第14話 女帝竜
「起きて! ねぇ、起きてってば!!」
ハクは気を動転させながら兄を叩き起こす。その顔には冷や汗が流れ、そして徐々に目が充血していく。
「……ん? どうした? ハク」
ハクのただならぬ声を聞き、ラドもゆっくりと意識を覚醒させていく。
「母ちゃんが……! 母ちゃんが!!」
もう止めることのできない涙を流しながら、ハクは戦地を指差した。頭が混乱し、言葉が出てこない。
しかし、兄にこの状況を説明するにはこれだけで十分だった。
「! ……母ちゃん!!」
ラドはハクが指し示した方角を見た。そこには血を撒き散らしながら戦う、母の姿があった。
「助けに行かなきゃ! ……ハク、お前は危ないからここで待ってろ!」
「やだ!! 僕もいく!!」
ラドはハクにここで待っているよう言いつけるが、この反応を見るに納得する様子はない。ラドは一瞬だけ悩み、決断した。
「ダメだ、ハク。すぐ帰ってくるから、大人しく待ってるんだ」
そう言い放つと、まだ小さい翼を広げてラドは空へと舞い上がる。
「やだ!! ラドお願い! 連れてって!! ……お兄ちゃーん!!」
普段であれば、その背に弟を乗せて飛んでいたラド。しかし、今はそのような場合ではない。
泣き叫ぶ弟を残し、人族と戦う母を助けるためラドは戦場へと向かった。
—— — — —
噛み殺す。
引き裂く。
噛み殺す——。
女帝竜は次々と襲ってくる兵士達を惨殺していく。
あれからさらに呼吸が苦しくなり、右目も潰れた。耳鳴りがひどく、ブレスももう吹けそうにない。
女帝竜は自分の死期が近いことを感じていた。
子ども達を守る為に死ねるなら、それは本望である。ただ唯一の心残りがあるとすれば、最期に一度でいいから子ども達を抱きしめたかった。
そんなことを考えながら、目の前の兵士の腹部を食いちぎる。
すると、遠くから近づいてくる一人の人族の姿が女帝竜の左目に映った。それは半日前に見た、金髪で端正な顔立ちの騎士だった。
「退け! 退けぇぇー!!」
馬に跨がり声を張り上げながら、その騎士は女帝竜の眼前に止まった。
「ライアス!! 一体何の真似であるか! それにお主、陛下より五日間の投獄を命ぜられていたであろう! 何故ここにいるのだ!!」
ライアスは馬から降り、腰に帯びた剣を引き抜き中段に構える。
「マルドゥク殿! このような戦は無駄です! 兵を退いてください! ……もし、それができないのであれば。第三歩兵部隊……。いや、この騎士ライアスがお相手いたします!!」
ライアスの剣の腕前の程は、ルムガンド王国内に知れ渡っている。兵士達は、若き天才騎士が目の前に敵として現れたことに大きく動揺する。
「女帝竜よ……。すまぬ。陛下を止められなかった」
ライアスは前方を向いたまま、満身創痍で地に伏し
「……いいえ、ありがとう、人族の勇敢な騎士。……そう、あなたはライアスという名なのですね」
女帝竜はそう言うと、力無く四肢を伸ばし立ち上がった。そして再び目の前の兵士達へと向き合う。
「ええい! 血迷ったかライアス!! お前達も怯むでない! ここで戦意を無くしたという者などいたならば、陛下への反逆罪としてその首切り落とすぞ!!」
激昂し、手荒な手段で兵士達を焚き付けるマルドゥク。
「マルドゥク殿、……いや、マルドゥク! 部下に対し随分な言い草ではないか!」
ライアスは不敵な笑みを浮かべて、剣を構え直す。そしてそのまま、女帝竜に謝罪を重ねた。
「そういえば名乗っていなかったな。……どうやら兵士達はそう簡単には止まらなそうだ、すまない」
それと同時に、空から母を呼ぶ声が近づいてくる。赤い、小さな竜、ラドである。
「母ちゃん! 母ちゃーん!!」
「ラド!!」
母は振り向き、その血だらけの身体で、飛んできた息子を力強く抱きしめた。
「来てしまったのね、ラド……。でも、嬉しいわ。ありがとう」
「母ちゃん……!!」
ライアスはその抱き合う親子の様子を見て、幼い日の自分の姿を重ねた。そして、悲しくも温かい過去を思い出しながら両の手を力強く握る。
「くそっ! 竜のガキまでいたとは! 砲撃部隊は何をしていたのだ!?」
「マルドゥク。ここは騎士らしく、一対一で死合わないか?」
砲撃部隊については、当然ライアスも知っている。今この至近距離で砲撃を連射されては到底適わない。そう思ったライアスは、あえてマルドゥクを挑発した。
「なん……だと……!? ……いいだろう。裏切り者、ライアス。その首、貫いてくれる!!」
挑発に乗ったマルドゥクは槍を中段に構えると、ライアスにその矛先を向けて突進する。
ライアスは一拍の深呼吸をした後、コルドーから託されたその剣を下段に構えた。
二人の距離が縮まり、マルドゥクの槍がライアスの胸元へ迫る。
「……はあぁっ!!」
一閃。
斜め上に弧を描いた剣の軌跡は、その槍の先端部を見事に切り落とした。
「なに……!!」
「さぁ、お前の負けだ。マルドゥク。大人しく兵と共に国へ帰れ」
剣の切っ先をマルドゥクの眼前に向け、ライアスは力強く言い放つ。
裏切り者に敗北宣言をされ、マルドゥクは槍の柄を力無く落とした。これで事実上、戦が終わったかに思えた。
しかしその時、マルドゥクは視線の先で夜空に浮かぶ何かを見つけた。それはふらふらと揺れながらも、確実にこちらに向かって飛んできている。遠すぎてその姿はよく見えないが、ぼんやりと見えるその翼は紛れもなく竜の翼だった。
マルドゥクは口角を上げ、目を見開きながら叫んだ。
「砲撃部隊! あの飛んでくる竜を狙え! 打てぇーー!!」
「……ハク!!」
その言葉にハッとした女帝竜は抱擁を解き、もう一人の息子へと向かい飛び立つ。
身体の節々が痛む。意識も朦朧としながら、それでもあらん限りの力で翼を羽ばたかせる。
誤算だった。まさか、ハクがここまで飛んでやってくるとは思いもしなかった。
女帝竜はそう強く後悔しながら、気力を振り絞り急上昇する。
「ハクーー!!」
ラドは弟の名を叫び、ライアスは後方の夜空を見上げる。
生き残った砲撃部隊の兵士が、無慈悲にも次々と砲弾を射出する。
(——お願い!)
母は命を削りながら飛翔し、泣き叫びながら飛ぶもう一人の息子の元へと向かうのだった。
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