第17話 下水路の惨劇

 お荷物と言うと言い方が悪いのだが、裸の女達13人を引き連れての移動は想像を絶する苦難だった。

 トリアンの考えが甘すぎたとしか言い様がない。

 足が痛いの腹が痛いのに始まり、用を足すから離れて欲しいだの、寝ていると急に気が触れたように悲鳴をあげたり、座り込んで泣き出したりと、もう滅茶苦茶である。

 できるだけ静かに逃避行をしようというトリアンの計画は粉々であった。

 下水路の中である。

 臭い、汚いは仕方が無いが、狭いトンネルの中を歩いているのだ。ちょっとした物音一つが遠くまで響き渡ってしまう。


(まだ来てないようだが・・)


 追っ手には、すでにこちらの位置を把握されてしまっただろう。

 教会の地下からの追っ手はこの下水路を根城にしていた地下組織を雇っている。わざわざ後ろから追いかけてくる必要は無い。こちらの行く手を想定して待ち伏せるのは簡単だろう。


「あんた、新米猟兵なのに、なんでそんなに強いのさ?」


 馴れ馴れしく、シーリスという女が話し掛けてくる。


「あいつら、ケシャールの闘士とかいうヤバイ連中とつるんでんのよ?どうすんの、これから?」


 話し声も、下水路の闇に反響して遠くまで伝わってゆく。

 もう最悪であった。

 トリアンは色々と諦めた。

 12歳とは言っても、トリアンは男だ。

 この女達を助けると決めたからには投げ出すわけにはいかない。


(まあ、全員を助けるのは無理そうだが・・)


 トリアンは胸内で呟いた。

 襲撃者がいつ襲ってくるか分からないが、一番賑やかな奴か、言うことをきかずに離れていた奴から狩られるだろう。

 手練れが二人以上で襲ってくれば、トリアン一人では防ぎきれない。

 それに、いつまでも下水路の汚水に裸の女達を触れさせておけない。追っ手がどうこうと言う前に、何かの病気になりそうだ。

 トリアンは、川からの取水口を目指していた。

 当然、相手も待ち伏せている。それを突破して、川に沿って湿原に、そして森に逃げ込む。


(食べ物も水も無い・・今度は、腹が減ったと言い出すんだろうな)


