。発煙筒の煙を吸い込まないように口を押えながら中央部に行き、扇風機の送風方向を変えて、煙の広がりを変える。

「いやぁ、これはすごい」

 エクスは素直に感心した。夕那の持っていた発煙筒一つでエクスたち三人以外を退場させることができた。すぐに火事の類ではないことに気付くだろうが、調べ物をする時間はできる。

「何でもいい。ここや彼らに関する資料を見つけて退避しよう。」

 倒した兵士もそうだが、ここにいた兵士は先日の傭兵たちとはまた違うようだ。エクスの言うことではないが、練度や慣れというものが違うような気がする。そんな彼らが、天剣組の把握していない空間で何を作業していたのか知る必要がある。エクスは中央の台状の机に広げられている資料をパラパラとめくり、それっぽい資料を探し始める。資料探しはエリスも夕那も手伝うが、成果は芳しくはない。こればかりは向き不向きだ。

「あった!」

 探すこと数分。一つのまとめられた書類に地下空間の図面らしきものを含んでいた。エクスはその書類を持ち出すと、夕那とエリスに目配せして、この場を脱出しようとする。

「あ、だめ!」

 走ろうとするエクスを夕那が声を発しながら腕を無理矢理引っ張る。その瞬間乾いた音がして、エクスのいた足元に弾痕が付く。

 起きたことを理解して、引っ張られたことに文句を言わず、机の陰に隠れ、射線の先を机から覗く。先ほど、退避した兵士らが戻ってきており、一部が突撃銃を構えている。数は見えているだけで五人。もともとは八人いたため、後詰が控えているかもしれない。

「出てこい! 逃げられはしないぞ!」

 五人のうちの隊長格らしき顎髭の男が腰だめに銃を構えて警告している。

警告してくるだけ、先日の兵士らよりは優しい。あちらは皆殺しにする勢いだったから尚更だ。

 そうなるとエクスは意外に冷静になれた。もちろん慣れもある。

 秘密結社アトラスの兵士でも、接近されればほとんど何もできない。それは最低限の格闘術しか習得していないからであるらしい。とすれば、それより練度が低そうな相手であればどうなるか。

「発煙筒はまだある?」

「いやぁ、あれ一個だよ」

 同じ机の陰に隠れ、隣にいる夕那に聞く。発煙筒はない。煙で目くらましはできない。

「だーけーど、こっちがある」

 と言って、夕那が取り出した発煙筒と違う別の缶。もっとも違うのは色ぐらいだ。

「今度は閃光弾です」

「ええっと、音と光が出るってやつ」

「そうそう」

 発煙筒といい、閃光弾といい、どこに隠し持ってるのかは知らないが、この場は助かった。この後に及んで状況を打破しに来ないなら、こちらが仕掛けるまでだし、その方が好都合というものだ。

「これを取って?」

「そうそう。すぐ投げてね。」

 夕那が当然のようにエクスに渡してくるが、エクスが投げるつもりだったので、特に気にする必要はない。

「エリスさん、数えた後に合図するので準備お願いします!」

 あからさまに大声で、別の机の陰にいるエリスに声をかける。その時に耳を塞ぐようジェスチャーする。また、隣の夕那には右側へ攻撃するよう指示をする。

「クソッ、何をするつもりだ!?」

 隊長格は言っているが、言葉に焦りが感じられる。牽制射撃とか命令できるはずだがやってこない。練度が低い傭兵らしい。

「三、ニ、一!!」

 エクスは三つ数え、一の時に閃光弾の取っ手を取り、数え終わってから、一瞬だけ顔を出して投げる。閃光弾は放物線を描いて、目標地点——兵士たちが戦列して構える位置の目の前へと上手いこと転がした。それを見てから、エクスは両耳を塞ぐ。

