第5話 孤独じゃなくて孤高なんです!②

 持田さんが左手でゆっくりとドリブルを始める。

 静かな体育館の中で、その音だけがやけに大きく響いて聞こえた。

 持田さんて、サウスポーなの? さて、どっちから来るかな。

 持田さんの様子を注意深く見ながら、徐々に間合いを詰めてプレッシャーをかける。一歩踏み込めば、私の手がボールに届く距離にきた瞬間、持田さんが走りだした。

 持田さんのドライブに遅れず十分に反応できた私は、抜かれないように素早いサイドステップでドリブルコースを塞ぐ。

 足が止まった持田さんは、瞬時にレッグスルーで股下に通したボールを右手のドリブルに切り替えて再び走り始めた。

 私は体勢を崩しながらも必死に離されないようについていき、彼女の前に立ちふさがった。

 持田さんが私との距離を確認しながら体の前でドリブルをする。

 私が近付こうとしたその時、持田さんが膝下に低くドリブルして右手から左手へボールを移した。

 来た、クロスオーバー!抜かれるもんか!

 切り返しにしっかり反応し、斜め後方に下がってコースを塞いだ。

 しかし、持田さんは私を抜こうとはせず、一歩下がって十分にディフェンスとの距離をとった。

 さっき彼女が確認していたのは私との距離ではなく、ゴールまでのシュートの射程距離だった。

 私がそれに気づいたとき、彼女はしなやかに高く跳躍し、美しいフォームでシュートを放っていた。

 ボールは空中でキレイな放物線を描きながら、まるでゴールに吸い込まれるように入った。

「ここからシュートは無いと思ったかしら?」

 持田さんが余裕の笑みを浮かべる。

「まだまだこれから。逆転するよー」

「その意気込み、空回りで終わらないといいわね」

 持田さんが、今度はディフェンスで私と対峙した。

「おーい飯田。これ止めないと追い込まれるぞ。ジュースなしの2点先取がルールだからなー」

「分かってらい!」

 ただの野次馬と化している荒井監督(仮)にぶっきらぼうに返事する。

 たしかに荒井先生の言うとおり、このオフェンスで点を取らないとかなりまずい。

 ジュースなしの2点先取というルールは持田さんからの提案であり、それはただ単に勝敗にこだわらず、早く帰りたいがための気持ちから出た言葉なのかと思っていた。

 しかし彼女は最初からこの展開を頭の中に描いていたのだ。私がオフェンスのこの回にシュートを決めても、持田さんはあと1点取れば彼女の勝利。さらにこの回で私を止めることに成功すれば、彼女が勝利する確率はグッと高くなる。まさに今、持田さんの勝利のシナリオ通りというわけだ。

 さて、どう攻めようかな。

 持田さんは少し距離をとってディフェンスしている。

 私にこの位置からのシュートは無いと思ってるな。たしかに無いよ……。そもそも1ON1はシュート勝負じゃないんだい!ドライブで点を決めること、相手を抜いてシュートすることが大事なんだい。

 左手でドリブルしながら右手でガードし、ゆっくり近付いていく。持田さんは腰を落とし、左手足を前に出して構える。

 ディフェンスにプレッシャーは感じないけれど、持田さんはすごく冷静で隙が無い。

 少し強引に左ドリブルで切り込むが、しっかりコースを押さえられてしまった。

 動きを止めた私からボールを奪おうと、カットを狙う持田さんの右手が攻めてくる。とっさにレッグスルーで股下にボールを通し、ドリブルを右手に持ち替える。そのまま加速して右側から抜こうと走り出すが、またしてもコースを塞がれてしまった。

「ナイスディフェンス! 飯田の足が止まったらプレッシャーかけていけ。相手よく見て離されるなよ」

 荒井先生が大きな声を出す。

 ちょっと先生、持田さん応援してどうすんの。私が勝たないと入部してくれないんだからねっ。

 右手でドリブルするボールを低く素早く左手に移して走り出す。

「クロスオーバー! 陽子ちゃん速い!」

「ダメです。持田さん、反応しています」

 切り返しに遅れることなく、持田さんは私についてきていた。

 うそっ、これでも抜けないの!? それなら――。

 目の前に持田さんが立ちふさがるタイミングに合わせ、左手のドリブルからもう一度クロスオーバー――。

 と、見せかけて持田さんの重心を右側に移動させ、私は左手ドリブルのまま彼女の重心と逆方向にトップスピードで駆け抜けた。

 持田さんを置き去りにしてランニングシュートを決める。

 よしっ、1対1だ。振り出しに戻した。次、守りきれば勝利の可能性が見えてくる!

