第参章 実戦 式神 お友達の章

第29話 文月




「――犀葉、左だ!追え!」


「はい!」



素早い動きで駆けまわる靄を、追いかけるようにして森へと入った。

夜の野山は視界が悪く、月の光でさえも一部しか差し込まない闇に包まれた世界。

それでも、絶対に逃がすものかと目で僅かな影の気配を追った。



璃音りの!」


「 うん! 」



俺が名前を呼んだと同時に、璃音が素早い動きで靄の進行を妨げるようにして立つ。

それに一瞬靄が怯み、動きを止める。

その瞬間を狙い、俺は自身のポケットの中から『呪符』を取り出した。



「行け!」



力を込めた途端『呪符』が青白く光る。

そこから生まれたのは2本の細長い緑色の蔓だった。


俺の神力は「木」だ。

木、火、土、金、水のエネルギーで形成される世界――陰陽五行の中でも、俺は唯一「生命」を司る「木」の神力を持っている。

つまり「木」のエネルギーを使って『呪符』で「木の属性のモノ」を生み出すことができるのだ。



「 ギ、ァア 」



蔓は俺が命じた通りに、靄へと向かい、その体を包むように絡みつく。

その瞬間、俺は『呪符』に力を込め、「命令」を変えた。

すると、今度は蔓は竹へと変化し、何本にも分岐した竹が靄を包む。

四方を囲まれて行き場を失った靄は、そのまま俺の式神の竹によって毬の形の檻に閉じ込められた。

よし、今回はうまく行った!そう心の中でガッツポーズを決め、俺は駆け足でその場所に急いだ。



「璃音、怪我は?」


「 うん、大丈夫だよ 」



にこりと微笑む璃音に、ほっと息を吐く。

そして、集中力は切らさないようにしながらも、俺の竹の檻に囲われている靄を見る。

抵抗するように体を竹にぶつけているが、びくともしない。

素早いだけで、そこまで力の強い『此の世ならざるモノ』ではなかったようだ。

逃げ出せないことを確認して、今度は周囲を確認する。

近くに別の『此の世ならざるモノ』がいるかもしれないので、周囲の確認は必須だ。

周囲の安全確認後、俺は靄へと視線を戻した。



「 ァ、なゼ、」


「……ん?」



靄が包まれた毬を拾ったと同時に、その靄が言葉を発した。



「 ヮ、たシは、会……たかっ、タ、だけのに」


「……貴女は、あの人に会って何をしたかったの?」



なるべく刺激をしないように問いかけると、目の前の靄が一層濃くなる。

そう。この女性の靄は、男の人に憑りついていたものだ。

ある日、突然男性が塞ぎ込むように閉じこもり、食欲も減退し、どんどん衰弱していったらしい。

医者に見せても原因不明と言われ、うつ病ではないかと診断が下る。

藁にも縋る思いで最後に家族が連れて来たのが、この桃華八幡宮だったのだ。

対応したのは、柴崎さんで「女性の霊」が憑りついているということで、邪気祓いをすることになった。

途中、境内で暴れて埒があかなくなったので、力を弱めるために塩水を使った。

すると、すぐに靄は剥がれて逃げるように、この野山に逃げ込んだのだ。



「 会ウだけで良かッタのに、見えナい、声が届カなィ、気ヅいてもらえない……なんでナンデなんで!」


「ちょっと…!」



靄が色濃く渦巻いたと思った瞬間、突如その大きさを増す。

この感覚は、璃音の時と一緒だ。

負の感情を増大させると、靄の姿も濃さも増大するのだ。



「 どうヤッタら、気づいてモラエるのか考えて、考えて考えて考エテ考えた…!」


「待てって!」



嫌な気配がどんどん強まってきたので、思わず叫んでしまった。

少しばかり余裕があった檻も、今はその靄で溢れんばかりに膨らんでいる。

あ、コレはやばい。



「 ―――それなラ、ワタシと同じ場所に来たらいいんだワ 」



ぞくり。

目の前にあるのは靄で、人の形なんて成していない。

それなのに、まるで目の前でその微笑みを見たかのような悪寒。

その瞬間、その質量に耐えきれずに、俺の蔦の檻は壊れた。



(あ、やば…)



檻から溢れた靄が目の前で更に肥大化する。

目の前が黒に染まった瞬間――、



それは " 赤 " に変わった



「熱…っ!?」



熱を帯びた炎が渦巻き、靄を包む。

咄嗟に顔を守るように腕で覆いながらも、目は離さないように光の中心に視線を向け続ける。

轟々と音を立てて靄が燃え、中心から苦しそうな声が聞こえる。



「 グゥ、アツイィ! 」



すると、今度は後方から走る音が聞こえてきた。

その音がする方向に振り返った瞬間、今度は顔に液体が飛んできた。

咄嗟に顔を拭う時に、唇にその液体がつく。



(しょっぱい…!塩水?)



