第19話 湿原の王

 シーリスがやったのか、死人のバシルートがやったのか、エフィールの町は壊滅していた。エフィールだけでは無い、城塞都市クーラン・ゲイルも瓦礫となった。

 どちらの町も調べて回ったが生存者は1人も居なかった。


(魔法・・なんだろうな)


 大砲があればどうにでもなると思っていたが、町を消滅させる魔法の威力を目の当たりにして認識を改めた。この世には、ビルの壁のように聳え立つ城壁ごと3万人規模の町を死滅させる魔法があるのだ。

 トリアン自身には魔法適性は無さそうだ。

 町を死滅させるような魔法で攻撃されれば防ぎようが無いだろう。


(ゴルダーンが可愛く思えるな)


 トリアンは嘆息しながら、視線をゆっくりと巡らせた。

 湿原だった。

 エフィールから半月ほど移動した場所に広がる樹海のはずれで、見渡す限りの大湿原である。草に覆われて見えないだけで、恐ろしく深い沼地が点在し、水棲の化け物が大量に蠢いていた。

 とにかく魔物が強く、数が多い。

 水棲昆虫も、蛙やイモリ、蛇に魚も、たまに飛んでくる蜂や虻なども、すべてが巨大な魔物だった。水中で赤い体をくねらせているボウフラですら、トリアンの腕くらいの大きさがある。冗談のように大きかった。

 植物も様々な種類があり、中には化け物と同じように捕食行動をする水草がある。

 下水路で馴染みになった酸粘体も沼水に紛れるようにして生息していた。

 流水路で見かけた巨大鰐は、集落を作って生きていた。

 信じがたいことに、硬い水草の茎を編んだものを壁にして巣を作り、生肉だけで無く、魔法で火を操り、魚や蛙を焼いて食べている。集団での狩りをしているところを何度も目撃した。

 この湿原で、トリアンは狩りをしていた。

 つくづく自分の弱さを思い知らされ、とにかく階梯を上げるために湿原を狩り場と決めて魔物を狩っている。

 湿原に引き籠もって3ヶ月になるだろうか。

 死ぬ前に魔石を抜き出すことで、魔物は黒い粒子に還らず死骸を遺す。これに気がつくまでが長かったが、それ以降は魔物を食材に出来るようになった。

 狩った魔物の肉を食い、湿原の水を飲んで生きていた。

 初めは、巨大鰐が湿原の生態系の頂点だと思っていたが、その大鰐を捕食する巨大な蛇がいることがわかった。

 大樹のような太い胴体から蛇頭が枝分かれした不気味な蛇である。

 一つ一つの蛇頭が大鰐を一呑みにできるほどに大きい、蛇身はいったいどれほどの長さがあるのか。気ままに湿原を徘徊して、大鰐の集落を見付けると嬉々として襲いかかって捕食している。

 まさに湿原の王だった。

 あの湿原の王である多頭蛇を狩ることがトリアンの当面の目標だった。

 ヤゴ一匹に苦戦している現状で、何の冗談かと笑われそうだが、トリアンは大まじめだった。

 トリアンは、体格も力も強靱さも、すべてにおいて湿原中の最底辺である。

 それでも、はぐれ者の大鰐を狩ることは出来る。

 半死半生で何とか斃したくらいだが、仕掛け罠を駆使し、毒薬や麻痺毒で少しずつ体力を削ぎ落とし、体の自由を奪ってゆけば、どんな強者でもいつかは斃せる。

 問題は、多頭蛇の回復力だろう。

 つきまとって遠目に観察したのだが再生力が凄まじい。

 大鰐達が死にものぐるいで噛みつき、炎の魔法を浴びせて、なんとか手傷を負わせるのだが、見る見るうちに傷口が塞がって元通りになってしまうのだ。

 そして、一度だけ見ることができた、蛇頭の一つが口から吐き出した毒霧だ。

 下水路の蛇が死に際にやる酸炎のように一直線に噴出されて大鰐の集落を薙ぎ払い、ほとんど瞬時に数百匹の大鰐が死亡していた。

 食べ残した大鰐の死骸を調べて毒を回収したが、何種類もの蛇の毒を合わせたような厄介な特性をしていた。しかも、多頭蛇は毒に冒されて死んだ大鰐を大量に食べても平気なのだ。


