第31話 犬探し



「おはようございます、神主さん」


「……あ、おはようございます、関口さん」



時刻は朝の8時。

朝の宿直業務を終えたところで、昨日の女性――関口 渚さんが神社にやってきた。

昨日と服装が変わり、今日は胸にブランドロゴが入った白Tシャツの上に、虫よけのグレーのパーカー。

そして薄めのダメージジーンズに赤いスニーカーというボーイッシュな格好だった。

山に入ることを考えてか、頭には黒のキャップを被っている。

昨日とまた雰囲気が違う格好に驚き、一瞬言葉に詰まってしまった。

大学時代は他学科で女性も多かったのに、経った3ヶ月ほどで女性に免疫がなくなってしまうのか。解せぬ。



「今日の愛犬探しは、俺だけが同行します。すいません」


「い、いえいえ!お仕事中なのに、お手伝いをしてもらってすいません。あと探してもらう犬は茶色と白の柴犬です。首に赤い首輪とリードがついたままだと思います」



関口さんが来た時に、山中さんに聞きに行ったところ「お前1人で行け」と言われてしまった。

一番の理由は、神社の人手不足だ。確かに。

これはお金をもらうわけでもなく、ただのボランティアだ。

「よく許可をもらえましたね」と尋ねると、「昨日の夜に" 愛犬を探すために山に入る! "と泣きわめき、制止を振り切ってまで山に入ろうとしていたので、明日に手伝う約束をして何とか帰ってもらいました」と説明をしたらしい。

大まか言えば間違ってはいないが、それは話を盛りすぎではないかと思ったが、宮司さんは笑いながら許可を出してくれたらしい。

その宮司さんのその笑いは、どちらの意味なのかは、俺にはわからない。



「わかりました。あの、関口さんは大丈夫ですか?今日は……」



今、勝手に学生かと判断して「学校は」と繋げそうになってしまったのだが、学生であっているのだろうか?

いや、大人っぽいし、むしろ社会人ではないだろうか。

どうやっていえば、失礼にならないだろうか?

