第11話 花火


 ひまわりは、久しぶりにさくらに電話をしてみた。何故だか、無性に、さくらの声が聞きたかったし、今日の海人の様子を誰かに聞いてもらいたかったし、ひまわりが感じているこの不安を、陽気なさくらに、笑い飛ばしてもらいたかった。

 案の定、ひまわりの話を聞いたさくらは、屈託のない笑いをこぼした。


「ひまちゃん、恋愛してる証拠だね」


「海人さんだって人間なんだから、疲れて誰とも話したくない時だってあるよ~

 明日にはきっと元気になって、普通の海人さんに戻ってるって」



 ひまわりが「そうかな…」と元気のない返事をした。


「ひまちゃんと海人さんは愛し合ってるんだから、自信を持ちなさい」


 さくらは笑いながらひまわりを諭して、電話を切った。心にかかった靄は晴れることはなかったけれど、ひまわりは、深く考えるのをやめた。

 明日は、海人が嫌がっても、近くにいて寄り添おう。

 だって、私は、海人を守ると心に決めたのだから。


 ◇◇


 また、僕は、夢を見た。

 遠くで、母さんや妹達が、僕を呼んでいる。

 僕は、その場にうずくまり、頭を抱えて泣いていた。


 海人は午前の仕事を終え、民宿の玄関先でひまわりを待っていた。昨夜はひまわりに電話をしなかったため、今日は来ないのではないかと気になっていたが、ひまわりは、いつものバスに乗っていつもの時間に来てくれた。

