ヘラブナ釣り

 私達は、私と貴弘、麻衣と正樹がペアを組んで、レンタルしたボートに乗って、湖に漕ぎ出し、ヘラブナ釣りを始めた。


 莉子は、不満を呟きながらも、私と交代でヘラブナ釣りをすることを受け入れてくれて、岸辺に置かれたベンチに座って、順番が回ってくるまで、携帯で暇をつぶしている。


 ただ、貴弘と一緒にヘラブナ釣りを始めたのはいいけれど、釣りの経験がまったくない私は、一時間近く経つっていうのに、一匹も釣り上げることができないでいた。


 貴弘はというと、既に五匹目を釣り上げようとしているところだ。



「結構、釣れるもんなんだな」


 貴弘が、またしても見事に釣り上げたヘラブナを、バケツの中に入れて泳がせながら。


「利き手じゃないのに、よくそんなに器用に釣れるね」


 全然釣ることができない私は、感心しきり。


 貴弘の利き手の右手には、いつも通り、白い毛糸の手袋が嵌められている。あの時、私のピンチを救ってくれたその右手が新しく負ってしまった傷は、もう瘡蓋も剥げかかっているって聞いていた。



「貴弘って、釣りの経験あるの?」


「いや、俺が釣ったことがあるのは、夏祭りのボンボンくらいだな」


「そう言えば、小学生の頃は、よく一緒に夏祭りに行ってたよね」


「お前、ボンボン釣るの下手なくせに、どうしても欲しいって言うから、いつも俺が代わりに、お前の分を釣ってやってたっけな」


「そうだったっけ?」


「都合の悪いことだけは、ちゃっかり忘れてるんだな」


 貴弘が呆れたように。


「貴弘はピアノ弾いてたから、手先が器用だったんだよ」


 私が不器用だからってわけじゃないはず。


「そういや、俺が事故って以来、夏祭りに行ってないな。お前、行ったか?」


「ううん。行ってない」


 麻衣に、夏祭りに行こうって誘われたこともあったけれど、私は、胸の内に大事に仕舞っておいた貴弘との思い出が、そうすることで、塗り潰されて消えてしまうんじゃないか不安で、それを断っていた。



「夏祭り、もうすぐのはずだよな。久しぶりに二人で行ってみるか」


「ほんと? うん、絶対そうしようね」


 貴弘との夏祭り。また夏休みの楽しいイベントが増えてしまった。


「おっと、そろそろ時間だな」


 腕時計を見て、貴弘が言った。


「莉子のやつをあんまり待たせると、後でうるさいだろうからな。いったん岸に戻るぞ」


「そうだね。そうしてあげようか」



 貴弘は、ボートを漕いで岸に戻り、欠伸しながら携帯を眺めていた莉子を、私と入れ替わりに乗せ、もう一度、さっきまで私達が釣りをしていたところまで、ボートを漕いで行った。


 一人になった私は、ベンチに座りながら、皆がヘラブナ釣りを楽しんでいるのを眺めた。


 貴弘達とは少し離れた場所で、ヘラブナ釣りをしている麻衣と正樹は、釣り糸をからませ合って、お互いに、「おまえが悪い」、「あんたが悪い」と、責任を擦り付け合ったりしている。


 教室でふざけ合ったりしてる時と、まるで変わらない二人。喧嘩になることも多い二人だけど、いつも正樹が先に折れて、その後は、仲の良い友達に戻る。


 麻衣は、正樹のことなんか全然気にしてない、みたいに言ったりはしているけれど、ほんとは、友達以上の感情も持ってるんじゃないかな。


 お似合いのカップルなんだから、早くくっつけばいいのに、なんて思ってしまう。


 でも、両想いだったとしても、どっちにも照れや恥ずかしさがあって、中々告白には踏み切れないような気がするから、二人が、彼氏彼女の関係になるのは、当分先のことのような気がする。



 貴弘と莉子のペアはというと、貴弘がヘラブナを一匹釣り上げるごとに、


「すご~い! 貴弘って、ちょー釣り上手いんじゃん!」


 みたいに、莉子が、甲高い歓声を上げるのが、湖岸まで届いて来る。


 貴弘も、それがまんざらでもないみたいで、楽しんでいるみたいだ。



 私は、そんな二人を、遠目に眺めながら、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけだけれど、嫉妬を感じてしまっていた。


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