第3話 まるで天使みたい!
授業終了後のホームルームを終え、私は廊下を猛スピードで駆け抜け、階段を飛び降りて勢い良く講師室の扉を開いた。
「失礼しまーす。渡辺コーチ、部活動の時間ですよー」
「ちょっと飯田さん、大声で呼ばないでよね。恥ずかしいじゃない」
渡辺先生が慌てて駆け寄ってきて、私の制服の袖をグッと引っ張った。
講師室の中では他の先生たちの間からクスクスと笑い声が漏れていた。
「えー、何でですかあ? コーチってカッコよくないですか?」
「だから、先生はそういうキャラじゃないの。美人でクールなデキル女教師って立ち位置にいるの。そこんとこ、もっと気を使って欲しいわ」
先生が無駄にセクシーに髪をかき上げる。
「はいはい。分かった、分かった。じゃあ、練習いくよー」
「今日は無理よ」
「えーっ。また合コ――」
「ちがーう! 職員会議があんのよ。いい加減そのネタやめてちょうだい」
会議があるってホントかなあ?超あやしい。先生、練習サボりたいだけなんじゃない。
私は塩屋先生にアイコンタクトを送り、真偽を確かめてみた。
塩屋先生は白髪の頭をポリポリかきながら、ウムウムと首を縦に振って答えた。
「ふう、なるほど。それなら仕方ないですね」
「飯田さん、何その微妙な間。あなた、塩屋先生の方見て、私が嘘ついてないか確かめたでしょ?」
「コーチを疑うわけないじゃないですかあ。会議終わったら、来て下さいよー。では、お先でーす」
渡辺先生の執拗な追及から逃れるため、急いで講師室から撤収する。
「もう、まったくあの子ったら」
「ハッ、ハッ、ハッ。渡辺先生、ずいぶん楽しそうですね」
「たっ、楽しくなんて……まあ、生徒に慕われるのは、悪い気はしませんけど」
講師室の中から、2人の会話が聞こえた。
渡辺先生の「悪い気はしない」と言った声が弾んだ感じに聞こえて、私はちょっぴり嬉しくなり、スキップしながら体育館に向かった。
更衣室でジャージに着替えた私を先に来た米山先輩が待っていてくれた。
マネージャーである先輩を相手にパス練習を開始する。
「飯田さん、ドリブルもそうですけどパスも基礎がしっかりできてますよね。1人でどうやって練習していたんですか?」
「お父さんが休みの日に相手してもらってました。普段は1人で壁にパス出したり、地面に投げてミートキャッチの練習したり。雨の日は、イメージトレーニングとか鏡の前でフェイクの練習とかもやってました」
先輩にパスを返しながら答える。
中学までバスケ部だった米山先輩は理想の練習相手だ。いくら私が基礎ができているといっても、それは練習メニューとしてのプレイであって、試合の中で実践してきた米山先輩のプレイとは中身が違う。
試合を経験している先輩の動きは、すごく柔らかで流れるような感じ。対して私の動きは型にはまって窮屈な感じ。頭で分かっていても力みがなかなか抜けてくれない。
「飯田さん、パス&ランやってみますか? まだバレー部も来ていないし、オールコート2メンできますよ」
「はいっ、お願いします」
コートの端から2人でパスをつないで走り、ゴールに向かってランニングシュートを放つ。
気持ちいい。
オールコートを力いっぱい走りながら、パスを受けてシュートを決める。
コートやゴールを使って練習できることも、パスを出す練習相手がいることも、私にとっては当たり前ではない特別なことで、本当に嬉しかった。
でも、そんな幸せは長くは続かなかった。
2メンを4往復したところで、バレーサークルとバドミントンサークルがやってきた。こうなると、正式な部ではない私たちは、いやおう無く練習場所を明け渡さなければならない。
「もうコートは使えないですから、1on1形式でドリブル練習しましょうか?」
「はい」
私たちは体育館の隅っこで、彼女たちの邪魔にならないように練習を再開した。
米山先輩のディフェンスをドリブルで抜く練習なのだが、私が切り返す度に先輩は素早くコースをシャットダウンし、いっこうに抜きさることはできない。それどころか、ボールを奪われてしまう始末。
