第16話、あの日の、野

「 なあ、みおちゃん。 大きくなったら、僕のお嫁さんになってくれる? 」

「 うん、いいよ! ・・でも、あたし小学校卒業したら、東京に引越しちゃうよ・・? 」

「 僕、大きくなって、電車に乗れるようになったら、会いに行くから平気だよ! 」

「 ホント? じゃ、待ってるからね! ・・あ、1番星ぃ~! 」


( 八代さん・・・! )


 無邪気な約束。

 遥か、幼き日々の懐かしき追憶・・・

 

 淡く、切ない記憶だ。

 茜より赤き夕陽を浴びながら、あの日交わした約束。

 ・・・そう、この高台の野にて・・・


「 ・・・・・ 」

 美緒は、言葉を発する事が出来なかった。

 今の心情を、唯一に表現出来る言葉が、見つからなかった。


『 久し振りに、顔を見たくなってね。 どうしてるかなって 』


 美緒の会社に訪れた際、八代が言った言葉が美緒の脳裏に蘇った。

 ・・もしかしたら八代は、ずっと美緒の事を想ってくれていたのかもしれない。

 だからこそ、急に思い立って逢いに来れたのだ。 あの日の約束が

あったからこそ、それを理由に、美緒に逢いに来れたのだ。


( 八代さんなら・・ そうかも。 純粋な人だから・・・ )

 美緒は、そう思った。


 ・・だが、そんな八代を美緒は忘れていた。 完全に・・・


 八代が言った。

「 美緒ちゃんの夢は、何だい? 」


 ・・・夢?


 そんな事は、真剣に考えた事がない。

 美緒は、答えられなかった。 同時に、今後の『 課題 』であろう事案を、頭の中で推敲してみる。

 今の仕事をやり遂げ、より大きな仕事を手掛け、社長の期待に応え・・・

「 ・・・・・ 」


 美緒は、愕然とした。

 何も無い。

 何も、思い当たらない。

 何も・・ 出て来ない・・・!


( あたしには・・・ あたしには、自分の夢が・・ 無い・・・! )


 確かに、将来のビジョンはある。

 だが、それらは全てビジネス上に網羅され、とてもではないが、『 夢 』などと言う心情的なものではない。

 損得抜きで、自身が癒されるような・・ 将来的見地に立って見渡せる、指標のような未来・・・


 ・・そう。 美緒には、自身の未来における『 夢 』が無かったのだ。


 心のどこを、どう探しても、そこにあるはずのわずかな期待は、あっさりと打ち消された。 ・・いや、打ち砕かれ、打ちのめされたと言っても、過言ではないだろう。


「 今のところ・・・ これと言ってありません 」


 幾分、震えながら・・ そう答えるのが、精一杯の美緒。

 正直な回答でもある。

 それを聞くと、少し、美緒の方を振り返り、八代は微笑んだ。

 

 ・・・その表情が意図するものは、哀れみか諦めか・・・


 日頃、持っていて当たり前のように思われがちな『 夢 』。

 美緒も、デザインの仕事の中で、コピー上に何度も目にして来た。 また、プレゼンのビジュアル説明トークでも、頻繁に口にして来た。

 だがしかし、自分自身にとっての夢の存在が、こんなにも希薄で抽象的であったとは・・・!


 八代が言った。

「 忙しい人だからな、美緒ちゃんは 」


 ・・皮肉にも聞こえる。


 美緒は、八代に尋ねてみた。

「 八代さんの・・ 夢は? 」

 再び、暮れなずむ西の空に顔を向け、八代はキッパリと答えた。


「 満川茶を、メジャーにする事・・・! 」


 今また、冬の風が、八代の脇を吹き抜け、美緒のジャケットの衿を揺らす。

 茜色の空より吹き至る一陣の風に向かい、八代は、過去を模索するように、静かに続けた。

「 ずっと前からの夢だ・・・ 高校卒業して、工場へ入ったが仕事に馴染めず・・・ 実家の農業を手伝っていた 」

 美緒は、真剣な眼差しで八代の背中越しに、彼の『 心の声 』を見つめた。

 八代が続ける。

「 ジイちゃんから、満川茶の事を聞いてね・・ その時、『 これだ 』と思ったんだ。 その時からの夢だよ。 いつか、このお茶を、日本中に知らしめてやるんだ、ってね・・! 」


