第5話






「雅春…聞いてる?」



不意に耳に入ってきた、どストライクな声に、俺は思考を止めた。



「あ、ごめん。何?」



にこ、と微笑みながら聞き返す。

うん。やっぱり良い声だ。

そんな俺に、明人は溜息をついた。



「お前が部活辞めたの、本当に勿体無いなって思って」


「…そう?」



勿体無い。

そう言われても…。

俺自身も、沢山の音に囲まれて幸せだったけど。

超好みの曲に出会って、その構成に欲情してしまって。

俺は、合奏どころじゃなくなってしまった。


曲の中盤に差し掛かった時。

我慢出来なくて、演奏を放り出して、俺はしゃがみ込んだ。

確か、あれがコーチに怒鳴られた、最初で最後の瞬間だったと思う。



「だって、1年生で4本マレット扱える奴とか、なかなか居ないだろ」


「うーん…」



俺が担当していた楽器は、マリンバ。

でっかい木琴だ。

4本マレットとは、その名の通り4本のマレットを同時に使って、演奏することで。

うちの部活では、そう呼んでいるだけだ。


片手にそれぞれ2本ずつのマレットを持つ。

違う指に挟むことによって、同時に4つの鍵盤を叩くことが、出来る。



何回も練習したら、自分の叩きたい場所を確実に、深い音を出せるようになった。

指が痛いけど。


楽器の良いところは、やればやる分だけ、結果が出るところだ。

それが嬉しくて、かなりはまってしまった。



「まぁ、でも俺は後悔してないよ?」


「…ん。なら、良いけど」



後悔は、していない。

だって今の俺には、明人が居るから。

その声を聞けるだけで、満足だった。



「遅くなってごめんな?帰ろうぜ」



そう言って歩き出す背中を、俺も追いかける。


俺は、確かに明人が好きだった。

理由は、どうであれ。

一番好きな人間だった。



なのに。






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