バレーサークルのアップが終わり、試合形式の練習が始まったコートの横で、先輩のナイスディフェンスにひたすら悪戦苦闘を続けた。
「飯田さん、1回休憩しましょ」
「はい」
米山先輩が休憩を申し出てくれて正直助かった。先輩はまだまだ余裕な感じに見えたけど、私はもうバテバテだったから。
体育館から出て、通路に設置されている水道の水をガブガブと飲む。
「プハーっ。練習あとの水はサイコーですね」
「ふふふ。飯田さん、まるで仕事のあとのビールを味わうサラリーマンみたいですね」
米山先輩がハンカチで口元を拭きながら笑った。
「先輩は1年生のとき、バスケ部作ろうとか考えませんでした?」
「私は、そこまでの熱意はありませんでした。サークルがあればやりたいな、くらいのものでした。今回も、飯田さんが創部するために活動していることを知って、それに便乗した形ですし。バスケに関わりたい気持ちはあっても、1人では何も出来なかったんです。だから、飯田さんの描いたポスターを見て、大げさに聞こえるかもですが、運命を感じたんです。特にあの迫力あるイラストには、バスケへの溢れんばかりの情熱を強く感じました!」
先輩は両手をグッと握り締め、私の目を見つめて力強く語った。
先輩ゴメンなさい。イラストはミーちゃんが描きました。でも、バスケへの情熱はホントに溢れまくっているからね。
「あ、ありがとうございます。ところで、何でバスケ部だけ無いんですかね? 私、不思議に思ってたんです。正式な運動部は武道系が占めているとはいえ、ほとんどの球技系はサークルとして活動してますよね? バスケだけ無いって、不自然な気がします」
先輩に率直な疑問をぶつけてみた。
「ああ、そのことですけど。私も1年生のときに疑問に思ったんです。それで、所属していた風紀委員会の3年生の先輩に尋ねてみました。あくまで噂レベルの話なので、信憑性が問われるのですが……」
先輩は当時の3年生から聞いたバスケ部にまつわる話を聞かせてくれた。
光城学園理事長の光城正臣には1人娘がおり、彼女は23年前、光城学園のバスケ部に所属していた。当時バスケ部は正式な運動部ではあったものの、公式戦においての成績はかんばしくなく、いわゆる弱小チームであった。ところが、理事長の娘が入部して以来、彼女を主力としてチームが生まれ変わり、試合では連戦連勝という強豪校の仲間入りを果たすまでになった。ところが、彼女の高校最後の夏に悲劇が起こった。県大会の試合で彼女は両膝を負傷。もともと膝は故障を抱えた状態でプレイを続けており、この試合中に致命傷を負ったのである。それでも彼女は必死にプレイを続けた。しかし、試合結果は残念ながら光城学園の惜敗。さらにその後、彼女の両膝の症状は悪化の一途をたどり、足はその機能を失ってしまった。理事長はその年にバスケ部を廃部。以後、光城学園ではサークルや部活動でのバスケットボールはタブー視されている。
「……少し作り話っぽくも感じましたが、これまでにバスケ部やバスケサークルを作ろうとした先輩方が、何らかの圧力を受けて断念したという話も聞いたことがあります」
「なぬっ!? 圧力ですか? 巨大権力なんかに私は屈っしないっすよ。圧力は炊飯ジャーだけで十分ですよ」
「ふふふふふ。飯田さんって、面白いですね」
米山先輩が声を上げて笑い出した。
「まだまだ、これからですから! 部員集めて荒井先生に監督になってもらって、いっぱい練習して、いっぱい試合で勝つんです!」
「そうですね。荒井先生も練習に来てくださるといいですね。さあ、そろそろ戻りましょうか? 職員会議も終わる頃なので、渡辺コーチも来てくれますよ」
ニッコリ笑う先輩と並んで体育館へ戻る。
そうだ、コーチが来たら対人パスの練習をしよう。2人の間にディフェンスが1人はいってやるパス練習。
人数がいると練習の幅が広がってすごく楽しい。
渡辺コーチと米山先輩とどんな練習をしようか考えると楽しくて、思わずニヤけてしまった。
