第30話 迷い人



「うるせぇぇええ!」


「うわっ!?」



突如聞こえた声に、俺は情けない声と共にビクリと肩を揺らす。

勢いよく声がする方を振り向くと、作務衣姿で仁王立ちをしながら俺を睨む山中さんがいた。

先程怒られたこともあり、恐怖心がさらに増す。

そして、どちらかというと、山中さんの声の方が大きい。



「えっ…と、すいません、その……」



俺は視線を山中さんに向けながらも、人差し指で森を差す。

その様子に怪訝そうにしつつ、山中さんは森を見た。

そこにいいたのは先程と変わらずに、立ち尽くしたままの姿の女性だ。



「おわっ!?オバケ!」



俺と同様に山中さんもびっくりする。

そのやり取りを見ていて少し冷静になった俺は、立ち尽くしている女性を見つめた。

あの時は、井戸から出てくる某ホラー映画のようだと思っていたが、よく見れば髪はそこまで長くない。

顏も髪だけでなく、ただ俯いているだけで見えなかったようだ。

しかし、辺りは薄暗いせいで、女性ということしかわからない。

靄は感じられないが、『此の世ならざるモノ』の可能性も捨てきれないのだ。



「……あの、貴女は……、ヒトですか?」



恐る恐る尋ねると、言葉に反応するように女性の肩が小さく震える。

そして、その女性がゆっくりと顏をあげた。



「ふぇー…私はオバケじゃないですよ!ひどいぃぃ…ぐすっ」



顔を上げたかと思ったら、一度怒鳴って再度俯いてしまった。

これは本当にヒトなのかもしれない。

再度山中さんに視線を向けると、俺の視線を感じて少し気まずそうに視線を逸らす。



「……山中さんが泣かしたんですよ」


「う、うるせぇな!夜に女が森にいるなんて普通じゃねぇだろ!」


「ひどいぃぃ」


「……うっ」



山中さんの言葉で、女性の泣きがさらにひどくなってしまった。

その様子に、山中さんはさらに困惑してしまう。

男の前ではすごく男らしいのだが、どうやら女性の対応は苦手のようだ。



「と、とりあえず、森から出てきてください」



そう問いかけると、女性がコクンと頷き、葉音を立てながら森から出てきた。

そのまま俺と山中さんの前までやってくる。

結界に異常がないのが、少なくとも俺達に害を成すモノではないようだ。


(……やっぱり、ヒトなのだろうか?)


森から出てきたことで、淡い月の光で照らされて、女性の容姿が少しずつわかるようになってきた。

俺達の前まで来たところで、ゆっくりと視線を上げた。

涙を溜めている様子で、伺うように俺達を見ているようだ。

あ、もしかして、怪しまれているのだろうか?



「えっと…!あの、俺…僕達は、この桃華八幡宮の神主です!今は見回り中で、その……怪しいモノではないです」



こんな暗がりの森の近くで作務衣を着た男が二人がいるなんて、怪しまれても仕方ないだろう。

それ以上に森に1人でいる女性の方が怪しいと思うのだが。

しばらく沈黙はあったが、その女性は安心するようにほっと息を吐き、しっかりと顔を上げた。



「すいません、ここの神主さんだったんですね。良かった。もう1人で、暗くて怖くて」


「あの、こんなところで立ち話なのもあれなので、とりあえず、神社の中にどうぞ」



夜に神社に来る参拝者は少ないのだが、こんな暗がりで怪しい男が2人と泣いている女が1人なんて、通報されかねないのだ。

手で道を示し、俺が先導しようと右足を一歩出した時、足元に何かが当たった。



「おっ!?とっと……」



俺の足元にいたのは、先程の二尾の白猫だ。

危うく踏むところだった、危ない危ない。

白猫は「にゃあ」と小さく鳴いて、森の方へと歩いていく。



「大丈夫ですか?」


「あ、はい」


「ちゃんと確認しろよ」


「え?なにかあったんですか?」



山中さんの言葉に、女性が俺の足元を見て不思議そうに首を傾げる。

その様子を見て、俺と山中さんは視線を合わせた。

やっぱりヒトで間違いないようだ。


――しかも、『此の世ならざるモノ』は見えていなようだ。


すると、森に向かって歩いていった白猫が、飛び跳ねるように森の中に入っていった。

同時にガサッという葉音が鳴り、それに驚いた女性が俺の背中に抱き付いてきた。



「きゃっ!?なに!クマ!?」



さらに密着するように背中に柔らかい感触を感じて、思わず肩が強張る。

無意識に両手が上がり、顔に熱が昇る。

助けを求めるように山中さんを見ると、睨むように俺を見ていた。


(ど、どうしよう…!)


