第5話 邪気祓い




「ただいまー。って言っても、誰もいないか」



自身の部屋に帰ってきて、荷物を置き、スーツを脱いでハンガーにかける。

今日はいろいろな話が聞けたから、学べたことも多かったが、なんというか心が疲れた。

身体は元気なのだが、考えることに疲れた。そんな感じだ。



「さっきの、なんだったんだろ」



帰り際、片岡さんに変な女の人に掴まれた腕を見せたが「なにもない」と首を振られた。

それがもし霊だったら、霊触れいしょくというものがあるらしい。

ということは、ヒトだったのだろうか。

やっぱり、俺が敏感すぎたのか。いやいや、俺にあんな美人の知り合いはいない。

そこで、ふと先日の市街の一件を思い出す。

確か俺を襲ったのも小柄な女の子だったような気がしたな。

それならもっとはっきりと霊触がつくはずだろう。しかし、霊触はついてない。

はい、無限ループだ。ため息と共に、俺はベッドの上へと寝転がった。

そのままぼうっと天井を眺めていると、瞼がゆっくりと下がってきた。

ああ、眠たい。俺は、そのまま欲求に、身を任せることにした。







―――ふふ、こっちよ



少女が野を駆け回る。

まるでアルプスの少女の舞台に出てくるような草木が青々と広がる豊かな大地。

聞こえる小川のせせらぎ、澄み切った空気、透き通るような風。

まるで、お伽話に出てくるようような楽園。



待って!待ってよ!



―――早くおいでよ



目の前には、女の子。

長いハニーブラウンの髪を1つに纏め上げ、白いワンピースを着ている。

年は10歳くらいだろうか。少女はこちらに屈託のない笑みを向けながら一歩前を走っている。

俺は、その背中をずっと追いかけていた。

何故だかわからないが、その背中を追いかけていることが、すごく気持ちが良かったんだ。









―――ゆっくりと瞼を開く。



「あれ…?」



ここはどこだ?

第一声に思ったことはその言葉だった。

なかなか夢と現実の区別がつかず、脳細胞も起きていないようだ。


そのままゆっくりと辺りを見回す。

見えたのは、いつも通りの天井、テレビ、テーブル―ー自分の部屋の光景だ。

先程の野の楽園は夢だったのだろうか。

それにしても、気持ちのいい夢だった。


(……ダメだ)