「陽子ちゃん、ナイッシュッ!」

「あと1点、陽子ちゃんガンバレー!」

 ハルちゃんとミーちゃんの声援にガッツポーズで答える。

「左手から右手にボールを移すクロスオーバーに見せかけて、持田さんの重心を移動させ、逆方向にドライブ。インサイドアウト、きれいに決まりましたね」

「チッ、飯田のヤツ、裏かきやがって。いいディフェンスしてたのに、おしかったな」

 荒井先生の返答に米山先輩は苦笑いしている。

 いやいや、私を応援してよね。なぜに持田さんの味方をするかな。

「あと1点で私の勝ちね」

「それは私も同じだい! 負けないよ」

「さっきの二の舞にならないよう、気をつけることね」

 持田さんが微笑んだ。

 不敵な笑みという感じじゃなくて、何だか少し楽しそうに笑った気がした。

「あと1点、じっくり落ち着いて行けー。ディフェンス離れたら積極的にシュート狙っていけー」

「あー、もう! 審判、あの野次馬、退場させてください」

 渡辺先生に抗議する。

「出来るなら最初からそうしてるわよ。この勝負、あなたがしっかり勝ちきって、荒井先生を黙らせなさい」

「もちろん、そのつもりっす!」

 笑顔で答えて、私はディフェンスに集中した。

 持田さんが左手でドリブルを始める。

 離れすぎたらいけない。この位置は彼女のシュートの射程距離だ。

 踏み込めばボールに手が届く位置まで近付き、シュートとドライブの両方を警戒しながらディフェンスする。

 持田さんは動かずにその場でドリブルを続ける。

 手とボールの動きに意識を置きつつ、相手全体を見て持田さんの次の動きに備える。

 こう着状態が続き、集中力と緊張感がピークに達した瞬間、私を見ていた持田さんの視線が右方向に向いた。

 それに反応して反射的に重心が右に移動する。

 しまった!フェイク。

 気づいたときには遅かった。私の重心の逆方向、左から抜き去る持田さんの背中を必死に追いかける。

 あっという間にゴール下に到達した持田さんは、難なくランニングシュートを決めて着地すると私のほうに振り返り、拾ったボールをそっと優しく手渡した。

「私の勝ちよ。失礼するわ」

「持田さん、バスケ上手だね! すごい楽しかった。この後の練習、一緒にやらない?」

「お断りするわ」

 クールに答えて、持田さんは出口に向かって歩き出した。

「じゃあ、また一緒にお弁当食べようねー。1ON1したら、もう友達だからねー」

 ストーレートのキレイな黒髪が揺れる背中に向かって声をかける。

「まったく、あなたって人は……お断りするわ。ふふふ」

 振り返った持田さんは優しい顔で笑うと、胸の前で小さく手を振り体育館をあとにした。

 おっ、この感じは、クラスに遊びに行っても大丈夫かも。また、お弁当持って行こうっと。持田さんとバスケできて超楽しかったけど、勧誘失敗しちゃった……。

「陽子ちゃん、負けちゃったじゃん。別の意味ですぐ終わっちゃったじゃん」

 ミーちゃんが詰め寄ってくる。

「いやー、面目ない。持田さん激強だった」

「陽子ちゃんドンマイ。でも、試合すごかったねー。カッコよかったよ」

 1ON1に見入っていたハルちゃんは興奮冷めやらぬ様子。

「飯田さん、お疲れ様でした。負けてしまいましたが、ボールハンドリングや相手との駆け引きという点において、非常にレベルの高い試合でした」

「ありがとうございます!」

 やった、米山先輩に褒められた。イエイ!

「では、部員獲得を逃したペナルティとして、ダッシュ10本から練習を始めましょう」

「ハイ!……えっ、えええーーー!」

「陽子ちゃん、ファイト!」

「1本目、ハイ!」

 ハルちゃんの応援を背に受け、米山先輩が手を叩く合図で走り出す。

 先輩、ニコニコ優しい顔してダッシュ10本とか、マジ鬼マネージャーっす。

「おーい渡辺。試合終わったし、もう帰るわ」

「あ、はい。お疲れ様でした」

 荒井先生は、あくびをしながらダルそうに体育館を出て行った。

「渡辺先生は、電車通勤なんですか?」

「ええ、そうよ。船橋さんも電車よね? 飛鳥さんは?」

「私は自転車です」

 私が走り込む横で3人は会話を弾ませている。

「今日来た、あの子。えっと……」

「8組の持田文香さん。私と同じ中学出身なんです」

「あら、そうなの。船橋さんのお友達だったの。ずいぶん大人びた感じの子ね」

「あ、私もそう思いました。キレイで大人っぽいなあって」

 ハルちゃんが先生に同意する。

「陽子ちゃんも、言っていました。持田さんは、キレイで冷静な渡辺先生に雰囲気が似てるって」

「あら、そうなの? 私が?」

 渡辺先生が声を弾ませる。

「でも、渡辺先生ホントは残念&フレンドリーだって言っていました」

「マネージャー。ダッシュ10本追加してちょうだい!」

 えええーーー!そりゃないよー。褒めてあげたのに。この鬼コーチ!

「了解です。飯田さん、2セット目いくよー! ハイ」

 いきたくなーい。

 私の悲痛な心の叫びは鬼コンビに届くはずもなく、米山先輩のスタートの合図で再び走り始めた。

 持田さん、もう電車に乗ったかな?また一緒にバスケできたらいいのにな……。

 ダッシュの本数を重ねながら、私は持田さんとの1ON1をずっと思い返していた――。


 今朝も早朝に登校してみっちりシュート練習をした。米山先輩の指導のおかげで、ハルちゃんもランニングシュートとゴール下のシュートが様になってきた。

 今日は金曜日だから、放課後の練習で体育館は使えない。塩屋先生から許可をもらい、米山先輩が毎週火曜と木曜日に市民体育館を予約してくれたから、週2回はコートとゴールを使って練習ができる。

 持田さんの勧誘失敗は痛いけど、気持ち切り替えて部員を集めなくっちゃ。

「みんなおはよーっす。ミーちゃん、おはよん」

「おはよう。陽子ちゃん、昨日あんなに走ってたのに元気だね! さすが運動部」

 ミーちゃん無邪気に笑ってるけど、あとから追加されたダッシュ10本、ミーちゃんのせいだし。部活終わったあとも渡辺先生にチクチク言われたし。

「光城学園のミスター持久力とは私のことよ」

「ミスじゃないんだね」

「ミスターで男らしいたくましさを表現してみました」

「あのさ、練習場所のことなんだけど」

 ミスターに込めた私の思いをサラりと流し、ミーちゃんはマジメな顔で言った。

「昼休みは体育館使えないのかな?」

 私は首を横に振った。

 バレーサークルからのクレームにより、私たちバスケ部は体育館の使用を禁止された。しかし塩屋先生の働きかけにより、今は朝の時間帯に限り体育館の使用を許可してもらえたのだ。

「バスケ部の体育館使用は朝だけっていう約束だから無理だよー」

「個人での利用なら?」

「へっ?」

 ミーちゃんの思いもよらぬ発言に間抜けな声を上げる。

「陽子ちゃんと春香ちゃんが別々に練習すればいいんじゃない? あくまで個人的にバスケをするなら問題ないよね?」

「も、盲点。それ、イケるかも! ミーちゃんすごい!」

「でしょ。へへへ」

 ミーちゃんは悪戯っぽく笑った。

 チャイムが鳴り、塩屋先生と国府方先生が教室に入ってきた。ホームルームのあと、早速私は昼休みの体育館使用について尋ねてみた。

「うーん、確かにその解釈に間違いは無いけれど……どうでしょう、塩屋先生?」

「ハッ、ハッ、ハッ。うまいことトンチを働かせたもんだ。まるで一休さんだね。生徒会には先生から上手く言っておいてあげよう」

「よろしくお願いします」

 先生に頭を下げてから振り返ってミーちゃんにグーサインを送ると、ミーちゃんも笑顔でグーサインを返した。


 国府方先生が息を切らしながら教室に入ってきたのは、4時間目終了のチャイムが鳴って5分後のことだった。

 先生がハアハアと苦しそうに呼吸しながら、私の目の前にスマホをかざした。その画面には『昼休みの体育館使用、OK。ただし、あくまで個人練習で』という塩屋先生のメッセージが表示されていた。

