第20話 銀狐の少女

 何も考えずに、トリアンは建物から飛び出した。

 多頭蛇のいくつかの首が伸びて大鰐を襲ったようだった。

 大ワニ達も、まさかこいつが出てくるとは思っていなかっただろう。

 鰐にとっても悪夢である。


(・・よし)


 鰐が来ない。

 死霊レイスは石館には入れない。

 これで、多頭蛇さえ引き離せば、ひとまず石館に残した女の子は安全だ。

 走り抜けようとするトリアンめがけ、蛇頭の一つが鞭のようにしなやかに伸びて喰いついてきた。

 握っていた手槍で巨大な蛇の頭を狙った。

 偶然眼を傷つけて鮮血が散る。しかし、すぐさま目玉が再生して赤光を放った。

 トリアンは回り込むように走った。

 多頭蛇の巨体が信じがたい速度で追い迫る。だが、女の子を担いでいない今は、トリアンは本気で動ける。速度上昇の自律魔法は優秀だった。

 石館との距離を測りつつ、十分な距離が取れたところで、トリアンは足を止めて多頭蛇に正対した。

 手槍を投げ打つ。

 その槍の行く手に幾重にも魔法陣が生み出された。投げ放った槍は、魔法陣を貫くようにして飛んで行く。

 一枚目は、硬軟自在。二枚目は速度上昇。三枚目は回転上昇だ。

 ただの槍も、速度と回転、硬度を上げた事でとんでもない威力を発揮する。

 多頭蛇の鱗を豆腐のように貫通すると、音速の衝撃波で内から膨張するように爆ぜさせた。

 すかさず、多頭蛇の別の頭が喰いかかってくる。

 瞬時に、自分の移動速度を増して蛇の目測を狂わせると下顎をかいくぐって駆け抜け、巨大な蛇身を同じように投げ槍で攻撃しながら駆け抜ける。すぐに再生されてしまい効果は今ひとつだが、注意を引くには十分な威力だろう。

 そのまま、右へ、左へと蛇頭を回避しつつ、槍を投げる。首が一本吹き飛ぶ。しかし、多頭蛇の再生能力が凄まじく、瞬時に元通りに生えてくる。

 構わず、トリアンは一本一本間隔を開けて投げながら離れた。

 多頭蛇が蛇頭を伸ばすふりをして、くるりと身を捻って尾尻を打ち振るった。

 地響きと共に岩場が陥没して砕けた小石が飛び散った。

 多頭蛇の奇襲に叩き潰されたように見えたトリアンだったが、何事も無かったかのように尾尻のめがけて攻撃する。スイレンの幻体が進化し、身代わりの幻体となって、常時、体を覆っていた。スイレンが視認できるような単純な攻撃では、トリアンの体に触れることすら出来ない。

 多頭蛇の頭が一つ二つと連続して繰り出された。

 しかし、軽捷なトリアンの動きを捉えきれないまま、虚しく空を噛んで過ぎる。

 眼に投げ槍が撃ち込まれ、開いた口ごと毒牙を撃ち折られる。

 苛立ったのか、多頭蛇の頭という頭が揃って持ち上がり巨大な蛇身がとぐろを巻いた。

 トリアンはしっかりと姿を晒すように立って手槍を構えている。そろそろ準備していた槍の数が少なくなってきた。勝負を急ぎたいところだ。

 多頭蛇が尻尾の先を震えさせて、チリチリという警告音を鳴らし始めた。

 直後に、12個の頭が一斉に大口を開いて大量の毒を吐き出した。

 ある程度予想して回避したトリアンだったが、わずかに吸い込んだらしい。せ返りつつ、震える手で解毒薬を取り出して口に含む。


(なんて毒だ・・)


 さすがに大鰐を即死させるだけの事はある。

 地面にうずくまって悪寒に耐えるトリアンめがけて蛇頭が喰いかかった。

 しかし、トリアンの回復の方が早かった。

 次々に襲う蛇頭が虚しく空を咬んで過ぎ、ほぼ全てを回避してのける。

 多頭蛇が、とぐろを巻き直して鎌首をもたげた。

 トリアンは大急ぎで駆け離れると、やや離れた林の入り口に置かれた白い石の上で、投げ槍を構えた。

 距離にして200メートル。

 良い距離だ。


(・・来いよ)


