第21話 人の姿をした鬼

 湿原の東北部に小高い山々があり、越えた先に森というより、樹海というべき広大な樹々の連なりが広がっていた。

 白茶けた荒れた大地から、緑豊かな大樹の森へと景色が一変する。

 木々の一本一本が、トリアンの識る木の常識を越えて巨大だった。

 若木ですら30メートル近い高さがある。異様なほどの巨樹が繁った大樹海だった。

 強烈な生命力が濃密な空気となって森を満たしている。

 森の感覚と表現すれば良いのだろうか。

 漂う空気、蠢く生き物の物音、息づかい・・風で揺れる梢のさざめきなど、トリアンに馴染みのあるものもあれば、まったく異質なものもある。

 湿原からは、多頭蛇の這った跡を辿ってやって来た。

 その這い跡は、森の中にも残っていた。

 あれだけの巨体も、この巨樹の森ならば似合いの大きさと言うべきだろう。

 折れた低木や押し固まった落ち葉など分かりやすい跡を見付けながら、トリアンは銀毛の女の子を連れて歩いていた。

 シンノ、7歳、狐人。

 女の子について知っているのはこれだけだったが、トリアンにとっては十分だ。

 ただ、7歳という年齢については、ちょっと首を捻った。

 女の子ということを考えてもずいぶんと小柄だ。5~6歳くらいにしか見えない。獣人とは、こうしたものなのだろうか。

 地面を進む時は自分で歩かせ、樹上を跳ぶ時は抱き上げて運ぶ。

 森に入ってから半日で、トリアンは多頭蛇のねぐらになっていた場所を突き止めていた。

 かなり深そうな洞穴である。

 洞穴の中には入らず、水場となっていた泉、脱皮跡のあった広場など生息の痕跡を確かめて回る。

 さらに半日をかけて範囲を拡げて捜索して見付けたのは、粗末な木組みに動物の皮を張った小屋が並ぶ集落だった。


(・・またか)


 以前に見た、獣人の女達の惨状がそこにあった。

 木に縄で両手を縛られている女はマシな方だろう。杭で手の平を打ち抜かれて釘付けにされている女も多かった。引きちぎられた布が残っている女もいるが、ほとんどが素裸にされて爪や牙で柔肌を裂かれ、黄濁した精液に塗れて動かなくなっている。

 トリアンに口を塞がれたまま、シンノが身を震わせていた。恐怖を怒りが塗りつぶしている。指にぎりぎりと犬牙が食い込み、尾の毛が逆立って膨らんでいた。

 抱えるように抑えていなければ駆けだしていただろう。


「騒ぐと逃げられる」


 一言シンノの耳元で囁き、トリアンは集落の全容をゆっくりと観察した。

 やや奥まった所に、他とは違う大きな小屋があった。

 張ってある皮に、赤や緑の色が塗ってある。入り口の左右には木の杭が打ち込まれて無数の骸骨に混じって生身の女も吊されていた。


「騒ぐなら眠らせるぞ」


 ぶるぶると怒りで身を震わせるシンノに語りかけた。


「おれは、ここにいる奴らを狩る。うるさくされると狩りの邪魔になる」


 トリアンの言葉に、シンノが顔をあげた。


「おれの狩りを邪魔するな」


 トリアンの紫色の瞳が、間近でシンノの紅瞳を覗き込んだ。


「おれの獲物に手を出すな」


 トリアンの眼が底光りする。


「おれの狩り場に立ち入るな」


 シンノの犬歯がトリアンの指を放した。あれほど強く噛みついていたというのに、傷はおろか赤みがかってすらいない。おそろしく強い皮膚だった。

 凄まじい眼光にシンノの体が震えた。

 恐怖に総身が貫かれていた。

 シンノの目の前にいるのは、小鬼などより遙かに恐ろしい人間なのだ。頭のいっぱいある小山のような大蛇を1人で退治した人間なのだ。


「分かったら返事だ」


 嘘を許さないトリアンの眼光がシンノを射貫いたまま動かない。

 幼い激情も衝動も許されない厳しさがそこにある。


「は・・はい」


 シンノは震えながら、かすれる声で何とか声を出した。


「よし、ここに居ろ」


 どん、とシンノの頭に手が置かれた。

 痛かった。

 次の瞬間、掻き消えるようにしてトリアンの姿が消えていた。

 シンノはへたり込むようにして太い大樹の横枝の上で蹲った。

 怖かった。

 恐ろしい人だった。


(・・でも)


