第4話 不穏
曇った銀のような薄白い明るみが広がる、午前5時。
学生の頃は苦手だった早起きも、一週間も繰り返せば次第に慣れたきた。
珍しく1回のアラームで起きた俺は、そのまま洗面所で顔を洗い、ジャージに着替える。
そこで腕時計をつけながら、時刻を確認。よし5時20分だ。
玄関に行き、スニーカーを靴箱から取り出して履いて、靴ひもをしっかり締める。
「……さむ」
家の戸を開けると、夜明け前の空は薄暗く、空気も冷たかった。
ふと自身の上着の中を確認する、ちゃんとお守りはつけている。大丈夫だ。
駐車場の方で簡単なストレッチをしながら、辺りを見渡す。
田舎ということもあるのか、こんな朝早くに電気のついている部屋は少ない。
「――よし」
手首足首をぶらぶらと軽く揺らした後、そのまま冷たい空気を割くように、俺は走り出した。
「おはようございまーーす!」
山を登り、鳥居の前で一礼して境内の中に入る。
今日は風もあるので、社務所の横の桜の花びらが踊るように舞っていた。
満開に咲き誇ってから3~4日ほど経つので、もう半分ほどが散ってしまっているようだ。
この桃華八幡宮という名の由来通りの立派な桜の木だと聞いていたので、すぐに散ってしまうのが少し寂しい。
そんなことを考えながら社務所の方に視線を移すと、平沢さんと祿郷さんが見えたので俺は走り出した。
「あ、犀葉くん。おはよー」
「あ、犀葉――…」
「祿郷さん!先日はすいませんでした!」
飼い主を見つけた犬のように一直線に走り、祿郷さんの正面で勢いよく頭を下げる。
そして、3秒後にまた勢いのまま頭を上げると、2人とも驚いた表情のまま固まっていた。
びっくりというよりも、引くという方が近いようだ。
謝らなきゃという思いが強すぎて、行動が奇天烈だったのだろうか。
数秒の沈黙後、先に言葉を発したのは平沢さんだった。
「ぶはっ、犀葉くん犬みたい!」
「いや、俺猫派ですよ」
「俺も猫派だよ」
「俺は犬派……って話が逸れた。いや、犀葉、別に俺に謝らなくてもいいからな」
お腹を抱えてくつくつと笑う平沢さんに、俺も安堵により顔がほころぶ。
すると、そんな俺達を見て、祿郷さんは大きな溜息を肩を大きく使って吐き出した。
溜息を零すと幸せが逃げていくというが、幸せ2つ分ぐらい含んでいそうだ。
「言いたかったことは平沢に伝達を頼んだから俺から言うことはない」
「ありがとうございました。次からは気を付けます」
「ああ」
祿郷さんの言葉を聞いて、昨日の平沢さんの「祿郷も心配していたよ」という言葉を思い出す。
怒っていたわけではなく、心配していてくれたのだ。そう理解すれば、自然と感謝の言葉が零れた。
祿郷さんにも謝ることができ、やっと肩の荷が下りたような解放感だった。
コレで今日の仕事に集中できそうだ。そう思い、俺は沐浴へと向かった。
「今日は二手に分かれる。立花と成川は明日の総代会の書類準備、犀葉はおさがり作りだ」
明日は「
この桃華八幡宮は、
神社には管轄する地域がある為、その地域ごとの代表が集まり、一年間の神社の予定や予算等を話し合うのだ。
午前は、立花と成川は総代会の準備をするようだ。
俺は、
―――「おさがり」とは、神様が召し上がったものを自分の体内に入れ、体の中からご神徳を得ようとするものである。
「おさがり」の中身は神社によって違う。
お札、お守り、お菓子、お箸、お神酒など様々だ。
この神社は、お札、お守り、ポン菓子である。
ご祈祷料が高いほど「おさがり」の品数も増えていくのだ。
また、厄除けのご祈祷にもいろいろな種類がある。
安産祈願
初宮参り祈願
交通安全祈願
病気平癒祈願 など
様々な種類のご祈祷に合わせて、おさがりの種類も変わる。
参拝者がご祈祷受付に来たら、神饌所に連絡が入り、そのご祈祷の種類に合わせておさがりを詰める作業をするのだ。
「お疲れー」
「お疲れ様です」
今日のご祈祷番は、平沢さんだった。
ご祈祷の時は、
狩衣は平安時代に公家が着ていた衣装であると言われている。
色は全員揃える神社と揃えない神社があり、場所によってこだわりもある。
ここの神社は揃えないらしい。ちなみに、平沢さんは緑色だ。
袴は階級によって変わる。権禰宜は浅黄色なので、平沢さんも浅黄色を履いているのだ。
あとは
「お疲れ。ご祈祷変わろうか?」
「いいよ。今日はそんなに多くないし」
俺は今祿郷さんに教わりながら、おさがり作りをしている。
とは言っても今日は平日のためご祈祷者はそんなに多くないので、俺がおさがりを作り、祿郷さんは横で書類仕事をしている。
ちょうど平沢さんもご祈祷から帰ってきた。
ご祈祷の希望者が来るまで、ご祈祷番はご祈祷をする