そのまま再度睡魔に身を任せようとしたが、腹筋を使って上半身を起こす。

顔を洗い、身だしなみを整えて、ジャージに着替える。

時刻を見れば、午前4時50分。

時間的にはまだ余裕はあるのだが、昨日家に帰ってきたのは6時過ぎだ。10時間睡眠か。

睡眠をとりすぎて、頭がまだ重い。


ぐうぅ


ふと自身のお腹が鳴る音が聞こえた。

どうやら、胃もやっと起きてくれたらしい。

昨日の夜ご飯は食べていないから、何かを入れろと訴えているのだろう。



「ランニングの帰りに何かを買って出るか」



そんなことを考えながら、部屋の戸を開け、曇銀の街へとゆっくり走り出した。









本日は「総代会そうだいかい」の日。

総代会とは、神社の管轄している地域である氏子地域うじこちいきの代表者が集まり、神社の年間行事や予算等について話し合う集会である。

その会議が毎年4月に行われるのだ。

3日ほど前から資料作成の準備に取りかかっていて、当日の朝は掃除と設営の準備に大忙しだった。



「おはようございます!」


「おはようございます。……あれ、見かけない顔だね。新入社員?」


「はい!出仕の犀葉 瑛です。よろしくお願いいたします」



俺は受付で、芳名帳に名前を書いてもらい、資料を渡す役だった。

この時に、氏子さんに元気に挨拶し、顔と名前を覚えてもらうのが俺の仕事らしい。


総代会は朝の10時から始まった。

まずは、宮司さんからの挨拶があり、その後資料についての説明がある。

資料の内容は、神社のお祭りの年間スケジュールと、それに対する予算が記入されている。

説明後に質疑応答をして、帰り際にお弁当とお茶を手渡し、総代会は終了となるのだ。



「山中さん、昼からは片付けですか?」


「いや、机はこのままだ。軽く拭くだけでいい。夜も使うからな」



一緒に受付をしているのは山中さん、ソフトモヒカンのマッチョだ。

氏子さんを見送った後、あまった分の資料をまとめている俺に、椅子を綺麗に戻しながら山中さんが言った。

「夜?」と首を傾げる俺に、「夜にも総代会があるって書いてあっただろ?」と苦笑した表情を見せる。



「すいません、確認不足です」


「まあ、普通は昼だけだしな。夜の方が面白いぞ」



そう山中さんと話しながら、社務所に戻る。

ホワイトボードを確認すると、「総代会 昼 10時~ 夜19時~」と書かれていた。

確かに夜も総代会があるようだ。一体何を話すのだろうか。

そんなことを考えつつ、俺の午後の予定を見て、愕然とした。


出仕3人 研修 担当→瀬田・祿郷


基本的に、研修は担当者によって内容が変わる。

本当は禰宜さんである瀬田さんと、柴崎さんが担当なんだろうが、2人も忙しく不在の時もある。

だから、祿郷さんが担当として入るのだ。

そして、入社して1週間と少し。大体この人が、こんな内容をするのだということがわかってきた。


瀬田さん 昼の部のご祈祷の座学、実技


柴崎さん 夜の部の邪気祓いについて全般


祿郷さん すべての基礎力をつけるための一般常識の座学や体力づくり


となっているのだ。

一番身近な先輩であるから喋りやすいのだが、一番肉体的にハードなのが祿郷さんなのだ。

ここで犀葉予報!今日の天気は晴れ、座学の研修後は体力作りのため、筋トレとマラソンになるだろう。



「やばい、俺天才じゃない?」


「え、犀葉。急に何?中二病?というより二十二病?」


「なんだよ、その秒数みたいなの。……あ、靴紐解けた」


「先行くぞー」



本日の研修は、座学では瀬田さんにご祈祷の作法を習い、実技では祿郷さんにバトンタッチ。

俺の予想通り、前半にストレッチ後、筋肉トレーニングとして腹筋、腕立てを各200回ずつ。

その後、本日は石畳の階段ではなく、山を走ることになった。

ちなみに、天才と言ったのは、研修の予想がぴたりと的中したからだ。



「つか、二十二病ってなんだよ」



靴紐を結び直し、また前を向いて走り出す。

勿論、もう一人の同期である立花は先に行ってしまった。

あいつはスタートの合図と共に全速前進、常に全力。

なんというか、猪?みたいな男だ。


山道は畦道なので、大小様々な石が転がっていて足元が悪い。

そこをマラソンに選ぶなんて、やっぱりあの人はスパルタ教官だ。

