第9話

 何年もの間そこに留まっていたかのような生ぬるい空気が、桃太郎の前髪を優しく撫でた。桃太郎は、進行方向をまっすぐに見据えて早足で歩いた。猿男は犬と矢キジを両腕で抱え、黙って彼の後に付いた。相変わらず、懐中電灯の明かりが届かない部分は存在していないかのように周囲は暗闇に包まれてはいたが、桃太郎は、足を進める度に自分がこの洞窟の出口、つまりは鬼ヶ島に近づいているのだという確信があった。二人分の規則的な靴音が、まるで大地の脈動のように通路内に反響している。彼はぼんやりと前方を眺めながら、ここに至るまでに起こった出来事を思い起こしていた。おばあさんのきびだんごのお陰で犬と出会い、医師の協力で海岸に辿り着くことが出来た。港で猿男を見つけ、犬を介して友達になった。猿男は矢キジを連れて、一緒に海を渡ってくれた。そして、最後の2択を矢キジの活躍により突破することができた。一つの事象が次の事象の鍵となり、連鎖的に物事を前に進めていく。まるでよく出来た連立方程式みたいに、解き進める度に変数が消えてゆき、正解に近づくにつれて問題はシンプルになっていく。もしこの先に鬼ヶ島が無いとするならば、物語を最初からやり直す必要がある。

 暗く長い洞窟は唐突に終わりを迎えた。桃太郎は立ち止まり、前方を懐中電灯でよく照らしてみた。縦横二メートル程の洞窟は、桃太郎の前方で行き止まりになっていた。まるで配管の出口に蓋をしたみたいに、巨大な石壁が進路を塞いでいる。桃太郎は前方の石壁をゆっくりと手で押してみたが、ピクリとも動かない。

「行き止まりだ」桃太郎は言った。

「キジが間違っていたのかな?」猿男は不安そうな声を出した。「Y字路からここまで、おいら達はまっすぐに進んできた。もちろん、横道なんてなかった。そうだろう?」

 桃太郎は猿男の問いかけを無視して、明かりを前後左右に振り、四方を照らしてみた。彼らが歩いてきた洞窟は、Y字路を過ぎたあたりからあからさまに幾何学的な形になっていた。床と天井は水平で、それぞれに垂直に両壁が続き、洞窟の断面はほぼ完璧な正方形をしている。そして、行く手を阻む真っ直ぐな行き止まり。桃太郎は頭の中で洞窟の立体図を形成し、クルクルと三次元的に回してみた。まるで細長い直方体のような形をした通路だ。そして、行き止まりの部分だけを切り取れば、二メートル四方の立方体の箱ができる。箱?

「まさか…」桃太郎は小さくつぶやき、石の側壁をじっくりと観察してみた。ちょうど行き止まりの部分から二メートル程度手前のあたりに、よく見なければ分からないほどの小さな隙間がある。その隙間は丁度洞窟の先端部分を切り取るような形で、通路の断面をぐるりと一周していた。

「エレベーターだ」桃太郎は言った。

「エレベーター?」猿男が聞き返した。「どういうこと?」

「この行き止まりの空間は、石でできたエレベーターになっているんだ。ここは海底だし、ここから地上に出るには相当の高さを登る必要がある。おそらく、ここで何かの操作をすれば、この行き止まりの立方体部分だけが持ち上がるはずだ」

「操作って、どこかにボタンでもあるのかい?」

「あるはずだ」

 桃太郎は、エレベーターを構成する岩壁を隈なく探してみた。ボタンでなくても、何かしら不自然な部分があるはずだ。ここまで丁寧に作っておいて、動かないなんてありえない。猿男も、犬と矢キジを床に置いて石壁を触りながらスイッチを探した。犬は動かない後ろ脚を床にダラリと横たえ、前足だけで上半身を支えながら桃太郎の様子を見ていた。矢キジは興味深そうに犬の周りをテクテクと歩いた。