「そういえば、祿郷。犀葉君に先日の事を聞くって言ってなかったっけ?」
「へ?」
「ああ。でも、平沢を待ってたんだよ」
お茶を淹れようと思い、茶葉を急須に入れているところで名前を呼ばれ、顔を上げる。
俺が首を傾げると、平沢さんが烏帽子を取りながら「いいよ。先にお茶を淹れて」と声をかけてくれた。
祿郷さんは先程まで何かを書いていた紙を横に避け、持ってきた書類の束から分厚いA5ノートを取り出す。
中は白紙のようなので、どうやらメモ帳代わりに使っているようだった。
「これは事情聴取だからな」
「……はい?」
「はいはい。続けて」
簡易湯沸かし器から、お湯を急須に淹れて蒸らす。
1分程してから湯呑にお茶を注ぎ、お盆で運んで2人の前に置いた。
どうやら、話すのも待っていてくれたようで「すいません」と一言謝って席に着いた。
「お茶、ありがとう」
「ありがとう」
「いえいえ!薄かったらすいません」
「いや、逆に濃い方かなー」
「うわっ、すいません!淹れ直します!」
「いや、直すほどでもないからな。平沢、話が前に進まないんだけど」
祿郷さんが湯呑をテーブルに置きながら言うと、平沢さんがくつくつと笑いながら「ごめん」と謝る。
この2人は仲が良い。お互いに敬称もつけないので、同期なのだろうか。
そういえば、同じ権禰宜に山中さんもいた。ということは、3人は同期なのだろうか。
「昼から禰宜の柴崎さんが詳しく研修するから、詳しいことは省くけど。犀葉が襲われた夜の事で聞きたいことがある。勿論、話すことに関しては、宮司さんに許可をいただいているからな」
「はい」
俺が襲われた日。
今でもはっきり覚えている、あの嫌な悪寒。
できれば、そのまま思い出したくはなかったものだ。
「あの日、俺と平沢は『祓い番』だったんだよ。最近街で不穏な噂を聞くのでその調査に出かけていた」
「その噂が『夜道を1人で歩くと、―――女の子に襲われる』」
平沢さんの言葉に、びくりと大きく肩が揺れた。
ぞくぞくと背筋に悪寒がして、鳥肌が止まらなかった。
まるで、身体が、本能が「その女の子だ!」と言っているようだった。
「……たぶん、僕が襲われたのは、その女の子だと思います」
「だと思った。影でしか見えなかったけど、犀葉が十字路を派手に転んだ時、確かにそこに" 何か "いたんだよ」
真っ暗な夜道で、俺が盛大に転ぶ影と、髪の長い何かを見たと祿郷さんは言う。
しかし、祿郷さんが駆けつけたとほぼ同時に、その何かはいなくなったというのだ。
「でも、憑りつかれてはいないです」
「……いや、
そこで、肘を付きながら俺を指さし、平沢さんが言った。
「本当か?」と身を乗り出し、祿郷さんが問いかけると、平沢さんが俺の左肩に触れた。
俺は何を言っているかわからず、首を傾げる。
「れいしょく…?」
「霊が触れた痕だよ。昨日、神社に来た時に取ったけどね」
左肩?と言われて、昨日そういえば中庭の時に、平沢さんが俺の肩を叩いたことを思い出した。
確かにあの時は、すっと軽くなったのだ。
自分の中では、肩に力が入っていただけだと思っていた。
「俺は気付かなかった」
「霊触があったら何かあるんですか…?」
「霊触なら体がだるいなーって程度だよ。大丈夫」
「良かったー」
「それならいいけどな」
祿郷さんが俺の左肩に触れながら、何かを考えるように言葉を零す。
そんなこと言われたら、せっかく消えたはずの恐怖心が芽生える。
夜に眠れなくなったらどうしてくれるんだ。
「なんで脅すの」
「いや、あの噂。少し変だって柴崎さんが言っていたから」
「ああ、確かに」
どんな内容ですか?と聞こうとした時、ふと神饌所の戸が開いた。
入ってきたのは、俺と同じ出仕の立花だった。
「犀葉、交代だって」
「りょーかい。祿郷さん、平沢さん。ありがとうございました。」
「お疲れ」
「またね」
ひらひらと手をふる平沢さんと、眼鏡の山を上げながら見送ってくれる祿郷さんに一礼をして部屋を出る。
戸の前で漏れたのは大きく深い溜息だった。
なんというか不完全燃焼だ。祿郷さんの言った言葉も気になる。
また後で聞いてみようか、そう思い総代会の準備をしている
「―――では、研修を始める」
結局、昼食時にも2人に会うことができなかった。
平沢さんは、お昼もご祈祷が入り、昼食の時間がズレてしまい、祿郷さんは宮司室にいると片岡さんに教えてもらった。
不完全燃焼のまま昼食を取り、研修を受けることになってしまった。
もやもやとするが、仕方ない。研修に集中しよう。
「今日は『邪気祓い』についてだ。本当なら君達には少し早いのだが、この神社に奉職する者として、最低限の知識は得ておいた方がいいと宮司さんからの意見だ。心して聞くように」