焦りと緊張で全身から汗が吹き出る。

混乱しながらも俺は何とか言葉を絞り出した。



「あ、あの!クマはっ…この山にいないです!」


「え?なんだ。じゃあ、猫かな?良かったー」



ほっと息を吐き、後ろからこっそり覗き込むように、森を見る。

葉音を立てたのは二尾を持つ白猫の『此の世ならざるモノ』だ。

この人は見えていないのだから、探しても見つかることはないのだ。

首だけで背中にくっついたままの女性を見ると、女性とばっちりと視線が合った。



「あっ!ごめんなさい!行きましょう!神社へ!」


「えっ?」



この女性も自身がしていることに気づいたようで、反射的に俺から体を離した。

しかし、すぐに恥ずかしそうに俯き、顔を隠しながらも、ぐいぐいと俺の背中を押してくる。

押されるがまま俺は神社の中へと入ることになった。










「お茶を淹れてきます」



ご祈祷控え室に女性を案内し、俺は台所に向かう。

ふと、柔らかい感触が腰にあたった。

先程よりかは低い位置にまわっている手の主で思い当たるのは1人だけだ。



「どうした、璃音りの


「 むぅ 」



腰に抱きついていたのは、俺の使い魔――璃音だった。

首だけで振り向き視線を向けると、頬を膨らませたまま睨むように俺を見上げている。

あれ?俺は何か怒らせるようなことをしたのだろうか、そう思い首を傾げた。



「 あきら。なんでアタシの時はドキドキしないの? 」


「へ?」


「 さっきの人には、顔を真っ赤にして鼻の下を伸ばしてたのに! 」


「い、いや!あれはびっくりしただけで…」



そう言うと「私もびっくりさせたのに!」と怒られてしまった。

まあ、いきなり腰に抱き付かれて、璃音の行動にもびっくりしたのは確かだ。

それでも璃音とさっきの人では少し違うのだ、そう言葉にしたいのだがうまく伝わらない。



「ほら、えーっと…、あのヒトは大人っぽいし、ね?」



そう言いながらも、言葉のミスに気づいてしまった。

璃音は何の勘違いをしたのか、自身の体をたっぷり3秒見つめて、再度顔を勢いよくあげた。

勿論頬から破裂せんばかりの空気を溜めて、俺を涙目で睨む。



「 あきらのバカー! 」


「ごめん!ごめんってば!」



そう半分叫ぶように作務衣を引っ張ってくる璃音。

俺は何とか沈めようと引っ張る手を掴み謝っていたら、突如乱暴に台所の戸が開かれた。

時刻は10時、もう此処には宿直者しかいないので、もちろん入ってきたのは山中さんだった。



「おい犀葉ぁ。1人で喋っているようで怪しまれてるから早く帰ってこい」


「あ、すいません!」


「……俺が気まずいだろうが」



舌打ちと共にそうぽつりと呟く山中さん。

おそらくこっちの方が本音のように聞こえる。

やはり、女性が苦手なのだろうか。すごく意外だ。

俺は慌てて食器を準備し、控え室へと急いだ。



「お、お待たせしました!どうぞ」


「ありがとうございます」



急須でいれたお茶をカップに入れて置く。

そして、お盆を机に置き、女性の正面の席である山中さんの横に腰かけた。

しかし、無言だ。何か話さないのだろうか、と山中さんに視線を向けると、山中さんが何か喋れというように俺に目配せをしてくる。

俺は小さく息を吐き、女性に問いかけた。



「あの、お名前をお伺いしてもいいですか?」


「すいません、私は関口 渚です」


「どうして、森に?」



室内に来たことで女性の容姿がはっきりと見える。

服装は白いTシャツに夏を象徴するような淡い黄色の花柄スカート。

森では暗がりだったこともあり、白っぽい服だったことしかわからなかったので、某ホラー映画のように思えてしまったが、よく見たら普通の恰好の人だった。

髪もそこまで長くはなく、セミロングの髪が少し乱れていただけだったようだ。



「あの、私の愛犬が、森に中に入ってしまいまして」


「犬、ですか?」


「ずっと探していたんですけど、森の中で迷ってしまって、その間に夜になっちゃって」


「そうですか」



悲しそうに俯きながらも、膝に置く拳に力が入る。

すると、少しの沈黙後、関口さんは勢いよく顔を上げた。



「あの!まだ探したいんですが、」


「お手伝いをしてあげたいのは山々ですが、さすがに今日は…」


「ああ、今日はダメだ。もう遅い」



山中さんははっきりと言いきって、女性を見る。

その鋭い目つきは頼もしく思える反面、初対面の人にとってはキツイものに思えるかもしれない。