しかも、1周まわったら、そのまま逆まわりで1周しなければいけない。

つまり、1周目に下った坂は、2周目に登らないといけないのだ。



「ほんと、スパルタだよなー」



1人ぼやきながら、山道を走っていく。

この山道は人が3人ほど通れるほど広い場所もあれば、1人しか通れないほど狭い道もある。



ワンワン


「すいません」


「いえいえ、大丈夫ですよ。こちらこそすいません」



走っている途中で、犬の散歩をしているおじいさんに出会った。

ちょうどその時が細い道だったので、すれ違う時に柴犬に吠えられた。

俺は猫派と言いつつも、犬も好きなのだ。

犬に癒され、止まってしまった足を再度動かし始める。

ふと、前方にもう1つ人影が見えた。



「……しそ、ぅ」



距離が近くなり、目が合う。

女性だろうか。黒髪のショートで、長袖にジーンズというラフな格好だ。

紅い唇がゆっくりと言葉を紡ぐ。



「ん?――うわっ?!」



横を通り抜けようとした瞬間、白く細い手が俺に伸ばされた。

咄嗟に飛び退き、その手は避けることができた。

しかし、心臓は驚きで鼓動が早くなっている。



「 アナタ、お、ぃしそ ね」



後ずさる俺を見て、笑う女。

不自然にカクリと首を傾げ、瞬きもせず、瞳孔は開いたまま俺を見つめる2つの瞳。

真っ赤な薔薇のような唇から覗く舌が、一層恐怖を煽った。

鳥肌が止まらなかった。やばい、と本能が叫んでいる。



「……っ、!」



逃げなきゃと、また一歩後ずさる。

その時、後ろにあった石を踏み外し、体勢が崩れた。

好機というように女の目が輝き、俺へと走り寄ってきた。



「ひっ」



驚きと恐怖の混乱で、咄嗟に自身のお守りをぎゅっと握りしめ、自分の身を守るように左腕で頭を隠し縮こまった。



―――バチッ



目の前で光った何かに、女の体は弾かれたように後ろへ飛ばされた。

なにが起こったのかわからず、とりあえず慌てて立ち上がってみる。

ふと、自身の胸に違和感があり、首からかかっていた紐を引き上げると、宮司さんがもらったお守りが青白く光っていた。

どうやらこの女を弾いたのは、このお守りらしい。



「すげぇ!やっぱり効力あるじゃん!」


「……う」



聞こえた声に倒れている女の方を見ると、そこから1mほど離れたところに黒い影があった。

女をもう一度見るが、倒れているまま動く気配はない。嫌な感じもしない。

どうやら、この女から強制的に離されたモノみたいだ。

つまり、この女に憑りついていた霊なのだろう。

俺が倒れている女に駆け寄ったとほぼ同時に、影から声が聞こえた。



「だ、大丈夫ですか?!」


「 うが、ぁあ、な、に、 」



黒い影は、その姿をゆっくりと人影に変えていく。

真っ黒い靄ではっきりとした輪郭はわからない。―――ただ、人型のモノだった。

声も一つではない、何重にも混ざった声が、俺に語りかける。

1人の人間ではない、混ざった何かがゆっくりと俺に近づいてきた。



「―――犀葉、伏せろ!」



突如力強い声が後方から聞こえた。

俺が頭を下げた瞬間、影の方から何かが割れる音が聞こえ、ゆっくりと顔を上げる。



「―――ぁああああ!!」



割れた音は瓶で、中は液体のようだった。

それを浴びた影が苦しそうに呻き、のたうち回る。

投げた方を見れば、そこにいたのは祿郷さんと、立花、成川だった。



「……犀葉、立てるか?」


「祿郷さん!この女の人が…」


「ああ。立花!成川!神社まで運んでくれ!鳥居の前に運んだら社務所にいる平沢と山中を呼んでくれ。あとはあの2人に任せて大丈夫だ」


「はい!」



のたうち回る影を祿郷さんが見張り、その隙に立花と成川が女の人を運び、神社へと向かう。

俺も手伝おうとしたら、祿郷さんに腕を掴まれた。



「犀葉はここだ」


「へ?はい」



俺にそう言い、祿郷さんはゆっくりと影へと近づき、腰にかかっていた小さい鞄から小瓶を取り出した。

中は透明の液体のようだ。その液体を影に振りまくように、かけ始めた。

すると、再度影が苦しそうに悶え始める。



「―――祓ひたまへ 清めたまへ」



今度は白い粉のようなものを影にかけた瞬間、影が煙のようにゆらりと消えた。

おお、これが「邪気祓い」というものなのか。

すごくかっこいい!