「な」

 隊長格の声は、閃光弾のたてた音にかき消される。同時に強く眩い光が辺りに広がる。

「今!」

 閃光弾の音の直後、エクスは合図を出す。その声を聞いて、エリスも夕那も体を乗り出す。

「私は右から!」

「了解だ!」

 夕那の手には銀色の拳銃が握られている。エリスはいつの間にか抜刀した刀を手にしている。彼女ら二人が両方から、兵士たちを急襲した。

「隊長、目がぎゃあああ!!」

 閃光で目を潰され、音で耳も聞こえない前衛たちをエリスは容赦なく斬り伏せ、夕那は躊躇なく頭に弾丸を撃ち込んでいる。

 机から少し顔を出して見ているエクスとしては、アークや刀馬とほとんど変わりない手際に見えた。つまり、彼女らは最初から手慣れているということだ。エクスに苛つくのはもっともだろう。

(とんでもない人たちに分かったようなこと言っちゃったな)

 改めて、自分の軽率さを反省する。特にエリスは怒らないほうが不思議なものだった。防弾服を着ているであろう傭兵を一刀の元に斬り伏せている。

 考えている間に、前方の制圧は終わりに近付いていた。目に見えなかった残りの三人も暗がりに控えていたようで、反撃らしい反撃も断末魔もなく倒れていく。先日は追いつめられて、兵士の一人が薬物を打って魔人化したのだが、今回はそんなトラブルはないようだ。そういう意味でも、相手をしているのは通常の傭兵ということなのだろう。そして、天剣組はその普通の傭兵を新人が圧倒できる戦闘力を持つということになる。

「そいつは残すのか?」

「いやぁ、情報源になるかなって、肩撃ちにしたんだけど」

 銃を手放し、肩口を押さえた隊長格の男がうずくまっている。夕那が気を利かせて行動不能にだけ止めておいたようだ。二人とも反撃準備だと思ってくれたので、これはエクスの説明不足であろう。

 残してくれはしたが、エクスは彼に尋問する気は特になかった。そうなれば始末することになる。かわいそうだが、殺し合いとなればお互い様だ。エクス一人のわがままで見逃すことはしてはならない。周りにいたのがアークであれば、判断を委ねることができたであろう。しかし、ここではエクスが指揮官だ。エクスの判断で良くも悪くもなる。軽率な情に流されてはいけないと、頭で理解できる。

「情報は取れてますので、残念ながら」

「分かった」

 エクスは周囲の安全を確認しながら立ち上がり、首を横に振って言う。すると、夕那は軽く同意して、隊長格の男の後頭部を撃ち抜いてしまう。鮮やかというか、本当に躊躇のない手並みである。一体どんな人生に身を置いてきたのだろう。

 空間内は動かない傭兵が八つ出来上がった。死体はまだ慣れないが、旧市街で見たものに比べれば、まだマシというものだ。

「通信は・・・できなさそうか」

 通信機を通信状態にしてみるも、雑音ばかりで繋がりそうにない。

「上へ戻りましょう。その後の指示を請います。」

 これ以上の調査は藪蛇と思い、その場からの撤収を二人に指示する。来た道を引き返しつつ、ふと思い出す。

(そういえば、あの時近づいてきた一人は一体どこに行ったんだ?)

 引き返してきた時に、昏倒させた二人のトドメを刺してきたが、十一人目がいたはずなのだ。それが今はいない。

(一応、報告しておこうか)

 黙っておくほどのことではないだろう。何か間違えたわけでもない。気付いたことはしっかり報告をしておかなければ。



 地上に戻り、報告をし終えた時には夕方になりつつあった。指揮所のあるサロンにはアークや成実副長に第二、第三部隊の隊長の他、いつもは見ない衛生班の班長が集合して来ていた。来人はアークに、エリスと夕那を帰らせるよう命じ、エクスに残るように言った。

「当事者だからな。結果的にだが、いい働きをした。」

「はぁ」

 と、言われるが、実感はない。その時、来人が見ているのは、例の回収した資料だ。エクスは詳しく中を読んでいない。ただ斜め読みで地下空間の図面があったので持ってきたのだ。

