2-2 神の暴挙エクソダス(1)

 ヨセフがエジプトで出世したおかげで、ヤコブ一族はエジプトで暮らすことになった。やがてヤコブも子供達も死に、その子孫イスラエル人はおびただしく増え続けた。ヨセフを気にいっていたファラオもとうの昔になくなり、エジプト人はイスラエル人を警戒するようになり、イスラエル人は強制労働を課された。


 一方、テラは増え続ける子孫に対応しきれず、御使いの仲間を増やしていった。ヤコブの子孫、つまりイスラエル人の中から、めぼしい人材を見つけ、神への信仰とイスラエル民族繁栄の理想を語り、スカウトするのだ。


 生前のうちから、死んだら特定の場所に来るように告げ、死後、正式に加入させる。もちろん、相手に気を遣わせないように、自分が神であることは隠し、アブラハムの父とも告げなかった。霊的な存在である彼らは、天使を名乗った。天使教団の誕生である。


 最初に声をかけた相手はミカエルだった。それで神が最初に作った天使と呼ばれる。正義感が強く、勇敢で統率力に富み、イスラエルの守護神と呼ばれるまでになる。歴代誌にはミカエルという名前が何度も出てくるので、当時、普通にあった名前と推測できる。生前と名前が同じなのはミカエルだけで、彼の後に加わった天使たちは、ミカエルにならい、名前の最後に神を意味するエルを付ける決まりになった。


 ガブリエルは女性と勘違いされているが、生前は男性だった。天使に選ばれた理由は、賢かったからだろう。聖書の正典に名前が載っている天使は、ミカエルとガブリエルだけだ。実際のところ天使の人数は数名にすぎず、聖書偽典のエノク書などに登場する数十名の大半は、人間の空想の産物である。


 アブラハムの時代から七百年、天使長のテラは、子や孫のために初めた御使いの仕事に興味をなくし、各メンバーは好き勝手にエジプトの街をパトロールしていた。ヨブ記に記されているサタンのように、

「地を行きめぐり、あちらこちら歩いてきました(ヨブ1:7)」。


 エジプトのイスラエル人に対する憎悪は高まり、ファラオはイスラエル人の男の赤ん坊を殺すように命じた。モーセはそんななか生まれた。本来殺されるはずが、エジプトの王女にひろわれて助かったという伝説は、もちろん創作だろう。

 大人になったモーセは、エジプト人がイスラエル人に暴行している現場を目撃した。モーセはそのエジプト人を殺した。モーセは罰を恐れ、ミディアン地方に逃げた。モーセは地元の娘と結婚し、子供をもうけた。


 モーセが去ってからもエジプトのイスラエル人への虐待は激しさを増し、天使集団は対策を講じる必要が生じた。

 モーセがミディアンにあるホレブ山(シナイ半島にあるシナイ山とされるが、ミディアンはアラビア半島北西部でアカバ湾の東にある。聖書のよくわからない点のひとつ)で羊を追っているとき、柴の間の炎の中に御使いが現れた。現れたのは御使いのはずなのに、モーセと会話をしたのは神だった。


 神は、柴の間から先祖の神だと名乗った。創造主とも唯一神とも土着の神とも言わずに、先祖の神と告げたのは、神はモーセの先祖だからだ。神はモーセに命じた。エジプトから同胞を救い出し、カナンの地へ導け。まずはファラオのところへ交渉に行け。


 モーセが名を聞くと、神は「私はある」と名乗った。モーセは自分ごときでは無理だと断った。すると「私はある」はモーセの持っている杖を蛇に変えた。それでもモーセは口べたを理由に断った。仕方なく神は、モーセの兄アロンを同行させるといって説得した。それでモーセは、エジプトに向かった。


 以上から、モーセがエジプト人を殺すのを巡回中の天使が目撃し、そのままシナイ半島までついていったことがわかる。天使集団はモーセを預言者に選び、シナイ半島でモーセに啓示を与えた。そのとき創世記時代の声だけの啓示とは異なり、炎や蛇の幻を描く能力を、少なくとも天使のひとりは身につけていた。


 出エジプト記に、エジプトの魔術師が、杖を蛇に変える記述があることから、当時かの地ではありもしない幻を描き出す能力を身につけている人間がいたことがわかる。その技を天使が学んだ場合、人の一生より長い時間修行を積めるので、相当高いレベルの技術を身につけることができるだろう。


 ただでさえ幽霊は、ありもしない自分の姿を無意識のうちに描いている。意識的に訓練すれば、蛇や蛙を描くことくらいわけはない。天使たちがこの魔術を修得したおかげで、出エジプトが可能となった。


「あなたがたのうちに、もし、預言者があるならば、主なるわたしは幻をもって、これにわたしを知らせ(民数記12:6)」


 ノックスの探偵小説十戒第二条。探偵小説には超自然現象を持ち込むべきではないそうだが、出エジプト記に堂々と魔術のことが記されているのでアンフェアではない。



 あらかじめ神だと名乗っておいたのに、モーセは神に名前を尋ねた。神は、ehyeh , ăšer , ehyeh(英訳I am that I am. I am who I am.和訳「わたしは、有って有る者(出3:14)」)と答えた。


 I am ……, uhhhh , I am ……. 私は、(名前は言えない)……である、私は……私だ、くらいにとらえればいい。名前を考えようとしたが、その場では咄嗟に思いつかず、おかしな答えになってしまった。それで、その後すぐに、

「イスラエルの人々にこう言いなさい『あなたがたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主が、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と。これは永遠にわたしの名、これは世々のわたしの呼び名である(出3:15)」