3人しかいないから視線がよく向くのは理解できるが、ずっと俺の方を向いて言わなくてもいいじゃないか。
自分でもわかっているよ!俺が一番無知だってこと。
でも、まだ教えられないと言われていた「邪気祓い」を知ることができるのは本当に嬉しい。
これはチャンスだ、そう思いシャーペンを持つ手に力を込めた。
「この神社には、2つの部に分かれている。昼の部と夜の部だ。昼は他の神社と一緒でご祈祷やお祀り等をする。夜の部は『祓い番』と呼ばれ、霊や『此の世ならざるモノ』の事件を解決するのが仕事だ。基本時に、昼の部が、瀬田さん。夜の部を私、柴崎が取り仕切っている」
先程、祿郷さんが話していた「祓い番」がこのことだったのだろう。
あの2人がしたように、霊などの噂調査などもするということなのか。
「この神社の歴史になるのだが、この山は昔は霊山だった。とある日、その山に鬼が住み着き、山を下りてきて村に悪さをしていたらしい。そこを通りかかった旅の神主が鬼を祓い、
だから、街の噂なども調べて調査をしているのか。
この歴史話を聞いて、昨日の成川の言葉にも納得できた。
「人」だけでなく「此の世ならざるモノ」もこの神社のことを知っている。
だから、みんなこの神社と山に惹かれ、寄ってくるというわけなのだろう。
「来週から君達も『
「僕達も邪気祓いに携われるってことですか?」
はい、と手をあげて身を乗り出しながら質問をしたのは、立花だった。
やはり、入社時から邪気祓いを学びたいと言っていたこともあり、ちょっと目が輝いている。
嬉しいのだろうか。俺はこの間の悪寒をなるべく経験はしたくないものだ。
「実際には行くわけではない。よほどのことがない限りは、神社を出ることはない。ただ、宿直業務と邪気祓いの受付や案内等はやってもらうことになるだろう。やり方は、先輩に学んでもらう。安心してもらってもいい。お守りがある限りは、悪いものは寄って来ない。また神社も結界で守られている。君達の住むアパートもだ」
そう言って、柴崎さんは俺達に一枚の紙を手渡した。
「これが宿直も入れた勤番表だ。来週からよろしく頼む」
渡された紙は、大きなカレンダーのようだった。
日付と、お祭りや結婚式等の行事予定と、その下に全員の名前が書かれている。
社務所にあるホワイトボードの内容とよく似ているので、シフト表みたいなものだろう。
「朝」が日中で、「昼」が11時から夜の8時、「夜」が宿直らしい。
俺はいきなり来週の月曜日から、山中さんと宿直だった。
「はい」
* * *
「…―――こんにちは」
黄昏の光が、ぼんやりと揺蕩う17時。
この神社でいうなら昼の部の終わり、陽光が夜闇に引きずられ飲み込まれていく影の時間の境目。
俺が鳥居をくぐり、階段を下りていると、その下に1人の女性が立っていた。
服装はシンプルで、薄い桃色のコートに中に白い服、下は膝下ほどあるベージュのスカートだ。
髪は長いようで、後ろで結んでいるらしく風になびいて揺れている。
目元も綺麗な二重に、薄い笑みを浮かべる頬にはえくぼが見えている。
宮司さんには負けるが、美人だと認めてしまう。綺麗というより可愛い系だろうか。
「今、お時間よろしいですか?」
「えっ……と、あの、ご祈祷希望の方ですか?それなら、中にどうぞ」
「―――いいえ、私は貴方に用があって来ました」
案内しようと、神社の方に身体を向けた時、ふと腕を掴まれる。
その瞬間、ぞくっと悪寒が手首から昇ってくる感覚があった。
怖い、と本能が危険信号を発し、そのまま勢いよく手を振り払ってしまった。
「っ、あ!すいません」
参拝者の手を振り払うなんて、とすぐ我に返り、勢いのまま頭を下げる。
その時、神社の方から俺を呼ぶ声が聞こえた。
「犀葉ー!どうしたー?」
「あ、片岡さん!参拝者の方が…」
「参拝者?」
片岡さんが訝しそうに首を傾げたので、俺も参拝者の方に視線を向ける。
しかし、そこには―――誰も、いなかった。
そのことにぞっとして、咄嗟に自身のお守りを確認する。
よし、ちゃんと俺の首にある。大丈夫だ。
しかし、先程のは一体なんだったのだろうか。
「片岡さん、このお守りって本当に効力ありますよね…?」
「勿論。我らのアイドル!宮司さんを信じてくれ。僕が保証しよう!」
そう誇らしげに話す姿に、少しだけ安心できた。
もし先程のが「ヒト」でなかったとしても、逃げていったのは確かなのだ。
このお守りの効力だと信じよう。そう思い、俺はお守りをぎゅっと握りしめながら帰ることにした。
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