「さて、各隊報告を聞こう。何か異状があれば、だ。」

 来人は各隊に異状報告を求めるが、当然の如く成果はない。一応、巡回要員は特別編成という名目なので、通常指揮系統から外れている。巡回要員の問題は秘書のメディが何とかしてしまっただろう。聞くのが怖いので聞いてはいない。

「ないようなら、本題に移ろう。こいつを見てくれ。」

 と、来人はエクスが回収してきた書類を机の中央に広げる。地下空間の図面や、何かの報告書、どこか別の場所の図面など多岐に渡る。

「やりすぎたな、あの市長」

 是音が苦々しく言う。その表情は渋い。一通り見て、それが何なのか判断できるのだろう。エクスには分からないため、周囲を観察する。質問を差し挟む勇気はなかった。

「総督府を通じて市長側に牽制はしてみるが、通じないだろう。本国を通さないといけない。だがそうすれば、市長側の暴発も考えなければならない。」

 是音に対して、今後の方針を伝える来人。エクスにはまだ詳細が分からないが、深刻なことは伝わってきた。

「第三で市街を受け持つ。俺と第二で、これらの計画書周りの施設の警戒に当たる。一樹は一隊を率いて地下の調査に当たれ。」

 第三部隊隊長がため息をついたようだった。それ以外は頷き、了解する。第三部隊長がため息をついたのは、暇な巡回をまだ続けなければならないことのせいであろう。

「では解散する。この件は指揮官までの機密とする。多分に漏らさないように。」

 来人はそう言って報告会を解散させてしまう。第二、第三部隊長が先に出ていき、一樹と衛生班の班長が並んで出ていく。

 そしてサロンに残ったのは来人とメディ、エクスになる。メディは紙製らしい箱を机に置いて、サロンの奥の給湯室に引っ込んでしまった。

「さて、まずはご苦労だった。あの二人は悪くはなかっただろう?」

 来人は箱を横に除けて、エクスと対面になって話す。こうして話すのもエクスにとっては慣れたものだが、改まると緊張することも多々ある。獅堂来人という人は天然なのか分かっているのか、エクスにはよく分からなかった。ただやはりカンがいいとは思っていた。

「いえ、自分とは違い、躊躇のない女性たちでした。あれで年下なのが驚きです。」

 エクスは正直な感想を述べる。エクスは大卒の二十三歳。彼女たちは高卒者。教養は違うが、エクスから見て立派なのは彼女たちだ。

「エリスは御村先生の血のつながった子ではない。俺たちが大陸で動き始めた頃に見つけて、先生が育てることに決めた子だ。あの子が眼鏡をしているのは、魔人化特有の赤目を隠すためだ。」

 エクスの感想を受けてか、来人はエリスの事情を話し始めた。

「先生は、実の息子と違い、エリスには自由な環境に居させたが、結局、剣の道を歩んでしまった。女といえど、先生の影響力は凄まじいと言ったところだな。」

 彼女が孤児であることをここで知ったが、彼女の剣術は御村隊長の影響の元ならば、あの一撃必殺ぶりも分かる気がする。

「夕那の方は一樹がビビってたせいで、色々と捻くれてしまったな。俺が財団と昔から関係してるからか、逸話を聞いてきたらしく、それがここに入る原因だ。銃に関しては俺の恩師のせいだろうな。」

 エクスは夕那の事情よりも、来人ほどの人が恩師がいるのかと感心してしまった。

「どいつもこいつもできる奴には理由がある。理由のために人殺しもわけない奴がいる。別にできなくても構いやしないさ。人殺しなんてものはな。」

 どうやらここまでの他人の説明はエクスの負い目を解消させるためのものだったようだ。しかし、天剣組は戦闘集団である。エクスだけが特別なんてことを他の隊員が許すかどうかは、エクス自身にも改めて心配になっていた。