体育館に戻ると、相変わらずバレーサークルは悠々とコートを使用して紅白戦をやっていた。
バドミントンサークルもコート1面を使用し、ネットを挟んで打ち合っている。
私たちにもちょっと使わせてよね。
なんて、とても言える雰囲気ではない。
気を取り直して練習を再開しようかと、ボールを手にしたそのときだった。
すぐ横で試合中のバレーサークルのスパイカーが、強烈なスパイクを放った。相手は必死でレシーブしたものの、大砲のような強打に弾かれ、ボールは高めの放物線を描いてバスケットゴールのほうに飛んでいった。
私を含め、その光景を見ていた誰もが、ボール・アウトになると確信したはずだ。
しかし、その想定は覆された。
私が気が付いたとき、前衛にいた1人の女の子が一瞬でバスケットゴールの下まで走り、ローポストの位置でジャンプしていた。
彼女のピンと伸ばした手は、バスケットゴールのリングの高さまで達してボールを弾き返した。
体育館中でドッとどよめきが起こり、彼女のチーム内からは「ナイスプレイ!」という賞賛の声が上がった。
彼女が跳んでから着地するまでの時間が、ものすごく長く感じられた。
何よりも跳んでいる姿がとても美しくて、つい余韻に浸ってしまった。
「せっかく顔出したのに、何ボーっとしてんの? もう練習終わったんなら、先生帰るわよ」
「あ、コーチ、さっき休憩から戻ったところで、これから練習再開します」
相変わらずスーツ姿のままで体育館に入ってきた渡辺先生を先輩が引き止める。
「……先生」
「どうしたの飯田さん? 気の抜けた顔して」
「人って、飛べるんですね!」
「そうね。人は飛べ……えっ!?」
「よーっし! 練習再開」
気合を入れて声を出したら体育館中にこだまして、バレーサークルの人たちに睨まれてしまった。
びっくりするくらい跳んでたあの子もこっちを見て、少し笑っていた。
名前、なんて言うんだろ?
まるで鳥、いや、天使みたいだったな――
今朝は、高校に入学してから初めてのどしゃ降りの雨となり、レインコートを着て登校した。カバンは濡れないように大きなビニール袋に包んでしっかりと縛り、自転車の前かごに入れた。
学校までの道のりは自転車通学で15分くらいかかる。
校門を抜けて、駐輪場に自転車を停めてレインコートを脱ぎ、カバンからタオルを取り出して髪を拭く。
後から来た1人の生徒が、私の隣に自転車を停めた。
「おはようございます」
「あっ、おはようございます」
知らないその子が挨拶してくれたので、私も慌てて挨拶を返した。
ん?この子どっかで見たことあるような……。
彼女が大きなスポーツタオルで、ショートカットの髪を拭く様子を私は見つめた。
あああ!昨日のバレーサークルの天使だ!この駐輪場に停めたってことは、1年生なんだ。
「あ、あの。初めましてじゃないんだけど、一応初めまして。私、1年2組の飯田陽子です」
「あ、はい。初めまして。1年4組、飛鳥春香です。昨日、体育館でバスケしてましたよね?」
彼女はタオルを首にかけると、笑顔で尋ねた。
「そうなんだ。一応バスケ部というか、まだ正式じゃなくて、部員を集めてる最中なんだけどね」
「すごい! 飯田さんがバスケ部を作るってことだよね?」
「へへへ。まあ、そういうわけなんだけど。それより飛鳥さんすごいね! 昨日、飛鳥さんが跳んでるとこ見たんだけど、まるで天使みたいだったよ!」
昨日の彼女の美しい跳躍を思い出し、私は興奮して語った。
「て、天使!? そんな風に言われたこと無いから、なんか恥ずかしい。でも、ありがとう。嬉しい」
飛鳥さんはハニカミながらお礼を言った。
私たちは、駐輪場から話をしながら一緒に教室まで並んで歩いた。
飛鳥さんは、私より10センチくらい背が高い。私が150センチだから、多分160くらいかな。しゃべり方は優しくてゆっくりで、まさに天使のイメージぴったりって感じ。
出身中学や先生たちの話で盛り上がりながら階段を上り、私の教室の前でバイバイした。
飛鳥春香ちゃん、バスケ部は入ってくれないかなあ?
