第6話 宿直―壱
チュン チュン
曇銀の空が、雀の声と共にゆっくりと晴れていく朝 5時。
少しずつ、太陽が昇るのが早くなってきたなぁと思いながら、右足を後ろに下げアキレス腱を伸ばす。
すると、後ろから戸が開く音が聞こえたので、俺はストレッチをしながら振り向いた。
「……んー?犀葉?」
「ん?成川か?」
「おう。おはよう!ジョギングか?」
「ああ。成川も?」
出てきたのは成川だった。
上下ジャージ、運動靴を履いているのなら目的は俺と同じなのだろう。
「道理で最近犀葉、走る体力ついたなって思ってたんだよなー」
「まだ走り出して2週間くらいだけどな」
「一緒に走ってもいい?」
「ああ。あの赤い太陽に向けて共に走ろうではないか!」
「まだ太陽は出てないけどな」
びしっと空を指さし、ちょっと声も低くして青春漫画風に言ってみる。
どう?かっこいい?と聞くが、冷静な突っ込みと冷めた目が返ってきた。
なんだよ、もっと乗ってくれてもいいじゃないか。
成川を待つ間に俺も念入りにストレッチをして、どちらからともなく俺達はゆっくりと走り出した。
朝から成川と走ったおかげか、目もすっかり冴えて、いつもよりちょっと早めに家を出た。
朝5時に人と会うのは少ないが、6時30分となると出勤の為に自転車で走る人やジョギングをしている人をよく見かける。
田舎のためか、大体会う人はいつも同じで、すれ違いざま「今日はこの人不機嫌だな」とか観察しながら歩いていた。
そんなことを考えて歩いていたら、今度は前から歩いてきた女性と目が合う。しかし、すぐに逸らされ、下を向いて速足で俺とすれ違った。
え、そんな嫌そうに逸らさないくてもいいだろう。
心に傷を感じながらも、ポケットに入っていた携帯に意識を逸らしてみる。
時刻は6時35分、やっぱり早い。あ、歩きスマホはダメだよ!
神社に着いたら境内を歩いていた人影が見えた。
黒の短髪、朝日に照らされてきらりと銀縁の眼鏡が光っている―――
「おはようございます」
「おはようございます、犀葉くん」
「瀬田さんは、今日は
「うん。犀葉君は今日から
「はい!」
今日から俺は
瀬田さんと分かれた俺は
「研修を始める前に、これを試着する」
今日は午後はすべて「邪気祓い」についての研修だった。担当は
なぜなら、今日から俺達は宿直業務に着く。
最低限、自分の身は守れるようにということで、本格的な祓い番の研修が始まったのだ。
「白衣……?いや、作務衣?足袋?」
渡されたのは、白い服。
白衣というより作務衣に近かった。
中に黒い長袖にインナーを着て、白い綿素材の七分袖の作務衣。
下も同様に白い長いズボンで、裾に絞り口がついていた。
そして、足袋。親指とその他の指に分かれている着物の時などでも履く物だ。
しかし、この足袋はなんというか、一言でいうと厚い。違和感。
「なんか、靴みたいだ」
「ああ、そうだ。いつもなら、足袋の下に
雨の日でも、雪の日でも動き回れるように、普段白衣の時に履いているのだ。
しかし、外作業なども多いため、作務衣という作業着の時も多く、その時は靴を履いている。
足袋と靴がとうとうコラボレーションしたのか!すごい!