「ですが、自分だけ後ろで何もしないのは、どうしても違和感があります。」

「それは覚悟のある人間のセリフだ。やったことのない人間が理由もなしに人を殺すのは、普通ありえない。刀で斬るのも、銃で撃つのも、最初だけは覚悟がいる。その後、三人目ぐらいで慣れてしまうが、後悔も決まってそこからだ。」

 とは言うものの、エクスには分からなかった。できることとできないことは、やはり圧倒的に意味合いが違う。エクスにとってもできるほうが魅力的に感じていたし、これ以上負い目を感じるのは勘弁願いたかった。

「知るものは知らぬが仏と言う。知らないものは真実こそが全てと言う。これらには特に違いはないのだがな。」

 これ以上は説得できないと思ったのか、あるいは初めから思いとどまらせることは不可能と思っていたのか、来人はその言葉の終わりに不敵に笑った。そして、横に置いていた箱を改めてエクスの目の前に置き、蓋を開ける。箱の中身は薄手の梱包紙で包まれており、うっすらと黒い物が確認できた。それは拳銃だ。種類はエクスの知識では判別できないが、多分普通の型のものだろう。来人が梱包紙を開けると、はっきりとした姿を現す。それは、黒塗りの拳銃に違いなかったが、取っ手と銃身になぜか白い翼の意匠がある銃だった。

「昔、恩師からもらった銃なんだが、結局一度も使わなくてな。丁度いいから、お前に預けようと思う。」

「そんな大切な物を、僕にですか!?」

 来人の言葉に、エクスは一転して怖れを抱く。戦う力を授けてくれるのはいいが、他人の思い出の品では話が違う。これでは、エクス自身の手には余ってしまう重いシロモノになってしまう。

「俺には必要のない物だ。だから恩師がそうしたように、俺はお前に預ける。ただそれだけのことだ。無理なら撃たなければいい。ただそれだけのことだろう?」

 軽いような重い言葉を掛けてくる。むしろ、それが真意なのだろう。彼はエクスに殺すことを求めていない。更なる重りを付けて、更なる熟考を与えてきている。「人を斬るのも、人を撃つのも、結局は同じことよ。最初の覚悟だけだ。それは後悔との表裏一体だ。今は答えを出せなくても、覚悟しなければならない時に直面する。命の責任など考えるな。覚悟したなら、他は言い訳にすぎない。」

「団長はどうしても僕に撃たせないと?」

 エクスが来人に怒るのは筋違いだ。彼はエクスに戦う力を素直に与えている。エクスが戦う力に対して必要以上に重荷として感じているだけにすぎない。だが、エクスは納得がいかないから、この意地悪に対して疑念を口にせざる得なかった。

「お前の判断に誰かの命、あるいは自分たちの命を背負わせる。それだけでいいと俺は思う。何もかもを背負い、導くのは団長の俺の仕事だ。自分で責任を持つのは結構だが、今自分のできる責任だけにしておけ。撃つことで納得できるようにしたくないだけだ。」

 来人の言い分は、エクスには分かるようで分からなかった。結局のところ、エクスの立場に何ら変わりはない。銃を受け取っても、劇的に変わるわけではないのだ。とはいえ、もらえる物はもらう。来人の言う通り、思い出の品で納得できることなく、受け取る。

「当然だが弾は入ってないぞ。鉄道駅の臨時備品管理所で申請してもらえ。整備の仕方は聞きやすい奴に聞け。訓練は好きにすればいい。」

 と来人は言って、席を立つ。これで話は終わりのようだ。

「明日から市街巡回の流れは変わるだろうが、頼む仕事には変わりない。それじゃあ、今日は終わりだ。ゆっくり休め。」

 言って、来人もまた奥の給湯室へと行ってしまった。納得しきれていないエクスだけが、待合所の明かりの下に残される。

 預けられた拳銃を見て、自分の納得の落としどころを探す。銃を眺めている間、翼の意匠がなぜか片側にしかないことに気付くが、今のエクスにはどうでもよかった。

 眺めていても考えがまとまらず、格好だけでもと、想像だけで銃を手に取って構えてみる。拳銃は右手の中でずっしりと重量がかかり、真っすぐ構えるには力が必要だった。震えているわけではないが、重さのために狙いを定めることはできそうにない。

