エピローグ

エピローグ

 オーロ博士公スコパスを討ってから数日が経った。超越者(もうそう呼ぶ必要はないかもしれない)、人外たちはバルトロの友人の地まで逃げることに成功し、各々身体を休めていた。

 オーロ軍がここまで追ってくることはなかった。博士公が死に、国内が大きく揺らいでいる状況でそこまで手が回らないのだろう。国民の心はひどく乱されたに違いない。それがこれからどのようになっていくのかは、今はまだわからない。


 バルトロの友人の地は深い森越えた草原にあり、暖かい陽と気候に気持ちのよい風が吹く、吸血鬼のイメージにはあまり似合わない場所だった。彼は今回の事には面倒だからと加わらず、しかしこの地を貸してくれていた。

 エオンは黒い喪服を着、きれいな芝で覆われている丘の上に仲間たちと立っていた。目の前には森の木を使った大きな墓標があり、今回の戦いで死んでいった者たちの名が刻まれていた。あのような突撃を行ったため、遺体がない者がほとんどだ。


 名前がわかったので『おねえちゃん(本名イスミル)』の名も刻まれていた。

 まだケガが癒えていない者も多い。このまま後遺症が残ってしまうかもしれないほどの重傷者もいる。決して圧倒的なものではなく、厳しく犠牲の多い戦いだった。

 普段ならば元通りに動けているはずなのに、エオンの左腕にはまだ不自由さが残っていた。ササラのサーベルには何か特殊な加工がされていたのか、それとも卑怯な手で得た勝利の代償なのだろうか。


 エオンは代償であるとしか思えなかった。最期に貰った彼女の髪紐は、今もエオンの髪を縛っていた。


「それ、似合うね」

「そっか……ありがとう」


 そして彼は折れてしまった刀を鞘に入れたまま、墓標の近くに刺した。長く使っていた、とても愛着のある一口。短い間だったけれど、一緒に仕事をした太刀が別れのあいさつのように揺れてかちゃりと鳴らした。


「俺、エオン兄ちゃんみたいになるよ」


 エオンが一人離れて風を感じていると、幼い狐耳を跳ねさせてリュオルが言った。子供たちは自分たちの持てる力と、そして周りの大人たちのサポートもあり、誰も死ぬことなく大きなケガもなかった。それでも包帯は巻かれている程度にはあるけれど。


「そっか、そう言ってもらえると嬉しいもんだ」

「うん。エオン兄ちゃんみたいな立派なリーダーになるんだ」

「リーダーか。じゃあもっと鍛えないとな」

「俺がみんなを守るんだ」


 エオンはしゃがみ、リュオルと目の高さを合わせた。彼の瞳はとても輝いていて、けれどあまりに輝き過ぎていた。


「みんなと一緒に歩くのもまた、大切なんだぞ」

「一緒?」

「頑張り過ぎないってこと。オレもよくそれでキュアに怒られるんだ。『もっと任せなさい、頼りなさい』って」

「そうなんだ」


 キュアがいたから、バルトロがいたから、リュオルだってアルコだってみんないたから博士公を討てたのだ。ワーライガーの種としての能力が高いといえども、一人では力の限界がある。危ない場面だって多くあった。


「で、誰からみんなを守りたいんだ?」

「悪いヤツらだよ。人間だろうと人外だろうと、俺たちにひどいことをしてきたヤツら」

「はは、リュオルはすごくリーダーに向いてるよ」

「ホント?」

「ああ」


 頭を撫でてやれば、彼はぴんと狐耳を正面に向け、すごく照れくさそうに頬を赤らめた。そしてリュオルが撫でられていることを他の子供たちが知ると、彼の後ろに並んで列を作った。


「リュオルばっかりずるいよ!」

「あたしたちだってがんばったんだから!」

「そーだそーだ!」


 予想もしていなかったことに少し戸惑ったけれど、子供たちだって命を賭けて戦い抜いたのだ、しっかりと褒めることはとても大切で、当然のことだと考えた。


「よーし、よくやったなみんな!」


 撫でられると誰もがそれぞれの種の耳や尻尾を嬉しそうに動かし、そしてこれを勲章として誇らしげにしていた。まだ幼い少年少女たちにとって、主導者であり頼れる兄のような存在のエオンに褒められることはとても名誉なことなのだ。