答えが見つからずに悩んで、言葉を繋げられないでいると、関口さんがそんな俺を見て小さく笑った。



「ふふっ、大丈夫ですよ。私は今大学4年生なんです。今日は学校はお休みです」


「じゃあ、きっと歳も近いですね。俺は今年社会人1年目の23歳です」


「そうなんですか!確かに近いですね!私は22歳です」



22歳か。

去年はたくさん遊んだなぁと1人で回想に浸りながら、山道を進んでいく。

大学生は1人暮らしだったこともあり、すごく楽しかった。

別に今の職場が楽しくないわけではないが、やはり自分だけの自由な時間がある日々は魅力的だったのだ。



「神主さんってもっと年配の方がしているイメージでした」


「そうですか?」


「髪は……坊主じゃないんですね」


「それはお寺ですよ!お坊さんも宗派によっては有髪の人はいますからね」



ちなみに、神主も髪型の制限はある。

前は目元、横は耳よりも長くなってはいけない。

まるで中学や高校の時の、頭髪点検のようだ。



「あ、じゃあ、お経とか唱えるんですか?」


「お経はお寺。神主は祝詞のりとを唱えます」


「じゃあ、南無阿弥陀仏もお寺?」


「そうですね」


「うーん、違いがいまいちわかりません」



お寺と神社――つまり仏教と神道は間違えられやすい。

それは仕方ないのだ。

「神仏習合」という言葉の通り、多神教である日本には2つの宗教が混じり合って広まっていた。

この2つの宗教は、実はまったく意味の違う宗教なので、並行して成り立つのだ。



「まあ、簡単いえば、仏教は死んだ後に天国に行けますようにと願う宗教で、神道は生きている時に平和に暮らせますようにと願う宗教だよ」


「おお、わかりやすいです。さすが本職ですね」


「ははっ、ありがとうございます、関口さん」



そう説明すると、拳を立てて手のひらにぽんと置きつつ納得をしてくれたようだ。

大学で得た知識ではあるのだが、雑学として役に立って良かったと心の中でほっと息を吐く。

すると、横を歩いていた関口さんが、歩みは止めずに俺に向き直った。



「神主さん、私のことは" 渚 "でいいですよ。敬語もいらないです」


「い、いや、さすがにそれは…」


「あと、神主さんのお名前を聞いてもいいですか?」


「お、俺は、犀葉 瑛です」



歳が近いとわかった瞬間、ぐいぐいと距離を詰められるような感覚だった。

大学生時代に合コンをした時以来の感覚に、少しだけ困惑する。

しかし、これは仕事ではなく、ボランティアに近いのだ。

初めての土地で、初めてヒトの女の子と知り合えるなんて、少し嬉しいし。



「では、犀葉さんと呼びますね」


「俺だけ敬語をやめるのはちょっと心苦しいから、渚さんも敬語をなくしてもらってもいい?」


「うん。犀葉さん、よろしくね」



少しだけはにかむような笑顔が眩しい。

宮司さんはふんわりと花が咲くように笑うので、色気を感じてとても魅力的だ。

それと対に渚さんはぱっと咲く花のように笑う。コロコロ表情が変わるのも見ていて飽きない。

夏に咲く大きな黄色い花にふさわしい女性だと思う。



「うん、よろしく。……――いてっ!?」



突如脇腹に感じた痛みに、思わず声をあげてしまった俺。

振り返ってみると、そこには璃音がいた。

正確にいえば、昨日の夜のように頬を膨らませながら、上目遣いで俺を睨む璃音がいた。

あ、これはやばい。



「どうしたの?」


「い、いや、なにか虫が当たったみたいで……、ちょっと俺、そこの茂みを探してくる!渚さんは右側をよろしく!じゃっ」


「え、ちょっと…!」



とりあえず、璃音の手を引いて森の中に入り、渚さんの見えないところに隠れる。

そして、璃音に向き直ると、璃音は頬を膨らませたまま黙っている。

ああ、少しだけ気まずい。どうやって機嫌を直せばいいのだろう。



「 あきら、デレデレしてる 」


「してないよ」


「 してるもん! 」


「わかった。ごめんね。後でいっぱい遊んであげるから、今だけは我慢してくれ」


「 ふーんだ 」



そう言葉で言いながらも、ぎゅっと抱き付いてきてくれる。

可愛いなと思いつつ、甘い栗色の髪を撫でた。

すると、少しの間、嬉しそうに目を閉じたかと思うと、今度はぱっと顔をあげて俺から離れた。



「 あきらのバーカ 」



俺にべーと舌を出し、ふわりと身体を浮かせ、璃音はどこかへと行ってしまった。

おそらく方向的に神社の方だろう。

それならいいか、と溜息を零し、茂みから出て山道に戻る。

先程一方的に解散を告げた場所には、渚さんはいなかった。



「渚さーん!」


「っ、はーい!」



山道を歩きながら呼んでいると、右の方で声が聞こえた。

その声がする方へと俺は進んでいく。

此処は山だが、一応通れる幅の山道がいくつもある。

その中でも一際細い道の方から声は聞こえた。



「渚さん、そんな奥に行くと迷いますよ」


「すいません。こっちにいる気がして。あの道から入って、茂みをずっと辿ってここに出たの」



小走りで声がする方へ向かうと、道ではない茂みの中から渚さんが出てきた。

