第12話 消息


「サチさん、海人さんが…急に、いなくなって…ずっと捜し回ったんだけど…どこにもいなくて…」


 ひまわりはそう言いながら、民宿の玄関先にしゃがみこんだ。


「海人さん、熱があって、顔が真っ青で…私、冷たいお茶と氷をもらいに…お店に行って戻ってみたら…海人さん、いなくなってた…」


 ひまわりは、これ以上は話せなかった。

 海人がいなくなった?

 消えた?

 ひまわりは溢れる涙を抑えることができず、サチの手を握りながら、子供のように泣きじゃくった。


「海人さんは、私が初めて愛した人なんです…

 海人さんも、そう言ってくれた…


 サチさん、いなくなったなんて嘘ですよね…

 嘘だと言ってください…」


 サチは、ずっと黙っていた。

 そして、泣きやみそうにないひまわりにこう聞いてきた。


「海人君は、何て言ってかい?

 今日、ひまわりちゃんに、大切な話をするって言ってたから…


 私に話してごらん…」


 ひまわりは、サチの部屋で少し横になった。海人を失った喪失感は大きく、ひまわりは、まばたきもせずに、部屋の片隅をただぼんやりと見ていた。

 海人は、お母さんの元へ帰れたのだろうか…

 ふと、そう考えた時、今日、海人がひまわりに話してくれた内容が、次々と頭に浮かんできた。


「サチさん…」


 ひまわりは起き上がり、サチを呼ぶと、サチはひまわりの横で、ひまわりが起きるのを待っていてくれた。


「サチさん…

 海人さんは、僕は、きっと死んだんだって言ってました…

 ここに来る直前に、ミサイルを撃ち落とされたって…


 でも、もし、死んでしまっているのなら、ここへは来れない…だから、もし、本当に海人さんが消えたのだとしたら、お母さんの元へ帰ってますよね…

 自分の元いた時代に・・・」


 きっと、お母さんや妹さん達に会えている…

 海人さんは絶対に死んでいない…

 ひまわりは、そうであってほしいと心から思った。そうであるのなら、ひまわりは、海人の事を諦めることができるような気がした。


「ひまわりちゃん…

 海人君が、最後に言った言葉が、真実だと私は思うよ…


 彼は、ここ最近、ずっと苦しんでた。頭痛もひどかったみたいだけど、精神的に追い詰められているようだった。

 海人君の言う通りなら、彼は死ぬ直前の、まだ魂があるほんの一瞬を使って、ひまわりちゃんに会いに来たんだよ」


「何のために?」


 ひまわりは何も分からなかった。


「何のために?

 そんなの簡単なことじゃないか、二人は、前世からの、恋人同士なんだよ…

 無意識の中で求め合って、二人を、神様が出会わせてくれたんだよ…」


「そんなこと言われても…もう、海人さんはいないのに…」


 ひまわりはタオルで顔を覆いながら、声を殺して泣いた。


「実は、最後のでっかい花火が上がった時、海人君がここへ来たんだ…

 私は食堂の窓から花火を眺めていたら、一番奥のテーブルの横に立ってた。ぼんやりとしか見えなかったけど、にっこり笑って、ありがとうって言ってたよ…


 それで私は、ひまわりちゃんが心配で、ずっと外で待ってたんだよ」


 そう言いながら、サチも泣いていた。


「ひまわりちゃん、海人君は、もっと大事なことを伝えたはずだよ。

 その言葉をしっかり胸に刻んで、頑張って生きていかなきゃいけないよ」


 もっと大事な言葉?


「僕は、絶対にひまわりを捜し出すよ」


 海人は私の前から消えた。

 突然現れて、私の全てを持っていった。

 あの時交わした約束も、はにかんで笑うその仕草も、抱きしめてくれる力強い腕の力も、私の記憶に確実に残っている。


 本当に消えてしまったのなら、私も連れて行ってほしかった。

 私は、もう、海人なしでは生きていけない。

 何をすればあなたに会える?