「久しぶりに遊ぼっか」


 全員撫で終わってエオンが提案すると、とたんに「きゃあ」と歓喜の声が沸いた。しばらく襲撃の準備ばかりで、一緒に遊ぶ機会がなかったからだ。


「でもちょっと待っててな」

「えー」


 不満の声が出たけれど、それをリュオルが遮る。


「リーダーは色々やることがあるんだよ」


 もうすっかり気分はリーダーで、そんな背伸びをしている姿がおかしく、そして頼もしかった。

 エオンはこの場をリュオルに任せ、バルトロの近くへと歩いた。


「バルトロさん」

「ん、なんだ?」


 まだ左腕はないけれど、それ以外のケガはすっかり治っているバルトロ。とんびコートに長い三つ編みを垂らしていつも通り。

 彼曰く、左腕も徐々に生えてきているという。しかしその部分は誰にも見せようとしなかった。エオンも色々と想像してしまって、あまり見たくはなかった。


「その、これからのことなんですけど」

「ああ、ワシはアルコと東の島国に帰る。約束したしな」


 隣にいた娘の肩を軽く抱く。彼女は表情をぎりぎりのところで柔らかくしないように我慢しているようだった。一緒に帰ることができて嬉しいのだ。


「キュアが行ってみたいって言っていて、そしてオレもどんな国なのかこの目で確かめたいんです」


 吸っていた煙草の煙を吐き、あごをさする。


「ワシは構わねーけど、あいつらはどうするんだ?」


 あいつら。それは当然仲間たちのことだ。


「ここまでと、話しました」

「そうか。ここまで大きくやり返せて、ある程度すっきりしたってとこか」

「しばらくはよほどのことがない限り、大きな動きはせずにじっとして欲しいとは言いました」


 オーロ、そしてその同盟国や周辺国がどのような動きを見せてくるかわからない。そんな状況で動けば、自分たちにとって不利な状況しか呼び込まない。それをわかっている者はおり、エオンの言葉にしっかりと納得していた。


「しばらく人間食べられないのは残念だけどな。まあ、別に食べなくても死ぬわけじゃないんだけど、なあみんな。ははは――」


 という具合に笑っていた。みんななりに上手く折り合いをつけていける自信があるようだった。


「というわけだ。アルコ、いいか?」


 娘はこくりと小さくうなづいて、

「父様のお好きに」

「とか言っておいてコートを強く握るのやめなさい」

「握ってなどいません」


 そう言っても彼女の手は確かに父親のとんびコートを握っていて、それもしわの寄り方から軽いものにはどうも思えなかった。


「いや、オレたちもついていくってワケじゃあ……」

「え? そうなのか?」

「ゆっくり行きますから。その、着いたときに色々その、お願いできれば……」

「それなら任せておけ。しっかりともてなしてやるよ」


 この展開になり、明らかにアルコの顔がぱあっと花開く。

 しかしそれをエオンが見つけかけた時、彼女は一瞬にしてまた無表情を作っていた。でも我慢が中途半端で、変に崩れてしまっているがおかしかった。でも指摘すれば何が起こるかわからない。


「まずはケガが治ってからなんですけど」

「三人そろって腕ばっかりだな」

「変な縁がありますね」

「いらねーよそんなもん」


 ぴんとエオンは額をでこぴんされる。


「その腕、多分、おかしいままだろうな」

「変な感覚がずっと残っているんですよ。重いというか、引っ張られているというか」

「まあ、東の島国なら治せるだろう。人外のケガに詳しいヤツが多いからな」

「どうも。考えておきます」


 ふう、と大きく彼は煙草の煙混じりに息を吐き、煙草を携帯灰皿で処理した。そしてもう一発エオンの額にでこぴんを放つ。さっきよりも幾分強かった。


「バカヤロー。両手がしっかりしねーと、お前なんかもっと強くなれるわけねーだろ。わかってんのか?」

「……ッ?」

「納得できない勝利なんてワシだってある。だがな、より強くなって負けて死んでいったヤツらに思わせたと納得するしかねーんだよ」

「お、思わせる?」

「自分の相手じゃ仕方がなかったってな。遅かれ早かれ負けてたんだってな」


 それは長く戦い抜いてきた戦士の言葉だった。エオンは珍しく熱がこもっている彼に、なんだか妙なおかしさを抱いてついつい声に出してしまう。


「なんだ、何がおかしい?」

「ははっ、いや、バルトロさんらしくないなって」

「ふん、ワシだってお前みたいなことをうじうじ考えてた時があったんだよ」

「ははっ、ありがとうございます。オレ、強くなっていつかバルトロさんに一本入れますよ」

「できるわきゃねーよ」


 親子の時間をこれ以上邪魔するのもよくないと思い、エオンは感謝の礼をしてその場から離れる。


「っと、その前に二人で行けるといいな」


 バルトロがからかうように残した言葉に、エオンは苦笑いで応えるしかなかった。

 最後までアルコの視線が刺さっていたけれど、前に比べて大分和らいだ気がしないでもなかった。離れるときに小さく、かなり小さくだけれど頭も下げていた。


「さて、と……」


 エオンにはやるべきことが残っていた。とても大切なことだ。下手をすれば東の島国どころではなくなるくらいの。

 丘には一本木が生えていて、そこの木陰に一人の姿が見える。座って木にもたれ掛り、眠っている。ここは元々約束してあった場所だ。エオンは唾を飲み込み、着慣れない喪服の襟元を指で広げて歩様をぎこちなくしながら近づく。