(まあ・・今は多頭蛇どころじゃないが)


 大虻に襲われては水中へ逃げ、潜んでいたヤゴに喰われそうになり、水面に出たところに蛙の舌が跳んでくる。

 刺激に満ちた毎日だった。

 とにかく先手必勝だ。

 魔物よりも早く相手を見付け、他の魔物が乱入できない位置取りをして、音を立てずに攻撃する。傷を負えば傷薬を飲み、毒を受ければ解毒薬を飲む。持久戦に持ち込めれば負けることは無かった。

 ただ、居場所を発見されて、体力任せに突進されたり、仲間を呼び集められて群れを襲われると、どうしようもない。敗走するしかない。

 攻撃手法は乏しいものの、こつこつと魔物を狩っていると、本当に少しずつだが、自分の地力が底上げされていることが分かる。

 それはレベルなどの数値だけでは無い。

 魔物の生態を識ることで戦い方が磨かれ、仕掛け罠は豊富になり、毒薬の扱いは熟練されていた。

 湿原には時々、人間も姿を見せた。

 十数人が隊を組んで化け物狩りをやっているらしく、弓などで大虻や蛙を攻撃して足場の良い場所へ釣り出して、息の合った連携した動きで追い込んで斃していた。

 時折、逆に斃されて喰われる者もいた。

 それらすべてが参考になる。

 トリアンの知らない魔法も数多く見ることが出来た。

 武器は、槍や剣、短剣に弓や弩といったところだ。魔導銃を持つ者はいなかった。

 下水路で出会った黒装束の男達が異常だったということだ。

 湿原の巨大鰐達は、時折、大挙して何処かへ出かけて行き、数日ほどして戻って来ることがあった。決まって、傷だらけになり数を減らしている。

 初めは、この行動の意味が分からなかった。

 好奇心を抑えきれず、ある日、傷を負って戻って来た大鰐を狩ってみたら、胃から大量の人骨や着衣や装備品が出てきた。

 人間の村か町を襲っていたらしい。

 食事なら、湿原で十分に採れる。わざわざ危険を冒してまで人間を襲いに行くのはなぜだろうか。

 トリアンには理解できない。

 ただ、人間の集落を襲って帰る途中の大鰐は狙い易かった。

 手傷を負っていて弱った個体が多いことと、注意力が散漫になっていて仕掛け罠に簡単に掛かってくれる。

 間引きするように、弱った個体を斃し、深追いしてくる大鰐がいれば罠に掛けた。以降、トリアンの主食はほぼ毎日が大鰐の肉となった。魔物の中にある黒い玉を撃ち抜けば肉も骨も残さず塵となって消える。ただ、玉を壊さないように取り出して斃すと、普通の生き物と同じように肉や骨、皮が手に入った。これも湿原の狩りで学んだ事である。

 大鰐の腹からは、喰われた人間の遺品も手に入った。少しずつだが銅貨や銀貨も混じる。湿原に居ながらにして、金を稼ぐことが出来ていた。

 金は、いずれ人の町へ戻った時に役に立つ。


(ん・・?)


 水草の間に身を潜ませて周囲の物音に耳を澄ませていたトリアンが静かに水の中へと身を沈めていった。水の中から見上げるようにして上空を注視する。

 空を、水牛ほどの大きさがある大きな地蜂が小さな獲物を捕らえて巣穴へと運んでいるようだった。

 トリアンはゆっくりと水面に顔を出した。

 さらに眼を凝らして飛び去る地蜂を見つめる。

 この辺りの地蜂の巣は把握している。飛び去った方向からして、そう遠くない大鰐の集落の近くにある泥湯が沸いている辺りにある巣穴だ。


(子供に見えた)


 遠目ながら人の子を運んでいたように見えた。

 まだ明るく、うかつに動き回れる時間帯では無かったが、もしも子供が生きていたなら一刻を争う。この辺りの地蜂は、麻痺毒だけで獲物を動けなくして巣の幼虫に生きたまま与える。


(行くしか無い)