 ぞろぞろとついてくる裸の女達の足音に気を配りつつ、トリアンは闇に目を凝らし、水音に耳をそばだてる。


「ここで休憩」


 女達に言い置いて、トリアンは前方の闇めがけて走った。

 途中で、下水路の壁を斜めに駆け上がり、やや上方に開いた脇道へ飛び込むと、黒い短剣を片手に、潜んでいた大蛇めがけて襲いかかった。

 恐ろしく短い時間で、大蛇を瀕死に追い込むなり、トリアンは大急ぎで脇道から逃げ出して元の下水路へ舞い戻った。

 熱酸が噴き出して下水路の壁を灼いた時には、トリアンは女達の近くにまで戻っていた。


「何あれ?なにが居たのさ?」


 シーリスがうるさいてくる。


「蛇だ」


 トリアンは短く答えて女達の様子を見回した。


「できれば、少し急ぎたい」


 近くに居る女に言ってみたが、裸の胸や股間を隠すばかりで話にならない。

 小さく溜息をつきながら、トリアンは通ってきた下水路の奥を見つめ、行く手の闇へと視線を凝らした。


「何か、来てるのかい?」


 シーリスが訊いてきた。


「来たら困るだろ・・休憩は終わりだ」


 トリアンは顔をしかめながら歩き出した。


「いやぁ、クールだねぇ、いくつだっけ?エフィール来るまで何をやってたのさ?」


「貴族」


「へぇ、貴族様なんだ。そういや、そんな感じよね。口調も偉そうだし」


 ふぅん・・と感心したように鼻を鳴らし、


「なんで、貴族様が下水道に詳しいのさ?この町に来たばっかでしょ?」


「襲われて逃げた」


「襲われたって・・あっ!あんた、あの猟兵館の時、中に居たの?」


「・・居た」


「アニスは!?あいつ、どうなった?」


「娘と一緒に、ここで死んだ」


「娘・・ロッタがなんで?」


「下水路に娘が連れて来られた。アニスはそこで討たれた」


「あの子がここに・・あいつら、アニスをやるのにロッタを使ったの!?」


「あいつらというのは?」


 トリアンは憤るシーリスを見た。


「ケシャール・・いえ、議員と教会の大司教がケシャールの奴らを雇ったのよ」


「詳しいな?」


「・・ちょっと騙されてさ。薬漬けで司教達の玩具にされた時、あいつらがべらべらしゃべってたのさ」


「そうか」


 トリアンは酸で灼けた横穴を横目に見上げつつ、下水路の行く手に視線を凝らした。

 まだ距離はあるが、ちょっとした騒動が起きている。

 甲冑で武装した男達が赤みがかった酸粘体の群れに襲われていた。赤い色の奴は天井から降ってくる。真上から覆い被さられて息もできず、声も出せないまま溶かされていた。

 見た感じ、10名近く居るようだ。


「粘体がいる」


「・・あいつらかぁ。裸で浴びたら、どろっどろだね」


「今は、別の獲物にありついて夢中だ。脇を抜けたい」


「別の獲物って・・」


「どうも、おれの言葉は伝わらない。おまえから言って、女達を急がせてくれ」


「ああ・・いや、十分伝わってると思うけど?まあ、分かったよ。あんなのに溶かされて喰われるなんざ、まっぴらだからね」


 シーリスが女達を振り返って説明を始める間、トリアンは襲われている甲冑の男達が落としたのだろう、大ぶりな楯を拾って左手に握った。


「行くぞ」


 一声かけて、トリアンは大量の獲物にありついて赤黒く発光している酸粘体に近づくと静かに回り込んで、背に壁を背負うようにして立った。


「ほら、ゆっくり行くよ。あの子の後ろを通るんだ」


 シーリスが女達に囁くように声をかけている。

 じれったいくらいに動かなかった女達の気配が、何度かシーリスに急かされる内にゆっくりと近づいて来て、壁に身を寄せるようにしながらトリアンの背を過ぎてゆく。

 女の一人が足をもつれさせて転びかけ、駆け寄ったシーリスに抱き留められた。

 派手な水音に反応した酸粘体が反射的に触手状に体を伸ばしてきた。

 ふわりと間に身を入れたトリアンが楯で受け止めつつ、短剣で斬り払って触手を引っ込めさせた。

 ちらと見ると、酸粘体の中に顔や頭皮が溶け崩れた男達が浮かんでいた。


「抜けたよ」


 シーリスが小声で報せてきた。

 トリアンは酸粘体を見ながら後ろ向きに女達の方へと後退ると、行く手の闇へ目を凝らした。その視線を下水路の天井に巡らせる。

 トリアンは食事中の赤い酸粘体を振り返ってから、


「あいつは音に反応する。静かについてきてくれ」


 先に立って歩き出した。


「持っていてくれ」


 トリアンはシーリスに楯を手渡した。

 武器を渡す気にはなれないが、楯ならせいぜい殴りつけてくる程度だ。後ろに居ても、たいした脅威にはならない。

 軽く目を見開いたシーリスに楯を押しつけるように渡すと、トリアンは身を翻して走った。速度上昇の自律魔法がかかって、ほとんど姿が消えるような速度になる。

 走りながら、行く手の闇から飛来した矢を短刀で叩き落としていた。


(あいつらか・・?)


 短く威力のある矢だった。

 行く手に、また横穴がある。

 射手はその穴に潜んでいるようだ。


(誘われてる)


 相手は何かの仕掛けなり、不意打ちの準備をしているだろう。

 そうと分かっていても、大勢の女達を連れている以上、弩を持った敵を放っておくことは出来ない。

 トリアンは短剣を握ると、壁を蹴って上へ身を躍らせ、天井付近から横穴へと飛び込んだ。


(・・銃か!?)


 敵は、大きな拳銃のような武器を構えていた。ただ、上から来るとは思っていなかったらしく反応が遅れていた。

 片膝を着いて、短い金属の筒のような物を両手で握っている。先ほど矢を放った弩は脇に置かれていた。

 躊躇無く、トリアンは握っていた短剣を投げていた。

 敵が上方を見上げながら銃の筒先を上へと向ける。

 投げられた短剣が敵の眉間を割った直後、


 ドンッ・・


 と重く籠もった音が鳴った。大きな拳銃が跳ね上がり、男の手を離れて足下へ転がった。

 一瞬、何かが筒の先から出たのが見えた。


(銃弾じゃないっ!?)


 トリアンは、咄嗟に空いた左手を振って身を捻った。

 耳の横を何かが恐ろしい勢いで掠めて抜けていった。すぐ頭上で、破砕音が鳴って砕けた壁石が飛び散って降り注いだ。一瞬だが、頬を撫でたのは、魔力の塊のようなものだった。

 危うく姿勢を乱しつつも着地するなり、ばらばらと降り注ぐ石片の中をトリアンは男めがけて走った。

 恐怖で背が粟だっていた。

 今のが当たっていたらどうなっていたのか。

 トリアンは、身を起こそうとしている男に襲いかかると、握り固めた拳を男の胸へ叩き込んだ。男は取り落とした金属の筒へ手を伸ばそうとしたまま絶命した。


(・・今のは何だ?)


