四章③ 乱入……否、闖入者


 ※


 自分の腰丈まであろうかという真っ黒なネズミの額に、ネラの弾丸を数発撃ち込む。フロストの身体を喰い千切ろうと企んでいたらしい、のこぎりのような歯列がぼろりと崩れ、肉塊となったネズミを蹴り飛ばす。数は大分減った、弾奏も予備を含めてまだ充分ある。

 しかし、身体は疲弊しきっていた。突如、フロストの左肩を激痛が襲う。


「ッぐ!?」

「素晴らしいわ、フロスト。でも、此処までのようですわね」


 落としてしまう前ににネラを右手に持ち替え、キュリに向ける。肩を抉ったのは、キュリの放った弾丸。しかも、ただの弾ではない。指先まで駆け廻る電流。麻痺か、それとも雷撃の能力を持つ弾丸かはわからないが。両脚から力が抜け、フロストはその場に膝をついてしまう。

 加えて、肺腑を侵す鉄錆の臭い。左肩から噴き出す鮮血が、フロストのコートを濃い紅に染めていく。指先を伝う雫が、純白の雪を無遠慮に染める。


「ッ……」

「善戦でした。でも、負けは負けですわ」


 ちらりと、スノーモービルとの距離を確認する。あそこまで行くことが出来たら、すぐにエンジンを駆けて逃げることが出来る。村長達と約束したのだ。こんな場所で死ぬわけにはいかない。

 何とかキュリの隙を突ければ。だが、フロストの思考はキュリにお見通しだったらしい。


「逃げようとしても、無駄ですわ。ご覧なさい、フロスト」


 キュリが夜空を指す。それを追って目をやれば、今まで辺りを明るく照らしていた筈の月が薄い雲に覆われ、ぼんやりとした朧月に様変わりしていた。星達の煌めきも色褪せ、青白く輝いていた雪面も闇に覆われ始めている。

 フロストの銀髪を揺らす風も、いつの間にか乱暴なものに変わっている。軍の足止めをしていた吹雪が、ここまでやってきたのだろうか。


「やはり、月はわたくし達の味方ね。意味がおわかりになったでしょう? 確かに、貴方のスノーモービルならわたくしを振り切ることが出来るでしょうね。でも、闇の中で村まで逃げ切れるとお思い?」


 犇めき始めた暗闇がざわりと蠢く気配。流れる血の臭いに誘われてきたのか。しかし、すぐに近づいてくる様子は無い。キュリが牽制をかけているのだろう。虚無の上下関係は、時に此方が感心してしまう程に厳正だ。それでも、キュリが何らかの合図を出せば大量の虚無がフロストを襲うだろう。

 屈辱。フロストは唇を噛んで、耐えるしか出来ない。傷口は小さくなく、血が止まる様子は未だ無い。体温はどんどん奪われ、右腕の感覚も麻痺していく。向ける銃口はぶるぶると震え、とてもじゃないがキュリを超える速さで引き金を引くことなんか出来ない。


「くっ、そ……」

「思えば、貴方も哀れですわね。あの村で、たった一人の戦士として努力していたというのに……ああ、そう言えばこの銃は貴方の父親の銃だと仰っていましたわね?」


 キュリが歩み寄り、フロストの手から銃を蹴り飛ばす。ネラは淀みの無い弧を描いて、雪の中へと静かに落ちた。


「父親、というものがよくわかりませんが。この銃は、貴方にとって大切な方のものだった。そうなのでしょう?」

「……だったら、何だ」

「貴方にとって最高の屈辱と絶望は、父親を奪った虚無にこの銃で殺されること」


 そうでしょう? 額に当たる、硬い金属の嫌な感触。先ほど放った弾丸の熱が、ほんのりと皮膚を撫でる。少しでも動けば、フロストの頭を金色のリヴォルヴァーが撃ち抜くだろう。

 動かなくても、時間の問題だが。


「このまま殺せば、貴方はそこら中に居る虚無の餌として貪られ、食い散らかされるでしょうね。貴方に相応しい、醜く無様な最後。勿体無い気もしますが、その中からまたスイのような優秀で可愛らしい子が生まれるでしょう」


 撃鉄の上がる音が耳に届く。もう、この状況に抗う術がフロストには無かった。武器は何も残っていない。体力も、気力もゼロに近い。


「今までの善戦を称えて、一発で終わらせて差し上げますわ。安心なさって? あのミカとかいう小娘も、他の村の皆様もすぐに貴方の後を追わせて差し上げますから」


 キュリの指が引き金にかかる。引いた瞬間、灼熱の弾丸が放たれると同時にフロストの命の灯は呆気無く消えるだろう。そう思うと、何だか笑えてきた。こんなところまで、ヒョウに似なくても良いのに。

 約束、したんだけどな。


「……さようなら、フロスト」


 響き渡る轟音。それは、広がる雪原を超えた先にあるライアスまで届いたかのように思えた。いや、実際届いたかもしれない。

 わんわんと反響を繰り返す、甲高い音。なるほど、頭部を撃ち抜かれるというのは案外無痛らしい。……いや、待て。響く音は、銃から発せられる筈の爆音とは全く違う。

 そもそも、キュリはまだ撃っていない。何故だか、どうにかまだ生きているらしい。


「なっ……何故。いくらなんでも早すぎる」


 わなわなと震えるキュリ。その紅い瞳は既にフロストではなく、遥か後方を見据えていた。さりげなく金色の銃口から離れると、フロストも其方を見る。ふと、視界が狭いことに気が付いてゴーグルを額に押し上げる。

 薄暗い景色の中では、キュリを狼狽させた原因を探し出すことが思いのほか難しい。虚無は暗闇でも目が利くが、フロストはそうではない。それでも、注意深く見つめていると不意に妙な違和感を見つけた。

 滑らかった筈の雪面に突如出現した、不自然な膨らみ。自然に出来た雪の塊などではない。

 あれは、まさか。目を細め、やけに人工的な輪郭を辿る。だがその瞬間、再び鼓膜をぶち抜かんばかりの轟音が響き渡った。ようやくわかった。先ほどのも今のも、そもそも銃声ですらなかったのだ。


「この、耳障りな音……まさか」


 それは、けたたましく唸るハウリングだった。思わず耳を塞ぎたくなるような甲高い雑音が、辺りを縦横無尽に響き渡る。次いで、ぶつぶつと何かを切るような音。

 その中で、微かにヒトの声のようなものが聴こえるが、何を言っているのかは理解出来ない。


『……ぇ…………す、ちょっ……どう…………れ』


 ぶちん、と一際大きい雑音。しばらくの沈黙の後、もう一度同じ音が飛んできた。そして、今度こそ闖入者の声をスピーカー越しに聴くことが出来た。


『あー、あー。テストー、テストー、マイクテストー。……うん、直った直った』


 さっすがあたし! と、一人で勝手に喜んでいる闖入者、もとい馬鹿。姿を見なくても、名前を聞かなくても、フロストにはそれが何者かがすぐにわかってしまった。

 問題は、どうして田舎村に住むトナカイの小娘が、何故あのような物騒な乗り物に乗っているのかだ。


『こらー、フロスト! あんた、またあたしにウソ吐いたわねぇ!? しかも、ケガ人のくせにこんな場所まで一人で来るなんて、バカじゃないの!?』

「……テメェにだけは言われたくねぇよ! おい、ミカ!! 何なんだよ、そのふざけた車は!」

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