 意外にも塩屋先生がスマホを使っていることにちょっと驚きつつ、先生たちがバスケ部のために奔走してくれたことが嬉しくて胸が熱くなった。

 国府方先生にお礼を言って、4組に走る。ハルちゃんを連れ出し経緯を説明しながら体育館へ走る。

「ちょっと~、2人とも待ってよ~」

 後ろからついてきていたミーちゃんが苦しそうな声で呼び止める。

「ミーちゃんまで来ることないのに。先お昼食べてて。ゴールとられちゃうといけないから、私は練習終わった後で食べるから」

「個人練習って言っても、バスケ部2人より、一般生徒が交ざっていたほうが自然でしょ? 私もあとで一緒に食べるよ」

「バスケ部のためにそこまで……ミーちゃん、愛してるぜい!」

「ハウっ!」

 ミーちゃんに飛びつくとやっぱり迷惑がられたが、彼女の気持ちが嬉しくて抱きつかずにはいらねなかった。

「ハルちゃんも後で、一緒にお弁当しよ」

「うん、ありがと」

 私たちは再び体育館に向かって駆け出した。


 お昼を後回しにしたのは大正解だった。体育館には1人も生徒の姿は無く、静まり返っていた。

 早速、倉庫からボールを取り出してランニングシュートの練習を開始する。ミーちゃんがボール拾いとパス出しを請け負ってくれた。

 コートを存分に使った練習がしたいところだけれど、そこはグッとこらえ、あくまで個人練習という名目でひたすらシュートを放つ。

 ハルちゃんと交互に左右のランニングシュートを練習し、次にゴール下、そしてミドルシュートの練習をした。

 米山先輩にも来てもらいたかったのだけれど、ハルちゃんがメッセージを送ると、先輩から『マネージャーまで揃うと確信犯になってしまいますから、昼は2人で頑張ってくださいね』と返信があった。

 早くみんな揃って、堂々と練習できる日が来るといいな。

 練習を始めて15分が経過した頃、体育館を利用する生徒が徐々に集まってきていた。皆、バレーやバスケをして楽しんでいる。私たちも変わらずシュート練習を続けた。

「あれえ? 飛鳥さんじゃない。先輩たち、飛鳥さんのことあまり話さないから、分からなかったけど、サークル抜けてバスケ部に入ったってホントだったんだー」

 背の高いジャージ姿の生徒が、わざとらしく驚いた様子で声をかけてきた。

 彼女の後ろから金魚のフンのようについてきた数名の生徒が、こちらを見ながらコソコソと話し、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべていた。

「丸山さんは調子どう? もうすぐ試合だよね?」 

「辞めた人には関係なくない? 無責任な誰かさんのせいで、試合前の雰囲気悪くなってるし。先輩たち機嫌悪くて、同学年の私らも超迷惑してんだから」

 彼女は威圧的な態度でハルちゃんを責めた。

「ハルちゃんは何も悪くない。丸山さんはハルちゃんの才能に嫉妬してるだけでしょ。元チームメイトは仲間じゃないの? 嫌がらせを言いたいなら、迷惑だからヤメテ!」

「うっ……べ、別にそんなつもりじゃないし。っていうかさーバスケ部って、体育館出禁食らったんじゃなかったっけ?」

 丸山さんは言葉に詰まったが、すぐにしたたかな表情を取り戻して尋ねた。

「昼休みに個人的な練習をしているだけ。生徒会にも報告済みだから問題は無いけど何か?」

 強気な態度で返答した。

 練習妨害しようたって、そうはいかないぞ。こっちは生徒会のお墨付きもらってるんだから。

「へー、あくまで個人の利用ってことなんだー。じゃあさ、私たちにゴール使わせてくれない? 次、体育でバスケやるから練習したいんだよね」

「は? 意味分からないんだけど。私たちが先に使ってたんだから、空くまで待ってるのが普通でしょ」

「だってあなた達は個人的な、つまり遊びでバスケをしているんでしょ? 私たち6人は授業の予習でゴールを使いたいの。つまり、優先順位は私たちが上ってこと」

 丸山さんがハルちゃんの手からひったくるようにしてボールを奪い取った。

 彼女の後ろにいた生徒たちは嘲笑しながらコートに入り、それぞれのポジションについて3ON3を始めた。

「陽子ちゃん、春香ちゃん、もう行こう」

 ミーちゃん、が私とハルちゃんの腕を引っ張った。

 いとも簡単に練習場所を奪われ、それなのに何も言い返せなくて、悔しくて私はキュッと唇を噛み締めた。

「ちょっと失礼。いいかしら?」

 私の隣に1人の生徒が立っていた。

 艶やかな長い黒髪、端正な顔立ちに冷静で大人びた表情。

 腰に手を当てた持田さんが、凛とした声で丸山さんを呼び止めた。

「なに? 私たち、練習中なんだけど」

「先に練習していたのは彼女たちでしょ。私には、あなたがコートとゴールを略奪したように見えたのだけれど」

「私らは、次体育だから予習してんの。で、あの子らは遊び。私らが優先だから譲ってもらったの。以上。もういいでしょ?」

 丸山さんが面倒くさそうに答える。

「全然よくないわ。体育の予習なんて、そんな理由が通用するとでも思っているの? 委員会に報告して職員会議にかけてもらいましょうか?」

 持田さんが右腕をかざした。そこには『風紀委員』と描かれた腕章がつけられていた。

「くっ……。わ、私は丸山裕子よ。県議会議員、丸山裕二の娘よ。あなた、分かって言ってるんでしょうね」

「自己紹介が遅れて失礼したわ。1年8組、持田文香。祖父が衆院議員時代にお世話になったみたいね。祖父がよろしく伝えるようにと。あと父が、選挙になった場合は応援に行くと。ほら、議会が知事に不信任案を提出したでしょ?」

「あ、あなた、もしかして……」

 丸山さんの顔色が見る見るうちに青ざめていった。

「祖父は元外務大臣の持田一郎、父は平和党幹事長の持田太一よ」

「し、失礼しました。父が秘書時代、持田先生に大変お世話になりました。今後もご支援、よろしくお願いいたします」

 人が変わったように、丸山さんはこめつきバッタのごとくペコペコと頭を下げながら撤収した。

「謝る相手が違うでしょうに……」

 彼女を冷めた目で見つめる持田さんはため息をついた。

「が、が、が、外務大臣だったのお!」

「おじいちゃんがね。20年くらい昔の話よ」

「持田さん、助けてくれてありがとう」

 ハルちゃんが持田さんの手をギュッと握ってお礼を言った。

「ふ、風紀委員として当たり前の仕事をしただけよ。飛鳥さん、か、顔近いから……」

 持田さんは恥ずかしそうに、ハルちゃんから視線をそらした。

「ホント助かったよー。でもなんか、びっくりしたな。学園カーストの一端を目の当たりにした気分」

「親の職業とか年収で、何となく上下関係みたいのが存在するのも事実だし、派閥とかもあるみたいだね。私には縁の無い世界だよ」

 ミーちゃんが苦笑いする。

 そう言うミーちゃんのお父さんだって、広告代理店の社長なわけで、最近やっと課長に昇進したうちのお父さんとは大違いだ。

 もしかして私、学園カーストの最下層にいる?