 トリアンは槍を投げ打った。

 貫通力の増した槍が巨大な蛇頭を易々と粉砕する。

 多頭蛇はなおも周囲へ首を向けて見回しながら、トリアンめがけて這い寄ってきた。どんなに攻撃されても傷を負っても再生できるのだ。警戒心は薄い。あるのは変わった攻撃を受けて頭を破砕された軽い驚きと怒りである。

 この湿原で、多頭蛇をここまで手こずらせる相手は存在しない。

 しつこく頭を狙って破砕し続ける小さな敵を狙って力押しで押し潰そうと突進を始めた。

 次の瞬間、地面が崩落した。

 多頭蛇がすっぽりと埋没するほどの広範囲に渡って地面が崩落し、地響きをたてて多頭蛇の巨体が穴の底に叩きつけられる。多頭蛇の巨体の3倍以上の深さがある巨大な落とし穴である。

 穴の底に敷き詰めてあった乱杭が多頭蛇の巨体を串刺しに貫いた。

 トリアンはスイレンに収納させていた用意の強酸を袋ごと放り入れていった。この時のために、酸粘体をせっせと狩って調薬し湿原にいる毒蛙の胃袋を使って貯めておいたのだ。


(ざっと、800t・・・まあ、嫌がらせになるだろ)


 逃れ出ようにも、縦穴の壁に幾層にも巡らされた逆杭が邪魔をする。簡単には抜けやしない。


「さあ、行こうか」


 トリアンは、武器の召喚を意識した。

 巨大な魔法陣が落とし穴の上空に出現した。4本の鉄道が上空に浮かんだ魔法陣の中から垂直に真下へ向けて延びて来る。蒸気機関車が激しく蒸気を噴出させながら牽引し、上から下へ、重さを無視した構図で、80センチ列車砲が巨大な姿を現した。

 空から落とし穴を覗き込むように一本の長い砲身の角度が微調整される。

 その砲口の先には、投げ槍と動揺に、"硬軟自在""回転上昇""速度上昇"の魔法陣が多重に出現していた。


「榴弾装填」


 トリアンが小さく呟く。

 赤色灯がくるくると回って光り、ジリジリ・・と警報が鳴り始めた。


「撃て!」


 短い号令と共に、80センチ列車砲が巨大な榴弾を撃ち放った。火山でも噴火したかのような発射煙と炎が吹き荒れ、爆音が衝撃となって夜闇を震撼させる。

 そんな中、


「次弾装填、ベトン弾」


 そよ風でも受けているように平然と立っていたトリアンが呟いた。

 列車砲から準備完了を告げる警報が聞こえてくる。


「撃て!」


 深い縦穴の底を、一体どれだけの衝撃と破壊の熱が襲っているのか。


「次弾装填、ベトン弾」


 トリアンは淡々とした口調で指示し、


「撃て!」


 号令と共に、80センチ列車砲が咆哮をあげる。

 上空の魔法陣から吊されるように伸びた鉄道に、まるで逆さまにカブトムシがしがみついているような格好で、列車砲は射撃を繰り返した。

 弾頭の硬度が増し、速度が増し、回転が増した砲弾が至近で撃ち込まれるのである。

 全弾が必中だった。その威力、効果は計り知れない。

 多頭蛇の再生力をもってしても、もはやどうしようも無い理不尽さである。

 もっとも、


(まだか・・?)


 トリアンの方も、焦りを覚えながら魔力量の残量を気にしている。ベトン弾が800、榴弾が1000消費する上に、列車砲がすぐに傷むために召喚し直さなければならない。そのコストが1000だ。

 湿原に引き籠もっている間に、レベルは9に達している。魔力の総量はあがった。

 まだ魔力の量には余裕がある。確実に生命力を削れているのなら、あえてペースを変える必要は無いのだろう。

 それとも、多頭蛇はまだ何かやってくるだろうか。

 下水路の変異鰐は、死ぬ間際に指向性の酸を噴出した。ああした死に方をやる化け物は他には知らないが・・。

 9度目の送還から、列車砲を再召喚して、ベトン弾を落とし穴めがけて撃ち込む。本来では有り得ない、衝撃波を伴った轟音を響かせて、音速の数倍という速度で7トンもの砲弾が撃ち込まれる。多頭蛇は再生力のすさまじさを見せて、肉片となっても集まって再生しかけるのだが、衝撃波でその肉片も粉砕して飛び散った。そして、時折混ざる榴弾が灼く。


(ん・・?)