 海人に気付いて嬉しそうに手を振るひまわりを見て、海人は、胸が詰まり泣きそうになった。


「海人さんが元気になってくれて、本当に良かった」


 ひまわりは、必要以上に海人を問い詰めることはしなかった。そして、お弁当の中身にも、海人の体調を気遣うひまわりの優しさが見てとれた。


 海人は、いつかは、ひまわりにも話しておかなければならないと思っている。

 僕の中で起きている変化と、その先にあるものを。

 サチの言うように、このままここに留まれるのなら、その時は笑い話になるだろう。

 そして、僕は、今を精一杯生きるだけだ。

 僕がここで生きるための原動力はひまわりであって、彼女のために、この時代で生きていくと決めたのだから。


「昨日は、本当にごめん。一日寝たら、だいぶ元気になったよ。

 まだ、ちょっと頭痛はするんだけど、ひまわりの顔を見たら痛みも消えた」


 海人は、無理に、明るく振る舞った。しかし、そんな海人を見て、ひまわりは目を伏せた。


「海人さん、私の前では無理しないでほしいの。

 私は、海人さんの苦しみも、悲しみも、一緒に分かち合いたいと思ってる。

 私を大切に思うなら、なんでも話して。一人で苦しまないで…」


 ひまわりはそう言って、海人の手を優しく握りしめた。

 海人は、何度もごめんと言いながら、ひまわりを抱き寄せた。


 母さん、まだ、僕を迎えに来ないでください…

 僕は、彼女を一人にして、行ってしまうわけにはいかないんだ。

 僕は、できることなら、彼女と一緒にいたい… この時代で、永遠に…


 気丈に振る舞うひまわりを抱きしめながら、海人は、堪えきれずに泣いた。


 きっと、私と海人は、もつれた糸の先にいる。

 そして、そのもつれた糸を、私達は、丁寧にほどいていく。

 もつれたその糸は、切れることなく、私達を迎えてくれるのだろうか…


 ひまわりと海人はお弁当を食べた後、窓際に座り、二人で海を見ていた。海人の部屋から見える海の景色は、岩場に打ちつける波が際立つ荒れた海だった。

 海人は昨日よりは元気になったように見えるが、まだ、表情は沈んでいる。

 ひまわりは隣に座っているのに、遥か遠くに、海人を感じていた。


「ひまわりに、話しておきたいことがあるんだ。

 でも、もう少し待ってほしい。僕の気持ちに余裕ができて、体調が良くなったら、ちゃんとひまわりに聞いてもらう。僕は、ひまわりには、隠し事はしない。

 それは、絶対に約束する…


 でも、今はごめん。もう少し待ってほしいんだ」


 ひまわりは、これ以上、海人の苦しむ姿は見たくはなかった。


「分かった。

 でも、私は、海人さんが早く元気になってくれるだけでいいの。話したくなければ、話さなくても全然構わない。

 私は、海人さんが側にいてくれるだけで、それだけでいいんだから」


 海人は困ったように微笑んだ。

 この時のひまわりは、海人のこの表情の理由を想像することすらできなかった。


「明後日、この近くで花火大会があるって聞いたんだけど、一緒に行こうか?」


「行きたい。でも、仕事は大丈夫?」


 ひまわりは、嬉しくて子供のようにはしゃいだ。


「サチさんに聞いてみるよ。また、今日の夜に電話する」


 ◇◇


 今日は花火大会の当日だというのに、海人は、朝からひどい頭痛に悩まされていた。日に日に痛みが増しているこの頭痛は、病気でも疲れでもないことを、海人に訴えていた。海人はそんな不安や焦りを、サチからもらった鎮痛剤で、痛みと一緒に胃の中に流し込んでしまいたかった。


 やつれた顔で朝の仕事をこなしていると、珍しく、サチが海人に話しかけてきた。


「今日は、楽しんでおいで。

 私の孫が着ていた浴衣があるから、それを着ていけばいいよ」


「いえ、いえ、大丈夫です。というか、この恰好じゃダメですか?」


 海人は、自分の服装を眺めながら聞いてみた。


「ひまわりちゃんは、浴衣を着るって言ってたよ。

 いいから、浴衣を着てお行き。

 孫と背格好は一緒くらいだから、遠慮しなくていいんだよ」


 海人は「はい」と頷いて、サチに、無理に、笑って見せた。


「今日は、せっかくのデートなのに、一段と顔色が悪いね~

 ハンサムな顔が台無しじゃないか。薬は飲んだかい?」


 サチは、さりげなくいつも海人の心配をしている。


「はい、もう少しすれば効いてくると思うので、大丈夫です」


 海人はサチに心配をかけまいと、わざと腕に力こぶを作って見せた。サチはゲラゲラ笑い「後で、浴衣を取りにおいで」と言って、去って行った。

 そして、その場に誰も居なくなると、一気に虚しさが襲ってきた。

 痛み、虚しさ、不安…

 海人は、毎日、その恐怖の底なし沼に落ちないように、必死に足を踏ん張っている、そんな気分だった。

 でも、今日は、ひまわりと花火を見に行く。海人は、頭の痛みを必死に堪えながら、その日の仕事をしっかりと片づけた。


 海人は、サチから借りた浴衣を着て、ひまわりが降りてくるバス停の前で待っていた。不思議な事に、浴衣を着た途端、少し頭痛がとれた気がした。

 海人は遅れているバスを待ちながら、今日は、ひまわりにちゃんと話をしようと心に決めた。

 ようやくバスが着いた。浴衣を身にまとったひまわりは、一番最後に降りてきた。

 白地に紫色の花模様の浴衣は、ひまわりにとてもよく似合っている。長い髪はゆるやかに束ねて後ろで一つにまとめ、淡いピンク色の髪留めと帯の色が、可愛らしいひまわりを、より一層女の子らしく見せていた。

 海人は、そんなひまわりに見惚れて、息をするのも忘れていた。


「海人さん、どう?」


 ひまわりは、海人の前でくるりと回って、にっこり笑った。


「すごく、似合ってる…

 綺麗、可愛いをどんだけ並べても足りないくらい…」


 ひまわりは本当に目が離せないくらいに、とても魅力的だった。


「海人さんだって、すごく、素敵」


 ひまわりはそう言うと、海人の手を取り、手を繋いで歩き出した。そして、二人は、祭り会場になっている海水浴場に隣接する公園まで、歩いて行くことにした。

 ひまわりは、とても楽しそうで、はしゃぎながらずっと一人で喋っていた。

 海沿いの道は、祭りに向かう車で渋滞していたので、二人は、丘の方の道を歩いた。その抜け道は、木々に囲まれて一方通行のため、車はほとんど通っていない。

 ひまわりは、木々の木漏れ日を浴びて、鼻歌を歌っている。


 海人は、ひまわりの全てを、頭に焼き付けておこうと思った。

 そして、このひとときを、永遠のものにしたいと強く願った。

 どうすれば、このままずっと、彼女の側にいれるのだろうか…


 そんなことを考える海人は、明らかに、真近に迫る別れを本能的に感じ取っていた。海人は、何も知らない無邪気なひまわりを見ながら、今日は、二人の最高の思い出になる一日にしようと心に決めた。

