第20話 ディオネ
ディオネの姿が見当たらず、ハクはきょろきょろと周囲を見渡した。しかし、黒髪の少女はこの短時間でどこかへ行ってしまったらしく、見つけることは適わなかった。
ディオネを探すことを仕方なく諦めたハクは、レント達が騒いでいるのを少し遠巻きに見ていた。
するとそこに、屋敷にいた従者を連れたライアスがやってきた。
「二人ともここにいたのか。今しがた夕食の準備が調ったそうだ。屋敷に戻るぞ」
ライアスの言葉に、ラドとハクは頷いて応えた。
ハクとラドが帰ると聞きつけた妖精族の子ども達は、再びぞろぞろと周りに集まってくる。
「二人とも、明日も村にいるんだろ? とっておきの場所に案内してやるから、昼になったらここに来いよ! じゃあなー!」
「明日はもっと二人のこと、教えてね」
レントと女の子が別れの挨拶をする。他の子ども達も笑顔で手を振り、ハクとラドを見送っている。
「うん、またね」
「……また明日」
ラド、ハクの順に彼らに挨拶をする。ハクは控えめに手を振り、ラドは翼を大きく広げた。
騒がしくも心地良い初めての雰囲気に、ハクとラドは後ろ髪を引かれながらライアスに続く。
「お前達、早速友達ができたのか? 良かったじゃないか」
ライアスは歩きながら半分振り向き、ハクとラドに話しかける。
「友達かー。今まで母ちゃんとハクとしか一緒にいなかったから、よく分からないけど。……もう友達なのかな?」
ラドがライアスの隣まで飛び、その紫の瞳でライアスを見上げる。
ハクは依然として何も言わないが、ラドと同じような胸中であることは容易に想像できる。
「明日の約束をしたんだろう? なら、向こうはもう友達と思っているさ」
「そうかな。そうだと嬉しいな。……ハクもそうだろ?」
ラドはハクの頭を右手でわしゃわしゃと撫でながら、顔を覗き込む。
「……うん」
ハクは未だぎこちないながらも、ここ二日間で一番の笑顔を見せることができた。
まだ心から笑うことはできない。
まだ母を失った悲しみから抜け出すことはできない。
それは兄も同じに違いない。
しかし兄は、それでも前を向こうとしている。
それどころか、自分を気遣ってくれている。
まだ兄のように強く振る舞うことはできない。
それでも、自分も前を向かなければ。
自分を空から見守っている母に恥じぬように。
—— — — —
従者に連れられ、ライアス達は再び屋敷の中に入った。
最初に入ったときとは異なり、温かい空気と食欲をそそる匂いが部屋に充満している。
「おかえりなさい。二人とも、村の子達とは仲良くできましたか?」
ハクとラドに優しく微笑み、イリーナは椅子に座ったまま出迎えた。その雰囲気が、先ほどよりも柔らかくなっているようにラドには思えた。
「仲良く遊んでいたな。それどころか、明日も遊ぶ約束をしたそうだ」
ラドとハクに代わり、ライアスが肩を竦めながら苦笑いを作る。
「それは良かった。では、明日はあの子も一緒に連れていってあげてください。ディオネ、こっちに来て皆さんに挨拶なさい」
イリーナが呼びかけると、ハクが先ほど見かけた黒髪の女の子が奥の部屋から現れた。
「あ……、さっきの……」
ハクが思わず声を零す。しかしディオネは、それを聞こえていないかのように無視した。
「ディオネです。皆さん初めまして」
笑顔の仮面を被り、ディオネは他人行儀の挨拶をする。ライアス、ラド、ハクもそれぞれ名乗り、一同は食卓へとついた。
イリーナは何も言わなかったが、ディオネがライアス達にすらも心を閉ざしていることを見抜いていた。
食卓には大きな石の鍋が用意されていた。鍋の中で山菜やきのこ、猪や鹿の肉がグツグツと煮えている。
「さあ、それでは食事にしましょう! お代わりもありますので、たくさん食べてくださいね」
イリーナが満面の笑みで食事の開始を告げる。
しかし、ハクとラドが目を瞑ったまま動かない。
「……あら? 二人とも、どうかしましたか?」
不思議に思ったイリーナは、ラドとハクに疑問を投げかけた。
「……母ちゃんが言ってたんだ。食べることは、命をもらうこと。だから必ず、食べる前には、食べ物に『ありがとう』って心の中で言わなきゃいけない、って」
ラドが目を開き、母の教えを思い出しながら言葉にする。
「そう……。素敵なお母様だったのですね。では、私達も二人を見習って感謝を捧げましょう」
ライアスも、イリーナも、そしてディオネも。食卓を囲んだ面々は少しの時間、それぞれの形で感謝を捧げたのだった。
—— — — —
食事が終わって数分後、ハクは屋敷の外に出た。
ディオネと話がしたい、と思ったからである。肝心のディオネは、食事が終わって早々に屋敷から出て行ってしまった。
結局食事の間も、ディオネは自分から一言も発することはなかった。
ライアスとイリーナが何回か話しかけたが、それにお手本のような返答をしただけだった。ライアスはそれを気にした様子はなかったが、ハクはそれがどうも気にかかっていた。
遊び場でのこともある。そして、他の妖精族から嫌われているということも聞いた。何を話すかなど考えてもいない。
しかしそれでも、ハクはディオネと話をしてみたい、と思ったのである。
丸太が並ぶ外壁のすぐ内側に、かがり火が等間隔に設置されている。
少し冷たい風が吹く中、ハクは村の中を探し始めた。
どこから探そうか、などと思いながら、ハクはレント達に連れられた遊び場へと足を運んだ。
子ども達の遊び場へと到着し、周囲を見渡す。昼間の喧噪はすっかり影を潜め、虫の鳴き声と星空が辺りを包んでいる。
ハクはあちこち見回すが、ディオネの姿は見つけられない。
そして、空き地の中央に生える木が目に留まる。初めてディオネを見つけた大樹である。
確信めいたものを持ち、ハクは大樹を見上げた。
そこには夜空よりも黒々とした美しい髪がなびいていた。
最初見つけた時と同じ、どこか悲しそうな目。それでいて、ハクと同世代でありながらも、美しいという言葉が似合う顔立ち。
少し見とれながらもハクは思った。
ディオネも何か大切なものを失って、まだ前を向けていないのだと。
お気に入りの枝に座って星空を眺めていたディオネは、ハクが来たことに気付いた。そして仮面を付けることはしないまま、来客者に問いかける。
「ハク……だったかしら。わざわざ何をしにきたの?」
夜風と共に、冷たい空気が二人の間を吹き抜けていった。
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