今バスケ部に入部すると、なんと、もれなく学食の利用が一週間無料!みたいな特典つけられたらいいのに……。
雨は昼休みになってもやむ気配は全く無く、中庭の桜の花も今日で完全に散ってしまった。
そんな雨の降り続ける昼休み、米山先輩の提案で、私は学生ホールで大きな声を出しながら部員勧誘のビラを配っていた。ミーちゃんも手伝ってくれて、先輩と3人で持ち場を分担して部員勧誘活動を行った。
学生ホールには購買もあり、昼食をとっている生徒も多い。
「バスケ部、部員募集中でーす」
「バスケットバール部です。初心者でも構いません。興味のある方いませんかあ?」
私は学生ホールの入り口で叫び、先輩は購買前で慎ましやかに声をかける。
ミーちゃんは、奥の自販機横で恥ずかしそうにビラを手渡そうと試みるが、なかなか受け取ってもらえない。
ミーちゃん、羞恥心を捨てるんだ!声を出してバカになれ!
ちょっと心配になってミーちゃんを見ていると、1人の生徒が私の手にしているビラを覗き込んだ。
「部員勧誘? すごい頑張ってるね」
「あ、飛鳥さん」
「春香でいいよ」
顔を上げて飛鳥さんが微笑んだ。
「じゃあ、ハルちゃんで!」
「うん。中学のときそう呼ばれてたよ。まだそんなに前のことじゃないのに、何か懐かしい」
「ハルちゃんは、これからお昼?」
「もう食べたよ。購買に美術で使うスケッチブックを買いにきたの。あ、そういえば、陽子ちゃん絵上手だよね。見たよ、音楽室前のポスター」
「あははは。いや、あのイラストは友達のミーちゃんに描いてもらったのです。ちなみにミーちゃんは、自販機横で赤面しながらビラ配りしてるあの子ね」
ミーちゃんを指差し、私も赤面しながら答えた。
「ミーちゃんもバスケ部?」
「ううん、違うよ。我がバスケ部の母であり、私の保護者的キャラかな?」
「そ、そーなんだあ。色々面倒見てもらってるんだね」
ハルちゃんが苦笑いする。
「あ、あのさ。ハルちゃんにお願いがあるんだ」
「なあに?」
「私と付き合ってください!」
「えええええっ!」
驚いたハルちゃんの声で周囲の人まで驚いて、こちらを注目する。
「あ、間違えた。私の練習に付き合ってください」
「びっくりしたー。練習かー」
「ゴメン、ゴメン」
私が謝るとハルちゃんは胸をなでおろし、「フウ」と1回ため息をついた。
「でも、ちょっと意外だったな」
「ん、何が?」
「陽子ちゃんが『お願いがある』って言ったとき、てっきり『入部して』って頼まれると思ったから」
「いやいやいや。バレーサークルに仮入部してるハルちゃにそれは無いでしょ」
いやいやいや。ホントは入部してほしいんだよ。ハルちゃんとバスケしたら楽しいだろーなあって考えてるんだよ。でも、こんな私でも一応空気読める子なんです。
「そっか、それは無いか……」
私の勘違いかも知れないけど、ハルちゃんは一瞬沈んで見えた。
バレーサークルが練習を開始する前の少しの時間、ハルちゃんとバスケをする約束ができた。とても嬉しくて、ハルちゃんに何度もお礼を言った。
ハルちゃんは購買でスケッチブックを購入すると、私に手を振り学生ホールをあとにした。
放課後、ハルちゃんと一緒に一番乗りで体育館に足を踏み入れる。米山先輩と渡辺コーチがそのあとに続く。
「飯田さん、廊下は走っちゃダメって言ってるでしょ」
「ゴメン、ゴメン。っていうかさ、何で先生スーツなの?」
今日もビシっとスーツを着こなし、当たり前のような顔をして体育館に入ってくる先生に尋ねる。
「私の体のラインがより美しく表現できる服装、それがスーツよ」
いや、聞いてないし。ダメだこの人。もう聞くのやめとこ。