「そんな構えじゃ当たらないぞ」

 急に声を掛けられて、本日二度目の身震いをする。声の方向を見ると、入り口にアークが立っていた。どうやらエリスと夕那を送り届けて戻ってきたようだ。

「すぐびっくりするようなお前じゃ、銃使いは向いてないような気がするんだが」

 彼は苦笑する。からかったり、嘲笑したりする表情ではない。とはいえ、今のエクスには、彼がどんな心情か把握はできなかった。

「でもこれなら現場で何もできないことなんてないはずです!」

「何もしない方が俺は勇気がいると思う」

 エクスの力の入った言葉に、アークは冷静だった。

「大将は後ろで指示だけしてふんぞり返ってるのがいいに決まっている。下手に現場に出てきて自分の力で奮戦する大将は厄介だぞ。現場に対してもそれだけの活躍を期待されるようになっちまう。つまり、今後の組織運営のためにはエクスみたいな人間が多い方が、後々都合がいいんだ。」

「ぬ」

 そう言われれば、俄然考え直せる。結局、エクスの負い目は周りが十二分に戦えることにある。当然だが、隊長達や団長は英雄と言われるぐらいの強さだ。しかし彼らは現場に出張っても積極的に前線には出ない。当たり前であるせいで、欠如しがちな見方だ。

「今回の働きぶりはあの二人も見直してたぞ。『もっと震えて何もできない奴かと思ってた』そうだからな。」

 エクスが考えていたよりも手酷い評価をされていたことをアークから知った。エリスの言葉は十分に優しいものであったのだ。エクスは今でこそ苦笑できる。

「兵士は戦術指示さえ受けられればいいんだよ。それで楽に戦えれば、評価を裏返す。下手すると情報戦になるが、それが現代の戦術ってもんだ。平原で兵隊同士が白兵戦なんてこと、百年前の大戦で置いてきたんだろう?」

 アークの言う大戦とは、西方での事件を皮切りに世界規模で起きた戦争のことだ。世界大戦という名で教科書に載っていて、ヤマトの教育を受けたなら大抵は知っている。彼は魔大陸出身なので、勉強したのだろう。

「少し前であれば小規模な局地戦で撃ち合いなんてこともウチではあったが、結局指揮官の質か個人の力で決着は決まる。団長はなんでもかんでも個人の力で解決するのを良くないと判断して、指揮官の育成を決めた。それがお前だ。」

 アークはそう言って笑顔になる。

「お前は期待されてるんだ。その期待に今回は十分に応えられた。それを誇りに思った方がいい。その銃はお前への更なる期待の証であって、戦闘力を持てってことじゃないんだ。」

「それじゃあ、そう言ってよ!」

 エクスは反射的に不満を漏らす。とは言うものの、そのような事を言っていたのは確かだ。エクスが納得し切れず、話をまったく聞かなかったのが原因である。

「銃をお守りとかワケ分かんないし、それに何で片側にしか翼が描かれてないんだか」

「翼? あぁ、そりゃあ」

 エクスはため息をついて、愚痴る。アークはそれを見て笑いながら、教えようとする。その時。

「んあ!!」

 サロンの奥の方、給湯室から聞いたことのない甘ったるい声が聞こえてくる。女性の声なので、確実にメディの声だ。

「エクス、団長は奥に?」

「メディさんの片付けの手伝いに行ったんだと思いますけど」

「出よう。あの二人は物陰に行くとすぐにイチャつき始めるから。」

 エクスは何が起こったのかすぐには理解ができなかったが、アークは分かってしまっているようだ。アークに連れられるままサロンを出る。外は真っ暗で、街灯が明かりを放つだけだ。