 トリアンはわずかに眼を眇めて緊張した。

 最後に何かあるかと身構えたのだが・・。


(・・あ?)


 不意に、体中がぽかぽかと暖まるようなむず痒いような感覚が押し寄せて来た。

 これは何度か経験している。

 レベルがあがる時の感覚だった。


(やった?・・斃したのか?)


 トリアンは、抑えきれない喜びに口元を緩めていた。

 役目を終えた列車砲が、機関車に牽引されて魔法陣の中へと戻って行く。


(・・よしっ!)


 トリアンは拳を握りしめた。

 湿原で初めて多頭蛇を見た時から目指していたことだ。

 多頭蛇を斃せるようになる事が目標だった。

 あの時から、湿原を狩り場と定めて虫を狩り、酸粘体を狩り、巨魚を狩り、大蛙を狩った。そして大鰐を狩り続けた。そして、とうとう、どうしようもなかったはずの湿原の王を斃すことが出来たのだ。

 トリアンは周囲へ警戒の視線を巡らせた。

 湿原の王の登場で逃げ去ったらしく、大鰐も死霊も周囲にはいなかった。

 遙かな穴の底に目を凝らすと、一抱えもある透き通るような黒い球が一つと、小さな拳大の黒い玉が12個転がっているのが見えた。


(多頭蛇の玉か)


 あれは回収しておきたい。

 トリアンは飛び降りた。

 黒い大きな球と、12個の小玉を拾ってスイレンに収納させてから穴の上まで舞い戻るまで、わずか1秒足らずである。すかさず頭から傷薬を浴び、もう一本を飲んで体の外と内から酸と火傷の傷を癒やす。


(勝ったんだな)


 トリアンは嬉しいような寂しいような気持ちで吐息をついてから、ふと石館を振り返った。

 ちょろちょろと気配が動いたようだった。

 あの女の子が意識を取り戻したのかもしれない。まあ、列車砲の砲声をあれだけ響かせたのだ。目覚めない方がどうかしている。


(家に送ってあげないとな)


 トリアンは自分の姿を見回した。

 上着は石館で脱いできたから、上半身は肌衣一枚である。その上で、何度も傷薬をかぶったので、だいぶ薬が臭った。


(しかし・・)


 この夜中に、あの湿地へ戻って水浴びをする気は起こらない。

 とりあえず、臭い汚いは仕方ないだろう。


(・・ん?)


