第13話 ライアスの決断

 時を遡ること四時間前、ルムガンド王国地下監獄内。


 ライアスの口から語られた、投獄までに至った経緯。話を聞き終えたコルドーは、かつての上官の目を見て微笑んだ。

「……そうでしたか。いつだってライアス様は御自分に正直でいらっしゃいますからね」


「褒められているのか、見下されているのか分からんな」

 やや顔を俯かせ、ライアスは苦笑いを浮かべる。

「見下すなんてとんでもない! ただ、やはりライアス様は私が思った通りの御方です。……ライアス様。申し訳ありませんが、少々お待ちいただけますか」


 そう言ってコルドーは懐かしい笑顔を見せると、足早に監獄の奥へと去っていった。ライアスは事態を飲み込めないまま、暗がりに消えていく松明の火を見つめていた。


 十数分が経過した後、コルドーが帰ってくる。なんと驚くべきことに、その手には輪に繋がれた独房の鍵束が握られていたのである。

 ライアスは驚愕し、自分よりも二回り以上年上の老兵を叱りつけようとした。


「コルドー! いかにかつての上官とはいえ、罪人を脱獄させ——」

「ライアス様!」

 しかし、その叱咤は途中で遮られてしまった。それどころか、初めて聞くコルドーの怒気を帯びた声にライアスは呆気に取られてしまう。


「……ライアス様はいつだってお優しい方です。ましてや罪人などでは決してございません」

 コルドーはすぐさま声色こわいろを抑え、諭すようにライアスに語りかける。


「……私は剣の腕も弓の扱いもからっきしで、どの部隊に入っても邪魔者扱いでした。部隊を転々とする中で、本当に様々な人を見てきました。上官から雑用ばかり押し付けられ、退役を考えたこともありました。……ライアス様の下で任務に就くことのできたあの時間は、本当に……心地よかった。心から笑って過ごすことのできた、唯一無二の時間でした。兵士でしか稼ぐことのできないこの私が、家内と子どもを養うことができたのはライアス様のお陰です」


 コルドーは少し恥じらいながら、皺が寄った憎めない笑顔を見せる。

「……いや、しかし」

 対してライアスは返事に窮していた。


「そんなライアス様のことですから、その竜と子どもが心配なのでしょう?」


 図星だった。竜族は凶暴にして凶悪だと教育によって刷り込まれた。しかし、実際に姿を見て、会話をし、心を通わせることができた。

 国王を疑っているわけではない。だが、このルムガンド王国の教育方針を疑問に思ってしまっているのは確かだった。


 それどころかコルドーの言葉通り、竜とその子どもの身を案じている自分がいる。そのことをライアスは改めて自覚させられたのであった。


「コルドー。……そなたの言う通りだ。私は、あの女帝竜と子の身を案じている。だが、それがここを脱獄して良い理由にはならん。陛下の命に……背く理由にはならない」

 コルドーはそれを聞き、つい先ほど監獄を出た際に耳にした情報をライアスに伝えることにした。


「半刻ほど前、陛下と各部隊隊長が軍議室に集まりました。それからというもの、城内で慌ただしく戦の準備がなされています。……おそらく、その竜を討伐に向かうものと思われます」

「なんと! しかし、こんなにも早く……」


 自分が思い描いていた最悪のケース通りに進むシナリオ。

 ライアスは、そう遠くない内に竜の討伐隊が編成され得ると踏んでいた。しかし、予想以上に状況が早く進んでいることを知り苦悩する。


「もう、そう時間はありません。頃合いを見計らってここを出て、討伐隊を止めてください。そして、ライアス様の思う信念を貫いてください」

「しかし! そんなことをすれば、そなたの身が……」


 コルドーはゆっくりと首を左右に振った。

「……いいのです。あれほどお世話になったライアス様の一世一代の大仕事です。それこそ、これを見過ごしてしまっては私が家内に怒られてしまいます」

「…………」


 そう言って再び微笑むコルドー。

 ライアスを、何とか思う通りに行動させてあげたい。かつての副隊長、愚直なまでに真っ直ぐであった騎士を、もう一度奮い立たせてやりたい。

 その一心で、コルドーは何度でも未だ決断しかねている背中を押す。


「ライアス様!! あなたの思う信念はどこに行ってしまったのですか! 騎士を騎士足らしめるのは、その心であり、その正義であると仰ったのはライアス様です! ……最期にもう一度、この老骨に騎士の心を見せてください」

 コルドーは目をいっぱいに開き、ライアスの肩を掴んで叱咤する。


「…………わかった。このライアス、そなたの覚悟しかと受け取った」

 ライアスはゆっくりと、力強く、言葉を紡いでいく。


「それでこそ、ライアス様です」

「……すまない。本当にすまない……!!」


 コルドーは破顔した後、鍵束の中から一つの鍵を取り出す。そして錠の中に鍵を入れて回すと、ガチャリ、と無機質な音が監獄内に響いた。


「もう討伐隊は出発したころかと思います。私が城内の様子を見てきますので、その後ライアス様は頃合いを見計らってここを発ってください。馬には先ほど水と餌をやっておきましたので、いつでも出発できます。それから……これを」


 コルドーは自分の腰に帯びた剣を鞘ごと引き抜き、鉄格子の隙間からライアスに差し出した。

「ライアス様の剣に比べればなまくらですが、どうか、共にこの老いぼれの魂を連れて行ってください」

「わかった」


 決心し、隙間から差し出されたその剣をしっかりと受け取る。

 自分の愛剣よりも間違いなくそれは軽いはずである。


 しかし、それはとても重かった。


 手から伝わる重みに託されたその想い。ライアスはしっかりと、噛み締めるようにそれを感じ取るのであった。


 —— — — —


「双方!! 戦をやめろぉぉーー!!」


 早馬に鞭打ち、ライアスはようやく女帝竜と一個中隊を発見する。見たところ、女帝竜はかなり負傷しており、兵士達の士気も少しずつ下がっている。

 ライアスの見立てでは、兵士達の残りは七百人前後、というところだった。


 無惨に広がる死地の中心にライアスは飛び込んでいく。

 この戦を止められるかは自分でもわからない。


 しかしこの腰に帯びた思いと、己の騎士としての信念にライアスは誓った。

(——必ず、止めてみせる!)


 —— — — —


 いつでも横にいた。

 いつでも側にいた。


 目を開けば必ず、あの温かな目と優しい言葉がそこにはあった。



 ハクはぼんやりと意識を覚醒させつつ、母に甘えようと熱が下がった体を起こした。

「……あれ? 母ちゃん?」

 しかし、眠い目を何度擦ろうとも周囲に女帝竜の姿は無い。


 まだ空には星の海が広がっている時刻だったが、夕刻から寝ていたハクは段々と目を覚ましていく。

 そして完全に目が覚め、改めて周囲を見る。


「母ちゃんどーこーだ。…………!!」

 無邪気なまま無意識に竜のプラーナを練り、遥か先まで見渡す。するとそこには、血まみれになりながらも人族と戦う、母の姿があった。


「ラド! 起きて!! 母ちゃんが!!」

 ハクは動揺し、兄を叩き起こす。



 空を雲が覆い、星達は影を潜める。


 兄弟は初めて、決して眠れない一夜を、人生で大きな転機となる一夜を経験することになるのだった。

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