 新市街の治安はいいが、この暗さのため外を出歩く人間は少ない。乗用車も流通が少ないため、通ることはない。

「メディさんって、何でああなんです?」

「団長と長い付き合いってことしか分からないな。団長が一緒にいれば、比較的おとなしいんだよ。」

 エクスは何となくアークの行く道について行く。その中で他愛のない会話を挟む。彼女とは割と近くで顔を突き合わせていくのだから、実のある助言ぐらいもっとくれてもいいのだが。

「ちなみにどこに行ってます?」

「いや、近くだよ。あぁ、そこだよ。」

 と、ここらへんでは珍しい屋外解放されていない居酒屋をアークは指し示す。近づくと騒がしさを感じるほどに繁盛しているようだった。

「お待たせしました!」

 アークが扉を開けて大声を出すと、中の客が一斉に彼の方を向く。

 そして、客たちが歓声を上げた。どうやらこの店全体が天剣組の貸し切り状態であった。奥の店員との向かい合い席には一樹と衛生班班長の姿があり、一樹が手を振っているのが見えた。

「こっちだ」

 エクスにとって居酒屋は通い慣れた。しかし、この騒がしさは特別で、驚き戸惑った。酒の勢いもあるだろうが、エクスの登場で彼ら天剣組は沸いているのだ。

 アークが案内する席に進む間、様々な笑顔を向けてくる男たちにエクスは戸惑いつつも会釈していく。

 そして案内された席にいたのは、御村是音や第三部隊の隊長がいた。

「五月蠅くてすまんな。酒は飲めるか?」

「嗜む程度です」

「いい答えだ。腹も減っただろう。遠慮せず飲み食いしていいぞ。」

「ありがとうございます」

 是音は柔和な笑顔で言って、麦酒を空の綺麗な硝子コップに注ぐ。

「あの、これって?」

「遠征や大規模作戦前の前祝いのようなものだ。ここのところ鬱屈した巡回や式典前の演習ばかりだったからな。隊員のほとんどはお前に感謝しているんだ。」

 麦酒を飲み、揚げ物をつまみながら、酒席の趣旨を聞く。是音は質問を鬱陶しがらずに答えてくれる。

「自分に、ですか?」

「お前が市長の計画書を見つけてくれたおかげで、私たちは目的をもって各所に警備しに行ける。やはり目的があるのとないのとでは士気が違うからな。」

 実感はなかったが、書類一つ持ってきただけで、そうまで感謝されると悪くない気分になる。これで隊内のエクス自身の評価が変わるといいのだが。

(そういえば結局、書類の中身が何なのか聞いてなかったなぁ)

 今後の作戦方針以外の私的な問題で時間と労力を使いすぎて、うっかりしていた。

 それにしても、小さな成果一つで喜ばれるなら、難しく考えることもなかったかもしれない。エクスはサロンでの仕事に比べると小さいと思っていることかもしれない。だが、天剣組の中では初めての大きな成果なのだ。

「私にとっては、エリスと仲良くしてくれて嬉しいな」

「こういうのって、悪い虫がどうたらこうたらという場面では?」

「あの子は剣術のせいで世間ズレしていてな。なまじ実力があるせいで、他の隊員と折り合いが悪い。私の娘というのも公然であるし。」

 エクスにとっても折り合いがよくなかったが、それを聞いて思い直せた。エクスに掛けられた意見は、ひょっとすると他の隊員にも掛けられた言葉かもしれない。

 是音は聞けばペラペラと話してくれるが、彼女の孤立のことも考えると、あまり聞くべきことでもないような気がして、エクスは話題を変える。

「同じく女性のことですけど、メディさんってどんな風に対応していけばいいんでしょうか?」

「あの手の二重人格者は心当たりがあってな」

 などと話しながら、わいわいと騒がしさは止まらない。その夜は結局もらった拳銃のことを忘れて飲み食いし、いつの間にか酔い潰れて、次の日サロンの二階にある仮眠所でエクスは目を覚ますことになる。

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