 あの人は、妖鬼を狩ると言ってくれた。

 ここの妖鬼を狩ってくれるのだ。

 シンノは怯える気持ちを奮い立たせるように顔を上げて紅瞳を妖鬼の村に向けた。

 トリアンが影を拾うようにして走っていた。

 影から影へ。

 小屋に近づいたかと思えば、集落から森に入った辺りに向かい、また小屋の方へと向かって走る。

 シンノの眼で追えないほどに速い。

 いきなり、一つの小屋に入ったかと思えば瞬く間に外に出てくる。その手には奪い取ったのだろう血濡れた手斧が握られてた。続けて別の小屋に踏み入り、すぐに外へ姿を見せる。

 何が行われているのか、幼いシンノにだって分かる。

 狩りが行われているのだ。

 トリアンという人の狩りが始まっているのだ。

 見る間に8つの小屋を出入りして、トリアンは一番大きな小屋へと入っていった。

 すぐに、小屋の入り口を打ち壊すようにして、大きな金毛の鬼を引きずって出てきた。


(あ・・あぁ・・)


 眼と口を開いてシンノは固まった。

 大きな鬼だった。

 身の丈は5メートル近くあるだろう。

 小さな人間の少年に引きずられ、丸太のような手足が力なく揺れ、人形のように成されるがままに地面に擦られ、女達が繋がれている広場へと運ばれた。

 トリアンが横倒しになった大鬼の肩に足を掛けると無造作に手斧を振り下ろした。

 大鬼の喉に深々と食い込む、そのまま何度か手斧を打ち下ろすと、醜悪に鼻と牙が突き出た大鬼の頭が胴体から切り離されて地面に転がった。

 ほどなく、呆然と見守っていたシンノの座る枝にふわりと音も無く気配が戻って来た。


「数が合わない」


 呟く声を聴いても、シンノには何のことか分からない。


「あと、20匹はいるはずだ」


「・・え?」


「どこかに出かけている」


 小声で呟くトリアンの顔を、シンノは一生懸命見つめた。この狩人が何を言おうとしているのか理解したかった。


「仕留めたのは38匹だ。あと20匹ほど生活していた跡がある」


 淡々と事実だけを伝える声に、シンノの理解も追いついてきた。


「こいつらの村は他にもあるのか?」


「わかりません」


 シンノは首を振った。7歳の女の子に分かるわけが無い。


「少し捜す。来るか?」


 トリアンの問いに、


「はい!・・いきます!」


 シンノは大急ぎで返事をした。ぐずぐずしていると置いて行かれる。そんな気がした。


「よし」


 小さく頷いたトリアンが腕を伸ばしてシンノを抱え上げる。ほっそりとした少年なのに、びっくりするくらい力が強い。シンノを子猫でも抱えるように抱き上げている。

 枝から枝へ、シンノの風景が流れ去った。

 風を切る音すら聞こえない。

 気づけば別の場所に移っていた。

 見上げるばかりだった巨樹の遙かな高みにある枝をシンノは少年に抱えられて走り、高々と跳んでいた。

 村の大人達より、ずっと小さくて細い体をした少年なのに、ずっとしっかりして頼もしかった。

 ぼうっとそんなことを考えていると、不意にぴたりと動きが止んだ。

 シンノは我に返って視線を左右させた。

 すぐにトリアンの視線に気づいて眼下を見下ろした。

 声をあげそうになって、ぎりぎりで自分で口を噤んだ。

 狼人が妖鬼の集団に襲われていた。

 狼人の男が懸命に槍を振って戦い、妖鬼を仕留めている。しかし、別の妖鬼が投げつけた石が男の額を割り、意識を濁らせたまま上体を揺らした。そこへ、2匹、3匹と群がるように妖鬼が襲いかかって手にした武器で滅茶苦茶に刺して殴る。

