第17話、螺旋の余殃

 カーテンウォールのガラス面に反射する、冬の日差し。

 大型スクリーンに映し出された企業公告。

 車のクラクション。

 都営バスの排気音、人の話し声・・・


 美緒は、再び、都会の喧騒の中にいた。


 昼下がりの渋谷駅・・・

 沢山の人が行き交い、それぞれの想い、それぞれの人生が交差している。


「 了解しました。 では、スタッフと打ち合わせまして後日、また連絡を差し上げます。 今週末には、結果をご報告出来るかと・・ ええ、はい。 そうですね。 では失礼致します 」

 スマートフォンのカバーを閉じ、ため息をつく美緒。


 見上げる都会の空・・・ 


 何故だか、妙に寒々としている。

 日差しはあり、穏やかな日和なのに、空の青さからは暖かさが感じられない。

 元々、青は寒色ではあるが、虚空の如く青い空からは、美緒の心を突き放すかのような冷たさを覚える。

( 高桑の空も、青かったわね・・・ でも、こんな空しい気分には、ならなかったわ )


 ここ数日間、妙に、心に空しさを感じる・・・


 別に、トラブルがあった訳ではない。 相変わらず多忙ではあるが、仕事はうまくいっている。

 しかし、以前、仕事をしていて感じられていた達成感のような感覚が、なぜか萎えてしまい、ふとした時、妙に空しさだけが心に残るのだ。

( 達成感・・ か )

 それも、今となっては、本心だったのかどうかも、危うく思える。

 単なる『 結果 』を、達成した事実と混同していたのではあるまいか・・・?

 仕事の『 区切り 』を、自分の中で、勝手に『 達成 』としていただけなのかもしれない。

( じゃあ、私の仕事の達成って、ドコにあるの? )


 ・・もう、分からない。


 何が真実で、何が結果なのか?

 ・・自分は、何処へ行こうとしているのか?


 仕事の達成は、何処にある?

 そもそも、それは本当にあるのか・・・?


 考えれば考えるほど、心の淵は、深く沈んで行く。

 深く、深く・・ 底の見えない、闇の底へ・・・


 渋谷駅前の歩道を、疲れた足取りで歩く、美緒。

 楽し気に会話しながら、すれ違う男女のカップルの笑い声が、妙に甲高く聞こえる。

 携帯で話しながら、こちらに向かって歩いて来る会社員風の中年男性と、目が合った。

 美緒のコートの襟元を揺らす、一陣のビル風・・・


( 高桑の空・・ か・・ )


 手にしていたスマートフォンが鳴った。

 弾かれたように我に返り、美緒は着信元を確認すると、すぐさま応答に出た。

「 はい、日高です。 橋口君? どうだった? ・・そう。 じゃ、OKね。 先方には、あたしから提案しておくわ。 岸田物産の方も、宜しくね? 専務の小田さん、先回のプレゼンには満足していたようだから、もうひと押しね。 決まれば、大きいわよ? 下請けを用意しておかなくちゃ。 ・・え? あたし? う~ん・・ そうね、横倉精機に寄って行くから・・ 帰社時間は、夕方の6時頃かな。 会議はそれからね。 制作も、その頃でないと手が空かないだろうし 」

 話しながら、タクシー乗り場に停車していた個人タクシーに乗り込む。

 端末のマイクを指で塞ぎ、運転手に継げた。

「 新宿1丁目、花園通りの太宗寺の角まで 」

 運転手が美緒の方を少し振り返り、頷いた。 ドアが閉められ、車が動き出すと、再び、話し始める美緒。

「 営業1課の本宮さんがいたら、先に始めていてくれる? チーフの市ノ瀬さんには、あたしから説明しておくから。 ・・え? アド・エンタープライズ? ああ、先週の件ね。 大丈夫よ? 企画書は提出してあるから。 専務の津田さんの話だと、来週早々には、大体は決まるみたい。 うん、そう。 分かったわ。 ・・じゃ、後程ね 」

 スマートフォンを切り、また、ため息をついた。


 赤信号で停車したタクシー。

 美緒は、窓の外に目をやると、歩道を歩く人並みの足元を、ぼんやりと眺めた。

( みんな・・ どこに行くのかしらね・・・ )

 他愛も無い疑問に、自分自身、呆れてしまう美緒。


 ・・どこか、やるせない。

 挫折にも似た心境が、心を占拠する。

 タクシーの窓越しに、ふと空を見上げる美緒。


 夢を持てない自分・・・

 未来に希望を語るべく、それが、絶対に必要か否か・・・


 当然、存在しているものだと思っていただけに、抽象的にしか考えていなかった『 夢 』。

 美緒にとって、自身のステイタス源だと思っていたはずの仕事が、実は、夢の一端すら担っていなかったという事実・・・


 ショックだった。


 あまりに、現実を優先し過ぎたのかもしれない。

 だが、現実は現実。

 今、自分が生きている世界は、現実なのだ。 それを優先しないで、未来も夢も無かろう・・・


 美緒の心の中では、自分を否定する自身と、肯定する自分が交錯していた。 当然、仕事にも、熱が入らないはずである。

 だが、業務に手抜きなどはしていない。 ただ、ふと虚しいのだ・・・


( あたしには、夢が無い・・ か )