「親の話を持ち出すのは不本意だけれど、ああいう輩には一番効果があったわね。親の七光りに感謝ね。それじゃ失礼するわ」

 持田さんはボールを拾い上げると私に手渡した。

「本当にありがとう」

「ええ。どういたしまして」

 持田さんが私に微笑み返す。

 そのとき、いつの間にか近くで壁にもたれかかっていた誰かが声をかけてきた。

「『孤独のライトバック』が、高校に入ってお友達ごっこ?」

 それを聞いた途端、持田さんの顔から微笑みは失われ、凍りついたように表情が一変していた。

 指先と唇がかすかに震えている。

「持田さん、大丈夫?」

「え、ええ。何でも無いわ。それじゃ」

 持田さんは私と目を合わさずに、うつむいたまま急ぎ足で去っていった。

 声をかけた生徒も持田さんの後を追うようにして体育館を出て行った。

 ネクタイが緑色だから2年生だけど、持田さんの知り合いなのかな?それにしても、何だか嫌な感じ。

「ミーちゃん、あの先輩知ってる?」

 別れ際、持田さんの氷のような表情が気になって尋ねた。

「確か、滝沢先輩だと思う。同じ中学出身の……」

「持田さん、様子がおかしかったけど、あの先輩と何かあったの?」

「そうだね、持田さんすごく深刻な顔してたもんね」

 ハルちゃんも心配そうだ。

「……持田さん、中学1年のときハンドバール部に入っていたの。本人は乗り気じゃなかったみたいなんだけれど、小学校から仲の良かった友達に強く誘われて。私も周りから聞いた話だし、持田さんのプライバシーに関わることだから黙っていたんだけど……」

 ハルちゃんは持田さんの中学時代の話を聞かせてくれた。

 中学1年の4月、持田さんは親友の深津貴子さんに誘われ、ハンドボール部に入部した。持田さんは初心者ながら、持ち前の運動神経の良さと抜群のセンスですぐに上達し、仮入部期間に1年生の中で最も目立つ存在になっていた。

 5月に本入部した持田さんは、他の1年生とは別メニューで2、3年生の中で練習を行っていた。

 強豪校というわけではなかったが、静岡西部地区では上位に入賞したこともあり、ハンドボール部は部員も多く、練習もハードで有名だった。スタメンに入ることは至難であり、ベンチに入ることですら厳しいというチームで、持田さんは入部たった2ヶ月でユニフォームを獲得した。持田さんは得点に専念するライトバックというポジションで、先輩たちの中でたった1人の1年生として足を引っ張らないよう一生懸命練習に取り組んでいた。

 その頃から同級生との間に溝が生じ始めていた。発端は、持田さんを妬んだ深津さんがたびたび発した悪口によるものだった。初めは無視される程度だったが、そのうちシューズや体育着を隠されるなどの陰湿なものにエスカレートしていった。

 それを知った監督やコーチがすぐに対処してくれたおかげで、同級生からの嫌がらせは収まったものの、今度は別の問題が浮上した。

 試合で活躍するようになった持田さんを今度は2、3年生が良く思わなかったのである。

 上級生の嫌がらせはさらに陰湿なものだった。普段の態度はまったく変わらずに気さくで優しい先輩を演じる。しかし練習や試合になると、わざと受けにくいパスを出して持田さんにミスを誘発する。そのミスを理由に持田さんにはパスを出さない。持田さんはそんな悪環境の中でも必死にプレイした。しかしそれが裏目に出て、何とか得点しようと個人技に走りがちになり、相手チームのディフェンスに潰されるというケースが増加した。その結果、持田さんはベンチメンバーから外れることとなり、そのまま退部を余儀なくされた。入部から3ヵ月後のことだった。

「……退部したあと持田さん、あまりクラスメイトとも馴染めなくて。もともと自分から輪の中に入ってくるタイプじゃなかったし、ハンドボール部でのことがあって、人間不信になっちゃったのかも知れない」

「ひどい! 持田さん何も悪くないじゃん!」

 私は怒りがこみ上げ、声を荒げる。

「それで、あの滝沢先輩もハンドボール部の?」

「うん。1コ上の先輩。レフトバックっていう持田さんと同じ役割の右利きのポジションでエースだった人。噂だと滝沢先輩が主導で嫌がらせしていたって聞いたけど。持田さんを部で孤立させて、『孤独のライトバック』なんてあだ名をつけて呼ぶようにしたのも滝沢先輩だって聞いたことある」

 ハルちゃんの質問にミーちゃんは複雑な表情で答える。

「持田さん、つらかっただろうな……」

「……」

 静かにつぶやくと、2人とも悲しそうな顔で私を見た。何か言いたいけど言葉が見つからない、そんな感じだった。もしこの場に持田さんがいたら、私も彼女に何て声をかければいいのか、どんな言葉が適切なのか分からない。『過去のつまらない出来事に囚われるのは、時間の浪費よ』そんな風に彼女は口にするだろう。私の困った様子を見かねて、いつもの凛とした声で言ったあと、優しく微笑むだろう。持田さんのことを思うと胸が締め付けられるように痛くなって、そのあとの練習はまったく身が入らなかった――。


 我がバスケ部に大事件が発生したのは火曜日、市民体育館で2回目の練習日のことだった。

 先に更衣室に入り私とハルちゃんが着替え終えたところに、大慌てで米山先輩が入ってきた。

「大変です! 今日、アリーナが使えません!」

「えっ? どういうことですか?」

「米山先輩、予約してくれたじゃないですか」

 私とハルちゃんは驚いて聞き返した。

「それが、別の団体の予約を確定していたのに、コンピューターのエラーでうちの予約も通ってしまったらしいのです」

「そんなあ」

「今日アリーナを使う団体に交渉して、ハーフコートだけでも使わせてもらえないでしょうか?」

 ハルちゃんが先輩に尋ねる。

「そうですね。先方に事情を説明して、利用料を半額負担するという条件で、コートを半面使わせてもらえないか聞いてみましょう」

 私とハルちゃんは先輩の話に頷き、3人でアリーナに急いだ。

 中からドリブルの音と、複数名の声が聞こえた。

「すいませーん。失礼します」

「あー、来た来たあ。遅かったじゃん」

 馴れ馴れしい声を発する相手に見覚えがあった。

 滝沢先輩!何でここにいるの!?

