第18話 シーリス・ボーマ

 魔導銃の黒い筒先に、淡い光の粒子が吸い込まれるように集まったように見えた。

 直後、青白い閃光となって光の帯が撃ち放たれた。


 ジッ・・


 至近に居た黒装束の男が蒸発して消えた。

 光の奔流が水路を呑み込んで貫き抜けてゆく様子を眇めた視界で確認しながら、トリアンは魔導銃を撃った反動で吹き飛び、金髪の青年が出来損ないだと言った化け物達のただ中へ放り込まれてしまった。

 凄まじい反動で、右手首や肩を痛めてしまった。

 トリアンは身を捻って着地すると、苦しげにのたうちながら咆哮をあげる不完全な化け物の間を駆け抜けて、シーリスに針を突きつけている黒装束の男めがけて走った。

 黒装束の男はいきなりの閃光で、トリアンを見失っているらしく、水蒸気と熱気が渦を巻いた取水口の方を見たまま動けないでいる。

 それでも、気配を感じてトリアンを振り返ったのは、さすがと言うべきだろうか。

 シーリスに針を打ち込めば、トリアンの短剣をうけることになる。

 瞬時に判断して、黒装束の男が手にした針をトリアンめがけて投げ打ち、後ろ腰の短剣へ手を伸ばしつつ立ち上がろうとした。

 その動きが乱れた。

 男の脚に、俯せに押さえ込まれたままのシーリスが、逆手に握った矢を突き立てていた。

 そこへ、投げ針を短剣で打ち払ったトリアンが真っ向から斬りつけた。

 なんとか首を捻った黒装束の男だったが、短剣は側頭部から斬り割って斜めに胸を裂いて脇まで抜けた。

 すぐさま蹴り足を振り抜いて、黒装束の男をシーリスの上から蹴り飛ばす。

 トリアンはシーリスに肩をかしながら起き上がらせると蠢く化け物から離れた。間一髪、喰いつこうとしていた化け物の顎門が石床ごと噛み砕いて抜ける。その顎門からさらに肉の管が生え伸びるように突き出して、床に転がった黒装束の男めがけて喰いついていった。


「へっ・・ざまぁ無いねぇ」


 シーリスが小さく呟いて笑った。

 視線の先に、灼き払われた通路がある。炭化した人影が無数に遺り、溶解した黄金色の塊が通路に流れて湯気を立ち上らせていた。鎧が護ったのか、金髪の青年だけは炭化せずに半身を残していた。