「これは『祓い番』の時に着る服装だ」
その言葉に、俺達3人の動きが止まる。
ちらりと2人を見ると、立花は心なしか嬉しそうにしていて、成川は少し緊張したように柴崎さんを見つめていた。
俺も足袋靴に感動していた気持ちも消え、今は緊張が体を支配しているようだった。
これからは、山道で襲ってきたモノを積極的に祓っていかないといけないのか。
――俺に、できるのだろうか。
「良い表情だ。では、サイズは大丈夫そうだな。その服は各自持って帰り、祓い番の日に必ず持ってくること」
「はい」
「では、研修に入る」
―――「此の世ならざるモノ」には、その強さによってランク付けされている。
このように、ランク付けされている。
そして憑りつかれたモノにも、その深さがある。
「まずは、これを暗記すること。これが邪気祓いの一般常識だ。3日後に暗記のテストをする」
柴崎さんの話を聞きながら、ノートにメモをとっていく。
この表で見るのなら、俺が前に襲われたものはどれだろうか。
表をじっくり見ながら唸っていたら、柴崎さんが声をかけてきた。
「どうした、犀葉」
「い、いえ!前に俺が襲われたのはなんだったかなーって思いまして」
「ああ、あの山道のか。あれは、どんなのだった?」
「はい」
そこで、立花が手を挙げた。
学校かっつーの。いや、学校の授業に近いのは確かだ。
答えようとする立花を柴崎さんが、手のひらを向けて制止を促す。
「ここは犀葉に考えさせる」
「……はい」
少し残念そうな声が聞こえた。
ざまあみろと思う反面、自分が出来損ないということを自覚して嫌になる。
それを頭の中で振り切りながら、先日の記憶を辿った。
あの山道にいたのは、憑りつかれた女性だ。
剥がれた瞬間、黒い靄が出た。声は1つじゃなかった。何かの集合体。
「……剥がれたのが黒い靄だったので、
「深さは?」
「えーっと、
じっと柴崎さんに見つめられる。
どこかのクイズ番組みたいだと思いつつ、緊張の表情のまま見つめ返す。
ああ、クイズの解答者はこんな気持ちだったのか。これは気が気じゃないな。
すると、柴崎さんの口元に僅かに笑みが見えた気がした。
「――正解」
「よっしゃ!――あ、すいません」
「……こういう時は『
咄嗟に拳を振り上げ、1人で喜んでしまった。
柴崎さんの咳払いで我に返り、またノートをとる姿勢に戻る。
ちらりと横を見れば、立花は俺を睨んでいて、成川は笑いを堪えているようだった。
うわー、恥ずかしいことをしたよ、俺。
「私は祿郷の報告書で見ただけだが、あれは黒い靄であり、女性の負の心に集まった
確かに。
実体化と言っても、人型の黒い靄というだけだった。
声も一つではなく、何重にも重なっていた。
それが、あの女性の負の心に集まった集合体。
考えるだけで、ちょっと気分が悪くなってきそうだ。
「そして、君達にも簡単な『祓いの儀』を覚えてもらう。これを1人2つずつ渡す」
言葉と共に渡されたのは、小瓶のようだった。
ワンタッチ式の透明の小瓶の中に、同じく透明の液体が入っている。
底をよく見ると、白い粉のような物が沈殿していた。
これは見たことがある。先日に襲われた時に祿郷さんが使っていたものだ。
「これは、塩水ですか?」
「そうだ、立花。この塩水は、御供えした水と塩を合わせて作ったものだ。全員2つずつ肌身離さず携帯すること。この塩水は、霊触がついた時に祓ったり、襲われた時などに一時的に動きを止めたりすることができる。西洋でいう聖水という物だろう」
小瓶を摘まむように持ち、左右に揺らしてみる。
聖水と言われると、よくある悪魔にエクソシストが水をかけると消えるというシーンが思い浮かぶ。
まあ、祿郷さんの時もそうだった。あの時も、塩と塩水をかけて言葉を唱えたら、黒い靄が消えた。
「この時に、『
柴崎さんの言葉に、俺達3人は慌てて立ち上がった。