「よしっ、じゃあストレッチ終わったら、ハルちゃん1on1やろー。コーチは審判やってね」
「1対1の試合? 私、バスケは体育でしかやったことないから、陽子ちゃんの相手にならないよ」
ハルちゃんが心配そうな顔をする。
「ハンデをつけるから大丈夫よ。飛鳥さんがシュートを決めれば2点、飯田さんの場合は1点ね。飯田さんは通常のルールでファウル、バイオレーションをとるけど、飛鳥さんはファウルさえしなければ、あとは自由にプレイして構わないから。バイオレーションって時間制限とか、歩数やダブルドリブルなんかのことね」
「あ、はい。わかりました」
ストレッチを終えて、ハルちゃんからのオフェンスで1on1を始める。
先生のホイッスルと同時に、ハルちゃんが右手ドリブルで走り出す。私がサイドステップで素早くコースを塞ぐと、ハルちゃんは両手でボールを抱え、方向を変えて再びドリブルで私を抜こうと試みる。私はボールをカットしてそのまま奪い取り、今度はハルちゃんがディフェンスに交代する。
初心者だから当たり前なのだけれど、ハルちゃんはドリブルするとき、ずっと利き腕の右手を使っている。そうすると、左にドライブする場合、ドリブルしているボールがディフェンス側の近くになりカットされやすくなる。
バスケを始めたばかりの頃、1on1でお父さんに散々スティールされまくった苦い記憶が甦る。
私もあの頃は若かったぜ。
私がドリブルを始めると、ハルちゃんはあっという間に間合いを詰めてきた。
ボールに向かって手を伸ばし、積極的にカットしようと攻めてくるディフェンス。
うわっ、すごいプレッシャー。
少し後退してハルちゃんとの距離をあけ、自分の体の前で左手ドリブルしていたボールをスピーディーに右手に移し、ディフェンスを抜いてランニングシュートを決める。
「わっ! 速っ」
ハルちゃんに驚かれて、ちょっぴり嬉しくなる。
「クロスオーバー。体の前面でチェンジするドリブルの基本的な技ね。ちなみに今のは、飛鳥さん相手だから成功したけど、経験者だったらスティールされてるわね。ディフェンスが近いのに、ドリブルが弱くて高いのよ。もっと重心下げて、ボールは膝より低い位置で強く切り返さなくちゃ」
渡辺コーチが腕を組んで指摘する。
もう、せっかくいい気分になってたのに、一言多いんだよね。ま、ホントのことだから仕方ないけど。
得点は私が先制点の1対0でハルちゃんのオフェンスに交代する。
試合はその後も危なげなく、私が連続してランニングシュートを決め4対0となる。
変化が起こり始めたのはハルちゃんオフェンスの回からだった。
これまでのオフェンスと変わらず、ハルちゃんは右手ドリブルで走ってきた。
確かにすごく速いけど、ドリブルチェンジも無いしコースも読める。
私が距離を詰めると、ハルちゃんがドリブルをストップして少し後ろに下がった……ように見えただけで、彼女は後ろに引いた体の反動を利用してダッシュした。そのままハルちゃんはランニングシュートを決めると、ピョンピョン飛び上がって喜んだ。
「ハルちゃん、今のドライブすごーい!」
「やったあ。やっと抜けたよお」
私が近寄るとハルちゃんがギュッと抱きついてきた。
グフっ、ハルちゃんちょっと苦しいよ。
「チェンジオブペース、進行するスピード差を使ったテクニックね。すごく自然に出来てたわ。見ていて私も引っ掛かりそうになったもの。ランニングシュートもキレイだったわ」
コーチがハルちゃんに向かって拍手を送る。
ハルちゃんは恥ずかしそうに頭をペコりと下げた。
試合は4対2で私がリードしてオフェンスを迎える。
ハルちゃんができるんなら、私だってできるんだい!