「ありがとうございました」


「怪我はないか?」


「ないです。お守りが守ってくれました。この水はなんですか?」


「これは塩水だよ。よし、霊触も……ないか。なら大丈夫だな」



祿郷さんが俺を頭から足元まで観察した後、納得したように頷いた。

それから、俺達は割れてしまった瓶の破片を丁寧に片付け、神社へと戻った。

神社に戻ると、社務所の前に立花と成川が立っていた。



「祿郷さん、今山中さんが清めているそうです」


「そっか。2人ともありがとう」


「はい。犀葉、怪我は?」


「今回はお守りに助けられたよ」


「お前バカだろ。なんで近づいた」



心配してくれる成川に笑顔でお守りを見せていたら、横からいきなり立花に罵られた。

はぁ?と突っかかるように俺は立花を睨む。



「近づいてねぇよ!いきなり襲ってきたの!」


「立花が知らせてくれたんだよ。そしたら、遅れてきた成川が犀葉は襲われるかもって」


「予感的中だったな」



イエイ!と言いながら俺に親指を見せて笑う成川に、俺は苦笑しかできない。

その予感はできれば当たってほしくないものだ。



「でも、明らかにおかしかっただろ。フラフラしてたし。ちょっと広い道だったから良かったけど」


「こんな山道にヒール履いてるのはあり得ない」


「俺もちょっと距離をあけて避けるつもりが、急に手を伸ばしてきたんだよ」


「ん?」



そこで、ふと首を傾げたのは祿郷さんだ。

顎に手を置いて、じろじろと俺を観察するように見たかと思うと、納得したようにうんうんと頷く。

その行動に俺も首を傾げた。



「なんですか?」


「いや、そういえば犀葉は、珍しいBランク入社だったもんな」


「B?」


「は、はぁぁあ?こいつがBですか?俺と同じじゃないですか!」



Bランクってなんだ、という疑問の前に立花が大きな声を上げたことに驚いた。

こいつってこんなに大きな声が出るのか。



「だから、狙われるのか。そうだろうなとは思ってたけど」



横では成川が祿郷さんと頷き合い、納得しているようだった。

え、そこ?みんな立花の大きい声に驚かないの?!

その対面では立花が俺を睨み「あり得ない」とぶつぶつ言っている。



「ランクとは、謂わば『霊感の強さ』と思ってくれていいよ。それを入社試験でチェックしてるからな」


「霊感?いつですか?」



そんなのあったっけ?と首を傾げると、2つの大きな溜息が零れた。祿郷さんと成川だ。

立花はまだ「あり得ない」と繰り返してる。ここまでくると本当に気持ち悪い。

さっきの女よりも、目の前の男に呪われそうだ。



「これは邪気祓いの研修を早めてもらおうかなー。って顔してるよ、祿郷」


「平沢!悪いな、どうだった」


「大丈夫。憑りつかれたばかりみたいだ。今、山中が清めてる。犀葉君のお守りに弾かれて剝がれちゃうくらいの低級だし、大丈夫だよ」



社務所からひょっこり顔を出したのは、平沢さんだった。

ありがとうございましたと3人で頭を下げると、にこりと笑いながら手を振ってくれた。



「気を付けてね。この山はこういうモノが集まるから。特に犀葉くん」


「はい」



この人達には迷惑をかけてばかりだ。

出仕の身とはいえ、最低限自分で危険かどうか判断し、回避できるようにならなければ。俺も塩水を持ってみるか。

ふと、横にいた祿郷さんがゆっくりと動きだしたかと思うと社務所の中を覗きこむ。

視線の先は時計のようだ。時間を確認すると、俺達に視線を向け、まっすぐ境内の階段を指さした。



「あー、研修が中途半端になったから、最後に階段を5周行ってこい」


「よっしゃ、競争だ立花!」


「負けるか!」


「よくやるなー」



走り出した3人を見つめ、祿郷は自身のバインダーの表紙を開く。

中には3人の研修のスケジュールと、履歴書、面接時の評価等が書かれている書類が入っている。

その中の「犀葉 瑛」の面接時の評価資料を手に取った。



「俺、思うんだけどさー」


「ん」


「今までどうしていたんだろうね。確かに此処は他と比べて圧倒的にそういう類いは多いけど、このランクで今まで襲われなかったなんてあり得ない」


「同感。俺の勘では恐らく守られていたものが、ここに来て解けたのだろう」


「『解けた』のか『解いた』のかはわからないけどね。さて、犀葉くんはこれからが大変だね」













―――赤い、赤い世界が周囲を支配していた。


俺は寒くて暗い所に隠れていた。


怖くて、寂しくて、膝に顔を埋めて震えていた。



「――――!」



苦しくて、悲しくて、誰かの名前を呼び続けた。


それが誰かはわからない。


その悲痛な声は、誰にも届かない暗闇の中で静かに響いていた―――













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