男としてはすごくかっこよく見えるのだけど、目の前の女性も少し困惑しているように思えた。

まあ、悪い人ではないのだ。少し口は悪いけれど。



「だけど!こんな暗い中で、私の愛犬も…」


「気持ちはわかるが、さっきのように迷わないとも限らない。それに、この森は危ないんだよ」



そうだ。

この森、を含む山は、悪いものが集まりやすいと言われている。

そんなところにいて、この女性も靄に襲われないとは言いきれないのだ。

すると、悔しそうな表情を見せたのだが、それを落ち着かせるように深呼吸をして、ゆっくりと口を開いた。



「まさか、この山には幽霊が多いって噂を信じているんですか?」


「……そんな噂があるんですか?」


「平沢が言ってただろ、心霊スポットとして遊びに来る奴らが多いって。まあ、俺は幽霊話は興味はないが、幽霊よりも怖そうな人間や獣も多いからな」



確かに、女性が1人で山に入るのは、やはり危ない。何がいるかもわからないし。

そして、夏場は夜に観光のために山に入りに来る人が多いって言ってた。

まあ、確かに此処は悪いものが集まりやすい。それは事実なのだ。



「私は怖くありません!」


「……さっき怖いって泣いていたじゃないですか」


「……う」


「 あきら、はっきり言ったらかわいそうだよ 」


「…すいません」



やばい、はっきりと言いすぎた。

そう思っていたら、璃音が女性の後ろからひょっこりと顔を出した。

しかし、この女性は璃音のことが見えていないので、璃音と会話をするわけにいかない。

なんか、すごくやりにくい。



「はぁ。じゃあ、明日の午前ならお手伝いしましょう。その代わり、今日は帰ってください」


「本当ですか!?」


「いいんですか?」



山中さんの言葉に、女性が嬉しそうな笑顔を見せて顔を上げる。

そんなことを勝手に決めてもいいのだろうか。

そう思いながら、山中さんに問いかけると「大丈夫だろ」と軽い言葉が返ってきた。

ううん、山中さんの言葉って自信は感じられるのに、何故か不安になることが多いんだよなぁ。



「じゃあ、俺はこの人を送ってく。犀葉、最終の戸締りよろしく」


「えっ、貴方ですか」


「なんだよ、文句あるのか」


「俺が行きましょうか?」


「お前はダメ。ヘタレだから」



山中さんが関口さんを家まで送ってあげるそうだ。

ヘタレ、と聞いて今日の出来事を思い出して、心に刺さった。

まあ、確かに俺が行って、帰りに『此の世ならざるモノ』に襲われたりしたら、山中さんより的確に1人で対処できる自信はない。

そう思い、2人を見送る為に、俺も鳥居まで一緒に同行した。



「 ねえ、あきら。あの人は、あたしのことが見えないのね 」


「うん。そうだね」



鳥居の前で立ち、階段を下りていく山中さん達を見つめていると、俺の隣にいた璃音がぽつりと呟いた。

その少しだけ悲しそうな声に、思わず俺は璃音の頭を撫でる。

すると、少しだけ嬉しそうな表情を見せて俺を見上げたが、すぐにその表情は不機嫌なものになってしまった。



「え、どうしたの!?」


「 ふーん。どうせ、あたしは魅力がないもーん。さっきの人みたいに、胸もおっきくないし! 」


「違うってば!」


「 ……やっぱり服も可愛いのがいいのかな 」



片頬を膨らませて、そっぽ向くように顔をそむける璃音。

胸なんて見ていないし、と思いつつも、意識したら背中にあたった柔らかい感触を思い出してきて、顔に熱が昇る。

そして、璃音はゆっくりと視線を足元に下げた。

服もいつもと変わらない。宮司さんからもらった緋袴と白衣という巫女の格好だ。

俺はそれで充分可愛いと思うのに。



「璃音は今のままでもすっごく可愛いよ!」


「 ほんと!?ふふ、嬉しいなぁ 」



頭を撫でるだけだったら満足してくれないので、ぎゅっと抱きしめる。

抱きしめたまま何度も頭を撫でると、嬉しそうに腰に手をまわしてくれた。

よかった、とほっと息を吐いていると、嬉しそうな笑い声も聞こえてきたので、思わず俺も嬉しくなった。



「 お兄ちゃん、大好き! 」


「ああ。俺も大好きだよ」



正直なところ、やきもちを妬いてくれたのは少しだけ嬉しかった。

そう言いかけたけど、再度拗ねてしまう気がしたので、その言葉は心の中で留めて、少しだけ腕に力を込めることにした俺だった。







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