第18話、夢の指標

 元来、人は実現出来そうもない夢は、心に描かない。

 実際、夢として想像した結果は、努力によって多少の違いはあるだろう。

 だが、夢は、必ず実現する。


 いつか、どこかで読んだ詩集に、そう書いてあった記憶がある。

 『 何を、青臭い事を・・・ 大成出来なかった時の、単なる言い訳じゃない 』

 読んだ当時は、駆け出しのデザイナーだった。 美緒は、詩を自分なりに解釈し、一笑した覚えがある。


 だが、今は違う。


 その意味の真意が、心から理解出来る。

( 結果的に、叶った夢の大小・カタチが変わったって、努力した道程は、必ずあるはず。 それを指標として歩んで来た日々は、かけがえの無い経験だわ。 夢を持つと言う事は、自身が成長して行く道標を、自身で創造する事でもあるのよ )

 美緒は、そう思った。

 単なる『 希望 』ではない。 一市民、一家族・・ 一個人の範囲・単位でも良い。

 人生には、指標が必要である。

 そう・・ 夢は、未来を創造するのだ。


「 次は~、高桑~ 」

 バスの運転手の声が、天井に取り付けられたスピーカから聞こえた。

「 お降りの方は、ガタンッ・・ ボタンでお知らせ、ガタガタッ・・ 下さい 」

 道の凹凸の振動が伝わり、マイクに雑音が入る。

 美緒は、窓ガラス横に取り付けられた降車ボタンに手を伸ばし、スイッチを押した。


 ガラス窓を横切る、木々の枝・・・

 山肌が迫る渓谷沿いの林道を、バスは、木立の影を縫うようしてに走る。

 車内に窓ガラスを通して降り注ぐ、冬の明るい日差し。

 シートから伝わる、ヒーターの暖気・・・


 窓の外に広がる風景は、上海に向かう、果てしなき雲海の空ではなく、寂れた田舎の山間風景である。

 バスには、美緒以外、誰も乗っていない。 がらんとしていて、どうかすると不安な気持ちにもなりそうな状況だ。

 だが、最後部座席の真ん中に座った美緒の心は、今日の陽気のように晴々としていた。


 美緒の考え着いた答え・・・ それは、夢を共有する事。


 つまり、夢を持てないのであれば、夢を抱いている者と一緒にいれば良いのだ。

 ・・・極論かもしれない。

 でも、適善である、と美緒は決断した。

 そして今日、上海行きの飛行機ではなく、高桑へと向かうバスに乗車している。


( いいのよ、これで・・・ あたしは、満足・・! )


 心から、そう思える。

 上海行きを辞退しなかったら、実現出来たであろう未来・・・ それに対する蟠りなど、微塵も感じない。 それより、高桑へ飛んでいる心の軽さの方が、美緒には重要だった。


「 お客さん、ガコガコッ、ガコン! 良幸さぁのトコ、行きなさるかね? 」

 運転手が、バックミラーで美緒を見ながら、車内マイクで話し掛けてきた。

 業務中の私的会話など、通常では有り得ない事だ。 田舎だから許される訳でもないが・・

 それよりも、美緒は初対面の、しかも路線バスの運転手が、今日、美緒が高桑を訪れる事を知っている事に驚いた。 と、同時に、嬉しくもなった。

「 ・・え? あ・・ は、はい。 そうです 」

 思わず、答えた美緒。

 おそらく、八代の知り合いなのだろう。 葛川の乗り合い所の女将のように、田舎では、『 地区の住人 』の囲いが、限りなく広い。

 中年と思われる運転手は言った。

「 良幸さぁから聞いてるよ。 ガタガタッ・・ 満川茶の事、宜しくお願いしますよ? オレも、生まれてこのかた、満川茶でガコンッ、ガコガコッ・・ 育ったようなモンさ。 ゴン、バコンッ、ギシギシッ! まあ、小さな田舎町だけど、自慢出来るモンがあるってのは、良いこった 」