 バカな私は何も思いつかないよ…


 海人さん…

 どうすればまた会えるの?…


 ◇◇


 ひまわりはサチに頼まれて、海人の部屋の片づけをした。

 サチは、もう海人は帰ってはこないんだよと、ひまわりを何度も説き伏せた。ひまわりは、自分の心の整理はつかないまま、半信半疑で、海人の物を箱に詰めた。

 海人は、何も残していなかった。Tシャツと短パン、下着が一組と、洗面道具。

 部屋は綺麗に片付いており、ひまわりは、何もすることがなかった。

 海人がいつも座っていた座椅子に腰掛けて、この部屋で一緒に過ごした時間を思い浮かべた。ひまわりは目を閉じ、海人の笑顔を、声を、一つ残らず脳裏に焼き付けた。

 私は、海人を絶対に忘れない…

 そう心に誓って目を開けてみると、海人の着替えの横に、小さな紙の袋を見つけた。それは、近所のスーパーの紙袋だった。

 そっと中を覗いてみると、そこには、ひまわりの造花のついたヘアゴムが入っていた。ひまわりは、そのヘアゴムを手に取った。


「海人さん、ありがとう…

 きっと、近々、私に渡そうって思ってたんだよね…

 ちゃんと、受け取ったよ」


 海人が何のためにこの時代にきて、私に会いに来てくれたのか、絶対に、何か意味があるに違いない。

 ひまわりは、海人が買ったひまわりのヘアゴムで髪を結び、そして、心に決めた。

 私が、海人さんを捜し出す。

 彼が生まれ育った故郷を訪ねてみよう。

 70年も経ってはいるけれど、そこに行けば何か消息がつかめるかもしれない。

 小さなことでもいい…

 ひまわりは、海人の痕跡をたどりたかった。


 9月に入り、ひまわりは、大学の図書館に入り浸っている。

 海人がいなくなった後、ひまわりは、すぐに東京に帰ってきた。

 東京に帰る前に、ひまわりはサチに正直に全部を話した。

 これから海人の痕跡をたどろうとしていることを…

 海人の生死についても、ひまわり自身がまだ納得できていない。年はとっているかもしれないが、海人は生きている可能性だって大いにあり得る。

 おじいちゃんになっていてもいい。

 それでも、ひまわりは海人に会いたかった。


「捜すことは、真実を目の当たりにすることになる。

 今のままでいいじゃないか…

 20歳の海人くんの思い出でじゃ、だめなのかい?」


 サチがそう言うと、ひまわりは、すぐに首を横に振った。


「傷ついてもいいんです。それでも、真実が知りたい。海人さんにまつわることなら、何でもいい。

 海人さんが、遥か昔に生きていた証しを、見つけたいんです」


 ひまわりはそう言って、サチに頷いて見せると、サチも、渋々、小さく頷いた。


「海人君のことが分かったら、私にも教えておくれ。

 短い間だったけど、息子のように思ってたから」


 サチはそう言うと、ひまわりに封筒を渡した。


「ひまわりちゃんに渡してもいい?」


 それは、海人が働いた分の給料だった。

 この間まで海人がここで生きていた証しを、また、目の当たりにしたひまわりは、その給料の入った封筒を握りしめ、さらに、心に誓った。


 そして、翌日、ひまわりは、さくらに会ってお礼を言い、海人は自分探しの旅に出たと嘘をついた。さくらは、ひまわりのことを心配して、一緒に泣いてくれた。


「海人さんは、必ず、また、ひまちゃんの所に帰ってくるから大丈夫だよ」


 ◇◇


 ひまわりは、海人から聞いた故郷の話を思い出し、その断片を繋ぎ合わせる作業に没頭していた。そして、ついに、図書館で現代の地図と昭和初期の地図を照らし合わせ、海人の生まれ育った地域を特定した。そこは、埼玉県の北部の小さな町だった。

 海人の家族に会えるかもしれない、海人自身にも…

 ひまわりは、海人に生きていてほしいと思っている。


 海人が、また、無事に時を超えて、海人の家族に元気な姿を見せていてほしい。

 それが、70年前の出来事であっても…


 9月の残暑が残る暑い日だった。

 ひまわりは、電車とバスを乗り継いで、海人が暮らしていたはずの町に、ようやく辿り着いた。山に囲まれているために、東京より幾分涼しく感じられる。町役場前のバス停で降りたひまわりは、まずは、役場で木内家について尋ねてみた。

 しかし、今は個人情報の保護ということで、他人のひまわりには何も教えてくれなかった。

 ひまわりは、海人から、小さい頃によく近くのお寺で遊んだと聞いた。役場でこの町の観光マップをもらい、お寺巡りをすることにした。親切にも、貸し出し自転車があるということで、それを借りてお寺に向かった。小さい町なので、お寺の数も2か所しかない。

 最初に訪れた所は、町の観光スポットになっている比較的大きなお寺だった。平日のために、参拝客はほとんどいない。ひまわりは住職を見つけ、海人の所在を尋ねてみた。木内という姓は、この地域にはそういないらしい。しかし、ここの住職は、海人の名前に心当りはないということだった。

 ひまわりは深々と頭を下げて、また、次のお寺へと向かった。


 お寺に向かう途中、畑の中のあぜ道を通ると、海人がどこかで呼んでいるような気がした。ひまわりは、この町に海人は住んでいたと、不思議にそう確信した。

 次に訪れたお寺は、こじんまりとしていてひっそりと建っていた。人の気配もなく、途方に暮れてしまったひまわりは、しばらく、そこで待っていた。どこを見ても誰一人見当たらず、疲れたひまわりはお寺の入口の階段に腰掛け、これからどうしようかと地図を見ながら考えていると、畑仕事の恰好をした男性が、お寺に入っていくのが見えた。

