第9話 襲撃

「要するに! エルフ保護特区は、極めて健全に運営されている、ということです」

「保護区の管理人になっても、危険リスクはない……と?」


 そう問うと、八木さんの形の良い眉が少し下がった。


「……それは……ですね……」


 まだ出会って数時間だけど、ぼくはこの飄々とした官僚に、好感と信頼のような感情を抱きはじめている。


「……正直なところ、危険がないわけではありません。実のところ……。ですが、エルフたちは善良で聡明です。私もサポートします。頼りなく見えるかもしれませんが、これでも一応、官僚なので! ははは……」


 この人は、頭がいい人だ。そしてたぶん、露骨な嘘をつくのが苦手だ。


「この世界に、安全な場所なんかないよ」


 ルシルがぼそりと呟いた。

 その口調があまりにも暗かったので、ぼくはびっくりして彼女のほうを見る。

 彼女はこちらに一瞥もくれず、前方に向かって顎をしゃくった。


「ほら、着いたよ。あそこが保護区の共同墓地。ソージローも、あそこに眠っている」


 見通しの悪い道を抜けると、一気に目の前がひらけた。丘の頂上についたらしい。

 その中心に、大きな樹木が立っている。屋久島の縄文杉を思わせる太い幹と、レインツリーのように大きく広がった枝が目を引いた。

 そして、その樹はまるで人の掌のような、不思議な形の葉をつけていた。


「この保護特区には、あたしたちがもともと住んでいた場所——デルスメリア聖王国の本領から持ち出せたものはほとんど残っていない。数少ない例外が、あの樹よ。聖王国の中心たる世界樹の枝を移植し、60年かけて育てたものなの」

「異界の樹、か……」


 樹の根本には、幹を取り囲むように、おびただしい数の小さな石碑が並んでいる。

 数十か、あるいは百以上あるかもしれない。そのほとんどがこけむし、設置された時期の古さを物語っている。


 その光景を目にしたとき、かすかな違和感を覚えた。

 しかし、違和感の正体について考える前に、ルシルがぼくの手を引いた。


「こっちよ」


 柔らかい指の感触にドキドキしながら歩を進めると、幹から少し離れた場所に真新しい石碑が一つ立っているのに気付いた。

 碑文には日本語で「我らが友 西鷺宮草二郎 ここに眠る」と書かれており、その下にエルフ語と思われる未知の文字が綴られていた。


 祖父の墓には、寄り添うように二つの石碑が立っていた。

 どちらもかなり古そうだ。設置から数十年が経過していると思われた。


 ルシルは石碑のそばにしゃがみ込むと、小さな子供を相手するように話しかけた。


「ソージロー、ミツルを連れてきたよ。跡継ぎを引き受けてくれるかどうかは分からないけどね。あと、マリコももうじき来ると思う。久しぶりに騒がしくなりそうだよ」


 ルシルの優しい口調に、ぼくは思わずドキリとなる。これまで彼女が見せていた粗暴な言動からは想像もできない、優しい声色こわいろだった。

 ルシルが祖父とどういう関係だったのかは分からないけど、彼女が祖父に深い親しみを持っていたのは間違いないだろう。

 会ったこともない人だけども、自分のルーツにあたる人物が好意を向けられている様子を見るのは、ちょっと誇らしかった。


「……ぼくも、手を合わせていいかな」


 そう言うと、ルシルは黙って墓の前の場所をぼくに譲った。

 ぼくはルシルと同じようにしゃがみこみ、石碑に向かって手を合わせた。


 正直、こうして手を合わせていても、ここに眠っている人が自分の血縁だという実感はまったく湧かなかったけれど、あとでルシルや八木さん……そして、母さんに祖父のことを聞いてみよう。


 そんなふうに、しんみりしていたときだった。


——ウウウウウウーー!


 耳を聾するサイレンが、突如として丘に響き渡った。

 ぼくは弾かれたように立ち上がり、八木さんに目を向ける。

 このサイレンはなんだ……?


 ぼくの視線を受けた八木さんは、硬い表情でスーツの胸元に手を差し入れた。

 そこから出てきたのは、小型の無線機。八木さんは無線機のボタンを押すと、慌てた口調で話しかけた。


「こちら八木! 状況を報告してください!」


 その呼びかけに答え、無線機から割れた音声が流れる。


『次元ホール周辺にが発生しました。歪みの位置はホール上空、異常レベルは3。飛行能力を持った大型モンスターの出現が予想されます』


 、だって……!?

 狼狽ろうばいするぼくをよそに、無線機は矢継ぎ早に言葉を紡ぎ出す。


『非戦闘員に向けて公民館への待避を勧告しました。ホワイトウィンド隊が迎撃準備中。地上の援護はグリーンリーフ隊。5分後に出撃します』

「了解! こちらはミツルさんの保護を優先します」


 ぼくは、慌ただしく言葉を交わす八木さんからルシルへと視線を移した。


「いったい、何が起きているんだ……?」

が来たんだよ。さっきユウが言いかけた、の正体」


 緊張をにじませる八木さんとは打って変わって、ルシルは落ち着き払った様子だった。


「あれを見て」


 ルシルの指が示す方向は、ここや村の中心部から遠く離れた、森の上空だった。

 目をやると、そこには黒いガスが渦を巻くような、不吉な何かが発生していた。

 ぼくがあっけに取られているうちに、渦はどんどん大きくなっていく。


「敵って、どういうこと……?」


 ここは平和なエルフの村なんじゃないのか?


「これから、あの歪みから姿を表すのが、あたしたちの敵。デルスメリア聖王国を滅ぼし、多くの仲間を殺した相手……。あちらの世界を我が物顔で闊歩かっぽし、隙あらばこちらの世界への侵略を試みる、魔族の軍団だ!」


 ルシルの言葉を聞いた瞬間、ぼくはさきほど感じた違和感の正体に気がついた。

 

 八木さんの話から察するに、エルフたちは非常な長寿だ。そして、この保護特区が出来てからは60年しか経過していない……。


「まさか、この墓は……」

「大半は、魔族との戦いで命を落とした者の墓だよ。故国を滅ぼされたあたしたちは、ゲートを通ってこっちの世界に逃げてきた。そしてソージローとともに、奴らのさらなる侵略を阻止する防人さきもりになった。保護なんて言葉は、こっちの世界の一部のお偉方に向けた、うわべの言葉よ」


 ルシルの目がすっと細まり、唇が弧を描いた。


「あたしたちの装備が貧弱だったときは、襲撃のたびに何人ものエルフが命を落としたの。でも、ソージローが積極的に持ち込んだ科学技術は、あたしたちを無敵の部隊へと変えていった。あたしたちはもう負けない。誰も殺させない」


 一瞬の間をおいて、ぼくは彼女が笑ったのだと気づいた。


「ミツル。あなたに、あたしたちの戦いを見せてあげる」

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