そういえば、昨日の夜も茂みから出てきたように思う。

この人はもしかしたら、勢いと直感だけで探すタイプなのかもしれない。

つまり、生粋の方向音痴なのではないだろうか。



「一応茂みに入ったら、なるべくそこから出てこないと、この山は迷う。なにがいるかもわからないし、気を付けないと」


「なにって、なにがいるの?獣といってもクマはいないんでしょ?」



きょとんとした表情で聞き返してきたので、言葉に詰まってしまう。

昨日は夜だから、余計に危ないと意識してもらえたようだが、今は朝方だ。

なんて返答すればいいのかと悩んでいると、渚さんは俺を見て笑みを深めた。



「犀葉さんはこの山に幽霊がいるって信じているんですか?」



その表情は、少しだけ好奇心が混ざっているように思える。

それはそうだ。やはり、現代人の会話といえば、一度は友達と幽霊話で盛り上がるだろう。

研修会で言うならば、大学の友人とした幽霊屋敷の時の表情に似ているように思えた。



「さあ、どうでしょう」


「えー、ずるいー」



敢えて、含みを持たせるように笑顔で返す。

すると、渚さんは少し驚いたように瞠目し、再度楽しそうに笑う。

これはいつもの癖なのだ。

幽霊や『此の世ならざるモノ』の話の時はなるべく避けてきた。

見えないって嘘をつくのにも慣れていたが、あまり良い思いをしていないのも確かなのだ。



「じゃあ――…ッ!?」



ぞくり。

繋げようとした言葉は、一瞬にして消えた。

いきなり足を止めてしまった俺に、渚さんは不思議そうに首を傾げて俺を振り返る。

気配は左からだ。そう思って、視線を移し、目を凝らす。

すると、左からガサガサという足音が聞こえてきた。



「あ!ララ!」


「あっ!ダメだって!」



俺よりも一歩先にいた渚さんには、その足音の正体がわかっていたようだ。

思わずその足音に向かって駆け出したので、俺も慌てて止めるために駆けた。



「ッ!」



そこにいたのは、確かに犬だった。

整った茶色の毛並み、くりんと丸まった尻尾、目元の白のワンポイントも魅力的な特徴この犬は、人気の犬の一種だ。

赤い首輪とリードもついているので、この犬で間違いないのだろう。

だが、少し雰囲気がおかしかった。

以前出会った兎ほどではないのだが、目が血走ったように赤く、今にも噛みつきそうな風貌でこちらを睨んでいたのだ。

兎と違い、犬なので人見知りをしていると言われてしまえばそこまでなのだが、どうも様子がおかしい。



「ララ!おいで!」



しかし、渚さんはそんなことに気づかずに、一目散に走り、犬を抱きかかえようと手を伸ばす。

その瞬間、確かにその犬はその細い腕に噛みつこうとその大きな口を開けた。



「きゃっ!?……いたっ」


「すいません!」



咄嗟に俺が肩を掴み、思いっきり後ろに引いたことで犬は対象物を噛めずにカキンという歯が合わさる音が聞こえた。

危ない、とほっと息を吐くのもつかの間、俺はポケットから塩水を取り出す。

3つしか持ってきていないのだが、こういう時でも、きちんと持っていて正解だった。



「え!?なに?どうして、私を噛もうと……」


「危ないので、そこにいて。少しだけ手荒なことをしますが、許してください」



渚さんは尻もちをついたまま混乱しているようだ。

まあ、仕方ない。再度向かうよりも、そこで座っていてくれた方が、なんとかなりそうだ。

視線を前に戻し、渚さんを庇うように前に出た。


(さて、認識からだ)


まずは強さのランクからだ。

おそらく、きのえ(一番低級。黒い靄に近い。殆ど霊体化できない)ではない。靄ではなく、何かに憑りついているのだから。

そうすると、残りは2つだ。


きのと  霊体化できるが黒い靄に近い。モノに憑りつくが、安定せず剝がれやすい


ひのえ  霊体化でき、殆どがモノに憑りつき操る。異常行動や人に害を成すことが多い


それ以上のランクはおそらくないだろう。

霊として実体しているわけではないし。



「……おそらくきのと



以前に出会った野兎よりも纏っている靄は少ない。

体に薄い膜のように纏っているくらいだから、そんな大きなモノでもないのだろう。

昨日飼い主とはぐれたばかりなので、憑りつかれたばかりの筈だ。

深さは3段階。


霊触れいしょく 触られる程度。殆どの人が気づかない。塩水や塩で簡単に清められる。

霊障れいしょう 憑りつかれ、体調や行動に異常が生じる。低級であれば、塩水などでも清められる

霊媒れいばい 憑りつかれ、完全に一体化した状態。神社でないと剥がせられない


憑りつかれているので、霊触ではない。

霊障と霊媒のどっちかは見ただけではわからない。

でも、まだ初期の段階だ。



「……たぶん、霊障だ。よし」



一瞬、璃音のことが頭を過った。

璃音は使い魔だ。俺が呼べばその声は彼女に届き、手伝ってくれるだろう。

だけど、それだけでは俺はいつまで経っても強くなれない。

護りたいと思う少女に、手伝ってもらうだけじゃダメだ。


(これくらい、1人でできないと…!)


