#32 Beyond the Line

 それなりに覚悟はしていたつもりだけど、これは相当しんどい。いつ僕に限界が来てもおかしくはない。

 って言うか普通に無理。難易度が高すぎる。格と自力が違いすぎる。マジでどうすればいいのか分からない。皆目見当がつかない。


 将棋で例えれば、相手が名人なのに、何故か素人の僕が六枚落ちで挑むみたいなものだ。つまり、結構どう仕様も無い状況。八方塞がり。って…どうして将棋で例えた? テンパるな落ち着け!


 客観的に見て、僕達の格差は歴然過ぎて半端じゃ無い。

 クオリティというかステージというか。位置するランクがもう別格過ぎて普通に打つ手が無い。

 この世に神様ってヤツがいるのなら、助けてくれよ! 何でもするからさ…。礼拝は勿論、お布施だってバンバンしてやるよ!


 そんな僕の悲痛かつ切なる祈りを知ってか知らずか―――多分気にも留めてない、無神経な殺人鬼は、癇に障る程に爆笑しながら僕を徹底的に潰しにかかる。


「ハッ、どうしたクソガキがァ! おちょくってんのかァ? 全然響かねぇぞ。無力な王子様はモンスターAにすら勝てねぇ! こんなのボツだろォ! 城に帰るか、脚本から練り直せぇッ!」

「も、文句があるならアンタが自分で書け! 面倒事を押し付けてんじゃねぇ! 大根風情が物語にケチつけんな!」


 今すぐ消えないために相手の攻撃を避ける。汚い上に冴えない言葉の応酬を添えて。


 シャーロットが亜希子を助けるまでの時間をなるべく稼ぐ。

 そして、僕自身が消えない。


 これが当面の目的。そのタスクをこなしつつ全てを円満に解決する為の策を考える。口で言うのは簡単だけど、かなりの重労働だ。


 逃げる兎を追いかけるのを中断した彼は、大きな溜息をつき肩を落とす。


「あぁダリぃ。ピョンピョン逃げまわりやがってバッタかお前? 追いかけるのが面倒だ……全部まとめて吹き飛べやクソガキ!」


 は? 直後、彼の身体が開いた。脳裏を掠める一回目の死。そして再びの超直感。これは―――


 


 彼から『何か』が、猛烈に弾ける。いや、何かを吐き出した。放出される塊。慌てて退避行動。間に合うのか?


「逃げろ、逃げろお! きゃははははっはははっァ…当たれば即塵になれるぜぇ。掃除も楽ちんだってか? ぎゃはははっはっはあはは」


 吹き荒ぶ衝撃で地面が抉れる。木々がバキバキに吹き上がる。無茶苦茶だ。大型の台風が直撃したみたいな校庭の様。人の学校をあんまり荒らすなよ。


 それに、吐き出した分の質量はどこから捻出したんだ?

 物理的限界まで無視する気か? いい加減にしとかないと、歴代の物理学者たちが泣きながらマジ切れしそうだ。

 別に彼らの言葉を代弁するわけでもないけれど、とりあえず惨めたらしく叫んでおいた。


「汚いもん出してんじゃねぇよっ!」


 直後気付く。彼の散弾を大した苦もなく避けられる事実に。

 加えて深夜なのにも関わらず、視界は極めて明瞭、クリアかつ鮮明に開けている。


 これが理から『ハズれる』ってことなのか?

 不完全な状態でもこれかよ……何だよこれすげぇ便利じゃん。やっぱり道具は使いようだね。


 同質個体を根源に真逆の結果、唐突に火薬を思い出す。

 薬夾に詰めれば人を殺せる凶器だけど、空に打ち出せば感動芸術に昇華する。どちらにせよ根源かやくに罪はない。結局使用者ユーザー次第なんだよ。


 益体無き哲学を投げ捨て、思考を切り替える。


 とは言え、『ハズれる』ってのは具体的に、何処までが可能で何処からが不可能なんだ? 境界が分からない。分水嶺など存在しないのか?


 僕の身体能力は確かに人間の比では無いがあくまで常識の範疇、通常の物理法則に収まっているのに対して、アイツはそういう次元じゃない。完全に「物理と常識」を無視している。その差はなんだ? 『彼』と『僕』とで何が違う? 習熟度か侵食度か?