 美緒は、胸を張って答えた。

「 お任せ下さい! 絶対に、メジャーにしてみせますから! 」

 バックミラーの中で、運転手は笑った。


 見覚えのある建物が見えて来た。

 田んぼに囲まれた、古い鉄筋コンクリート建ての箕尾町役場、高桑分舎である。

( 何か、故郷に帰って来た、ってカンジ・・・! )

 役場前の道路脇に、バスの停留所があった。

 車1台通らないが、左のウインカーを出しながら、バスはゆっくりと道路の左端に寄り、やがて停車した。

 プシュー、というエアーの抜ける音。

 運転手が、サイドブレーキを引きながら言った。

「 高桑~ 」

 降車用の後部ドアが開く。

 運転手は、乗車用の前部ドアも開けると、外に向かって言った。

「 おう、坂井。 大切なお客さんをお連れしたぞ 」

 どうやら、車外に、坂井がいるらしい。

 座席から腰を浮かし、立ち上がりながら外を確認する美緒。 タワシのように髪が逆立った頭が、バスの窓越しに見える。

「 お疲れ様で~す。 武儀篠まで、折り返しですか? 」

 聞き覚えのある、坂井の声が聞こえた。

 運転手が答える。

「 ちょい、休憩だ。 45分に出る。 ・・おい坂井、大きめのドライバーねえか? サンバイザーの止めネジが、緩くてよ。 止まらねえんだ 」

「 ああ、ありますよ。 後で持って来ますね 」

 そう言いながら、運転席横の前部ドアから車内に乗り込んで来た坂井。

 降車ドアから降りようとした美緒と、目が合った。

「 やあ、お待ちしていました、日高さん! こんな田舎まで、また足を運んで頂けるなんて、申し訳ありませんね 」

 ステップを降りかけた美緒が答える。

「 こんにちは! 先だっては、大変に御世話になりました。 またお声を掛けて頂き、光栄です。 仕事とは言え、高桑は、私の故郷ですからね。 何度、訪れても、心が癒されます。 また宜しくお願い申し上げます 」

 降りかけたステップを上り直し、車内でお辞儀をする美緒。

 坂井が、かしこまってお辞儀を返しながら答えた。

「 いやいや、こちらこそ宜しくです。 何ぶん、デザインやメディア戦略には、トンと疎くて・・ もう、ホント、日高さんだけが頼りですよ、はっはっは! 」

「 お? 良幸さぁが来たぞ 」

 サンバイザーをいじりながら、運転手が言った。

 弾かれたように、窓越しに、外を探す美緒。

  バスの前に、見覚えのある古い型の自動車が1台、停車した。 ハザードを点滅させ、運転席から作業着姿の男性が降りて来る。


 ・・美緒の鼓動が早くなった。


「 やあ、よく来てくれたね! 」

 自動車の車内にあった紺色のジャンバーを羽織り、衿のフードを立てながら、八代は、軽く手を振り、笑顔で言った。

「 先だっては御世話になりました。 また、宜しくお願い致します! 」

 ステップを降り、歩道に出て来た美緒。

 八代が言った。

「 ・・ん? 髪型、変えたかい? 」

「 え・・? 前と、変わっていませんけど・・・? 」

 頭をかきながら、八代は言った。

「 いや、何となく・・ 雰囲気が、変わって見えたから 」

「 やつれて見えます? 」

 苦笑いしながら、美緒は言った。

 八代が答える。

「 いや。 前より、明るくなった 」

 思わず、顔を赤らめる美緒。

 坂井が言った。

「 今日は、日帰りですか?」

「 そのつもりですが・・・ 役場の担当者の方が、急用で出掛けられていて・・ 窓口の八代さんも、茶畑のお仕事で忙しいようであれば、もう1日、日延べしなくてはなりませんねぇ・・・? 」

 悪戯そうな視線で答える、美緒。

 美緒の『 演出 』に、気付いた坂井が言った。

「 おお、そうだ。 急用を思い出したぞ! 」

 八代も言う。

「 いかん、農協に肥料を買いに行くのを忘れてた・・・! 」

 3人の笑い声が、青い空に吸い込まれて行く。

( ここよ・・・! あたしがいるべき場所は、ここのような気がする・・・! )

 美緒は、そう感じた。


 都会に住んでいても、田舎に住んでいても、生きている事には違いはない。

 何の為に生きているのか・・・?

