四章

四章① 騙された!?

「……か、ミカ?」

「うっ……うーん」

「ミカ、起きなよ。こんなところで、よくそんな格好で眠れるねえ?」


 風邪、引いちゃうよ? 肩を揺さぶられ、心地良い惰眠に漂っていた意識がゆっくりと浮上する。

 なんだか、身体中が痛い。凝り固まった身体を解すように背筋と腕を天井に向けて伸ばす。うーん、背中からぱきぱきと音が鳴っているのが妙に年寄りくさい気がする。


「ふわあ……おはよう、アンナさん」

「ああ、おはよう」


 ふわふわと欠伸をしながら、目の前に居るアンナにそんな挨拶をする。……あれ、ちょっと待って。

 かなりぼさぼさに乱れているが、鮮やかな金髪をわしわしと掻いて。ここ数日で少し痩せた気がするが、胸元にある二つの膨らみはまだまだ魅惑的。身体中のガーゼや包帯を難儀そうに眺めて「うわあ、こりゃあヒドイねえ。でも汗臭いから風呂入りたいなあ、しみるかなあ?」と暢気な彼女は、さっきまで昏睡状態だった筈。

 反射的に立ち上がったミカに、アンナの身体がびくりと跳ねる。


「あ、あああアンナさん! アンナさんが起きた!!」

「うわっ、な……なんだいいきなり、というか今更?」


 確かに。しかし、驚愕という名の衝撃は後から波のように押し寄せて来るわけで。どうしよう、とりあえずユドを呼びに行った方が良いの? それとも先にご飯? あれこれと考えていると、不意に握り締めていた右手の中に何かが入っていることに気が付いた。


「ん? ……アメ?」


 それは、ミカの好きなロリポップキャンディのいちごミルク味だった。大手お菓子メーカーが誇る長年愛されている定番商品の中の一つ。村の子供達はもちろんミカも好きで、家には何袋も常備してある程で。

 まあ、中毒者であるあの幼馴染には負けるが。


「……なんで?」


 でも、なんで自分はこんなものを握っているのだろうか。まさか、食べようと思ってキッチンから持ち出したのはいいが、包み紙を破る前に力尽きたのだろうか。

 そうだとしたら、色々とショックだ。どれだけ食い意地が張っていたんだ。


「なんだいそれ?」

「え、えっと……」

「ああ、それフロストがいっつもしゃぶってるやつだろ? ……そういえば、フロストはどうしたんだい? ここはミカの家だよねえ?」


 見舞いにも来ないのかい、あの師匠不孝ものめ! にやにやと口元を歪ませて言っているものだから、怒っているのかどうかよくわからない。

 とりあえず、アメを一度カーディガンのポケットにしまい込む。何日も眠っていたのだ、事情を知らないアンナに色々と教えてあげなければ。ミカがそう思って、何から話そうかと頭の中で整理する。すると、突然部屋のドアからノックの音が転がった。


「ミカ? 居るの? 入るわよおー……あら、アンナさん! 起きたのねぇ、具合はどう?」

「あ、お母さん」


 入ってきたのは、ミカの母親のカティだった。真っ白なエプロンを身につけ、長い黒髪をシュシュで一つに纏めている。ミカやアンナと同じトナカイで、ライノと同い年だがまだ若々しく綺麗で、ミカの自慢のお母さんである。


「いやあ、なんか知らない間にすっかりお世話になったみたいで」

「気にしないでいいのよ? 困った時はお互い様だもの。食欲はある? お酒はだめだけど、温かいポトフとかリゾットとか割と何でもあるわよお。あ、プリンもあるし。とりあえず食べれそうなら何かお腹に入れた方が良いと思うんだけど」

「じゃあ……お言葉に甘えて、今言ったやつ全部お願いしようかねぇ?」


 いやー、メチャクチャ腹ペコでさあ! 細く締まった腹を擦りながらアンナが言った。彼女の胃は大量のお酒を溜め込むが、食べ物だって物凄い量を収納することが出来る。食べて飲んだら寝る。それでいて太った様子は見られない。