 だが、美麗だった青年の容貌は跡形も無く火傷で崩れ、髪は灼き払われて頭部には頭蓋が覗いていた。


「ねぇ、トリアン」


「・・ん?」


 トリアンは背後の化け物を見ていた視線をシーリスの横顔へ向けた。


「さっきの、まだ撃てるかい?」


「あと1回か・・2回なら」


「良かった」


「どうした?」


「わたしはさ、元々奴隷あがりでさ・・学が無いから、女だてらに猟兵なんかやっちゃってさ」


「シーリス?」


「へへ・・どうもね・・あたしも、あいつの言ってた薬ってやつが効いてるらしいんだ。これが結構辛くてね」


「・・シーリス?」


「ああなっちまうのかねぇ」


 シーリスが女達の成れの果てを眺めた。

 肉塊から肉塊が生え出てるように伸び、獣毛の隙間から爪や牙が無秩序に突き出した顔とも頭とも分からない部位が盛んに鳴き声をあげている。


「耐えろ」


「・・簡単に言うなって・・きっついんだ」


 力なく笑うシーリスの眼に、赤黒い血の管が浮かび上がっている。


「ねぇ・・」


「なんだ?」


「悪いんだけど・・殺しちゃってくれない?」


「あいつらか?」


 トリアンは蠢く肉塊の方を見た。


「あの子達も・・それから、このシーリスちゃんもよ」


「・・駄目なのか?」


「なんかさ、無理っぽい・・・内側からじられてる感じなんだよ」


「腹か?」


 訊ねるトリアンの手をシーリスが掴んで豊かな乳房に押し付ける。びっくりするくらい肌が冷えていた。


「ここよ」


「心臓か」


 トリアンは指先に規則正しい鼓動を感じながらも、何か身体の力が吸い取られるような嫌な喪失感を感じて手を引っ込めた。


「わかった?」


「ああ・・体の力を喰われるようだった」


 トリアンは自分の指先を見た。


「だからさ、殺しちゃってよ。ああなっちまう前に頼むよ」


 シーリスが辛そうに笑う。


「アニスはさ・・あたしの姉貴みたいなもんさ。まあ、喧嘩ばっかやってたけど・・あいつ、学もあったし、頑張ってるからさ。ついつい、つっかかっちゃって・・」


 シーリスが脂汗を全身から滲ませながら懸命に意識を保とうとしていた。


「ロッタが可愛くってねぇ・・よく遊んだんだよ。アニスってば猟兵館に詰めてて帰りが遅かったからねぇ・・あんた、あの子を・・あの子の仇を討っちゃくれないかい?」


「自分で討て」


「ちぇ・・厳しいねぇ」


 俯いたままシーリスが小さく笑ったようだった。

 その横で、トリアンは眉間に皺を寄せ考え込んだ。


「どうなるか分からないが・・このまま化け物になるなら、死人になってみるか?」


「死人・・あのモーランみたいにかい?・・へへ、そりゃぁ悪くないねぇ」


「あいつには今回の関係者を殺すように命じた。今頃、どうなってるか分からないが・・」


「頼むよ。あたしに、ロッタとアニスの仇をとらせて・・ここで、あんな化け物になって終わるのは嫌だよ。あんたの死人にしておくれよ」


 訴えるシーリスの顔も、身体にも赤黒い血の管が浮かび上がって来ていた。


「ね?ユート・・お願いよ、もう駄目みたいなんだ、あたし・・」


「誰も・・一人も救えなかったな」


 トリアンはぽつんと呟いた。

 手に黒い短剣を握りしめる。


「ごめんよ。あんたに甘えてばっかりで・・あんた、いい男になるよ。このシーリスちゃんが保証する」


「・・もう、男に騙されるなよ?」


 トリアンは苦い顔で黒い短剣を振りかぶった。


「へへっ・・最期だってのに、ちょっと喜んじゃってるよ、あたし・・」


 シーリスが両手を広げて、トリアンに向かって胸乳を突き出すようにして軽く身を反らした。


「きっちり仇をとれっ!」


 トリアンは唸るように告げて、黒い短剣をシーリスの心臓めがけて突き刺した。

 歓喜ともとれる声をあげてシーリスが仰け反った。赤黒い血の管が集まり鳴動していた心臓に、黒い短剣は深々と突き刺さっていた。

 ごっそりと体内から力が抜け落ちてゆく。

 トリアンは、意識を失いそうになりながら、なんとか持ちこたえ、力を振り絞って黒い短剣を引き抜いた。

 短剣を心臓から引き抜いて初めて死人化が始まる。


(あ・・)


 黒い短剣がぼろぼろと崩れて消えてしまった。


(駄目だったか?)


 よろめく身体を水路の壁に預けて体を支え、トリアンはシーリスの様子を見守った。

赤黒く浮き上がっていた全身が、熱でも冷めるように青みがかった肌色へと変じてゆく。薄茶色をしていた髪も、色が抜け落ちるようにして白くなり、紅もひいていないのに唇が赤く染まっていた。目尻の縁も、両耳の縁も赤く色づいている。瞳は黄金色をしていた。