 トリアンは天井を振り仰いだ。

 有り得ない光景だった。

 石組の天井は大人一人が収まりそうなほど深く抉られていた。


(あれが・・?)


 トリアンは石床に転がった銃らしき物を見た。

 大海賊時代とかのラッパ短銃のような形状をしている。

 反動はかなり強そうだった。

 この世界に火薬を使った銃は存在しない。だが、火薬を使った銃についての知識はトリアンの中にあった。

 トリアンは、石床の上から拾い上げた。

 ずしりと重い。

 木製の台座の上に、黒鉄のような艶の無い色をした金属の筒を乗せて固定してあった。


(ここか・・?)


 引き金らしきものがある。

 記憶にある銃とは違って撃ち出された弾が遅かった。十分に眼で追える程度だ。不意をつかないと、動いている物には命中しないだろう。

 拾った銃を手に横穴から下水路へ戻ると、不安そうに様子を見ているシーリス達の元へ戻った。


「凄い音がしたけど・・」


「敵がいた」


「それは?」


 シーリスがトリアンの持っている短銃を見た。


「敵が持っていた」


「・・それって、まさか・・魔導銃?本物なの?」


「知っているのか?」


 トリアンはシーリスの顔を見た。


「いえ・・知ってるって言うか、本物は初めてよ・・魔力を詰めて撃ち出す武器だって、金持ちぶった奴が自慢してたことがあったわ。でも、もっと小さくて・・威力も玩具みたいだったけど」


「魔力を詰める・・そうか」


 トリアンは手元の金属の筒を見た。

 魔法がある世界だ。そういう武器だってあるのだろう。

 すると、あの時、筒先から飛び出したのは"魔力の塊"だったわけだ。


「よく分からなかったけど、どこかに魔力を詰める物がついてるんだって・・嫌味な奴の言うことだったから聞き流しちゃって・・駄目だわ、よく思い出せない」


「いや、理解できた」


 トリアンは木製の握りの上の方にある小さな金具を手前へ引いた。金属の筒が前に折れるようにして倒れた。そこに、真鍮色をした円筒形のものが差し入れてある。トリアンは指で摘まんで引き抜いてみた。

 手元側は輪切りされたように平だったが、先の方は半球状の丸みを帯びていた。

 トリアンは手に持ったまま、真鍮色の筒に意識を集中してみた。

 自分の中にある何かが吸い取られて行くのが分かる。ある程度吸われたところで喪失感は止まった。


(これで・・良いのかな?)