 なんだ、それ。神様、差別ですか。

 一瞬きょとんとしたカティだったが、すぐにふふっと穏やかに笑う。


「相変わらずねえ? わかったわぁ、すぐに持ってくるから待っててね。ミカも一緒に食べる?」

「あ、ちょっと待ってお母さん!」


 そう言って、ドアを開ける母親をミカが呼びとめる。ポケットから先程の飴玉を取り出し、記憶に無い自分の行動の謎を解き明かして貰おうと思ったのだ。いつもキッチンに居る彼女なら、絶対に何か知っている筈。


「あら。それ、フロストに貰ったんじゃないの?」


 がくんと、肩を落とすミカ。いやいや、それは無いでしょ。だが、カティの答えには続きがあった。


「だって、あの子さっきここに来たでしょ?」

「さっき?」

「そうねえ……二時間くらい前かしら」


 頬に手を当て、カティが首を傾げる。二時間前? ミカは天井に近い場所に引っ掛けてある壁時計を見つめる。

 もうすぐ午後八時に針が届きそうだ。はて、フロストに最後に会ったのはまだ午前中だった筈。うん、確かにそうだ。お昼ごはんも食べずに、彼は自分の家に帰った。それから簡単に食事をした以外はずっと、この部屋でアンナの看病をしていた。

 あれから、フロストには会っていない。


「なんだ、フロスト来てたのかい」

「アンナさんよりは軽傷だけど、あの子も今朝までずっと寝ていたのよ。まだ怪我人なのに、一人で虚無退治なんて……心配だわぁ」


 ふう、と息を吐くカティ。おや、今さりげなく聞き捨てにならないようなことを言わなかったか?


「……えっ、フロストがどうしたって?」

「あら、聞いてないの? わたしが見た時、あの子二階から降りてきたからてっきりここに来たのかと思ってたのに。忘れ物でも取りに来ただけなのかしら」

「いや……そうじゃなくて」


 思考が混乱する。ミカの持っている記憶と、カティがくれる情報とが上手く合わさらない。これがパズルだとしたら、ピースが足りなさすぎる。

 訊きたいことが多すぎて、その全てが我先にとミカの口から飛び出したがっているのだが。オーバーヒート寸前の思考が、それらの交通整理を丸投げしてしまった。


「虚無退治って?」

「そうなの。なんか、軍に応援要請をしたんだけど吹雪がひどくて来られないみたいなの。それで皆が困ってたら、突然フロストが来てね?」


 自らキュリの討伐を志願したとか何とか。ミカの疑問の一つを、代わりにアンナが解決してくれた。ふと、窓の外を見やる。冬の昼間はとても短い。珍しく月が出ていて明るいが、もう既に夜の闇が世界を覆っている。

 ついさっきまではお昼だった。昼から夜へと変わる僅かの時間を、ミカは眠ってしまっていた。最後に見た時計の針は、五時半を過ぎたばかりだった気がする。

 もしかして自分が目を瞑っている間に、フロストがここに来たのではないか? そして眠っているミカとアンナを起こすことはせず出かけた。

 その時に彼の気が向いて、眠っているミカにこの飴を握らせた。がちゃがちゃとしていた思考を組み合わせただけの仮定だったが、そこにあの記憶が加わるとミカは思わず奇声を上げそうになった。


 ――十三年前のあの夜、ヒョウがしたことと全く同じではないか!


「……私は、死なす為に銃を教えたんじゃないんだけどねぇ」


 アンナがぽつりと、そう零した。いつの間にかカティの姿が無い。思考のパズルを組み合わせることに必死で、部屋を後にした彼女に気が付かなかったらしい。

 完成したパズル。整理された頭の中は、夜明け前の雪原のように静まり返っていた。


「まあ……あの馬鹿はそんなすぐにくたばらないと思うけど」

「…………」

「ミカ? ちょっと、大丈夫かい?」

「…………う」

「う?」

「うきゃああああぁあああ!!」

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