 Tシャツ、ハーフパンツ姿の彼女は、同様の格好をした2人の女子と一緒にこちらを見て笑っている。

「滝沢さん、何であなたが? あ、それよりお願いがあるんですけれど。受付の不手際で、私たちバスケ部の予約と重複してしまったらしいのです。利用料を半額負担させていただくので、コートを半面だけ貸していただけませんか?」

 米山先輩が滝沢先輩に尋ねた。

 どうやら面識があるみたいだ。先輩が同学年の人と話すの初めて聞いたけど、話し方変わらないんだ。同輩や後輩にも敬語って変だけど、米山先輩が話すと違和感をおぼえないのは何でだろう。すごく上品で何だか身分の高い人に見えてしまう。

 それに比べて滝沢先輩は、ニヤニヤと下品な笑みを浮かべながら首を横に振った。

「オールコート使いたいから、おことわりー。ねえ、もう1人の子は?」

 もしかしてミーちゃんのことを言ってるのかな?

「あの子は私の友達で、バスケ部じゃないんです」

「ふーん、そっか。ギャラリーが多いほうが盛り上がるのに。まあ、いいか」

「あの、先輩方は3人で練習するんですか? それならハーフコートでも十分に思うんですけど。私たち一応部活なんで、練習させてもらえないですか? まだ正式な部ではないですけど……」

「おっ、メインゲスト来たよー。めっちゃ怖い顔してるし。ウケる。ハハハ」

 滝沢先輩は私の話を無視して、わざとらしく笑い声を上げながら入り口に向かって指差した。

 その先には、憎悪に満ちた表情で怒りをあらわにして歩いてくる持田さんがいた。

「滝沢さん、あなたどういうつもり?」

「えっとー、こーゆーつもりー。キャハハハ」

 滝沢先輩を含めた3人が、持田さんの神経を逆撫でするように爆笑する。

「この子たち、バスケ部は関係ないでしょ! 嫌がらせがしたいなら直接私にすればいい!」

 持田さんが怒鳴った。

 今日はいつもの冷静な彼女ではない。強く握られた両手拳が震えている。

「やだなー。勘違いしないでよね。私、後輩から頼まれたのよ。昼休みに体育の予習しようとしたら、『個人利用だ』って言い張るバスケ部にコート貸してもらえなかったらしいの。風紀委員もバスケ部に加担したらしいわね。それでね、バスケ経験者の私たちに教えてほしいって。熱心な子でしょー。で、火曜と木曜の放課後、ここで練習することにしたわけ。今日は上の客席で、私らのプレイを見て勉強したいって。ほら」

 2階客席には、ハルちゃんの元チームメイトの丸山さんと昼休みの取り巻きたち6人が椅子に腰を下ろし、私たちの話を聞きながら笑っていた。

「相変わらずの下劣ね。怒りを通り越して、哀れみさえ感じるレベルだわ」

「そういう割にはマジっぽいじゃん。『孤独のライトバック』が、らしくないんじゃない? じゃ、説明も終えたしウチら練習するから、どいてくれる?」

 滝沢先輩が持田さんの肩を掴んで押しのけた。

「待ちなさい。私と勝負しなさい!」

 持田さんが腕を掴んで引き止める。

「へー、勝負してどうすんの?」

「私が勝ったら、アリーナの予約を取り消しなさい」

「いいわよ。そのかわり私が勝ったら何でも言うこと聞いてもらうから。2年間、奴隷として働いてよ。キャハハハ」

 滝沢先輩の甲高い耳障りな笑い声がこだました。

 制服姿の持田さんは着替えのため、さっそうと更衣室に向かう。私たちは慌ててその背中を追いかけた。

「持田さん、勝負なんかダメだよ。負けたら奴隷だなんてリスク高すぎだよ」

「あの、私たちなら平気だから。練習場所はまた探せばいいし」

 私とハルちゃんは持田さんを説得する。

「別にあなた達のためという訳ではないの。彼女とは中学からの腐れ縁でね。ただ、あの人の思い通りになるのが気に入らないだけよ。これは私の勝手で、あなた達が気にすることでもないし、そもそもバスケ部とは関係の無いことよ」

「気にするよっ! 関係無いなんて言わないで。ミーちゃんから中学のときのこと聞いたよ。ゴメン。今、滝沢先輩と勝負すること自体、あの人の思うつぼだよ。私、持田さんの力になりたい! どうすればいいか分かんないけど、今はとりあえず――」

「今、逃げ出せば、それは敗北を認めたことと同じよ。中学時代と同じ過ちは繰り返したくないの。あなたも知っているかもしれないけれど、私けっこう負けず嫌いなの」

 持田さんはニッコリと笑い、力強く走ってアリーナへ引き返した。

「陽子ちゃん、どうしよう。持田さん、自分のためみたいに言っていたけど、きっと私たちのために……」

「そうだ! あのときと同じようにすればいいんだよ。持田さんのおじいちゃんやお父さんの名前出せば、滝沢先輩も絶対引き下がるよ」

「残念ながら、それは無理だと思います。滝沢さんのおじい様は元大蔵大臣の滝沢昭三、お父様は、平和党最大会派である滝沢派の滝沢昭栄です。持田家と滝沢家は同じ平和党ですが派閥としてライバル関係にあります」

「そんなあ……」

 私たち3人は解決策を見出すことができず、ただその場に立ち尽くすしかなかった。

 アリーナから、大きな声と早いテンポのドリブルの音が聞こえてきた。

 もう試合が始まったのだ。持田さんが私たちのために戦っている。

 私たちはアリーナに急いだ。

「!?」

 試合の光景を目の当たりにして私は言葉を失った。

 ドリブルするオフェンスの持田さんに対して、ディフェンスが3人。

「おっ、調度いいところに来た。米山さん、得点板お願い」

 後方でディフェンスする滝沢先輩が余裕の表情で声をかける。

「何やってるんですか!?」

「何って、3ON3だけど? 見りゃ分かるじゃん」

 大きな声を出した私に対して、滝沢先輩はおちょくるような態度で答えた。

「持田さんは1人じゃないですか!」

「あ~、この子友達いないんだって。中学の頃のあだ名『孤独のライトバック』だしね。キャハハハ、ウケる。あ、今はバスケだから『孤独のフォワード』って感じ? やばい、カッコよくない? ハハハハハハ」

 滝沢先輩は、上の観客席で見物する丸山さんとその取り巻きたちに話しかけ声を出して笑った。

「あなたに笑っていられる余裕なんてあるかしら?」

 ディフェンス2人を華麗なボール捌きでかわした持田さんが、ゴールに向かって鋭く切り込んできた。スピードを落とすことなく、クロスオーバーで左手から右手にボールを移した持田さんは、左肩を押し込むようにしながら少し強引にドライブする。

