第13話 忘却


「ひまわり、今日は誕生日だから、東京駅の丸ビルの前に7時に待ち合わせよ。

 遅れないでね」


 母の好子はそう言って、仕事へ出かけて行った。

 昨日からの寒波で、外は大荒れの天気だった。好子に言わせれば、今日は雪になるとのことだ。ひまわりはベッドから出る気になれず、天井を見つめながら、また海人のことを思い出していた。


 あっという間に冬になり、今日で私は20歳になる。

 海人と同じ年になるということは、海人を置いてきぼりにして、私はどんどん老いていくということ。八重歯がこぼれる笑顔の海人は、19歳の私を愛していたのに…

 ひまわりは、丸ビルの前で、行きかう人々の顔をずっと見ていた。こうやって、無意識に海人を捜してしまう。もう一度奇跡が起こらないか、毎日、それを願いながら。そして、冬になってもひまわりの髪は、海人からもらったひまわりのゴムで結ばれていた。


「ひまわり」


 遠くから、ひまわりを呼ぶ男の人の声がした。振り返ると、五年ぶりに見る父の顔がある。ひまわりは、驚きのあまり、そこに立ち尽くした。少し年は取った父のひまわりを見つめる優しい眼差しは、何も変わっていない。


「パパ、どうしたの?」


「今日は、ひまの誕生日だろ?それも20歳になったんだ。パパにも、お祝いさせてくれよ」


「ママは?」


 ひまわりはそう言って、周りを捜してみた。


「ママは…

 ママから、パパに連絡があったんだ。

 ひまが、この間の夏の終わりから元気がないって、パパに会えば、元気になるかもしれないからって…」


「パパ…」


 ひまわりは、小さな子供に戻ってしまった。父の優しさに触れたことで、心の奥底に隠しておいた悲しみが、とめどなく溢れ出てくる。


「今日は、パパとデートしよう。

 小さい頃、よく、やってたように…ね?」


「うん…」


 ひまわりは、涙顔で父に抱きついた。


 ◇◇


 時は流れ、今年の冬で、私は、26歳になる。海人との出会いから、7年の月日が経っていた。ひまわりは大学を卒業し、近くの図書館の司書として働いていたが、その仕事を一か月前に辞めた。

 ひまわりのこれまでの日々は、海人との再会を夢にばかり見ていた。それなりに映画を観たり、合コンをしたり、旅行にもたくさん行った。そして、他の男の人と、いくつかの出会いもあった。だけど、ひまわりの中の海人はひまわりを離すことはなかったし、ひまわりも海人から離れることはできなかった。

 でも、この生活に、ピリオドを打つことに決めた。

 もう、これ以上、海人を思っても、彼が戻ってくることはない…

 海人との出会いから七年目の夏が過ぎた頃、ひまわりは、やっと二人の思い出を、心の奥のひきだしにしまえそうな気がした。

 忘れるわけではない…

 忘れることなんてできないのだから…

 でも、もう、海人が私を自由にしたがっている…

 不思議と、そう思えるようになっていた。

 そして、ひまわりが仕事を辞めた理由の一つに、祖父母の家を売却することがあった。好子とひまわりは、管理の負担の大きさから、その家を泣く泣く手放すことにした。ひまわりは、祖父母の荷物がまだ残っているあの家に、片付けのために、しばらく帰ることにしたのだ。

 一つの大きな区切りとして、ひまわりは海人との思い出の詰まったあの家に、別れを告げることにした。前を向いて進むには一つ一つ整理をすること、それが、今のひまわりには必要だった。


 祖父の家の片づけを始めて、四日が過ぎた。

 思いの外、祖父母が残していた荷物は多く、仕分けをする作業にかなりの時間を費やしていた。祖父の部屋には、特に荷物が多かった。半分以上は、ひまわりと好子との思い出の品ばかりで、アルバムや手紙、写真等には、なおさら時間がかかった。几帳面な性格だった祖父は、手紙に関しては、それぞれの名前ごとに箱が分けられていた。その箱は10箱以上にもなり、祖父の人となりが垣間見えた。

 ひまわりの手紙が入った箱には「ひまわり」と書いてあり、子供らしい可愛い模様の柄がついていた。そして、もう一つ、男の子向けの子供っぽい柄のついた箱があった。その箱には「佐藤君」と書かれていた。ひまわりはとても興味を抱いたが、片づけが終わった後に実家で見ることにして、段ボールにしまった。