 常識の範囲内における動きは全然僕の方が俊敏なのだけど、そんなの関係ない。

 どれだけ距離を取った所で先程の様に塊を撃ってきたり腕を自在に伸縮させたり、或いはカラダの一部を変形させ多種多様に攻撃してくる。そうなれば僕が創った距離はゼロに限りなく等しい。


 おまけに、僕はシャーロットの様に空も飛べないし、相対するバケモノみたく自由自在に姿形を変えることも出来ない。決め手がない。アイツに物理的…というか直接ダメージを与える術がない。致命的に方策が存在しない恐怖。


 どうしたものだろう……半端者の僕に何が出来る?


「ひゃっははっはぁひはははっは!」


 思案する僕をよそに、けたましい絶叫を発した彼の左腕が凄まじい速さで撃ち出される。さながら、ロケットパンチのように。


 いい加減にしとけよ。どこのスーパーロボットだよっ! 生物よりも無機質寄りじゃないか?

 ていうか速い? いや、無駄事に思考を割くな! 切り替えろ!

 いや――――――でも、これは、普通に無理で、どう考えても駄目だ! 回避が間に合わない。このコースはマズイ。臓器の密集地帯……これは…やられるっ?


 しかし、僕の心配は杞憂に終わり、撃ち出されたそれは僕のすぐ左横に突き刺さる。

 地面がめくれ上がり、砂塵が明け方前の夜空に舞う。砕かれた石礫が僕を襲うが、その程度で大きな損傷はない。ただの掠り傷で身体的なダメージは殆どない。


 でも、頭に浮かんだ動揺は拭えない。なんで? どうして? 今ので完全にゲームオーバーだったはずだ。何故逸れた?


 しかし、そんな疑問の思考すら彼の発する挑発に遮られる。


「今のはただの威嚇だっつーの。お前みたいなクソガキはいつでも殺れる。だけどよぉ、あんまりサクっと終わってもつまんねぇだろう? 盛り上がらねぇだろう? あくまで香辛料スパイスは刺激的じゃねぇとな。役割を全うしろぉ! 微温ぬるく纏まってんじゃねぇぞ。らしく刺激的に弾けやがれ」


 寂しいが荒れた校庭に甲高い叫び声が響き渡る。


 くそっ! 見下されている。思い切り下に見られている。実際にその通りなのだけど、完全に事実なのだけど! 言葉として明確化され場に出されると大変悔しい。

 でも偽れない現実。このままでは覆しようのない、圧倒的な戦力差。

 どうする? 突破口はあるのか?


 勝ち組の阿呆は『やまない雨はない』だなんてクソみたいな綺麗事を言うけれど、意外とあるんじゃないのかと今は思う。少なくとも攻撃の嵐はまだ絶賛継続中だ。本当にどうしよう…八方塞がり感が半端じゃない!


「潰れろっ!」


 しかし、相変わらず彼の猛攻は僕の集中力を削ぎ、思考力を奪う。頭を使う間もない。

 激しくしなる腕が僕を襲い、うねる風圧に顔が歪む。あれ?隙だらけじゃね?ガラ空きの腹部に力の限りのボディブローを叩き込む。

 ぐしゃりとした感触が手に残り、何かが僕に入ってくる。肉が発する触感とは違う、もっと曖昧模糊とした複雑なもの。何だ?


『××の親って飲んだくれらしいぜ~』『それって酔ったら暴れるアル中ってやつ?』『それそれ。なら××もその内狂って暴れるんじゃね?』『マジで? なら被害を受ける前にボコっておこうぜ』『賛成! 正義の鉄槌ってやつな』


―――なんだ今の? 軽く頭が痛む。僕の中に流れこんできたあれは一体…? もしかして…?