そう決意し、小瓶を強く握りしめる。

塩水が入っている小瓶の蓋をあけたとほぼ同時に、犬が警戒するようにぴくりと反応を見せる。

すると、威嚇するように喉を鳴らしていた犬が、噛みつくように飛び掛かってきた。

その犬を避けようとしたのだが、咄嗟に後ろに渚さんがいることを思い出した。



「……いっ!」



判断が遅れて、咄嗟に庇うように出たのが左手だった。

左腕を噛みつかれ、そのまま体勢を崩し、樹木に背をぶつけた。

牙が腕に食い込み、鋭い痛みがはしる。

無理矢理お守りで払いのけようとしたのだが、ふと視界に渚さんが入る。



「――ッ、祓ひたまへ……清めたまへッ!」



噛みつかれた状態で、何とか右手で塩水を犬に向かってかける。

その瞬間、犬はびくんと大きく体を揺らし、俺の腕から離れて地面に転がった。

それと同時に、靄の塊も犬から離れて少し離れた場所に落ちる。



「ララ!」



渚さんが犬に向かって走っていき、犬の容態を見る。

意識はないようだが、身体が呼吸に合わせて上下していた。

ほっと安心するように息を吐く渚さんを見て、俺も安心し、靄へと意識を向けた。



「……祓ひたまへ、清めたまへ」



1回塩水をかけただけで、再度動く気配はないようだ。

反対のポケットから2つ目の小瓶を出し、その靄にかける。

すると、苦しむように多少蠢いたが、そのまま煙のように消えてしまった。



「……犀葉さん、さっきのは……貴方は…っ」


「もう、大丈夫ですよ」



渚さんが驚きと困惑と疑念が混ざり合った瞳で、俺を見つめる。

ああ、この表情には慣れている。

昔、他の人には見えない「何か」と話していることを、見られた時の表情と一緒だ。


(……この感覚も久しぶりだ)


奇異の瞳で見られることへの恐怖、不安。

さっきまで楽しく話せていた関係がすべて崩れていくことの僅かな悲しさと虚しさ。

痛む腕を何とか我慢し、彼女を安心させるための笑顔をつくるように努めた。



「え、大丈夫って……」



驚くように渚さんが目を見開く。

渚さんの腕には眠ったままの愛犬がいる。



「そのワンちゃんはもう噛みついたりしないよ。すいません、最後に清めたいので、あと少しそのワンちゃんを借りてもいい?」


「は、はい…!」



いつの間にか、敬語に戻ってるなぁ。

そう苦笑しつつ、渚さんは愛犬をそっと地面に寝かせる。

そして、最後の1つの塩水を出し、そっと犬にかけた。



「……祓いたまへ、清めたまへ」



すると、璃音の時と同じように、落ちきれなかった靄が洗い流される。

先程よりも血行が良く、表情も少しだけ和らぎ、呼吸も安定しやすそうだった。

ほっと安堵の息を吐き、渚さんに視線を移したがすぐに逸らす。

俺に向けられる視線に、耐えられる自信はなかった。



「えっと…、一応渚さんも清めたいので神社に来てもらえますか」


「わ、わかりました…!」



視線を逸らしたまま、そう言葉を紡ぐと、返事が返ってきたので安心して俺は歩き出した。

どう思われているのだろうか、と不安事が頭を過るが、なるべく考えないようにして神社に向かって歩く。

目的は達成できたはずなのに、行きはあんなに軽かった足取りが、帰りはすごく重く感じた。






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