 トリアンはするりと水から抜け出ると、生え茂る水草の間を走り始めた。

 どうしても、微かな音は鳴る。

 しかし、今は速さが優先だ。遅れたら意味が無い。

 草の鳴る音に反射的に舌を伸ばした大蛙の横を駆け抜け、右手に細身の短刀を引き抜いた。湿原で魔物に喰われた人間が持っていた遺品である。

 卵が腐ったような臭いが強くなる。

 この辺りからは泥が熱く沸いている。枯れた水草の茎から茎へ、泥を踏まないように宙を舞ってトリアンは疾走した。

 行く手に地蜂が見えている。

 まだ巣へ降りようとせずに上空を行き来している。


(横取りしたのか)


 蜘蛛の巣に掛かった獲物を横取りして奪ってきたらしく、抱える小柄な人影には半透明な蜘蛛糸が巻き付いていて揺れていた。

 地蜂は、羽音を聴かせるように巣の上空を回っている。

 トリアンはスイレンに収納させていた手槍を取り出すと、無造作に投げ打った。

 腹部は獲物を抱えていて狙えない。トリアンが狙ったのは、細かく震える羽根の付け根だった。

 一撃で、羽根をちぎられて姿勢を乱した地蜂が地面へと降りてくる。

 トリアンはやや曲がっている尻ごと、後ろ脚を短刀で撫で切りにしながら、地蜂の抱えている獲物に巻き付いた蜘蛛の巣を掴んだ。


(・・小さいな)


 思っていたより獲物が小さかった。

 トリアンは、地面を這いずるように飛んで向きを変える地蜂から小さな獲物をむしり取ると、一目散に逃げ出した。

 丈夫な水草の茎を蹴って、右へ左へと位置を変えながら、ぴたりと動きを止める。そのまま水草が揺れるに任せて周囲の気配を探った。

 地蜂の羽音は聞こえるが、まっすぐには追えないらしく、水面を叩くようにして飛んでいる。

 水面の波紋に招かれるように、水中からヤゴがゆるゆると浮かび上がってきている。

 他には動きは感じられない。


(鰐には気づかれなかったか?)


 トリアンはそっと安堵の息をついた。

 なにしろ、大鰐の集落が近い。


(離れるか)


 不本意だが、一旦、大鰐の集落から距離をとった方が良いかもしれない。

 多頭蛇が目覚めるのは、日が暮れてからだ。大鰐の集落を襲ってくるまでまだ間がある。


(さて・・)


 蛇のような頭をした大型の魚が丸太のように潜んでいた。大人の背丈を倍するほどに長く太い魚体だった。水が無くても泥の上を這い回り、水辺に巣を作る大きなネズミを好んで補食する怪魚だ。なんと言っても無駄に生命力が強く、斬れば毒血で周囲を汚し、巨体で水を叩いて大騒ぎをやるので厄介なのだ。

 注意して視線を巡らせると、6匹もの怪魚が潜んでいた。


(まあ、行くしかないような)


 危険だからと戻ることは出来ない。

 少しでも動きのあった場所には、獲物を求めて虫が寄っている。おそらく、それを狙う大蛙も寄っているだろう。

 トリアンは、大魚の一匹に斬りつけた。

 暴れ騒ぐ中、跳び越えるようにして怪魚の群れが潜んだ水草の合間を駆け抜ける。

 派手派手しい水音が鳴り響く中、水草の密度が高い浮島のようになった場所へと逃げ込んだ。


(仕方ない)


 まずはここで応急処置をしておこう。

 トリアンは繭のようになった蜘蛛の糸を引き剥がしていった。


(なんだ、これ・・?)


 蜘蛛の糸の下に見えたのは、真っ白でふっくらした獣の尻尾である。


(たぬき?)


 ふさふさした毛に包まれた長い尾を握って吊るし持ち、トリアンは残る蜘蛛糸をちぎって捨てた。

 姿を現したのは、どうやら人間らしい。

 ちゃんと衣服を着ていた。

 真っ白なジャンパースカートのような衣服だ。スカートのお尻に円く穴があり尻尾を通してある。素足に黒い編み上げサンダル。めくれたスカートの下はカボチャパンツである。スカートの縁や胸の布地には銀糸で何かの模様が刺繍されていた。剥き出しの脚など痛々しいほど白い肌をしていて人と変わらない。力なく垂れ下がっている小さな手も、作りは人間と同じだった。

 ただ、銀色をした髪の毛から覗く耳だけは、どう見ても三角をした獣の耳である。耳の先の毛だけは少し黒色が混じっていた。


(人・・だよな?)