 これまでの死人とは明らかに違う。

 何か異変が起きていた。

 シーリスが、青みがかった自分の身体を興味深げに見回し、拳をゆっくりと握ったり開いたりを繰り返している。


「悪くない体だ」


 呟いた声は、シーリスのものだったが、身にまとう雰囲気はまるっきり別人になっていた。

 黄金色の瞳がトリアンを見つめた。凄まじい威圧の気が吹き付けてくるようだ。


「仇をとれと言ったな?」


「・・言った」


「誰の仇だ?」


 記憶が混濁しているのか、本当に忘れてしまったのか。


「おまえだ」


 トリアンはシーリスを指差した。


「ほう・・この者の願いか」


「アニス・・アニサリタとロッタという、おまえの・・シーリスの知人が殺された。その仇を討ちたいというのが、おまえの願いだった」


 トリアンは、シーリスを指差したまま、これまでの出来事を語った。

 語りながら、魔導銃から真鍮色の円筒を取り出して手に握った。どうやら残りが少ないらしい体内の魔力を注ぎ込むと、真鍮色の円筒を銃に差し入れた。


「ずいぶんと劣悪な模造品だな」


 シーリスが眉をしかめた。

 それには答えず、トリアンは醜悪な肉塊となってしまった女達に魔導銃を向けると躊躇なく引き金を絞った。

 今度はしっかりと踏みとどまって反動に耐えた。

 眩い閃光は一瞬にして化け物となった女達を灰にしていた。


「ほう・・・美しい魔力光だ。おまえ、名を何と言う?」


 シーリスが感心したようにトリアンを見つめる。先程までの虫けらでも見るような眼では無くなっている。


「トリアンだ」


「ふむ・・トリアンか。おまえの魔力には覚えがあるぞ・・・そう・・この身体を得るときに我に注がれた力だ。あの時の香気を感じる」


「・・さっきのあれか」


「あれは美味であった。おまえには礼をせねばならんな」


 シーリスの黄金の瞳がじっとトリアンに注がれた。

 トリアンはどう答えるでも無く魔導銃を見た。

 筒先から中ほどまでが溶解して崩れ、握りの部分に亀裂が入っていた。


「そんな玩具など捨て置くが良い。何度か使えただけでも奇跡というものだ」


 シーリスがつかつかと近づくと、トリアンの顔を両手で掴んで目を覗き込んだ。


「おまえ、深淵を覗いて来たな」


「・・しんえん?」


「理解が及ばぬなら、それで良い。魔力の流れを整えてやろう。おまえの魔力にはその価値がある。我が呪いに耐えて見せるが良い」


 シーリスの黄金色の瞳が光を宿した。


「馴染むまで、少しばかり体が痛むぞ」


 声が聞こえた時には、トリアンは声にならない苦鳴をあげて身を痙攣させて石床に転がっていた。


「万が一、我が呪いの果てに命を保てたなら、また会えるやもしれんな」


 シーリスが足下に転がったトリアンを見下ろして笑った。


「さて・・」


 黄金色の瞳が女達の遺灰を見つめた。


「あの者たちを有用に使ってやらねばならぬか」


 青白い手を灰の方へ向けて手招いた。

 ざわつくように灰がシーリスの元へ集まると、豊麗な肢体に纏わり付いて渦を巻き、青黒い衣服へと変じていった。蛇の皮のような薄らと鱗のある、肌にぴたりと貼り付いたような夜会ドレスのような衣服だった。シーリスは背に巨大な黒い翼を拡げた。

 黄金色の瞳が苦悶するトリアンを一瞥した。


「死にそうだな・・貧弱なことよ」


 吐き捨てるように言うなり、地を蹴って飛翔した。

 上には石造りの天井がある。

 しかし、黒翼を拡げたシーリスは何物にも遮られる事無く、闇に溶けるようにして消えて行った。


(くそっ・・)


 トリアンは身が引き裂けそうな激痛に耐えながら、油断した自分を罵っていた。


(これは、きついな・・)


 シーリスや死んでいった女達の怨念を浴びたということだろうか。化け物に変じていたとはいえ、最期に殺したのはトリアンなのだ。シーリスの胸に短剣を突き刺した感触はしっかりと覚えている。


(・・あいつ、何だったんだ?)