「祓ひたまへ、清めたまへ!」



祓詞はらえことば」が聞こえたと思ったら、後ろで再度光が強まる。

そちらを振り返った瞬間、俺の頭2つほど大きくなっていた靄が、炎と共に消えた。

おそらく俺と一緒に纏めて塩水を靄にもかけていたのだろう。



「さーいーばー」


「……ひっ」



靄がいた場所を茫然と見ていたが、突如強く掴まれた肩の痛みで意識が後方に向く。

このドスの聞いたヤンキーのような声、炎属性、俺の中では当て嵌まる人物は――山中さん、ただ1人だ。

咄嗟に俺は次に来る怒声に身構えた。



「せっかく柴崎さんが体から切り離したのに!せっかく捕まえたのに!『此の世ならざるモノ』の声を聞いて!負の感情を増幅させ!式神が破られただと!?お前はアホかぁ!油断するなってあれほど言ってるだろーが!」


「す、すいません!」



山中さんが言葉の区切りごとに1歩ずつずんずんと近づいてくるので、俺も1歩ずつ下がる。

いつもよりも威圧感が強いので、本気で怒っているのがわかる。

いや、確かに今回は全面的に俺が悪い。完全に油断していたのは確かだ。



「全部の靄が璃音みたいに良い方向になることはない!その見極めをしっかりとしろ!」


「…はい」


「『此の世ならざるモノ』その言葉を、理由を聞きたい気持ちはわかる。だけど、それはどうしても負の感情を増幅することにしか繋がらないんだよ。……俺達が取り込まれたら、誰も救えなくなるだろーが」


「………はい」


「帰るぞ」



山中さんは、正しい。

俺にとって正しい言葉をくれる。

これは祿郷さんや、平沢さんもそうだ。

そしてきっと、今俺が考えていることもわかるのだろう。


靄は負の感情だ。

それはわかっているのだが、熱いと言って苦しむ最後が、少し心苦しかった。

それは初めからもう亡くなっている存在なのはわかっている。それでも、と思ってしまうのだ。

だけど、山中さんの言う通り、それで俺が襲われてしまったら二次災害になる。いや、それ以上に繋がるだろう。



(それでも、救えたら――…)



言葉で説得は難しい。

どうしても靄は肥大化してしまい、手間が増えてしまうのは確実だ。

刺激を与えずに、靄だけを減らす方法はないのだろうか。



そう自問を続けて、もう1ヶ月が経とうとしていた。










7月、文月。

「文月」は、七夕の短冊に書道等の上達を願う言葉や歌を書く行事があったことに因む、「文被月ふみひらきづき」が由来とされている。

俺の神社では、月をこのように漢字で表現する。覚えるのも大変だ。

「すべてのモノには、歴史的意味がある」と瀬田さんが言っていた。

うん、言い得て妙だと思う。


梅雨もやっと明けて、俺の朝のジョギングも再開されている。

しかし、まだじっとりとした蒸し暑い夜が多く、あまり気持ち良く過ごせていないことも多い。

このじめじめした空気は、やはり人の負の感情を増大させることが多い。

つまり、夜の邪気祓いの仕事も増えるというわけなのだ。



「見回り、行ってきます」


「気を付けろよー」



今日は宿直までにいろいろありすぎた。

昨日は雨だったこともあり、今日は湿度も高く、夜も蒸し暑い。

汗もかいたし、塩水も浴びたし、体もベタベタする。

早くお風呂に入りたいのだが、先に今日の業務を終えないといけない。


今日の宿直は山中さんとペアだ。

6月に入ってからは、今まで宿直も3人だったのが、2人になった。

業務も覚えられてきたからと、何度か昼のご祈祷も担当した。

夜の邪気祓いだけはまだ不安があるらしく、未だに3人で市街地を見回っているのだ。

その理由はまさしく今日のようなことが起こりうるからなのだけど。



「ほら、美味いか」



境内の裏手、目の前には尾が2本ある白猫。

これは入社したばかりの時に、間違えて祓いそうになった猫だ。

靄を纏っていなく、害もない。

山中さんがいつも餌をあげていたので、俺も同じように餌をあげていた。

ポケットに忍ばせておいた3本の煮干しを床に置くと、嬉しそうに噛みつき、その場で食べる姿は、普通の猫と変わらないくらい愛くるしい。


(そう、普通と変わらない)


『此の世ならざるモノ』の人間も、靄さえなければ、話ができるのに。

そうすれば、説得して成仏できるのではないかと、淡い期待がずっと心の中にあるのだ。


―――あの、洋館で出会った純粋無垢な少年のように。




ガサガサ




突如背後の林から、聞こえた音。

思わずビクリと肩を揺らし、身構えるように振り返る。

目の前は森の中。まだ何も見えない。



ザク ザク



よく聞くとそれは確かに足音だった。



(足音ってことは人間か?いや、『此の世ならざるモノ』も足音をたてる奴はいるし)



咄嗟にポケットにある塩水を手に持つ。

もし『此の世ならざるモノ』だった時に、すぐに対処できるようにだ。

すると、ふと俺の足に何かがあたった。



「おわっ!?あ、猫か」



その柔らかい感触は、俺にすり寄ってきた2本の尾を持つ猫だ。

山中さんをはじめ、人に良く懐いていて、こうしてすり寄ってきてくれることも多い。

ああもう本当に可愛い。そう思って、森から一瞬目を離してしまった。



「だすけてぐださーい」



その瞬間、俺の声に気づいたように足音が一層大きくなる。

近づくように大きくなる足音に、驚きと恐怖を感じつつも視線を戻した俺が見たモノは、茂みから出た―――髪の長いヒトだった。

それが某ホラー映画の井戸から出てきた女にそっくりで、



「ッ!? うわあああぁぁあ――――!?」



本日一番の、俺の悲鳴が神社に轟いた。





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