 満川茶の再興・・・ 八代の、長年の悲願なのだろう。


 八代が、美緒の方を振り返った。 じっと、美緒を見つめている。

「 昼間、オフクロが言ってたけど・・・ 仕事・・ 重荷に、なっていないか? 」

 美緒は、風に吹かれ乱れる髪を、手で押さえる事も無く、無言で首を横に振った。

 少し伏し目がちになり、八代は言った。

「 そうか・・・ なら、いいが 」


 本当のところは分からない。 重荷になっている事自体を、認めたくないだけなのかも・・・


 それより美緒は、自分の夢が、あまりに希薄・・ いや、無いと表現しても間違いない状態であった事実を知り、戸惑っていた。


( あたしに足りなかったのは、夢・・・ )


 必要など無い、と考える人もいるかもしれない。

 実際、今の美緒は、職務的・経済的・には、何ら問題がないのだ。 人間関係も、うまくいっている。

 だが、それだけでは息が詰まる・・・

 シンドローム的に、美緒を悩ませていたメンタルティックな心情・・・ それが、全てを物語っている。 どこか、自分に欠如していると思わせる『 何か 』を探し続けていたのは、疑う事なき事実なのだ。


 夢は、未来への想像でもあろう。

 『 妄想 』と言い放つ者もいるやもしれないが、自分に都合の良い未来を想い描くのは、確かに心地良いものである。 美しい絵画や、自然の叡智をも感じさせる景色を目の当たりにした時も、やはり同じだろう。 感動と共に、心の安らぎを覚えるものである。


( キレイな景色や、絵を見た時に感じていた不安は・・ 未来への感動を感じ取れない、自分への警鐘だったのかしら・・・ )


 仕事一筋で、その他を考える余裕が無かった事にも起因しているかもしれない。

 就職したばかりの時は、右も左も分からず、仕事や社会の仕組みを早く知ろうと躍起になり、がむしゃらに仕事をした。 連続の徹夜仕事も、日常茶飯事だった。

 入社3年目辺りからは、周りの状況を見る余裕が出て来て、自分なりの選択・提案が出来るようになり、仕事の面白さを感じるようになった。 その為に、更なる『 自己犠牲 』を遂行するようになり、益々、仕事以外の事を考えなくなっていった・・・


 今は、与えられた業務や大きなフィールドの重圧に耐えつつも、やはり必死になっている。 それが嫌だと、そう感じた事は1度も無いが、振り返ってみれば、あまりにも、自分を見つめていなかった・・・