 すると、急に、ひまわりがしゃがみこんで、海人を呼んだ。海人が見てみると、ひまわりの下駄の鼻緒がほどけかけている。海人はしゃがんで、上手に鼻緒を結び直してあげた。


「海人さん、すごい。ありがとう」


 そう言って下駄をはき直したひまわりに、海人はしゃがんだままキスをした。

 ひまわりは、一瞬驚いたふりをして、笑いながら海人の下くちびるを噛んだ。


 ひまわりの柔らかいくちびるを、僕は、一生、忘れないだろう…


 丘の方の道を歩いていると、小さな神社の前に人だかりができていた。

 道行く人に話を聞くと、この神社の境内から、花火がよく見えるそうだ。

 ひまわりは、体調の悪い海人のことを考えて、この神社で花火を見ることを提案すると、海人はにっこり笑い、「そうしよう」と言った。


 長い階段を上り終えると、ひんやりとした風が二人を迎えてくれる。

 境内は鬱蒼とした木々に覆われていたが、海の見える方向は切り立った崖で、花火を見るにはもってこいだった。それを知る地元の人達が集まるために、そこにはたくさんの出店が並んでいる。

 海人は、海が見下ろせる二人が座れるほどの小さなスペースを見つけ、ひまわりをそこに座らせた。多くの人々は、反対側の広場に集まっているせいで、その場所は静かで、落ち着くことができた。


 ひまわりは、出店で一人分のかき氷を買ってきて、座っている海人に手渡した。


「いつも一個は食べきれないの。一緒に食べよう」


 ひまわりがそう言うと、海人は先に一口食べて、またひまわりに手渡した。

 花火の開始時刻まではまだ時間があった。海人は、ひまわりがかき氷を食べ終わるのを、待ってるような顔をしている。ひまわりはそんな海人を見ながら、少し急いで食べた。


「ひまわり、僕の話を聞いてくれる?」


 ひまわりは、かき氷を急いで食べすぎたせいなのか、一瞬、背筋が凍りついた。

 海人は、寒がっているひまわりを見て、ひまわりを自分の方へ引き寄せる。


「話す間、ずっとこうしてるから」


 海人は、優しく、ひまわりにそう言いながら、胸の内では、覚悟を決めていた。

 ひまわりに真実を伝えることは、僕達の未来を否定することだったから。


「花火が始まる前に、ひまわりにちゃんと話しておきたいんだ。僕の今を…」


「今?」


 ひまわりは、何も分からないという顔をして、海人にそう聞いた。


「僕は…

 僕は、そろそろ、この世界から消えてしまうかもしれない」


「え? この世界って? 今のこと?」


 ひまわりは動揺を隠し切れず、矢継ぎ早に聞いた。


「うん、僕もしばらくは信じてなかった。でも、最近見る夢が、僕に教えてくれるんだ。母も、妹達も出てくるよ。早くここへ戻っておいでって…」


 海人は、ひまわりの肩を強く抱きしめた。


「じゃ、お母さん達のところへ帰るの?」


 海人は、一回、深呼吸をした。


「違う、たぶん、そうじゃないんだ。

 僕は、きっと、あの戦争で、ミサイルを落とされて死んだんだ…

 死んでしまう直前に、僕は、ここへやって来たんだと思う。


 でも、もう限界が近づいてるような気がする。

 この頭痛も、日に日にひどくなるし、最近は、あの戦争のことばかり頭に浮かんでくる」


 海人は、ひまわりを見るのが怖くて、肩を抱く手に力を込めた。


「一つだけ、これだけは伝えておきたいって思って…


 もし、僕が突然いなくなってしまっても…

 心配しないで…


 僕は、何があっても必ずひまわりに会いにくる。

 絶対、この時代の誰かに生まれかわって、必ず、ひまわりを見つけるよ…」


 海人は、涙を堪えるのに必死だった。


「もし、死んでなかったら?」


 呆然とした顔で、ひまわりが聞いた。 


「ひまわりが、おじいちゃんになった僕を捜しにきて…」


 そう言って、海人は無理に笑った。


「いや…

 絶対に捜さないし、見つけてもらいたくもない。

 だって、海人さんは、今ここにいるのに?