 名を叫び、怒りの声をあげて別の狼人が槍を手に妖鬼を突き刺した。

 横合いから別の妖鬼が短刀を投げつける。石弩で石を放つ。

 手傷を負いながらも咆哮をあげて何とか戦おうとする狼人に妖鬼が群がって仕留めた。


「数が合わない・・今度は多すぎる」


 妖鬼は50匹近い。

 先ほどの集落の妖鬼とは別のようだ。

 狼人は12人。

 一人、また一人と囲まれて殺されていた。

 妖鬼の狙いは、狼人達が守っている4人の女達だろう。

 シンノは無言で、自分を抱えている狩人の顔を見た。

 トリアンの視線が周囲を見回していた。

 その視線を追って、シンノも視線を巡らせた。

 ふと揺れる影に気がついてシンノは視線を上方へ向けた。考えるより手が動いた。

 小さな指が斜め上、さらに上にある梢を指さした。

 直後、視界が回った。

 どっちが上で、どっちが下だか分からなくなって、気がついたら太い枝の上に着地していた。枝の上に手斧で頭を叩き割られた痩せた気味の悪い化け物が居た。

 狼人と戦っている妖鬼とはまったくの別ものだ。

 人のような手足をしている。青黒い肌色をして疱瘡のような水疱が顔や頭を覆っていて、隙間に眼や鼻があった。

 トリアンの手斧で頭を半ばまで割られていたが太い横枝に抱きついたまま、懸命に手足を暴れさせていた。トリアンの足が首を蹴りつけると静かになった。すぐに黒い灰のような粉になって消え始めた。残った魔素の玉は青紫色をしていた。


「他には、居ないな・・」


 トリアンは気配を確認してから眼下の戦いへ視線を戻した。


「いくぞ」


 シンノの耳元に声がして、周囲の景色が真上へちぎれるように流れ去っていった。

 上から下へ、そしてまた上へ。

 お腹の中がおかしくなるくらいに上下に飛び交い、景色は風鳴りと共に様々な方向へちぎれ飛ぶ。

 抱えられているシンノが見ただけでも8匹の妖鬼が、ほとんど瞬時に首をへし折られてひっくり返っていた。木陰から石弩を撃っていた2匹の妖鬼が頭を粉砕されて斃れた。続いて、指揮役をしていた大柄な妖鬼が蹴り転がされ顔を粉々に踏みつぶされて絶命した。

 一瞬の風鳴りが止んだ時、立っている妖鬼はわずか6匹になっていた。

 左手に座らせるようにシンノを抱え、右手に血まみれの手斧を握り、トリアンは妖鬼達と狼人達を等分に見ながら立っていた。

 耳障りな奇声をあげながら騒いでいた妖鬼達だったが、いつの間にか自分達が全滅しそうな事に気づいて我先に身を翻して逃げ出した。この辺りの判断は早いようだ。

 トリアンは軽く追って5匹を殴り斃すと1匹をそのまま逃がした。

 すぐさま狼人達の方へと駆け戻る。

 時間が無い。

 狼人達は、突然の乱入者にどうしたら良いか分からないまま構えた武器をそのままに見ている。

 トリアンは解毒薬を取り出して地面に置いた。


「あいつらの武器には毒が塗られている。死にたくなければそれを呑め」


 狼人達に向かって言い置いて、トリアンは逃がした一匹を追って走り始めた。


「同じ方向だな」


 トリアンが呟いた。

 必死に逃げる妖鬼の痕跡は、先ほど壊滅させた集落へ向かっていた。

 トリアンは樹上へ跳んだ。

 枝上を飛び移りながら、やや先の低木の間に妖鬼の姿を捉える。疲れたのか、妖鬼は低木に身を潜めて休んでいた。

 迫り出した顎、大きな鷲鼻、禿頭で眼が細く鋭い、両耳は先が尖って長かった。体型は人間と似通っているが、やや腕が長く、脚が短い。肌身は灰色がかった緑色をしていた。目の上、頭部に角のような瘤が、できもののように生えている。背丈は、トリアンと同じくらいだろう。