 尻尾を掴んで逆さに吊したまま、トリアンは幼い顔を眺めた。

 女の子である。

 人間ならまだ7、8歳くらいだろう。逆さまに見ていても整った顔立ちなのが分かる。


(・・尻尾か)


 握ったままの真っ白な尻尾を眺めて首を捻った。尻尾の先も、耳と同じように黒い毛が彩っていた。


(まあ・・人か)


 葛藤の末に、この生き物は人間なのだろうと見極めて、トリアンは持ち方を改めた。さすがに、尻尾を握って吊るし持つのは不味い気がした。左肩に担ぐように抱え直す。


(軽いな)


 自分より小さい人間は初めてだ。


(どうしようか)


 このまま、潜んで夕暮れを待つべきか。

 夜闇の湿原は生き物が入れ替わる。あれほどいた大蛙や巨魚、虻や蜂などが姿を消して、白く透けた煙のような死霊が徘徊を始める。纏わり付かれると体力をごっそりと奪われてしまう強敵だ。

 アニサリタの使った聖術を思い出しながら試行錯誤して調合した薬があるので、撃退は出来るのだが、あの薬は白い光を放つため暗闇では目立ちすぎる。出来るなら使いたくない。

 死霊達は、一定の場所にしか出現しない。

 そこに近づかなければ問題ないのだが、


(・・ここなんだよなぁ)


 昼間は割と安全な場所だが、日が暮れると一転して危険地帯になる。

 大鰐に見つからなければ良いが・・。

 さすがに、こんな小さな女の子を抱えて、大鰐の大群と一戦交える気は無い。おまけに、いつ多頭蛇が乱入してくるか分からない場所だ。

 トリアンは地蜂が女の子を運んで来た方向を見た。沈みゆく陽の位置からして、北東の方面になるだろうか。まだ行ったことは無いが、急げば陽が沈みきるまでに湿原を抜けられるだろう。

 湿原を抜けた場所に、石造りの廃屋がある。

 湖なら湖畔の教会といった感じだが、実際は湿原の端で朽ちかけた廃屋だ。


(行くか)


 トリアンは水草の浮島から抜け出て跳んだ。

 夕暮れは生き物にとっての食事時だ。水を割って巨魚が飛び出してトリアンを咥えようとする。しかし、何の歯応えも無いまま虚しく水中へ戻る。

 派手派手しい水音の中、トリアンは水に足を取られないよう太い水草の茎を選んで跳んだ。


(見つかったか)


 虫の羽音が追ってきた。

 たぶん、大蜂だろう。黄色い頭をした巨大な奴だ。何匹か狩ったことがあるが、とにかく生命力が強くてしぶとい。痛みのようなものは感じないらしく、傷を負っても負っても構わずに襲いかかってくる。

 ちらと振り返る後方で、重い金属を乱打する音が鳴り始めた。

 あれは、大鰐の集落で鳴らされる警鐘だ。何をどうやって鳴らしているのか知らないが、前にも忍び寄ったところを見つかって鳴らされたことがある。

 大鰐に見つかったとなると、普通に逃げているだけでは駄目だ。

 多頭蛇との戦いに備えて仕掛け罠を埋設しまくっているエリアへ誘導しなければならない。

 鋭角に向きを変えて跳び、急襲する大蜂を回避しながら、トリアンは左肩の女の子を庇って身を捻り右手の短刀を振った。薄羽根が一枚切れて落ちてゆく。

 さらに、大蜂を踏んで、今度は前へと跳ぶ。

 やや離れたところから、恐ろしい勢いで大鰐の大群が迫って来ていた。

 湿原において、互いに宿敵同士である。

 今までも、大鰐を狩り回るトリアンの存在を大鰐達は感づいていて捜し回っていた。


(何も無ければ追いつかれないんだが・・)


 この湿原で、何も無いなどという事は有り得ない。

 水草を引きずり倒し、へし折って猛追してくる大鰐達を引き連れ、湿原を駆け抜けるトリアンをめがけて巨大な蝙蝠が飛びかかってきた。

 普段は、大蜂を餌にしている蝙蝠だ。その巨大さは言うまでも無い。

 トリアンは、羽根の付け根を短刀で切り割り、蝙蝠の頭部を蹴りながら前へ跳んだ。

 そこへ、大蜂が体当たりするようにぶつかり、蝙蝠共々湿地の水面へ落下していった。派手な水音をたてたところへ、細長い管のような虫が水中から群がって吸い付いてゆく。夜になると泥の中から出てきて捕食を始める管虫だった。