 石館に戻ると、女の子はトリアンの敷いた上着の上で丸くなって寝ていた。

 じっと女の子の顔を眺め、トリアンは尻尾を見た。

 最初に見た時より毛が寝て一回り細くなって見える。ちらと耳を見た。伏せ気味にやや横を向いていた。毛先が震えている。


「おい、子狸が狸寝入りか」


 トリアンは呆れ声を出しつつ壁際に離れて座った。


「・・たぬきじゃない」


 寝たふりをしたまま女の子が呟いた。


「なら、何だ?」


「き・・きつねです」


 まだ頑張って寝たふりをしつつ、自分を狐だと言う。

 ふうんと鼻を鳴らし、トリアンは収納させていた調合器具を取り出して床に並べて行った。

 今の戦いで、大量に薬を使った。

 空いた時間で補充しておかないと気分が落ち着かない。


「なんで、蜂に運ばれてた?」


 トリアンは粉にした物を何種類も小皿に容れて置きつつ訊ねた。


「・・・・」


「寝たふりは、狸がやることだ」


 トリアンは調合器で18種類の粉を混ぜ合わせながら言った。

 むくりと、女の子が起き上がった。


「狸じゃ無いらしい」


「・・きつねです」


 やや頬を膨らし気味に言って俯いた。まだ耳が斜め後ろへ倒れている。


「おまえは、蜂に運ばれてきた」


「・・はち?」


「体には蜘蛛の糸がついてたが・・」


「くも・・蜘蛛っ!」


 女の子が眼を大きく見開いた。蜘蛛は記憶にあるらしい。


「蜘蛛は知らないが、地蜂は斃した。おかげで、ちょっとした騒動になった」


 トリアンは苦笑しつつ、調合器の中で淡く光る液体を見つめた。慣れてきたおかげで、ほぼ失敗なく調薬が出来るようになっていた。


「えと・・逃げたら、くもがつかまって・・それで」


「蜘蛛の糸で巻かれたところを蜂が横取りして運んで来て、それをおれが取り上げた」


 トリアンは出来上がった薬に小指をつけて少し舐めてみた。

 上出来だ。

 その様子をじっと女の子が見つめていた。

 特に声を掛けるでも無く、黙々と薬の調合を続けてスイレンに収納する作業を続けた。


「おまえ、家はどっちだ?」


「おうち・・」


 小さく呟いて激しく頭を振った。


「まあ、分からないか。寝てたんじゃ・・」


「いけにえ」


「ん?」


「わたし、いけにえだから・・帰っちゃだめなんです」


「・・ああ、そんな感じなのか」


 トリアンは初めて、まじまじと女の子の顔を見た。銀髪に紅色の瞳、真っ白い肌。銀毛の狐人には生け贄という風習があるのだろうか。


「雨でも降らすための生け贄か?」


「あめ・・ちがう」


「じゃあ、風か?」


「うぅ・・からすがわたしを食べたら、村は大丈夫になるんです」


「からす?なんだか知らないが、そんなの退治すれば良いじゃないか」


「だって、怖いんです・・むかし、たくさん、殺されたって、化け物だって」


 所々何を言っているのか分からない部分もあったが、"からす"という化け物に、この女の子を差し出す事で"からす"が味方になって、まものと戦ってくれる約束になっているらしい。詳しい事は、一緒に居た大人が知っていたらしいのだが、森を通行中に襲ってきた鬼との戦いで死んでしまったそうだ。


(からす・・鴉か?・・巨大な鴉とか、まあ魔物なんだろうな)


 トリアンはぼんやりとした魔物像を想い描きながら腕組みをした。

 いかに恐ろしいかを必死に話す童女を見ながら、トリアンは調合器具を収納すると、代わりに燻製肉と水筒を取り出した。

 細身の短刀を出して削ぎ切りにして肉片を口に入れる。ゆっくりと噛んでから飲み込み、水筒に口をつけて薬草を漬けた水を飲んだ。また、燻製肉を削ぎ切りにして口に運ぶ。

 女の子の赤みがかった瞳が運ばれて行く肉片の動きを追って右から左へと面白いように追尾する。

 トリアンは燻製肉を半分近く平らげて満足すると、残った燻製肉を薄く細かく切って紙に載せ女の子の前に差し出した。薬草入りの水筒を引っ込め、真水を入れた水筒を出して口をあけると、肉の横に並べて置いた。

 女の子がじっと見つめてくる。小さな手が膝の上で握りしめられていた。


「周りを見回ってくる。それまでに食べておけ。明日はかなり歩くぞ」


 言い置いて、トリアンは石館の外へと出た。

 白い煙のようなやつは寄ってきていない。大鰐の姿も無かった。湿地の方を見回したが、特に動きは無いようだった。

 トリアンは夜空を見上げた。


(綺麗だな・・)


 白く尾をひいて、いくつもの星が夜空を流れていた。

 月は出ていたが、半分近く雲がかかっている。


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 Nmae:トリアン・カルーサス

 Race:人

 Sex :男

 Age :12

 Level:15


身体情報(非公開)

 HP/MHP: 12,440/15,500

 MP/MMP: 8,080/95,850

 SP/MSP: 8,120/10,800

 >extra points +1,000,550


状態情報(公開)

・不妊<永続処理> :子供が出来ません

・完全吸収<血脈> :糞尿の排泄がありません


<技能一覧>

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自律魔法(非公開)

・素敵な瞳 :Lv13:機能満載な瞳です

・危険探知 :Lv15:敵意と害意を見逃しません

・召喚武器 :Lv8 :天使の贈り物です

・速度上昇 :Lv12:速くすることができます

・回転上昇 :Lv11:いつもより多く回せます

・硬軟自在 :Lv13:ふにゃふにゃもカチカチです

・聴覚保護 :Lv10:耳を大切に護ります

・視覚保護 :Lv10:眼を大切に護ります

・爆風保護 :Lv8 :爆風に巻き込まれません

・耐性<衝撃>:Lv8 :打撃と衝撃にとっても強いです

・耐性<炎熱>:Lv8 :火とか熱とか御褒美です

・耐性<激震>:Lv7 :どんなに揺れても平気です

・耐性<激痛>:Lv10:痛くても痛くないのです


特殊技能(非公開)