慌てすぎてパイプ椅子を思いっきり後ろに下げてしまい、後ろの長机にぶつかり派手な音がした。
3人の視線を感じたので、急いで椅子の後ろにまわり机の中に椅子を戻す。
「まずは、塩水を相手にかける。この時、塩やお米なんかも効力があるので、覚えておいて損はない」
柴崎さんの説明を聞きながら、小瓶の蓋を右手の親指で開けてもう一回閉める。
もしもの時の為に、開け方を練習しても損はないだろう。
塩水をかける練習として、閉めた状態で振りまくフリをする。
「……次に『
柴崎さんのを見ながら、自分でも手を組んでみる。
なんか、小学生の時にこのポーズで友達のお尻の穴を狙っていたな。
「ここで、祓い言葉『―――祓ひたまへ 清めたまへ』」
「……祓ひたまへ 清めたまへ」
祓い言葉を復唱する。
確かに、祿郷さんも言っていた。あの時は、印は結んでなかったけど。
「祓い言葉の後、この『
自身の中でイメージする。
先日のあの黒い靄を祓うのだと。祿郷さんに頼らなくても1人でできるように。
小瓶を開け(今は開けるフリだが)、その靄に振りまくようにかける。
そして、
すると、祿郷さんがしたみたいに、黒い靄は消えていった。
まあ、全部俺の想像でしかないのだが。
「そうだ、犀葉」
「ありがとうございます」
柴崎さんに褒められた。
すごい怖い印象を感じていた分、褒められた時は素直に嬉しかった。
「祓ひたまへ 清めたまへ!!」
突然隣からすごく大きな声が聞こえてきた。
どうやら、立花が大きな声を出したみたいだった。
うわー、やっぱり気合入ってるなぁー。
俺みたいに目を瞑ってしていたみたいだが、一体何を想像しているのだろうか。
「以上で研修は終わりだ。各々でしっかり復習をしておくように」
「ありがとうございました!」
柴崎さんの研修が終わり、研修ノートを最後に書く。
これは、謂わば日誌のようなもので、今日の一日の流れ、学んだこと、反省点をつらつらと書き連ねていく。
最後にノートを提出して終わりなのだが、俺だけは今のタイミングでそのノートを提出しない。
何故なら、今日から
「いつもは2人は神社に残り、2人は外任務だ。神社の2人のうち、1人は邪気祓いで1人は受付になっている。今日は、初めてだから俺と犀葉の2人で受付するからな。今日の邪気祓いは片岡さんだ」
「……はい」
「んだよ、心配すんなって。ほら、来てみろ」
本日は山中さんと宿直だ。
この土地に来て、変なのに襲われたことしかないので、正直俺はビビっていた。
しかも、夜だ。集まると評判の神社だ。怖すぎる。
ビビる俺に大きな溜息を零した山中さんは俺をとある場所に連れて来た。
「鳥居、ですか」
「ああ。ゆっくりと一歩歩いてみろ」
連れてこられたのは、鳥居の前だ。
後ろは長い石畳の階段、神社を正面に向けて俺は立っていた。
山中さんに言われるがまま、ゆっくりと一歩踏み出す。
すると、奇妙な感覚に襲われた。
「ん?」
「気づいたか」
例えるのなら、薄い水の膜を通ったような、世界がふと変わったような違和感。
思わず首を傾げると、山中さんがゆっくりと手を伸ばして鳥居の真下で止めた。
「結界だ。悪しきものは通さないようになっている。特に夜はそういうモノも多くなるので、昼間より強い」
「へえ」
「破られたらすぐにわかるからな。神社の中なら大丈夫だ」
「ありがとうございます」
俺を安心させようと言ってくれているのだと知り、素直に感謝の言葉が零れた。
口の悪いヤンキーマッチョと思っていたが、面倒見がよく優しい人だ。
いや、ここの神主は、みんな自分に厳しくて他人に優しいのだ。
「邪気祓いの受付も、昼間ほどは来ないから1人だ。希望者も1人も来ない時も多い」
「そうなんですか?たくさん来ると思っていました」
「邪気祓いは少ない方が平和でいいんだよ」