 トリアンは危険地帯へと踏み行った。

 ここから先は、トリアンが作った危険地帯トラップゾーンだ。

 多頭蛇を狩るために埋設した罠があちこちにある。

 気を抜けば、トリアン自身もあっさりと罠で命を落とすほどに危険な罠ばかりだった。

 水しぶきをあげて大鰐の大群が突っ込んだ。

 たちまち、突き出た杭が鰐を串刺しにし、毒という毒が泥中から浮かび上がってくる。異様な甘酸っぱい臭いが満ちた。

 これに誘われて寄ってくるのは、巨鰐とひけをとらないほどの大きさをした蛭だ。毒で弱ってなければ大鰐にとっては怖い敵ではない。だが、傷を負い、毒で弱った状態では厄介極まりない相手になる。

 甘酸っぱい臭いは湿原の蛭を狂わす興奮剤だった。

 トリアンは狂乱状態の危険地帯を駆け抜けながら臭い消しを振りかけていた。

 水中から突き出る杭だけでなく、水草の茎に麻痺毒を塗った棘を潜ませてある。割れる壺には魔物でも前後不覚に陥るほどの幻惑剤が仕込まれている。

 振り返って、魔物達の位置を視認しながら、


(陽が暮れた)


 トリアンは落ち着き無く視線を左右させる。

 白い煙のような死霊は、まるで音がしない。近寄られるまで気づかない事が多い。

 あれに生命力を吸われると、トリアンはともかく、担いでいる女の子はひとたまりも無いだろう。

 夜闇で目立ってしまうが仕方ない。ここから先は、人を庇いながらでは余裕がなくなる。

 アニサリタのまとった聖光には遠く及ばないが、トリアンは薬液を体にふりかけて淡く弱々しいながらも薬品による疑似聖光を全身に纏った。


(半分以上やったか)


 追いすがってくる大鰐をざっと数えながら、トリアンは湿原の東端にある大岩をめざした。あの岩まで辿り着けば、足場は格段に良くなる。

 水から上がった大鰐なら落ち着いて対処すれば十分に狩れる相手だ。


(・・来たか)


 トリアンの周囲に、白い煙のような奴が集まってきていた。それ以上は近寄れないらしく、横を上を漂いながら追ってくる。

 実体の無い死霊を相手にしながら、大鰐とも戦わなければならないらしい。


(どうやる?)


 自問しながら、トリアンは大鰐の数を数えた。

 ざっと見たところで、27匹。50匹以上は仕掛け罠と蛭に足止めされている計算だ。

 "危険地帯"を抜けてきた大鰐もかなりの傷を負っている。

 注意を払うべきは、白い煙状の奴らか。

 トリアンは大岩のある地点に着くと、注意深く周囲を確認した。

 さらに東へ、湿原に寄り添うにようにして小さな林がある。

 そこに朽ちた石造りの建物があった。

 屋根板が落ち、石壁も半壊しているが、死霊達はあの建物には近づかない。

 死霊はそれなりに速度があるが、トリアンの疾駆には追いつけない。ぐんぐんと距離を離されて、遙かな後方へと置き去りになっていった。

 拡げた距離を利用して、大鰐を狙って手槍を投げながら、トリアンは半壊した石館に逃げ込んだ。

 石の隙間から様子を確認する。

 死霊は館を遠巻きにして廻っているだけで寄っては来れない。大鰐は12匹に数を減らしていた。

 建物から少し離れた場所に、トリアンは涸れ井戸を中心に深掘りし拡張した巨大な落とし穴が用意してある。あれはとっておきの大罠だ。鰐に作動させられると勿体ない。

 なだれ込まれる前に大鰐を仕留めておく必要がある。


(あと、7頭か)


 トリアンは様子を見ながら、ちらと女の子を見た。

 その時、頭上に影が差した。


(あ・・!?)


 トリアンは驚愕に眼を見開いた。

 何の気配も感じなかった。物音一つ聞こえなかった。

 それなのに、


(どうして、こんなところに・・)


 多蛇頭が居た。

 屋根の落ちた石館の上から真っ赤に光る眼で中を覗き込んでいた。

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