 滝沢先輩は抜かれず、ピッタリと張り付くようについていく。

 ゴールから少し離れた位置で踏み切り、持田さんがランニングシュートを放った。

 滝沢先輩がブロックに跳ぶが持田さんの打点の方が高く、ボールに触れることはできない。

 ボードの的確な位置に当たって跳ね返ったボールがリングを通り抜けた。

「わー、すごーい。さすが『孤独のライトバック』激強じゃーん。じゃ、次、ウチらのオフェンスいくよー」

 滝沢先輩がボールを拾ってチームのガードにパスを送った。

 持田さんはすでに息が上がっていた。苦しそうに浅く呼吸しながら、3人のオフェンスに向かい合う。

「ハルちゃん、行こう! 持田さんを助けなきゃ」

「うん!」

 ハルちゃんが私の目を見て力強く頷いた。

「来ないでっ。私は平気よ。さっきも言ったでしょ。あなた達には関係ないって!」

 持田さんは目の前の敵を睨んだまま、振り絞るような声を出した。

「あれ? この子とバスケ一緒にやりたいの? 飯田さんと飛鳥さんだっけ? でも負けたら罰ゲームあるよ~。えっとねえ、負けたらこの子は奴隷だけど、あなた達はもっと優しいのにしてあげる。そうだ! バスケ部解散にしよう! キャハハハ」

 甲高い声で笑いながら滝沢先輩が走り出した。

 持田さんはドリブルしているガードの先輩から少し離れてパスを警戒した。

 その瞬間ガードの先輩がドリブルで走り出す。コースを塞ごうと持田さんが間合いを詰めたその時、滝沢先輩にパスが渡った。素早く切り返した持田さんが滝沢先輩のディフェンスにつく。

 滝沢先輩は動じることもなく、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべながら、もう1人のチームメイトにパスを送った。持田さんが、すかさずマークする。しかし、すぐにパスが送られ、再び持田さんはガードの先輩のディフェンスについた。

 そんな無意味なパス回しが何回も繰り返される。

 彼女たちは、明らかに持田さんをもてあそんでいた。

 十分に持田さんを振り回した後、ゴール下に走りこんでパスを受けた滝沢先輩がシュートを決めた。

「イエイ! 同点だよ~」

「ナイスシューッ」

「頼子ナイス!」

 彼女たちは見せ付けるようにハイタッチする。

 持田さんはビッショリと汗をかき、苦しそうにうつむいていた。それでも何とか顔を上げ、体育着の袖で汗を拭うと、彼女は無言でボールを受け取り真っ直ぐにバスケットゴールを見つめた。

 私とハルちゃんはお互いの顔を見合わせて頷くと、コートへ入り持田さんの隣に並んだ。

「ちょ、ちょっとあなた達、何をしているの!? コートから出なさい」

 持田さんが驚いた声を上げ、私の腕を掴んで引っ張った。

「私、持田さんは政治家に向いていると思うんだ!」

「えっ? ええっ? 飯田さん、あなた何を――」

「強くて優しくて、自分より人のことを大切に考えられて。持田さんは、人のために自分を犠牲にできる人なんだよ!」

「わ、私はそんな……」

 持田さんは顔を赤らめながら、困った様子で首を横に振った。

「そんな持田さんを落選させないため、清き一票を入れにきました!」

「は、はい?」

「ハハハハ。じゃあ、私も一票ってことで。持田さん、一緒に頑張ろう!」

「まったく。あなた達は……」

 呆れた様子で額に手を当てた持田さんの口元は微笑んでいた。

「うわっ、マジ? バスケ部解散しちゃっていいの? まあ、私はどいでもいいけど。ルールはジュースありで1ゴール1点の5点先取ね。3ポイントラインより外から決めても1点だからね。以上、なんか質問ある?」

「質問は無いですけど、言いたいことがあります。第一に、私たちはまだ負けてないし、負けるつもりもありません。第二に、私たちが勝ったら、持田さんに心から謝ってください」

「勝つ気でいるとかマジうざい」

 滝沢先輩は脅すような口調で低い声を発すると、私を睨みつけた。

「マークとか決めたいので、作戦会議させてもらっていいですか?」

「好きにすれば。どうせ意味ないし」

 私たちは頭を下げ、いったんコートから出た。

 いつの間にか、米山先輩の横に荒井先生と渡辺先生が並んで立っていた。

「おいおい、なんか面白い展開になってるな。3ON3バトルなんてアメリカっぽいな」

 荒井先生は相変わらず野次馬根性丸出しだ。

 ちょっとは空気読んでよね。

「飯田さん、大丈夫なの? 米山さんから事情は聞いたけれど、先生が仲裁に入ったほうが良い気がするわ。試合に負けたら罰ゲームだなんて、しかも内容が陰湿すぎるわ」

 渡辺先生が心配そうに私たちを見つめる。

 私は首を横に振った。

「ここまできたら、後戻りは出来ないので。勝つしかありません!」

「あの、米山先輩、あの3人とはお知り合いですか? どういうプレイヤーかご存知ですか?」

 ハルちゃんが尋ねた。

「滝沢さんはクラスメイトですし、あとの2人、横井さんと井上さんとは1年生のときに同じクラスでした。たしか、3人ともミニバスの元チームメイトです。横井さんと井上さんは裾野東中出身、2人が3年生のときに駿東地区大会で優勝しています」

「3人とも経験者かあ。マッチアップどうしよう?」

「ポイントガードである横井さんのマークは、飯田さんか持田さんが良いと思います。井上さんは動きを見ていると、外からのシュートはほとんど無いと思います。おそらくポジションは、センターやパワーフォワードなのでしょう。身長も高いですし、飛鳥さんが適任と思われます」