 と、失敗を訂正するかのようにアブラハム、イサク、ヤコブの神こそが永遠に自分の名だと強調した。


 モーセがエジプトにいくと、神は、

「わたしはアブラハム、イサク、ヤコブには全能の神として現れたが、主という名では、自分を彼らに知らせなかった(出6:3)」

 と、前回、私はあるとおかしな名前を名乗ってしまったことを恥じて、「ヤハウェ(その名をみだりに唱えてはいけないので主、アドナイ、ロードと普通名詞化した)」と改名したことを告げた。


 ヤハウェという名前自体が、私はある(エヘイェ)を三人称にしたイヒイェが転じたものだという説もある。私はあるなどという恥ずかしい名を名乗ってしまい、それを名前らしく変化させてヤハウェにしたのだろう。

 わかりやすく例えると、まず英語の「am」と名乗り、それを「is」に変え、「泉」と名乗り直したようなものだ。名前らしくなったものの、屈辱的な由来によるものなので、みだりに唱えてはいけないのだ。


 それからモーセはファラオと交渉し、ファラオは言うことを聞かず、エジプトに様々な災いが起きる。もちろん誇張や創作も混ざっているだろうが、炎や蛇などの幻を描くことができる能力を見につけた天使集団なら、蛙やイナゴを出現させることも、ナイル川を血の色にすることもできるはずだ。


 稲妻が轟いたり、エジプト全土が三日間闇に覆われたのも、天使が音と光を操った結果である。現代人の感覚からすると、ありえない奇跡に思えるが、

「エジプトの魔術師らも秘術をもって同じようにおこなった(出7:22)」とあるので、人間にできることを天使が行ったにすぎない。


 相次ぐ災いにファラオは屈し、イスラエル人の解放を認めた。主は、イスラエル人にエジプト人から装飾品や衣服を奪い取らせた。

「こうして彼らはエジプトびとのものを奪い取った(出12:36)」


 イスラエル人はエジプトを出て、カナンをめざし荒野を進んだ。しかし、主はエジプト軍をおびき寄せるために、わざと引き返し、海の近くにとどまるよう指示した。


「イスラエルの人々に告げ、引き返して、ミグドルと海との間にあるピハヒロテの前、バアルゼポンの前に宿営させなさい。あなたがたはそれにむかって、海のかたわらに宿営しなければならない(出14:2)」


 天使が伝令を務め、エジプトはイスラエル人が道に迷っていると判断し、追っ手を差し向けた。エジプト軍が追いついたことを知ったイスラエルの民は激怒し、モーセに文句を言った。モーセは主の言葉に従い、民を進ませた。海を目の前にすると、モーセは手をさしのべた。


 それで海は左右に割れ、イスラエル人は乾いた海の底を進み、エジプト軍もそこを追った。イスラエルの最後尾には天使がいて、雲の柱の上からエジプト軍をかき乱し、追いつかれないようにした。モーセが主の指示に従い、手をさしのべると、左右に割れた海は元に戻り、エジプト軍だけを飲み込み、イスラエルはそのまま進んだ。


「夜明けになって海はいつもの流れに返り、エジプトびとはこれにむかって逃げたが、主はエジプトびとを海の中に“投げ込まれた”(出14:27)」


 天使はイスラエルを海に誘導した。実際は海から少し離れた陸地で、目の前に海の幻を描き出し、左右に割ってみせた。イスラエルは、左右に海の描き出された荒野を進んだ。海の底が陸地と同じ高さであることをごまかすため、水が左右に引くだけではなく、海水を頭上高く持ち上げ、

「水は彼らの右と左に、かきとなった(出14:22)」。


 モーセが杖を上げると、割れた海がエジプト軍を飲み込もうとし、エジプト軍は迫りくる海の反対方向に逃げた。反対方向には本物の海があり、しかし、それも荒野に見せかけられ、エジプト軍は海に投げ込まれた。

 当時は方位磁針もまともな地図もなく、自分たちがどの方向に進んでいるのかわからなかっただろう。巨大なビジョンを投影できれば可能だ。


「信仰によって、人々は紅海をかわいた土地をとおるように渡ったが、同じことを企てたエジプト人はおぼれ死んだ(ヘブライ人への手紙11:29)」


 幻によって、人々は紅海をとおるようにかわいた土地をとおり、同じことを企てたエジプト人は、紅海に自ら飛び込んで、おぼれ死んだ。


 引き返して海辺に向かったということは、シナイ半島中央の荒野を抜け、カナン付近まで進んでいたが、主の思いつきで、エジプト軍をおびき寄せるために、アカバ湾付近まで引き返したのだろう。主の目論見通り、エジプト軍はイスラエルがそこで迷っていると判断した。


 ファラオはエジプト軍を率い、イスラエルを追った。エジプト軍が迫ると、天使たちは陸地に海の幻を描き、そこを渡っているように両者を錯覚させた。エジプト軍にだけ割れたはずの海は迫り、反対方向に逃げると、そこには本物の海が待っていた。


 敵に追われる心配のなくなったイスラエルは、そのまままっすぐ半島南部のシナイ山に向かい、律法が授けられた。偽アカバ湾を渡り、シナイ山で十戒を授かったので、出エジプト記ではシナイ山の位置を、アラビア半島北西部のミディアンと誤って記述してしまったのだ。


 ある調査では、アカバ湾の海底に、チャリオットの車輪とおぼしきものなど、エジプト軍の遺物が見つかっている。シナイ山は、シナイ半島南部にある標高二、二八五メートルの山ジェベル・ムーサ、あるいはその百六十キロ北にあるラス・サラサファだとされる。シナイ山がどこであろうと、エジプト軍が沈んだ海はアカバ湾だった。

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