コーチにダメ出し無しで褒められた初心者のハルちゃんに、大人気なくライバル意識をむき出しにした私は、彼女と同じドリブルテクのチェンジオブペースで切り込んだ。ハルちゃんのディフェンスを抜いてゴールに向かってダッシュする。
しかし、再び追いついたハルちゃんが私のコースを塞ごうとする。
位置はミドルポスト。ゴールから2メートルくらいの距離。
ここからならシュートできる!
ハルちゃんが完全に追いついて体勢を整える前に、私はジャンプシュートを放った。
気が付いたらハルちゃんが私の前でジャンプしていた。
あの時と同じ、天使のような姿が目の前にあった。
私に追いつくはずのない、ボールに届くはずのないハルちゃんは、見事にブロックショットを決めた。
バシっ!
弾かれて足元に転がってきたボールをマネージャーが拾い上げる。
「ナイスブロック! すごい脚力ですね。さすがはバレーボール部ですね」
「あ、いや。今の絶対まぐれです。何か体が自然に動いたというか、反射的な感じでしたから」
米山先輩に褒められ、ハルちゃんは恥ずかしそうに、でも嬉しそうに笑った。
ピーっ!
審判を務めるコーチのホイッスルが鳴った。
「試合終了。もう時間よ。そろそろバレーサークルがくるから切り上げましょう」
「せっかく面白くなってきたところなのにー。残念。ハルちゃんありがとう。すごい楽しかったよー」
ハルちゃんの両手を握ってお礼を言う。
「ゴメンね。やっぱり私じゃ練習にならなかったね。でも、私も楽しかった。もし私で良かったら、また練習――」
ハルちゃんが話している途中でバレーサークルの人たちが体育館に入ってきた。
「飛鳥さん、何やってるの? あなたうちに仮入部してるんでしょ。何でバスケなんかしているの?」
「ムッ! バスケなんかってどういう意味ですか? バスケもバレーも同じスポーツで優劣なんて無いと思うんですけど? あと、ハルちゃんは私の練習に付き合ってもらってただけです」
私は頭にきて、語気を強めて言い返した。
「そうね、バレーもバスケも同じスポーツで優劣は無いわ。でも光城学園において、生徒会の認可を受けていないサークルは、本来活動できないのよ。私たちバレー部は、サークルとして生徒会から許可をもらって体育館を使用しているの。同等に扱ってもらいたいなら、サークル申請を出して、許可をもらってからにしてくれる?」
「サークルじゃありません! 正式な運動部として、バスケ部創設のために活動してるんです!」
威嚇するように相手をにらんで言い返す。
けんか腰の私を米山先輩がなだめようとする。
「プっ。フハハハハハハ! ねえ、みんな聞いた? 正式な運動部ですって」
体育館のコートに集まり始めたバレーサークル一同から爆笑が起こった。
「何が可笑しいんですか?」
「あなた、普通に考えたら分かるじゃない。正式運動部存続条件、全国大会で結果を残すなんて無理だって。しかも、あなたずっと1人で練習してるじゃない。バスケって、1人で試合できるんだっけえ? はっきり言って私たちの練習の邪魔。あなたは勝手に1人で遊んでればいいかも知れないけど、うちは来月試合を控えてるの。夢見るのは自由だけど、人の迷惑考えなさいよね。あなたみたいな人って、どうせ漫画とかアニメの影響でしょ?」
彼女の問いかけに対して、さらに先ほどよりも盛大な笑いが爆発した。
悔しかった。すごく腹が立った。
でも、1人なのは事実で、生徒会から許可をもらってないのもホントだから言い返せない。
全国大会行くのが難しいのだって分かってる。バスケが1人で出来ないのだって百も承知の上だ。
それでも私は――。
「1人じゃないですっ! 私も今日から入部したので、バスケ部は2名です!」
「えっ!? ちょ、ちょっと飛鳥さん、あなた何言って――」
「高い目標を持つことはいけないことですか? 自分が今できることを1人でも必死に練習することが可笑しいことですか?」