「効かねぇぞ! 何だ今のパンチは? パンチってのは…」


 彼が叫びながら、大きく腰をひねる。遠目でも力を蓄えているのが分かる。ヤバい。当たるまでもない、あれは多分本気で洒落にならない。冷や汗が背中に滲む感覚があった。


「こう…やんだよっ!」


 凄まじい威力に脚をつけている地面が揺らぐ。生み出された衝撃波に折られた木や土砂が生み出す津波の連鎖。紙一重で現場に背を向け離脱。


 ふざけんな。あんなのに巻き込まれたら、僕は一撃でぐちゃぐちゃのグロテスクな肉片になること必死だ。そうなれば普通に消える。まだそれはごめんだ。


「って!」


 津波に気を取られていたら、いつの間にやら彼がすぐ目の前まで近づいていた。

 彼の手にはナイフ。持っているわけではなく、手そのものが鋭い刃物になっている。純粋な凶器。数時間前に僕が殺された得物。


 彼はをチラつかせながら、凄惨に顔を緩ませる。


「チビッた上にビビったか? 今度こそ、確実に刺し殺してやるよ」

「んなわけ…ないだろっ!」


 寸前でそれを躱し、突き出した腕を強引に抑えこむ。

 さっき流れこんできたものが、僕の予想通りなら多分…あれは……


『おい××! どうしてお前はそう馬鹿なんだ? そんなに親を困らせて楽しいか?』『違う。俺のせいじゃない』『うるせえ、口答えするヤツはおしおきだな』


―――やっぱり。確証を得た。軽い頭痛と共に頭に流れこんでくるのは彼の記憶、生前の思い出。


 思念体同士であれば肉体の接触で意識や記憶の受け渡しが出来る。

 シャーロットにそう教わった時点で気付いても良かったのに、それは『僕達』の共通ルールじゃないか! 彼の異形や亜希子のことでパニクって、テンパって。見逃していた。くそ、最悪だ!


 重い自己嫌悪を遮る痛みのノック。


「つっ!」


 頭がガンガンする…僕自身の記憶じゃないから拒否反応を起こしてるのか? どうでもいい! そこまで激しい痛みじゃない、これなら耐えられる。

 それに、おかげで把握した。これが突破口。


 彼の精神的苦痛おもいでを利用しよう。


 それが半人前で無力な僕に思いついた唯一の策。そして、具体的には――――――



「アンタさぁ、生前絶対友達いなかっただろ? ひょっとして、親にも疎まれていたんじゃないか? それで、一人で蟻とか潰したりしてさ。あはっ、そんな顔してるし」



―――具体的には、幼稚な悪口を言うことだった。


 僕に見えた一筋の希望。さながらカンダタに向けて垂らされた細い蜘蛛の糸。

 その利用法として僕が思いついたのはそれぐらいでした。ごめん僕。恨むのなら、自身の絶望的なアドリブ力と知能指数の低さを恨んでください。


「はぁああ? 忘れたさ、そんな昔。俺は今が充実してる。殺して喰ってまた殺して。最高に楽しいんだよ! 若い女の体に絶望という香辛料スパイス。それが俺の幸福! それ以外には何もいらねぇ! それさえあれば充分だ!」


 気持よさそうに言いながら、彼は自らの顔面に指を突っ込み、ピンポン球サイズの球体を取り出して、僕に全力投球。


 うぉっ危な! 投げられた目玉らしきものが唐突に爆発した。咄嗟の回避ゆえ致命傷は避けたはずだけど、なんか掠ったところが溶けている。本当に人間離れしてんのな。理とは大事なのだと身を持って実感する。


「がっ?」


 何度目だ? 下らない思考。それに気を取られた。忍び寄って来た彼の腕を寸前でいなす。

 僕らの距離は四m以上は離れているんだぜ? もう、なんつーか、いい加減にしろって感じだ。

 そんなムチみたいにしなって自由自在に伸縮する腕とか普段見ることなんて絶対にないと断言できる。


 懸命に逃げながらも入ってきた記憶を元に、想像を膨らませる。台本を編纂。あること無いことを彼に吹き込む。そんな虚言に動揺して崩れてくれるならば大成功で万々歳だ。


「なんでっ、そんなに殺したがる? 苛められた復讐かい? だっせぇなぁ。ロリコンで苛められっ子とか流石に救いがなさすぎるぜ。僕だったら生きていられないね。成る程、死因は自殺な訳か」


 口を動かしながらも、足は止めない。たまに攻撃してみるけど、効いているようには見えない。崩れた部分も即回復。肉体的にはノーダメージのようだ。


 でも、実際に何回か触れてみて、彼の攻撃から逃げながらも掴んだものがある。

 その情報を纏める作業に入る。


『お~い××。メロンパン買ってこいよ』『ハイハイ、私はミルクティーね』『は?いやだよ』『いいから、買ってこい、よっ』『痛っ!』『ひゃはは、ナイスドロップキ~ック。だっせぇなぁ××』


 彼の生前は、僕の見た彼の記憶は限りなく悲愴、


―――彼の人生は悲惨過ぎる程に惨めで悲惨なものだった。


 異形になった彼は相変わらず僕を舐めきった暴言を吐き続けているが、先程の様な絶望感はなく、何故か酷く滑稽なものに感じられた。


「テメェには関係ねぇだろ! 口じゃなく足を動かせぇ! 頭を働かせて、死ぬ気で策を練れ。魂の限界を越えろぉ! じゃなきゃ、すぐに呆気無く死ぬぞ? それとも二度も死にたいのかぁ? 特殊な性癖過ぎんだろうがぁ! あぁん?」


 なんとなく攻撃が雑になってきた気がする。多分…そうであって欲しい。希望的観測。

 が、彼が思い切り右腕の皮を引っ張ると、手刀を形作る掌が細かく高速で振動し始めた。排気音の様な腹の底に響く重低音が轟く。地面と空気を通してその振動が伝わる。


 今度はチェーンソーもどきかよ…。


 マジふざけんな。そんなに刃物フェチなのか?