 愛する人と共に暮らし、家事の傍ら、自分の趣味を持つ。

 在宅の仕事をこなしつつ、ベビーベッドで寝入る我が子の寝顔を眺めてみたい。

 マイホームを建てたのであれば、キッチンは広く、洗面台には大きな鏡を・・・


 ささやかな夢は、幾らでもあるはずである。 だが・・

『 業務をこなし、期待以上の成果を挙げる事 』

 美緒には、それしかなかった。

 プライベートな夢を抱くなど・・ そんな余裕は無かったのである。


「 ・・・・・ 」


 何も、言葉が出て来ない美緒。

 自分を見つめる八代を、美緒もまた、じっと見つめ返した。

 八代が、諭すように、静かに言った。

「 仕事で成功している美緒ちゃんには、今が全てだと思う・・・ だけど、今以上の可能性ってのは、未来にしかない、と僕は思う 」

 八代の言わんとしている事は、何となく理解出来た。

 現実では、実現が難しい事でも、未来は誰にも分からない。 それを指標としていけば、それに向かっての努力が出来る・・・


 つまるところ、それが『 夢 』なのだろう。


 未来に希望を託し、他から『 与えられる 』のではなく、自身で・・ 自分の意思で、夢に向かって行く・・・

 未来への出発である。

 夢の始まりは、未来の始まり。

 未来を信じる者だけが、可能性ある夢を抱けるのだ。


「 ・・・・・ 」

 無言のまま、美緒は、自分の足元に視線を移した。


 短い、枯れた野草が冬の風に揺れている。

 寒々とした状況ではあるが、未来・・ そう、春が来れば草木の芽が顔を出し、夏ともなれば・・ やがてここも、蒼然たる野に変わるのだろうか。


( あたしの記憶では、初秋の風に、いっぱいのススキが揺れていた・・・ )

 そう・・ 未来は、必ずやって来る・・・!


 美緒は顔を上げ、八代を見た。

「 八代さん・・ あたし、実は・・ ずっと悩んでいたんです 」

「 悩んでいた? 」

「 ・・と言うより・・ 何か、満たされない気分でいたんです。 お母様が言われたのは、図星です。 その要因が何なのか、が分からなくて・・・ 」

「 そうか 」

 美緒は、少し笑って言った。

「 でも今、八代さんと話していて、それが何なのかが分かりました 」

「 え? そうなの? 何? 」

「 秘密です 」

 悪戯そうな視線で八代を見ながら、美緒は、そう答えた。

「 何だよ、教えろよ 」

「 まだ、よく考えなくっちゃ 」


 今、また冬の風が、美緒の衿元を揺らした。 だが、寒さは感じない。


 八代が言った。

「 さっき、登って来た小道で、美緒ちゃん、転んだのを覚えているかい? 」

 

 ・・・風に揺れる、ススキの穂。

 誰かが、転んだ。

 淡い記憶に聞こえた、誰かの泣き声・・・


 そうだ。

 あの夢に出て来たのは、自分だ。

 泣き声の主・・・ それは、美緒自身だったのだ。


( さっき登って来た小道の二股の分かれ道を・・ 右に下った所に、あたしの家があった・・・! )

 更なる、記憶の応酬。

「 ・・今、思い出しました。 八代さんに呼ばれて・・ 急いで坂を駆け下りようとして・・・ 」

 八代を見つめつつ、遥かなる遠い記憶を心に映しながら、美緒は答えた。

 茜色に染まった頬を緩ませ、微笑む、八代。

「 下の母屋から、オフクロが呼んだんだ。 夕飯の支度が出来た、ってね 」

 美緒も、笑みを浮かべ、言った。

「 その日も、味噌煮でした? 」

「 もう1度、食べていくかい? 」

 微笑ながら下を向くと、美緒は首を、ゆっくりと横に振った。

 小さなため息をつきながら、八代は言った。

「 そうか・・・ また、来てくれよ? 」

 悪戯そうな目を上げ、美緒が答える。

「 来て頂けるのは、八代さんの方じゃなかったかしら? 」

「 ははは、そうだったな。 でも、この前、行ったじゃないか 」

「 急に、来て下さるなんて・・ フェイントですよぉ~ 」

「 じゃ、今度は前もって連絡してから行くかな。 ・・でも正直、都会は苦手だ。 みんな、みんな・・ 慌しそうでさ。 確かに、街は煌びやかだけど・・ 騒々しくて、俺には、合わんよ・・・ 」

 美緒は、クスっと笑うと答えた。

「 東京だって、良い所は沢山ありますよ? 今度、ご案内しますね 」

「 金が掛からず、静かで、景色の良い所ならね 」

 ウインクしながら、八代が言った。


 次第に暗さを増す、西の空。

 時折、吹く冬の風が、美緒の髪を揺らす。

 1番星の輝きは増し、さながら、空に浮かぶ宝石のように瞬いていた・・・

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