 明日には、引っ越し業者の人が荷物を引き取りにくるために、ひまわりは先を急いだ。

 ひまわりは、倉庫にしまっているベンチを、久しぶりに外に出した。このベンチは、海人がこの家の庭の整理をしている時に、私のために作ってくれたものだった。海人の話では、もう少しお洒落にするつもりだったらしい。しかし、廃材を利用して作ったために、これが限界だったと言っていた。

 このベンチを見ると、あの頃がよみがえってくる。海人は、このベンチを作り終えると同時に、良平とあの民宿に行くことになったのだ。

 この小さな二人掛けのベンチは、海人がここで過ごした証しだった。

 ひまわりは、それを梱包する前に、きれいに洗うことにした。ベンチの表面をスポンジで丁寧に磨き、裏返しにした時に、そこに古びた手紙が貼りついていることに気がついた。


 心臓が止まりそうだった。海人からの手紙だ。

 ひまわりは、震える手で、四つ折りに畳んだ一枚の手紙を開けてみた。


“ひまわり、ごめん

 突然、出て行くことになりました でも 心配しないで

 ちゃんと一人前の男になったら 必ず ひまわりを迎えにくるから

 約束する

 これは、ひまわりのために作りました

 これに座ってこの庭を見て、そして僕のことを思い出して


 追伸、

 良平さんのことを責めないで 僕はありがたく思っているから


 海人”


 また、迎えにくると書いてある、迎えになんて来れないくせに…

 ひまわりは、久しぶりに、海人を想って声を上げて泣いた。そして、七年経った今も、ひまわりの心は、変わらずあの頃のままだった。


 ◇◇


 ひまわりは、頑張った甲斐があって、引っ越し業者の人達が来るまでに、何とか荷物をまとめることができた。そして、最後に雑巾がけをするつもりで、ひまわりは、お風呂場でバケツに水をくんでいた。


「すみませ~ん」


 え? もう来ちゃった?

 ひまわりは慌てて玄関へ走って行くと、そこには、サラリーマン風の男の人が立っている。


「すみません、佐々木さんのお宅ですか?」


「はい、そうなんですが、佐々木は、祖父は、だいぶ前に亡くなってもうここには居ないんです。あ、私は孫娘になるんですけど…

 何かご用でしょうか?」


 その人は、よくよく見るとまだ若った。髪はちょっとボサボサで、眼鏡をかけている。そして、営業マンにしては、キョロキョロして落ち着きがなかった。


「あの、実は…

 ちょっと、ここに座ってもいいですか?」


「え? はい、どうぞ」


 ひまわりは、おどおどしている割に玄関に座り込んだこの男の人を、少し不審に思った。


「あの、実は、僕は、小さい時におじいさんにとてもお世話になって。5年前にここを伺った時は、誰も住んでない空き家状態だったんです。今日は、たまたま、出張先がここに近くて、もう一回行ってみようと思って来たら、人がいらしたので」


 その男はそう言いながらも、中々ひまわりの顔を見ることはなかった。


「祖父とはどのような関係だったんですか?」


「僕は、小学4年の時に、1年だけこの近くに住んでいました。その頃の僕は、半年前に母を亡くして、父は仕事でシンガポールへ行くことになって、父方の叔母の家に預けられたんです。それで、僕は極度にふさぎ込んでいて、友達も全然できず、一人で海ばかり眺めていたら、そんな時に、おじいさんが僕を見つけてくれて。それからは、毎日、学校が終わったら、ここに遊びにきてました」