 しばらくの間、二人は懸命にスイッチを探し続けたが、結局それらしいものを見つけることが出来なかった。桃太郎と猿男は犬とキジの隣に腰掛け、小さくため息をついた。

「スイッチはないんじゃないかな」猿男が犬を撫でながら言った。「もしこの空間がエレベーターだったとしても、外部からの操作でしか動かないのかもしれない、長年使われていなくて、壊れたのかもしれない」

「それはありえない。これまでの全ての出来事がここにつながっているんだ。それがここで終わる訳がない。犬さんや矢キジに出会ったことも、もちろん君に出会ったことも、全てはここに繋がるための布石だ。あらゆる事象には意味がある。特に、人工的に作られたものにはね。おそらく、何かひとつ見落としているんだ。大切なヒントを」

 会話や足音が無くなると洞窟内はとても静かだった。体内で心拍音が重低音のベースみたいに一定のリズムを刻んでいた。桃太郎は、これまでに起きた出来事を改めて思い起こしてみた。その中に、きっと何かのヒントが隠れているのだ。おじいさんとおばあさん、きびだんご、犬、猿、キジ、スバル、洞窟、…。そして、桃太郎はとある違和感に気が付いた。あまりにも意味深で不可解な出来事にも関わらず、ここに至るまで全く役に立っていない事象がひとつある。そして、猿男の先ほどの言動。桃太郎は全てを理解した。どうしてもっと早く気が付かなかったのだろう。

 猿男は桃太郎に背を向け、犬を撫でながら小さな声でブツブツと文句を言っていた。桃太郎は息を潜め、ゆっくりと猿男に近づいた。そんな気配を察したのか猿男が急に振り向いたので、桃太郎は素早く彼を洞窟の床に押し倒した。猿男は何が起こったのかよく分からない様子で、目をパチパチと開閉させながら桃太郎を見ていた。

 桃太郎は、そんな猿男の視線を無視するように彼の下半身に手を伸ばし、タイツを脱がせた。茶色いタイツの下から、黄ばんだブリーフが顕になった。

「な、何をしているんだよ!」猿男が叫んだ。

「いいから」

 暴れる猿男の腕を押さえつけながら、彼は眼前のブリーフを力任せに剥ぎとった。生暖かい湿気と汗の匂いが鼻を突き、目の前に猿男のペニスが露出した。桃太郎は手際よく、その先端を口に含んだ。

「やめてくれよ、おいら、ホモじゃないよ!」桃太郎の頭を両手でバシバシ叩きながら猿男は叫んだ。しかし言葉とは裏腹に、猿男のペニスは桃太郎の口の中で次第に固く、大きくなっていった。桃太郎はペニスの輪郭に沿ってゆっくりと舌を這わせ、手で睾丸を刺激した。猿男はしばらく叫び続けていたが、桃太郎が舌の位置を変える度に激しく痙攣し、やがて抵抗をやめた。

 彼が射精すると同時に、上方で何かが巻き上げられるような音がして、やがて岩同士が擦れ合う音と共に岩のエレベーターがゆっくりと上昇をはじめた。桃太郎は猿男の精液を辛抱強く口で受け止めながら、先程歩いてきた地下通路が視界の下に消えていく様子をじっと眺めていた。猿男は両手を顔に乗せ、放心したように仰向けで横たわっている。

 桃太郎は口に溜まった精液を飲み干し、リュックから水筒を取り出してお茶を一口飲んだ。猿男の口にもお茶を注いであげた。

「射精がスイッチになっていたんだ」桃太郎は言った。「どういう原理なのかはわからないけど、理詰めで考えていけばそうなる。というよりも、それ以外に選択肢がない」

 猿男は黙っていた。床に転がった懐中電灯の明かりだけでは、彼の表情を確認することは出来なかった。もしかしたら泣いているのかもしれない。

「僕のフェラチオ、悪くなかっただろう?」桃太郎は尋ねた。

「悪くない」猿男の消え入るような声は、無骨な機械音に掻き消されて闇の中に消えてしまった。


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