 米山先輩が冷静に分析結果と考察を話した。

 私たちはマッチアップを決め、渡辺先生のアドバイスを聞いて攻撃の作戦を話し合った。

 ミーティングを終えて、3人でコートに戻る。

「おい飯田っ」

 荒井先生に呼び止められて振り返る。

「もー、なんですか? 野次馬は静かにしていてください」

「この試合、どうすれば勝てるか分かるか?」

 荒井先生がいつになくマジメな顔で尋ねる。

「えっ、なになに? いい作戦があるの? 教えて!」

「それはな、相手チームより先に、お前がシュートを5本決めれば確実に勝てる!」

「……」

 はあ。真剣に聞くんじゃなかった。めずらしく監督っぽいこと言うかと思えばこれだ。そんなこと言われなくたって、分かってらい。

 私は深いため息を1つして、苦笑いするハルちゃんと持田さんと一緒にコートへ戻った。

「無駄な準備は終わった? 得点は1対1。オフェンスそっちからね。はい」

 滝沢先輩からボールを受け取る。

 ディフェンスは私に横井先輩、持田さんに滝沢先輩、ハルちゃんに井上先輩がついた。

 私たちと同じマッチアップだ。

 左手でゆっくりドリブルしながら、持田さんとハルちゃんの位置を確認する。

 ハルちゃんはゴールの近くでパスをもらおうとしているが、背の高い井上先輩のパワーに勝てずに外へ押し出されている。

 持田さんはチラリと私に視線を送り、右に移動し始めた。

 私は左手のドリブルで走り出した。横井先輩は抜かれずにしっかりとついて来る。

 今だ! クロスオーバー。

 体の前、膝下に強くドリブルしてボールを右手に持ち替える。

 横井先輩の反応が一瞬遅れて、彼女は慌てて後方に下がって距離をとった。

 私はすかさずゆっくりとした高めのパスを出す。

「わっ、高! いきなしパスミスとかウける。キャハハハ」

「そうかしら」

 滝沢先輩の嘲笑を相手にせず、一言だけ口にした持田さんは彼女のマークを振り切って走り出す。

 高く跳躍したハルちゃんがボールに右手を伸ばす。空中でボールに触れるとキャッチせずに、切り込んできた持田さんへパスを出す。

「ナイスパス!」

 スピードを緩めずドリブルして持田さんがランニングシュートを決めた。

「ナイスシュッ!」

「持田さんナイスシューッ」

 私とハルちゃんが駆け寄ると持田さんが片手を挙げた。

 笑顔でハイタッチする。

「1点返したくらいで調子乗るなよ。マジうざい」

 滝沢先輩が私たちを睨みつけた。

「さあ、あなたのオフェンスよ。負ける準備はできたかしら?」

 持田さんがボールを拾い、力強いパスで返した。

 滝沢先輩はボールを受け取ると舌打ちをして、ポイントガードの横井さんにパスを送った。

 ドライブやペネトレイトを警戒して、抜かれないように少し間合いを空けてディフェンスにつく。

 彼女は右手でドリブルを始めると一気に走り出した。

 しっかり反応してコースをシャットダウンする。

 私が距離を縮めて前に出た瞬間、横井先輩はドリブルする右手を背中側へ回し、ボールを後方で左手に移し変えた。

 しまった、バックビハインド!

 彼女はトップスピードで私を置き去りにするとゴールへ直進した。

「ハルちゃん、ヘルプ!」

 私の声よりも早く、ハルちゃんは横井先輩を止めようと前に出た。

 ハルちゃんがヘルプに入って対峙した瞬間、横井先輩はバウンドパスを出し、それをゴール下で受け取った井上先輩がフリーでシュートを決めた。

「陽子ちゃん、ゴメン」

「ハルちゃんのせいじゃないよ。抜かれたの私だし」

「オフェンス、切り替えて1本決めましょう」

 3人で顔を見合わせて頷く。

 得点は2対2、まだ同点だ。よし、オフェンス1本取るぞ。

 私と対峙する横井先輩は離れ気味にディフェンスしている。

 持田さんへパスを出し、ゴールに向かって走る。横井先輩は振り切られずに、ピッタリ私についてきている。

 ボールを受け取った持田さんは、間髪いれずにシュートモーションに入った。

 滝沢先輩が一気に間合いを詰めてジャンプする。

 高い打点で放った持田さんのシュートは、ブロックされて床に叩き落された。

「ナイスブロック、頼子」

「ナイスブロック!」

 先輩たちはハイタッチすると、笑いながらオフェンスの位置についた。

「ドンマイ! ディフェンス1本止めるよ!」

 嫌な雰囲気が漂いだすのを敏感に感じ取った私は、それを払拭したくてわざと大きな声を出した――。

 嫌な予感は的中してしまった。

 滝沢先輩のブロックショットが成功したあと完全に相手の流れになり、先輩チームは得点を重ね、4対2で私たちはオフェンスを迎えた。

 やばい、どうしよう。あと1点でも取られたら負けちゃう。ジュースのルールだから、先攻の私たちが逆転するにはあと4点取らないと……。

 弱気になっちゃダメだ。

 ドリブルしながらゴールを見つめる。

 ――相手チームより先に、お前がシュートを5本決めれば確実に勝てる!

 ふと、試合前の荒井先生の言葉が頭に浮かんだ。

 よし!

 クロスオーバーでボールを持ち替えて走る。横井先輩はまだついてきている。

 進行方向に立つ持田さんにパスを出し、そのまま走る。

 持田さんは一瞬私と目を合わせると、ボールをキープしたままディフェンスの滝沢先輩と向き合った。

 走ってきた私に、背中を向けたままの持田さんがボールを手渡す。

 私についてきた横井先輩は、進行方向の持田さんと滝沢先輩が障害物となり足が止まった。

 横井先輩を置き去りにして、ゴールに向かって切り込み跳躍する。

 私のランニングシュートが決まった。

「陽子ちゃん、ナイス」

「ナイスシューッ、飯田さん!」

 ハルちゃんと持田さんが駆け寄り、私は2人とハイタッチした。

 私たちが持田さん中心に攻めることを相手は理解して守っていた。私が積極的に攻めることによって、チャンスも広がるんだ!

 私がランニングシュートを決めていい流れがきた。

 先輩たちのオフェンスを凌いだ私たちは、次のオフェンスでハルちゃんがゴール下からシュートを決めて得点を4対4の同点とした。

 先輩チームのオフェンス。

 横井先輩がゴール近くで面を取る井上先輩にパスを出した。

 井上先輩はハルちゃんと勝負はせず、走り出した横井先輩にパスを戻した。

 リターンパス!

 ボールを受け取った横井先輩が素早くシュートモーションに入る。

 間に合わない!

 遅れた私は横井先輩の横で跳躍して思いっきり手を伸ばした。高い打点のシュートは私の手に触れることなく放たれた。

 バシッ!