 高桑の、あの高台の野で、八代と共に1番星を見た日以来、何度、同じ事を思っただろう。

 仕事をしていても、自宅へ戻っても・・ 空しさと共に、ふと虚空な気持ちが心をよぎる。 どこまで行っても同じ感覚だ。 螺旋階段を、永遠に登り続けているような・・ そんな心境でもある。


 指標無き、目的無き努力・・・

 美緒にとって、今の心境は最悪だった。

 再び、タクシーの窓越しに、空を見上げる。


 青く澄み切った、都会の冬空・・・

 だが、高桑で見た空の色とは明らかに違っていた。

( 同じ、青い空だった。 でも、高桑の空の色は違うの・・・ なぜだろう )

 誰の頭上にもある空・・・ そして、誰の目にも、空の青さは感じられる。

 だが、誰しも空になれるとは限らない。


 空・・・


 幾人にも認識出来る青を夢とするならば、夢を叶えられる・・ 空になれる青は、ほんの一握りだ。

 その青を、自分は確信しているのだろうか・・・?


 また、端末が鳴った。

 いい加減、うんざりした表情で、発信元を確認する美緒。

「 ? 」

 固定電話からだ。 しかも、局番が『 03 』ではない。

 どうやら都外かららしいが、どこの誰からなのか、美緒には分からない。

 とりあえずボタンを押し、応対に出た。

「 はい、日高です 」

『 美緒ちゃん? 高桑の八代です 』


 ・・八代からだ・・!


 途端、美緒の鼓動が、急速に高鳴った。

「 え、あ・・ は、はいっ・・ み、美緒です。 先日は、有難うございました。 あ・・ あの、えと・・ 」

 なぜか、焦る美緒。

 八代が言った。

『 オフクロがさぁ~ 白菜を美緒ちゃんに送ってやれって言うんだけど、要る? 』


 ・・何とも、気抜けした用事である。


 だが、仕事話しばかりだった端末から、こんな人情めいた会話が出来る事に、美緒は嬉しさを覚えた。

「 はいっ! 是非、頂きたいですっ! 」

 美緒は、元気良く答えた。

『 良かった。 迷惑かなと思ったんけど、声も聞きたかったし。 坂井から美緒ちゃんの携帯番号、教えてもらったんだ。 ・・仕事、忙しいかい? 』

「 迷惑だなんて、そんな・・・ 仕事の方は、相変わらず、バタバタしています。 忙し過ぎて、自分のコトなんか・・ 考える暇も無いです 」

 右折する、タクシー。

 視界に流れる交差点の情景をバックに、八代の優しい声が聞こえる。

『 ははは。 美緒ちゃんらしいね。 でも、仕事し過ぎて、体壊すなよ? 』


 ・・嬉しくて、なぜか涙が出て来た。


 八代の、ちょっとした、心遣い。

 ごく、当たり前の会話でも、八代とだと、心から嬉しく感じる・・・


 八代は、続けた。

『 ・・いや、実は、役場の坂井から提案があってね。 北陸道の満川サービスエリアで、買い物客用に使っているビニール袋に、満川茶の公告を印刷しようか、という話しなんだ。 材質や大きさなんかは、サッパリ分かんないんで・・ とりあえず、サンプルなんかあったら、資料を送って欲しいんだよ。 坂井が、出来れば直接、話しをしたいそうだけど・・ 美緒ちゃん、またコッチに来てくれる事って・・ 出来るかい? 』

「 いっ・・ 行きますっ! い・い・いつですか? 明日ですかっ? 」

 即座に答える、美緒。

 八代が、笑いながら言った。

『 おいおい、そんな急な話になるんかい? まあ、コッチは、いつでもいいけどね 』

「 とにかく、至急、都合をみて伺います・・・! 」

『 連絡、待ってるよ 』


 ・・・また高桑へ行ける・・・! 八代に会える・・・!


 電話を切った美緒は、有頂天になった。

 運転手が、心配そうに尋ねた。

「 お客さん、トラブルですか・・? 」

 美緒は、笑顔で答えた。

「 違います。 夢を見に行くんです・・! 」


 帰社した美緒は、早速、支店長の糸川に会いに行った。

「 小さな案件ですが、将来的に、大きな影響のある案件だと思います。 サービスエリアで告知が出来れば、それを持って遠方まで至る人たちの手によって、不特定多数のコマーシャルが出来ます。 私としては是非、進めていきたいと思っております・・! 都合がつけば、今週末にでも、先方まで足を運びたいのですが・・・ 」