・青い天井 :Lv12:レベルに上限無いです

・万死一生 :Lv15:しぶといです

・冷静沈着 :Lv15:冷め切ってます

・加護<源泉>:Lv15:もりもり回復します

・加護<怨砂>:Lv10:薄ピタです

・呑翁   :Lv9 :辛いことは呑んで忘れましょう


魔法適性(公開)

・none


一般技能(公開)

・恫喝   :Lv7 :柄が悪そうです

・挑発   :Lv5 :品が悪そうです

・細剣技  :Lv8 :貴族のたしなみ

・鞭技   :Lv8 :拷問上手

・仕掛け罠 :Lv5 :陰険そうです

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(いきなり、15まであがったのか)


 レベル9の後半だったのだろうか。多頭蛇一頭で凄い上がり方だった。

 一方で、魔法や技能は何も増えていない。

 多頭蛇を斃しても増えなかったと言うことは、このまま同じ方法で狩りを続けても新しい技能は増えないという事かもしれない。

 軽く夜気を嗅いでから、トリアンは館周りを見て回った。最期にもう一度夜空を見上げたが、流れていた星はもう見えなかった。

 トリアンが石館に戻ると、女の子は頑張って固い肉を咀嚼している最中だった。

 大慌てで口を動かす女の子に、


「大丈夫だから、ゆっくり噛め。明日はちゃんとした肉を獲る。今日だけ、それで我慢しろ」


 静かにゆっくりと言い聞かせて、トリアンは背を向けて座ると体の傷を一つ一つ確かめた。どの傷も痛まない。浴びた毒も消えているようだが、


(気をつけないとな)


 湿原で狩りを始めた頃、些細な傷が元で高熱に悩まされた経験がある。

 明日、良い水を見付けて体を洗いながら確認した方が良いだろう。


「あの・・」


「ん?」


 声をかけられて、肩越しに振り返ると、


「ありがとうございました」


 女の子が膝に小さな拳を載せて頭をさげた。どこで習ったのか、ずいぶんと丁寧な物言いである。


「少し塩が強かっただろう?」


「おいしかったです」


「そうか」


 頷いて、トリアンは指の具合を確かめ、続いて手首から肘、肩周りをじわりと力を込めながら動かしてみた。多頭蛇の毒は完全に中和できたようだ。

 完調にはほど遠いが大鰐の群れと一戦やれるくらいには動ける。


(さて・・どうするかな)


 アニサリタとロッタの母娘の仇討ちは、恐らく完了している。議員だろうが地下組織だろうが商人だろうが、町ごと死滅したのだ。

 トリアンは、エフィールにも、クーラン・ゲイルにも行ったが、すべてが瓦礫になっていて、住人が生き残っているような痕跡は見つからなかった。運良く、他の町に出かけていたりする可能性もあるが、それを調べる手立てを知らない。


(ここに留まって狩りを続けても、もう得るものは少ない)


 レベルが15に上がった今となっては、この湿原も良い狩り場では無くなるだろう。

 直近の目標だった"湿原の主"も退治できた。

 このまま湿原で狩りを続けても、新しい気づきや刺激は乏しいだろう。狩り場を変える時が来たのかもしれない。

 尻尾のある子供を親元へ送り届ける時間はある。


(ついでに、生け贄がどうとか言う、その鴉の魔物を退治するのも面白い)


 トリアンは大鰐の肉に塩と香辛料をすり込み、燻製の準備をしながら明日からの行動を考えていた。

 そんなトリアンの様子を、狐人の女の子は膝に拳を載せたままじっと見つめていた。

 何しろ、トリアンが無言で考えを巡らせているものだから、どう話し掛けて良いのか分からない。この12歳の少年は、元々無口で無表情なのだが、こうして人間と一緒に居るのも久しぶりで、会話というコミュニケーション方法を完全に忘却している。


「あ・・」


 不意に、トリアンは小さく声をあげて女の子を見た。


「おれは、トリアンだ」


 名乗って無かった。


「シンノです」


 狐人の女の子が銀毛の頭を下げた。

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