 このまま、私と一緒にいるの…

 神様が出会うはずのない二人を、導いてくれたんだから…


 だから、私がおばあちゃんになる時に、一緒におじいちゃんになるんだよ…」


 ひまわりは、ぽろぽろ落ちてくる涙をぬぐいもせずに、海人を見ている。


「ひまわり、本当に愛してる…


 僕は、きっと、君に出会うためにこの時代にやってきたんだ…


 もし、僕がいなくなっても、寂しがらないで…」


 海人は、それ以上、言葉にできなかった。

 ひまわりは、まだ半信半疑でいるだろう… 海人は、それでいいと思っている。


 そして、ひまわりを抱きしめ、優しくキスをした。


 花火が上がり、歓声が聞こえた。

 僕達は、その綺麗な花火を、しっかりと目に焼き付ける。


 ひまわりは花火を見ながら、ついさっき海人から聞いた話を、頭の中で整理していた。海人の言葉一つ一つを思い出し、心の中で復唱してみる。

 でも、もうそんなことはどうでもいい。これからの未来は誰にも分からない。海人の不安な気持ちは痛いほど分かるけど、今、この瞬間を楽しまなきゃ。

 ひまわりは、海人の腕に抱かれながら、夜空に映える色鮮やかな花火を堪能することに決めた。

 今日は、夏の終わりといえども、一段と冷たい夜風が吹いている。

 ひまわりは、海人の様子が気になり、海人の顔を覗き込んだ。すると、顔色がすぐれず、額には玉の汗が見える。


「海人さん、大丈夫? 顔色が悪いみたい…」


「うん、ちょっと頭痛が…」


 海人は、苦しそうに答えた。

 ひまわりは、海人のおでこに手をのせてみて、熱が高いことに驚いた。


「海人さん、ここで待ってて。私、冷たいお茶と氷をもらってくるから」


 そう言ってひまわりが立ち上がると、海人は、ひまわりの手を握った。


「大丈夫だから…

 ひまわり、僕の側にいて…」


 そう言った海人の声は、花火の音でひまわりには届かなかった。


「すぐ、戻ってくるから」


 ひまわりはそう言い残し、出店のある方へ走って行った。

 出店で冷たいお茶を買い、氷をビニールに分けてもらっていると、背後で凄まじい轟音が響いた。ひまわりが驚いて振り返ると、空を覆い尽くすほどの満開の花火が上がっていた。


「今日のラストだね。さすがに、でかい花火だったね~」


 店主が、店に残っている客に、そう言っているのが聞こえた。

 ひまわりは海人が心配で、お茶とビニールに詰め込んだ氷を持って、海人の待っている場所へと急いだ。


 今まで、花火のせいで明るかった神社の境内は、薄っすらと物悲しい暗さが漂い始めている。

 ひまわりが急いで帰ってみると、二人が座っていたはずの場所には、誰も居なかった。ひまわりは、海人はトイレに行ったのだと思い、しばらくそこで待っていたが、海人が帰ってくる気配はなかった。

 花火の終わりを告げるアナウンスが流れ、人の波が出口へと向かう中、ひまわりは、必死に海人を捜し回った。具合が悪くて、どこかに座り込んでいるかもしれないと、境内の隅々まで見て回った。男子トイレの中まで入って捜した。

 だけど、海人は、どこにもいなかった。

 ひまわりは、誰もいなくなった神社の階段に腰掛けて、大きな声で海人を呼んでみた。呼んでも、呼んでも、木々がこすれあう音か、虫の鳴き声しかしない。

 ひまわりは、元来た道をとぼとぼと引き返しながら、この現実をまだ把握できずにいた。きっと、はぐれて先に民宿に帰ったのかもしれない。ひまわりは、必死に、自分にそう言い聞かせた。

 民宿の前に着いた時、サチが入口に立っているのが見えた。


「海人さん、帰ってきてますか…」


 ひまわりは、サチを見ると、堪えていた涙が滝のように流れてくる。

 でも、サチも同じように涙を浮かべながら、首を横に振った。





















































































































































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