 熱意を込めて、糸川に語る美緒。

 糸川は、デスクを前に、革張りのソファーに腰掛け、両手を腹の上で組みながら言った。

「 うむ・・・。 日高君の意向は、了解した。 ・・だが、君には、別に行ってもらいたい所がある 」


「 ・・・え・・・? 」


 美緒には、自分が提案すれば、糸川は、了承するだろうという読みがあった。

 予想通り、糸川は了解した。 ・・だが、少々、方向が違うようである。


 糸川は、1冊の企画書をデスクの上に置いた。

「 中国の貿易会社と、契約が取れた 」

「 中国・・・ 」

 糸川は静かに、心なしか、美緒を説得するかのように淡々と説明し始めた。

「 先物取引も手掛け、雑貨・繊維・食品・家具など、幅広い流通を展開している上海の大手企業だ。 株式市場にも、大きな影響力を持ち、自社ブランドも人気がある。 ・・実は、来春から、メディアにも進出する事になってね。 デザインプロデュースのエキスパートを探している 」

 美緒は、企画書を手に取り、内容を確かめながら言った。

「 ウチが、それを担う、と・・・? 」

 笑みを浮かべ、糸川は答える。

「 その通りだ。 これは、本社もノータッチだ。 我が新宿支店が、単独でオファーをもらって来た案件でね。 忙しくなるぞ? 日高君・・・! 」


 遂に、海外進出だ。

 『 忙しくなる 』と、言い切った糸川の見切りに、間違いは無いだろう。 おそらく美緒は、そのプロデュースの先任ポストとして・・・


 企画書から視線を上げ、じっと糸川を見つめながら、美緒は尋ねた。

「 ・・海外の・・ 長期出張ですか・・・? 」

 何も答えない、糸川。 彼もまた、美緒をじっと見つめている。

 やがて、静かに言った。

「 行きたくないのであれば、無理強いはしない。 今のままでも、君は優秀な成績を挙げ、社に貢献している。 ・・ただ、僕としては日高君に、更なる飛躍のステージを与えたくてね・・・! 」

 再び企画書に視線を戻し、ページをめくる美緒。


 以前の美緒だったら、即答で、上海行きを立候補していたであろう。 糸川にも、美緒なら上海行きを喜んで引き受けるだろう、と言う予測があったに違いない。


 ・・だが、そう答えなかった美緒。


 糸川も、美緒の心情変化を感じ取っているらしく、美緒の心を探るように、じっと美緒を見つめている。


 しばらくの沈黙の後、やがて、糸川は言った。

「 今週末には、上海で、先方と準備面談する予定になっている。 滋賀へ行くか、上海へ行くか・・・ よく考えてくれ 」


 ・・・降って湧いたような、長期海外出張。


 おそらく、新宿支社開設以来のビッグビジネスになるだろう。

 これを成功させたメンバーは、未来永劫、その手腕・センスを語り継がれる事になる。 本社栄転・役員昇格への道も、その手に届く距離となろう。

 美緒にとって、まさに千載一遇の好機である。 しかも相手は、資金豊富な大手企業。 美緒の得意とするデザインプロデュースに関しては、こちらに全てを委ねそうな雰囲気だ。 成功への確立は、極めて高いと言える。


( 海外か・・・ )


 以前から憧れていた業務ではある。

 長期が無理であれば、数週間・・ いや、数日でも良い。 1人前のワーカーらしく、それらの経験を積んでみたいと思っていたところである。


 だが・・・


 総合企画部の自室に戻り、窓から外を眺めながら、美緒は思案していた。

『 制作1課の事は、任せたよ 』

 ふと、杉村の声が、美緒の脳裏に蘇る。

( 杉村課長・・・ )

 彼が生きていたら、何と言うだろう。

 期待され、栄転とも取れる辞令を受理し、池袋の支店へと移動して行った杉村・・・

 結果は不幸な結末となってしまったが、はたしてあの時、彼の胸中はどうだったのだろうか・・・

( 移動に関しては、気が重そうだったわね、杉村さん )

 自分も、同じ道を辿るのだろうか・・・?

 いや・・ 今回の上海行きに関しては、杉村の時のような状況ではない。 美緒自身、ある程度、成功へのシナリオの草稿は、既に描けている。


 ・・だが、どこか心配なのだ。


 杉村と、同じ道を辿るのではないか、という不安・・・ それは、美緒の心の片隅に、確かに存在していた。

 杉村との、共通点を探ってみる美緒。

( もしかしたら・・ 杉村さんも、あたしと同じように、悶々と悩んでいたのかもしれない・・・ )

 そう言えば、杉村の夢を聞いた事が無い。 趣味も、これと言って無かったような記憶である。 美緒と同じ、仕事人間だった。

 仕事に実直な者が、早まった行動を取るとは決して限らないとは思うが、責任・プレッシャーを、人一倍に感ずるのは事実であろう。 メンタル的にでも良いから、何かそのストレスを解消出来るものがあれば、最悪の結末にはならなかったのかもしれない。

( あたしは、自殺なんかをするタマじゃないけど・・・ そう、杉村さんにも・・ 夢と呼べそうな、未来的思考が無かったのかもしれない・・・ )


 次第に暮れていく、冬の空。

 群青に深まった空には、いつもの1番星が瞬いていた・・・

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