 分り易い凶器に頼りやがって……猟奇的な殺人鬼ならもっと日常的な道具を凶器として扱えよ! 独断と偏見による印象だけど、そっちのが『ぽい』だろうが!


 心底楽しそうにうっとりと酩酊した目で彼は呟く。


「やっぱり材料は細切れだよなァ…食べやすくカットしていって…そりゃあ一口大のが喰いやすい。デカブツに喰らいつくのも悪くねぇが、品がねぇ。赤ん坊から老人まで喰える親切設計。どうだ? 紳士的だろう?」


 僕は殺さず亜季子の前に添えるんじゃなかったのかよ? 本当矛盾だらけだ。

 にしても、細切れになってまで存在を保ち続ける自信はない。普通に無理。とにかく一口大は避けなければ…。というか、下等な化物が品性を語るなよ。


 恐怖と動揺を必死に抑え込みながら、彼の過去を掘り返す。


「そっ、そして! 自殺する原因を作った奴らを恨んで、死に切れなくて『ハズれ』ちゃったりしたわけですか。どんだけ安直なんだよ。いまどき流行んねぇぞ。そういうの」


 彼は答えない。代わりに不気味な振動が応答代わりに空気を揺るがす。殺意と敵意の圧力が織り成し紡ぎ出す死の執拗反復オスティナート


 沈黙が解答だってことは……僕の虚言は少し位正答を含んでいたのかな? 多少なりとも地雷は踏めのたかな? そうであって欲しい。


 僕は彼に身体的ダメージを与える必要はない。触れるだけ。軽く触れるだけで彼の記憶が流れこんでくる。辛く重い彼の陰惨な生前が。


 ならば、なんとかいける。やってやれないことはない。不可能な机上の空論ではない。避ける動作の途中で軽く手を添えるだけ。それだけで、彼の孤独が伝わるのなら。


 そして、僕は語り続ける。


「アンタは『今が充実してる』って言ってたよなぁ? そいつは幸せだね。幸せな脳みそだっ! 今までアンタが何人殺して喰って、その結果現在が充実していたとしてもそれは過去の埋め合わせにはならないんだよ! 不幸で可哀想で超笑える過去は変わらない! そこの所をそのハッピーな脳細胞はきちんと正しく理解できているか?」


 彼の振動する右手が、僕の髪を揺らす。切り裂かれた毛髪が瞬間に消失するのが見えた。


 仮に僕が見た記憶通りの人生だったとしたら、コイツは多分可哀相だったろう、辛かっただろう。そりゃあ、人を憎んで殺したくもなるさ。そう思ったとしても、そこに疑問は抱かない。成る可くして成る当然の帰結。

 心に暗い気持ちを沈殿させたまま死に、そしてハズれた。そんなに楽しい話じゃない。


 でもさ、そんなの何一つコイツに同情する理由にはならない。行為を正当化出来る大義名分には成り得ない。罪には罰。


「あれ? お兄さん動きが鈍くなっていませんか? 図星突かれて動揺とかしちゃってます? もしくは加齢による肉体の衰え?」


 もしも僕の悪口が彼の心的外傷トラウマを抉り出せるのなら、彼を消す算段は立つ。

 それは常識外れの猛攻から終わりも見えずに、ただ闇雲に果てしなく逃げ続けるよりもずっとシンプルで、簡単な方法で。


 心を殺せばいい。


 シャーロット曰く、その精神ココロが折れれば、幽霊だって消滅きえるらしい。


 ならば、その精神を誠心誠意踏みつけて、彼と現世とを繋ぎ止めている未練くさりを力づくで引き千切る。


 その為には相手の精神を徹底的に削り、剥がし、潰し、裂き、切り、抉り、捻り、刻み、壊し、砕き、潰し、刳り、叩き、溶かし、殺し、熱し、焦がし、滅し、嫌という程叩いて打ちのめして――――もう此処に存在することが嫌になる様に導けばいい。

 そう思考を誘導させるために、身を削り頭を回して、口を動かすだけでいいんだ。


 自然と口角が釣り上がる。



「あぁ―――そいつは楽しそうだ」




 頭の中で、何かがハズれた音がした。

       

              もしくは何か繋がった音。あるいはハマった音。

                                    

 

もう、帰れない音色。



                   曖昧であったはずの一線を越える音。



                                  

 僕は―――を越える……。

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