 樹上から見下ろしていると、妖鬼はきょろきょろと周囲を見回しながら、また集落の方向へ向けて走り始めた。

 トリアンは先回りをして集落の入り口が見える地点へ移動した。

 やや遅れて妖鬼が走ってくる。

 妖鬼は大きな奇声をあげて村に向かって叫びながら走っていた。

 トリアンは樹上に潜んで見守っていたが、迎えて出てくる妖鬼の姿は無かった。やはり、この集落の妖鬼は殲滅できたようだ。

 狂ったような声をあげ、妖鬼が大きな小屋に飛び込んでいった。

 すぐに外に出てくる。

 酷く落ち着き無く左右を見ながら、妖鬼が後ろを振り返りつつ走り始めた。

 何処へ行くのかと追ってみると、着いた先は多頭蛇の巣穴だった。甲高い悲鳴のような奇声をあげながら、妖鬼が洞穴めがけて駆け込んで行った。


「そうか・・こっちにも住んでる奴が居たのか」


 トリアンとシンノが樹上でじっと待っていると、洞穴に気配が湧いていくつかの小柄な影が見え始めた。

 一匹だけ、派手な色を塗った布袋を被った奴が居る。

 他は似たり寄ったりの腰布一枚の妖鬼だった。

 数は、ざっと60匹。

 シンノは枝の上に降ろされた。そのまま座り込んで見守っている。

 何もかもが一方的で、圧倒的で、徹底的だった。

 60匹の妖鬼達は声をあげることすら許されず、おそらくは自分が死んだ事にも気づかないまま絶命していった。

 一匹残らず殲滅したのを確認して、トリアンが手にしていた手斧を捨てた。

 その視線が樹々の間へ向けられる。

 つられて枝上のシンノも眼を向けた。

 槍を手にした狼人が3人立っていた。体の大きな大人ばかりだ。狼人と言っても、耳と尾がある他は人間と外見に大差はない。ただ、運動能力は抜群に高い。

 そんな狼人達が苦戦していた妖鬼をたった一人で殲滅した少年が狼人達を見据えるようにして立っている。

 黒髪に幾筋かの白毛の房が混じった狼人が前に進み出た。


「恩人に礼を尽くせぬまま言うことでは無いが・・ここはヒュドラのねぐらだ。奴が戻らぬ内に立ち去るべきだ」


「シンノ」


 トリアンの視線が樹上に注がれた。


「来い」


 遙かな上方の枝で見ているシンノに手招きする。

 戸惑ったのも一瞬、シンノが枝から飛び降りてきた。着ている服が翻って、あまり良い格好では無かったが、ふわりとトリアンが受け止めて地面に着地させた。


「銀毛・・その娘は・・狐人の」


 別の狼人が呻くように言った。


「どうして、狐人の子が人間などと共に居る?・・・誘拐したのか?」


「おれが狩った。欲しければ力で奪え」


 トリアンの言葉に、シンノが顔をあげた。


「子狐を狩ったのは初めてだが・・・狐狩りも、貴族のたしなみというやつだろう」


 笑いを含んだ声で呟くトリアンの手をシンノの幼い手が握りしめる。


「銀毛の獣人は、呪われた血筋だ。命を賭してでも命を奪いに来る者は多いぞ」


 狼人が低く感情を抑えた声で言う。


「せいぜい頑張ると良い」


 トリアンはひらひらと手を振ると洞窟に向かって歩き出した。


「そこは、ヒュドラの穴だっ!貴様がいくら強かろうが、あの魔獣には絶対に勝てんぞ?」


「わんわん、うるさい。おまえらから先に狩るぞ?」


 トリアンはしっしっと手を振りながら足早に洞窟へ入った。

 その背へ何か声を掛けようとして、しかし、何も言えないまま狼人の大人達が互いに苦々しい視線を交わし森の中へと去って行った。


「あいつらには、ああ言ったが・・」


 トリアンは洞穴を歩きながらシンノに語りかけた。


「お前の母親から頼まれれば家に帰すぞ」


「・・うん」


 シンノがトリアンを見上げながら頷いた。

 親が一番だろうからな、と言いながらトリアンは洞穴の闇を見回した。

 思ったより浅い洞穴だった。

 狼人はヒュドラと呼んでいたが、あの多頭蛇の巨体が入るだけあって天井高もあり、幅もあったが構造はとても単純で、まっすぐに入った後、途中で少し登り気味になった後、穴は大きく左へ曲がった。突き当たったところが、広々とした空洞になっていた。

 どこかで水音がしている。

 仕掛け罠に気をつけながら、トリアンは岩床を踏んで中に入った。

 入って右手の壁際に、外で見かけたのと似たような木組みの小屋が並んでいた。しばしの間、トリアンは闇に眼を眇めていた。

 すぐにシンノに待っているよう言い置いて、落ちていた棍棒を握って小屋に近づいて行った。

 大きな柵で囲まれたような天幕があり、中に十数匹の子供の妖鬼がいた。まだ眼も開いていないような赤子も混じっている。

 トリアンは表情を変えないまま棍棒を振り下ろした。


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