「き、キュア」


 少し声を詰まらせ、木陰で涼んでいる彼女の名前を呼んだ。

 すると彼女は桃色の唇をもごもごと動かしたあと手で拭い、ゆっくりと瞼を開いた。そして右が青、左が榛の彼女の特徴的なバイアイが現れる。右腕はやはり折れていて、ギプスで固定されていた。


「あ、エオン。どうしたの?」

「ど、どうしたのって……」

「あ、そっかそっか。そうだったね」


 彼女はぽんぽんと自分の隣の芝を叩き、彼に座るよう促す。喪服を汚してしまうのはどうかと思ったけれど、彼は言われたままに彼女の隣へと座った。根をしっかりとはっている芝の弾力が尻に広がる。


「バルトロさんがもてなしてくれるってさ」

「じゃあこれで東の島国に行っても大丈夫だね」

「楽しみだね」

「うん」


 そこから静かな時間が流れた。芝を揺らす風が吹き、キュアの甘い香りがエオンの鼻をくすぐる。身体は同じだけれど、幼い頃にかいだ『おねえちゃん』のものとはまったく違った、彼女の香り。

 それがキュアはキュアであることの何よりの証明になっていた。


「で、その……」


 どうしても続きの言葉に困っていると、


「ええい、もうバレてるんだし、はっきり言いなさい」

「は、はいッ。その『おねえちゃん』についてなのですが……隠していて、ごめん……」

「それについてはエオンも言えるワケないから仕方ないよ。ワタシだってエオンがそうならそうする。それよりも。おねえちゃんのこと、どう思ってるワケ?」


 ずいっと睨まれながら迫られる。眉間に寄っているしわの深さに身体がぎりぎりと挟まれるような


「いや、どうって……よくしてくれたおねえちゃんてだけで……」

「ふーん、ホントに?」

「ほ、本当だよ本当。小さかったんだし……」

「あんまり年齢は関係ないと思うけど」


 眉がぴくぴくと動いているのがわかる。あまりの威圧感がエオンの背中に冷や汗を流させる。覚悟はしていたけれど、それにしても恐ろしい空気に包まれていく。どうなるかわからないけれど、とにかく正直に話すことが一番だと思わされる。


「どこかそういうところ、あったかもしれない……。でも本当に当時はそういうのがわからなくて、というか本当に自分のお姉ちゃんみたいで」

「へえ。ま、今はいいわ。でも、博士公が言った通りなのか、これからのでしっかりと考えさせてもらうから」

「わかった。しっかりとキュアが好きなんだってこと、証明するよ」

「とか言いつつキスしようとしてくるのやめなさい」


 じりじりと唇の距離を詰めていることがバレてしまっていた。彼女は左の手の甲で彼の鼻を軽く叩き、じとっとすごく粘り気のある瞳に軽く軽蔑を混ぜていた。


「今度そういうのしてきたら、ケツにその太刀ぶっ刺すからね」

「は、はいぃ……」

「わかったらよし。それはともかく、おねえちゃんってどんな子だったの?」


 眉間のしわはなくなり、彼女は純粋な気持ちで尋ねているようだった。自分に大きくかかわる存在になり、エオンのこともあったが、どうやらそれが一番気になっているよう。

 とりあえずほっと安どのため息を吐き、エオンは覚えている限りのことを話すため、記憶を探って見つけたものをそのまま口に出していく。


「おねえちゃんって呼んでて、本当の名前は当時知らなくて。おせっかい焼きで、でもなんだか妙に抜けているところがあって、たまにおかしくってね」

「ふむふむ。それで?」

「そういやこういうことがあって――」


 彼女は続きをずっと促した。エオンもこうして詳しく話すことは初めてで、それも相手がキュアだから不思議な気分を感じていた。

 口を動かせていけばどんどんと止まらずに溢れ、自分が思っていたよりも思い出の多さにエオンは驚く。

 そこまでおねえちゃんについて話してみても、頭痛が起こる気配はもうどこにもなかった。エオンはようやく頭痛薬を手放すことができたのだった。


 けれど木陰を作る陽の光は、うっすらと雲が掛かってその姿をしっかりと現さなかった。

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Eon‐Tyrann外伝‐ 武石こう @takeishikou

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