 その瞬間、ボールが強く叩き落とされて床に転がった。

 横井先輩の前には、驚くべき跳躍で圧倒的に高い位置に手を伸ばすハルちゃんがいた。

 ブロックショットを決めて着地するハルちゃんに私は抱きついた。

「ハルちゃん、ありがとー。助かったよー」

「ナイスブロック、飛鳥さん!」

 持田さんも駆け寄りハイタッチする。

「あと、2点だよ。陽子ちゃん、持田さん、頑張ろうね」

「うん! あのね私、作戦思いついたんだ。まずは……」

 私は2人に、あと2点を取るための作戦を伝えた。ハルちゃんは笑って頷き、持田さんは手で額を押さえ、「あなたらしいわね」と言いながらため息をついた。

 私たちのオフェンス。少し離れてディフェンスする横井先輩と対峙する。

 私はドリブルをせずにその場でジャンプシュートを放った。

 想定外の出来事に横井先輩は反応できなかった。

 ゴール近くのハルちゃんはリバウンドの体勢に入るが、スクリーンアウトの上手い井上先輩に押し負けてしまう。

 持田さんがゴールに向かって走り出す。抜かれた滝沢先輩が追いかける。

「シュートじゃなくてパスだよ! ヘルプ!」

 滝沢先輩が背を向ける井上先輩を大声で呼ぶ。しかし、井上先輩はハルちゃんにコースをふさがれ飛び出せない。

 ゴールにまったく届かずに落下するボールを持田さんがフリースローラインでキャッチして、すかさずジャンプシュートを放った。

 ボールはリングに触れることなく、かすかなネットの摩擦音を発し、ノータッチでゴールに吸い込まれた。

「よし!」

 持田さんが小さく控えめなガッツポーズを見せる。

「持田さん、愛してるよー」

「ナイスシューッ、持田さん」

 私とハルちゃんが飛びついた。

「ちょ、ちょっと、あなた達。まだ試合は終わってないのよ」

「そうだね。ディフェンス死守だよー!」

「オー!」

 ハルちゃんが握った拳を高く挙げ、持田さんがやはり控えめに握った拳を低く挙げながら微笑んだ。

 5対4、逆転した私たちのディフェンス。

 雰囲気の悪化した先輩チームはパスミスを連発した。

 痺れを切らした滝沢先輩が個人技に走り、ジャンプシュートを外して彼女たちのオフェンスは終了した。

 イライラの募る滝沢先輩が私にボールを投げつけてよこした。

 ――相手の挑発には乗らない。あと1点に集中。周りを良く見て、落ち着いて。

 心の中で自分に言い聞かせた。

 左手でゆっくりドリブルを始める。

 これまでとは違い、横井先輩はピッタリと私についてプレッシャーをかけてきた。スティールを警戒して、私は右手を前に出してガードしながら、持田さんとハルちゃんを確認する。

 2人も厳しくマークされていて、ここからパスは出せない。

 私が突破口を開かなきゃ!

 右肩から突っ込むようにして強引に走り出す。

 横井先輩は離されずにピッタリとついてきている。持田さんが私を追いかけるようにして走り出すのが見えた。

 左手首のスナップをきかせて、背中側から持田さんへパスを送る。

 持田さんはボールをキャッチし、フリースローラインに上がってきたハルちゃんへ高めのパスを出す。

 高く跳躍してボールを受け取ったハルちゃんは、滝沢先輩を振り切り走ってきた持田さんにリターンパスを送る。

「ヘルプ!」

 滝沢先輩が叫んだ。

 井上先輩が素早く反応して、持田さんにマッチアップする。

 持田さんは左手ドリブルをクロスオーバーで右手に切り替え、トップスピードで井上先輩を抜き去った。その勢いのまま、ゴールの下まで切り込んでいく。

「よし! ゴールの真下。あんた、そこからじゃシュートは――」

 滝沢先輩がガッツポーズを見せた。

 冷静な表情のまま持田さんは背中を反らせて跳躍し、ゴールの真下から右手をしなやかに伸ばしシュートを放った。

 ボールはボードに当たって跳ね返り、ゴールの中に吸い込まれた。

「よし!」

 控えめながらもさっきよりは大きくガッツポーズを見せる持田さんに、ハルちゃんと私は抱きついた。

「持田さん、ナイスバックシュート!」

「持田さん、超愛してるよー!」

「ちょ、ちょっと、あなた達。く、苦しいわ」

 私たち3人は大きな声で笑いながらハグした。

 米山先輩と渡辺先生が私たちに笑顔で拍手を送り、荒井先生がなぜかドヤ顔でグーサインを送っていた。

 私たちが勝利に歓喜する中、滝沢先輩たちは背を向けて歩き出していた。

「滝沢先輩、待ってください!」

「あーめんどくさっ。約束通り、アリーナの予約は取り消すから好きに使えばいいでしょ」

 彼女は振り返らずに吐き捨てるように答えた。

「もう1つの約束が残っています!」

「ハア?」

「飯田さん、それはもういいの。私は平気だから」

 持田さんが私の腕をそっと掴んだ。

「中学から今までのこと、心から持田さんに謝ってください!」

「はいはい。『孤独のライトバック』さん、ゴメンなさい。もういいでしょ? あと何か言いたいことある? この辺で納めといたほうがアンタたちのためだと思うけど」

 滝沢先輩は不適な笑み浮かべた。

「『孤独のライトバック』じゃありませんから!」

「は?」

「『孤独』じゃなくて、『孤高』なんです! 持田さんは、誇り高く真っ直ぐに生きている人なんです!」

「意味わかんないし。ダッさ」

 捨て台詞を残し、滝沢先輩は不機嫌そうにアリーナをあとにした。

 持田さんが私をジッと見つめる。

 私の名言に感動しちゃったかな?

「飯田さん、あなた……」

「うんうん。なに?」

「ずいぶん難しい言葉を知っているのね!」

 そっちかい!しかも大して難しい言葉じゃないし。私、相当おバカに見られてる?

 持田さんの発言にハルちゃんが吹き出した。

「実は私もちょっと思った。陽子ちゃんゴメン。フハハハ」

 ハルちゃんにつられて米山先輩、先生たちまで爆笑する。

 まったく、せっかくいいこと言ったのに。このまま持田さんをバスケ部に勧誘しようと思ったのに雰囲気台無しだよ。

「飯田さん、飛鳥さん、本当にありがとう。助けるつもりが、救われたのは私の方ね」

「そんなことないよ。持田さんのおかげで、アリーナ使えるよ」

「持田さん、ありがとう」

 私とハルちゃんは、持田さんの手をギュッと握りお礼を言った。

「試合にも勝てたし、私はこれで失礼するわ」

「う、うん。持田さんと一緒にプレイできて楽しかったよ。じゃあ……」

 持田さんが出口に向かってゆっくり歩き始める。

「あ、忘れるところだったわ」

「え?」

「入部届けを1枚いただけるかしら? 私、バスケットボールに興味があるの」

 振り返った持田さんが、ニッコリと優しい笑顔を見せた。

「何枚でもあげるよー! 持田さん、愛してるよー!」

「ちょ、ちょっと飯田さん。入部届けは1枚で十分よ。あと、く、苦しいわ」

 喜びのあまり、持田さんに力いっぱい抱きついた。

 持田さんの迷惑そうでちょっぴり嬉しそうな様子を見て、ハルちゃんが笑い出す。つられて米山先輩、渡辺先生、荒井先生も再び大きな笑い声を上げた。

 アリーナに、みんなの楽しそうな笑い声が響き渡っていた――。

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