「そうなんですね」


 ひまわりは、祖父からこんな話は聞いたことがなかった。でも、彼の顔を見ていると、嘘をついているようには思えない。


「ひまわりさんの話もたくさん聞きました。

 あ、ごめんなさい、ひまわりさんですよね?」


「はい、ひまわりです」


 ひまわりは戸惑いを隠せずに、小さな声でそう答えた。


「おじいさんは、僕に、ひまわりさんの写真をたくさん見せてくれました。僕より一つ年下のひまわりさんは、本当に可愛かった。

 でも、僕がここにいる年には、ひまわりさんは、ここへ帰省しなかったんです。夏休みは家族で旅行するということで、冬休みはインフルエンザになったみたいで」


「あ、思い出しました。そう、それで、その年は、春休みに祖父達が東京に遊びにきたんです」


 毎年、必ず帰省する好子とひまわりが、唯一、帰れなかった年だった。


「僕は、子供ながらにひまわりさんに会うのをとても楽しみにしていたので、がっかりしたのを覚えてます」


 ひまわりは、彼の話を聞きながら、子供の頃を思い出していた。


「そして、1年が経った時に、父が僕を迎えにきました。たったの1年だったけど、僕はおじいさんとの出逢いで、強くなることができたんです。

 本当に感謝の言葉をいくら並べても足りないくらい…

 それと、ほんとは…」


 ひまわりは、祖父の事をこんなに思ってくれている彼に、感激していた。


「本当は?」


 ひまわりがそう問い返すと、彼は、初めて、ひまわりの目を見てくれた。


「本当は、僕は、おじいさんから聞くひまわりさんの話と写真で、あなたに恋してました。結局、会えずじまいで、僕はシンガポールへ行くことになったんだけど。

 あ、今でも、父はそこに住んでいます。

 実は、僕の初恋でした。シンガポールに行ってからも、おじいさんとは手紙のやりとりをして、さりげなくあなたの事を聞いたりしてました。

 そして、僕は、高校三年の冬に、久しぶりに日本に帰ってきて、この家を訪ねたことがあるんです。その時は、たぶん、ひまわりさんのお母さんがいらっしゃって、おじいさんが亡くなったことを聞きました。

 僕は、泣きながら、シンガポールへ帰ったのを覚えてます」


「そうなんですね…」


 ひまわりは、彼の話を聞きながら、泣きそうになっていた。


「僕は、それでも、ひまわりさんに会いたいとずっと思ってました。東京に住んでいるのは分かってたけど、中々、行くことがなかったし、住所も分からなかった」


 その時、ひまわりは、突然、海人を思い出した。海人は、ひまわりを、絶対に捜し出すと言ってくれた。


「私を捜してくれたんですか?」


 ひまわりは半信半疑で聞いてみた。


「はい。でも、僕とひまわりさんを結んでいるものは、おじいさんとこの家しかなかったので、だから、日本に帰ってくるたびに、ここへ足を運びました。でも、中々、会えなかった…」


 ひまわりは、もう一度、彼の顔を覗き込んだ。眼鏡のせいでよく分からなかったけれど、そこには、優しそうな笑顔がある。


「僕は、大学を卒業後、シンガポールの企業に就職しました。それで、最近、東京支社に転勤になったんです。

 今日は、たまたま、出張先で暇ができて、レンタカー借りてここまで来ました」


 ひまわりは、胸の鼓動が止まらなかった。

 海人のようで海人とは全く違う別人のこの人が、ずっと、私を捜していてくれてたなんて…


「今日は、ここに来て本当に良かった。17年かかったけど、やっと、あなたに会えたから」


「でも、もう、子供じゃない…

 子供の私を思い描いていたのなら、がっかりしたんじゃないですか?」


 今日のひまわりは、エプロンにジーンズの恰好で、化粧もほとんど落ちていた。


「全然、全く。僕が、思い描いていたひまわりさんそのものです。

 僕は、もう一生かかっても、ひまわりさんには会えないと思っていたんです。

 だから、本当に嬉しい。なんか一方的にすみません、忙しいところ…

 僕は、もう、仕事に戻らないとならないので。

 ひまわりさん、よかったら、僕と友達になってもらえませんか?

 僕の名刺を渡しておきます。もし、ひまわりさんが気が向いたら連絡ください」


 彼はそう言うと、車に乗り、手を振って行ってしまった。


 ひまわりは、手渡された名刺を見て座り込んだ。涙で見間違えたのかもしれないと思い、溢れる涙をふき、もう一度、名刺を見てみた。


 佐藤 海(わたる)


 海と書いて、わたると読む彼の名前…

 ひまわりは、その時に、海人の存在を感じ取った。本当に、私を捜し出してくれたんだと…


 その後、海(わたる)とひまわりは連絡を取り合い、半年も待たずに、結婚した。

 ひまわりは、海人との出会いは、ずっと胸の内にしまっている。

 海人は、70年以上も前に死んでしまった。そんな彼が、私の元へ来てくれた奇跡を誰も信じないだろう。だからこそ、大切に私の心の奥にしまいこんだ。

 海が、海人の生まれ変わりだとしても、私は驚かない。私の心が海人を受け入れ、そして、海を受け入れたのだから。

 Reincarnation、輪廻転生、再生、生まれ変わり、肉体は滅びても、魂は永遠に生きる。そして、再び別の肉体に宿り、この世に戻る。世界中に、色々な言い伝えや諸説が数多く存在するように、海人が残してくれたあの言葉は、私を海人の魂へと導いてくれたのかもしれない。


“絶対、この時代の誰かに生まれ変わって、必ず、ひまわりを見つけるよ…”



 そして、ひまわりと海は、かけがえのない命を授かった。

 ひまわりのお腹の中で元気に育っているこの小さな赤ちゃんは、きっと、男の子だろう。二人で、もう名前は決めていた。


「佐藤 海人」





















































































































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