 元通りに差し入れて折れた金属筒を起こすと、カチリと金属音がして固定された。

 ちらとシーリスを見ると、好奇心丸出しに見つめていた。


「先を急ごう」


 トリアンはシーリスが魔導銃だと言った武器を手に歩き出した。


「え・・撃ってみないの?」


「これ以上、うるさくしてどうする?」


「ああ・・うん、まあそうよね」


 未練たらしくトリアンの握った黒い魔導銃を見ながら、シーリスは女達を振り返って行く手を指さして先導を始めた。

 先頭に立って歩きながら、トリアンは下水路の臭いが薄れてきたことに気づいていた。

 この先で、取水口からの流水路に注ぎ込むのだろう。

 待ち伏せがあるとすれば、取水口からの引水が流れ込む通路と、取水口から出て上にあがった辺りか。

 流水の音が賑やかに聞こえ始めた。

 物音を聞き分けることは難しくなった。

 逆に女達の足音を聞かれる心配も薄れたことになる。

 トリアンは下水路との合流路を一通り観察して、少し離れたところで待たせているシーリス達に手招きをして見せた。

 これまでの下水路とは打って変わり、平に削られた石が敷き詰められた大掛かりな水路だった。

 大量の水が流れる水路の片側に通路が造ってある。通路は水面よりかなり高い位置にあり、大人が3人くらい並んで歩けそうな幅があった。


「これ、どうすんの?」


 シーリスが素朴な疑問を口にした。

 下水路から通路に行くためには、勢いよく水が流れる流水路の向こう側まで渡らないといけない。

 トリアン達が立っている下水路の合流口は、水路からかなり高い位置に開いた穴である。水路の水が流れ込んで逆流させないための設計だろう。

 トリアン達が通路に辿り着くためには、高さ約5メートルの下水口から、幅約8メートルある水路を跳び越えて、向こう側にある通路に着地しないといけないのだった。

 トリアンは、しばらく水路を見つめていたが、急に勢いよく背後の下水路の闇を振り返った。

 つられて、シーリスを含めた全員が後ろを振り返った。

 その間に魔導銃を収納すると、背後からシーリスを抱え上げた。


「へっ・・ちょ、ちょっとおぉぉぉぉーーーーーー!」


 慌てるシーリスを問答無用で横抱きにすると、トリアンは下水口の縁を蹴って宙へ身を躍らせた。

 さすがに音も立てずに・・とはいかなかったが、通路に着地すると固まったシーリスを石床に転がして、軽い助走をつけて水路の上を跳んだ。

 石壁の窪みに指を入れて体の勢いを殺し、そのまま垂直の壁を登ってゆく。

 いきなり下から戻って来たトリアンに、女達が小さく悲鳴をあげて身を固くした。


「順番に行く」


 トリアンは20歳前後の背の高い女を抱え上げると宙へ跳んだ。こちらの方が、シーリスより重かった。それでも通路の縁ぎりぎりに着地して女を石床へ下ろす。

 休まず、そのまま真後ろへ跳んで身を捻って壁に取り付いた。

 シーリスが文字通りに目と口をあんぐりと開けて座り込んでいる。見る間に、トリアンの体が重さを感じさせない勢いで高いところにある下水口へと這い上がって消え、そして女を抱えて跳んできた。

 茫然自失の女達が見守る中、最後の一人を抱えたトリアンが舞い降りてきた。


「あ、あんた・・本当に何者なの!?」


 シーリスが指を突きつけるようにして言った。


「貴族だと言ったろ?」


 トリアンは通路の左右を見渡して、水路に向かって通路が切れているところを見付けた。小走りに見に行くと、やはりそこだけ石段になっていて水路の底まで降りられるようになっていた。

 今は水量があって石段の半分以上が沈んでいる。

 ちらと下水口を見上げた。ちょろちょろと汚水は垂れてくるが、川からの大量の水が流している。


「おまえら、かなり臭うから・・そこで体を洗ってくれ」


 かなり直球なトリアンの申し入れに、裸の女達が怒りを多分に含んだ視線を向け、すぐに悔しさと恥ずかしさで俯いた。

 仮に女達の中でトリアンに対する好感度が上がってたとすれば、今ので粉々であろう。

 そんな微妙な空気などお構いなしに、トリアン自身も手早く服を脱いで下帯一つになると、流水で衣服をさぶさぶと洗い始めた。何しろ汚水まみれである。少しでも臭いを落としたい。洗い絞った衣服を通路へ放り上げ、体ごと水に浸かると頭まで潜水した。

 呆気にとられている女達を置き去りに、一人でさっぱりと水浴びをすると、トリアンは犬のように頭を振って水を散らしながら、通路の上流側へと移動して上衣と筒袴を通路に拡げ、ついでに自分も石床にひっくり返ると手足を伸ばした。寝そべるのも久しぶりだ。硬い床石すら気持ちよく感じる。

 水流音しか聞こえない中、一人、また一人と女達が流水で水浴びを始めた。

 女達の啜り泣きや励まし合う声が聞こえ始めたが、トリアンは目を閉じたまま水流音に耳を傾けていた。

 どうしようもない。

 トリアンに出来るのは、とにかく連れ出すことだけだ。

 女達に掛ける言葉なんか持ち合わせていない。

 予想に反して、ここまでは一人も死なせずに来ている。

 この先はどうだろう。

 どこかで待ち伏せされて、不意打ちで矢を大量に放たれたらどうなるだろう。

 トリアン自身は切り抜けられるだろう。


(でも、女達は守れないな)


 せいぜい、トリアンの近くに居た女くらいは矢を払い落とすことで助けられるかもしれない。


(魔導銃・・さっきので狙われていたら無理だな)


 トリアンは双眸を開いて天井を見上げた。

 どうやれば防げるのだろうか。

 普通の銃と同じように、射線をきれば良いのか。曲射のようなことは出来そうも無い。

 直線的な射線だけを注意すれば良いのなら、分厚い楯を並べれば防げそうだ。無論、今はそんな楯など持っていないが・・・。


(大きな石・・岩陰とか?)