言葉遣いは丁寧だけれど、ハルちゃんの声には怒りが込められていた。
バレーサークル全員がうつむき、気まずそうに沈黙する。
「飛鳥さん、もう試合は来月なのよ。あなたが出てくれないとうちは――」
「部長らしい、自己中的思想全開のご意見ですね」
「クッ、あなた――」
「同じスポーツ選手でありながら、努力する人を馬鹿にし、自分たちのことしか考えられないようなチームでバレーは出来ません」
ハルちゃんは相手に詰め寄り、ジッと目を合わせてハッキリと口にした。
どよめきが起こる中、相手は顔をそむけてハルちゃんから視線をそらした。
「後悔するわよ! 後で泣きついてきても知らないからね」
「陽子ちゃん、先輩行きましょう」
罵声を浴びせられながら、ハルちゃんは私の手を握り歩き始めた。
何だか彼女の手は大きく、頼もしく感じた。
「飛鳥さん、意外と気が強いのね」
渡辺先生がのん気な声で言う。
「先生、味方してくださいよー。コーチでしょー」
「生徒間、特に部活間での話に先生が口出すとややこしくなるから嫌なの」
「何それー。冷たくない?」
「ま、部員が1人増えたんだから、結果オーライでしょ?」
なぜか得意げに言う。
別に先生のお手柄じゃないし。絶対違うし。
「ハルちゃん、ゴメンね。私のせいで……」
「陽子ちゃんは悪くない。私さ、逃げたんだ。バレーから」
「えっ?」
「中学のバレー部で私、スパイカーだったの。監督に『高校強豪校では通用しないから別のポジションを考えろ』そう言われたけど、その時は諦めたくなくて。中3のとき、監督の母校の高校生と練習試合をさせてもらったことがあって。相手は1つ年上なだけなのに、私のスパイクほとんどブロックされちゃって、手も足も出なかった。そのあと私の中学、全国大会まで行ったの。それで、もう十分かなって……。挑戦して負けるのが怖くて、バレーはやり切ったから、高校は勉強に集中しようって言い聞かせて……だから、サークル活動しかないコウジョに進学したんだ」
ハルちゃんの声はとても静かだった。
細くて、胸が締め付けられるような感じがして、聞いていて切なくなった。
「ハルちゃん……」
「だから、陽子ちゃんのバスケ部員募集のポスター見たとき、すごいって思ったの! どんな子なのか会いたいって思ったの! 体育館の隅で練習してる姿を見て、すごく話したかったの!」
「それで、駐輪場で挨拶してくれたんだ」
まさかハルちゃんがそんな風に思っていたとは。
びっくりした。
「だから、今度は絶対に逃げない! 怖いのは、試合で相手に負けることじゃなくて、自分の心に負けることだから。こんな私だけど、バスケ部に入部させてください。お願いします」
ハルちゃんは深く頭を下げた。
「こちらこそ、よろしくお願いします。今日さ、1on1の最後にハルちゃんがブロックショット決めたじゃん? 近くで見てもハルちゃん、やっぱマジ天使だった」
「ははは。何それ? ありがとう、陽子ちゃん」
ハルちゃんは笑っていた。笑いながら泣いていた。泣きながら私に抱きつき、米山先輩の差し出したハンカチで涙を拭いていた。
私と米山先輩までもらい泣きしてしまった。
その様子を少しの間見守っていた渡辺先生は、フッといなくなると小走りで戻ってきて、私たちにスポーツドリンクを手渡した。
「ずいぶん泣いたから、脱水症状の危険性があるわね。スポドリ飲んで水分補給しときなさい」
泣いて脱水症状なんて聞いたことないよ、先生。
そういう渡辺先生の瞳もちょっぴり潤んでいた。
ハルちゃんと、米山先輩と3人並んでスポドリを飲む。
運動のあとのスポドリもサイコーだけど、泣いたあとのスポドリもサイコーだって、この日初めて知った――。
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