 別に、哲学的な事ではない。 自分の将来・・ 己の未来に、何を見出すのか、である。

 育った環境や、学んで来た事、学歴に囚われる事なく、純粋な未来に対する希望は、ある意味、人生の変革をも示唆する。 ・・元来、人は、未来への指標無しでは、生きてはいけないものだ。 逆に言うならば、生きる糧として未来への希望があり、期待に胸を膨らませて毎日を過ごす為に、夢への指標があるのだ。

 

 美緒のスマートフォンが鳴った。

 着信相手を確認し、応答に出る美緒。

「 もしもし、橋口君? 何かあった? 」

『 ちょっ・・ 何かあった、じゃないですよ企画長っ! 滋賀へ行ってるそうじゃありませんか! 何で、上海じゃないんですっ? 』

 興奮した橋口の声が、美緒の耳に飛び込んで来る。

 美緒は笑って答えた。

「 あたしじゃなくても・・ 企画2課の誰か、でもいいんじゃない? 何なら橋口君、行く? 」

『 冗談、ポイですよ! 僕は当然、企画長が行かれると思っていたのに・・! 』

 美緒は、スマートフォンを耳に当てたまま笑い、視線を伏せた。 思い起こしたように顔を上げ、遠くの山々の稜線に視線を移す。

 やがて、微笑みながら言った。

「 上海はね・・ 誰が行っても・・ 誰がやっても、成功するわ・・・ あたし、そんなレールに乗りたくないの 」

『 でも、企画長・・・! 』

「 高桑は違うの・・・ あたしを必要としてるのよ? あたしじゃないと、出来ないの・・! 」

『 ん~・・ でも、上海は・・・ 』

 橋口は、納得がいかない様子である。

 美緒は続けた。

「 あたしは、夢の実現の為に仕事をするの。 夢ってね・・ 多少、苦労しないと実現出来ないものなのよ? わかる? 」

 チラリと、八代たちの方を見やる美緒。 八代は、きょとんとした表情を美緒に見せた。

 電話口の向こうで、橋口は答える。

『 そりゃ、分かりますけどぉぉ~・・・ でも・・ んあぁ~っ、もったいないっスよぉ~・・! 』

「 夢の価値観も、人それぞれなの。 あたしにとって高桑の仕事は、最優先課題。 見てなさいよ? 満川茶を、滋賀の名産にしてみせるからね~? 」

『 はあ・・・ 』

 やはり、浮かない口調の橋口。

 美緒は続けた。

「 あたしを必要とする人の所にいてこそ、夢がカタチになるのよ。 現実になるの 」

 橋口は諦めたのか、受話器の向こうで、ため息をつくと言った。

『 分かりました。 ・・で、戸田物産のミーティング、いつにします? 企画長不在では、ちょっと不安ですので、おおよその帰社時間をお願いします 』

「 ・・このまま、二度と帰らないかもね 」

『 は・・? 』

 そのまま電話を切る、美緒。

 端末をポーチに入れ、空を仰いで深呼吸した。


 抜けるような、青い空・・・ 芽生えを感じさせる木々の枝で、淡い色に優しく霞む、遠くの山々とのコントラストが美しい。


 美緒は思った。

( 今、あたしの心は、この空と同じ色・・・! )

 八代たちを振り返り、笑顔を見せながら言った。

「 お待たせしました。 夢を叶えに参りましょう! 」


 青い空に、一筋の薄雲が浮かんでいる。

 ゆっくりと流れる雲の姿に、近付きつつある、確かな春を感じた美緒だった。



               空になれない青 / 完

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空になれない、青 夏川 俊 @natukawa

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