 通路の石床に頭を着けたまま、見るでもなく天井へ瞳を向ける。

 その時、


「トリアンっ!」


 シーリスの声があがった。

 ほとんど同時に跳ね起きて、トリアンは細身の短刀を握った。


 ザリッ・・


 耳障りな擦れる音が背後で鳴った。

 振り返る視界で、黒ずくめ衣服から水を滴らせた男が、先ほどまでトリアンが寝転がっていた場所を鎌で薙ぎ払っていた。

 直後に、派手な金属音がした。

 振り返ると、シーリスが楯で別の黒衣の男からの攻撃を防いだところだった。

 しかし、姿勢を崩したところを腹部へ拳を突き入れられ足を払って石床に叩き伏せられた。楯を抱くように倒れ込んだところを、背を踏みつけられて首筋に針のような物を突きつけられている。

 二人の襲撃者は、水路の水の中を潜水して忍び寄ってきていたらしい。

 敵ながら見事だった。

 トリアンは黒い短剣を構えて、小さな鎌を手にした黒装束の男と対峙した。

 そこへ、


「やあ、紅旋風のボーマさんじゃないか?」


 爽やかな声が掛けられた。

 視線をちらと向けると、金髪の青年が黄金色の甲冑姿で立っていた。

 エフィールの猟兵館前で見かけた男だ。確か、アラバードと呼ばれていた。

 ジェリオという男との決闘の時、蹴りを楯で受け止めようとしたのもこいつだ。


「てめぇ・・」


 押さえつけられたシーリスが、腹の底から絞り出すような憎悪の呻きをあげた。


「あははは、やだなぁ・・・睨まないでよ。ちゃんと楽しませてあげたじゃない?結構良かったんでしょう?」


 金髪の青年が笑う。

 その後ろに、武装した男達がざっと50名控えていた。

 加えて、黒装束の不気味な男が2人。


「あ~あ・・もしかして、みんな薬が抜けちゃってるのかい?参っちゃうなぁ・・あれって、とっても高価なんだよ?」


 にこにこと笑いながら、金髪の青年は近づこうとはしない。


「この子達、何回目だっけ?」


 青年の問いかけに、後ろに控えていた黒い外套姿の老人が紙を手渡した。


「ふうん・・5回から3回、ボーマさんは最初のやつだけかぁ」


 金髪の青年が腕組みをして考え込むように下を向いた。

 ややって溜息をつくと、


「まあ、良いか。12人も居るんだ。何とか出せるんじゃない?」


 金髪の青年は黒外套の老人に向かって目配せした。

 骨と皮だけの骸骨のような老人が小さく頷いて、前に進み出てきた。枯れ木のような手には小ぶりな錫杖を握っていた。

 トリアンには目もくれない。

 小鎌を手にした不気味な黒装束の男だけが表情の無い空洞のような目を向けている。


「お別れだね、みんな・・ぼくと愛し合ってくれた可愛い子猫ちゃん達・・・君達の事は忘れないよ」


 金髪の青年がにこやかに手を振って見せた。

 それを合図に、老人の錫杖が赤光を放ち始めた。

 強い刺すような赤い光に、トリアンは微かに目を眇めた。

 トリアンは、青年や黒外套の老人と女達の間に立っている。矢を放とうが、魔法を放とうが簡単には女達を殺させる気は無い。

 無知の悲しさで、このときのトリアンは魔法というものは炎の球が飛んだり氷の槍が飛んだりするようなものだと思い込んでいた。

 黒い外套の老人が赤く輝く錫杖を頭上へ掲げた。

 耳鳴りがしそうな振動音が水路に響き渡り、トリアンは顔をしかめた。

 そして、悲劇が起こった。

 肉が爆ぜるような音を背中に聞いて、トリアンはぎょっと背後を振り返ってしまった。当然のように、黒装束の男が鎌で斬りつけてきた。

 危うく短剣で受けながら視界の隅で女達を見る。


(・・なんだ!?)


 女達が、先ほどまで真白い裸身を晒していた女達が異様な黒い獣へと変貌していた。


(あいつか!?)


 隠れ家で繋がれていた化け物が生み出されようとしていた。女の肉体を引き裂くようにして黒々と巨大な物が外へ這い出ようとしている。鉤爪の生えた太い腕にも、前に迫り出した牙の並んだ頭部にも見覚えがある。


「なんだい、ぜんせん美しく無いじゃないか?また、出来損ないだよ?」


 金髪の青年が黒い外套の老人に失望の声をぶつけている。

 少なくとも、青年と老人はトリアンから完全に視線を外した。

 トリアンは鎌と短刀を打ち合わせたままじわりと足場を移して、黒装束の男の影に入るように動いた。


(スイリン、さっきの銃を寄越せ)


 取り出したのは、黒い金属の筒---魔導銃だ。


「くそっ」


 トリアンは後方で咆哮をあげる化け物達を背に魔導銃の引き金を絞った。

 

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