 明らかにシーリスとは別の生き物だった。


(しんえん?・・あいつは何か知ってるのか?)


 荒い呼吸を繰り返しながら、トリアンは汗にまみれた顔に大きく双眸を開いていた。強い意志が双眸を底光りさせている。

 女達を殺したのはトリアン自身だ。

 シーリスを刺したのも自分だ。

 だが、だからといって、女達を誘拐して妖しの薬漬けにしていた者達が許されるわけではない。

 まだ、アニサリタとロッタの仇すらとっていない。

 トリアン自身の手で片を付けるつもりだった。


(こんな所で・・死ねるか!)


 獣のように唸り、気が狂いそうな激痛の中でトリアンを支えているのは死への恐怖だった。

 このまま、何もできず、何も成せないまま死ねるわけがない。

 震える四肢を突っ張って、這いずり這いずり、トリアンは取水口へ向かった。

 こんなところで死ねない。

 ここで終わって良いわけが無い。

 それこそ、死んだ女達に呪い殺される。シーリスに嘲笑われる。


(くそっ!・・くそっ!)


 震えるばかりで、ろくに力が入らない。

 肺はまともに息も吸えず、心の臓は酷く遅く鈍い。


(くそっ!)


 動きやがれっ!

 トリアンは自分の肩へ噛みついた。


(動けよっ!)


 口中に広がる血を臭いながら、トリアンはもう片方の肩にも食いついた。

 痛みすら伝わりが鈍い。

 トリアンは頭を石床へ打ちつけた。


(呪いと言ったな)


 トリアンの思考が舞い戻った。


(呪いは・・)


 どこにある?

 体の中か?

 なにを呪っている?


(おれが生きていることを呪ってるのか?)


 トリアンは血が滴る顔をあげた。

 弱りきり、鈍く霞んだ感覚の中で、微かな物音を耳にして振り返っている。

 本能に刷り込まれた動きだった。

 何かが近づいて来ていた。

 水路の中だ。

 流れる水の中に何かが潜んでいる。


(あいつらか?)


 黒装束の男達が思い浮かんだ。

 トリアンの手が短剣を探して動いた。 


(そういえば・・)


 黒い短剣はシーリスを刺した時に崩れて無くなったのだった。

 トリアンは水音の聞こえる水路の側へ視線を向け、じっと息を潜めていた。

 気配は、すぐ横に来ていた。


(・・何だ?)


 トリアンは身じろぎ一つせず、ただゆっくりと視線を横へ向けた。

 そこに、大きな鰐の頭があった。いや、鰐なら水路から登れるはずが無い。水面から通路までの高さを登り越えるのは無理だ。


(なら、何だ?)


 紛れもない鰐の顔が水路を越えて通路を見下ろす高さへと上がって行く。


(立ってる?鰐が・・?)


 トリアンは瞠目したまま笑いの衝動に背を振るわせた。


(鰐が立って・・)


 人間が寝てたんじゃ格好がつかない。

 トリアンは仰向けで動けないまま、身の丈が3メートル近い鰐を見上げていた。

 巨大な鰐は、しばらくトリアンを見下ろしていたが、やがて静かに身を沈めて水路へと戻っていった。


(まだ居る)


 今の巨大な鰐は取水口側へと水路を遡って行った。しかし、同じような気配が続々と続いて、トリアンの脇を通り抜けていた。

 身を起こして見ることが出来ないのが悔やまれる。

 おそらくは、水路を埋め尽くさんばかりの巨鰐の群れが水路を移動していた。

 どこへ流れ込む水流なのか。

 鰐達は下流側から地下水路を遡ってきたことになる。

 トリアンは弱々しい鼓動の音に耳を傾けていた。

 何であれ、今は命を拾うことに集中しないといけない。

 いらぬ物音を立てず、呼吸の音も密やかに、鰐の大群が過ぎ去るまで動かずにいることだ。

 ざぶざぶと水流が逆立つ音を聞きながらトリアンは置物のように、ただ目を見開いて天井を見つめて動かなかった。

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