 ひまわりはすぐに追いかけ、その男性に、海人の事を聞いてみた。

 よくよく聞いてみると、その男性は、住職ではないけれどこのお寺に関わる仕事をしている人だった。


「木内さんかい?この地域には、木内さんは一人しかいないからね。

 でも、もう、今は、誰もここには住んでいないよ。

 だけど、お墓はこの先の墓地にあるからね。お盆になったら、誰かしら墓参りにはきてるらしいよ」


 お墓…


 ひまわりはその墓地の場所を教えてもらい、何も考えず、とにかく、そこへ向かった。

 このお寺で、海人は妹達と遊んでいた…

 この辺りの畑で、お母さんと仕事に精を出していたのだろうか…

 海人が見てきたはずのこの風景を、しっかりと胸に刻んでおこう…


 教えてもらった墓地は、かなり古い墓が立ち並ぶ公営墓地だった。

 ひまわりはこの場所に着いた途端、重い空気を感じていた。

 海人の先祖が眠っているに違いない。

 ひまわりは恐る恐る手前の一番端から、一つ一つ、墓石に刻まれた名前を見て回った。きっと、墓に眠っている人々は、何事だと思うだろう。ひまわりは、心の中でここに来た理由を唱えながら、粛々と木内家の墓を探した。


 そして、後方の列の一番左端に、木内家と刻まれた古びた墓を見つけた。


 ひまわりは、しばらく、そこへ近づけなかった。胸の高鳴りが激しく、自分の耳にも聞こえてくる。今になって、ひまわりはこの場所へ来たことを、少し後悔していた。どんな真実が待っていようと、海人の生きた軌跡を、ひまわりは知るためにここに来た。

 どんな真実が待っていようと、私は負けない…



「木内海人さんのご先祖様に用があってきました」


 ひまわりはそう言って、墓石の前に座り、手を合わせお辞儀をした。

 そして、墓石に刻まれている木内家の先祖の名前の中に、その名を見つけてしまった。


 木内 海人  享年20才


 海人は、やはり、あの時に死んでいた…

 それでも、海人はこの世界に存在していたのだ。海人が、私に話してくれた思い出話に、何一つ嘘はなかった。


 きっと、硫黄島で、志半ばで逝ってしまったんだね…

 お母さんにも妹達にも、会うこともなく…


 そして、お母さんの名前だろうか、海人の横に、女の人の名前があった。

 享年70才とある。

 お母さんは、息子を亡くし、辛い日々を送ったに違いなかった。


 ひまわりは刻まれた海人の名前を撫でながら、ひとしきり泣いた。

 海人さん、現世では、もうあなたには会えないのかな…

 私は、これから、どうやって生きていこう…

 海人さん…


 ひまわりはその日の帰り、家の近くの公園からサチに電話をした。

 サチは、まるで、ひまわりから、今日この電話がくるのが分かっていたかのように、落ち着いて話を聞いてくれた。

 ほんの数日前まで海人と一緒に過ごし、ひまわりの頭も体も、海人の温もりを覚えている。

 お墓にまで行って、海人の死を目の当たりにしたはずなのに、ひまわり自身が、全ての真実を拒否していた。

 海人の幻でもいい、会いたい…


 ひまわりは、その正直な思いをサチに話した。


「サチさん、海人さんは、私に言ってくれたんです。


 また、必ず、ひまわりに会いにくるって…


 絶対、ひまわりを捜し出すって…」


「ひまわりちゃん、海人君は、もう、ひまわりちゃんを捜して、ここまで来てくれたじゃないか。

 こんな信じられないような本当の話は、二度はないと私は思うんだよ。


 奇跡は、たったの一度きり…」


 サチの、電話から聞こえる声は震えていた。


「だから、ひまわりちゃんは前を向いて、幸せにならなきゃだめだ。

 後ろばかりを振り返ってちゃ、幸せにはなれない。

 海人君ができなかったことを、結婚して、子供を産んで、長生きをする、ひまわりちゃんが幸せになることが、海人君への供養にもなるんだよ」


 だけど、私の幸せは、海人の存在全てだ。


「海人さんを、忘れた方がいいんですか?…」


「忘れることなんてできないのは分かってる。きっと、死ぬまで忘れられないはずだよ。でも、ひまわりちゃんはまだ若いんだから。これからの出逢いを大事にしなきゃ。


 忘れる努力をするんだよ…

 海人君は、心の奥底に大切にしまいこむ…


 多くの人間は、一番に好きな人とは、中々結ばれないものなんだから」


 忘れるということ…

 そんなことができるのだろうか…

 あの時、海人が言ってくれたあの言葉さえも、心の奥底に沈めなきゃならないの?


 絶対に、ひまわりを見つけるから…



































































































































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