そんなに少なかったら収入源はどうするのだろう。
ぼんやりと考えつつも、視線を窓の外に移す。
昼間なら戸を開けて開放的にするのだが、夜は窓も全部締め切っている。
これで邪気祓いに来たかどうかわかるのだろうか。
「そんなに外を見る必要ねぇぞ」
「なんでですか?」
俺が質問を返したその時、神社の電話が鳴った。
昼間ならどこの一般家庭にもあるような電話のようにプルルルという電子音だが、この時は違った。
まるで、黒電話のような甲高いジリリリンというベルの音だった。
山中さんはそれに速足で向かい、受話器を取る。
「はい、桃華八幡宮です。……はい、わかりました。様子は?……はい、……はい、中にどうぞ」
そう言って電話を切り、ぽかんとしている俺に視線を移す。
「犀葉、内線で片岡さんに報告!邪気祓い1件入った。おそらく『
暴れていて苦戦しているらしいから、俺は手伝ってくる!そう言い残し、慌てて山中さんは出て行った。
俺も急いで電話を取り、片岡さんのいる
言われたままを伝えたら「了解。準備する」と返事がきたので「よろしくお願いします」と言って電話を切った。
(……山中さん、
自身の机に会ったノートをとると、ぺらぺらと先程の研修のページを開く。
俺が襲われた黒い靄よりも1つ上級ということか。
そこまで考えて、はっとした。
これほど大変な相手なら、俺も手伝わなくては!
そう思い慌てて靴を履き社務所を出たところで、山中さんに出会った。
「 ゥゥウウ… 」
2人の大男に両脇で担がれて鳥居から入ってきたのは、青年のようだった。
大男は白い作務衣を着ているので神主なのだろうか。見たことのない男達だ。
また、連れて来られた青年も俯いて表情は見えないが、低い唸り声が聞こえる。
四肢の力が殆ど入っていなく、半分引きずられるようにして境内へと連れて来られた。
「おい、待て待て!」
2人の男は俺の前まで青年を連れてくると、そのまま床へと降ろそうとする。
すると、右から山中さんが走り寄ってきた。
大男に手を振ると、大男達は降ろそうとする手を止める。
「犀葉、これをそいつに巻け!」
山中さんに渡されたのは、赤いロープだった。
先端が輪っかになっていて、引くことで輪が縮まるようだった。その輪っかのところには、四垂がいくつかついている。
まるで西部劇に出てきそうな馬乗り警官だ。
恐る恐る青年に輪っかを通し、腕を固定するために大男が手を離す。
その瞬間、青年が勢いよく顔を上げた。
「 がぁああ 」
噛みつかれる!と驚き咄嗟に離してしまったロープを咄嗟に掴んでくれたのは山中さんだった。
身体ごと引くと、ロープが締まり、青年の動きを封じる。
その瞬間、再度青年の動きが止まり、そのまま地面へと倒れこんだ。
「悪いな、犀葉」
「い、いえ、僕は何も……」
できませんでした、というのは言葉にならなかった。
初めてとはいえ、自分の不甲斐なさに落ち込みそうだ。
「俺はこいつを片岡さんのところまで連れていく。少しの間、ここを頼んだ」
「はい」
立てと山中さんが言うと、ゆっくりと青年は立ち上がった。
先程はまるで肉食獣に襲われるような迫力があったが、今は違い生気が失った表情をしている。
その青年が、ゆっくりと顔を上げ、はじめて俺の顔をはっきりと見た。
「 ―――おね、え ちゃん 」
「え?」
そのまま俺の横を通り過ぎようとした瞬間に、確かにそう聞こえた。
「お姉ちゃん?」
復唱して振り返るが、青年はそれ以上言葉を発した様子はなかった。
その言葉が、青年のモノか、憑りついている「此の世ならざるモノ」かは俺にはわからない。
―――先程暴れた時とはうって変わった、憂いを帯びた表情をして呟いたことが気になった。
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